3.先を生きる人。

 伊藤が帰ってきた15日、16日はいつも通りにバイトをしたあとゴンさんから『君に伝えたい』の漫画を借りて読み耽っていたらやっぱり途中で変に眠ってしまった。(俺にはこういうのはまだ早いらしい)
 その次の日、本日17日は国語の補修最終日だ。昨日いつの間にか夕方から夕ご飯の時間になるまで伊藤の部屋で眠ってしまって、夜自分の家では暑さのせいもあってなかなか寝付けず、何とか一応眠れたけれど目覚ましの音で起きると妙にかったるく頭も重くて眠くて仕方がない。
(ねむ……)
 眠気眼で目を擦りながら学校に行く準備をしてまだ午前中なのに雲ひとつない青空に輝く太陽を恨めしげに手で目を守りながら見つめ、重い足取りで駅まで歩いた。

(もういい加減、読むの諦めるべきかな……)

 どうしても『きみにつたえたい』を読むと眠くなって気付かないうちに寝てしまって夜眠れないを繰り返している、今後もそんなことを繰り返してしまえば日常生活に支障が出る。ただでさえ夏休みで起床時間がバラバラになってしまっているのに。
 伊藤もメールで聞いてみると鷲尾もちゃんと読んでいるのに俺だけが読めないのがなんとなく悔しくて読み続けてみたけれど、ちゃんと睡眠時間を確保して読んでみてもいつの間にか眠ってしまう。
 それを見た伊藤にも「寝る前に読んだ方がいいんじゃね?」と言われてしまった。確かに暇を見て読むよりいっそ開き直って眠る前に読むのがいいかもしれない。……そうなると改めて読もうとするときどこまで読んだか確認しないといけないがしょうがない。伊藤はちゃんとゴンさんから借りた漫画版も読み終えてついでだからと俺が買った小説版を読み始めたところだ。なんでそう夢中になって読めるのだろうか……ちょっとした疎外感を味わう。
 恋愛系の小説や漫画でさえこうなのだから映画は完全に寝てしまうから辞めておいた方がいいか……。でももう一冊の動物感動系はちゃんと最後まで読めたし、漫画だって前々から読めていたからたぶん恋愛系以外は大丈夫そう。
 ちなみに伊藤は『きみとぼくのものがたり』を読みながら鼻を啜ってた。絶対に泣いていたけれど本人は否定してた、別に泣いたっていいのにな。良いストレス発散になるらしいし、と思うが決して顔を見せてくれず覗き込むのは諦めた。

「イッチ!おっは〜!!」
「……っ吉田、か。おはよう」

 ぼーっとしながら駅から学校までの道を歩いていると突然声とともに後ろから衝撃が走って驚くが、その声の正体がすぐに分かって振り返り俺より少し低いそのにこやかな笑顔を見下ろしながら挨拶を返した。
「やー久しぶりだね!!」
「……そういえば、そうだな」
 メールでちょこちょこやり取りはしていたものの実際久しぶりだ。叶野も湖越も家族と出かけたりしていて会っていないのでこのにぎやかな感じも結構久しぶりだ。伊藤や鷲尾とは遊びに行ってもこう騒がしいことはほぼ無い、静かな空気感も好きだけど、にぎやかなのも好きだ。
「今度さ〜ピアス開けようと思っててさ!」
「……どこに?」
「最初は無難に耳たぶかなっ!最終的には唇かな〜」
 吉田が、ピアス。健全で活発な印象が強いせいか開けようとするイメージが沸かない。
「……いくつ開けるつもりなんだ?」
「え?うーん、全部で5,6個ぐらいかな?両耳と唇に開けたいんだよ〜」
「そうか」
 等壱さんぐらい開けるのかと想像していたので、その予想範囲内の答えにホッとする。もしも吉田がそのぐらい開けたいと言うのなら否定するつもりはないが。
「……イッチは、何も聞かないんだね」
 胸を撫で下ろしていると突然そう静かに言われて、一瞬何のことなのか分からなかったがすぐに思い至った。
(あの花火大会のこと、か)
 忘れていたわけでない、むしろ理由はすぐにでも聞きたいぐらいだ。だけど……。
「……吉田が言いたくないなら、無理に聞くこともないか、と」
 もう少し間違えればかなりの騒ぎになってしまったかもしれないことであったし、普段の吉田とまったく違ったこと湖越への態度が違うのかとか、何故か梶井が帰った瞬間に湖越が怒ったのかとか、色々と謎が多く聞きたいことは沢山あるけれど、吉田が言いたくなければ無理に聞くこともないかとも思ったから。
 落ち着いた吉田が今度細かく話すね、とは言ってくれたけれどだからといってこの場で問い詰めるのも違う気がして。
「でも、俺はちゃんと知りたいから。吉田が言いたくなったら、言ってほしい」
 きっと説明する言葉を選ぶ時間も必要だろうし、準備が出来たときに説明してくれれば、と思ったのである。
「……ん〜〜!イッチ優しすぎない!?」
「や、そんなことないだろ。気にならないわけじゃないから、説明はしてほしいとは思ってるし」
 ここで何も気にしていないとかそういうことを言えたなら吉田も気が楽になるのかもしれないと想像出来るのにそれをしようという選択をしない俺はそこまで優しい人間ではない、と思う。
「そういうんじゃなくて……、あーいや、おれも切り出そうとは思ってたの。でもタイミングってつかめなくてさぁ……」
「そうなのか、無理はしなくていいから……」
「駄目なのよっここはちょっとは無理にでも説明しないといけないところなの!引き下がらないで!」
「わ、わかった」
 気遣ったつもりだったが逆効果だったらしい。……でも、無理にでも言わないといけないという気持ちは分かる。俺も初めて本心を伊藤にさらけ出すのがとても怖かった、だけど伝えたくなってしまった、伝えないといけない、と思ったから。『無理しなくていい』という言葉は気遣っているというのならよく聞こえるけれど……悪く言うと甘やかしている、のかもしれない。
 気遣うのも心からの本心だけどそれと同時に吉田が傷ついているのを見たくないという俺の『偽善』にもなりうる言葉なんだと気付く。追い詰めてしまうことが怖くて、つい俺が逃げようとしてしまっているのかもしれない、無意識に。……言葉って、難しい。
 言葉だけだと相手の言っている言葉が本心なのかも分からないし、そもそも自分の言葉すら『本当』なのかも俺には判断つかない。
 俺の言った『無理はしないで』の言葉は人によっては『これ以上俺を巻き込まないで』という突き放しの言葉にも聞こえてしまうんだ、俺が思っていることはそういうわけじゃない。

