1 アリーと赤帽子
「あげる」
そういって差しだされた手には、美しい紅 の帽子がのせられていた。
「それ、もういらないの。私のでもないし、捨てようと思っていたから」
突然の言葉に、アリーは面食らった。こんな高級そうな布地のおしゃれな帽子をもらえるなんて、夢みたいだった。
「本当に?」
念のためにもう一度確認したが、相手は本気のようだった。
こうして、この赤いベレー帽はアリーのものになった。
アリーは十歳。女の子だ。
アリーというのは愛称で、実際にはアレクサンドラという本名があったが、こちらの名前で彼女を呼ぶ人間はほとんどいなかった。
ところが、彼女を呼びとめるのに「アレックス」という呼称をもちいる人はいくらか存在した。そのうちのひとりは、彼女の父親だった。
この父親は昔から息子を欲しがっていた。そのため、一人娘のアレクサンドラにも男児の服を着せ、なかば男の子のように扱った。小さいころは、彼女も素直にそれを受けいれ、男児にまざってわんぱくに遊びまわっていたが、残念ながら彼女は純然たる少女であり、成長して自らを着飾ることに目覚めると、父親の選ぶ服を拒否するようになった。そして名前を「アリー」にあらため、誰よりもかわいくなりたいと考えるようになった。その結果、アリーは人一倍ファッションに敏感になり、自分の好みにあう「かわいい服」を常に探し求める女の子になっていた。
ところが、アリーは服屋の娘でありながら、常に「かわいい服」から遠ざけられていた。両親は大切な商品に傷をつけまいと、アリーを親戚の叔母の家に隔離し、店が閉店するまでは自宅へ帰ってこないように命じており、営業中の店に近づこうものなら、彼女をネズミのように追いはらうのだった。
おかげで、アリーはいつも地味な古着ばかりを着用するはめになり、どうにか新しい服はもらえないものかと知恵をはたらかせる毎日をおくっていた。
そんなアリーにとって、この赤帽子は晴天の霹靂だった。
アリーは喜びいさんで父親のもとへと駆けていき、ことの顛末を報告した。ちゃんと報告しておかないと、店の商品を盗んだと勘違いされかねないからだ。
「レイが帽子をおまえにくれたって?」
アリーの父は、少し意外そうにいった。それもそのはず、帽子をくれた人物──「レイ」ことレイチェルは、人にものをあげるどころか、口をきくのも避けようとする女性だったからだ。
「なるほど、うちの商品ではないな」
父はベレー帽を隅々までよく調べた。この父親は、アリーが店内の商品を持ちだしていないか、いつもチェックするのだった。
「きっとあの子が自分で縫ったんだろう。まあ、彼女がくれるというのなら、その帽子はおまえのものだ。ただし、きちんと礼はいうように」
アリーは顔を輝かせた。父の許可さえおりればこっちのものだ。そこで元気よく返事をし、レイのいた場所へと踵を返した。帽子に夢中で、まだお礼をいっていなかったからだった。
帽子をくれた女性、レイは、まだそこにいた。アリーは喜びに息をはずませながら、声をかけた。
「レイ、かわいい帽子をありがとう。大切にするわ」
けれども、彼女は答えなかった。彼女はただ、窓の外をみつめてぼうっとしていた。
「ねえ、この帽子、あなたが自分で縫ったんでしょう? いつもお店のお洋服をつくっているだけあって、素敵だわ」
そう、レイはアリーの両親の店で雇われている従業員だった。人と話すのは苦手だったが、手先が器用で裁縫がうまく、商品となる洋服をつくる仕事を担っていた。だから、アリーはてっきり、この帽子も彼女がつくってくれたのだと思いこんでいた。だが、返答は違った。
「いいえ」
レイはアリーのことをみようともせず、ずっと視線を窓へとむけていた。
「その帽子のことはきかないで。本当はもう、捨てるつもりだったの」
それ以降、彼女はひとことも話そうとしなかった。何か事情はありそうだったが、彼女はいつもこういった態度をとるため、アリーはたいして気にとめなかった。それよりも、思いがけず手にいれた帽子を試してみたくてたまらなかった。
そこでアリーはレイと別れ、店の二階に駆けあがった。普段はあまり使わないが、二階にはアリー専用の部屋があり、貴重なよそゆきの着替えがたくさんおいてあった。
そういって差しだされた手には、美しい
