3.先を生きる人。
叶野は何故かゴンさんとずっと話しているし隣にいるのに口を割らない伊藤に突如走り出した理由を聞こうとするのを諦めてゴールのほうをチラッと見た。その後携帯電話を見れば、俺たちがゴールしてから15分ほど経っている。
吉田たちがそろそろ戻ってくるか、そう思い折りたたみ式の携帯電話をパチリと閉める。
「っ……の、!!……!!」
「う……せ!」
「……、……」
同時に、遠くから大きな声が聞こえてくる。聞き覚えのある声、だがこんな険しい声を上げるのを聞いたことがなくて違う人か、と一瞬思ったが俺たちと伊藤たちのすぐ吉田たち3人が並んでいたので、間違いないんだろう。不穏な空気を感じて俺は声が近づいてくるゴールを凝視する。そして、ゴール地点からやってきたのは。
「お前には関係ねえって言ってんだろ!」
「関係なくなんてない!おれだって聞く権利ぐらいあるでしょ!?」
「お前ら落ち着け、みんな驚いている」
外れてほしかった予想の通り、荒々しく言い争う声とそれを宥める声。他の客は騒がしいのを迷惑そうに遠目で見ながら巻き込まれたくないと言わんばかりにそそくさと移動してしまった、残ったのは3人の関係者である俺たち。
ちゃんと他の2人の表情は見ていないからわからないが、きっと俺と同じように驚いていた表情を浮かべているだろう。言い争っていたのは湖越と……吉田だった。
表情豊かでコロコロ変わるけれどいつも朗らかに笑っていて明るくこっちを元気にしようとしてくれる力強いものを感じていた。だけど今は眉を逆ハの字に上げ小柄で身長も体格も圧倒的な差があるのに、それに臆することもなく大きな目をギョロッと睨みあげて大きく口を開け湖越に食って掛かる。
周りの見えていない湖越と吉田に、鷲尾は辺りを見回しながら冷静に指摘する。言い争う声は湖越と吉田のもので宥める声は鷲尾だった。
いつから言い争っていたのかわからないが、鷲尾の表情に疲労が見え隠れしており結構な時間2人はこうなっていたのが分かった。
「鷲尾は黙ってろ!!」
「かっちゃんごめん!もうちょっと」
制止しようとする鷲尾に苛立ちを隠すこと無く怒鳴る湖越と鷲尾には何とか冷静に対応しながらもその表情は怒りのものに近い。2人の態度に鷲尾は隠すこと無く思いっきりため息を吐いた。
「……さっきもそう言われてずっと黙ってた、騒がしい五月蝿いと思いながらそうしてほしいのなら、と叶野たちが出発してから不穏な空気を醸し出し肝試しが始まってすぐ言い争いが始まってから僕はずっと我慢していた。だが、お前らの言い争いは止むことなく堂々巡り。これ以上この場での言い争いは何も生み出さない、非生産的だ。言い争いたいのなら2人でどこかでやるなり時間を置くなりしてからやってくれ。僕達を巻き込んでくれるな。ここはお前らが騒ぐためのところではない。周りの人間の迷惑も考えろ。他の人間の気分を害してもいいと言い切れるほどお前らのその不毛な言い争いはなにか益になるのか?祭りに参加している他の客にもスタッフにも迷惑をかけていい道理はどこにあるんだ?」
言い争いは肝試しスタートしたところから始まり、伊藤たちが肝試しに出発する前からすでに不穏だったと。その間、鷲尾は一緒に行動をともにしたのか。眉を寄せ肩を組み、じとりと湖越と吉田を見ながらイライラしているのか我慢の限界だったのかとかく不愉快であり迷惑だと空気でも言葉でも鷲尾がしっかりと正論に伝えてくる。よほど苛立っていたようだ。結構長く、いやかなり長い時間待ってくれていたな……。
この言い争いとともにずっと一緒にいないといけないのは結構きついとおもう。
「……チッ」
「……ごめんなさい」
鷲尾の正しい怒りと正論にようやく冷静になったみたいで、2人を辺りを見る。シンとして空気のなか、俺らに見られていることに気づいて湖越は未だ怒りは冷めやらないようだったけれど吉田は素直に頭を下げて謝った。……やっぱり、納得はいっていないようだったが。それにしても2人は何を言い争っていたんだろうか。
あれだけ激しく、普段は冷静な湖越と感情変化は激しくともそれは他の人を攻撃したりするような人間はない吉田が言い争うぐらいだ、よっぽどのことがあったんじゃないか?いつもとは違う2人に首を傾げる。
「あー……とりあえず、もう花火も始まっちゃうし移動しよっか!」
2人は静かになったが変な空気になってしまった、それから抜け出そうと叶野が明るく声をかけたのを合図に移動を開始する。重たい空気感、少し息苦しいけれど花火自体は楽しみだ。無理矢理思考を切り替えようとしているところだった。
「あれ、のぶちゃんは?」
「……梶井なら急用が出来たって」
吉田が梶井の姿が見当たらないことに気が付き、俺に問いかけてくる。なかなかのぶちゃん=梶井の方程式が出来上がらず少し間が出来てしまうが、伊藤たちと同じ返答を繰り出す。俺に言い訳のストックがないのは事実だが、まぁ無難な回答だと自分では思っていた。
特に伊藤たちも気にした様子は無かったから。そう思っていた。
「そっかー残念!」
そう残念そうにしながらもいつもどおり元気に吉田が返してくれたから、これで大丈夫だと安心していた。
「は?」
