元生徒副会長は思い出す
「げほッ!ごほ、ッは!」
喉元に押し上がる唾液が入り混じった水が、顎を伝って滴り落ちる。そのまま転がってうつ伏せになり、地面に手を突いて咳込む。
あの放流の中、俺は助かったのか。
ぽたぽた、と染みを作る水滴を眺めながら、心臓の位置に手を当てる。
「やっと起きたー?寝坊助」
僅かに目線を上げると、ぼんやりと赤髪を捉える。
カルマが助けてくれたのか。ほら、と言われて渡された眼鏡を掛けると、カルマの真横にいた寺坂が勢い良く頭を下げた。
「その、悪かった天霧。取り返しのつかないことして、俺」
「その言葉は取っておけ」
ポカンと口を開ける寺坂を一見してから、ふらつきながら起き上がる。慌てて寺坂は俺に肩を貸し、何か言いたげに口を噤む。
「寺坂」
声を掛けると、びくりと寺坂は肩を震わせる。
「な、んだよ」
「やられたままでいいのか」
俺の言葉に、寺坂は驚いたように目を見開く。寺坂がここまでするとは思わない。大方、シロに仄めかされたのだろう。
「……やってやろうじゃねえか」
―――
「大丈夫か」
「ああ」
俺は、随分と流されたらしい。
皆の元まで行くのに、結構な距離を歩いた。岩場から真下を覗いている皆の姿が見えて、寺坂と同時に止まる。
「まじかよ。あの爆破はアイツ等が仕組んでたのか」
「でも、押されすぎな気がする。あの程度の水のハンデは、なんとかなるんじゃ?」
依然と一風変わった堀部と、黄色い生物が激戦を繰り広げる姿を眺める。
「力を発揮できねーのは、お前らを助けたからよ。見ろタコの頭上」
片岡の疑問に、今まで黙っていた寺坂が頭上を指差す。岩場に隙間には、村松。茂った木々の上に吉田。太い木の枝には、原が捕まっている。
しかし、太い枝と言っても所詮は折れやすい。
三人の安全に気を配る分、アイツにとって大きなハンデだ。
「お前ひょっとして、今回のこと全部奴等に操られてたのかよ」
「フン」
前原の言葉に、一瞬視線を地面に落とした後、寺坂は鼻で嗤う。
「ああ、そうだよ。目標もビジョンも無え短絡的な奴は、頭の良い奴に操られる運命なんだよ」
だがよ、と続ける寺坂を見て口角が上がる。
すっかり迷いが消えた瞳には、強い意志が宿っていた。
「操られる相手ぐらいは、選びてえ」
頼もしい背中は、真っ直ぐにカルマの元へ向かう。
「だからカルマ。テメェが俺を操ってみろや」
「良いけど、実行できんの俺の作戦?死ぬかもよ」
「やってやンよ。こちとら、実績持ってる実行犯だぜ」
挑発的に笑うカルマに、寺坂は胸を張る。俺も参加したいところだが、青白い指先を見て断念する。頼んだぞ、カルマに寺坂。
あの白い覆面男を、一泡吹かせてやれ。
―――
「思いついた。原さんは助けずに放っとこう!」
要となる、作戦の開口一番。原を助けないと言ったカルマの発言に、寺坂は食って掛かる。胸倉を掴まれているのにもかかわらず、カルマは真下の寺坂を見下した。
「寺坂さぁ」
同じようにカルマも襟元を掴み、力を加える。
「昨日と同じシャツ着てんだろ。同じとこにシミあるし」
ズボラだとか散々煽った挙句、悪だくみに向いてないとカルマは笑って、寺坂のシャツのボタンを外す。
「でもな、頭は馬鹿でも体力と実行力持ってるから、お前を軸に作戦立てるの面白いんだ。俺を信じて動いてよ。悪いようにはしないから」
「馬鹿は余計だ」
「おい、シロ!!イトナ!!」
出来るだけ、堀部に近い岩場に移動した寺坂が叫ぶ。危ないよ、とシロは喚起を促すが、今の寺坂にそれは逆効果だ。
「うるせぇ!!よくも俺を騙してくれたな。てめーらは、絶対許さねえ!!」
額に青筋を浮かべ、寺坂は豪快にシャツを脱ぎ捨て手に持つ。その様子に、シロは目を細め小馬鹿にするように笑う。
「健気だねぇ。――黙らせろイトナ」
ニッ、とカルマは不敵な笑みを浮かべる。
ここまでは、作戦通りだ。堀部の攻撃を一発喰らったとしても、手加減された一撃。
だからこそ、カルマは寺坂を選んだ。
「ッは、大したことねぇ、な」
鈍い音がしたが、堀部の一撃をシャツ越しに寺坂は受け止めた。
「――くしゅッ!?くしゅん!」
途端、風邪を引いたようにくしゃみが止まらなくなる堀部。
寺坂のシャツは、
それによって、黄色い生物は粘液が漏れ出した。同じ触手を持つ者なら、ただで済むはずが無い。
「で、イトナに一瞬でも隙を作れば、原さんはタコが勝手に助けてくれる」
カルマが手を上げる。俊敏に行動に移す皆を見て、寺坂は頭上を見上げて吉田と村松に、飛び降りるように声を掛ける。
「水だよ、水!!デケェの頼むぜ!!」
「しょーがねぇなぁ」
慌て出すシロをじっくりと眺めながら、カルマは親指を立て下に向ける。アイツと弱点が同じならば、同じことをやり返せばいい。
次の瞬間、大きな水飛沫が堀部を襲う。
「だいぶ水、吸っちゃったね」
岩場の上から、堀部を見下す。カルマの言う通り、堀部の触手は大きく膨らんでいた。原達も救出し、水を吸い込んだことによってハンデはゼロ。
頬杖を付き、カルマはニッコリと微笑んだ。
「で、どーすんの?まだ続けるなら、こっちも全力で水遊びさせてもらうけど?」
水中に飛び込んだ皆が、袋に水を入れていつでも動けるように構える。流石の堀部も、後退って動揺していた。
シロも心なしか、焦っているように見える。
「してやられたな。たかが生徒の作戦と実行で、滅茶苦茶にされてしまった」
「……フン」
ここは引こう、とシロが俺達に背を向ける。悔し気に顔を歪ませ、堀部は黄色い生物を睨むと、シロの後を追った。
一時はどうなるかと思ったが、誰も怪我が無くて良かったと思う。
「……寒い」
不意に、吹いた風に身体が震える。
いかん。気が緩んで肌寒くなってきた。いくら夏とはいえ、衰弱している身体には堪える。
「ッるせェ、カルマ!!テメェも一人高い所から見てんじゃねー!!」
何だか下が騒がしい。覗き込もうとしたその瞬間―――ふわり、と顔に上着が飛んでくる。驚いて再度下を見ると、胸倉を掴まれるカルマと目が合った。
預かってて、と口が動く。
「どこ見てんだ、よ!!」
バシャ、と大きな水飛沫が上がった。
すぐさま立ち上がり、水中に落とされたカルマは寺坂を睨み付けた。ずぶ濡れになった男が、ムキになって水を掛けあっている。
「何をしているんだか」
それを面白がって、男共が加わる。続いて女子も混ざりもはや、誰も止めようとしない。ふっ、と目を細めて俺は寝転んだ。
空を見上げれば、皆を照らすように輝く太陽が目に映る。
もう、寒さは感じなかった。