「それ、もういらないの。私のでもないし、捨てようと思っていたから」
突然の言葉に、アリーは面食らった。こんな高級そうな布地のおしゃれな帽子をもらえるなんて、夢みたいだった。
「本当に?」
念のためにもう一度確認したが、相手は本気のようだった。
こうして、この赤いベレー帽はアリーのものになった。
アリーは十歳。女の子だ。
アリーというのは愛称で、実際にはアレクサンドラという本名があったが、こちらの名前で彼女を呼ぶ人間はほとんどいなかった。
ところが、彼女を呼びとめるのに「アレックス」という呼称をもちいる人はいくらか存在した。そのうちのひとりは、彼女の父親だった。
この父親は昔から息子を欲しがっていた。そのため、一人娘のアレクサンドラにも男児の服を着せ、なかば男の子のように扱った。小さいころは、彼女も素直にそれを受けいれ、男児にまざってわんぱくに遊びまわっていたが、残念ながら彼女は純然たる少女であり、成長して自らを着飾ることに目覚めると、父親の選ぶ服を拒否するようになった。そして名前を「アリー」にあらため、誰よりもかわいくなりたいと考えるようになった。その結果、アリーは人一倍ファッションに敏感になり、自分の好みにあう「かわいい服」を常に探し求める女の子になっていた。
ところが、アリーは服屋の娘でありながら、常に「かわいい服」から遠ざけられていた。両親は大切な商品に傷をつけまいと、アリーを親戚の叔母の家に隔離し、店が閉店するまでは自宅へ帰ってこないように命じており、営業中の店に近づこうものなら、彼女をネズミのように追いはらうのだった。
おかげで、アリーはいつも地味な古着ばかりを着用するはめになり、どうにか新しい服はもらえないものかと知恵をはたらかせる毎日をおくっていた。
そんなアリーにとって、この赤帽子は晴天の霹靂だった。
アリーは喜びいさんで父親のもとへと駆けていき、ことの顛末を報告した。ちゃんと報告しておかないと、店の商品を盗んだと勘違いされかねないからだ。
「レイが帽子をおまえにくれたって?」
アリーの父は、少し意外そうにいった。それもそのはず、帽子をくれた人物──「レイ」ことレイチェルは、人にものをあげるどころか、口をきくのも避けようとする女性だったからだ。
「なるほど、うちの商品ではないな」
父はベレー帽を隅々までよく調べた。この父親は、アリーが店内の商品を持ちだしていないか、いつもチェックするのだった。
「きっとあの子が自分で縫ったんだろう。まあ、彼女がくれるというのなら、その帽子はおまえのものだ。ただし、きちんと礼はいうように」
アリーは顔を輝かせた。父の許可さえおりればこっちのものだ。そこで元気よく返事をし、レイのいた場所へと踵を返した。帽子に夢中で、まだお礼をいっていなかったからだった。
帽子をくれた女性、レイは、まだそこにいた。アリーは喜びに息をはずませながら、声をかけた。
「レイ、かわいい帽子をありがとう。大切にするわ」
けれども、彼女は答えなかった。彼女はただ、窓の外をみつめてぼうっとしていた。
「ねえ、この帽子、あなたが自分で縫ったんでしょう? いつもお店のお洋服をつくっているだけあって、素敵だわ」
そう、レイはアリーの両親の店で雇われている従業員だった。人と話すのは苦手だったが、手先が器用で裁縫がうまく、商品となる洋服をつくる仕事を担っていた。だから、アリーはてっきり、この帽子も彼女がつくってくれたのだと思いこんでいた。だが、返答は違った。
「いいえ」
レイはアリーのことをみようともせず、ずっと視線を窓へとむけていた。
「その帽子のことはきかないで。本当はもう、捨てるつもりだったの」
それ以降、彼女はひとことも話そうとしなかった。何か事情はありそうだったが、彼女はいつもこういった態度をとるため、アリーはたいして気にとめなかった。それよりも、思いがけず手にいれた帽子を試してみたくてたまらなかった。
そこでアリーはレイと別れ、店の二階に駆けあがった。普段はあまり使わないが、二階にはアリー専用の部屋があり、貴重なよそゆきの着替えがたくさんおいてあった。
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