時の国の王女
雲の上、空の彼方、誰にも見えない虹のはて。大きな門で閉ざされた、特別な場所にその国はあった。
「アンジュ、どこに行ったのかな?」
ストラはあたりを見回して口を尖らせた。色とりどりの枝をつける虹色の木が、青々とした豊かな草原の中に点々と生えている。そのすべてをくまなく探してみたが、アンジュはいない。そこで、あちこちに生えている「花山 」のひとつにもぐってみたが、やはり見つからない。ちなみに、花山というのは様々な色の背の高い花が一箇所に固まって生えていることで小ぶりな山のように見えているからそう呼ばれている。この花たちは誰かが意図的に植えたのではなく、自然に等間隔に固まって生えている。そのため、ストラは花というのは勝手に集まって咲くようにできているものなのだと認識していた。
「うーん、どこに隠れたのかなあ」
この虹の国の景色は独特だった。どの植物も、それぞれ特有の色を持っているものの、その姿は薄いガラス細工のように常に光っていて、プリズムのようにどこかしらが虹色にきらめくのだった。空は常に青く、真上から日が差している。ここでは、いつ何時でも雲ひとつない晴天なのだが、それもそのはず、この国は雲の上にあったのだ。
「ストラ!」
ふわ、と小さな虹色のシャボン玉が、ストラの鼻先をかすめた。それは一般的なシャボン玉のような透明の膜に混じった油っぽい色味ではなく、常に周囲の景色を映しながら七色にきらめいていた。
「あっ!」
ストラは声をあげた。
「ずるいよ、そうやって『小さくなる』なんて」
すると、小さな玉はかわいらしい声でくすくすと笑った。そう、これは単なる泡の玉ではなかったのである。
「ごめんね、ストラ」
玉はその場でくるくると円を描いた。そして、それがぱちんと弾けた瞬間、そこには金色の髪を揺らして微笑む少女──いや、幼女がいた。
「ひどいよ、隠れんぼしようって言ったのはアンジュじゃないか」
小さなストラはアンジュを見上げて頬を膨らませた。ストラはアンジュより少しだけ背が低いので、自然と見上げる形になるのである。
「ごめんなさい、そんなに怒らないで」
「もうやめる。こんなのつまんないや」
そう言うか早いか、ストラはふうっと息を吐いた。するとストラの身体は金色に輝き、一瞬にして小さな虹色の玉になってしまった。
「待って、ストラ!」
アンジュが止めるのも聞かず、玉になったストラはその場から飛びたち、草原の中に消えていってしまった。
ストラとアンジュは、虹の国に住む数少ない子供である。虹の国にずっといるのはたいてい大人で、子供はすぐにいなくなってしまう。大人たちによると、子供には「未練がないから」すぐに旅立ってしまうのだという。しかし、いなくなった子供たちがどこへ行ったのか、「未練」というものが何なのかをストラに教えてくれる者はいなかった。
そうして暮らしている大人たちもまた、普段は人の姿をしていなかった。虹の国の住人はみな虹色の小さな球体の姿で、国じゅうを自由に漂っている。そして、誰かとお喋りしたいときや、どうしてもやりたいことがあるときだけ、それぞれ異なる人間の姿に変化するのだ。
ストラはずっと、この虹の国で暮らしてきた。虹の国の植物も人々も、ストラにとっては当たり前の存在だった。ストラは虹の国しか知らなかったが、大人たちは虹の国以外の国を知っているらしく、ときおり懐かしそうに自分のふるさとの話をしてくれる。それを聞くたび、ストラは外の世界に行ってみたくてたまらなくなるのだった。
丸い姿のまま行くあてもなくふよふよと草原を散策するうち、ストラはいつの間にか国の一番奥まで来ていた。国の最奥には白い光の粒子が漂う大きな城があり、そこには「虹の女王」の住まいだった。この城は高さも相当なものだったが、それ以上にやたらと横に長く、建物の端が虹の国の土地の両端にとどくほどだった。
「ストラ、そんなところで何をしているの。それとも、また質問に来たのですか」
