時の国の王女

 アレックスが玄関で話していた少年はギルバートといい、くるくると頭の上でうずまく黒髪が特徴的だった。彼が自室らしき部屋の扉を開けるとアレックスはなんの遠慮もなく室内のベッドにぽんと腰をおろし、ストラとアンジュを紹介すると、靴屋で三人がであった経緯やアンジュから聞いた話などを簡潔に説明し、そしてこう告げた。
「君ならふたりを王宮に連れていくこともできると思ったんだ」
「冗談だろ?」
 ギルバートは顔をしかめてストラとアンジュを見やり、ため息をついた。
「珍しく訪ねてきてくれたと思ったら、そんなことを言いにきたのか。悪いけど無理だ。特別な式典があるときは招待されることもあるけど、普段はあんなとこ行かねえよ。第一、俺はあんなとこ行きたくないんだよ」
「コーネリアさんに頼めばいいじゃないか。いつも君をお茶会に招待してるんだろ? 君は断っているらしいけど」
「あたりまえだろ。あんな息苦しいところ、こっちから願いさげだね。それと、コーネリアさんは俺が好きなんじゃない。退屈をまぎらわすために、口答えをしない年下の俺を話し相手にしようとしているだけだ」
 そのとき、玄関のほうからバタバタと騒がしい音がし、女性たちの甲高い声が聞こえてきた。
「まあ、コーネリア様、困りますよ。お約束もなく突然来られては」
「ごめんなさい。だけど、どうしても城にいる気がしなくって。ほかに行くところもないから」
 その言葉が聞こえてきた瞬間、アレックスは勝ちほこったかのように微笑み、ギルバートは見るからに苦々しい顔をして舌打ちをした。
「運がいいね。むこうから来てくれたよ」
「嘘だろ、最悪だ。こんなことってあるかよ」


 一同が玄関へむかうと、玄関にはレースを重ねた薄緑のあでやかなドレスを着た美しい女性が、付き人らしき老女と少女を従えて立ち、そのかたわらには中年の痩せた女性がいて何事かお喋りをしていた。中年の女性はこちらを振りかえると、さっと手招きをして怒ったように言った。
「ギル、早くいらっしゃい。コーネリア様があなたに会いたいって」
 それから、隣にいたアレックスに気づいてこうも言った。
「あら、アレックスじゃない。いつの間に来ていたの?」
「ついさっきです。でも、お邪魔みたいなので帰ります」
 アレックスはにこやかに答えると、ぽんとギルバートの肩を叩いて「頼んだよ」とささやくと、玄関の女性陣に軽く挨拶をしてその横をするりと抜け、あっという間に家からでていってしまった。
「ギルバート、お久しぶり。なかなか会いに来てくれないから、こちらから来てしまったわ」
 客人の女性は、そのおしとやかな外見とは裏腹に無邪気な笑みを浮かべてこちらに手を振った。
「その子たちは?」
 中年の女性が不思議そうにストラとアンジュを指さした。
「ああ、その、ちょっとした知りあいだよ、母さん」
「そう。残念だけど、今日はもう帰ってもらいなさい」
「あら、構わないわよ」
 中年女性を押しのけるようにして、客人の女性がこちらに手招きをした。
「私、小さな子が大好きなの。どういうお友達か紹介してもらえる?」


 数分後、ストラとアンジュはなぜか大きな四輪馬車に乗せられていた。ストラの隣ではギルバートが冷めた目で外の景色を眺めている。むかい側では老女が先程の客人の女性にぶつぶつと説教をしていた。
「たしかに、ここ最近は息苦しいことも多かったですし、気分転換は必要だと思いましたから、あたしも外出を許可しましたよ。ギルバート坊ちゃんなら素性もよくわかっておりますし、お行儀もよろしいですし。しかし、この子供たちはなんです? こんな得体の知れない子を城内に入れるなんて、いくらコーネリア様の頼みでも許されませんよ」
「いいじゃない。ギルのお友達なら私のお友達も同然よ」
 コーネリアと呼ばれた女性は、きれいに結った金髪の頭をつんと振りあげて答えた。その美しさといい、身にまとっているドレスの美しさといい、この豪華な馬車といい……この人は何者なのだろうか。
 その後、馬車はふたりがつい先刻追いだされた城の正門までやってきた。幸い、門番はふたりを叱りつけた人物とは別人で、しばらくの間コーネリアと言いあらそいをしていたが、最終的には通してくれた。こうして、ふたりは無事に城内への潜入に成功したのである。


