青い鳥は鷹から逃れ海原に羽ばたく

 昨日はあのまま二人で一緒の布団で眠った、別々に眠るのが味気なくて一緒に寝たいってお願いしてみたら「俺もそうしたかった、以心伝心だなぁ」と答えてくれた。
 電気は消されて密着していたから眠れるか心配だったけれどそれは杞憂で、僕も快斗くんも快眠そのもの、むしろ今までの中で一番深く心地よく眠れたかもしれない。
 目を開けると先に起きていたらしい快斗くんと目が合って少し驚く、けれど昨日のことが夢ではなかったんだと実感できた。……良くも、悪くも。
 快斗くんとその、恋人同士、となったのは僕にとってとても良いことだ。けれどそれと同時に昨日タカにされたことも本当だと思うと胃がきゅう、と重くなる。
 ……スマホを立ち上げると古いものものは日付が変わる前から最新では今朝にかけて不在着信の通知がえぐいほどの量があって頭痛がしそうになる……。
「彼方、彼方」
「あっなに、快斗く、んう?」

 歯磨きを終えた快斗くんに名前を呼ばれて振り返ると予想外に近い顔に驚く間もなく柔らかい感触が僕の唇を塞ぐ、人肌が直に当たる感じとか歯磨き後のスースーする匂いが生々しくて、これは現実で起こっていることだと否が応でも自覚してしまう。あっこれは、幸せ、かも。
 触れたときと同じようにゆっくりと離れてしまう温かさと匂いにすぐに名残惜しくなってしまう、なんとかそんな気持ちを抑え込んで目の前の顔を凝視する。

「おはようのちゅーってねー……あっ、俺浮かれてるわ、わはは。昨日のあれはリアルで起こったことで良いんだよな?俺の夢とかだったり妄想との境界線が曖昧になったとかではないよな?」
「病院が拒否……じゃなくて、う、うん。そうだよ、リアルのことよ」
「そっか……そうか、良かった」

 目を逸らしながら頬を微かに赤らめてふと緩く薄い唇が弧を描いた。
 それを間近に直視してうっ、と胸が詰まる。
 暖かいものをこれでもか、とぐいぐい詰められてもう限界!て叫びたくなるぐらいなのにもっと受け取りたいとも思ってしまうほどの訳わかんない多幸感に呻いた。



「パンフレット、ごめん、あのとき置いてきちゃったんだ」
「全然。また貰ってくればいいだけだし、気にしなくていいよー」
 快斗くんの服(上だけ)をお借りして昨日自分が着ていたTシャツを入れてくれた紙袋を持っていると昨日のことを思い出して隣を歩く快斗くんに謝れば何でも無いことのないようにそう言ってくれてホッとする。
 ご飯を食べて少しゆっくりしてギリギリ午前中の11時になってそろそろ帰るね、とまったりとテレビを見ている快斗くんに声をかければ家まで送ってくと行って一緒にマンションを出た。
 どうしようもない多幸感に見舞われてタカへの恐怖心は消えたものの、さっき連絡したときはいえ昨日お母さんに心配かけさせてしまったし、それに、いつまでもタカを放って置くことは出来ない。タカは隣人で学校と僕を繋ぐために家に毎日やってくるし……決着、つけないといけない。不安で、やっぱり怖いけれど、ちゃんと理由を聞かないといけない、どういうつもりで嘘を吐いたのか……嘘を吐いたのは快斗くんの件以外にもあるかどうかを。

「ありがと……あと、僕やっぱり一人で……」

 送ってくれるのはありがたいけれど、昨日に引き続いてあまりに快斗くんに頼りすぎている自分が嫌になってきて、一人でタカに対峙するべきでは、快斗くんをこれ以上巻き込んでは迷惑になるんじゃないかと色々考えてしまって、やっぱり、と言い出す僕に快斗くんは申し訳無さそうにしながらも首を横に振って僕の意見を拒否する。初めて快斗くんに拒否されて少し驚く、そんな僕に気まずそうに人差し指でポリポリと頬を掻いた。

「それはごめん駄目。ただでさえ昨日も烏丸に襲われたって聞いて本当腸煮えくり返るかと思ったぐらいだからね」
「……ぜんぜん、そういうふうに見えなかった」

 優しくて穏やかで、恐慌状態となってしまった僕をずっと宥めてくれてた快斗くん。そんな予想外の本音を聞いて目が見開かれたままになってしまう、あっそろそろ目乾燥してきた……。

