ゆめみる少年。


「……っは!?」
「お、やっと起きたっすか、ほっしーセンパイ!」

 瞼が自動的に開いて、視界が真っ暗闇であることに驚いてガバっと起き上がれば、目の前には安堵したように顔を緩ませる篠崎さんの姿があった。暗かったのは僕が机に突っ伏していたからであると寝起きの頭でも何となく分かった。それにしても、どうして篠崎さんが起きた僕にこんなに安心しているのか。

(……というか、僕は……バイトの途中だったのでは……!?)
「っすいません!バイト中に……!」

 もしかして、寝過ごしてしまったのでは。
焦って手元にあったスマホを手にとって時間を確認する。

「えっ……18時半……!!?」

 今日は普通番でフルタイムで入っていたはずで、13時から休憩で14時にはレジ打ちに戻らないといけなかったのに。18時なんて……もう上がって帰路についている頃じゃないか!仕事も半分しかしていないし!!やばいっ!
焦って現場に戻ろうとする僕を止めたのは顔色を赤くしたり青くしたりする様を見守っていた篠崎さんだった。

「大丈夫っすよ!俺から店長に言っておいたんで」
「えっ」
「休憩時間になって休憩室入るとほっしーセンパイが机に突っ伏してて、様子みたら気絶しているわけじゃなくて普通に寝息聞こえてきて気持ちよくおねんねしていたから起こすのも忍びないなあと思ってねーだから店長に最近なんだかお疲れ気味らしくて休憩室でダウン中でーすって、さっき休憩室で様子見たら死にそうなぐらい青白いお顔していたから休ませてあげてくださーいってお伝えしました!」
「て、店長はなんて……?」
「ん?確かに最近元気無さそうだったしいつも一生懸命やってるからいいよわかったよ休ませてあげてーって言ってましたよ!18時まで働いたことにしておくってですって!」
「ええええ……申し訳ない……僕が突然抜けて大変でしたよね……本当にすいません……」

 申し訳無さのあまり知らず識らずのうちに首が下へ下へとさがっていく。人数ギリギリで回していくシフト制の仕事のため、突然穴が出た場合はいる人達で頑張らなくてはならないのだ、居眠りしてしまっただけなのにこんなふうになるなんて。

「お気になさらず!店長と俺がほっしーセンパイの分までやらせていただきましたよー!いやあお腹ベッコベコです!」
(ペコペコじゃないんだ……)
内心そう突っ込みながらも軽口を叩ける身分でもないのでその言葉を飲み込んで、頭を下げる。もちろん後ほど店長にも下げなくては……。
「篠崎さんも、すいません。ちゃんと体調管理しないとだめですね……」
「いやいや、俺も突然ライブとかが入って急に休んじゃうことも多々ありますし、逆にほっしーセンパイのほうが迷惑かけてますし、このぐらい恩返しですよ!」

 確かに、篠崎さんは組まれたシフト通りになかなか行かず、1週間ぐらい前にライブやオーディションでバイトを代わってほしいとお願いされることもちょいちょいあった。もちろんどうしても体調的に無理だったり予定がはいっていたりするときは断ってしまうこともあるけれど……そのときは他の人に、それでも駄目だと店長が休日でも出勤してくれるのだ。突然のことへの対応に後日篠崎さんが頭を下げ店長は夢に向かっていくことはいいことだねえと笑っている光景を何度も見ている。今回もきっとあの穏やかな笑顔でいいよいいよと言ってくれたのだろう。……僕の場合は篠崎さんのようにちゃんとした理由はなく、本当にただの居眠りだったので、申し訳無さが際立った。

「店長には頭上がらないっすねえ」
「……そうですね……」
「あ、またなんかネガティブなこと考えてます?」
「え」
「ほっしーセンパイって結構顔に出ますよ。おれと夢の話をしているときも楽しそうだけどどこか影があるんすよ」
「そう、なの?」
「はい!やっぱり気づいてなかったんすねぇ。
まあ漫画を描くのってなかなか大変そうですし、しんどいこともありますよね。
いや、それは夢に向かっている人間はみんなそうなんですけどね。
絶好調なときってあんまり続かないっすし」