冷めた声が聞こえた。先程鷲尾が正論で言い争いを強制終了させ叶野が妙な重たい空気を払拭しようとしたのが、かき回されたかのようだった。
冷めた声によってまたジンジン、と肌がひりつくような不穏な空気。声が聞こえたほうを振り向くとこちらをギロリと睨む湖越と目が合った。怖い。その目を見て率直にそう思った。ギラギラとした強い怒りを感じる目が、あのときの桐渓さんのことを思い出してしまった。
ほんの少しだけ、誰にも気づかれないぐらいに身体が震えた。ライオンのぬいぐるみを握る手が強くなってしまったけれどそれに気遣える余裕は無かった。
「なんで引き止めなかったんだよ!」
「……梶井が先に帰ると言っていたんだ、俺に引き止める権利はないから」
先に帰る、そう言われる前に梶井と呪い人形のはなしへの感じ方について話していたし、きっと吉田が強引に連れてきたんだろうと予想がついたため、これ以上付き合わせてしまうのもと思ったし梶井が帰りたいと言うのならそれを引き止めることはできないだろう。そもそも、引き止める選択肢すら無かった。だからなんで引き止めなかったのか、と問い詰められることになろうとは思いつきもしなかった。伊藤たちは普通の態度だったから余計に……しかも梶井となにか関係がありながら接触を避けようとしている湖越が怒っているのか、睨まれ今にも殴りかかってきそうな空気に怯えるより先に疑問が勝っていた。
「どいつもこいつもっ……!」
「……湖越のほうが避けているだろ」
疑問が勝っていたがゆえか、何故か怒っている湖越に事実を言ってしまった。少し、梶井と話していて、俺の方を見るその目が不安気で居場所がどこにあるか分からない子どものようだったから放っておけない気持ちになっていたせいだろうか……。
梶井がああやって、盾と剣を作り出した理由に湖越が入っているんじゃないかって、そう思ってしまったからつい責めるような口調になってしまった。後から考えて湖越の言い分を聞いてもいないのにそうして決めつけてしまった自分に後悔したけれど、このときは少し感情的になってしまった。それが良くなかった。
責めるような口調になってしまった俺に、湖越は傷ついたように眉をハの字にさせたが、すぐに声を吐き出すように絞り出す。
「うるせえよ!俺のことなんか知らねえくせにっ!てめえだって、」
指を差し、なにか言い出しそうで一瞬どうするか迷うようにその目を泳がしたが、ギっと怒りに溢れた瞳で俺を再度見下ろした。
「てめえだって伊藤のことも忘れているくせに!何食わねえ顔して、伊藤のとなりにいる一ノ瀬の気がしれねえよ!!それで親友?ハッ、随分都合の良い親友がいるんだな?!」
「……、」
湖越の言葉が俺のなかの痛いところをえぐってきた。ズキ、と胸が鋭利なもので刺されたように痛んだ。……言い返せない、ところだ。今の俺も伊藤のことを大事な友人……親友と思っている、伊藤のとなりにいることが嬉しいと思う。だけど今俺がこうしてそばにいられるのは……他でもない伊藤が俺にここにいていいんだよと言ってくれたから。
もちろん伊藤に対して俺は罪悪感を感じていないわけでもなければ後ろめたさもないわけじゃない。伊藤の許しがなければ、俺はここにいられない。
事情を説明した上で俺らのことを客観的に見れば、俺は確かに何食わない顔して伊藤のとなりにいるように見えてしまうんだろう。俺の内心なんて、誰にも言っていないから伝わっていないだろう。
俺は……この点は加害者だと思ってる。なんで親友のあんなに良いヤツの伊藤のことを覚えていないんだろう、一人でいるとき、寝る前に何度そう思ったのかわからない。……何も言えない、言い返す言葉なんてない。
皆も湖越の指摘に何も言えない、俺の本心は分からないのだから。沈黙が重くのしかかっていく、と予想したのだが。
「ちっげーよ」
あっさりと否定の言葉を湖越に投げかけた。驚いた湖越は俺のほうを見た。……正確には、俺のとなりの伊藤を驚愕の表情で見ていた。となりの伊藤に視線を移動させると真剣な表情で湖越をまっすぐに見据える姿だった。
「俺が透にとなりにいてほしかっただけだ。記憶があってもなくても関係ねえよ、透は透って言うのは見ただけで分かったんだし。あと、透が何も感じていないわけねえよ。あんだけ……いや、なんでもねえ」
「何故顔を赤くしてるんだ、ちゃんと言うなら最後まで言え」
「うるせーよ!」
あんだけ、と何かいいそうになったが伊藤は自分の口を手で覆い被せ首を振った。途中で無理矢理区切ったせいか、鷲尾が気になって遠くからそう言われて伊藤は顔を赤くしたまま鷲尾を睨んだ。……多分、あれだ。
伊藤と会った次の日、俺が罪悪感に苛まれて泣いて、俺に生きてほしいと言われて伊藤を抱きしめて抱きしめ返されたときのことを言おうとしたんだと思う。
身体を強く抱きしめられたあの力強い感覚を思い出してカッと身体が熱くなる。しかも今も嬉しいこと言ってくれたものだから、顔がにやけそうになる。なんか自分のなかがめちゃくちゃになってる。熱くなった顔を冷やすべく、うちわで顔を扇いだ。
「あー……とにかく、湖越から見て俺が都合の良い親友だったとしても、俺は透が罪悪感を覚えているのも薄々察してるし事情があるんだし責める気になれないし、このままの透も透で大事な存在に昔から変わりはない。だから……透を貶すようなことは言わないでくれよ。な?」