「怯えて震えてる好きな子の前で俺がメチャクチャにキレてたら怖がられちゃうと思ったし、ほら、俺結構純愛タイプだから、怯えた目で見られるのは心が耐えられんのよ」
「鼻血でちゃうぐらい、に?」
「あーそれ言わないで!それだけははずい!!」
「ごめんごめん、……そっか、そうだったんだ」

 つい恥ずかしくなって昨日の夜のことを持ち出せば手を振って訴えられる、それには素直に謝る、その好きな子が自分であり、快斗くんは僕のことを本当に大切に考えてくれているんだと胸が暖かくなる。うれしい、な。

「とにかくさ、気にしないでくれよ。恋人が襲われる可能性があるのに、それを分かってて放っておけるような人間じゃないんだ、俺。だから俺が今後平穏を保つために送られてほしいんだけど、どうかね?」
「……そう言われたら、断れないよ」
「それを分かった上で言ってる、なんて告白したらどうする?」
「、ずるいっ」
「あははは」

 そろそろ嬉しいの許容範囲が超えそう!やめてっそんな楽しそうにしながらも慈しむような瞳で見ないでっ!!
 ただでさえ人が多いところを抜けて地元の人ぐらいしか来ないであろう住宅地に入って、誰もいないからと手を繋がれているのにっ。
 何も言えなくなった僕は抗議するようにぶんぶんと繋がれた手を振ってみるが、それすらも恋人の戯れで、気恥ずかしさがさらに増した。隣りにいる快斗くんに夢中になっていたから気づけなかった。


「、カナ……?」

 そう声をかけられて漸く気付いた、今僕がいるのは昨日僕を襲った公園の出入り口近くで、公園の中から呟くような呆然としてつい溢れてしまったかのような、声に。
 僕のことをそうやって名前を縮めた、女の子の名前のように呼ぶのは、一人しかいない。

「……タカ」

 そこには、僕と快斗くんの繋がれた手と手を目を見開いて凝視しているタカがいた。いつからそこに、どうしてそんなに傷ついた表情をしているの、など聞きたいことは色々あった。
「お前、何してんだ!カナ!!」
「っ」
 先に我に返ったタカにそう怒鳴られて身体が震える。
 そう、タカはこうなんだ。僕がタカとは違う意見を言ったり意にそぐわないことをするとこうして大きな声を荒げて、注意してくる。
 本当のことを言うと、僕はタカの言う『カナ』というニックネームは女の子のようで嫌だし、『タカ』と呼べと言われたときどうも名前を縮めたり呼び捨てにするのが何となく苦手意識のある僕は『高俊くん』て呼びたいなと言ったときも鋭く睨みつけられ酷い剣幕でなんでいう事聞かないんだ!と叫ぶように言われて……騒ぎを聞きつけたクラスメイトや先生にどうしたと聞かれてまだ日本にきて間もなかった僕は上手く言葉が出なくて、タカが説明すると不思議そうだった先生たちは僕を責めるものへと変わっていったのが、いんしょう、てき、で……?
(あれ……、なんだろうこれ?)
 今まで気にならなかったタカのことが、なんか、嫌な感じがする。
 タカの怒鳴り声が恐ろしくて反射的に身が竦んでしまう、その反面妙に冷静な頭が『何か違う』と分析している。
 タカに嫌なことをされたりしてそれを拒絶すれば泣くまで理不尽に責められたことがあったな、とか、孤立した僕に対して『俺がいてやるよ、しかたねえなぁ』と上から言われたこととか様々なことが連鎖して思い起こされて行く、そして思い出していくごとに胸が冷めていく、なにこれ、なんなの……これ?
 怯えるのと同時に冷えていく胸、突然のフラッシュバックに混乱して、頭がぐるぐるする。
 そんな僕を宥めるようにきゅっと握られた快斗くんの手の熱さと力強さは確かに感じて顔をそっと覗くと歯を見せて笑いかけてくれる、『だいじょうぶ』と言ってくれたように感じて少し安心する。


「烏丸、そんな怒鳴るなよ。彼方の意見もちゃんと聞いてやってくれよ、そうして自分勝手に叫ぶんじゃなくて、ちゃんと話し合ったほうが良いと思う」
「っ!うるせえよ!これは俺とカナの問題だ!部外者は帰れよっ!」
「俺は彼方の恋人だよ、昨日からだけどね。だからもう部外者なんかじゃない。ちゃんとした関係者だ」

