ゆめみる少年。


 アニメや漫画が好きで、周りの子よりもちょっとだけ絵が上手くて少し漫画も描けるだけで、好奇心から僕のところに来る子も結構いた。すぐに僕から離れていく子もいれば何となく話が合ってその後も一緒にいることも増えた子だっている。
 僕は皆に漫画家になりたいと公言していたから、それも相まって『夢』を持っている子が僕の周りには多かった。僕と同じように漫画家を目指す子もいれば、イラストレーターになりたい、小説家になりたい、声優になりたい、俳優になりたい、僕の夢と少しだけ似ていてちょっと違う夢を持つ子もたくさんいた。僕はもちろん、道は違えど夢を追いかける同志だと思って全力で応援したし、彼らも応援してくれた。
そのときの応援だけは、心からの本音だったと今の僕は信じたい。
同じように夢を志す友達に囲まれてきたけれど、少しずつ少しずつ、僕のように親に色々言われるようになったのか教師に諭されたのか、自分自身の選択なのか定かではないけれど、僕のように公言する友達が減った。それとは逆に「そろそろ現実見たら?」と冷たく切られることが増えた。
『夢』を語ることは恥ずかしいことなのだと言われる。
何時までも『夢みる子ども』ではいられないのだと言う。
言われた意味を深く理解したら僕は自分が壊れてしまうと思ったので、あえて考えたりはしないで上辺だけ出言葉を受け取って曖昧に笑うだけにしたけれど、その言葉はみんなの心を深く抉って夢の話はこっそりするものになった。

 そんな感じで日々を過ごしていれば、いつの間にか、夢を追いかける子は片手で事足りるほどになって、ついには僕と同じ漫画家志望の男の子と美容師を目指す女の子だけになった。
僕が家を出ることはそのふたりにだけ話した、笑顔で「がんばって!」と応援してくれるふたりが眩しくて嬉しくて力いっぱいに頷いた。
漫画家志望の男の子はとりあえず大学に行くことを決めたけれど夢を諦めるつもりはないと宣言して美容師になりたい女の子は専門に入ることになって私だって!と張り合うようにしていたのを微笑ましく思いながら、落ち着いたら住所教えるからね、と笑って手を振ってふたりと別れた。
 結局のところ、ふたりに住所を教えることはなかった。
 ゴールデンウィークが明けて一人で生活することもバイトも落ち着いて出来るようになったから、やっと漫画家志望の子に連絡を取ったんだ。きっと僕からの連絡を待っていたに違いないとそう決めつけていた。今となってどれだけ自信過剰なのかと責めたい。
「えっと……誰だっけ?」
 ワクワクしながら久しぶりに友達との会話が出来るとワクワクしていた僕に対する彼の第一声。彼は今の今まで僕のことを忘れていたようだった、声が震えそうになるのを堪えて明るく卒業してすぐに家を飛び出した同級生であることと僕の名字を名乗った。ラインには僕の名前が書いてあるはずで、家出した直後にも連絡を取り合っていたのに、彼にとって僕の存在は数ヶ月で簡単に忘れられるものだなんて信じたくなかった。
「ああ、そういえばいたなー、なんだっけ、月野だったけ?」
「星野、だよ」
 信じたくないのに彼から発せられたとは到底思えぬほどの冷たい声が響いて胸を強く抉られた。優しくて力強い話し方をしていたのに、軽薄な雰囲気になっていたのが声だけでよく分かる。彼も時間にゆとりがあったのか何となく話は続いた。今どうしているか、という近況をお互いに話し始めた。大学のテニスサークルに入って一皮むけたらしくて、漫画を描くことよりも楽しいことや憧れの先輩に良くしてもらっていること、酒の美味しさを知ったことを得意げに話されて曖昧に笑ってそうなんだ、と返すことしか出来なかった。
お酒を飲んで良い年ではない、と突っ込む気にもなれなかったし、僕がどうこう言ったところで大人の世界に酔いしれている彼には僕の声は届かないことを何となく察してしまった。
 一通り彼が話し終えたのは1時間ぐらいしてから。僕はただ相槌を打つばかりだった。久しぶりの友達の会話だったのに妙に疲れてしまってこのぐらいでもう切ろうかな、と考え始めたところで「そっちはどうなん?」と軽く聞かれたので「バイトにも慣れて一人で暮らすのも楽しいと思えてきたところ、最近漫画を描く余裕がやっと出てきたところだからまた頑張ろとしているところだよ」と、僕が本当に話したいことを話せそうになって少しだけはずんだ気持ちでそう言おうとしたけれど、その前に彼が横入りするかのようにすっとさらに話しはじめる。