「……」
――伊藤に諭され湖越は押し黙る。再びシン、となる空気を殺すようにパン!大きな音が聞こえて一斉に音の鳴る方へ向いた。
「はい!おはなしの一段落もついたかしらん?あと20分ぐらいで花火始まるわヨン?ほら、あの階段を登ったところから見る花火は絶景なの!せっかくだし行って来なさいな!」
あの大きな音は黄色地に大きくピンクと白の花が描かれた派手な浴衣を着たゴンさんが手を叩いた音だった。
俺たちの不穏な空気をしばらく静観し、落ち着いた頃を見計らってくれたんだろう。
「あ、ほんとだ!早く行こう!ほら、誠一郎も……」
「……俺、帰るわ」
叶野が携帯電話を見て急かす。落ち込んだ湖越を気遣ってか名前を呼ぶが、湖越はすっと俺たちのほうへ向かってくる。
「……一ノ瀬、あと伊藤も……悪かった」
そして、俺たちのことを見ること無くすれ違いざまにそう小さな声で謝罪された。
湖越の方を振り返るが、こちらを振り向くこと無くそのまま歩いていってしまった。……俺よりも大きくて広いはずの背中は、前に感じたときとおなじように小さく見えてしまった。
「あー……ごめん!おれも帰ります!彼を引っかき回しっちゃったのはおれが原因だし……今度ちゃんとせつめいするね。ばいばい」
一連を見ていた吉田は、こうなってしまった責任感からかいつもより陰りのある作ったような笑顔でこちらが何を言われているのか理解する前に軽快に小走りにこちらへと向かってくる。
「いっち。だますようになっちゃって、ごめんね」
一回立ち止まって俺に耳を寄せてそう小声で謝罪された。……だますよう、に?聞き返そうとしたけれど、吉田の背はすでに小さくなっていた。吉田の背中が湖越を追い越すところまでじっと見続けていた。……吉田にはまた補修がある日に会えるから、その謝られたわけをしっかり聞いてみよう。
――――
「叶野たちがいたときは吉田もいつもどおりだったんだがな。2人が出発してから無言が続いたかと思えば『梶井くんのことどう思ってるの?』と普段の吉田と全く異なる空気でそう切り出し『お前には関係ねえ』と湖越が目も合わせず突き放したことがきっかけにあのような言い合いに発展した、止めようとはしたんだが……1回は話し合うべきかと思って黙って一緒にいたが、まぁ先程のように言い合いは止まらずさっきようやく止めることが出来た」
花火を見るために石造りの小さな幅の階段を登りながら、鷲尾が淡々と事のあらましを説明してくれた。感情的にならず起きた出来事だけを話してくれるのはこちらとしてはとても聞きやすいものだった。さすがに言い合う2人に長い時間挟まれ続けて疲れたのか大きくため息を吐いた。
「まぁお疲れ。……湖越と梶井ってどんな関係なんだ?叶野。お前は知っているな」
鷲尾を労りながらずっと無言のままの叶野についに伊藤が踏み込んだ質問をする。質問、というよりもすでに確証を得ていた。たぶん、あの期末テスト前の出来事からみんなが聞きたがっていたこと。『湖越と梶井の関係性』だ。
最初は鷲尾、次に小室を唆し叶野個人を追い詰めようとしたその原因は梶井の仕業であることを知った湖越がいきなり梶井を名前で呼び教室を飛び出し、まるでそれなりに親しい仲だったようだと感じていた。
梶井に至っては、湖越に何かを求めているような……でもそれを諦めたような口調だった。その疑問を聞こうとする雰囲気になる度、湖越は話したくなさそうにしていて目を伏せ叶野もこれ以上踏み込まないであげてほしいと懇願するような目でこちらを見ていたからその意を汲んで、ずっと聞かないでいた、けれど……。
「……うん、もうさすがに誤魔化されてもらうのは無理があるよね。これだけ騒ぎが大きくなっちゃったら、ね。多分誠一郎も俺がみんなに話すこと分かってると思うしね」
「教えてくれるのか?大丈夫、か?」
叶野は苦笑しながら頷いたのを見て心配になる。あれだけ言わないでほしい、聞かないでほしいと伝え続けていたのに叶野は話すことを決めた、あまりにあっさりとしているから心配になった。これで湖越と叶野の友情が壊れてしまうのではないかと危惧した。
「うん。……俺も誠一郎もね、本当は分かってるんだ。このまま逃げていたとしても後に引くことも先に進むことも出来ないんだって」
叶野の声は寂しそうな、後悔しているような響きだった。深呼吸してから叶野は話し出す。
「あれだけ親友って言ってたのにね、蓋を開けてみたら俺たちがしていたことは『共依存』だったんだよ」
「共依存?」
馴染みのない言葉に伊藤は不思議そうに聞き返した。もちろん俺も聞き馴染んでいる単語ではない、それは鷲尾もきっと同じだ。叶野は息を吐いて、苦しそうで心配になる。
「いじめを受けたことによって出来た俺の傷を広げることはしない、互いを傷つけず何かあったら庇う。その代わりに俺も誠一郎の傷を突っついたりせず否定したりしない、てね。声に出して約束したわけじゃないけれど、それが俺たちの暗黙の了解になっていったんだ。いつからこうなったか、それは俺が中学校を転校したとき。なんでこうなってしまったのか、それは俺のせいなんだ。
