1章
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川島が待っていた。
今日は帰宅時間に雨が降る予定なので、車で迎えに来てほしいとお嬢様は頼んであった。
天気予報の通りに小雨がちらつく中、広々としたロータリーに出ると一台の車が目に入った。
今日は黒い車だ。ドイツ車のような、がっしりとしたフォルム。
川島は車がすきで、その日の気分でよく乗りかえる。
お嬢様は運転する川島を助手席から眺めているのがすきだった。
車窓からの景色よりも川島の横顔を見ている方が多いかもしれない。川島は車で迎えにくるとき、いつも助手席のドアの前に立って待っていた。
お嬢様が着いたら、すぐにドアを開けられるようにするためらしい。今日もやはり助手席の前に立っていた。
お嬢様は大きな柱の陰にかくれてその様子をうかがった。
まだこちらに気づいていない。
車の前でスーツ姿の川島が傘を片手に立っている。
黒の車体に、同じ黒いスーツの川島がよく似合っていた。
こうした何気ないフッとした瞬間に、惚れ直してしまう。
静かに降る雨も、川島が佇んでいる空間を演出していた。
川島の周りを四角に切り取ってしまいたいほど、一枚の絵になっていた。
どちらかというと川島は影のある方で、決して陽気なタイプではない。物静かで穏やかで……けれど内側にとてつもない激しさを秘めている。
だから昼間のカラリとした陽気よりも、今日のような雨や夜の似合う人だとお嬢様は思っていた。
ずっと雨の中を待たせて悪いと思いつつも、しばらくその絵画のような光景を愉しんだ。
それからひょっこりと川島の視界にすべりこむと、こちらに気付くやいなや、持っていた傘を放り投げて駆けよってきた。
「お嬢様!」
その姿が可笑しくて、
思わず立ち止まってしまうと川島が言った。
「お帰りなさいませ、お嬢様。今日はまた大変なお荷物ですね」
川島はお嬢様の両手がふさがっているのを見て、自分が雨に濡れるのも構わず荷物を持とうとしていたのだった。
荷物を預けると、お嬢様は自分の傘を半分川島にかざした。
背が高いので傘を持つ腕が少し疲れる。
「お嬢様、わたしのことはいいですから……」
「傘、放ってまで来ることないのに。車に当たって傷でもついたらどうするの」
川島が、あっという顔をしてトランクに荷物をいれ、あわてた様子で車体をチェックに回る。
「大丈夫のようです」
お気に入りのオモチャが無事で安心した子どものような笑顔で、川島が運転席に乗り込んでくる。
やっぱり車がすきなんだと微笑ましくなったお嬢様は、いつものように助手席からその横顔を眺めていた。
川島は初めのころは恥ずかしそうにして「そんなにまじまじと見ないでください」と照れていた。
けれど今では慣れたのか「そんなに見つめてるとキスしますよ」なんて軽口を叩いてくる。
どちらの川島も可愛くてすきだな、とお嬢様は思った。
ドライブ中では信号待ちになると川島がお嬢様を見つめ、運転中はお嬢様が川島を見つめるという、おかしな構図がいつのまにか出来あがっていた。
お嬢様は運転をする川島の、どこがすきなのか考えてみた。
ハンドルにかける手もセクシーですきだし、周りの安全確認をする動作も真剣ですきだ。
でもなによりすきなのは、
まっすぐ前を見つめる目と横顔だった。
その目が、ふいにこちらに動いた。
信号は赤になっていて、川島がキスしたそうな顔で見てくる。
「だからそういう目で見てこないでよ……変態」
冗談めかしていうと、本気でショックを受けたといった顔をしたあと、フッと笑いながらまた前を向いた。
ふたりだけの狭い空間で川島の穏やかな愛を感じられるから、お嬢様も車に乗るのがすきになった。
それまでは、車の移動は単なる交通手段のひとつに過ぎなかったのだ。
運転で疲れさせるのは悪いと思うけれど、ハンドルを握っている姿を見たいがために、いつもお嬢様の方からドライブに連れて行ってとせがんでしまう。
もちろん川島はイヤな顔などひとつも見せない。
ただキス魔なので赤信号で停車するたびに、お嬢様は川島から狙われることになる。
雨はずっと、しとしと降りつづけていた。
雨粒がフロントガラスを滑ると同時に、川島の端正な顔にも影となり落ちていった。
その一瞬の美しさに見惚れながら、お嬢様はあることを思いついた。
「ねえ、家につくまで私がギアチェンジやってあげる」
当然の申し出に川島が驚いている。
お邸 の車は客人を乗せることも多いため、走り心地より乗り心地を追求した国産のオートマだった。
けれど川島の車は、ほとんどがマニュアルだ。
以前、理由を尋ねたことがある。
オートマは自分で車を動かしている気にならない、と……要するにつまらないらしい。