 自分のことを予想以上に知られていることにも驚いたけれど、うんうんと腕を組んで頷きながらその後に告げられた言葉に目を剥いて篠崎さんを凝視する。

「篠崎さんも、あるんですか」
「はい?」
「夢に向かっているとしんどいときって、絶好調なときが続かないときって、あるんですか」
 信じられない気持ちでそう問いかけた。心のどこかでそんなわけないだろうと突っ込んだけれどそれでも確かに今篠崎さんの口から『しんどいとき』は『みんなある』と言われた。みんなと簡単に言えるぐらいだから、もしかしたら篠崎さん本人もそう思ったことがあるのかもしれない、とつい聞いてしまったのだ。緊張に手に汗が滲んだ。不快に思われていないだろうか、お前と一緒にするなと言われてしまわないだろうか。そんな不安がよぎった。

「そりゃーねえ?ありますよ。
言っちゃえばそのしんどいときってもう現在の進行系っすよ?」

 僕の胃の痛みとは真逆に、篠崎さんは顔色ひとつ変えずにあっけらかんとうなずいて、さっくりと今もしんどいと自分の今の現状を吐露したのだ。目を見開き固まる僕に篠崎さんは苦笑いしながら、襟元をきゅっと握って目を閉じながら話してくれた。

「そりゃあ、俺は他の人と比べると結構ポジティブな方だと思いますよ。怒られたらその場で反省は確かにするけど引きずったりしないし、悲しくなることがあったら泣いてスッキリするタイプですし。学生のときなんて嫉妬することもよく分からなかった。だって俺は俺で他人は他人だとそう思えてたからなあ。……その時の俺は、ね。
でも、世界って広いもんで。
世界には俺なんかよりポジティブな人はたくさんいて、人を笑わせる天才もいっぱいいる。
学生のときは面白いと笑われることばかりだったのに、今ではつまらないと冷めた目で見られることが多くて。
笑われても失笑という俺が望んだものじゃない不本意なものばかりだ。
たまにだけどさ、俺がしていることが馬鹿らしくなるときもあるよ。
笑わせているのか、笑われているのか、よくわからないことも」

 いつも僕に話すときは酔っていても敬語を使用している篠崎さんが、話に集中し始めたのかタメ口になり、だんだんといつも明るく陽の気の塊にしか見えていなかった彼が梅雨のようなじっとりとした鬱々とした響きと陰りのある瞳へと変わっていくのが見て取れて、僕は驚くことしかできなかった。篠崎さんは。篠崎さんにも、そう思うことってあるんだ。僕の中の篠崎さんは逆境にも負けずなんだかんだと言いながら強く夢にしがみついて生きていける人間だと思ってた、思い込んでいた。でも、実際の篠崎さんは……時折自嘲して自分に呆れることもあるどこまでも人間だったんだ。
僕が、篠崎さんのきれいなところしか見えていなかっただけ。
自分が一番辛い人間だと思っていただけだった。
 暗くなった雰囲気に気が付いた篠崎さんは陰鬱な形をした笑みをカラッとしたものに反転させた。

「だからたまにほっしーセンパイ誘って飲みに行くんすよ。そしてやる気を奮い立たしてます!」
「あの、それは僕では役不足では……?」
「あ、その役不足って力不足の意味で使ってるんでしょうけど、実際は逆っすよ〜」
「え」
「振り当てられた役とか与えられた役目に不満を持つ意で使われるんで、お前なんかのやる気を奮い立たせたくなんかねえよ!て言っているのと同意義っすね〜。しのりん悲しみー」
「あっえ、す、すいません!僕そんなつもりじゃなくて……」
「うおっと!?ごめんなさい!ちょっと意地悪しちゃいました!ちゃんと伝わってますから!!」

 さーっと顔から血が引いているであろう僕を見て篠崎さんは慌てて土下座しようとする僕を止めようと椅子から立ち上がりこちらに駆け出してきた。
 その後少しだけ騒ぎになって店長が入ってきて妙な空気感になって、篠崎さんがほっしーセンパイを俺が送り届けてきます!とそう言って逃げるように僕の手を引いて休憩室を後にした。



