2章
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「イヤーなにそれ!」
「なにってチューですよ、チュー」
お嬢様の方へ首を突きだして、タコのような形に唇を尖らせた川島が「さ、お早く」と言いながら目を閉じていた。
「タコチューなんてヤダぁ」
「なぜですか。ほら、お嬢様、キスしてください」
しぶしぶといった様子でお嬢様も唇をタコの口にして、川島の唇を軽くつついた。
「もういい。川島のバカ」
可愛らしい不満顔を横目にしながら衣をつけおえると、川島は一度キッチン周りを整え、揚げの準備に入った。
すると鉄フライパンの前を、すでにお嬢様が陣取っていた。
まさか、揚げものを担当しようというのだろうか。
食材を入れて待つだけだから、任せてもらえると踏んでいる?
甘い。
油が跳ねて手に飛んだらどうするのか。
油染みができてしまう。
「少し端の方に寄ってくださいますか、お嬢様」
これもダメなの?といったふうにお嬢様が目を見開いた。
と思ったやいなや、
無言ですたすたとキッチンを出ていってしまった。
ここまででお嬢様が手伝ったことといえば、食材を出して卵を溶き、下味をつけることだけだ。
さすがに飽きてリビングでくつろぐのだろう、と思い川島はそのままキッチンに残った。
リビングはダイニングキッチンと、
部屋がひとつづきになっている。
揚げものや炒め物は音に集中する。調理中にフライパンから聞こえる食材の音で火加減が決まるからだ。
食材や調理器具との対話。
五感を使う料理は川島にとってひとつの娯楽だった。
お嬢様はというと、料理はできるが手間をかけるほどすきではないらしい。
まあ、オレが傍にいる限り、どのみち料理は自分がやるのだから何も問題はないのだが。
川島は、熱した油の海でパチパチと小気味よく弾ける衣の音を聞きながら、揚げ終えたらお嬢様の様子を見に行こうと思った。
「あっ」
そこへキッチンの向こうから、お嬢様の悲鳴が微かに聞こえた。
あわてて火を止める。急いでキッチンを出た。
カウンターの向こうのダイニングテーブルで、いつのまに持っていったのか、スライサーを片手にお嬢様が自分の指を見ていた。
――!!
イヤな予感がして、とっさに手を掴んだ。
「川島……」
人差し指から鮮血が滴りおちている。
傷口から赤い涙が流れ出し、白い指に深紅の糸が巻きついているように見えた。
それが視界に入った瞬間、川島は血の気が引きフッと倒れそうになった。
まるで自分の体内から血液がすべて流れ出してしまったような錯覚に、激しい動悸がして息が苦しくなる。
指先の傷は、キレイにスパッと切れていた。
それでもなんとか爪が守ってくれたようで、血さえ止まれば残る傷ではないと判断した。
キレイに切れた傷ほど治りは早いのだ。
桜色の爪に白い亀裂が入っているのを見て悲しくなったが、お嬢様の指先を守ってくれたことに感謝した。
これで爪がなかったら……と考えただけでまた倒れそうになる。
お嬢様をイスに座らせ、指先をティッシュでくるむ。
断りを入れてから薬箱を取りに向かった。
痛みによるショックなのか、あれだけ反対されたのに勝手をした自責の念なのか、お嬢様はしょんぼりとうつむいていた。
川島は薬箱をテーブルの上に乗せると、お嬢様の隣に腰かけた。
ガラス細工を扱うように、両手で静かに手を持ち上げる。
もう一度、傷口を確かめてみると、さっきよりは血の勢いが収まっていた。
だが、まだ傷から血の玉がにじみ出してくる。
傷ついた肌に、胸を万力で締めつけられたような痛みを覚えながら、華奢な指をそっと口に含んだ。
「……っ」
「少し我慢してください、消毒です」
傷口がしみるのか、少し眉根にシワを寄せたお嬢様に言いながら、にじみ出てくる血を舌で舐めた。
少し鉄の味がしたが、やはり甘い……と川島は思った。
お嬢様のすべてが甘く感じられるのは、存在自体が愛しすぎるせいだろう。
オレのお嬢様から出るものは、みんなオレのものだ。
汗も体液も血液すらも。
「ん……お可哀想に。お嬢様……っ」
切れている箇所を舌先でやさしく撫で、キスをするように吸う。
甘く錆びた血の味に、頭の中が陶酔状態に陥りそうになる。
目を閉じ、執拗に舌を這わせ血をすすり続ける川島に、お嬢様が苦笑した。
「川島、指ふやけちゃうよ」
はっとしたように目を開けて川島はやっと唇を離した。
「すみません、つい……」
