生徒副会長は堕ちる



 パタンと生徒会室のドアを閉めると、俺は一直線にある場所へ向かった。
 その部屋の前は、足が竦むような威圧感を放っており、ドアノブへ伸ばした手に汗が滲む。緊張を紛らわせる為に短く息を吐くと、俺はドアを開いた。

「失礼します」
「おや、天霧君」

 指先を絡め、背筋を伸ばした格好で椅子に座った理事長の双眸が俺を射抜く。たった一言、名を呼ばれただけだと言うのに、肩を震わせてしまう。

「どうかしたのかい?そんな神妙な顔をして」

 理事長に指摘されて、初めて俺が表情を崩して居ることに気付く。すぐさま真顔を取り繕い、乾いた唇から俺の目的を口にする。


「俺を、E組に行かせてください」


 ああ、数年間の間思っていたことを遂に口に出した。それだけで、肩の重荷が降りたようにほっとする。
 理事長の反応を見るために、僅かに伏せていた視線を真っ直ぐ向ける。


「それは、」


 一度、思考が完全に停止した。

 あの理事長の柔和な笑みが崩れていた。心の底から驚いているような、虚を衝かれたようにポカンとした顔をしている。
 つられて俺も、思わず瞬きしてしまった。
 その顔は、いつもの穏やかで何を考えているか分からない笑顔とかけ離れていて、時折、学秀の見せるソレによく似ている。こうして見ていると、しっかりと血が繋がってはいるんだなあと納得した。

「……あの」

 俺の声で、理事長は俺を見て何度か瞬きを繰り返すと、自分の状況を理解したらしく、すぐに元通りの笑みを浮かべた。

「ああ、すまない。君が、余りにも冗談・・を言うのが珍しくてね」
「俺は本気です」

 嘘偽りない言葉を口にすると、光の無い、濁った真紅の瞳が細められる。


「理解出来ないな。君なら、憶えているはずだ。E組はどのような場所で、どのような生徒が送られているのかは」
「ええ、理解はしています」


 だからこそ、貴方は俺の次の行動で確実にE組へ落とすだろう。

 俺は、ドアの前から動いていなかった足を動かす。そのまま、理事長の真正面に立ち、埃一つ無い机に手をついて、片方の手を理事長のネクタイへ伸ばす。
 濁った瞳には、俺が映っていて、予想外の行動にも理事長の仮面が外れることは無い。その理事長の視線が俺の手に注がれていることを感じながら、俺はそれを止めようとはしなかった。

 俺の狙い―――ネクタイピンに触れると、理事長の片眉が僅かに動いた。



「理事長。俺が見てきた中で、貴方がこのネクタイピンを外していたことは、一度も無い」


 桜が舞う、春の入学式の挨拶の時も、全校生徒の挨拶の時も、この学校へ来ている間、理事長はそのネクタイピンを身に着けている。
 理事長が何かのモノに執着するとは心底思えない。
 だからこそ、このネクタイピンは特別だ。何かしら、強い思い入れがあるのだろう。


「貴方が大切にしているこれを壊せば、困るのは貴方だ」


 モノに罪は無いが、悪いがこの時だけは人質になってくれ。


「非常に残念だ」


 今まで押し黙っていた理事長が口を開いてそう言えば、ネクタイピンに触れていた腕をぐっ、と掴まれる。

「君には、明日からE組で過ごしてもらう」
「ありがとうございます」

 言葉の裏に隠された皮肉に、短く皮肉で返す。恐らくは、今の俺は最高に悪い笑みを浮かべているだろう。


「最後に、君に聞きたい」


 踵を返そうとした俺にそう言うと、理事長は机の引き出しからルービックキューブを取り出した。

「この六面体の色を揃えたい。素早く沢山、しかも誰にでも出来るやり方で。君ならどうする?」

 その答えは、簡単だ。その条件下で、最も合理的で効率が良いやり方。

「分解して並べ直します」
「ふむ」

 理事長は、俺の答えを聞くと満足気な笑みを浮かべた。


「けれど、俺なら分解する手間は掛けない」


 予め、ルービックキューブの前面、背面、右面、左面、上面、下面の考えられる何億通りの配置は、全て記憶している。


「――ああ、間違えない。やはり、私と君は似ている」


 全く、嫌な言葉だ。

 貴方と似ているなど、勘弁してほしい。そうは思わないかい、と聞いてくる理事長へ俺は、そうですかと曖昧に言葉を返した。

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