「……なら、今日教えて」
「え?」
 追い詰めてしまうかもしれない言葉、だけど吉田がたった今『引き下がらないで』と言った。勢いで言ってしまっただけかもしれない。でも、そう言うのなら。吉田が少し無理をしてでも説明したいという覚悟を決めているのだとするのなら、俺は気遣いと善意と偽善の混じった言葉はもう吐かない。
「吉田が湖越のことをどう思っているのかどうかを、祭りのあの日になんでああなったのかも、教えてほしい」
 まっさらな俺の本心だけを伝えた。気遣いとかそういうのをすべて取っ払って、聞きたいことだけを言った。真夏の朝、どこからか蝉の声の鳴る中のアスファルトの上、しばらく吉田は立ち止まってじっと俺の顔を見た。
俺も立ち止まってその大きくて少し釣り目のその瞳を見返した。
「……うん、わかった!」
 いつも通りの大きくて元気な声で、でもキリッとした覚悟を決めた真剣な瞳でうなずいていたのでいつもよりも男らしい吉田がそこにいた。
「……俺も、覚悟決めないと」
「え?何か言った?」
「ううん。……なんでもない」

 ほんの少しだけ吉田と自分に嘘をつく。吉田はしばらく首を傾げ俺の様子を伺っていたけれど、俺が何も話す気がないことを察して「まあいっか!さあ最後のほしゅーいきまっしょー!」と明るく言ってくれた。


「……うん時間になったね、最後の補修お疲れ様。次に会えるのは3日後の登校日だね、来ないと欠席扱いになるからね。短時間だからってサボらないでちゃんと来てね?」
 最後の補修もいつも通り吉田と俺だけで、いつも通り普通に終わった。
「はい」
「わかった!ちゃんと吉田は来たよーてすぐるせんせーに報告しに行くね!」
 俺と違って他クラスである吉田がハイハイ!と手を上げながら岬先生にそう言うと、一瞬きょとんとした表情をしたあとクスクスと優しく笑う。
「五十嵐先生に確認取るから大丈夫だよ」
「そっか!たつみせんせーと仲良しだもんね〜!じゃあたつみせんせにおれのことちゃんと伝えてね〜て念押しする!」
「あはは、じゃあ五十嵐先生からの報告楽しみにしようかな。じゃあ、今日はこれでお終い。お疲れ様」
「ありがとう、ございました」
「いえいえ、こちらこそ。じゃあさようなら」
「さようなら。」
「バイバーイ!」

 会話を終えて岬先生は一足先に教室を出ていった。

「……よっしゃ!イッチ行こう!」
「わかった」

 やる気に溢れた吉田が椅子を倒しそうな勢いで立ち上がる。俺は携帯電話を確認しながらゆっくり立つ。
 先を歩く吉田はやっぱり前向きで明るくて、彼を前にするとギラギラした太陽を目にするかのように酷く眩しくてたまらない。
(……どんな俺でもきっと吉田も『俺』と言ってくれるんだろうな)

――たとえ、今の俺が消えてしまったとしても。

 ポケットに入れていた携帯電話が振動した気がしてまた取り出し確認する。そこにはすでに俺の隣にいるのが当然となってしまった、親友の名前。

(伊藤も、そうなんだろうな)

