天才は幼馴染と野球から逃げられない
「ヒャーーーちょっ、ヤマちゃんマジ!?超ダッサ!!」
それが一体どうして、こんな状況になっている。
――そう、あれだ。
野球部の入部届けに名前を書いた後、ちょうど別のガラの悪い野球部の先輩がやって来て、清峰君に絡んだ後、彼が投手だと知った先輩方は投げるように言ったのだ。もちろん、要君に野球の記憶なんてあるはずも無く、経験者である僕が捕手をすることになったのだけど……
ダサいと腹を抱えて笑う要君に、額に青筋が浮かぶ。全く。このプロテクターもマスクも、君もしこたま着ていたからな。しかし、参った。怖い速い無理と逃避していた僕に、清峰君の球なんて捕れるわけない。そう思っていたのに、実際に投げられた球はせいぜい100キロの僕に合わせた球で、先輩が清峰君を完全にナメている。悔しかった。僕のせいで、彼が本調子も出せないでナメられて終わるのは。
だから、全力で投げてと、そう自分で言ったのはいいけど、恐怖で手が震えてしまう。
ああ、くそ。自分が情けない。
「ヤマ、ごめんな。俺と代わって」
そんな時だった。
要君がそう言って、グラウンドに入って来たのは。素直に、かっこいいと思った。すぐに僕は着ていた防具を脱いで、要君に着せてあげる。そうしていざマスクを被ると、要君はやっぱやめていい?と色々とぐちぐち口にしていたけど、内心僕は捕手を代わってくれたことに内心ホッとしていた。
――そして、そんな自分を恥じた。こうして改めて見ると、要君は本当に記憶を失っている。即ち、野球技術も素人同然でその分危険も伴ってくる。本当は止めなきゃいけない。でも僕は、見たいと思ってしまった。天才バッテリーの復活の瞬間を。だから僕は、冗談だって、と笑う要君をポジションに誘導し、隣に立つ。
「圭」
そんな要君の近くまで歩いて来たのは、紛れもない雲母君だった。今まで静観していたのに、どうしたんだろうと眺めていると、雲母君は要君の背後に回って、覆いかぶさるように肩を掴んで姿勢を直した。そのまま白い指先が腕を掴んで、ミットを構えさせる。その時に、マスク越しに要君の表情が見えて、うわ、すごく幸せそう、と思わず見返したくなるほど、これでもないくらい嬉しそうに笑っていた。雲母君はそんな要君に、そっと顔を寄せて、囁くように真っ直ぐ清峰君を見つめる。
「いいか、圭。葉流火の制球は乱れない。信じてミット構えてろ」
「うん」
「だから、葉流火。お前もだ」
お前も、圭を信じて投げろ。
こくり、と静かに清峰君は頷いた。清峰君が大きく振りかぶり、捻った上半身から、右腕へと力が伝わって、指先からボールへと力が乗り一気に加速する。そのまま指先を離れた速球は、乱れることなくミットに突き刺さった。僕の時と比べ物にならない、軽く140キロは出たボールを前に、先輩はバットを構えたまま呆然と立ち尽くしている。
やがて我に返った先輩は捨て台詞を吐いてどこかへ行ってしまったけど、今はそんなことどうでもいい。要君が、逸らすことなくちゃんと清峰君のボールを捕れたのだ。
「捕ったね」
「…うん」
「捕れた。手、ジンジンする」
「俺の球で思い出させてやるよ。野球の楽しさ」
本当に些細なことだ。でも、それでもまるで、歴史的瞬間に立ち会ったかのように嬉しくなった。
そのまま流れるように、真白、と清峰君が呼ぶと、何を言われるのか察した雲母君は反射的に眉を顰めて顔を逸らした。きっと、雲母君はやらないと答えるのだろうけど、心のどこかで、彼がまた野球をしてくれるのではないか、という希望を捨て切れない僕がいる。
「真白、お前もだ」
「圭がやらないならやらない」
「いやいやいや、俺はいいけど真白は駄目」
「辞めるなって言ったり、忙しいなおまえ」
「──うぐっ…それは、そうだけど!もう、行こう真白!!葉流ちゃんのアホーーーー!!」
続けるようにヤマちゃんのうんこ、とまるで小学生のような罵倒を叫びながら、要君は雲母君の腕を掴んで校舎へ逃げていく。
案の定、雲母君は野球はやらないと断った。少なくとも要君が野球をやらない限り、雲母君はやらないのだろう。
「……あはは、行っちゃったね」
「…記憶失ってから、初めて圭が球捕ってくれた。多分、ヤマのお陰だと思う」
「そんなことないよ。……でも、次は雲母君も一緒に野球やりたいね」
「……真白は、」
まさか褒められると思わず、一瞬、清峰君を凝視してしまう。だけど、すぐに逸らして地面を見る。
少し、異常だ。清峰君のその双眸はただ真っ直ぐ、連れ去られた雲母君に向けられており、異様に執着を孕んだ眼差しに、心臓が跳ねる。要君に向けるそれとはまた違ったもの。
「いや、また俺に協力しろ」
「う、うん」
清峰君は、何を言いかけたのだろうか。
そのことが心に引っかかっていたけど、結局聞き返すこともできないまま、天才投手の強引さに逆らえるはずも無く、僕の高校生活は想像もしない形で幕を開けた。