 キッパリとそう言いのける快斗くんにタカだけじゃなく、僕も目を白黒させる。
 昨日は顔を真っ赤にして鼻血を出すほどに僕にその、興奮して、さっきまでは笑い合っていたのに、今は口を一直線に結び真剣にタカを見据えて僕の恋人だとハッキリと言い放つ、男らしくて格好いい、今そんな状況ではないのは重々承知だけど、つい頬が熱くなる。
 そんな僕たちを見てタカはギリ、と血が出そうなほどに唇を噛み締め鳥の鷹のように鋭く殺意すら感じる目で睨みつけ、

「っやっぱり、お前さえ!お前さえいなければ……カナは、俺のものだったのにっ!!」

 大きく口を開いて、そう叫んだ。

(、どういう……こと?)

 ぼくが、タカのもの?

 妙なことを肩で息しながら吐き切るタカ。
タカは睨むのを辞めて、僕ににたりとわらいかける、その笑顔は快斗くんのように安心出来るものではなく、胃が重たくなるような逃げたくなるような、そんな笑み。
そしてタカは語りだした。

 本人曰く『羽鳥彼方』へ……青い鳥へ向けた、俺の愛の話、を。



 昔から『青色』が好きだった。
 青い海も青い空もかき氷のブルーハワイの色、とにかくなんでも好きだった。
 そのきっかけとなった小さい頃に童話『青い鳥』の絵本を読んでからのことだった、母の読み聞かせる声よりも何よりも、その青い鳥の絵に俺は見惚れた、幸せの青い鳥の内容のことをあまりよく覚えていないのに絵だけは鮮明に覚えてる。
 物心ついて以降俺、烏丸高俊はずっと実際にはいない架空の幸せを運ぶとされるその『青い鳥』に焦がれていた。
 実際の青い鳥も美しかったのは覚えてる、けれど俺のための幸せを運んでくれる青い鳥はいないのだと気付いたのはいつからだろうか。
 やりたくもない習い事を詰め込んでくる母親や厳しくいつもしかめっ面の父親や、俺とおおよそ釣り合うわけではないのにも関わらず馬鹿みたいに口を大きくあけて大声で間の抜けた声で話しかけてくる同級生に囲まれてしんどいと心の中でずっと思っていたのに誰も助けが現れなかったからだろうか、自分の理解者がいつまで経っても来ることもなく、時折心が苦しくなって期待を込めて木の枝を見上げても自分の幸せを運んでくれる青い鳥が訪れなかった、からだろうか。
 疲れた。何に疲れたのか、どうしてこんなに心がこんなにしんどいなのか何も分からないけれど、とにかく疲れて、息苦しかった。
 そんなときだった、俺の『青い鳥』に出会ったのは。
 隣に誰かが引っ越してきたなど母が話していたのを内心どうでもいいと思いながらも笑顔でそうなんだと相槌を打っていたところで新たな隣人が挨拶しに来たとき、出会った。
『羽鳥彼方』
『俺の青い鳥』に。
 黒髪に黒目、それだけだったらいつも通りに愛想を振りまいてそれなりに隣人の良好な友人としていられたのかもしれない、だけどその深い神秘的な青を見てそう思った。この子が、俺の青い鳥なんだって。
「よ、ろしく、ね、えと……たかとし、くん」
 邪気のない笑顔、片目の青色、アメリカ育ち故のぎこちない日本語で一生懸命コミュニケーションをとろうとする目の前の青い鳥に小学校上がって初めて心の底から笑って「こっちこそよろしく!」と言えた。

 ああ、俺とカナ、二人だけの世界だったらどれほど良かったんだろう。

 何度そう思ったかわからないし数えていないので具体的な数字はわからない、けれど千回はそう感じていた。
 まずは俺たちだけの特別のニックネームで呼び合わせた。戸惑ってちょっとそれはと口ごもるカナに強引に推し進めて何も言わせなかった、次にその片目の青を隠すように言った。
 もうすぐカナの登校が始まるので、俺のためのその青を誰かに見せたくなかった、だから日本では目立つと適当なことを言って前髪で隠させた。
 誰にも俺からカナを取り上げないように取られないように周りにあることないこと言ってカナを遠ざけた。
 あんな馬鹿なヤツらに関われば変にカナが影響を受けてしまうことを危惧してのことだった、純粋なカナを猿の山に放り出せば危険だと思ったからだ。
 カナは俺のためにいる。
 それだけで充分だ。だって青い鳥は俺のだ、カナだけは誰にも渡したくなかった。たとえ優しいカナが俺以外の誰かと一緒にいたいと恋い焦がれ傷ついた表情を浮かべていても仕方がなかった。