 なぜだか、悲しい気持ちになった。

――――

 イッチにお願いしてすずたんを呼び出してもらった。おれとしてはダメ元のつもりだったんだけど、ちょうどおひるいっしょに食べようって約束してたんだって!やっぱりなかよしだよねぇ。
「あとなんだろうね〜」
「ここは、あーさっき見つけたところだわ」
「……うーん?」
「お待たせしました、こちらドリアと明太ドリアとナポリタン、マルゲリータピザでございます」
 料理が運ばれる待ち時間の間、席においてあった間違い探しの存在に気づいて暇つぶしにやっていたらあっという間に料理が来た、うーん!後一個だったんだけどなぁ!5つのうち4つは見つけられたのに、あとはどこをどう見ても間違っているところが無くてみんなで首をかしげたところ。少し悔しいけれど、食欲をそそる匂いにはたえられないよね!ただでさえおなかペコペコだったんだもん!
「はーい!」
 さっと間違い探しをどけて場所を開けた。お姉さんはベテランさんのようでテキパキと手際よく置いて「ごゆっくりどうぞ」と軽く頭を下げてテーブルから去っていく、それを見送りつつ運ばれてきた料理に目を向ける。
「いただきます!」
「いただきます」
「……いただきます」
 みんなで手を合わせて食べ始める。
「あっピザ切っちゃうね〜!大きさ違っても文句はなしよ!」
 食べざかりの男子高校生だしどうせ一品じゃ足らないべ、とすずたんのお言葉により3人でピザを分けようと決めた。
 おれピザ切るこののこぎりっぽいやつ何か好き!いつもおれが率先して切りに行くんだけど、ちゃんと測っているわけでもないのでまあ小さいやつと大きいやつやらでバラバラの大きさになっちゃってる。ここで普段いっしょにいく奴らだと止められるか大きさバラバラなのをめちゃくちゃにいじられるかのどちらかなんだけど。(別に嫌なわけじゃないけどね、なんて言われようとピザを切る役は譲らないけどね!)
「もう切ってんじゃねえか、まあいいけどよ」
「切ってくれてありがとう」
 2人は大きさバラバラのピザを手にとって普通に食べ始めてしまった。……何も言われないのも悲しいので、自分でつっこんでみよう!
「大きさバラバラなのはノータッチなのん?」
「俺よりは全然上手だと思う」
「あー……まあ、ああ」
イッチから素早くかつ落ち込んだように反応がかえってきた!しかもすずたんが曖昧にしながらもうなずいてはる!
「えっすずたんが否定しないレベルって何なのよー!」
「お前俺のことなんだと思ってんだ……?」
「イッチ大好き人間だね!」
「ぶっ!てめっ」
「やーん!ぼうりょくはんたーい!さあ食べまっしょい!!」
 掴みかかってきそうな雰囲気を察してもぐもぐタイムへ持ち込む。イッチはすでに明太ドリアに夢中になっていてもぐもぐしている、さっきの聞いてなかったっぽい?隣にイッチがいるからか舌打ちしながらも、ナポリタンをフォークに巻きつけ始めるすずたん。おれも食べよっと!ご飯食べたら話さないといけないことがいっぱいだからね!!体力付けなくちゃ!

「よっし!食べ終えてお皿もお片付けもしてもらって、飲み物も新しくいれなおしたばっかり!長話の準備は整いましたー!!」
「元気だな……」
「元気なのがおれの取り柄ですしおすし。さてさてどこからはなそっかな〜」
 あ、そういえばおれがのぶちゃんと仲良くなりたいんだな〜ていう話をイッチにはしたけれど、他のみんなには話してなかったね!そこからお話してまいりましょう!
「おれね、のぶちゃんと仲良くなりたいのよ〜」
「梶井と?」
「うむ!」
「なんでそんなふんぞり返って偉そうにしてんだよ」
 すずたんがおれに呆れたように突っ込んでくるけど、まあスルーしまっす!!
 言葉にするよりもこれ見てもらったほうがはやいからね!そう思いながらかばんのなかを気持ちひっくり返そうとする気持ちでガサガサと携帯電話を取り出す。そして操作してすずたんの目に突っ込む勢いで画面を突き出す。

「ほらほら!これ見てみ!」
「ちょ、ちけえ、近すぎ、逆に見えねえって、」

 すずたんは突然映し出された画面とその距離に驚きながらおれの手首を掴んで少し遠ざけて、画面全体をじっと見て、それを確認出来たと同時に目を見開く。

「これ、梶井か?」

 前にイッチにも見せた、入学してすぐ一緒にのぶちゃんと撮った写メ。この画面にいるのぶちゃんは、綺麗な作り笑顔でも泣きそうなのに強がって笑っているわけでも最近の沈んだ顔とも違う、おれとの距離感を計りかねているみたいでカメラに向けるその目は頼りなくて、困っているように眉を下げていていつもののぶちゃんがどこへやら、この写真ののぶちゃんはどこか気弱なイメージが出来上がる。
 ふふん!すずたんはこの守ってあげたくなるのぶちゃんを見たことないでしょ!おれも最近全然見れていないけれど!そもそも避けられているけれども!おれはめげませんがねっ!!

「うん!おれねぇ、のぶちゃんにもう一度会いたいの」

 おれにどう対応するか困っているけれど、どこか嬉しそうに頬がかすかに赤くなっている、そんな少し不器用な……ほんとうののぶちゃんに、おれはまた会いたい。
 今ののぶちゃんのことをおれは嫌いじゃないけれど見ていてとてもいたいたしいの。いつかどこかおれの手が届かないはるか遠くへと、おれのことを見ないでいってしまいそうな気がして。

「でもどうすれば会えるか正直わかんない、ならばのぶちゃんと絶対に仲良くなれるであろうイッチが今回の夏祭りで仲良しになれればあののぶちゃんを見れるかも!と思い至りあの計画に至りました」
「急にかしこまるな。そしてどこに透と梶井が仲良くなる可能性を見出したんだよ?」
「勘!!」
「だからなんで偉そうなんだよ」
「……夏祭りで合流しようと言ったのは俺なんだ」
「……まあ、透も計画には合意だったからこれ以上は聞かねえよ」

 すずたんが寛容で助かるね!イッチ限定だけどね!やっぱりイッチが来る前よりも雰囲気が柔らかくなったなぁ、触れるものみな傷つける的な空気を出していたあのときが少し懐かしい、でも今のほうがいいね!すずたん的にもイッチ的にも。
「……で?」
「うん?」
 ストローを加えたまますずたんに首を傾げる。あれ?話まだなんかあったけ?きっとさぞおれは間抜けな顔をしていたのでしょう、すずたんはおれの顔を見てながーいため息を吐く。きっとイッチが俺と同じような表情してたら甘い顔するんでしょうね!うふふふふ!
「なんで肝試しのとき、なんで湖越と言い争っていたのかが一番聞きてえところなんだが」
「あっそうだったね!ごめーん!」
 普通に忘れてた!のぶちゃんの写真見せて何か満足しちゃってた!ごまかそうとかそういうのではなく、本当に!純粋に!!忘れてましたぁ!!!おれからちゃんと説明したいとそう言い出したのにこの体たらく、申し訳ない!!
 素直に謝って手を合わせるとまたため息、今日めっちゃ息吐かれちゃってる〜……ごめんね〜……。