「ふー……慌ただしくなっちゃいましたねえ」
「そうですね……」

 梅雨に入る前だからか少し蒸した暑さがじっとりと身体に張り付いてくる、それでもまだ朝は少し肌寒かったのでグレーのパーカーを着用していた。
袖をまくっているとふと気が付いた。
夢で見た昔の僕はこれを着ていたことに。
量販店で買ったどこにでも売っているようなパーカーだけどあれは間違いなくこのパーカーだったのだろう、だって僕は高校2年ぐらいのときからこれを持っていたし、何ならカーディガンを着るほどではないけれど微妙に肌寒いときにはカッターシャツの上にパーカーをまとっていた。そして夢の中の僕のようにフードを目深に被っていた記憶も、あった。なんか格好いいよねとか思っていたことも。
「……」
「ど、どうしたんすか、急にしゃがみこんで」
「いや、ちょっと黒歴史にぶん殴られて……」
 存在自体真っ黒に塗りつぶして消してしまいたいことを思い出してなんだか力が入らなくなってギョッとする篠崎さんに構わずついその場に膝を折ってしまった。
(黒歴史の具現化じゃん。夢のなかの僕って)
 恥ずかしくなるぐらいドン引きする過去である。あの行為だけは心から否定したい、何なら強風に煽られたときに風が泣いているとか心のなかで思ったことも連鎖して思い出していっそ今の僕がぶん殴ってしまいたくなった。
深くため息を吐いてやっと立ち上がったところで、心配そうにしていた篠崎さんが話しかけてきた。
「あ、ほっしーセンパイ。さっきの話の続きなんすけど」
「さっきの?」
「ほら、俺と飲みに一緒に行く相手が自分じゃ力不足じゃないかってところ」
「敬語はもういいですよ。……篠崎さんの話したいように話してください」
「……そうだなあ、もういいか」
 さっき敬語を外して話したのを聞いたせいか、妙な敬語を僕に使っている篠崎さんに違和感が拭えなくてもう使用しなくていいと伝えれば篠崎さんはもう今更かと気の抜けた、見慣れた人懐っこい笑顔じゃない、少し卑屈の混じっただけど柔らかさのある瞳で口角を上げた。

「星野は自分では力不足だと言ったけどさ。夢を見ているヤツのことや努力しているヤツのことを馬鹿にする輩が蔓延る世界じゃあ語れる人も限られてくる、そんななかで俺は同じよう夢を見ている人間に出会えて良かったな、と思う。
俺がお笑い芸人を志していると告げれば、『それなら笑わせてみろ』って何故か上から目線で命令されたり、そんなものになりたいのかと嘲笑われたり、有名になったとき用にサインくれだとか、そんなんばっかりだった。だからさ、星野みたいに俺のことを笑わずに茶化さないで真剣に話を聞いてくれる存在って有り難かった。それに漫画家を目指しているという、俺とは違うけど同じように夢を見ている人間を見ると俺も頑張ろうって思えるんだ、星野もいつも漫画のこと考えていて、努力を惜しまない人間なんだと思うと負けていられないって」
「そんなことない、です」

 僕は、篠崎さんの言葉を途中で否定した。突然遮られてどうしたのかと見つめられるのが耐えきれず、また俯いてしまう。ああ、どんな目で見られているのか想像するだけで嫌だな。
でも篠崎さんが言うほど僕は出来た人間じゃないんだってことだけは伝えないと、気が収まらない。

「僕は、努力できない人間です。ただ夢を見ているといえば格好がつくからとそう宣言しているだけで……僕は、自分の承認欲求のためだけに漫画を描いていました」

 生々しい夢のなかの僕を思い出しながら呟くように語る。

「僕は両親の心配を無視して、夢を追いかけるのが僕の一番の正解だと言い張って家を飛び出して、今日まで連絡一つよこさない親不孝者です。
周りの子よりも少し漫画を描ける、描けない子を見下して、漫画自体は面白くもないのにその描けるという価値しかない自分に酔いしれて心地よく夢を語るだけの愚か者です。
いつも誰かに嫉妬して誰かに評価されたいと心のなかで喚き散らしながらも、自ら行動に移すことも出来なくて勉強したりもしない他力本願な人間です。
ただ、漫画を描いているだけ。どうすれば面白くなるのかまで考えず、ただ描き殴って、それが誰の目に止まらないことに勝手に憤っているだけ。篠崎さんのように、否定されてもそれでも自らを売り込みに行ける強さを持っていない、ただ夢を追いかけている『気になっている』だけなんです。僕は」

 声の大きさは小さくなったり大きくなったりと不安定になってしまい、お世辞にも聞き取りやすいとはいえないだろうに、篠崎さんは無言で僕の懺悔と後悔にまみれたまるで呪詛のような言葉を聞いてくれた。真摯に向き合ってくれる篠崎さんから逃げたくなくて、恐ろしさを堪えながら顔を上げて震える唇を動かした。

「僕は、漫画家になるのが夢です。小さい頃から変わらない夢です。
本当に、そう思っていたんです。
だけど、さっきまで僕は忘れてしまっていたんです。漫画を描く楽しさを。
一番忘れてはいけないものを。僕は忘れたことにも気がつかなかったんです。
最初は手にもっていたはずなのに、忘れないと思っていたのに。
……純粋に夢見ていたあのころの僕を今の僕は否定してしまったんです。それは昔の僕を殺すことになることには気がつくこともなかったんです」