俺の異常に家族よりも早く気づいて味方でいて何とかしてくれた誠一郎に甘えていたから……依存したから、こうなっちゃったんだ。感謝と罪悪感から……誠一郎のことを全力でかばわないと、て思ってたんだよ。どんな事があっても俺の味方でいてくれる誠一郎のために俺ももしもどんなに誠一郎に否があったとしてもかばう、て。共依存を『親友』なんてきれいな言葉で俺の異常性を誤魔化してた。それだけなんだよ」
そう自嘲気味に呟いた。そんなことはない、と否定したかった。今までの2人の会話を見たとき本当に仲が良さそうだった、俺から見た2人はちゃんと親友だったって声を大にして伝えたかった。だけど、後ろにいる伊藤が俺の肩をトントン叩いてきて振り向くと、人差し指を口に乗せ何も言わないように、と声なく言われて腑に落ちない気持ちになりながらも押し黙り前を向いた。
「……俺も全部を知ってるわけじゃない、だけど知ってることはみんなにちゃんと説明するよ。誠一郎と梶井くんは、誠一郎が俺の小学校に引っ越してくる前まで同じ学校で同じクラスで……誠一郎曰く梶井くんは前の学校で1番仲が良かった『友だち』なんだって、そう小学校のときは笑って確かにそう言ってた」
生暖かい風が隙間を縫う。予想外と言うべきなのか、意外だったと言うべきなのか、言葉が見つからない。
まさか湖越と梶井が小学生のときの同級生で仲の良かった友だちだった、なんて思いもしなかった。だが、本当に友だちなら、それなら何故湖越はあれだけ梶井を避けるようにしていたのか、湖越と梶井が一緒にいたなんて聞いたこともない、何故一番仲良かったはずの『友だち』を避けているのか、疑問は尽きない。
「俺も誠一郎からすべてを聞いた訳じゃないんだ、誠一郎の言う梶井くんを写真も無かったから顔も知らなかったし同じ学校だったということも入学してから2週間ぐらい経ってからのことだったし、それを教えてもらった誠一郎には『もう俺の知ってる信人じゃなくなった』って言っていたから俺は何も言えなかった。意気消沈していた誠一郎に詳しいことを聞くに聞けなくて……でも、考えて考えた結果一つの可能性を思いついた。誠一郎が梶井くんとちゃんと向き合えなかったのは俺があんな頼りない状態だったからじゃないか、俺がしっかりしてなかったから誠一郎は心配だったから結果として梶井くんをおろそかにしてしまったんじゃないかって、そう行き着いた。もっと早くに俺がこうしていれば良かったのにって、今更もうどうしようもないけれど後悔と罪悪感が混ざり合っちゃって……ずっとぐるぐるしてた。自分が傷つかないように誠一郎にずっと、何も聞けなかった」
叶野は胸を抑えながら絞り出すようにそう言った。1番先頭で階段を登っている叶野の表情までは読めなかったけれどその背中は震えていて、何か声をかけたかったけれどどう声をかけていいのか分からず、結局黙るしかなかった。友だちとその友だちの友情が自分のせいで崩壊したのかもしれないと想像するだけで恐ろしくて、俺には何も言えなかった。
「吉田は知ってるのか、あの2人が過去友だちであったことを」
叶野の苦悩を聞いてさらに問いかける鷲尾。気遣わない鷲尾を冷酷、だとは思わない。特に鷲尾はさっきまで2人に挟まれたいたし直に疑問を感じていただろう、叶野もそれを分かっているようでその問を受け入れ少し考える素振りを見せながら答える。
「……少なくとも誠一郎はこのことを俺以外誰にも言っていないし俺も今初めて誰かに言った。入学当初は吉田くんが梶井くんと一緒にいたときがあるから、もしかしてそれで知っているかもしれない、という可能性はあるかも」
「推測の域はでない、か」
叶野自身あの2人の事情を今言ったのが初めてで、湖越の様子を見る限り誰彼構わず気軽に言うことも考えられない。だとすると吉田は梶井から聞いた直接聞いた可能性もある、が……吉田から何も俺は聞かされていないし、梶井のことをまだちゃんと分からない今は推測の域は出ない。
言っているかもしれないし、言っていないかもしれない。……たぶん、いっていないと思う。梶井の様子を見て直感的にそう思う。でも、ただの勘だからここでわざわざ言うこともないから何も言えないけれど……。
「それと、叶野」
「あ……、なにかな?」
突然鷲尾から名指しで呼ばれて、落ち込んでいる叶野が返事した。
「お前の懺悔はお前だけの物、そこに僕があえて突っ込むことはない」
「うん……」
叶野が2人に対して罪悪感をもち、懺悔したい気持ちは彼自身の問題である鷲尾はそう突きつけてきた、苦しげにしながらも鷲尾の言葉を受け止めた。
「だが、そこまで自分を責めなくても良いと思う。今聞いたのは叶野、お前の想定であって湖越本人からお前が原因だと言われた訳じゃない。それならまだ落ち込むのは早いだろう。落ち込むのなら、湖越に気になっていたことを聞いてからだ。お前はまだ何もしていない」
鷲尾は普通にいつもどおりのキッパリとした口調で叶野にそう言った。冷たくも感じてしまう鷲尾の口調、だけどその言葉自体は叶野を励ましている。俺は鷲尾の後ろ姿しか見えないけれど、きっといつもどおりキリッとした表情なんだろうと予想できた。鷲尾は中途半端で下手な励ましはしないし出来ない、素直だから。
