時の国の王女

 アンジュはうつむいたまま、しばらく声もなく泣いていたが、数分もすると落ちついたのか顔をあげた。その目は泣きはらして真っ赤だったが、声色はかなり落ちついていた。
「ごめんなさい。一からやりなおしね」
 ストラはどう答えていいかわからず、とりあえずさっきから気になっていた質問をぶつけた。
「泣いていたけど、大丈夫?」
「平気よ、ちょっとびっくりしただけ。わたし、怖い男の人って苦手なのよ」
 アンジュはちょっと引きつった笑顔をつくった。鈍いストラでも、今のアンジュは無理をしているのがよくわかった。先ほどの「衛兵」とやらは、ストラにとってはたいして怖い相手ではなかったが、アンジュはそうとうなショックを受けたらしい。
 どうすれば彼女に元気が戻るのか考えていると、ふいに周囲を歩く人間たちがチラチラとこちらに視線を向けていることに気がついた。
「見て、あの子たち裸足よ」
「きっと物乞いね。目を合わせちゃだめよ」
 そんな囁き声があちこちから聞こえてくる。それはアンジュの耳にも届いていたようで、アンジュはその場に立ちどまってしまった。つられてストラも足をとめた。ストラはアンジュが何かするために止まったのかと思っていたが、アンジュは特に何をするでもなく、じっと自分の足元を見つめているだけだった。
 人通りの多い道で立ちどまってしまったので、周囲の人々は迷惑そうな顔をしながらふたりを避けて歩いていった。
「ぼくたち、嫌がられてるみたい」
 ストラがぽつりと漏らすと、アンジュが「そうね」と返した。
「靴を履いていないから、悪く思われるんだわ。まずは、靴が必要ね」
 ちょうど、ふたりのななめ前には靴をショーウィンドウに並べた靴屋があった。アンジュは迷わずそこへ駆けよると、木製のドアをぐっと押して中に入った。ストラもあとに続いた。
 店の奥には、髭をはやした店主らしき風貌の男性がいた。店主は扉についたベルの音に反応し、すばやく笑顔でこちらに首を向けたが、ふたりの足元を見るとぎょっとして顔をこわばらせた。
「わたしたち、靴が欲しいの」
 言うが早いか、アンジュは店主に向かって拳を突きだし、その手を上向きにして開いた。店主は訝しげに眉根をよせていたが、広げられた掌にあるものを見て、すぐに表情をやわらげた。それは、一枚の金貨だった。
「それだけあれば何でも買えるよ。子供用はここにあるから、好きなのを選びな。しかし、自分の靴はどうしたんだい」
「破けちゃったの」
「そうかい、それは気の毒に」
 店主は特に疑う様子もなく、ふたりを店の奥に入れてくれた。ストラは店主の態度を急変させた金属片の存在が不思議でたまらず、アンジュに耳打ちした。
「それは何? どこで貰ったの?」
「魔女のおばあさんがくれたわ。女王様からの手紙に入っていたんですって。下界ではこれをだして、必要な物を貰うのよ。さあ、靴を選んで」
 選んで、と言われたものの、ストラは目の前に並べられた革製の物体が何なのかも理解できなかった。いったいどれを、どのように選べばいいのだろう?
「おじさん、こんにちは!」
 そのとき、扉のベルがカラカラと鳴り、ひとりの少年がにこやかに入店してきた。あどけない容貌と声をしているが、彼の背丈はかなり高く、ストラの一・五倍はありそうだった。店主は彼を知っているらしく、朗らかな笑顔で親しげに話しかけた。
「やあ、君か。また靴をだめにしたのかい?」
「うん。これまでは修理してもらっていたけど、いい加減ボロボロになったから、ママが買いかえなさいって言ったんだ」
 少年はそこまで言うと、ストラたちの存在に気がついて怪訝な顔をした。
「どうしたんだい、君たち裸足じゃないか」
「ええ、だから靴を買いにきたの」
 アンジュがそう説明して金貨を見せると、少年はふうん、と唸ってから、ストラの肩のあたりを指さして尋ねた。
「その聖歌隊みたいな服は誰の趣味だい?」
「え?」
 ストラは自分の白い衣服を見た。この服に何か問題があるのだろうか。
「おかしい?」
 アンジュがむっとして言い返すと、少年は両手を振って否定した。
「おかしくはないよ! ただ、目立つなあと思って。祭りか何かがあるのかと思ったよ」
 案の定、ストラには訳がわからなかったが、アンジュは少年の言葉の意味を理解できたらしく、何やら真剣な表情で考えこんでいた。そして、一瞬にしてこちらに向きなおると、少し怒りぎみの表情でストラに詰めよった。
「ストラ、靴を買ったら服も買いましょう。この格好は目立つみたいだから着替え……服を変えるのよ」
「ふく?」
 ストラは自分の服と、アンジュの顔を交互に見た。今の話の流れで、自分が身にまとっている白い衣が「ふく」であることは一応理解した。しかし、どうして服を変えなければならないのか、なぜ目立つとよくないのかは、相変わらずさっぱりだった。
「へえ、服が欲しいの?」
 少年は嬉しそうに身をのりだしてきた。
「だったらうちに来るといいよ。うちの家、洋服屋だから」
 ふたりは同時に少年を見た。まさか、向こうから手助けをしてくれるとは思ってもみなかったからだ。
「ええ、ありがとう……助かるわ」
 アンジュがしどろもどろにお礼を言うと、少年はにっこりと笑顔をつくった。
「名前聞いてもいいかな? ああ、僕はアレックス。よろしく」
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