天才は幼馴染と野球から逃げられない
「真白」
中学最後の試合。額を流れてくる汗を拭い、猛暑に負けないレベルの大歓声を上げる観客席を見るとほとんど埋まっている。そんな観客の殆どの注目を浴びる俺の隣に整列する男は、首筋まで伸びた黒髪を結っており、纏められた髪は時々吹く夏の熱を孕んだ生温い風に揺れた。その白い項を伝うように、一筋の汗が流れる。
目の前のちらつく曝け出された首に、噛み付きたくなる衝動に駆られそうになるが、押さえ込んで、水分を欲する喉を潤す代わりに乾いた唾を呑み込む。
ああ、俺はいよいよ暑さで頭でも可笑しくなったかな。整列し礼が終わった後、俺は真白に声をかけた。
「真白はさ、野球は好き?」
「一度もない」
ずっと考えていたことが、口を滑った。真白は考える素振りも一つも見せず、そう答え観客を眺めている。一瞬にして頭が真っ白になる。いや、内心気付いていた。真白が野球を楽しんでないことは。それでも、いざ本人の口から聞くと見開いた瞳がゆらりと揺れた。
片腕で光を遮るように目元を覆った真白が、眩しそうに長い睫毛を伏せながら振り返って俺を見る。その口から紡がれる言葉にドッと激しく鼓動する心臓を震える手で抑えながら、汗でぼんやりと歪む真白を前にして、無意識に開いた口が酷く乾いた。
「野球をするのが好きだと思ったことなんて、一度もない」
そうか、と誤魔化すように俺は視線を落とした。
真白は昔からスポーツに勉強、何をやらせてもすぐに熟す。生まれ持った才能。凡人達がいくら努力しても、やった分しか上手くなれない。それを真白は簡単に超えていく。それ故に、真白は徐々に笑わなくなった。期待も興味も失ったような顔をして。そんな時に、俺と葉流火は野球に出会った。これだ、と思った。葉流火と二人なら真白を変えられる。野球をしていれば、きっといつか。
ただ、その瞳に一筋の煌きを浮かべさせ、幼いながらに美しい完璧に整った顔を笑わせたくて。
真白を変えたかった。”絶対”と言える自分でありたかった。
正しい道に葉流火と真白を導いてやりたかった。
「――――、」
その時、俺は真白へ何と言っただろう。
上手く思考が纏まらない。そもそも、胸の内側から溢れるどろどろした薄汚い感情を押さえこんで口を噤んだのか。ああ、でもまだ大丈夫だ。俺達はまだ高校でチャンスがある。お前達の隣に並べるくらいの選手になって、陰で努力して、野球で苦しかったことが、全部報われたような気がして――。圭、と誰かが俺を呼ぶ声がした。頭が痛い。脳がそれを認識する頃には、体が鉛のように重くなる。だから俺は、ただ眠気に身を委ねるよう、静かに目を閉じた。
耳の傍で感じていた蝉時雨が、今では遠くに聞こえる。