「あー、まあいい。教えてくれよ、透にもまだ説明してねえんだろ?」
「うん。そうね、どう話すべき、かな〜……」

 話したいと言い出したのは自分ではあるけれど、具体的にどう話すまでは考えてなかったことに今気付く。どうしようかなぁ〜……。うーん、と悩んでいるとイッチが小さく手を挙げて「1つ聞きたいのだけれど」とポツリ。
どうしたんだろう?と首を傾げて続きを促す。

「……吉田は」
「なぁにイッチ?」
「なんで、湖越のことだけはそういうニックネームで呼ばないんだ?」

 そう問うイッチは無表情だ。それは今に限った話ではなくて図書室で初めて会ったときから今に至るまで基本的に無表情で口数も少ない系男子だ、まあ主にすずたん関連のこととなると少し緩くなるけどね!怒っているときも嬉しいときもイッチは雰囲気こそ変われど無表情、そして今もイッチは無表情。気になっていることをただ聞いたって感じだった。いつも通りのイッチ。そんなイッチに何故か安心してしまった。
(……あ、おれ自身が罪悪感があったのね)
 湖越に対して。ひとりにだけ態度を変えているおれ自身が知らず知らずにダメージがあったみたいだ。驚きながらも納得する。
――だって、おれ初めてしたもん。人によって態度を変える、てことをしたのを。
 おれのことをほんとうにばかだなぁて呆れた目をされても大丈夫、ばかっぽいのは演技なんじゃないかって言われても大丈夫、将来役者になりたいなんてばかみたいな夢おいかけていないで現実みろと言われても大丈夫、おれのことをばかにする声はいつものことで、それは本当のことだってわかってたから。
 本当の友だちやりなちゃんをバカにされたら怒るけれどちゃんとおれなりの理由のあってのことでおれなりに納得のいく理由で怒ってる、りなちゃんたちにはもっと自分を大事にしてって怒られちゃうこともあるけれど、りなちゃんたちをさげすむ声のほうがおれはいや。それにおれ自身ばかにする声はほんとうに強がりさんじゃなくて、ほんとうにきにしていないから大丈夫。
 ……今回、湖越に冷たくしていたのはおれ自身の意志でやったことなのに、自分自身は納得してなかったんだ。湖越の何の話を聞かずにそう冷たくしていることに。後悔はしていないし間違ったことはしていない、自分の心のままに行動している、だけどもやもやしてた。

 だから、イッチが湖越に対してだけ呼び名を変えないのかといつも通りの無表情で聞かれたとき、その瞳に軽蔑や怒りや失望の色が無くて、どこまでも『普段通り』のイッチが『純粋』に聞いている、そのことにおれは勝手にひどく安心する。

――やっぱりね、イッチは不思議なひとだね。冷たいように見えるどこまでも澄んだ無表情は、穏やかに受け入れる美しく澄んだ優しいものに見えるんだ。

 そんなイッチだから……きっとのぶちゃんと仲良くなれる。そう思うんだ。少しだけのぶちゃんと距離が縮まらないことにあせっていて、それで計画はかなりの急ピッチで粗ばかりで、みんなにめいわくかけちゃったんだけれど。けれどイッチはおれのしたことを理由を聞かず責め立てたりしない、荒ぶる感情を抑えているとかではなくただ心配している、そんな無表情で優しいイッチ。
――ああ、そっか。

(おれはイッチのこと信頼してたんだね)

 なんだか妙に腑に落ちた気持ち。なんでこう思ったのかわからないけれど、優しくて穏やかででも間違ったことは嫌いで気になったことがあればそっと伺うように聞いてくれる、おれにとってイッチは『先生』のような感じだったんだ、先生よりももっと近い同級生だけど頼りたくなる優しいひと。うん、なにもこわくないね。
 無意識に自分でも納得できていないことを話すことに怯えていたおれは、じっとおれのようすを伺ってくる優しいふたりの目をまっすぐ見つめて理由をようやく話すことが出来た。

 おれが湖越だけをニックネームで呼ばないのは、すべては『入学当初』に出会ったのぶちゃんから『今の』のぶちゃんへ豹変したことからつながっていることから始まっていた。

――――

「……あんな理由があったんだな」

 伊藤がとなりにいる俺にすら聞こえるか聞こえない呟くようにそう言ったのを何とか聞き取る。俺は少し反応に困った後、ただ頷いた。
 昼にファミレスに入ったのにいつの間にか16時ぐらいになっていた、吉田は時間を見てハッと「ごめん!これからバイトなんす!あ、このことはおれからちゃんとかっちゃんとのぞみーるに話すからね!時間いただきましてありがとうございます〜」と、その先程までの少し重たい空気がウソのようにいつもようにカラッと笑って自分の分のお金をテーブルに置いて駆け足で去っていった。気分としては嵐に見舞われた気持ちになった。
 だってこの前に話していたことは、少し重たい話だったから。去っていった吉田の言葉をちゃんと飲み込む前に当の本人はさっさとこの場を後にしたのだ、俺だけではなく隣にいた伊藤も少し混乱していたようで「なんで最後だけ畏まるんだ」とこの場に合わない突っ込みを呟いたのである。