そう鷲尾はどこまでも真っ直ぐで素直ということが分かっているからこそ、この言葉は嘘偽りもなく無理矢理気遣っている訳でもない、心からそう思って言っているんだって少し前の事件を得て俺はよく知ってる。それは俺だけじゃなくて伊藤も……もちろん叶野もそうだ。
「……そうだね、そうだよね。何も聞かないで落ち込んでたら、意味無いよね」
「ああ。……もうお前は嘘をつかないと言った、自分に嘘をつくというのに慣れきって簡単にはその嘘を剥がすことが出来ないのに、それでも教室にいる奴ら全員の前で大きな声で言えたんだ。嘘をつくことを辞めることが僕にはそれがどれだけ難しいのか分からないが、お前にとって盾みたいなものだったんだろう?盾を取っ払って身一つで堂々とすることを選べた、それなら湖越にまっすぐ問うことが造作のないことだろう」
小室に叶野自身の秘密や中学時代のことを引っ張り出されクラス全員の前で晒されてしまったとき、泣き出しそうになりながら震え声になってそれでも強がって『嘘をつくのをもう辞めたい』と言えた。
きっと自分の言いたいことを抑えることで何とか振り落とされないよう頑張ってきた。自分に嘘をついたことで、みんなに嘘をつくことになってしまったことに自己嫌悪しながらもそれでもそれが自分を守るための術だった。
それを辞めたいと言うのは叶野にとって恐怖であり、盾を自分の意思で無くすことを選択することがどれだけの覚悟と勇気を持っていたのかは俺には分からない。
自分に嘘をつかないという選択は、本当の正解なのか誰にも分からない。もしかしたらそっちの方が叶野は傷つくことは無かったのかもしれない。だがそれでも嘘をつくのを辞める選択をした。
1番恐ろしいと感じるであろうことを選択した叶野なら……きっと湖越に面と向かって聞くことが出来る、鷲尾はそう叶野に言った。鷲尾にとってこの叶野への言葉は事実を言っているだけのつもりなんだろう。至極当然と言わんばかりの物言い。
決めつけているのとは少し違う、鷲尾は叶野という人間を知りちゃんと見た上で心からそう出来る人間だと判断している。言い方がさっぱりしすぎて何の感情がないように無機質に言っているように聞こえてしまうけど。
「……はは、わっしーの言葉って重たいのに前向きにさせてくれるね」
叶野の声は鷲尾を茶化しているような、でもその声は少し震えていることが分かる。それを分かった上なのか本当に気づいていないのか分からないけれど鷲尾は「わっしーって呼ぶな」と、極めていつもどおりに返したのであった。
――――
「おー!確かにこれは穴場だね!」
階段を登りきった先に見えた木の手すり越しの空を見て、叶野は歓喜の声を上げる。登る最中無言で時折先頭の方から鼻を啜る音が聞こえた気がした。
「これなら花火大きく見えるね!人もいないしーみっちぃさんに感謝だね!」
だが、そうはしゃいでいる叶野はすでにいつもどおりだったからホッとする。
俺には何も言えなかったけれど……それでも、いつでも今の叶野を肯定は出来るつもりだ。……鷲尾が良いこと言ってくれたから俺には出る幕無かったけど。
「叶野は抱え込むから鷲尾がズケズケ言うぐらいが丁度いいんだよ」
「……なるほど」
さっきの叶野に何も言えなかった自分が情けなく感じていたけれど、俺の様子に気付いた伊藤がそう耳打ちされ納得した。
あの場で俺が変に叶野に気遣ってしまえば話が脱線しまう可能性があったかもしれない。少しずつ自分を出せるようになりながらもやっぱり抱え込みやすい叶野が自分から言えるのはなかなか出来ないことで、それなら全て出し切った上で嘘をつかない真っ直ぐな鷲尾が前を向かせる、という形が1番いい流れなのかもしれない。
「俺と透が今の叶野も受け入れていることはあいつも分かってるだろうけどな、まぁたまに声に出して言うといいかもしれねえな」
「……言わないと、伝わらないもんな」
「そういうこと」
ニッと歯を見せて笑ってそのまま手すりに肘をくっつけて寄りかかった。
「そろそろ始まるぞ」
そういわれて少しでも近くで見ようと伊藤のとなりに歩み、手すりに片手を乗せて体重をかけた。
「いいねいいねー!あーまだかな〜!」
「叶野、うるさ……」
手すりにより掛かる俺らを見てか、鷲尾が俺のとなりにそのとなりに叶野が来て、はしゃいでいる叶野に鷲尾がなにか言おうとしたと同時に、遠くから歓声が聞こえてくる。その声に釣られて目の前の真っ暗な空に目をやるとドン、と大きな破裂音とともに何もなかった空に花が咲いた。
「おおお!たーまやー!」
「かぎやー」
となりで叶野は楽しみながら、態度こそ変わっていなかったように見えた鷲尾も浮かれていたのか、夏の定番の掛け声を上げているのが聞こえながらもただただ目の前に映る大胆であり美しくあるが儚さも感じる花にただただ魅入っていた。
ドン、ドンと1つ目が終わるのを待たず次から次へと花火が打ち上げられる。
それはまるで写真のようで、それは黒いキャンバスに描かれた色鮮やかな花のような、非現実的なものに見えた。だけど、咲いて消える打ち上げ花火もかすかに香る火薬の匂いも、不愉快に汗で濡れた肌を撫でる夏特有の生暖かい風も遠くで聞こえる歓声も全て今の俺が味わっているものだ。
