青い鳥は鷹から逃れ海原に羽ばたく
――ダンッ!
「ぅ、」
公園のトイレの裏側まで引っ張られ、やっと腕を放されたとホッとする間もなく肩を捕まれ力の限り押し付けられた、冷たい壁が背中を強打して痛みに呻く。
肩にかけていたショルダーバックはともかく、せっかく快斗くんから貰ったパンフレットの入った袋が衝撃に驚いた手が緩んで地面にドザッと落としてしまった。
そんな僕を気遣うこともなく、目の前の男……親友のはずのタカが元々鋭い目をさらに釣り上げて睨みつけてくる、タカは、怒りを隠そうともしない態度で
「今までどこ行ってた?」
そう怒鳴る寸前の声でそう聞いてくる、ざらついた壁に押し付けてくるせいで痛む背中を我慢して答える。
「っ、快斗くんの家」
いつもならタカが機嫌悪そうにしていると、自分はなにかしてしまったのではないかと怯えていたけれど、今日は何もしてない、ただタカが塾でいないときに僕は違う友達と遊びに行っていただけ、それだけのことだ、それだけしか、してない。なのに。
「あいつとは距離置けって言ったじゃねえか!しかもなんだその前髪!!さっさと目を隠せよ!あと編入なんて絶対に許さねえ!すんなよ!?勝手に俺のところからいなくなろうとするんじゃねえ、俺のだ、お前は、俺から離れさせねえからなぁ!!」
烈火の炎の如く怒鳴るタカ。
なんで、僕は怒られているんだろうか。
ただタカの言う通りにならなかっただけ、ただ前髪を上げた状態なだけなのに、ただ単に言われたことが理解できずに不思議だっただけだったのが、段々とタカに対して怒りが湧く。
ずっとタカの言う通りにしてきた、青い目を隠したり距離を置いたほうがいいって言われた、そのままにしてきた、僕のことを気遣っているんだって、優しくしてくれているんだって、そう思ってた。
だけど快斗くんと会ってからはタカのそれは優しさじゃない、違うなにかなんじゃないかって、疑問を覚えるようになってきた、だけど、やっぱり親友だから、初めて出来た友達を疑うなんて、なにか理由があるんじゃないかって、そう思っていたけれど。
ついには快斗くんがくれたパンフレットの入った紙袋を、僕を力強く拘束するのをそのままにタカは靴で踏んでグリグリと潰すようにするのを見て、カッと頭が熱くなった。
彼が怒っていることが、どうしても自分を大事にしているとは到底思えなかった。
「っそんなことタカが決めることじゃない!僕が決めることだっ!!
そもそもタカが言ってたこと、嘘じゃないか!快斗くんは僕のこと面倒くさいなんて思ってなかった!なんで嘘なんて吐いたの!?」
初めて、僕は誰かに大きな声を張り上げた。
タカに問わず、誰かに対して、こうして反抗して感情のままに怒る、なんて尚更。
嫌に心臓が鳴る、さっきの快斗くんといたり彼のことを考えていたときとは真逆の感情だった。
この場から離れたい、逃げたい、だけど僕のことを抑え込もうとするタカに腸が煮えくり返りそうで、つい、勢いのままに叫んでしまった。
もう子どもたちが帰る鐘が鳴った後で良かった、きっと怖がらせてしまっただろうから。
タカは初めて自分を睨んで反抗して挙句怒鳴る僕に、驚いたようだったが、忌々しそうに舌打ちをした。
「っうるせえ、うるせえんだよっ!お前は俺のいうこと聞けよっ!!」
「ひ!?」
そう怒鳴って肩から手を離したかと思えば、自分の手首を取られ力の限り握りしめ、壁に押し付け僕の首に顔を埋めてきた、ハァハァと荒い息遣いと吐いた息で湿っていく自分の首が不愉快で仕方なくて離れようとその手から逃れようと力を込めるが、タカは僕を逃さないと言わんばかりにさらに力を込められる、なんだ、これ、怖い。
「ぃ、いやだ、やめ……ひっ」
