時の国の王女
ふたりは女王の城へと足を運んだ。鏡のように磨きあげられたガラス張りの城は、いつもどおりの姿だった。特に変わったことはなさそうで、ストラはひとまず安堵した。
この城は美しい建物だった。最上階の屋根からはつねに光の粒が吹きだして透明なガラスの城を白く包み、残りは屋根や壁をつたって地面へとこぼれ落ちている。それはまるで城というより、大きな乳白色の噴水だった。
ふたりが城の戸口に立つと、すぐに奥から女王が現れた。まるで、あらかじめふたりが来ることを予測していたかのようだった。
「この国の『時』が狂っているようです」
開口一番、女王はそう告げた。ストラとアンジュは目を丸くした。
「女王様、みんなが動かない理由を知ってるの?」
「私はこの国の長ですから。どうやら、この国の『東側』で、時の流れが異常を起こしているようです。彼らが倒れたのも、それが原因でしょう」
「東側ってなあに?」
はじめて聞いたその単語を繰りかえすと、女王はしばらく思案したのち、さっときびすを返した。
「『あちら側』の存在は明かしたくなかったのですが……あなたがた以外の者がこうなってしまった以上、しかたがありませんね」
女王がこちらにむかって手招きをしたので、ふたりはそのまま女王について城へ入った。普段、ストラたちは城の中へ入ることを許されていない。だから城内に足を踏みいれるのはこれがはじめてだった。中の様子はどんなだろうとストラは少しだけわくわくした。
が、ものの数秒でその期待は打ち砕かれた。城の中は、床も天井も強烈な白い光をペンキで塗りつけたかのように強く発光しており、ほとんど目を開けていられない。アンジュを見やると彼女も眩しいらしく、かろうじて薄目を開けて前方を見ていた。
女王はまっすぐに城の廊下を突っ切ると、そのまま、どこか別の扉を開けた。その扉をくぐると、さっきまでの厳しい眩しさは消え、いつもどおりのやわらかな日光が頭上から降ってきた。天を仰ぐと見慣れた青空があり、ストラはようやくここが城の外であることを理解した。つまり、一同は城の正面から入って裏口から出てきていたのだ。
「ここは虹の国の端です。普段は誰も立ち入らないように城で遮り、私が見張っています。あなたたちもここへ来るのははじめてでしょう」
そこは、白いふかふかした地面の上だった。虹の国の地面はほとんどが土で、短い草が絨毯のように敷きつめられている。一方、今ふたりが連れてこられた場所には土がなく、かわりに白い霧のようなもやが煙のように噴きだし、ゆっくりと空気にのって三人の足首を覆っていた。
ストラはこの地面に見覚えがあった。これは「雲の地面」だ。虹の国の「入り口」や人気のない僻地など、手入れされていない場所はたいてい、この白いふわふわの地面のままなのだ。「雲」の上は歩きにくく不安定なので、虹の住人はこの地面には近寄らないことが多い。だが、ストラはこのやわらかな白い地面を好んでいた。草の地面よりもふわふわして温かいので、寝ころぶと落ちつくのである。
「ここ、虹の国の『はしっこ』だね」
ストラは「雲」の途切れ目のほうに目をむけて言った。そう、女王の城の裏側には、ほとんど地面が存在していなかった。「雲」の地面がなくなった先には何もなく、ただ上にも下にもだだっ広い青空があるばかりだ。
これは虹の国において珍しい光景ではなかった。虹の国は空に浮かぶ孤島のようなつくりをしており、まっすぐ歩いていくと必ずこうした「はしっこ」に行きつくようになっているのだ。
「ええ、そのとおりです。しかし、ほかとは違うことがあります。何だかわかりますか」
「えっ?」
ストラはもういちど、目の前にある地面の終わりを眺めた。その先にはやはり何もなく、ただ、澄んだ青空が広がっているだけだった。
ちなみに、地面のエリアからこの青空に飛びだすと、たとえシャボン玉の姿であっても必ず落っこちてしまい、二度と虹の国には帰れないらしい。少なくともストラは周囲の大人からそのように聞かされていた。
「ほかの場所には柵 が設置されているでしょう。でも、ここにはあえて柵をつくっていないのです」
「あっ、ほんとだ」
言われてはじめて、ストラは雲の切れ目に「いつもの柵」がないことに気がついた。
なにしろこういう場所は地面が突然なくなっているので、そのままだと、うっかり誰かが落下してしまう危険がある。そのため、この島のような形をした国はまるで住人を囲いこむかのように、柵でぐるっとふちどられていた。その柵はどれもストラの背丈より短かったが、不思議なことに、誰ひとりそれを越えることはできなかった。柵に近づくだけで、まるで見えない透明の手に押し戻されるように、勢いよく弾きとばされてしまうのだ。
「どうして柵がないの?」
「ここには柵を置けない理由があるのですよ」
女王はさっと右手を振った。すると、それまで何もなかった青空に、突然小さな雲が浮かびあがった。
「あれは何?」
「この国の東側です。普段は誰も行き来できないように切りはなしているのです」
女王がもういちど手を振ると、薄い虹の線が現れ、その雲へとむかって伸びていった。そう、青空にあったのは小さな雲ではなく、遠くに見える大きな雲だったのだ。
「残念ながら、私はここを動けません。そして、この国で動けるのはあなたたちしかいません。ですから、心苦しいですが、これからのことはあなたがたに託します」