 今思えば、夢の中の僕は、僕の『夢そのもの』だったのかもしれない。僕に問いかけてきたのはきっと本当に根底にあったはずのものを思い出してほしかったから現れた、のかもしれない。若しくは僕が夢を諦めないようにと願望が形となって現れたのか、どうなのか分からない。あの夢の中の僕が何者かは分からない。今の僕も、分からない。
 どうすればあの頃の気持ちを思い出せるのだろうか、あの気持ちで漫画を描ける日が訪れるのだろうか。
そんな考えがぐるぐる頭にまわって、気持ち悪くなって、涙が零れそうになった。もう、いやだ。こんな自分なんて。くるしい、つらい、もう自分を自分をやめたい。自分のことを心の底から嫌いになりそうになった。

「それはそれで、いいんじゃないかな」
「え……?」

 ずっと話を聞いていた篠崎さんがポツリと溢れた言葉の意味が一瞬わからなかった。なんで否定されるべきものを肯定されたのか、わからなかった。呆気に取られている僕に篠崎さんは目を細めて諭すように話してくれた。

「星野はすごい自分を追い詰めているけど、仕方ないことだと思うよ。
夢を追いかけるってさ、辛いよな。いくら同士がいると言えど結局のところたった独りの戦いになるわけだし。身近にいる人間に理解されない、前までは理解してくれても後々俺の生き方を否定して普通になれと言われたりすることもある。それは、苦しいしさ。根底にあったはずのものもいろんな想いで忘れちまうのも、自然のことだと俺は思うんだよ」
「しのざき、さんも?」
「おう。心にもないこと言われるとイライラばかり募っていつか見返してやる!という気持ちばっかりが強くなって根底にあったはずの想いを忘れそうになることもある。
……みんなを笑わせたい、どん底にいる人間の希望になれるようなお笑い芸人になりたいっていうのが、俺の根底だ」
「そう、だったんですね。……篠崎さんは、忘れずにいられるの、すごいですね」
「たまに声に出してこうして誰かに話すんだよ。いろんなことをさ。
自分のことって案外すぐに忘れて見失っちまうものだから。
辛いことも苦しいことも楽しいことも嬉しいことも。すぐに強烈な思い出に塗りつぶされてしまう、脆いものだから。でも誰かに共有することで整理出来るんだよ、それでまた思い出せる。俺がお笑い芸人になった理由を。初心忘れるべからずって本当にその通りだよなあ……」

 先人の言葉って偉大だわ、と一言うなずいて呟いて、また僕に向き直る。

「それにさ、いろんな感情や経験を得たほうが心に響かせるかもしれないだろ?それが活かせる機会があるかもしれない、だから決して無駄なことなんて無い。それすらも漫画に生かすことが出来たら……格好いいよな」
「……」
「と、俺はおもいたいっすね!」
「篠崎さんのバイトのときのその口調って演技なんですか?」
「ご想像にお任せしまっす!」

 そういう篠崎さんはすっかりよく見慣れた人懐っこい雰囲気のゆるく僕にも敬語を使う『いつもの篠崎さん』に戻っていた。演技なのかそうじゃないのかはふわっとした答えでごまかされてしまった。

「で、俺がそういう共有したいなーと思う相手は俺の相方と、ほっしーセンパイでっす!ほっしーセンパイも遠慮なく俺にいってくださいね!愚痴でも漫画の相談でもなんでもうけつけるっすよ!」
「……そう、ですね。また忘れる前には、色々話したいです」
「そっすか!じゃあ早速ご飯でも行きましょ?俺の愚痴とか聞いてください!」

 適当な物言いだけど、篠崎さんはきっと真剣にそう言ってくれているのだろう。そして、僕のことを心配もしてくれている。こうしてお互いに支え合い夢に向かっていけるような関係が続いていけたらいいな。
……。

「僕と篠崎さんは」
「ん?」
「どっちが先に夢を叶えるんでしょうね」
「んーーーーー!わかんねっすね!あっじゃあさ、ちょっと競争しません?」
「競争?」
「俺が有名なお笑い芸人になるか、ほっしーセンパイが有名な漫画家になるか!」
「ええ……」
「お?自信ないっすか?まあ弱気発言してましたし?あの姿勢じゃあかなわないっすかねえ?」
「……いいましたね?」
「あらっ目がぎらっちしてるっすよ!これはハートに火がついた系っすね!お互いがんばりましょ!」

