「其の時、アダムとイブはその実を口にした」




「見てごらん、敦君」
「どうしたの?……って、え?」

 ふわりと果実の実る果樹の香りが鼻を抜け、ゆっくりと伸ばされた珀兎の指先に目を引き付けられる。まるで、甘い匂いに誘引される昆虫のように誘われて目線を其処に向けると、有り得ない光景を敦は捉えた。
 なんと、昔噺に出てくるような状況シチュエーションの如く、川に人が流されているではないか。

「ええぇぇい!!」

 こうしている場合じゃない。一張羅しかない服が濡れぬのも諸共せず、咄嗟に、敦は喚呼し乍ら川へ飛び込んだ。勢いよく川に飛び込んだ御蔭で水飛沫が宙を舞い、気泡となって消えていく。

「敦君、か」

 言葉をポツリと溢すと珀兎は先程、敦が小石で地面に書いた名前を指先で上下に数回撫で、名残惜しくもその場を立ち上がった。




「……あれ?」
「どうかしたのかい?少年」

 川から人を助け――――否、助けた人間曰く、入水の邪魔をしたと言われた挙句、説教紛いのことをされ、まあ色々あって御飯を奢って貰えることになり、敦は珀兎に声を掛けようと辺りを見渡した。
 然し、先程まで一緒に居た珀兎はいつの間にかいなくなってしまっている。

 そんなキョロキョロと辺りを見渡す敦を、珀兎は川岸から離れた場所で見届けると、一歩、また一歩と足を歩ませ乍ら唇を綻ばせた。
 敦とはまた遇える気がしてならない。敦を川岸で見かけたのが必然的なものだったとして、川を漂泊する人が運命を知らせる前兆為らば、運は味方してくれた。

 ―――運命。少しは信じてみるのもいいかもしれない。


「また会おう。敦君」



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