「其の時、アダムとイブはその実を口にした」




 とある少年、中島敦は腹を空かせて川岸を彷徨っていた。孤児院を追い出され寝床も金も無く、まさしく餓死寸前。脳裏に浮かぶのは、かつて孤児院の台所で人目を盗み、忍んで食べた茶漬け一杯。
 艶やかな白米の上に乗る梅干しと刻み海苔。それに夕餉に残った鶏肉を更に乗せて、熱した白湯へ塩昆布を浮かべて口にかきこめば―――ああ、腹が鳴る。

 空腹と同時に思い出すのは、孤児院で散々言われ続けた罵倒。だが、敦は力強く拳を握り絞めた。五月蝿い、僕は死なないぞ。生きる為だ、次に通りかかった者を襲い、財布を奪う。

 そう、敦は決意して立ち上がりながら前を向いた。


「やあ」
「―――っ」

 敦は驚いて息を呑んだ。いつの間にか自分の隣に、柔和な微笑をこちらに向けながら立っていた少年に。それはまるで、悪戯がばれた時の子供のように、心臓がドクドクと脈打ち出すのが感じられる。

「うわああぁぁ!?」

 そうして、気づいたら素っ頓狂な声を上げていた。完全に虚を衝かれた。いつ、この少年は僕の隣にいたのかと考える相間もなく、仕舞いには、腰が抜けて尻餅をついてしまう始末。
 その青年は尻餅をついた敦を嘲ることなく、そのまま敦の隣に座り込んだ。


「あぁ、ごめんね。驚かせてしまったかな」



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