 今、伊藤との帰り道で吉田が教えてくれた『湖越をニックネームで呼ばない理由と夏祭りの出来事の発端』を二人で話し合って自分たちなりに飲み込もう、そうお互いには口には出さないがなんとなく互いがそう思っていることにうっすら気付いて口を開ける。

「吉田は、よく話してくれたな」
「そうだな……あいつ最初から塞ぎ込んでいたみてえだったけど、透が質問してからはすらすら話してくれたな」
「塞ぎ込んでいた、か?」
「勘だけどなあ。たぶん」

 俺から見た吉田はいつも通りに見えたが、伊藤がそういうのならきっとそうなんだろうな。でも確かに俺が前々から気になっていたことを聞いてみると言い淀んでいたのが嘘のように、吹っ切れたのか分からないが清々しく全部教えてくれた。吉田が言ったことを思い返す。



『おれが湖越をニックネームで呼ばないのは、おれが湖越を許せないからかな』

 普段の吉田を知っていると今目の前にいる吉田は随分と辛辣で、でも辛辣なことを言っているその表情はへにょと眉を下げていて怒られるのを待っている子どものようで少し混乱する。吉田は続ける。
『のぶちゃんは入学してからずーっと湖越に何か言いたげに視線を送ってたんだよ。おれ入学式からのぶちゃんといっしょにいたから直接聞いたことないけどさみしそうなの知ってたんだ、でね、ついに決意したのか話しかけたっぽいんだけど……元々さみしそうにしていたのがさらに絶望感を漂わせながら教室に戻ってきて……、その日おれ声かけられなかった。その次の日からだったなぁ、教室に来なくなって……4月終わり、壊れた笑顔ですずたんを巻き込んだ事件を起こしたんだ』
と。さらに吉田は続けた。悲しそうに目を伏せながら。
『きっと湖越が何か酷いことを言ったんだ、て、そう思った。もうおれが話しかけてもあの笑顔でうけこたえされてさけられちゃう。おれはもう一度不器用な表情をするのぶちゃんに会いたい。夏祭りはちゃんとのぶちゃんとのことを湖越に聞くチャンスだ、そう思った……んだけど……』
『拒否、されたんだよな』
 徐々に尻すぼみしていく吉田に俺から結論を出した、一応は問いかけるという形は保ったものの、あの夏祭りのときの二人を目撃しているのを見て順調だった、と答えを出すものはいないだろう。それに俺らは鷲尾から話を聞いていたから少しだけ知っている。
ややあってうん、と肯定される。
『お前には関係ない、て言われてね。それでついカッとなって……ああなっちゃった。ニックネームで呼ばないのはおれのなかで湖越は友人ではなくて、おれの友だちを傷付けたヤツだから、ていう自分勝手な理由なんだ』

 ごめんね。

 申し訳無さそうに眉を下げて謝られた。湖越をニックネームで呼ばないのは吉田の線引きだったようだ。そうか、吉田も梶井と湖越が過去同じ小学校で同じクラスだったということを夏祭り地点で知らなかったのか。否、確かに俺に計画のことを持ち出したときも梶井の過去を何も知らないと言っていた、そうだった。
 俺はそれにどう返していいのか分からなかった、話も聞かずに湖越を冷たくする吉田に対して湖越とはそれなりの仲を築いていると思っている俺としては思うところがないわけがない、だけど実際湖越は梶井と何かしらの関係があるというのは俺も屋上での1件があるため感じている、だが第三者である吉田が梶井とのことを聞いても拒否されたとなると俺から聞いても答えてくれないだろう、湖越と親友である叶野もちゃんとは知らない。
『あの後のぞみーるから連絡が着て……イッチたちも知ってるよね?』
『ああ……』
 湖越と梶井は湖越が叶野が通う小学校に転校してくる前まで一番の仲の良い『友だち』で……二人は同じ高校に入学したにも関わらず、叶野も知らぬ間に会っていて…『もう俺の知っている信人じゃなくなった』と言って意気消沈していた、とも。吉田の問いに頷くとクシャ、と顔を悲しそうにも悔しそうにも歪めた。

『何がちがうんだよ、そりゃおれは今ののぶちゃんしか知らなくて小学校のときののぶちゃんがどんな感じなのかわからないけど……、今ののぶちゃんをもっと見てくれたっていいじゃん、過去に囚われないで、今ののぶちゃんを見るのはだめなのかな……』

 そう言ってぐっと手を握りしめて唇を噛みしめる吉田に対して俺は言葉が出なかった。『過去に囚われないで』その言葉が頭に重く、ずしりと伸し掛かってくる。
 過去に囚われない、それが出来たらどれだけ、楽なことなのだろうか。ああ、ちがう。分かってる、吉田は俺のことを指している訳じゃないし吉田も梶井のことで本気で悩んでいてやっと聞き出せると思ったら湖越に拒否されて、過去の梶井を求める湖越に対して過去よりも今を見てほしいとそう言いたいんだと、そう分かってる。分かってるのに。
(過去に囚われているのはそんなに悪いこと、なのか)
 そんな言葉で喉までせり上がってくる。何とか飲み込むけれど、油断すると凹んでいる吉田をさらに責めてしまいそうになる自分に気付いて口を閉ざす。そんな俺のことを伊藤は痛々しそうに見ていたことには気付かなかった。

『……それぞれ譲れないこともある、俺もずっと過去に囚われきたってことになるし、そう言われちまうとその過去に囚われていた期間が無駄だと言われてる気分になってくるな』
『あっ……ちがうっちがうんだよ、』
『分かってるさ、お前がそんなつもりで言ったわけじゃねえのは。とにかくあまり周りが騒いだらあいつの場合意固地になっていきそうだし、少し様子を見たほうがいいかもな』
『そうだねぇ……今回で充分わかったよ、うん、とりあえず来月はおとなしくしまっす。……傷つけるようなこと言ってごめんね。すずたん、イッチ』

