42.扉の奥で
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川原ジムにミット打ちの痛々しい音が鳴り響く。
「しかしお前がインファイトとはな」
「別にインファイターに転向したわけじゃ無いさ。ただ、至近距離での打ち合いにもある程度対応できないと」
「うむ。さあもう一丁行くぞ」
「OK父さん」
できたばかりの新しいジムにはプロボクサーは宮田を含め数人程度。
チャンピオンはもちろんいない。
夜9時を回り、次々と練習生が帰る中、宮田親子は延々とコンビネーションの研究を続けていた。
「体の軸がブレているぞ!腰の回転をもっとシャープに!」
「違う違う!反応が遅い!」
「ようしそうだ!体を開くな!」
3分間終了のブザーが鳴ったところで、木田コーチが「そろそろジムを閉めるよ」とリングに上がって来た。宮田は力尽きたようにその場にへたり込み、ついには仰向けになってぐったりと寝転んでいる。
「起きろ一郎、シャワーを浴びて帰り支度だ」
「ま・・待ってよ・・・動けな・・・」
「ジムで一晩を過ごすつもりか?明日も学校だろ。宿題は終わったのか?」
リング上で力尽きて倒れ込む息子を上から見下ろして、トレーナーモードから急に父親モードに変化する。
宮田は父親のそんな姿を見て、はぁとダルそうなため息をついて起き上がった。
もう立てないくらいボロボロに疲れ果てた体を引きずってシャワーを浴びる。
浴びながら、今日の練習内容を振り返る。
軸足の位置はどうだった?
足の引き付け、ハンドスピード、角度、思い描いた理想にはまだ遠い。
もっと速く、鋭く、コンパクトに。
ボクシングは基礎の積み重ね。
同じことを繰り返して武器の精度を上げていく。
もっと速く、鋭く、コンパクトに・・・・
父親の運転する車で帰宅してから、宮田は通学鞄を開けることもなく、ベッドに倒れ込む。目を閉じて考えるのは明日の練習内容だ。今日できなかったこと、今日できたこと・・・
そんな中、寝る前に必ず思い出されるもの。
奈々の顔が、一瞬だけ瞼の裏に浮かんで消える。
“ボクシングが・・・宮田の最愛の恋人なんだから”
最後に寂しそうに笑って、そんなことを言ってたのを思い出す。
確かに・・・ボクシングは自分の人生そのものだ。
何においても最優先、常に頭の中に存在する唯一無二の存在。
それを“最愛の恋人”と形容するのも、わからなくはない。
だからオレはあの時・・・追いかけることができなかったんだろう。
だけど・・・
“ねぇ宮田。見て見て、新しいノート!かわいいでしょ”
“目がチカチカする”
“えぇ〜。テストの時貸してあげないよ?”
“コピーするのは中身だから表紙は関係ないだろ”
“残念でしたぁ!中身もゴージャスだもんね!”
疲労で動けずウトウトしている間にも、どうでもいい会話ばかりが思い出される。
その度に、心がホッとする自分がいる。
ホッとしてすぐに、現実にギュウっと胸が締め付けられる。
そして・・・周りに誰もいなくなった時の、あの孤独が、蘇る。
「母さん、どこいくの?」
「一郎・・・ごめんね」
母親との最後の会話。
もう10年以上も経つのに。
ボクシングだけがあればいいって、そう誓ったはずなのに。
胸の奥で小さい子供がうずくまって泣いているのが見える。