れろり、何かが首筋から耳下まで這ってくるざわざとした感覚に悲鳴をあげる、なめられたのだ、と一寸置いて理解して、反応した自分に楽しそうに笑う低い声が響いてぞわっと確かに鳥肌が立つ。
そして男は言うのだ、興奮したような上擦った声で、
「お前は俺のもんだ」
と。
「い、や、やめ、やめろ!!」
「っ!?カナっ!!」
怖い、ヤダ、気持ち悪い、気持ち悪い!酷い吐き気がするほどの嫌悪感が抵抗する力を強くさせたのか、舐められたことで力が抜けたことで油断していたのか分からないけれど、僕はタカの拘束を壊って、この身を拘束するものが何もなくなったのが分かるやいなや、この場から駆け出した。
これからのこととか、今後のタカとどうなるのかとか、どこへ逃げるかとか、何も考えず、ただただ思うままに脚を動かした。
あの男がいない場所へ、とにかく逃げたかった。
パンフレットをそのままにしてしまったことに気が付いたのは走ってどこかのコンビニの前に辿り着いてのことだった。
「っはあ、ハァッ……ゲホっ、フゥ、」
多少外に出ていたとはいえ、引きこもっていて運動なんてしていないせいで直ぐに息は上がったけれど、おぞましいことをしてくるあの男がまだ追いかけてきそうで、自分に鞭を打って走り続けてきた。
(、パンフレット、そのままにしちゃった)
いくら余裕が無かったとはいえショックだった。
否それよりもただ親友だと思っていたタカがあんなことを、することのほうが何倍も、ショックだけど……。
コンビニのゴミ箱の隣で座り込んで息を整えようと呼吸を整えていると冷たい風もあって茹だった頭が段々冷静になってきて、まず思ったのが。
(これから、どうしよう)
これに尽きる。思考を巡らせる、このままずっとここにいるわけにはいかないので、後で街のほうへ移動するとしても、今の時間はまだ良いとしても遅くまでうろついていれば補導されてしまうかもしれないし、変な人に絡まれてしまうかもしれない。
まだ未成年なのでどこかへ泊まることも出来ないし、そもそもそんなお金もない。あるのは快斗くんの家に行くに当たって近所のコンビニで飲み物とお菓子を買えるぐらいのお金をお母さんに貰ったけれど、そのお金もほぼ使ってしまったのであと千円札1枚と小銭が少ししかない。となれば、家に帰る。
それが正しいことであり一番安全である、のだけれど。
(……タカが、いたらどうしよう)
そう思うと身が竦んだ。逃げるときまず選択肢に浮かんだのはお母さんのいる自分の家、だった。でも、僕はタカにされたことをお母さんに説明できる自信なんて無くて、たとえ説明が出来たとしても友達でありほぼ毎日のように僕のために家を訪れているタカを信用しているお母さんが信じてくれるのかも分からない、次二人きりになったら、何をされるか分からない。
ざら、とミミズが這うように舐められた首筋を無意識に抑えながら身体が震えた。今帰って、もしもタカが訪ねていてお母さんが僕の部屋に上がらせいて、二人になったら……今度こそあの行為の続きをされる、そう確信する、あの続きがどんなものなのか、あまり想像出来ないけれど、自分の身も心も無事では済まないというのだけは分かる。
(快斗くんに、触れられたときは何の嫌悪感も無かった、のに)
それだけは不思議だった。頬にき、キスをされたのだって手を握って抑え込まれていたのだって、逃げたいけれど逃げたくないなんて矛盾したことを思っていたのだ、だから抵抗なんて出来なかったんだけど……ね。
力で抑え込まれる、のはあんなに恐ろしいことだったんだなぁ、と肩を抑える。
呼吸も落ち着いてきた、顔をあげればいつまでも未成年であろう少年がコンビニの前で蹲っているのを訝しむような視線を年配の女性から丁度向けられていたところだった。
(……いつまでも、ここにはいられないな)