もう一度、清潔なガーゼで指を消毒し、軟膏を塗ってから指用の包帯を巻いた。
切っただけなのに大げさすぎる、と言われたが取り合わなかった。それに、はじめて愛してやまない女性の血液を味わったことで頭が一杯になっていた。
手当てがすむと、お嬢様がおずおずと口を開いた。
「……怒ってる?勝手なことしたから」
親の顔色をうかがう女の子のような目を見つめながら、川島は自分の額をお嬢様の額にコツンとぶつけた。
「怒っていませんよ」
額をくっつけたままやさしい声で言うと、お嬢様が「本当?」とタンポポのように微笑んだ。
ああ……なんて可愛いんだろう、オレのお嬢様は。
何度も思っていることなのに、まだ思い足りない。
愛らしくて、可愛くて、愛おしすぎて、
食べてしまいたいほどすきだ。
もう料理のことは忘れてこのまま押し倒したい。
オレがお嬢様の片手となり、一時も離れず一日中お傍でお世話したい。断られるのはわかっていても、そうしたい。
川島は胸に溢れる想いを抑えこみながら尋ねた。
「痛みますか?」
「うん、ちょっとね。でも、これくらいなら平気。我慢できるよ」
手当てをした指に、キスしたまま目を閉じた。
早く治るようにと祈る。
目を開けると、恥ずかしそうにモジモジとしているお嬢様がいた。……なんだそれは。可愛すぎる。
川島は握った手を持ち上げながら、そっと肩を抱き寄せた。
「お手伝いありがとうございました。今日はもう、これでおとなしく座っていてください。手はしばらく心臓の上ですよ」
うなずくお嬢様の頭をやさしく撫でてからキッチンへ戻る。
フライパンの中に揚げ途中のフライが浮かんでいた。
熱の入りが予定通りにいかなかったばかりか、放置したせいで油を吸い過ぎてしまっている。
大胆にアレンジしてメニュー自体を変えることにした。
料理ができあがり、お嬢様の前へ運ぶ。
「卵とじになってる。美味しそう!」
失敗したり残ったフライは卵とじにするとよい、と以前に訪れた料亭の主人が教えてくれた。
お嬢様は指をケガしているので、川島はすべて自分の手から食べさせようと思ったが断られた。
美味しそうに食べる姿をながめながら、自分も箸を進める。
川島と色違いの箸を持つ包帯を巻いた指が痛々しい。
「川島は料理うまいから、つい食べ過ぎちゃうんだよね。このまま、どんどん太ったらどうしよう。嫌いになる?」
「またそんなことを気にされて……。お嬢様がどんなに太っても、わたしの愛は変わりませんよ」
「嘘つき」
「嘘じゃありません」
たわいもないやりとりをしながら、食事の時間は穏やかに過ぎていった。
夕食後、リビングでうたたねをしてしまったお嬢様にブランケットをかけると、川島は書斎に入りノートを開いた。
お嬢様日記。
日々の様子や自分の想いの丈などが綴ってある。
これに加え今日からは毎日、指の傷の経過を記録しなくてはと思った。この行為も、お嬢様の目には異常に映るのだろうか。
川島がこんな日記を書いていることすら、おそらくは知らない。
異常でもいい。歪んでいてもいい。
自分はただ、ひたすらに彼女だけを愛している。
今までも、これからも……それだけでいい。
思案にふけっていると、眠っていたはずのお嬢様が部屋へやってきた。あわててノートを閉じたが、見せろとせがまれた。
やんわり断ると「もう川島とは口を利かない」などと可愛い脅しをかけてきたので、しぶしぶ見せることにした。
結局、お嬢様の言うことにオレは逆らえない。
どうしたって勝てない。
彼女の一声、髪に触れる手の動きだけで参ってしまうから。
そんな勝てない関係でも、
お嬢様を想う愛だけは絶対に負けない。
ノートをめくり呆れたように笑う姿を見つめながら、
川島は思った。
「なにってチューですよ、チュー」
お嬢様の方へ首を突きだして、タコのような形に唇を尖らせた川島が「さ、お早く」と言いながら目を閉じていた。
「タコチューなんてヤダぁ」
「なぜですか。ほら、お嬢様、キスしてください」
しぶしぶといった様子でお嬢様も唇をタコの口にして、川島の唇を軽くつついた。
「もういい。川島のバカ」
可愛らしい不満顔を横目にしながら衣をつけおえると、川島は一度キッチン周りを整え、揚げの準備に入った。
すると鉄フライパンの前を、すでにお嬢様が陣取っていた。
まさか、揚げものを担当しようというのだろうか。
食材を入れて待つだけだから、任せてもらえると踏んでいる?