「わかりました。では少し練習をしましょう」
川島が車を路肩に寄せ、ハザードをつけた。
お嬢様にシフトレバーを握るよう促す。
その上から川島が手を重ねた。
ハザードの点滅に合わせて、お嬢様の胸もドキドキと高鳴りを繰り返した。
「わたしが一速、とお願いしたらこの位置です」
指示のとおり次々にギアチェンジをしていった。川島の大きくて骨ばった手が、お嬢様の手をすっぽり隠している。
ギアを変えるたびに上から力強く握られて、お嬢様は真面目くさった川島の説明も、どこかうわの空になってしまった。
「とにかく、数字の書いてある位置に動かしてくだされば……。わたしが補助しますから大丈夫ですよ」
川島が手を離した。
淋しい気持ちを覚えつつ、お嬢様はうなずいた。
それから指示通りにしながら、お邸までの道のりを走った。
自分はただシフトレバーに手を置いていただけで、ほとんどは川島が動かしていたようなものだ。
それでも、川島がいつもこんな風に運転しているんだと思うと、なんだか楽しかった。
「お上手です」
ほとんど何もしていないのに、川島がちらりと顔を向け褒めてきた。
やさしい笑顔に、お嬢様はまたドキドキした。
そうこうしていると高台にあるお邸が見えてきた。
お嬢様は遠慮がちに、少しは役に立ったかどうか訊いてみた。
川島に褒められたい。些細なことでもいい、必要とされたい。
ただそれだけだった。
「はい、楽をさせていただきました。またお願いするかもしれません」
車をガレージに入れ終えると、微笑みながらまたやさしい目で川島が言った。
自分を見る川島の、このまなざしが泣きたくなるほどすきだ、とお嬢様は思う。
自分は愛されている。
これ以上ないどほど愛されていると感じる。
川島のまなざし、ひとつだけで……。
手を握られたときの力強さと車内での胸の高鳴りを思い出し、今度もまたギアチェンジの手伝いをせがもうと決めた。
その意図に川島はきっと気づかない。
言動を穿って読んだりせず、そのまま受け止めてくれるのが彼という人間なのだ。
そんな川島を、お嬢様は自分のすべてを捧げてもいいと誓えるほど、愛おしく思った。
これから川島は食事の準備をするはずだ。
またなにか手伝わせてもらおう。
今度はもっと、ちゃんと役に立てることを。
いつの間にか雨は上がっていた。
お嬢様はウキウキと逸 る気持ちで、荷物を抱え玄関へ向かう川島の背を押した。
今日は帰宅時間に雨が降る予定なので、車で迎えに来てほしいとお嬢様は頼んであった。
天気予報の通りに小雨がちらつく中、広々としたロータリーに出ると一台の車が目に入った。
今日は黒い車だ。ドイツ車のような、がっしりとしたフォルム。
川島は車がすきで、その日の気分でよく乗りかえる。
お嬢様は運転する川島を助手席から眺めているのがすきだった。
車窓からの景色よりも川島の横顔を見ている方が多いかもしれない。川島は車で迎えにくるとき、いつも助手席のドアの前に立って待っていた。
お嬢様が着いたら、すぐにドアを開けられるようにするためらしい。今日もやはり助手席の前に立っていた。
お嬢様は大きな柱の陰にかくれてその様子をうかがった。
まだこちらに気づいていない。
車の前でスーツ姿の川島が傘を片手に立っている。
黒の車体に、同じ黒いスーツの川島がよく似合っていた。
こうした何気ないフッとした瞬間に、惚れ直してしまう。
静かに降る雨も、川島が佇んでいる空間を演出していた。
川島の周りを四角に切り取ってしまいたいほど、一枚の絵になっていた。
どちらかというと川島は影のある方で、決して陽気なタイプではない。物静かで穏やかで……けれど内側にとてつもない激しさを秘めている。
だから昼間のカラリとした陽気よりも、今日のような雨や夜の似合う人だとお嬢様は思っていた。
ずっと雨の中を待たせて悪いと思いつつも、しばらくその絵画のような光景を愉しんだ。
それからひょっこりと川島の視界にすべりこむと、こちらに気付くやいなや、持っていた傘を放り投げて駆けよってきた。
「お嬢様!」
その姿が可笑しくて、
思わず立ち止まってしまうと川島が言った。
「お帰りなさいませ、お嬢様。今日はまた大変なお荷物ですね」
川島はお嬢様の両手がふさがっているのを見て、自分が雨に濡れるのも構わず荷物を持とうとしていたのだった。
荷物を預けると、お嬢様は自分の傘を半分川島にかざした。
背が高いので傘を持つ腕が少し疲れる。
「お嬢様、わたしのことはいいですから……」
「傘、放ってまで来ることないのに。車に当たって傷でもついたらどうするの」
川島が、あっという顔をしてトランクに荷物をいれ、あわてた様子で車体をチェックに回る。