「あのさ、もしかしてまだ絵とか漫画を描くとかくだらないことに時間を費やしているん?そんなの時間の無駄じゃん、時間はさ!もっと有意義に使うものだよ!先輩も言ってたし!だったら人と関わったり飲み会にでもいったほうがいいって!」

 口が半端に開いた状態で固まった。くだらない、無駄だ、と彼は言い切った。
彼にとってはもう、そんなものでしかないのだ。
 さらにその彼の憧れの先輩の話になろうとして僕にとって欠片にも興味が無かったので、慌てて気になったことを聞いてみた。美容師を目指して専門学校に行った彼女はどうしているのか、と。
すると、先程まで饒舌だったのが嘘のように口ごもった。しばらく言い淀んだ後、気まずそうにつづけた。

「あまり、良い学校だったじゃなかったみたいでさ……ゴールデンウィークからずっと家に引きこもってるみたいだよ」

 そんな、予想もしていない返答だった。彼も噂程度にしか知らないみたいだけど、最近以前のような覇気もなくぼんやりと公園のベンチでしていたのを見かけたから多分本当だと思ってると言ったあと、人生を達観したように述べる。
「やっぱり夢をみるやつほど損するんだ。
少し漫画が描けるだけじゃ他の才能あるやつに埋もれるだけだから。
星野も自分を苦しめないためにもさ、みんなと同じように生きた方がいいぞ」
と、そう続けた。通話しているだけだから彼の表情は見えないけれどたぶん自嘲気味に笑っているのだろうと想像できた。彼の憧れているらしい先輩の素晴らしいお言葉よりもずっしりと重く僕の胸にのしかかってきた。
彼にも夢のことを貶すようになるなにかきっかけがあったのかもしれないという可能性が浮上したけれど、話したくないと拒絶されているような空気感にこれ以上踏み込めなかった。

 その後は会話もそこそこに切り上げた。また遊ぼう、連絡するなんて軽く約束したけれど、彼からの音沙汰は今現在も無い。僕からも連絡をとろうとは思わなかった。
彼女に連絡をとることは少しだけ考えたけれど、あんなに夢だった美容師になるための学校を辞めてしまったことそのことを彼女がどう思っているのか、少し想像しただけで怖くなって結局何も出来なかった。
 あの子も彼のように夢なんてと嗤うのだろうか、夢に敗れた者のように嘆くのだろうか、後悔するのだろうか、夢見た過去の自分すら恨むのだろうか恥じるのだろうか。考えたらキリがなく、けれどポジティブでは無いことは確実で、彼女の答えを知るのが怖くなった。
叶えたい夢があったはずのふたりがすっかり大人になってしまった(変わってしまった)ことが辛くなって。
 僕は考えることはおろか、彼に連絡をとったその日から今日まで忘れることにしていた。
 記憶からわざと除外して、僕は彼らのようになりたくなくて、狂ったように漫画を描き続けた。リアリティのない薄っぺらい正義と夢と愛を語る綺麗事ばかりの漫画は陳腐でつまらないものだと分かっていても、それでも描いた。あの日々を後悔したなんて思いたくなかった。思いたくなんかなかったのに。
(今の僕はなんだ、周りには誰もいない、独りぼっちで、結局今の自分に絶望して夢すら無い方が良かったのだとそう思うようになっている)
 もしも、ふたりが夢をそのままみていたのなら、応援しあえていたのなら、きっと違う未来があったはずなんだ。
取り戻したいのは、夢を応援して僕も応援したい友達だ、それが答えだと確信したのに。

目の前の彼のため息ではっきりしていたはずの確信はふんわりとしたものに変わってしまった。

「だからさ。僕が聞いているのは、無くしちゃったけれど取り戻したいものであって『なくしていないもの』ではないんだってばー」
「え……」
「ちゃんと質問されている意味、わかってる?」

 なくして、いないもの?いいや、確かに僕は失った。高校時代の互いの夢を応援しあう素晴らしい友達を。

「確かに漫画家志望の子と美容師志望の子は諦めちゃったから確かになくなったものであるけどさ。夢を応援してくれる友達自体はいるでしょ?」
「……だれのこと?」
「やだなあ、よく一緒に話す仲じゃないの。篠崎さんだよ」

 しのざきさん。一瞬誰のことか分からなかったけれど、僕の知っている『篠崎さん』はたった一人しか当てはまらない。明るい茶髪で見た目は軽そうなのに初めて彼女が出来たのは高校二年性で現在進行系でその関係は継続されたままな一途さと、年下の先輩である僕にも少々砕けているけれど敬語をしっかり使う、お笑い芸人を目指している篠崎さん。夢を目指している者同士で篠崎さんは僕の夢のことを、がんばれ!とエールをくれる。確かに、少年の言う通りよく話すしご飯だって行く仲ではある、けれど。