甘い。
油が跳ねて手に飛んだらどうするのか。
油染みができてしまう。
「少し端の方に寄ってくださいますか、お嬢様」
これもダメなの?といったふうにお嬢様が目を見開いた。
と思ったやいなや、
無言ですたすたとキッチンを出ていってしまった。
ここまででお嬢様が手伝ったことといえば、食材を出して卵を溶き、下味をつけることだけだ。
さすがに飽きてリビングでくつろぐのだろう、と思い川島はそのままキッチンに残った。
リビングはダイニングキッチンと、
部屋がひとつづきになっている。
揚げものや炒め物は音に集中する。調理中にフライパンから聞こえる食材の音で火加減が決まるからだ。
食材や調理器具との対話。
五感を使う料理は川島にとってひとつの娯楽だった。
お嬢様はというと、料理はできるが手間をかけるほどすきではないらしい。
まあ、オレが傍にいる限り、どのみち料理は自分がやるのだから何も問題はないのだが。
川島は、熱した油の海でパチパチと小気味よく弾ける衣の音を聞きながら、揚げ終えたらお嬢様の様子を見に行こうと思った。
「あっ」
そこへキッチンの向こうから、お嬢様の悲鳴が微かに聞こえた。
あわてて火を止める。急いでキッチンを出た。
カウンターの向こうのダイニングテーブルで、いつのまに持っていったのか、スライサーを片手にお嬢様が自分の指を見ていた。
――!!
イヤな予感がして、とっさに手を掴んだ。
「川島……」
人差し指から鮮血が滴りおちている。
傷口から赤い涙が流れ出し、白い指に深紅の糸が巻きついているように見えた。
それが視界に入った瞬間、川島は血の気が引きフッと倒れそうになった。
まるで自分の体内から血液がすべて流れ出してしまったような錯覚に、激しい動悸がして息が苦しくなる。
指先の傷は、キレイにスパッと切れていた。
それでもなんとか爪が守ってくれたようで、血さえ止まれば残る傷ではないと判断した。
キレイに切れた傷ほど治りは早いのだ。
桜色の爪に白い亀裂が入っているのを見て悲しくなったが、お嬢様の指先を守ってくれたことに感謝した。
これで爪がなかったら……と考えただけでまた倒れそうになる。
お嬢様をイスに座らせ、指先をティッシュでくるむ。
断りを入れてから薬箱を取りに向かった。
痛みによるショックなのか、あれだけ反対されたのに勝手をした自責の念なのか、お嬢様はしょんぼりとうつむいていた。
川島は薬箱をテーブルの上に乗せると、お嬢様の隣に腰かけた。
ガラス細工を扱うように、両手で静かに手を持ち上げる。
もう一度、傷口を確かめてみると、さっきよりは血の勢いが収まっていた。
だが、まだ傷から血の玉がにじみ出してくる。
傷ついた肌に、胸を万力で締めつけられたような痛みを覚えながら、華奢な指をそっと口に含んだ。
「……っ」
「少し我慢してください、消毒です」
傷口がしみるのか、少し眉根にシワを寄せたお嬢様に言いながら、にじみ出てくる血を舌で舐めた。
少し鉄の味がしたが、やはり甘い……と川島は思った。
お嬢様のすべてが甘く感じられるのは、存在自体が愛しすぎるせいだろう。
オレのお嬢様から出るものは、みんなオレのものだ。
汗も体液も血液すらも。
「ん……お可哀想に。お嬢様……っ」
切れている箇所を舌先でやさしく撫で、キスをするように吸う。
甘く錆びた血の味に、頭の中が陶酔状態に陥りそうになる。
目を閉じ、執拗に舌を這わせ血をすすり続ける川島に、お嬢様が苦笑した。
「川島、指ふやけちゃうよ」
はっとしたように目を開けて川島はやっと唇を離した。
「すみません、つい……」
もう一度、清潔なガーゼで指を消毒し、軟膏を塗ってから指用の包帯を巻いた。