――これはカナのためだから。

 誰にも汚されないように、誰からも傷つけられないように、大事に大事に鳥かごの中にいれておかないといけない。
 俺の世界を鮮やかに変えてくれた大事な青い鳥。
 カナに少し近づけて嬉しそうな奴に俺が話しかける、カナはお前のこと面倒くさいと言ってたと言うだけで傷ついた顔をして次に日にはカナの本質を見ようともせず避けた、カナはそれに傷ついた顔をしていたけれど、俺がちょっと言っただけで離れていくやつなんていらないだろう?
 そんなやつはカナの隣にふさわしくない。むしろカナには俺しかいないほうがいい、そうだろ?
 カナは傷ついて傷ついて、高校生になってついに傷つくことを恐れてカナは学校に行かなくなった。俺はそれに喜びを覚えた。
 やっと、これで俺のものになった。
 今はゲームなどというくだらないものに興じているけれど、そのうち辞めさせないと。どこで悪影響があるか分からないのだから、そう思っていた矢先だった。
 これは俺の失態だった、もっと早くにゲームは辞めさせるべきだったのだ。

 俺とカナだけの世界に、邪魔なやつが入ってきた。
 海原快斗とかいう、髪を染めて制服を着崩した奴。俺無しで楽しそうに話している二人を見たときには腸煮えくり返るかと思ったしカナもそいつと仲良くなったことをなかなか教えてくれなかったのも癪に障った。
 だから、態々二人で遊んでるところで俺が来て、いつも通りにカナがお前のことつまらないと思ってるとそう言ったのに、今までは同じ学校の人間にしかやってこなかったからか、この海原にはどれだけ細かく説明しても効かなかった、いやむしろ俺を不審そうに見つめて今まで俺がしていたことを見ていたのか?と思うほど言い当てられて何も言えなくなった。
 挙句彼方のことを信じたい、なんてこと言ったのだ。
――なんなんだ、こいつ。
 今まで無いタイプの人間、混乱する頭の中でとりあえずこいつにはいつものは通用しないのだけは分かった。
「……もしも、烏丸の言っていることが本当だったらごめん。だけど、どうするのかは俺が決めるから、烏丸は何も気にしなくていいよ」
 なんて、今まで疑わしそうに怪訝そうに見ていたのに突然善人のような事言うのがさらに腹が立ってつい本音を吐き出し、その場を後にした、ちょうどトイレから出てきたカナに嘘を吐いたのは突発的に思いうかんでのこと。
 これであいつを疑えばいい、明日にでもまたカナのところに行ってフォローしながらあいつに近づけさせないようにすればいい。
 カナは俺の言うことを絶対に聞く、そう信じていたから。

 だけど、カナはあいつのせいで俺のいうことを全く聞いてくれやしない。

 俺が距離置けといった次の日にカナの家を尋ねればカナのお母さんが嬉しそうに『さっきまで快斗くんが来ててね』と言われ遊びに来ていることを知っている上で彼方に聞いても目をそらしながら何もないと答えられるし、編入することを考えていることも教えてくれなかった。
 挙句、昨日家を訪ねて見れば快斗くんの家に遊びに行ってるとカナのお母さん冊子の入った袋を持って機嫌良さそうに頬を赤らめて歩いているのを見てしまい、しかも前髪をゴムで結んであの俺のための『青』が丸出しになっていて、頭にカッと血がのぼった。
 抑え込んで本当の俺のものだけにしようとしたら酷く抵抗されて思わぬ力に驚いてその腕を離してしまったところで腕をくぐり抜けて今まで見たことのスピードで俺から遠ざかっている背中を手を伸ばしても空を切るだけ、苛立ってカナが落としていった袋をぐりぐりと踏み潰した。
 何度も連絡してもそれに繋がることはなく、朝からずっとこの公園でカナが帰ってくるのを待っていればそいつと手を繋いでいて……挙句に恋人だと……!?