 小馬鹿にした言い方にイラッとしたのと同時に心に火が灯ったのを感じた。負けていられない、僕だって描きたいものはたくさんあるんだ。和風なものとかファンタジーなものとか恋愛ものとか、色々ある。今度もまた、賞に応募してもっと自分を売り込むんだ。少しでも自分が人の目につくように。そうすれば、誰かが僕の物語を面白いと言ってくれる人間が増えるだろうから。いろんな想いを宿しながら描いたそれはきっと、誰かに響く。そう信じている。考えるだけでワクワクする、ああ、そうだ。これだ、この感覚が……『楽しい』だ。
描けなくなる恐怖とどれだけ時間をかけて描こうと誰も見てくれない恐怖もあるけれど、それ以上に楽しみな自分がいた。
僕の表情が変わったことに気が付いた篠崎さんは満足そうに笑ってなにかを差し出してきた。

「そんなほっしーセンパイにこれあげまーす」
「?これは……?」
「球根」
「……、なんでこんなものを?」
「常連の奥様に何故かいただきました!2つ貰ったんでいっしょに育てましょ!」

 人に好かれるスキルが異様に高いせいか篠崎さんは色んなものを人からもらう。それはお菓子だったり飲み物だったりと無難なものが多いが、たまになんでそんなもの持っているのかと首をかしげるものを貰ったりする。……前は何故か製氷機貰ってたことをふと思い出しながら手渡された球根を見た。
 花に詳しくない僕が球根をいくら観察してもなにが咲くのか僕には分からなかった。
そういえば、夢の中で僕が植木鉢を割って乱雑に床にぶちまけた破片と土の隙間からむき出しになってしまった球根のことを思い出してぎゅうと胸が痛んだ。

ーーーちゃんと、育てるよ。もう僕は何からも逃げたりしないよ。ちゃんと、夢を追うよ。
どこまで頑張れるかわからないけれど、篠崎さんも僕も途中で折れてしまうかもしれないけれど、今はそのことを考えないで、頑張るよ。
僕が全力を出してやりきったあと、夢を叶えているのかそれとももういいかと感じるのかそのときにならないと分からないけれど、誰かから応援されないからとか誰かのことを嫉妬してしまったからとか誰かに評価されないからだとかもう、誰かを言い訳になんて使わないよ。
 自分のために、自分が描きたいから描いていることを忘れずに……新しく、いいや本当に夢を追いかけて現実に打ちひしがれ折れたりして、でも、たまにはこうして篠崎さんと共有して吐き出して、前を向く。
何度だって何度だって、立ち上がってみせるから。



「あ、この人の漫画知ってます?有名な方では無いんですけど、なんだか心にジンと来るんですよ!ほっしーセンパイの参考になるかと思って!」
「へえ……その人の名前は?」
「えっと……あ、『青野ハジメ』さんっすね!」
「……あの、それ、僕のハンドルネームです」
「…………え、まじで」



 今日も、これからも、僕は漫画を描きながら……生きるよ。
目を丸くした彼を見て、ああ、これからも頑張ろうと勇気を貰えた。
時間が経つ事に勇気はすぐに臆病に変わり、また何度も劣等感に苛まれて絶望したら……。
また、あのときの僕が問いかけてくれるかな。
夢叶えたそのときには、あのときの僕が望む世界が見えるかな。

とりあえず、明日は球根を育てるために土と植木鉢を買いに行こう。
深い青い色の少し良い植木鉢を。
……来週の休みまでに、両親に電話できるようにしたいな。

 ねっとりとした熱気がまとわりついてどんよりと雲が覆い月も見えない夜だったけれど、僕の心は晴れやかだった。



 僕はゆめみる少年。いつまで、夢を見続けて追いかけているか分からない少年。
 将来、夢を叶えているのか夢に破れているのかどうかわからない、どちらにしてもそのときには夢みる少年ではなくなっているだろう。
 夢の中の僕が言ったように出来ることなら叶えることができたら、と願う。
もしも努力が報われるそのときがきたとしても、もしも叶えられず志半ばで諦める選択をしたとしても。……後悔がないと言えなくても。
 やり切ったんだと夢の中の僕に胸張って言えるような僕でありたいんだ。

 それだけが『ゆめみる少年だった僕』のせめてもの手向けとなるだろう。


 そう信じて僕は今日も残酷な現実のなか、夢を見ながら生きている。
 いつか、ゆめみる少年じゃなくなるそのときまで。


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