そのうち通報されてしまうかも、そう考えとりあえずこの場から離れよう、スマホを取り出してみるとまだ19時にもなっていなかったから、補導されるような時間帯というわけではない。
とりあえずゲーセンとかに行って時間を潰して警察に見つからないようにしながら深夜になるのを待とう、そう考えてやっと立ち上ちあがろうとした、そのとき、自分の前に誰かが立ちはだかる。
顔を上げられなかった、タカがここまで追いかけてきたのではないか、そう思うと嫌な汗が額を伝う。
「……彼方?」
その声にピタ、と固まった。恐る恐る顔をあげるとそこには。
「、快斗、くん?」
つい1時間と少し前に笑って手を振って別れた快斗くんがそこにいた。
「あ、やっぱり彼方だった!どした?具合悪い?」
「、なんで、ここに」
「?ここ俺のマンションから一番近くのコンビニ、で、今日は俺一人だから晩飯買いに来たところ」
「、あ」
本当だ、よく周りを見ると確かに行き帰りでこの大きく数字が書かれたコンビニの看板を確かに視界の端で見かけていたのを思い出す。……、無意識に僕は快斗くんに助けを求めていたみたいで、恥ずかしくなる。
また顔を埋めてしまった僕が具合が悪いのかと勘違いした快斗くんは僕の隣座り込んだ。
「彼方はどうしてここに?帰る途中具合悪くなったの?ずっとここにいたのか?」
そう僕の身を案じて、その優しくて温かい手が背中を擦って心配そうに声をかけてくれる、大丈夫、ちょっと疲れただけだから、そう言って離れないと、そう思うのに自分の身体の震えが大きくなるばかりだし口も動かしにくい、苦しい、でも、大丈夫、僕はここから離れないと……迷惑になっちゃう、快斗くんに、さっきのこと、知られたくない。
離れたい、そう思うのは本当なのに。
「大丈夫か?」
そう言われると、もう、だめだった。
「っぅ、う、うぅ……っ」
優しく本当に僕のことを心配しての優しい言葉に、いよいよじわっと勝手に涙が溢れる、止めたいのに止められなくて、喉からは嗚咽が出てしまう。
「っ?……とりあえず、俺の家行こ?そこでちょっと休もう、な?立てる?」
「う”、ん……、ごめ、ごめん、」
その手に支えられて、力の入らなかった脚を何とか奮い立たせて立ち上がることに成功する、突然ごめん、迷惑かけてごめん、心配して気を遣わせちゃってごめん、申し訳なさすぎて、しかもコンビニまで買い物に来たのに僕のせいで何も買わずに帰ることになって本当に消えてしまいたくなるほど、自分の精神が雑魚過ぎて、辛くなる。
「謝らんでよ、調子悪そうな友だ……す、好きな子を置いていけないのよ、優しいから、俺」
そんな僕の謝罪を切って、ネガティブな僕を好きと言って、安心させるように僕の手を握ってくれる快斗くん。
「、ほんとうに、やさしいね……、」
本人は照れてきっと茶化すために言っていたとは思うけれど、本当に快斗くんは優しくて、優しすぎて、つい本音を漏らす僕。
それがしっかりと聞こえていたさらに顔を赤くさせた快斗くんの顔を見て、やっと僕は安心出来た。
快斗くんの家にもう一度お邪魔しますをしたときには、大分落ち着けた、と思う。
「調子悪いならそこのソファーで寝ちゃってもいいよ」
「ううん、大丈夫、ありがとう」
快斗くんは部屋ではなくリビングに案内してくれた、そこにある3人ぐらい座れそうなソファーに腰掛ける、寝ていい、とは言われたけれど体調が悪いわけじゃないから断った。
快斗くんはキッチンの方へ行ってしまい、この空間で一人になる。……なんだか、僕のことを好きな快斗くんに甘えてしまったような結果になってしまい、申し訳なくなった。
(あ、そう言えばお母さんに連絡しないと)
晩御飯の前には帰るって言ったのに、何も連絡していないことを思い出してスマホを取り出す。