 伊藤はそれとなく咎めると、吉田は落ち込んで下を向いて伊藤だけではなく俺にも謝った。伊藤が譲れないことがあると言った際顔を上げて伊藤を見たとき隣にいた俺のことも見てしまったんだろう、きっと酷く情けない顔をしていたに違いない。


「……でもね、最近のぶちゃん前ののぶちゃんみたいになったんだ。だからお祭りに連れて行くことができたんだよ」


 ここで一回話が終わり吉田が携帯電話を確認するとバイトの時間になって解散となったのである。カラッとしているのは吉田のいいところではあるが、いかんせん切り替えが早すぎでついていけなかった。
 役者を目指している彼なのでそういうのもきっと大事なんだろう、うん、向いている気がする。一人で勝手に納得して、ふと思い至る。

「梶井は先に帰った、と言ったときなんであんなに湖越、怒ってたんだ?」

 夏祭り、その場が収まったときすでにこの場にいない梶井が急用が出来たと言ったとき、何故か湖越の苛立ちの矛先が俺へと向かって……ああ、あまり言われたことは思い出さないようにしよう、悲しくなる。
 俺も湖越の事情を知らずに感情的になってしまったのも良くなかったのだから。それよりも、だ。あれだけ梶井の話題すら避けて吉田に聞かれてもそれを断固として拒否していたにも関わらず、急用が出来たと言って帰っていく梶井を何故引き止めなかったのかと詰られたことが今考えても不思議で矛盾している、それだけは冷静になって思い返しても覆せないこと。
 俺が首を傾げると伊藤もあのときのことを思い出してか眉間に皺を寄せる。

「あの態度を見る限りでは湖越も完全に梶井を割り切っているわけではねえよな……あからさまに聞かれたくなさそうに透が言われたくないことをわざわざ言葉にして、ごまかそうとしたぐらいだし……あーこのことだけは湖越も本心じゃなかったにしてもやっぱりイライラするな……」
「……正直、俺は何も言い返せない」
 記憶喪失にも関わらず何も責めずに変わらず親友として過ごしてくれる伊藤に、もちろん感謝してる、でも客観的に見てやはり俺は酷い人間だと思う。
 伊藤のことを忘れてしまったと言ったあの日だって、俺は責められることを前提にそう告げたのに。なのに目の前の逞しい男はそんな自分すらも受け入れてくれた、でも俺は何も返せない。
 落ち込んでいる俺にも伊藤は変わらず優しい、今だって「んなことねえよ」と否定してくれる。
 俺は伊藤が否定すると分かっているから落ち込んでいるとまでは言わないけれど訳では無いけど、落ち込んでいることを伊藤が否定してくると安堵している、それと同時にまたさらに自分の嫌なところが増えた気がして何とも言えない気持ちになる。

「透が言わなくなるまでずっと否定するからな」

 言外に何回でもそうしていても良いと言われた。何度でも同じ言葉で返してくれる、と。
 ……いっそ、記憶を思い出す方が早いのに。鬱陶しいだろう、何回も同じことでうじうじしているくせして安全なところから出て行こうとしない俺なんて。少なくとも俺は俺が面倒だと思う。
 それでも伊藤は記憶に関することに口を出さない。
 むねがいたくて仕方がなくて、ぎゅっとワイシャツポケットごと握りしめた。夏の16時過ぎ、日暮れはまだ遠く太陽は未だ輝いていて、目が痛くなった。そんな俺の隣を無言で当然のように歩いている伊藤は、太陽と同じぐらい眩しくて仕方がなかった。

――――

「鷲尾、これ貸す」
「……なんだ、これは?」

 25日は登校日。伊藤とは夏祭り前と同様ほぼ一緒に過ごしている間にいつの間にか登校日になっていた。
 補修に行っていてちょこちょこ制服を着ていた俺とは違い伊藤は大体一ヶ月ぶりの着用だったので「なんか変な感じだ」と言いながらワイシャツの襟のところをぐいぐい引張っていた。
 雑談したりぼーっとしたりを繰り返しているうちに学校に到着、夏休みという長期休みのせいか少し身体がだるいというか重い感じがしたのは俺だけではなくみんな同じみたいで、眠気眼だったり「あーもうすぐ学校始まるなぁ」「俺宿題まだ終わってねぇ!」「ウケる」など学校開始を憂う声や宿題を終えていないことに嘆く声を聞きながら教室へ。
 教室に入って自分の席に荷物を置いた伊藤はキョロキョロと見回し誰かを探しているかと思えば、自分の鞄に入っていた薄い四角いものを取り出しすでに席に着いていたであろう人物のもとへスタスタと迷うこと無く歩いていく、俺も遅れてススっとその後ろをついていく。

 挨拶もなしに突然伊藤は鷲尾の机に取り出したものを置いて貸すとしか言わないので、鷲尾は怪訝そうな顔で席に着いたまま伊藤と机に置かれたものを交互に見た。

「おはよう鷲尾」
「……おはよう、一ノ瀬。これはなんだ?」
「鷲尾がギターやドラムに興味を持っているから伊藤の聞いてるやつを貸してみたらどうだ?て言った」
「なるほどそういうことか……」

 鷲尾は俺の説明に伊藤の突然の行動に納得して伊藤が置いたそれらを改めてまじまじと見つめる。鷲尾の机に置いたもの、それは伊藤が好んでよく聞いているロックバンドのCD(×3)である。