もう、無感情にテレビのニュースに映るだけの花火を見ている俺じゃない、俺自身がたった今体感しているものだ。
「……綺麗だ」
本当は叶野や鷲尾みたいにたまやとか言おうかとか色々考えていたけれど、ただただ目の前の迫力に圧倒され月並みだがそれしか言葉が出て来なかった。
――……来年は、この光景をここでみんなで見られたら良いな。
ここにいるメンバー以外にプラスで、湖越がいて吉田がいて……梶井がいて、みんなで笑い合って見れたら、いいな。
夢物語かもしれないけれど、そう思わずにいられないほどの感動を覚えた。嫌いな夏が少しだけ、好きになれたような気がした。
最後の一つ、締めとして一際大きい花火が打ち上がり花火大会の終わりを迎えた。しばらく初めての花火を見た感動の余韻に浸って、何も打ち上がらなくなった真っ暗な空をぼんやりと眺めていたが「そろそろいこっかー」と叶野が声をかけてくれたおかげでハッと余韻から戻ることが出来た。
「どうせ電車は混み合っているんだ、ゆっくりでいいだろう」
「そうねー。あ、わっしーも楽しかったよね?」
「……まあまあな」
「あら〜素直じゃないね〜」
『たまや』と花火に向けて言っていたときに鷲尾も釣られるように『かぎや』と言っていたのを俺と同じように隣だった叶野も聞こえていたんだろう、ニコニコとしている。
「透は感動していたな」
「……初めて見たからな」
記憶喪失になってから、は。内心そう思いながら伊藤に返した。夏休みも冬休みもずっと家にいたし友だちと呼べるべき存在も今までおらず、1人でどこかに行こうと言う気にもなれなかった。
「楽しかったか?」
「……ああ」
ここにいない3人のことは気になっているけれど、それでも今の自分の感情を率直に表すのならそうとしか頷けなかった。ほんの少し居心地が悪くなったけれど、伊藤は俺の返答に満足そうに笑ってくれたから、完全に居心地の悪さが消えずとも薄れていった。……いつもどおりの伊藤に戻ってくれて良かった。これなら昨日のこと話せそうだ。内心胸を撫で下ろした。
――――
叶野と鷲尾を駅まで送るまでの道で、俺は吉田と協力してみんなに内緒で梶井を呼んだんだと白状して謝罪した。……叶野はさっきの会話ですでに知っているのは分かっていたが、鷲尾も伊藤も何となく察していたようで呆れた顔をされたけれど怒られはしなかった。
「たまたま会ったのに吉田がしっかり人数分のくじを出されてきた地点でおかしい」
「まぁ透も最初は何故か驚いてたけど、すぐに梶井がいることを受け入れてたしなんかやってんのかって」
「……さすが」
そういえば鷲尾は吉田がくじを出したときすぐに突っ込んでいたな。伊藤は……俺をよく見ていた、と言うことなのか?何か複雑である。
「……秘密で梶井と吉田を呼んでああなってしまったきっかけを俺が作ったようなものなので怒られても、仕方がないと思うが」
思った疑問をすぐにぶつける。そう、叶野はいいよと言ってくれたが伊藤と鷲尾の意見はまた違うだろう、2人とも梶井に色々されたほうなのだから何か言われても仕方ないし俺が悪いことをしたから謝ろうと思っていたのだが……。
「別に気にしてない」
「わあ。ハモってる」
2人同時に一言一句違わず言い切った、すでに解決済みである叶野が声を上げる。伊藤と鷲尾はハモったことにお互いを嫌そうに見つめ合って、少しして視線を俺に向ける。
「あいつがいたのは驚いたけどな、俺は別にあいつにされたことはいつかそのうち来ることでしかねえからどうでもいいんだよ。透が良いって言うならそれで良いんだよ」
「梶井に唆されたが、梶井1人のせいにするつもりなどない。正直言えば一緒にいるのは複雑な気持ちになる、だが実害がなければ僕はそれでいい。……無論叶野が大丈夫であれば、だが」
「余裕っすわー」
「なら良し」
伊藤、鷲尾、叶野の順であっさりとそう言われる。……俺の気にしすぎだったか。何か訳ありな雰囲気だった湖越を抜かせば最初から言っても平気、否言うべきだったのかもしれない。吉田からもサプライズにしよと提案されたのもあって本当に何も言わず当日を迎えたが……俺にはやっぱりサプライズは向いていない、今度はサプライズは無しの方向で行こう。
「やっぱり感性似てるよね、見た目間逆なのに」
「誰がこいつと!」
うんうんと腕を組み叶野が頷いていると、またしても伊藤と鷲尾がハモった。それを間近で見た俺は
「……仲良いな」
とつい呟いてしまった。
――――
「あー……明日から俺いねえから」
「……え?」
叶野と鷲尾を改札口まで送って、この着せてもらった甚平を返しに行こうとゴンさんの店へ向かおうとコンビニの前を通る際どうしても昨日から今日の始まりまでずっと食べたかったアメリカンドッグの存在を思い出し、素直にその旨を伝えれば「食い足りなかったのか?」と笑われたが快くオッケーしてくれた。
……とにかくアメリカンドッグが食べたかったのですぐさまレジへ向かい、フライヤーのところにそれがあることを確認してすぐに店員に注文した。