「っ」
そして、ロックを外そうとしてその通知を見て息を止める。
お母さんからの連絡もあった、だけどそれ以上に。
「ひ、」
『タカ』と書かれた名前が埋め尽くされているのを見てしまい、身体が固まる。
メッセージはなく不在着信ばかりだが、先程自分の手首を掴んで抵抗する僕をさらなる力でねじ伏せて、僕自身の意志なんていらないと言わんばかりに顔も見ずに、獣のような呼吸してまるで食事をする肉食獣が味見でもするように、僕の首筋から耳元まで這わしてくるあの感触を鮮明に思い出して、気持ち悪くなる。
「ハッ……カハッ!ぅ、え”」
「彼方!?」
吐きそうになって口元を抑え、上半身を折って咳き込む僕に気付いた快斗くんがダダダと駆け寄り、床に膝を付いて僕の顔を見ながら心配そうにポンポンと腰辺りを叩いてくる。
「吐きそう?トイレ行くか?」
「、だい、じょっ!」
見るからに大丈夫とは言い難い僕では全く説得力がない。
けれど、吐きそうだけれど、そういうのではない、それをどう説明していいのか分からずただ咳き込むばかりの僕に、途方に暮れたような表情を浮かべた快斗くんが一箇所に視線を集中させ目を見開かせた。
「っ、その手首、どうした?」
驚き焦ったようにそう問われて、きょとりと目を瞬かせる。手首?なんだろう、と自分の手首をそろりと近づけて、視界に捉えた、捉えてしまった。
痕が、付いていた。
誰かに思い切り掴まれたような、痕、さっきタカにされたことが鮮明に思い出される。握りしめられて出来た、その赤黒い痕が、なんだか……汚らしくて。
快斗くんにそれを見られたことが酷くショックで、かなしくて、おそろしくて。
「うあ、あ、あぁあああ!」
頭がバンっと何かが切れたよう音がしたあと、気づけば髪を掻き毟って汚く叫んでいた。快斗くんが目を見開くけれどそれに気付くことも出来ず、ただただ泣き叫ぶしか出来なかった。
「彼方っ」
「さわ、ないで、やだっタカ、やめてっ」
「っ」
伸ばしてくる快斗くんの優しい手すらも、タカのものに見えてパンっと乾いた音を立てはたいてしまう。
こわい、なんで、タカ。僕たち友達だったじゃないか、どうして、嘘つくの。
どうして、自由にさせてくれないの。
どうして、力でねじ伏せてきたの、どうして、友達って言ってくれたのに!なんで、どうして、なんでなんでなんでっ!!
さっきの男と今まで親友としてともに過ごしたタカが同一人物だと思えなくて思いたくなくて、苦しくて泣きたくて辛くて。
今になって段々とダメージが表れ始めていく僕の冷たくなった身体を、何かが包んでくるような、暖かなぬくもりを感じて、涙はそのままに驚いた。
「大丈夫、大丈夫だから、今は俺と彼方二人しかいないよ、彼方」
「、快斗くん……?」
「そう、俺だよ。俺、海原快斗っていうんだ。よろしくな」
僕と目を合わせてにっこりと笑って少し茶化すようなあやすような口調そんなことを言う。
ぎゅうっと優しく包んでくるのは、快斗くんの腕で、僕の背中を抱きしめてくれていた。
「……知ってる、よ」
「やった、光栄だわぁ」
知ってる、なんて当たり前のことをいえば嬉しそうにそう言って抱きしめる力が少しだけ強くなる。だけど、痛くなくてどこまでも穏やかで柔らかいものだった。
僕に触れてくるこの快斗くんの手は、あの男とは全く違うんだと伝わってきた、肩の力が抜け快斗くんに身を預けた。
「一緒にいるよ、彼方。彼方が落ち着くまで……落ち着いても、ずっと」
「……うん、うん」
テレビも付いていないリビングで、鼓膜に伝わってくるのは甘やかで低い穏やかな快斗くんの声と、それとは真逆にドクドクと聞こえてくる鼓動の音。その鼓動は、快斗くんのもの、だけなのか、それとも……?