ストラがぼんやりと城を見上げていると、彼の気配に気づいたのか、屋根から降り注ぐ光のカーテンをくぐって女王が外にでてきた。
この虹の女王は虹の国で最も位が高いとされているが、けして高慢な態度はとらず、来客があるときはこうして城の外までやってくる。もっとも、ストラにとってはそれが当たり前の光景だった。彼にとって女王は、少し距離の遠い母親のようなものだったのだ。
「ねえ女王様、ぼくはどうして外にでちゃだめなの? みんな虹の国の外を知っているのに、ぼくだけなんにも知らないなんておかしいよ」
女王は聡明で博識であり、特にこの国に関することで女王が知らないことは何ひとつなかった。だから、ストラは不思議に思うことがあるたびにこの女王に質問をぶつけていた。
「どうしてそう思うのですか」
女王は目を細めた。といっても、女王の目には瞳がない。本来目がついているはずの場所には、ただただ真っ白いアーモンド型の白目がふたつあるだけだ。瞳のない真っ白い顔に真っ白い手足のその姿は、人というよりは動く彫像のようだった。
「だって、つまらないんだもん。ぼくと遊んでくれるのはアンジュだけ。ほかの人はあんまり構ってくれないし、アンジュとはもう遊びあきちゃったんだ。それにアンジュはずるばっかりするんだよ」
「そう。それで、外へ行きたいのですか」
ストラが首を縦に振ると、女王は銀色の髪を揺らして天を仰いだ。
「残念ですが、一度この国の門をくぐった者は、外にでることが許されていません。それでも外へ行くというのなら、この国の記憶も過去の思い出も、すべてを手放す覚悟が必要です」
「すべて?」
言葉の意味がわからず、ストラはそのまま繰りかえした。こうして繰りかえすと、女王はきまって話の内容を解説してくれるのだ。ストラはじっと女王が話しはじめるのを待っていたが、女王はいつまでたっても口を開こうとせず、ストラに哀れみの視線を向けるだけだった。
「諦めなさい。ならぬものはならぬのです」
女王はそれだけ言うと、また城に戻っていってしまった。ストラはがっくりとして、また玉の姿に戻ると、来た道を引きかえした。
「アンジュ、どこに行ったのかな?」
ストラはあたりを見回して口を尖らせた。色とりどりの枝をつける虹色の木が、青々とした豊かな草原の中に点々と生えている。そのすべてをくまなく探してみたが、アンジュはいない。そこで、あちこちに生えている「
「うーん、どこに隠れたのかなあ」
この虹の国の景色は独特だった。どの植物も、それぞれ特有の色を持っているものの、その姿は薄いガラス細工のように常に光っていて、プリズムのようにどこかしらが虹色にきらめくのだった。空は常に青く、真上から日が差している。ここでは、いつ何時でも雲ひとつない晴天なのだが、それもそのはず、この国は雲の上にあったのだ。
「ストラ!」
ふわ、と小さな虹色のシャボン玉が、ストラの鼻先をかすめた。それは一般的なシャボン玉のような透明の膜に混じった油っぽい色味ではなく、常に周囲の景色を映しながら七色にきらめいていた。
「あっ!」
ストラは声をあげた。
「ずるいよ、そうやって『小さくなる』なんて」
すると、小さな玉はかわいらしい声でくすくすと笑った。そう、これは単なる泡の玉ではなかったのである。
「ごめんね、ストラ」
玉はその場でくるくると円を描いた。そして、それがぱちんと弾けた瞬間、そこには金色の髪を揺らして微笑む少女──いや、幼女がいた。
「ひどいよ、隠れんぼしようって言ったのはアンジュじゃないか」
小さなストラはアンジュを見上げて頬を膨らませた。ストラはアンジュより少しだけ背が低いので、自然と見上げる形になるのである。
「ごめんなさい、そんなに怒らないで」
「もうやめる。こんなのつまんないや」
そう言うか早いか、ストラはふうっと息を吐いた。するとストラの身体は金色に輝き、一瞬にして小さな虹色の玉になってしまった。