「ほんとう、てめえふざけんなよっ!カナはお前なんかが触れていいわけねえんだよ!!」
「……それなら、烏丸には相応しいの?」
「俺の愛をすべて捧げてきた!カナは、こいつは俺のなんだよっ誰にも渡したくないからこうして囲ってきたのに!もうすぐでカナの全てが手に入ったのに!!お前の!!お前のせいでっ」

 熱くなってくるこちらとは別にカナの隣りにいるそいつは酷く冷めた目で俺を見ていて、それが更に怒りを加速させる。
 なんで、てめえが手に入れてんだ、最近あったばかりで、何もカナを知らないくせにっ、なんでてめえはそうして手を繋いでいる、カナはそれを拒まない、俺のことは拒んでいるのに……!ギリギリと血が出そうなほどに手を握りしめ爪を食い込ませていたが、ふと思いついた、そして分かった、わかったんだ。

……ああ、そうか、カナはこいつに騙されているんだ。

 そうだ、そうに違いない、だって優しくて騙されやすいカナだから、そうだ、そうだよ。
 それなら俺がちゃんと教え込んで次は、次こそは誰にも関わらせないようにしないと。
 ふらり、どこか夢心地の気持ちでカナへ近づこうとする。俺が、戻してあげるから。

 だから、はなれないで、俺の……『青い鳥』

 俺にはこれしかないんだ、これを俺から取り上げないで。どうか、どうか。



 近づいてくる烏丸高俊は明らかに正気ではなかった。
 淀んだ瞳でふらついた足取りでこちらへと手を伸ばし近づいてくるのを、快斗は危機感を募らせ隣の彼方を見つめた。
 怯えていないか、恐怖で動けなくなっていないか、大丈夫かと心配から彼方の顔を覗き込んだ、そして彼方の表情を見た快斗は少し驚いたような表情を浮かべた。
 そういえば握っている手は全く震えていないことに気付いた。
 快斗は目を見開いたあと……力を抜いた。そして彼方にゆるく微笑んだ。ちゃんとこの決着を見つめようと決めた。
 ここは自分が出てくる幕ではなく、彼方自身が……乗り越えるべき局面なのだろうと彼方の表情を見てそう分かった。
 心配だからここから自分は離れない。でも口出さずに静かに見守ることを決めた。
(頑張れ、彼方)
 震えていないけれど緊張からか握っている手がさっきよりも冷えて汗が出ているのも分かった。
 快斗は何も言わない、だけど一人ではないんだとそう伝えるように握る手を少しだけ強めると、彼方の手は少しだけ力が抜けた、緊張が少しでも解れたかな、そう快斗が思ったのと彼方が息を大きく吐いたのはほぼ同時だった。


「ふざけるな」

 暗くてまるで沼のような思考のなかにいた自分の鼓膜を震わせたのは、低い声だった。
 静かだが隠しきれないほどの怒気の含んだ声。
 一瞬カナのとなりにいる海原にそう言われたかと思いきやただ静観しているようだった、まるで哀れでいるかのようなその瞳に無性に腹が立つ、けれどその前にそれなら誰がこの怒りの声を出しているか、すぐにわかる。信じられないことに……。

 カナ、だった。

「、カナ?」

 烏丸高俊の声が震えていることに気付いたのは皮肉にも快斗だけ。だが快斗は何も言わない、自分の恋人に何か害を齎すことがなければ動くつもりはなかった。
 勿論快斗も目の前の男に対して攻め立てたいし許されるなら一発殴ってやりたい、だけど快斗はただ見守ることを選んだ。だってこれは俺の出番ではなく……彼方が頑張りたいところだからだ。
 ここで自分が殴ったところでこの男は被害者のように怯えて彼方を自分から何としてでも引き剥がそうとするだろう。それでは意味ない。
 彼方に盲目的でありながらも羽鳥彼方のことを何一つ見えていない烏丸に、これからするであろう彼方の言葉がきっと何よりもダメージを与えることを知りながら。
 快斗はただ見守ることにした。……好きな人から訴えられる言葉。それを聞くことになったしまった男を快斗は哀れむ。これも全て自分の所業のせい。
 同情は出来ない、だが、もしも男が彼方に純粋に好意をぶつけていれば、きっと俺は彼方に会うこと無く人生が終わっていたんだろう、そう思うとぞっとすると同時に仄暗い優越感。だって男のおかげで自分は彼方という最愛に会えた、そして恋人同士になった。全部、烏丸のおかげ。でも……俺の最愛を傷つけずにただ普通に愛してあげられれば、良かったのにな、と快斗は少し悲しく思った。複雑な気持ちで二人を見る。快斗はただ見守る。

