33.問答
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試合は一瞬と言ってもいいくらいな早さで終わった。
隣にいた母親がビールを飲みながら「すっごーい!!」と腕をブンブン振り回している。
宮田の試合が始まる直前から飲みはじめ、試合が終わる頃には10分の1も減っていなかった。
それにも関わらずここまでハイにさせられたのは、息をする暇もないほどのスリルと緊張感に溢れた試合の最中、一瞬のKO劇がそれまでの静寂をカタルシスに導くような解放感をもたらしたからだろう。
宮田はリングから客席に小さく会釈をし、父親と談笑しながら花道をさっていく。
大きく表情を崩すことはないが、明らかに心が躍り楽しそうな顔をしている。
リングの外では一度たりとも見たことがない顔。
そこにいる人物が本当に、自分がよく知っている“彼氏”なのかどうか、わからなくなるほどだ。
「お母さんひょっとして、最後まで見るつもり?」
「そうよぉ。だって今日、この日本ウェルター級のタイトルマッチなんでしょ?」
「まあ、そうだけど・・・知らない人だし・・・」
「チケットだって高いのよぉ?宮田くんだけ見て帰るなんてもったいないじゃない」
デビュー戦のチケットは自分の貯金から買ったものの、今回は色々と入用でお金が足りず、チケット代を母親に出してもらった。さっさと家に帰りたかったが、スポンサーのご意向には逆らえない。奈々は諦めて、立ち上がりかけた腰をまた椅子に沈めた。
何試合か見ているうちに、トントンと後ろから肩を叩かれた。
「み、宮田?あれ?どうしてここに!?」
「試合が終わったからな。メインイベント見て帰ろうかと思って」
「あらぁ宮田くん!1ラウンドKOおめでとう!」
酔っぱらった母が宮田の肩をパシっと叩きながら挨拶する。
「今日は・・・来て・・・いただいて・・・・ありがとうございました」
宮田がやや深めに頭を下げながら言うと、
「言い慣れてないこと言わなくていいのよぉ」
と母親はまたバシバシ肩を叩く。
「じゃあ、オレはあっちの方で試合を見てるから・・・」
「あ・・・うん」
もう言っちゃうのかとガッカリした気持ちを一瞬顔に出してしまい、慌てて何か取り繕おうとした際、たかがビール一杯ですっかり上機嫌の母がグイッと宮田の袖を引っ張り、
「ここで一緒に見たら?」
「そこは指定席なんで」
「そうなのぉ」
母親はすぐに手を離し、またビールに一口つける。
奈々はまだどんな表情を作ったらいいのか定まらず、やや硬い表情を浮かべている。
「じゃあな」
宮田はぽん、と掌を奈々の頭の上に載せて、階段を登って行った。
階段を登っていく後ろ姿をずっと眺める。
さっきまでスポットライトを浴びてキラキラしていた人。
服を着てリングを降りても、そのキラキラがずっと周囲を照らしているみたいに思えた。
「あ、あの!宮田選手ですよね!さっきカッコよかったです」
「ずるい!あたしも!あの、サインもらえませんか?」
試合を見ていたと思われる女性が2人、階段を登り切ったところで宮田の元へ駆け寄って言った。宮田は差し出されたペンを握ってノートに何かサインらしきものを書いている。それから握手にも応じているようだ。
きゃあきゃあと響く黄色い声の内容が気になる・・・と耳をそば立てていたが、それは次の試合を告げるアナウンスにかき消されてしまった。