彼女に手錠をかけた夜
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どこをどう通って戻ってきたのか。
気づくと邸 の前にいた。
お嬢様がいるかもしれない、と微かな期待を胸に顔をあげてみる。どの窓にも、ひとつとして明かりはついていない。
首に力が入らなかった。
川島は雪が溶けて濡れた地面に視線をおとし、静かにため息をついた。心が強烈な疑心暗鬼と自己憐憫に囚われているのが、自分でもわかる。
これから一体どうしたらいいのだろう。
お嬢様に捨てられたのなら、自分はこの邸を出ていかなければならない。
せめて荷物をまとめるための数時間だけ、いさせてもらおうと思った。暗くシーンと静まりかえった邸の中に、鍵の開く重々しい音が響き渡る。
まだ呆然としたままリビングのドアを開けた。
誰もいない冷え切った空間。
いつもならここで暖炉の火をいれてお嬢様の帰りを待っている。
なんとはなしに暖炉の前に座り込んだ。
身体は芯から冷え切っていたが、火をおこす気力もないし湧いてもこない。
このリビングでお嬢様と過ごした日々がよみがえる。
大きなソファーの上で猫のように丸まり、うたた寝をしてしまうお嬢様に、ブランケットをかけるのが自分の役目だった。
何度も膝枕をした。肩も貸した。
安心しきって身体を預けてくるお嬢様を、この手でやさしく撫でた。キレイな稜線を描く横顔を見つめた。
それに気づき、恥ずかしそうに顔を背けるお嬢様をからかった。
照れ隠しにクッションを投げつけてくる愛らしい姿――。
とても今いる場所が、お嬢様と一緒に過ごした部屋とは思えない。暗く、重く、冷え切っている。海の底のようだった。
川島はポケットから小さな箱を取り出すと、紙屑をゴミ箱に捨てるように放り投げた。
箱は2、3度転がったあと部屋のすみで止まった。
かけられていたリボンが衝撃で外れてしまった。
丁寧に包まれた包装紙も、何度も手で握りしめたせいで皺がよって破れかけていた。
それを魂が抜け落ちた表情で見つめていると、急に涙が込みあげてきた。
ひと筋、頬を水滴が流れ落ちていく。
体育座りで膝を抱えた腕に、その雫が吸い込まれていった。
大の男が情けない。
お嬢様のことになると、どこまでもダメになってしまう。
そんな自分の弱さが、ますます情けなくなり目が熱くなるばかりだった。
早く荷物をまとめなければならない。頭では思っても、身体が金縛りにあったようにピクリとも動かない。
川島は失ったままの表情で、そのまま声も出さず静かに泣いた。
どのくらいそうしていたのだろう。
突然、耳の奥で幻聴が鳴った。
明るく軽やかな鐘の音。玄関のチャイムだった。
暗く静寂に包まれた部屋に、それが何度も響き渡っている。
幻聴ではない。そう思ったとき、ドアが開く重々しい音がした。
「え、なんで真っ暗なの……」
お嬢様がひとりごとを呟きながら家の中へ入ってくる。
いつものように手を念入りに洗っている気配がした。
遠くから足音が近づきリビングのドアが開かれる。
間接的な暖色の明かりがつくと、部屋の温度が幾分あがったように思えた。
川島はお嬢様の姿を目にすると、あわてて涙で濡れた頬を手の甲でぬぐった。
「川島!びっくりした……なにやって――」
「お嬢様、すみません。今すぐに出ていきますから」
鼻をすすり掠れた声でいいながら、のろのろと立ち上がろうとするも膝に力が入らない。
また目頭に熱いものが込みあげてきて、お嬢様の目を見られなかった。
「出ていくって……なんの話?」
お嬢様は川島に近づくとようやく異変に気づいた。
濡れねずみのようになっている髪や身体を、確かめるように触る。呆然としている川島の手をさすりながらいった。
「どうしたの。こんなに冷えて、なにかあったの?」
詰問口調ではなく、いたわるような訊き方だった。
川島は顔をあげた。
「なにって……今夜はお嬢様と――」
「顔も氷みたい。泣いてたの?」
いい終わらないうちに顔が柔らかい両手に包まれた。その温もりにまた泣きそうになってしまう。
「わかった。事情はあとでゆっくり訊くとして、とりあえずお風呂だね」
お嬢様はひとりでに一度うなずくと、素早い足取りでバスルームへ向かった。
リビングに残された川島は考えた。
お嬢様が帰ってきた。それはいい。
でもなぜか自分のことを心配している。出ていけともいわれない。今日の約束の話も出てこない。
わけがわからず未だぼんやりと座り込んでいると、お嬢様が部屋に戻ってきた。腕をとり、立たせようとする。
「とにかくお風呂に入って。先にちゃんと温まって。わかった?」
有無をいわせぬ口調に川島は思わずはい、と返事をした。
お嬢様は満足気にうなずくと、川島の背中をパウダールームへ押し込んだ。
冷えて固まった身体をのろのろと動かし服を脱ぐ。バスルームのドアを開けると、温かい蒸気に迎えられた。
一気に身体がほぐれていくのがわかる。
乳白色の湯が張られたバスタブを見て、また鼻の奥がツンとなった。
お嬢様が自分のために風呂の用意をしてくれた。
先に温まるよういってくれた。
嬉しかった。
風呂から上がったあとで、お嬢様の口から出ていけといわれるのだとしても、今はただ嬉しかった。
かじかんだ指に湯の温度が痛い。