「ん?何か僕の言葉に異議があるみたいな顔してるね」
「だって、篠崎さんは……違うでしょ」
「なにが違うの?」
「……なにが、だろう」

 年上の後輩という接し方に困る立ち位置にいるせいだろうか、僕と真逆のタイプだからだろうか、そう言い訳がましく出てきた『理由』をポロポロ零す僕に少年は強い口調で言い放つ。


「漫画家になりたいと言いながらもまだ実力に達していないからとか設定を練ってからだとあれこれ理由を付けて漫画のひとつも完結させたことのない口ばっかりの男と、お客様との触れ合い喜ばれることを想像するばっかりで要望に応えるための努力がどれだけ苦労することなのか現実を見なかった女がずっと身近にいたんだもんね、理想の域を出ない夢ばかり語り合うのは気持ちいいもんね。
篠崎さんみたいに理想の夢を追いかけながらも今目の前の現実を直視して散々痛めつけられてもそれでも努力し続け、でもそれを自慢するでもなくきみの夢に対しても全力で応援してくれるような友達とは確かに違うね」

 言の刃は僕の胸に思いっきり深く深く突き立ててきた。かは、乾いた咳が出た。
 そうだ、彼と彼女と僕が話していた夢は、脳裏に描いていた『理想の自分』のことばかりで、それに見合う努力はまるでみえていなかったのだ。
 漫画家を目指すと言った彼は漫画を描く画力が追いついてからと言って設定ばかり練ってせいぜいプロットまでしか描かずにネームに着工したのは数えられる程度で、ちゃんと完成させた作品はゼロ。
 美容師を目指していると言った彼女は軽く要望に答えながらも楽しいトークも出来る素晴らしい美容師になりたいと語るばかりで、そのためにどうするのかという具体的な話をしたことはなかったのだ。

「きみはまあ口先だけ男と違って漫画を描き続けて一応完成もさせて、いろんなところに投稿はしているね。でも、マンガ大賞とかそういうのに応募はしていない。
自分を売り込むことはしないけれど、不特定多数の人たちに認めてもらいたい。
何ていうか他力本願が透けて見えるね?」
「……」

 ぐうの音も出なかった、知りたくなかったことを丁寧に丁寧に包装紙を剥がすかのように一言一句違わずに思い知らされた気分だった。
……ううん、違う。本当は気づいていたんだ。結局何も成果を出そうとしていない彼らを僕は見下していたこと。そして、僕自身彼らとよく似ていることを。
だからこそ、篠崎さんがとても輝いて見えた。
さるわんこそばの存在は周知されていない、知られていてもさるわんこそばってつまらない、という心無い感想ばかりなのに。楽しそうにまだまだこれからだ、伸びしろしかないな!と少し悔しそうにでもキラキラした瞳で笑って言ったあとには、この芸人の切り返しの素晴らしいところやこの空気感を見習いたいと貪欲に学んでいこうとする姿勢がすごかった。僕は、自分では努力した気になっていただけだと思い知らされた。

「まあ彼らは早い段階で諦めて良かったんじゃないかな?自分には才能があるんだと勘違いしてそのまま三十年四十年とずるずると同じことを続けて無益で無産な時間を無駄にするよりはさ?
結局夢を追い続けるってたまに孤独になることだし、同志が消えることもよくあること。
彼の言う通り才能のある人間に僕達のような凡人は埋もれてしまうものだし。
それでもなりたいんだと努力し続けた者だって夢を叶えられるのは本当にごく一部。
どっちが有益なのかは僕にはわからないなあ。
きみだって篠崎さんだってこれからのことはわからないじゃない?
むしろ諦めてしまう可能性のほうが高いでしょ?」

 少年の言葉のひとつひとつが刃になって刺さっていく。実際に傷口があるわけではないけれど張り裂けそうなほどに苦しくて痛くなった胸をぐっとおさえながら、これだけは否定しなくていけないと震える唇を何とか開いて言葉を吐き出した。

「諦めたりなんて、しないよ。篠崎さんも…………僕も、ぜったいに」
「うーんそれはどうかな?今この場にいない篠崎さんはともかく、今僕の目の前にいるきみは結構思い悩んでいるように僕には見えるけど、違うの?」

 やっとの思いで否と言えたのに、さらに問いかけてきた少年のそれは、もう否定できなかった。僕は、過去の僕のことを否定したのだから。どの口が諦めないなんて言えるんだろうか。
何も言えなくなってしまった。

「まあいいけどね。さてと、そろそろ答えにたどり着けるかな?きみの取り戻したいものはなあに?」

いつまでも何も言わなくなった僕に飽きたのか少年が話題をまた戻してきた。戻ってきたその問いかけに逃げ道が消えたような錯覚を覚える。
『逃さない』なんて、幻聴すら聞こえそうになるほどに。


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