兄と福井さん
福井百合子さんは僕の小学校と中学校の同級生で、大通りを挟んだ向かい側にある書店の娘だった。
黒髪にやや赤みがかったような焦げ茶色の髪と、灰色の瞳を持っていて、身長はマリちゃんより小柄だったから、155センチ程か。
学校では標準語を話していたが、家庭では里の言葉で話していたようで、僕とはその中間あたりのそれなりに標準語に近く、訛りも目立つような言葉で話していた印象がある。
両親の出身地が違うようで、2~3種類の方言が混ざっていると語っていた。
僕の家では時たま英語が飛ぶことはあっても、方言は無かったから、記憶の中の彼女の口調に違和感を覚える人がいるかもしれない。
福井さんは高校受験で、マリちゃんが卒業した女子校の普通科に入学した。
つまり矢内佐紀子さん──当時は川上佐紀子さんだったかもしれない──が教師として勤めていた頃の生徒であるが、2人に交流があったかどうかは、今となっては永遠の謎である。
「ね、ね、お夕飯食べに来んね? 青椒肉絲、作りすぎたけん」
彼女は学習院女子大学に進学するため、僕が借りていた高田馬場のアパートの隣の部屋に住んでいた。
大学も学部系統もまるで異なっていたが、昔馴染みということでそれなりの付き合いをしていた。
後に聞いた話では、この頃既に海外生活をしていた兄と交際していたらしい。
「青椒肉絲は貰うけど…まずはこの部屋をどうにかしたら?」
福井さんは裁縫上手で、料理もそれなりにできた。
しかし、部屋の片付けの腕前は壊滅的だった。
片付けが下手というよりは、そもそもしないと言ったほうが正しいかもしれない。
「えっ、どうかできると?」
こうして僕は口車に乗せられ、どういうわけか彼女の部屋の片付けをすることが多かった。
埃を被っている物があったため、清潔とは言えないだろうが、不潔と言うほどのものではなかったのが救いだ。
福井さんの脳には、かろうじて掃除という単語はあったらしい。
彼女は大学卒業後、実家に戻り、横浜市役所に就職すると言っていた。
ところが4月下旬になって、内定を直前になって辞退し、近所ではさっぱり見かけないと従兄から聞いた。
次に福井さんを見たのは、7月中旬のことだった。
珍しく定時で上がれたので、ふと大学の講義の合間に立ち寄った喫茶店のコーヒーを飲みたくなり、4ヶ月ぶりに高田馬場に行ったのだ。
「いらっしゃいませー。あら、久しぶりねー」
喫茶店のママはセレスティナといい、ジャパゆきさんの1人だった。
僕が学生の頃はアルバイトを雇っている様子も、家族がいる様子も無かった。
「来てくれたとこすまないけど、ワタシこれからスリープタイムなのねー。アルバイトの子がカウンターに出るよ。仲良くやってねー」
アルバイトを雇ったのか、というのが正直な感想だった。
かなり遅くまで店を開けていたようだが、学生の頃よりは生活も楽になったのだろうか、と安易に考えた僕は、まだ世間の荒波に揉まれ切れていなかった。
「あ、はい」
「それじゃー、ユリちゃんよろしくねー」
「はーい、おちらとー」
ユリちゃんというのがアルバイトなのだろう。
セレスティナがカウンターの中にある階段を昇って、すぐに若い女性が現れた。
僕はその女性に見覚えがあったし、彼女もまた僕を知っている様子だった。
「いらっしゃいませ。あら、ほんに久しぶりな方やー」
と、アルバイトの女性は微笑んだ。
「…福井さん?」
「はい、そうです。こんにちは」
黒髪にやや赤みがかったような焦げ茶色の髪と、灰色の瞳を持っていて、身長はマリちゃんより小柄だったから、155センチ程か。
学校では標準語を話していたが、家庭では里の言葉で話していたようで、僕とはその中間あたりのそれなりに標準語に近く、訛りも目立つような言葉で話していた印象がある。
両親の出身地が違うようで、2~3種類の方言が混ざっていると語っていた。
僕の家では時たま英語が飛ぶことはあっても、方言は無かったから、記憶の中の彼女の口調に違和感を覚える人がいるかもしれない。
福井さんは高校受験で、マリちゃんが卒業した女子校の普通科に入学した。
つまり矢内佐紀子さん──当時は川上佐紀子さんだったかもしれない──が教師として勤めていた頃の生徒であるが、2人に交流があったかどうかは、今となっては永遠の謎である。
「ね、ね、お夕飯食べに来んね? 青椒肉絲、作りすぎたけん」
彼女は学習院女子大学に進学するため、僕が借りていた高田馬場のアパートの隣の部屋に住んでいた。
大学も学部系統もまるで異なっていたが、昔馴染みということでそれなりの付き合いをしていた。
後に聞いた話では、この頃既に海外生活をしていた兄と交際していたらしい。
「青椒肉絲は貰うけど…まずはこの部屋をどうにかしたら?」
福井さんは裁縫上手で、料理もそれなりにできた。
しかし、部屋の片付けの腕前は壊滅的だった。
片付けが下手というよりは、そもそもしないと言ったほうが正しいかもしれない。
「えっ、どうかできると?」
こうして僕は口車に乗せられ、どういうわけか彼女の部屋の片付けをすることが多かった。
埃を被っている物があったため、清潔とは言えないだろうが、不潔と言うほどのものではなかったのが救いだ。
福井さんの脳には、かろうじて掃除という単語はあったらしい。
彼女は大学卒業後、実家に戻り、横浜市役所に就職すると言っていた。
ところが4月下旬になって、内定を直前になって辞退し、近所ではさっぱり見かけないと従兄から聞いた。
次に福井さんを見たのは、7月中旬のことだった。
珍しく定時で上がれたので、ふと大学の講義の合間に立ち寄った喫茶店のコーヒーを飲みたくなり、4ヶ月ぶりに高田馬場に行ったのだ。
「いらっしゃいませー。あら、久しぶりねー」
喫茶店のママはセレスティナといい、ジャパゆきさんの1人だった。
僕が学生の頃はアルバイトを雇っている様子も、家族がいる様子も無かった。
「来てくれたとこすまないけど、ワタシこれからスリープタイムなのねー。アルバイトの子がカウンターに出るよ。仲良くやってねー」
アルバイトを雇ったのか、というのが正直な感想だった。
かなり遅くまで店を開けていたようだが、学生の頃よりは生活も楽になったのだろうか、と安易に考えた僕は、まだ世間の荒波に揉まれ切れていなかった。
「あ、はい」
「それじゃー、ユリちゃんよろしくねー」
「はーい、おちらとー」
ユリちゃんというのがアルバイトなのだろう。
セレスティナがカウンターの中にある階段を昇って、すぐに若い女性が現れた。
僕はその女性に見覚えがあったし、彼女もまた僕を知っている様子だった。
「いらっしゃいませ。あら、ほんに久しぶりな方やー」
と、アルバイトの女性は微笑んだ。
「…福井さん?」
「はい、そうです。こんにちは」