 二人のこれからを、彼方の……烏丸の言葉を借りるならば……『青い鳥』のはばたきを。


「僕は!周りの人たちが僕より劣っている人間だと思ったことなんか無い!守って欲しいなんて誰も言ってない!」
「かな、」
「本当は、そのカナって呼び方女の子みたいで嫌だった!」
「っんだと!?」
「うるさい!!僕の話を遮ってるんじゃないっ!!」
「!?」
 烏丸が彼方の拒絶に怒鳴ればさらに大きな声で怒鳴り返された。
 今までならこれで言うことを聞いていた彼方、今までとは人が変わったようにその目を釣り上がらせて烏丸をギッと睨みつける、烏丸は驚き固まる。
 黙った烏丸に彼方はさらに怒りをぶつける、今までの鬱憤を吐き出すように、一つを吐き出したことで連鎖してどんどん頭の中で『目の前の男にされて嫌だったこと』をフラッシュバックしていく。彼方はその情報量にくらっとしながら、それでも口は勝手にどんどん吐き出されていく。

「上から目線も腹が立つ、ゲームしてるとき見張られてるみたいでやだった!自分がいなきゃだめだなぁって感じもすごいやだ!目を隠せっていわれたときも訳わかんなかった!自分が孤立させておいてよく僕の隣でいられたな!
僕のこと青い鳥ってなんだよ、僕は人間だよ!知らないよ、葛藤とか色々考えてのことだったのかもしれない、だけど何もタカ……烏丸は僕になにも相談もしてなかったじゃないかっ!」

 タカの呼び名を烏丸に態々言い直す彼方、それに突っ込む余裕もなくただ目を見開いて彼方の叫びを只管に聞くしか出来ずにいた。すべて、烏丸が彼方の訴えを抑え込んでいたせい。その反動、心が悲鳴を上げていたことにも彼方は今まで気付いていなかった。気づけたのは、快斗の穏やかな愛情のおかげだった。
 そもそも、烏丸は自分のことを人間とも思ってなかった。ただ『青い鳥』を捕まえて独り占めしたかっただけ、親友というポジションにいながら烏丸は彼方に何一つ悩みを言ったことがなかった、進路のことや折り合いのよくない家族のこととか、いつ相談してくれるんだろうと思ってた。たまにそれを聞いても怒鳴られて萎縮してしまっていつしか彼方から聞かなくなった。
 だって、烏丸はただ自分のための幸せを運んでくれる『青い鳥』としかみていなかったのだから。
 彼方は悲しくなる、目の前の男は自分のことを親友どころかそもそも人間とも思っていなかったことに。だけどそれ以上に怒りが芽生える。

「もしも、僕が青い鳥だったとしても!烏丸のしていることは大事に囲っているんじゃなくて……ただ、鷹が抑えつけて飛べないようにしているだけ!!小さな鳥の首に噛み付いて離さないだけだ!!」

 海原快斗に大事にされたから分かる、烏丸高俊が行っている行為は羽鳥彼方という人間を大事にしていない、ただ傷つけて羽をもいで噛み付いて離さなかっただけ。  
 かごに入れて飼い殺しどころではない、餌にも満たない、ただ自分だけのための玩具が欲しかっただけにしか思えなかった。
 烏丸はそれは違う、と彼方の言葉を否定しようする。
 本当に、好きだ。彼方が、その青い目を持っている、彼方が……。
 目の前の烏丸が何か言いたげに口を開いた、けれど僕はそれすらも拒絶する言葉を吐いた。ああ、ここに快斗くんがいてくれてよかった、心底そう思いながら。

「いっしょにいるなら……僕は烏丸じゃなくて、快斗くんがいい、僕の意志を尊重してくれる悩んだら相談に乗ってくれる、海のような広い心を持っている、快斗くんの、となりがいい。
烏丸は、やだ。怖い、僕を傷つけるから、いや。ずっといっしょにいたのに嘘ばっかりで本当が見えに烏丸くんは……信頼、できない。
もう烏丸くんのすべてが……嘘にしか見えない」