袋はいらない、と言いながら108円丁度渡してそのまま手に持って外に出て早速ケチャップとマスタードで分けられているプラスチック製の入れ物を押し出すようにプチっと潰すと一緒に出てくる、伊藤に教えてもらった当初この素晴らしさに感動したのは記憶に新しい。早速口を大きく開けて食らいついた。
半分ぐらい食べたところで缶コーヒーを買った伊藤が来て、一口飲んで戻ってきた当初は笑顔で普通に話していたのだが、バイブレーションの独特の音が目の前から聞こえてくる。伊藤の方からその音が聞こえてきて伊藤も振動に気づいて携帯電話を手に取ると表情が変わる。
「……はぁー」
息を吐き切る如く大きな溜息を吐いた。苦虫を噛み潰したようなそんな表情を浮かべて、その痛んだ金髪を携帯電話を持った手でぐちゃぐちゃにかき回した。
今までに無い伊藤の反応に首を傾げ、丁度アメリカンドッグも最後の一口を頬張ったあとで小麦粉とソーセージの刺さっていた木の細い棒をゴミ箱に捨て、口の中に飲み込んでどうしたのか問おうとしたところ先程急にそう言われた。
そのことを脳が上手く機能してくれなくて聞き返してしまう。伊藤は嫌そうに……本当に、嫌そうに補足してくれた。
「あー……まぁ俺は普段ゴンさんのところで居候させてもらっているんだけどな」
それはゴンさんに店に連れられたときに聞いた。血の繋がりが全く無いのに、どうしてだろうと思っていた。
「……簡単に言っちまえば俺、血の繋がっている家族と仲悪いんだわ。俺が物心ついたときにはもう一方的に嫌われてた。そのうち……、俺も大嫌いになった」
目を伏せ、言いづらいであろうことを小声ながら伝えてくれる伊藤に目を見開いた。血の繋がりのある、ちゃんとした家族なのに。どうして伊藤を嫌えるのか分からなかった。
「……なんで」
「さぁ?厳しかった祖父と俺の顔が良く似ていたから、だったか?」
「そんなことで……」
なんでもない顔して言われた理由に開いた口が塞がらない。そんな理由でこんなに良い人である伊藤を嫌えるのか、伊藤とその祖父は別の人間じゃないか。
伊藤を蔑ろにするその家族に、失礼かもしれないがそれでも怒りがおさまらない。
「……怒ってくれてありがとな。でももうな、あいつらは俺のなかでどうでもいいことなんだ、俺がゴンさんのとこにいるのもあいつらは知った上で放置してる。高校卒業したら、学校に行きたいなら金は出してやるから家から出てけ関わるなって言われてるし、俺も俺のことを蔑ろにしてくる奴らを俺も大事にする気なんかねえ。血の繋がりがあろうとな。俺はちゃんと俺のことを見てくれる人だけを大事にしたい、そう思ってる」
「……そうか」
キッパリと堂々とそう言う伊藤の目は晴れていて、自分を蔑ろにしてきた血の繋がりのある家族のことは既に伊藤のなかで決着のついたことなのだと、言葉にされなくても分かった。……伊藤にそのことに悩みがないのが嬉しいはずなのに少しだけ胸がざわつくのは、何故だろうか。
「?それなら、どうしてそんな嫌な顔を?明日からいないという理由は?」
気付いたことを聞いてみる。すでに解決済みであるのなら先程の嫌そうな顔や明日からいない理由が分からなかった。俺がそう聞けば伊藤は眉間に深く皺を寄せる。
「……実家」
「ん?」
「……夏休みと年末年始、あいつら父親の実家に行くんだよ。それだけは俺も行かねえといけねえって決まっててよ」
「……なんで?」
――よくわからない。まず率直にそう思った。
なんで伊藤を嫌っているのに、高校卒業したら出て行けとか本人に言っているのに伊藤がそうしないといけないのか分からなくて聞き返した。
「よく分かんねえけど、なんか実家の方は結構大きな家らしくて俺も連れて行かねえと親戚のほうからとやかく言われるんだとか。まぁ外面気にしてのことだな、あいつららしい」
「行かなくても、良いんじゃないか」
「俺もそう思う。だけど俺まだ未成年だしな……。高校の金もあいつらが出してるし嫌われてはいたが目に見える暴力は受けていないし食事も服も与えられてる、外から見りゃ俺だけが反抗的であいつらは良い奴らに見えるだろうよ、外面だけはいいしな。変に反抗してゴンさんの家から連れ出されたらそっちのほうが嫌だし、まぁあと2年ぐらいだし今は我慢すりゃいい」
感情的になる俺とは対称的に伊藤は淡々と冷静であり、客観的な視点も含めて説明してくれた。……伊藤は未成年でまだ高校生で、今家族が容認している上でゴンさんのところにいるけれど法的なものではない。伊藤を法律的に連れ戻すことだって可能だ、伊藤の口ぶりからするとそうして連れ戻す可能性自体は少ないのかもしれないが、もしも下手を打てば連れ戻すことも可能だ、ゴンさんも警察を介入させれば最悪逮捕だってあり得る。
それなら18になるまでは要望を受け入れるのが利口なんだろう。俺にはもう何も言えない。俺に出来ることは何もない。その事実が歯痒い。
つい歯ぎしりしてしまう俺に伊藤は力を抜いてゆるりと笑みを浮かべた。
「俺なら平気だよ。でもあっちの家つまんなくて退屈だろうからメールしてもいいか?」
「もちろん、俺からお願いしたいし電話だってしたい」
食い気味に顔を近付けて答えた。俺の行動に驚いたように後ずさられてしまう……必死過ぎ、たか。自分が起こした行動があまりに必死な感じが伊藤にも伝わってしまっただろう……引かれてしまっただろうか?