反対に心は温かった。
熱いシャワーを打たせ湯のように肩にあてていると、突然勢いよくドアが開かれた。
気づくと
お嬢様がいるかもしれない、と微かな期待を胸に顔をあげてみる。どの窓にも、ひとつとして明かりはついていない。
首に力が入らなかった。
川島は雪が溶けて濡れた地面に視線をおとし、静かにため息をついた。心が強烈な疑心暗鬼と自己憐憫に囚われているのが、自分でもわかる。
これから一体どうしたらいいのだろう。
お嬢様に捨てられたのなら、自分はこの邸を出ていかなければならない。
せめて荷物をまとめるための数時間だけ、いさせてもらおうと思った。暗くシーンと静まりかえった邸の中に、鍵の開く重々しい音が響き渡る。
まだ呆然としたままリビングのドアを開けた。
誰もいない冷え切った空間。
いつもならここで暖炉の火をいれてお嬢様の帰りを待っている。
なんとはなしに暖炉の前に座り込んだ。
身体は芯から冷え切っていたが、火をおこす気力もないし湧いてもこない。
このリビングでお嬢様と過ごした日々がよみがえる。
大きなソファーの上で猫のように丸まり、うたた寝をしてしまうお嬢様に、ブランケットをかけるのが自分の役目だった。
何度も膝枕をした。肩も貸した。
安心しきって身体を預けてくるお嬢様を、この手でやさしく撫でた。キレイな稜線を描く横顔を見つめた。
それに気づき、恥ずかしそうに顔を背けるお嬢様をからかった。
照れ隠しにクッションを投げつけてくる愛らしい姿――。
とても今いる場所が、お嬢様と一緒に過ごした部屋とは思えない。暗く、重く、冷え切っている。海の底のようだった。
川島はポケットから小さな箱を取り出すと、紙屑をゴミ箱に捨てるように放り投げた。
箱は2、3度転がったあと部屋のすみで止まった。
かけられていたリボンが衝撃で外れてしまった。
丁寧に包まれた包装紙も、何度も手で握りしめたせいで皺がよって破れかけていた。
それを魂が抜け落ちた表情で見つめていると、急に涙が込みあげてきた。
ひと筋、頬を水滴が流れ落ちていく。
体育座りで膝を抱えた腕に、その雫が吸い込まれていった。
大の男が情けない。
お嬢様のことになると、どこまでもダメになってしまう。
そんな自分の弱さが、ますます情けなくなり目が熱くなるばかりだった。
早く荷物をまとめなければならない。頭では思っても、身体が金縛りにあったようにピクリとも動かない。
川島は失ったままの表情で、そのまま声も出さず静かに泣いた。
どのくらいそうしていたのだろう。
突然、耳の奥で幻聴が鳴った。
明るく軽やかな鐘の音。玄関のチャイムだった。
暗く静寂に包まれた部屋に、それが何度も響き渡っている。
幻聴ではない。そう思ったとき、ドアが開く重々しい音がした。
「え、なんで真っ暗なの……」
お嬢様がひとりごとを呟きながら家の中へ入ってくる。
いつものように手を念入りに洗っている気配がした。
遠くから足音が近づきリビングのドアが開かれる。
間接的な暖色の明かりがつくと、部屋の温度が幾分あがったように思えた。
川島はお嬢様の姿を目にすると、あわてて涙で濡れた頬を手の甲でぬぐった。
「川島!びっくりした……なにやって――」
「お嬢様、すみません。今すぐに出ていきますから」
鼻をすすり掠れた声でいいながら、のろのろと立ち上がろうとするも膝に力が入らない。
また目頭に熱いものが込みあげてきて、お嬢様の目を見られなかった。
「出ていくって……なんの話?」
お嬢様は川島に近づくとようやく異変に気づいた。
濡れねずみのようになっている髪や身体を、確かめるように触る。呆然としている川島の手をさすりながらいった。
「どうしたの。こんなに冷えて、なにかあったの?」
詰問口調ではなく、いたわるような訊き方だった。
川島は顔をあげた。
「なにって……今夜はお嬢様と――」
「顔も氷みたい。泣いてたの?」
いい終わらないうちに顔が柔らかい両手に包まれた。その温もりにまた泣きそうになってしまう。
「わかった。事情はあとでゆっくり訊くとして、とりあえずお風呂だね」
お嬢様はひとりでに一度うなずくと、素早い足取りでバスルームへ向かった。
リビングに残された川島は考えた。
お嬢様が帰ってきた。それはいい。
でもなぜか自分のことを心配している。出ていけともいわれない。今日の約束の話も出てこない。
わけがわからず未だぼんやりと座り込んでいると、お嬢様が部屋に戻ってきた。腕をとり、立たせようとする。
「とにかくお風呂に入って。先にちゃんと温まって。わかった?」
有無をいわせぬ口調に川島は思わずはい、と返事をした。
お嬢様は満足気にうなずくと、川島の背中をパウダールームへ押し込んだ。
冷えて固まった身体をのろのろと動かし服を脱ぐ。バスルームのドアを開けると、温かい蒸気に迎えられた。
一気に身体がほぐれていくのがわかる。
乳白色の湯が張られたバスタブを見て、また鼻の奥がツンとなった。
お嬢様が自分のために風呂の用意をしてくれた。
先に温まるよういってくれた。
嬉しかった。
風呂から上がったあとで、お嬢様の口から出ていけといわれるのだとしても、今はただ嬉しかった。
かじかんだ指に湯の温度が痛い。
反対に心は温かった。
熱いシャワーを打たせ湯のように肩にあてていると、突然勢いよくドアが開かれた。