「待って、ストラ!」
アンジュが止めるのも聞かず、玉になったストラはその場から飛びたち、草原の中に消えていってしまった。
ストラとアンジュは、虹の国に住む数少ない子供である。虹の国にずっといるのはたいてい大人で、子供はすぐにいなくなってしまう。大人たちによると、子供には「未練がないから」すぐに旅立ってしまうのだという。しかし、いなくなった子供たちがどこへ行ったのか、「未練」というものが何なのかをストラに教えてくれる者はいなかった。
そうして暮らしている大人たちもまた、普段は人の姿をしていなかった。虹の国の住人はみな虹色の小さな球体の姿で、国じゅうを自由に漂っている。そして、誰かとお喋りしたいときや、どうしてもやりたいことがあるときだけ、それぞれ異なる人間の姿に変化するのだ。
ストラはずっと、この虹の国で暮らしてきた。虹の国の植物も人々も、ストラにとっては当たり前の存在だった。ストラは虹の国しか知らなかったが、大人たちは虹の国以外の国を知っているらしく、ときおり懐かしそうに自分のふるさとの話をしてくれる。それを聞くたび、ストラは外の世界に行ってみたくてたまらなくなるのだった。
丸い姿のまま行くあてもなくふよふよと草原を散策するうち、ストラはいつの間にか国の一番奥まで来ていた。国の最奥には白い光の粒子が漂う大きな城があり、そこには「虹の女王」の住まいだった。この城は高さも相当なものだったが、それ以上にやたらと横に長く、建物の端が虹の国の土地の両端にとどくほどだった。
「ストラ、そんなところで何をしているの。それとも、また質問に来たのですか」
ストラがぼんやりと城を見上げていると、彼の気配に気づいたのか、屋根から降り注ぐ光のカーテンをくぐって女王が外にでてきた。
この虹の女王は虹の国で最も位が高いとされているが、けして高慢な態度はとらず、来客があるときはこうして城の外までやってくる。もっとも、ストラにとってはそれが当たり前の光景だった。彼にとって女王は、少し距離の遠い母親のようなものだったのだ。
「ねえ女王様、ぼくはどうして外にでちゃだめなの? みんな虹の国の外を知っているのに、ぼくだけなんにも知らないなんておかしいよ」
女王は聡明で博識であり、特にこの国に関することで女王が知らないことは何ひとつなかった。だから、ストラは不思議に思うことがあるたびにこの女王に質問をぶつけていた。
「どうしてそう思うのですか」
女王は目を細めた。といっても、女王の目には瞳がない。本来目がついているはずの場所には、ただただ真っ白いアーモンド型の白目がふたつあるだけだ。瞳のない真っ白い顔に真っ白い手足のその姿は、人というよりは動く彫像のようだった。
「だって、つまらないんだもん。ぼくと遊んでくれるのはアンジュだけ。ほかの人はあんまり構ってくれないし、アンジュとはもう遊びあきちゃったんだ。それにアンジュはずるばっかりするんだよ」
「そう。それで、外へ行きたいのですか」
ストラが首を縦に振ると、女王は銀色の髪を揺らして天を仰いだ。
「残念ですが、一度この国の門をくぐった者は、外にでることが許されていません。それでも外へ行くというのなら、この国の記憶も過去の思い出も、すべてを手放す覚悟が必要です」
「すべて?」
言葉の意味がわからず、ストラはそのまま繰りかえした。こうして繰りかえすと、女王はきまって話の内容を解説してくれるのだ。ストラはじっと女王が話しはじめるのを待っていたが、女王はいつまでたっても口を開こうとせず、ストラに哀れみの視線を向けるだけだった。
「諦めなさい。ならぬものはならぬのです」
女王はそれだけ言うと、また城に戻っていってしまった。ストラはがっくりとして、また玉の姿に戻ると、来た道を引きかえした。
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