時の国の王女

 アレックスは親切だった。彼は朗らかで常にはつらつとしており、ふたりが靴を購入する際もいくつかのアドバイスをくれた。そして、彼の両親が経営しているという洋服店に案内してくれ、予算内におさまるように気をつけながら、一緒にコーディネートを考えてくれた。
「アレックスが人のコーディネートを考えるなんて珍しいな。普段はレジで勘定しかしていないだろう」
 こう言ったのは彼の父親である。アレックスの父は洋服店の店主でもあったが、小さなストラとアンジュを快く迎えいれてくれ、子供だけで高額な買い物をするふたりを心配すらしてくれた。
「ふたりは僕が連れてきたお客さんだからね。特別だよ」
 アレックスはすまして答え、着替えを終わらせてすっかり見違えたふたりを外まで見送ってくれた。アンジュが礼を言うと、アレックスは少しだけ照れてみせ、それからこんなことを言いだした。
「ところで家はどこ? 君たち小さくて道も知らなさそうだし、よかったら近くまで送っていくよ」
「いいえ、まだ帰らないの。わたしたち、調べなきゃいけないことがあるから」
「調べたいことって?」
「この国のことよ」
 アンジュは魔女や虹の国の存在を伏せつつ、ざっくりとことの次第を話した。自分たちはこの国の人間ではないこと、故郷に異変が起きていること、その原因がこの時の国にあるらしいこと、その原因を知りたいということ、そして王宮に入ったのがばれてしまい、ひどい目にあったこと──
「話はわかったよ」
 アレックスはアンジュの話を否定せず、真剣な顔で頷いた。
「たしかに君たちの言うとおり、この国は時が狂ってる。よその国にも影響がでていて、問いあわせが殺到しているらしい。王女様に原因があるんじゃないかって、大人たちが話していたのも聞いた。けど、誰も詳しいことなんて知らないよ。わからないんだから。君たちはこれからどうするんだい?」
「王女様に会うわ。その人が原因なんでしょう?」
 間髪入れずにアンジュが答えた。アレックスは目を丸くしてアンジュを指さした。
「よく言うよ! ついさっき衛兵に捕まって大変な目にあったって言ってたくせに」
「どうにかするわ。このままじゃ帰れないもの」
「冗談じゃないよ、一般人が王宮になんか入れるもんか。門に近づくだけで威嚇されるのが関の山だ。せめて、関係者の知りあいでもいないと……」
 彼は突然そこで言葉を切った。そして、急にふっと口元をほころばせると、ずいっとふたりの肩を抱いて壁際に連れていき、人目をはばかるように身をかがめ、声をひそめて囁いた。
「ひとり、入れるかもしれないやつがいるよ。王女の親戚なんだ。うまくいくかはわからないけど、よかったらその人に会わせてあげてもいいよ」
「えっ!」
「本当に?」
 アンジュは嬉しそうに声をあげた。ストラも興奮で頬を熱くした。あの城に入れば何かわかるかもしれない。虹の国を戻せるかもしれない!
「会いたい?」
「もちろん!」
「オッケー、決まりだね。じゃあ、少し待ってて。パパにでかけるって伝えてくるから」
 アレックスは口角をあげてウインクすると、さっと踵を返した。


 ふたりはよく整備された石畳の道を、ひたすらアレックスについていった。先ほどと同じく人混みの中を通りぬけもしたが、もうふたりにいやらしい視線を送る人も、小声で噂をする人もいなかった。格好を変えるだけでこんなにも態度が変わるなんて、下界の人って不思議だな、とストラはきょろきょろしながら奇妙に思っていた。
 アレックスはよほどお喋りが好きなのか、歩いているあいだも始終喋りっぱなしだった。難しい話ばかりでストラには答えかねる内容だったため、彼の話にはもっぱらアンジュが応対していた。
「声をかけてみてよかったよ。この辺の道はややこしいからね。君たちの様子があまりにも妙だから、ずっと気になっていたんだ。あの格好は民族衣装?」
「ええ、まあ、そんなところね」
「どうして子供だけで来たの?」
「それは……大人は忙しいから」
「そうなんだ。気をつけたほうがいいよ。街にはいろんな人がいる。特に日が暮れたら危ないんだ。といっても、今はずっと夕方なんだけどね」
「それって、時が狂ってるから?」
「おそらくね。詳しいことはパパやママも知らないって言ってた。おかげで迷惑してるよ。朝はなかなか起きられないし、夜も寝つけないし……時計を見ないと、今が昼なのか夜なのかすらわからない。ちなみに今は午後二時五十分だね」
 やがて、人通りは少しずつ減っていき、均等な感覚で植えられている街路樹が風にさざめく音のほかは、ほとんど何も聞こえなくなってしまった。けれども、道の両側にはまだ、赤レンガ造りの大きな建物が連なっており、あちこちに置かれた花壇や表札の様子から、人が住んでいるらしいことが伺えた。
 アレックスはそのうちのひとつの前で足をとめると、備えつけられた手すりつきの階段を軽やかにあがり、躊躇なく呼び鈴を鳴らした。
「アレックス!?」
 呼び鈴に反応して家からでてきた人物は、アレックスより背の高い少年だった。彼はアレックスを見てまず驚き、それからゆっくりと笑顔になって一歩進みでると、両手で彼の手をとった。
「まさか来てくれるとは思わなかった。休日はいつも手伝いがあって忙しいんじゃなかったのか?」
「忙しいのは忙しいさ。ただ、今日はちょっと紹介したい人がいてね」
 アレックスがこちらを振りかえり、ストラとアンジュを手招いた。戸口の人物はふたりを見るなり不愉快そうに口をゆがめ、アレックスから手を離した。
「俺に会いにきたんじゃないのか」
「ごめんね。じつは、今日は君に頼みたいことがあって来たんだ」
「ふーん……」
 相手はこの上なくつまらなさそうにストラとアンジュを一瞥すると、「入れよ」とだけ言ってこちらに背を向けてしまった。
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