 彼女が連れてきてくれたのは、あの白い塔ではなく、その側にある屋敷のひとつだった。コーネリアは廊下の途中で老女と少女をさがらせると、ストラたちを大きな部屋へと案内した。部屋の端には天蓋つきベッドがあり、中央には丸いテーブルと、魔女の家で見たのとそっくりな茶道具があった。彼女に勧められるまま一同は席につき、ストラははじめから部屋に控えていた女中が茶道具や皿を並べるのを興味深く眺めていた。
「この部屋にお客様を呼ぶのは久しぶりだわ。普段はメイドしか相手をしてくれる人がいないのよ」
 コーネリアは嬉しそうだったが、ギルバートの表情には感情がない。よほどこの空間にいるのが嫌らしい。
 女中が今まさに茶を淹れようとしたそのとき、扉が軽くノックされ、部屋にいるのとは別の女中が顔をだした。
「コーネリア様、父上様がお呼びです。至急来るようにと」
「まあ、今からお茶会をしようとしていたのに!」
 コーネリアはさんざん文句を言っていたが、最終的に女中に押しきられる形で不承不承席を立った。
「ごめんなさい、すぐに戻るわ」
 彼女がでていくと、部屋にいた女中たちも皆、後についてでていった。部屋が空っぽになり、扉が閉まると、ギルバートは大きなため息をついて、テーブルに突っ伏した。
「なんで俺がこんなことを……」
「ごめんなさい、なんだか妙なことになってしまって」
 アンジュが謝っても、ギルバートは頭をあげようとはしなかった。
「俺、あの人苦手なんだよ。うるさいし、つまらない話をだらだらするし、俺のプライベートに踏みこんでくるし。けど、あの人はペンバートン家のお嬢様だから、怒るわけにもいかない。だからうまく逃げていたのに捕まって、おまけにアレックスには変な子供まで押しつけられるし」
 アンジュは「どうしよう」とでも言いたげな顔でストラにアイコンタクトを送ってきた。ストラはアンジュの目線の意図こそ分かったものの、ギルバートにかける言葉も見つからなかったので、とりあえず気になっていたことを質問した。
「ねえ、あのきれいなお姉さんは誰なの?」
 すると、ギルバートは呆れたように顔をあげ、勢いよく椅子の背もたれに身体を預けると、ぶっきらぼうに説明した。
「コーネリアさんは、代々王家に仕えているペンバートン家っていう名家のお嬢様だよ。ペンバートン家は王家の血も引いてるから、あの人はすごく位の高い人なんだ。だからめちゃくちゃ気を使うんだよ」
 アンジュはその説明を聞いて仰天した様子だった。ストラも、彼女がすごい人であることだけは、なんとなくわかった。少なくとも、城に入って誰にも怒られず、たくさんの人に頭をさげられているのだから、ただ者ではない。
「そんな人と、どうしてあんなに親しいの?」
 アンジュが尋ねると、ギルバートは心底面倒くさそうにぼそぼそと答えた。
「俺が王女の従兄弟いとこだからだよ」
「王女!?」
 アンジュの声が部屋中に響き渡った。ギルバートはふんと鼻を鳴らして笑った。
「別に、いいことなんて何もないけどな」
「待って、じゃああなた、この国の王様とも会っているの?」
 すると、ギルバートは目を丸くしてアンジュを見た。
「王様ならとっくに死んだよ。お前ら、城に入りたがっていたくせに、この国の事情を何も知らないのか?」
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