「ぅ、」
公園のトイレの裏側まで引っ張られ、やっと腕を放されたとホッとする間もなく肩を捕まれ力の限り押し付けられた、冷たい壁が背中を強打して痛みに呻く。
肩にかけていたショルダーバックはともかく、せっかく快斗くんから貰ったパンフレットの入った袋が衝撃に驚いた手が緩んで地面にドザッと落としてしまった。
そんな僕を気遣うこともなく、目の前の男……親友のはずのタカが元々鋭い目をさらに釣り上げて睨みつけてくる、タカは、怒りを隠そうともしない態度で
「今までどこ行ってた?」
そう怒鳴る寸前の声でそう聞いてくる、ざらついた壁に押し付けてくるせいで痛む背中を我慢して答える。
「っ、快斗くんの家」
いつもならタカが機嫌悪そうにしていると、自分はなにかしてしまったのではないかと怯えていたけれど、今日は何もしてない、ただタカが塾でいないときに僕は違う友達と遊びに行っていただけ、それだけのことだ、それだけしか、してない。なのに。
「あいつとは距離置けって言ったじゃねえか!しかもなんだその前髪!!さっさと目を隠せよ!あと編入なんて絶対に許さねえ!すんなよ!?勝手に俺のところからいなくなろうとするんじゃねえ、俺のだ、お前は、俺から離れさせねえからなぁ!!」
烈火の炎の如く怒鳴るタカ。
なんで、僕は怒られているんだろうか。
ただタカの言う通りにならなかっただけ、ただ前髪を上げた状態なだけなのに、ただ単に言われたことが理解できずに不思議だっただけだったのが、段々とタカに対して怒りが湧く。
ずっとタカの言う通りにしてきた、青い目を隠したり距離を置いたほうがいいって言われた、そのままにしてきた、僕のことを気遣っているんだって、優しくしてくれているんだって、そう思ってた。
だけど快斗くんと会ってからはタカのそれは優しさじゃない、違うなにかなんじゃないかって、疑問を覚えるようになってきた、だけど、やっぱり親友だから、初めて出来た友達を疑うなんて、なにか理由があるんじゃないかって、そう思っていたけれど。
ついには快斗くんがくれたパンフレットの入った紙袋を、僕を力強く拘束するのをそのままにタカは靴で踏んでグリグリと潰すようにするのを見て、カッと頭が熱くなった。
彼が怒っていることが、どうしても自分を大事にしているとは到底思えなかった。
「っそんなことタカが決めることじゃない!僕が決めることだっ!!
そもそもタカが言ってたこと、嘘じゃないか!快斗くんは僕のこと面倒くさいなんて思ってなかった!なんで嘘なんて吐いたの!?」
初めて、僕は誰かに大きな声を張り上げた。
タカに問わず、誰かに対して、こうして反抗して感情のままに怒る、なんて尚更。
嫌に心臓が鳴る、さっきの快斗くんといたり彼のことを考えていたときとは真逆の感情だった。
この場から離れたい、逃げたい、だけど僕のことを抑え込もうとするタカに腸が煮えくり返りそうで、つい、勢いのままに叫んでしまった。
もう子どもたちが帰る鐘が鳴った後で良かった、きっと怖がらせてしまっただろうから。
タカは初めて自分を睨んで反抗して挙句怒鳴る僕に、驚いたようだったが、忌々しそうに舌打ちをした。
「っうるせえ、うるせえんだよっ!お前は俺のいうこと聞けよっ!!」
「ひ!?」
そう怒鳴って肩から手を離したかと思えば、自分の手首を取られ力の限り握りしめ、壁に押し付け僕の首に顔を埋めてきた、ハァハァと荒い息遣いと吐いた息で湿っていく自分の首が不愉快で仕方なくて離れようとその手から逃れようと力を込めるが、タカは僕を逃さないと言わんばかりにさらに力を込められる、なんだ、これ、怖い。
「ぃ、いやだ、やめ……ひっ」