「これベストアルバムな、とりあえず1週はしてくれ」
「……随分と分厚いな」
「ベストアルバムだからなこれに2枚入ってる、ああでも好きかどうかわかんねえならこっちからのほうがいいか?こっちはシングルで3曲しかねえから」
「ふうん、伊藤のおすすめはあるのか?」
「そうだなぁ……」
 おすすめ、と聞かれ伊藤は悩ましそうにうーんと唸った。考え始めて少しすると明るい声が夏休み中の登校を憂いて湿った空気の教室のなか響いた。
「おはっよー!みんな久しぶりっ!集まって何してんの?」
「叶野か、おはよう」
 連絡はとっているものの叶野も地元の友達と遊んだり家族でお出かけとかで忙しそうでなかなかタイミングが合わず結局夏祭り以来会えていなかったので叶野も久しぶりだ。
 鷲尾を囲うようにしている俺たちに首を傾げてそう聞かれて挨拶してすぐここにいる答えを出す。

「伊藤が自分の好きなロックバンドを鷲尾におすすめしているところ」
「伊藤くんロック好きなんだねえ、へー……お、これ俺も好きなやつじゃん」

 鞄も置かずに鷲尾の机に散らばっているCDを覗き込むと、まだ話題に出ていなかったもう1枚のCDを持ち上げてまじまじと見た、鷲尾はそんな叶野を少し意外そうに見つめる。

「叶野もよく聞くのか?」
「うん、うちの両親が音楽が好きでさ、ロックとかアーティストやジャンル問わずに色々聞いてるよ。パンクやらジャズやらニューエイジやらなんやら」
「へぇ……」

 なんだろう、ニューエイジって……それもジャンルなのか?疑問があるものの叶野は音楽にも精通しているらしい。幅広い知識があるのってすごいよな。両親の見識が広いんだろうな、勉強だけはなくいろんなことを知っていてかつ空気が読めて運動もできてノリもいい叶野ってすごくないか?すごいよな。
 俺の友人で本当に良いのかと不安になるほど叶野って知れば知るほどにすごい人だな……何かと幅広い知識を持っている叶野に尊敬の意を抱いていると伊藤は悩みながらもついにおすすめを絞り出した。

「このディスク1のこの5番目と8番目、11番……」
「ふむふむ」
「いや、でもこれも……」
「おお、俺も知らないやついっぱいある!俺にも教えてー」
「ああこれも捨てがたいな……」
「結局全部じゃないか」
「本当に好きなんだねえ、あれ?そういえばわっしーってこういうの好きだっけ?」
「最近触れる機会があってな、」

「……」

 話に入れず無言になる俺に気にせずトントンと進んでいく会話。正直に言ってしまうとこうして楽しそうに3人が話しているのを見て聞いても、ロックが云々関係なく音楽に興味が持てなかった。
 少し悩んだが、話に入れないしそんな俺に気が付いたら気を使わせてしまいそうだなと考えて、これ以上俺がここにいても仕方がないなと判断し、そろっと3人の輪から離れて自分の席に戻ろうとすると、ふと目が合う人物がいた。

「あ、湖越。おはよう」
「……はよ」

 教室に入って早々に俺たちのところに来た叶野とは違い、湖越はすでに自分の席に座っていた。話をしていたせいで叶野たちが入ってきたのに気付けなかった。俺らに挨拶もせずに席についていた、目が合ったので普段どおりに挨拶をしてみると気まずそうに目を細めながらも無視はされなかった。
 湖越もあの一件以来で、どう俺らと顔をあわせるべきか悩んでいたのだとひと目で分かるほどにいつもと違って挙動不審。
 叶野は湖越に自分の知っていたことを俺らに教えたということを知っている、だが叶野は吉田自身の事情はすでに聞いているのだろうか、叶野はこのことを湖越に言ったのだろうか?
 たった今目の前でどうしていいのか分からずに困ったような表情を浮かべている友人はどこまで知っているのか未知数だ、このことを聞いてもまあ良いのかも知れない。
 俺は湖越に理不尽に怒鳴られて記憶喪失のことを詰られたのだから、聞いたって構わないのだろう、湖越は梶井のことを聞かれる可能性の危惧しているのかあの日のことを俺から責められることに怯えているのか判断は出来なかった、どうしていいのか分からないと表情が訴えているのが辛うじて分かっただけ。だから。

「宿題、」
「、」
「終わったか?」

 俺に言ったことは既に反省している友人をこれ以上俺は責めるつもりはないし、梶井のことも今は俺からは何も言うことはないと判断して、クラスメイトの雑談を真似てそう聞いた。
 会話のバリエーションが少なくて叶野のように気遣っているのがバレない気遣いは俺にはまだまだ難易度が高くて、ぎこちなくなってしまったけれど、俺が湖越に求めているのはいつも通りの会話なのだと、普段どおりに接してほしいんだと、分かってくれればそれで良い。
 その意図は正しく相手に伝わったようで、湖越は戸惑いながらも俺と目を合わせて『いつも通り』に話そうとしてくれた。

「ああ、何とか。……一ノ瀬は?」
「そうか、俺も終わってる。……もうすぐ学校が始まるな」
「ああ、ちゃんと起きれるか不安だな」
「それな……」
「……」
「……」