女王はひざまずき、両手でストラの左肩とアンジュの右肩をそっと抱いた。
「アンジュ、ストラ。あなたたちにはこれから、あの場所へ行ってもらいます。よいですね」
この城は美しい建物だった。最上階の屋根からはつねに光の粒が吹きだして透明なガラスの城を白く包み、残りは屋根や壁をつたって地面へとこぼれ落ちている。それはまるで城というより、大きな乳白色の噴水だった。
ふたりが城の戸口に立つと、すぐに奥から女王が現れた。まるで、あらかじめふたりが来ることを予測していたかのようだった。
「この国の『時』が狂っているようです」
開口一番、女王はそう告げた。ストラとアンジュは目を丸くした。
「女王様、みんなが動かない理由を知ってるの?」
「私はこの国の長ですから。どうやら、この国の『東側』で、時の流れが異常を起こしているようです。彼らが倒れたのも、それが原因でしょう」
「東側ってなあに?」
はじめて聞いたその単語を繰りかえすと、女王はしばらく思案したのち、さっときびすを返した。
「『あちら側』の存在は明かしたくなかったのですが……あなたがた以外の者がこうなってしまった以上、しかたがありませんね」
女王がこちらにむかって手招きをしたので、ふたりはそのまま女王について城へ入った。普段、ストラたちは城の中へ入ることを許されていない。だから城内に足を踏みいれるのはこれがはじめてだった。中の様子はどんなだろうとストラは少しだけわくわくした。
が、ものの数秒でその期待は打ち砕かれた。城の中は、床も天井も強烈な白い光をペンキで塗りつけたかのように強く発光しており、ほとんど目を開けていられない。アンジュを見やると彼女も眩しいらしく、かろうじて薄目を開けて前方を見ていた。
女王はまっすぐに城の廊下を突っ切ると、そのまま、どこか別の扉を開けた。その扉をくぐると、さっきまでの厳しい眩しさは消え、いつもどおりのやわらかな日光が頭上から降ってきた。天を仰ぐと見慣れた青空があり、ストラはようやくここが城の外であることを理解した。つまり、一同は城の正面から入って裏口から出てきていたのだ。
「ここは虹の国の端です。普段は誰も立ち入らないように城で遮り、私が見張っています。あなたたちもここへ来るのははじめてでしょう」
そこは、白いふかふかした地面の上だった。虹の国の地面はほとんどが土で、短い草が絨毯のように敷きつめられている。一方、今ふたりが連れてこられた場所には土がなく、かわりに白い霧のようなもやが煙のように噴きだし、ゆっくりと空気にのって三人の足首を覆っていた。
ストラはこの地面に見覚えがあった。これは「雲の地面」だ。虹の国の「入り口」や人気のない僻地など、手入れされていない場所はたいてい、この白いふわふわの地面のままなのだ。「雲」の上は歩きにくく不安定なので、虹の住人はこの地面には近寄らないことが多い。だが、ストラはこのやわらかな白い地面を好んでいた。草の地面よりもふわふわして温かいので、寝ころぶと落ちつくのである。
「ここ、虹の国の『はしっこ』だね」
ストラは「雲」の途切れ目のほうに目をむけて言った。そう、女王の城の裏側には、ほとんど地面が存在していなかった。「雲」の地面がなくなった先には何もなく、ただ上にも下にもだだっ広い青空があるばかりだ。
これは虹の国において珍しい光景ではなかった。虹の国は空に浮かぶ孤島のようなつくりをしており、まっすぐ歩いていくと必ずこうした「はしっこ」に行きつくようになっているのだ。
「ええ、そのとおりです。しかし、ほかとは違うことがあります。何だかわかりますか」
「えっ?」
ストラはもういちど、目の前にある地面の終わりを眺めた。その先にはやはり何もなく、ただ、澄んだ青空が広がっているだけだった。
ちなみに、地面のエリアからこの青空に飛びだすと、たとえシャボン玉の姿であっても必ず落っこちてしまい、二度と虹の国には帰れないらしい。少なくともストラは周囲の大人からそのように聞かされていた。
「ほかの場所には
「あっ、ほんとだ」
言われてはじめて、ストラは雲の切れ目に「いつもの柵」がないことに気がついた。
なにしろこういう場所は地面が突然なくなっているので、そのままだと、うっかり誰かが落下してしまう危険がある。そのため、この島のような形をした国はまるで住人を囲いこむかのように、柵でぐるっとふちどられていた。その柵はどれもストラの背丈より短かったが、不思議なことに、誰ひとりそれを越えることはできなかった。柵に近づくだけで、まるで見えない透明の手に押し戻されるように、勢いよく弾きとばされてしまうのだ。
「どうして柵がないの?」
「ここには柵を置けない理由があるのですよ」
女王はさっと右手を振った。すると、それまで何もなかった青空に、突然小さな雲が浮かびあがった。
「あれは何?」
「この国の東側です。普段は誰も行き来できないように切りはなしているのです」
女王がもういちど手を振ると、薄い虹の線が現れ、その雲へとむかって伸びていった。そう、青空にあったのは小さな雲ではなく、遠くに見える大きな雲だったのだ。
「残念ながら、私はここを動けません。そして、この国で動けるのはあなたたちしかいません。ですから、心苦しいですが、これからのことはあなたがたに託します」
女王はひざまずき、両手でストラの左肩とアンジュの右肩をそっと抱いた。
「アンジュ、ストラ。あなたたちにはこれから、あの場所へ行ってもらいます。よいですね」