 今回でもしも目の前の男が心の底から反省してくれたとしても、それでももう一緒にいても……もう前のように信じることは出来ない。だって何故か周囲に訳わからなく嫌われてしまうその理由が今までそんな僕をずっと支えてきてくれたはずの親友だったんだと分かってしまった。
 知らなかった頃にはもう戻れないし、この怒りや悲しみも忘れるなんて到底出来ない、きっと烏丸を見るたびに嫌な記憶が思い出されていく、暗くて辛い感情に満たされてしまうから。

「今、本気で僕のことを好きだと言われても、僕は信じられない。それも、嘘にしか思えないから」

 男が僕のことが本当に好きなのか分からないけれど、もしここで愛を訴えられたところで僕はこれぽっちも本当だと思えない。でも、もし本当だとしたら一つだけお願いを聞いてほしい。これだけでいい、僕が目の前の男にしてほしいことは、もうこれしかないから。

「もう烏丸の話は聞きたくない、もしも……僕のこと好きだって思うなら、その愛が本当だと言うなら……、
今後僕にもう近寄らないで。お願いします」

 そう言って快斗くんの手すら離して両手で耳をふさいで目を閉じてそうお願いした。他人行儀の敬語になったのは懇願からくるものだった。
 今までの僕を無駄にされて憎い、今までの笑顔すらも嘘だったのが悲しい、もうこれ以上声を聞くのも視界に入るのも辛い。
 もう嫌だ。力尽くで僕を暴力しようとされたのが怖かった、今まで怒りのおかげで鈍くなっていた恐怖が今になって訪れる。
 脚に力が入らなくなってその場にしゃがみこんだ、真っ暗で何も聞こえない中、快斗くんの手が僕の背中をさすってくれたぬくもりだけが分かって、少しだけ、その暖かさに安心する。



 告白すらも受け入れられない、とそう言われた。
 直接言われたわけではないが、確かに彼方のその態度がそう言っていた。自分を見つめていたその目は徐々に怯えを帯びていき、ついにはしゃがみこんでしまった。
 ただそれを呆然と見ていた俺とは逆にずっと見ていた海原が彼方と同じようにとなりに寄り添うようにしゃがんでその背中を優しく撫でる。
 その手は心の底から愛おしそうに慈しみさえ感じた。
 見ているだけで……彼方のことが、大事になんだと、そう全身で伝えてくる。

「……」

 海原は彼方から手を離さないまま、ちらりとこちらを伺う。
 その目は警戒しながらも、やはりどこか哀れだものを見るようだった。
 さっきはその目に苛立ちしか無かったが、今は腑に落ちた、だってそうだろう?

 ずっと好きだった子を傷つけるだけ傷つけて嘘ばかりついて。本音が分からないと言われて。……告白すらも出来ないまま拒絶された。

 本音を出し尽くした彼方が俺に唯一望んだのは『近寄らないでほしい』の言葉、切実な言葉。
 もう俺は彼方に触れる資格どこか視界に入る資格もなくなってしまった。全部自分がしたこと。
 自業自得……か。


「……もう二度、カナ……いや、羽鳥には、近寄らない。
……ごめん、なさい」

 心の底からの泣きながらの謝罪、そして宣言。それを聞いて見ているのは本当に謝りたい羽鳥ではなく、海原だけ。
 屈辱にも感じる、けれど聞いている人間がいるだけましなのかもしれない。なんとなくストンと素直にそう思えた。

「……海原も悪かった。羽鳥のこと……大事にしてくれ」
「当たり前じゃん」

 なんて即答されてやっぱりこいつは気に食わないな、と思う。
 だけど自分はなにも言えない、羽鳥彼方を名前で呼べるような関係でもなくなってしまったのだから。


「次大事な人できたらちゃんと誠実に向き合いなよ」


 公園を出るべく彼らの隣を横切ったと同時に海原はそういった。突き放しているようにも、慰めているようにも、活を入れているようにも聞こえた。

「……、ああ」

 自分の家までの帰り道を歩きながら、海原に言われた言葉をリピートを何度もしてようやく頷いた、今度こそ人知れずに。
 ……いつか、大事な人が俺に出来たとき、海原のように大事に愛せるようになりたい。
 そう思いながら居心地の良くない自宅の扉を開けた。


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