れろり、何かが首筋から耳下まで這ってくるざわざとした感覚に悲鳴をあげる、なめられたのだ、と一寸置いて理解して、反応した自分に楽しそうに笑う低い声が響いてぞわっと確かに鳥肌が立つ。
そして男は言うのだ、興奮したような上擦った声で、
「お前は俺のもんだ」
と。
「い、や、やめ、やめろ!!」
「っ!?カナっ!!」
怖い、ヤダ、気持ち悪い、気持ち悪い!酷い吐き気がするほどの嫌悪感が抵抗する力を強くさせたのか、舐められたことで力が抜けたことで油断していたのか分からないけれど、僕はタカの拘束を壊って、この身を拘束するものが何もなくなったのが分かるやいなや、この場から駆け出した。
これからのこととか、今後のタカとどうなるのかとか、どこへ逃げるかとか、何も考えず、ただただ思うままに脚を動かした。
あの男がいない場所へ、とにかく逃げたかった。
パンフレットをそのままにしてしまったことに気が付いたのは走ってどこかのコンビニの前に辿り着いてのことだった。
「っはあ、ハァッ……ゲホっ、フゥ、」
多少外に出ていたとはいえ、引きこもっていて運動なんてしていないせいで直ぐに息は上がったけれど、おぞましいことをしてくるあの男がまだ追いかけてきそうで、自分に鞭を打って走り続けてきた。
(、パンフレット、そのままにしちゃった)
いくら余裕が無かったとはいえショックだった。
否それよりもただ親友だと思っていたタカがあんなことを、することのほうが何倍も、ショックだけど……。
コンビニのゴミ箱の隣で座り込んで息を整えようと呼吸を整えていると冷たい風もあって茹だった頭が段々冷静になってきて、まず思ったのが。
(これから、どうしよう)
これに尽きる。思考を巡らせる、このままずっとここにいるわけにはいかないので、後で街のほうへ移動するとしても、今の時間はまだ良いとしても遅くまでうろついていれば補導されてしまうかもしれないし、変な人に絡まれてしまうかもしれない。
まだ未成年なのでどこかへ泊まることも出来ないし、そもそもそんなお金もない。あるのは快斗くんの家に行くに当たって近所のコンビニで飲み物とお菓子を買えるぐらいのお金をお母さんに貰ったけれど、そのお金もほぼ使ってしまったのであと千円札1枚と小銭が少ししかない。となれば、家に帰る。
それが正しいことであり一番安全である、のだけれど。
(……タカが、いたらどうしよう)
そう思うと身が竦んだ。逃げるときまず選択肢に浮かんだのはお母さんのいる自分の家、だった。でも、僕はタカにされたことをお母さんに説明できる自信なんて無くて、たとえ説明が出来たとしても友達でありほぼ毎日のように僕のために家を訪れているタカを信用しているお母さんが信じてくれるのかも分からない、次二人きりになったら、何をされるか分からない。
ざら、とミミズが這うように舐められた首筋を無意識に抑えながら身体が震えた。今帰って、もしもタカが訪ねていてお母さんが僕の部屋に上がらせいて、二人になったら……今度こそあの行為の続きをされる、そう確信する、あの続きがどんなものなのか、あまり想像出来ないけれど、自分の身も心も無事では済まないというのだけは分かる。
(快斗くんに、触れられたときは何の嫌悪感も無かった、のに)
それだけは不思議だった。頬にき、キスをされたのだって手を握って抑え込まれていたのだって、逃げたいけれど逃げたくないなんて矛盾したことを思っていたのだ、だから抵抗なんて出来なかったんだけど……ね。
力で抑え込まれる、のはあんなに恐ろしいことだったんだなぁ、と肩を抑える。
呼吸も落ち着いてきた、顔をあげればいつまでも未成年であろう少年がコンビニの前で蹲っているのを訝しむような視線を年配の女性から丁度向けられていたところだった。
(……いつまでも、ここにはいられないな)