 湖越が俺に聞き返して、ぽつりと話題を振ってみるとまた返してくれたが、それに同意してしまえば次にどう言葉を出して良いのか分からなくなってしまった、それは湖越も一緒だった。
 今まで至って俺は湖越と二人きりであまり話したことが無いために、どう話題を繋げていくべきか分からず、ここでお互いに会話が止まってしまった。……俺一人で何とか話そうとしたにしては上出来、ということにしておこう。このまま別れて自分の席に戻ろうと今度こそ脚を進めようとしたが、肩周りが突然重くなって拘束されて動けなくなってしまい、この場に止まるしかできなくなってしまった。
(?)
 何事かと思えば視界の端に映ったのは人工的で艶のない金髪……あ、伊藤が俺の肩を抱いているのかと気付く。
 もう一本の手は湖越に向かって新しい携帯電話を差し出しており、伊藤の行動を理解できていない湖越はしぱしぱと何度か瞬きを繰り返す。

「はよ、湖越。お前のアドレスも教えろ」
「……おはよう、あれ、前にも教えなかったけか?」
「いろいろあってぶっ壊れて買い直した」
「何があったんだ?まあいいよ、分かった」
「おーさんきゅ」

 挨拶もそこそこに。伊藤はすぐに本題へと入る。携帯電話を突き出してくる謎も解け、二度目のアドレス交換するべく湖越も携帯電話を取り出して操作して、自身の携帯電話と伊藤の携帯電話が重なる。
 鷲尾と叶野は音楽についていの話を続行しているようだったので伊藤だけこっちに来たようだ。『湖越も』という伊藤の発言から予想するに鷲尾たちともすでに交換済みなんだろう。
 吉田ともメニューとともに置かれていたあの間違い探しに挑戦する前に交換していたから……これで俺が知っているなかでは伊藤の友だちとアドレス交換が出来たということなる。何の障害も無くて良かった。
 突然教えてもらった叔母の連絡先をどうするべきか悩んでいたけれどとりあえず登録だけすることにした、と結局俺の意見通りにしていた。
「もう壊したくねえな」
 そう言う伊藤は悲しそうとも嬉しそうとも取れないなんとも言えない笑顔だったけれど、どんな感情だったのだろうか、もしかすると自分でも形容しがたいものだったのかもしれない。
「お、きたきた」
 湖越の連絡先が新たな携帯電話に無事にやってきたようだ。
「俺のアドレスと番号も送るな」
「わかった」
 次は伊藤のアドレスを湖越の携帯電話に送るため再度カツっと無機物な音を立てあわせたと同時に口を開く。

「あの日のこと」
「……っ」

 肩を抱かれている俺と目の前の湖越にしか聞こえない程度の声量で切り出す伊藤。湖越は伊藤の低い声にピクリ、と逞しくて厚い肩を震えた。伊藤が怒っているのではないかと勘違いしているようだった。そんなことはないよ。伊藤が本当に怒るときはどこまでも感情がない平坦な声になるから、違う。

「透も俺も気にしてねえからな。……あいつのことも今んとこは深く追求する気もねえから安心しろ」

 何でも無い表情と声で言葉にはしていないが『もうあの日のことを引きずるな』と『とりあえずは梶井のことも聞く気もない』と伊藤はそう言った。
 湖越からするともしかしたらあの日のことよりも梶井関連のことを聞かれるのが嫌なのかもしれない、詰めていた息を吐いたのは伊藤が言葉を出し終えてからのことだったから。そんなに、いやなのだろうか。そんなに梶井が嫌い、なのだろうか。
 今のところは、と不確定なのはやはり気にならないわけではないという意志の現れである。
 それに息を吐いたということは……否、想定で物を語るのは、よくないよな。冷静になろう、湖越には気付かれないように息を吐く。このまま想像してしまえば俺の湖越の見方が変わってしまいそうになってここで思考は意図的にストップする。

「……わかった、ありがとう」
「おう、じゃあそろそろ先生来そうだし戻るべ」
「うん」

 伊藤がこのまま移動するので肩を組まれている俺も移動することになる、実際教室の壁掛時計を見ればもうすぐ本鈴が鳴る時間だったので抵抗せずに伊藤とともに席に戻る。
 鷲尾と叶野のほうを見るとどうやら白熱しているようでまだまだ語っている、言い合っているようにも見える二人は俺からするとやはり仲良しにしか見えなくて、少し荒んだ心が安堵に満たされた。……もっと、湖越と関わりたいな。
 今はどうしても吉田から梶井のことを聞いたばかりでつい肩を持ってしまいそうになる、けれどきっと湖越にも色々事情があるんだと思うから。
 同じ小学校で同じクラスだった梶井のことを転校先の友だちの叶野にも話しているぐらい気にかけている友だちを何の理由もなく避けたりするような人とは俺には思えないから。
 俺では力になれないかもしれないけれど、それでも少しでも分かりあえたら……一番、いいよな。それをほんの少しだけ気付かれない程度に手助けするのは、そんなに悪いことではない、よな。湖越と梶井を『少しでも和解させたい』と。自発的にこうしたい、と思うは初めてのことかも知れない。
 勿論結局の所は本人たちの意志に委ねることになるので俺から絶対こうするべきだと押し付けるつもりはなくて、何の計画もない、たった今ふと思いついたことだ。こっそりと決意する。いつか分かるといい、湖越が何故梶井を避けているのにも関わらず完全に離れていくのは嫌そうな理由も、梶井が迷子になった子どもが誰かに助けを求めるような表情の理由も。
 心の中だけで細やかに意気込む。がんばろう、なにをどうするかはこれから考えるけれど。

「すまない」

 最後に言った謝罪は岬先生が教室に入ってきてクラスの皆に挨拶する声によってかき消され誰の耳にも届かなかった。
 どこまでも頼りない、誰に対してなのか分からぬ嫌悪も含んだ謝罪は和やかな教室の空気に霧散してしまった。

19/20ページ
スキ