切っただけなのに大げさすぎる、と言われたが取り合わなかった。それに、はじめて愛してやまない女性の血液を味わったことで頭が一杯になっていた。
手当てがすむと、お嬢様がおずおずと口を開いた。
「……怒ってる?勝手なことしたから」
親の顔色をうかがう女の子のような目を見つめながら、川島は自分の額をお嬢様の額にコツンとぶつけた。
「怒っていませんよ」
額をくっつけたままやさしい声で言うと、お嬢様が「本当?」とタンポポのように微笑んだ。
ああ……なんて可愛いんだろう、オレのお嬢様は。
何度も思っていることなのに、まだ思い足りない。
愛らしくて、可愛くて、愛おしすぎて、
食べてしまいたいほどすきだ。
もう料理のことは忘れてこのまま押し倒したい。
オレがお嬢様の片手となり、一時も離れず一日中お傍でお世話したい。断られるのはわかっていても、そうしたい。
川島は胸に溢れる想いを抑えこみながら尋ねた。
「痛みますか?」
「うん、ちょっとね。でも、これくらいなら平気。我慢できるよ」
手当てをした指に、キスしたまま目を閉じた。
早く治るようにと祈る。
目を開けると、恥ずかしそうにモジモジとしているお嬢様がいた。……なんだそれは。可愛すぎる。
川島は握った手を持ち上げながら、そっと肩を抱き寄せた。
「お手伝いありがとうございました。今日はもう、これでおとなしく座っていてください。手はしばらく心臓の上ですよ」
うなずくお嬢様の頭をやさしく撫でてからキッチンへ戻る。
フライパンの中に揚げ途中のフライが浮かんでいた。
熱の入りが予定通りにいかなかったばかりか、放置したせいで油を吸い過ぎてしまっている。
大胆にアレンジしてメニュー自体を変えることにした。
料理ができあがり、お嬢様の前へ運ぶ。
「卵とじになってる。美味しそう!」
失敗したり残ったフライは卵とじにするとよい、と以前に訪れた料亭の主人が教えてくれた。
お嬢様は指をケガしているので、川島はすべて自分の手から食べさせようと思ったが断られた。
美味しそうに食べる姿をながめながら、自分も箸を進める。
川島と色違いの箸を持つ包帯を巻いた指が痛々しい。
「川島は料理うまいから、つい食べ過ぎちゃうんだよね。このまま、どんどん太ったらどうしよう。嫌いになる?」
「またそんなことを気にされて……。お嬢様がどんなに太っても、わたしの愛は変わりませんよ」
「嘘つき」
「嘘じゃありません」
たわいもないやりとりをしながら、食事の時間は穏やかに過ぎていった。
夕食後、リビングでうたたねをしてしまったお嬢様にブランケットをかけると、川島は書斎に入りノートを開いた。
お嬢様日記。
日々の様子や自分の想いの丈などが綴ってある。
これに加え今日からは毎日、指の傷の経過を記録しなくてはと思った。この行為も、お嬢様の目には異常に映るのだろうか。
川島がこんな日記を書いていることすら、おそらくは知らない。
異常でもいい。歪んでいてもいい。
自分はただ、ひたすらに彼女だけを愛している。
今までも、これからも……それだけでいい。
思案にふけっていると、眠っていたはずのお嬢様が部屋へやってきた。あわててノートを閉じたが、見せろとせがまれた。
やんわり断ると「もう川島とは口を利かない」などと可愛い脅しをかけてきたので、しぶしぶ見せることにした。
結局、お嬢様の言うことにオレは逆らえない。
どうしたって勝てない。
彼女の一声、髪に触れる手の動きだけで参ってしまうから。
そんな勝てない関係でも、
お嬢様を想う愛だけは絶対に負けない。
ノートをめくり呆れたように笑う姿を見つめながら、
川島は思った。