そのうち通報されてしまうかも、そう考えとりあえずこの場から離れよう、スマホを取り出してみるとまだ19時にもなっていなかったから、補導されるような時間帯というわけではない。
とりあえずゲーセンとかに行って時間を潰して警察に見つからないようにしながら深夜になるのを待とう、そう考えてやっと立ち上ちあがろうとした、そのとき、自分の前に誰かが立ちはだかる。
顔を上げられなかった、タカがここまで追いかけてきたのではないか、そう思うと嫌な汗が額を伝う。
「……彼方?」
その声にピタ、と固まった。恐る恐る顔をあげるとそこには。
「、快斗、くん?」
つい1時間と少し前に笑って手を振って別れた快斗くんがそこにいた。
「あ、やっぱり彼方だった!どした?具合悪い?」
「、なんで、ここに」
「?ここ俺のマンションから一番近くのコンビニ、で、今日は俺一人だから晩飯買いに来たところ」
「、あ」
本当だ、よく周りを見ると確かに行き帰りでこの大きく数字が書かれたコンビニの看板を確かに視界の端で見かけていたのを思い出す。……、無意識に僕は快斗くんに助けを求めていたみたいで、恥ずかしくなる。
また顔を埋めてしまった僕が具合が悪いのかと勘違いした快斗くんは僕の隣座り込んだ。
「彼方はどうしてここに?帰る途中具合悪くなったの?ずっとここにいたのか?」
そう僕の身を案じて、その優しくて温かい手が背中を擦って心配そうに声をかけてくれる、大丈夫、ちょっと疲れただけだから、そう言って離れないと、そう思うのに自分の身体の震えが大きくなるばかりだし口も動かしにくい、苦しい、でも、大丈夫、僕はここから離れないと……迷惑になっちゃう、快斗くんに、さっきのこと、知られたくない。
離れたい、そう思うのは本当なのに。
「大丈夫か?」
そう言われると、もう、だめだった。
「っぅ、う、うぅ……っ」
優しく本当に僕のことを心配しての優しい言葉に、いよいよじわっと勝手に涙が溢れる、止めたいのに止められなくて、喉からは嗚咽が出てしまう。
「っ?……とりあえず、俺の家行こ?そこでちょっと休もう、な?立てる?」
「う”、ん……、ごめ、ごめん、」
その手に支えられて、力の入らなかった脚を何とか奮い立たせて立ち上がることに成功する、突然ごめん、迷惑かけてごめん、心配して気を遣わせちゃってごめん、申し訳なさすぎて、しかもコンビニまで買い物に来たのに僕のせいで何も買わずに帰ることになって本当に消えてしまいたくなるほど、自分の精神が雑魚過ぎて、辛くなる。
「謝らんでよ、調子悪そうな友だ……す、好きな子を置いていけないのよ、優しいから、俺」
そんな僕の謝罪を切って、ネガティブな僕を好きと言って、安心させるように僕の手を握ってくれる快斗くん。
「、ほんとうに、やさしいね……、」
本人は照れてきっと茶化すために言っていたとは思うけれど、本当に快斗くんは優しくて、優しすぎて、つい本音を漏らす僕。
それがしっかりと聞こえていたさらに顔を赤くさせた快斗くんの顔を見て、やっと僕は安心出来た。
快斗くんの家にもう一度お邪魔しますをしたときには、大分落ち着けた、と思う。
「調子悪いならそこのソファーで寝ちゃってもいいよ」
「ううん、大丈夫、ありがとう」
快斗くんは部屋ではなくリビングに案内してくれた、そこにある3人ぐらい座れそうなソファーに腰掛ける、寝ていい、とは言われたけれど体調が悪いわけじゃないから断った。
快斗くんはキッチンの方へ行ってしまい、この空間で一人になる。……なんだか、僕のことを好きな快斗くんに甘えてしまったような結果になってしまい、申し訳なくなった。
(あ、そう言えばお母さんに連絡しないと)
晩御飯の前には帰るって言ったのに、何も連絡していないことを思い出してスマホを取り出す。