「大丈夫のようです」
お気に入りのオモチャが無事で安心した子どものような笑顔で、川島が運転席に乗り込んでくる。
やっぱり車がすきなんだと微笑ましくなったお嬢様は、いつものように助手席からその横顔を眺めていた。
川島は初めのころは恥ずかしそうにして「そんなにまじまじと見ないでください」と照れていた。
けれど今では慣れたのか「そんなに見つめてるとキスしますよ」なんて軽口を叩いてくる。
どちらの川島も可愛くてすきだな、とお嬢様は思った。
ドライブ中では信号待ちになると川島がお嬢様を見つめ、運転中はお嬢様が川島を見つめるという、おかしな構図がいつのまにか出来あがっていた。
お嬢様は運転をする川島の、どこがすきなのか考えてみた。
ハンドルにかける手もセクシーですきだし、周りの安全確認をする動作も真剣ですきだ。
でもなによりすきなのは、
まっすぐ前を見つめる目と横顔だった。
その目が、ふいにこちらに動いた。
信号は赤になっていて、川島がキスしたそうな顔で見てくる。
「だからそういう目で見てこないでよ……変態」
冗談めかしていうと、本気でショックを受けたといった顔をしたあと、フッと笑いながらまた前を向いた。
ふたりだけの狭い空間で川島の穏やかな愛を感じられるから、お嬢様も車に乗るのがすきになった。
それまでは、車の移動は単なる交通手段のひとつに過ぎなかったのだ。
運転で疲れさせるのは悪いと思うけれど、ハンドルを握っている姿を見たいがために、いつもお嬢様の方からドライブに連れて行ってとせがんでしまう。
もちろん川島はイヤな顔などひとつも見せない。
ただキス魔なので赤信号で停車するたびに、お嬢様は川島から狙われることになる。
雨はずっと、しとしと降りつづけていた。
雨粒がフロントガラスを滑ると同時に、川島の端正な顔にも影となり落ちていった。
その一瞬の美しさに見惚れながら、お嬢様はあることを思いついた。
「ねえ、家につくまで私がギアチェンジやってあげる」
当然の申し出に川島が驚いている。
お
けれど川島の車は、ほとんどがマニュアルだ。
以前、理由を尋ねたことがある。
オートマは自分で車を動かしている気にならない、と……要するにつまらないらしい。
「わかりました。では少し練習をしましょう」
川島が車を路肩に寄せ、ハザードをつけた。
お嬢様にシフトレバーを握るよう促す。
その上から川島が手を重ねた。
ハザードの点滅に合わせて、お嬢様の胸もドキドキと高鳴りを繰り返した。
「わたしが一速、とお願いしたらこの位置です」
指示のとおり次々にギアチェンジをしていった。川島の大きくて骨ばった手が、お嬢様の手をすっぽり隠している。
ギアを変えるたびに上から力強く握られて、お嬢様は真面目くさった川島の説明も、どこかうわの空になってしまった。
「とにかく、数字の書いてある位置に動かしてくだされば……。わたしが補助しますから大丈夫ですよ」
川島が手を離した。
淋しい気持ちを覚えつつ、お嬢様はうなずいた。
それから指示通りにしながら、お邸までの道のりを走った。
自分はただシフトレバーに手を置いていただけで、ほとんどは川島が動かしていたようなものだ。
それでも、川島がいつもこんな風に運転しているんだと思うと、なんだか楽しかった。
「お上手です」
ほとんど何もしていないのに、川島がちらりと顔を向け褒めてきた。
やさしい笑顔に、お嬢様はまたドキドキした。
そうこうしていると高台にあるお邸が見えてきた。
お嬢様は遠慮がちに、少しは役に立ったかどうか訊いてみた。
川島に褒められたい。些細なことでもいい、必要とされたい。
ただそれだけだった。
「はい、楽をさせていただきました。またお願いするかもしれません」
車をガレージに入れ終えると、微笑みながらまたやさしい目で川島が言った。
自分を見る川島の、このまなざしが泣きたくなるほどすきだ、とお嬢様は思う。
自分は愛されている。
これ以上ないどほど愛されていると感じる。
川島のまなざし、ひとつだけで……。
手を握られたときの力強さと車内での胸の高鳴りを思い出し、今度もまたギアチェンジの手伝いをせがもうと決めた。
その意図に川島はきっと気づかない。
言動を穿って読んだりせず、そのまま受け止めてくれるのが彼という人間なのだ。
そんな川島を、お嬢様は自分のすべてを捧げてもいいと誓えるほど、愛おしく思った。
これから川島は食事の準備をするはずだ。
またなにか手伝わせてもらおう。
今度はもっと、ちゃんと役に立てることを。
いつの間にか雨は上がっていた。
お嬢様はウキウキと
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