「っ」
そして、ロックを外そうとしてその通知を見て息を止める。
お母さんからの連絡もあった、だけどそれ以上に。
「ひ、」
『タカ』と書かれた名前が埋め尽くされているのを見てしまい、身体が固まる。
メッセージはなく不在着信ばかりだが、先程自分の手首を掴んで抵抗する僕をさらなる力でねじ伏せて、僕自身の意志なんていらないと言わんばかりに顔も見ずに、獣のような呼吸してまるで食事をする肉食獣が味見でもするように、僕の首筋から耳元まで這わしてくるあの感触を鮮明に思い出して、気持ち悪くなる。
「ハッ……カハッ!ぅ、え”」
「彼方!?」
吐きそうになって口元を抑え、上半身を折って咳き込む僕に気付いた快斗くんがダダダと駆け寄り、床に膝を付いて僕の顔を見ながら心配そうにポンポンと腰辺りを叩いてくる。
「吐きそう?トイレ行くか?」
「、だい、じょっ!」
見るからに大丈夫とは言い難い僕では全く説得力がない。
けれど、吐きそうだけれど、そういうのではない、それをどう説明していいのか分からずただ咳き込むばかりの僕に、途方に暮れたような表情を浮かべた快斗くんが一箇所に視線を集中させ目を見開かせた。
「っ、その手首、どうした?」
驚き焦ったようにそう問われて、きょとりと目を瞬かせる。手首?なんだろう、と自分の手首をそろりと近づけて、視界に捉えた、捉えてしまった。
痕が、付いていた。
誰かに思い切り掴まれたような、痕、さっきタカにされたことが鮮明に思い出される。握りしめられて出来た、その赤黒い痕が、なんだか……汚らしくて。
快斗くんにそれを見られたことが酷くショックで、かなしくて、おそろしくて。
「うあ、あ、あぁあああ!」
頭がバンっと何かが切れたよう音がしたあと、気づけば髪を掻き毟って汚く叫んでいた。快斗くんが目を見開くけれどそれに気付くことも出来ず、ただただ泣き叫ぶしか出来なかった。
「彼方っ」
「さわ、ないで、やだっタカ、やめてっ」
「っ」
伸ばしてくる快斗くんの優しい手すらも、タカのものに見えてパンっと乾いた音を立てはたいてしまう。
こわい、なんで、タカ。僕たち友達だったじゃないか、どうして、嘘つくの。
どうして、自由にさせてくれないの。
どうして、力でねじ伏せてきたの、どうして、友達って言ってくれたのに!なんで、どうして、なんでなんでなんでっ!!
さっきの男と今まで親友としてともに過ごしたタカが同一人物だと思えなくて思いたくなくて、苦しくて泣きたくて辛くて。
今になって段々とダメージが表れ始めていく僕の冷たくなった身体を、何かが包んでくるような、暖かなぬくもりを感じて、涙はそのままに驚いた。
「大丈夫、大丈夫だから、今は俺と彼方二人しかいないよ、彼方」
「、快斗くん……?」
「そう、俺だよ。俺、海原快斗っていうんだ。よろしくな」
僕と目を合わせてにっこりと笑って少し茶化すようなあやすような口調そんなことを言う。
ぎゅうっと優しく包んでくるのは、快斗くんの腕で、僕の背中を抱きしめてくれていた。
「……知ってる、よ」
「やった、光栄だわぁ」
知ってる、なんて当たり前のことをいえば嬉しそうにそう言って抱きしめる力が少しだけ強くなる。だけど、痛くなくてどこまでも穏やかで柔らかいものだった。
僕に触れてくるこの快斗くんの手は、あの男とは全く違うんだと伝わってきた、肩の力が抜け快斗くんに身を預けた。
「一緒にいるよ、彼方。彼方が落ち着くまで……落ち着いても、ずっと」
「……うん、うん」
テレビも付いていないリビングで、鼓膜に伝わってくるのは甘やかで低い穏やかな快斗くんの声と、それとは真逆にドクドクと聞こえてくる鼓動の音。その鼓動は、快斗くんのもの、だけなのか、それとも……?