「……ハハ、ありがとな。少し気が楽になったわ」
伊藤は笑ってそう言ってくれたので、俺の悩みは杞憂に終わった。少しでも伊藤の気が楽になるのなら俺も嬉しい。
伊藤と離れることが寂しいからせめて声だけでも聞きたいという俺自身のための理由もあるのは少し、罪悪感がある。でも伊藤の少し気の抜けた笑顔が嬉しいからそのことは黙っておくことにした。
「今日、機嫌が悪かった理由ってそれ、なのか?」
ゴンさんの店で待ち合わせしたときから機嫌が悪そうだったことを思い出して隠すこと無く聞いてみた。ピリピリしていて落ち着かない様子はいつもとは全く違っていたものだった。
祭りの途中から機嫌は少しずつ治っていって花火を見終わった時にはいつもどおりの伊藤に戻っていたけれど……何故少し怖い雰囲気になっていたのか分からないままだった、てっきり俺が梶井を隠れて呼んだことに気付いたからかとも思っていたけれどさっき打ち明けたときは怒っている素振りなど無く俺が良いのであればそれでいいと言ってくれたぐらいだ。
どうして機嫌が悪かったのか、それは明日から実家の方に行かないといけない、から?
「……あー、それもある、んだが」
「が?」
疑問を隠すこと無く目を合わす俺とは逆に言いづらそうに目を伏せる伊藤。それもあるけれど、それだけではない?理由が知りたくて口ごもる伊藤を目だけで続きを促す。
じっと見てくる俺に根負けしたように一つ溜息を吐いて目を合わせてきた。
「……透、俺に隠してること、ないか?」
そう、恐る恐る聞かれた。隠していること?何のことなのか分からなくて首を傾げて考える。
「一昨日バイトに来なかった理由とか、……昨日、駅の前で車に……」
「……ああ、見てたのか」
伊藤に言われて確かに一昨日不自然に急にバイトを休んだ上、心配する伊藤に来なくていいと突き放したようになっていたし、昨日伊藤からすれば見知らぬ車に乗り込む俺が視界に入っていたのだろう。……今日の帰りにでも話そうと思って言わなかったことが裏目に出てしまったな。
昨日九十九さんと話し合って泣いて少しだけ距離を縮めることが出来て、家に帰ったあとも吉田とどう合流するかの計画を練っていたから、明日伊藤に会えるしと思ってしまったのである。それに……。
「すまない、一昨日のことも昨日のことも全部今日直接話そうと思ってて……。あまり叶野たちにも聞かせられるような内容でもないし祭り前にするような話でもない、と思って……伊藤にちゃんと話したかった、し」
さっき電話の提案をしておいてあれなのだが、俺としては大事な話はメールや電話ではなくちゃんと面と向かって話したかった。特に今回は、可能な限り1人でやってみたかった。
梶井に指摘されたから、というのもあるけれど前々から俺は伊藤に甘えていたことは自覚していたことだったから。きっと伊藤は気にしないと言ってくれるけれど、それでは俺の気が済まない。……と格好つけたことを考えていたけれど、俺が勝手に突っ走っていた、伊藤からすれば訳が分からなかっただろう。
突然バイトを休んでその理由も具体的には言わず、挙句見知らぬ車に乗り込んだのを見かけた翌日当の本人は何も言わないで祭りを楽しみにしているのを見ていたのら…………機嫌悪くなるのも普通のこと、だな。
吉田たちがそろそろ戻ってくるか、そう思い折りたたみ式の携帯電話をパチリと閉める。
「っ……の、!!……!!」
「う……せ!」
「……、……」
同時に、遠くから大きな声が聞こえてくる。聞き覚えのある声、だがこんな険しい声を上げるのを聞いたことがなくて違う人か、と一瞬思ったが俺たちと伊藤たちのすぐ吉田たち3人が並んでいたので、間違いないんだろう。不穏な空気を感じて俺は声が近づいてくるゴールを凝視する。そして、ゴール地点からやってきたのは。
「お前には関係ねえって言ってんだろ!」
「関係なくなんてない!おれだって聞く権利ぐらいあるでしょ!?」
「お前ら落ち着け、みんな驚いている」
外れてほしかった予想の通り、荒々しく言い争う声とそれを宥める声。他の客は騒がしいのを迷惑そうに遠目で見ながら巻き込まれたくないと言わんばかりにそそくさと移動してしまった、残ったのは3人の関係者である俺たち。
ちゃんと他の2人の表情は見ていないからわからないが、きっと俺と同じように驚いていた表情を浮かべているだろう。言い争っていたのは湖越と……吉田だった。
表情豊かでコロコロ変わるけれどいつも朗らかに笑っていて明るくこっちを元気にしようとしてくれる力強いものを感じていた。だけど今は眉を逆ハの字に上げ小柄で身長も体格も圧倒的な差があるのに、それに臆することもなく大きな目をギョロッと睨みあげて大きく口を開け湖越に食って掛かる。
周りの見えていない湖越と吉田に、鷲尾は辺りを見回しながら冷静に指摘する。言い争う声は湖越と吉田のもので宥める声は鷲尾だった。
いつから言い争っていたのかわからないが、鷲尾の表情に疲労が見え隠れしており結構な時間2人はこうなっていたのが分かった。
「鷲尾は黙ってろ!!」
「かっちゃんごめん!もうちょっと」
制止しようとする鷲尾に苛立ちを隠すこと無く怒鳴る湖越と鷲尾には何とか冷静に対応しながらもその表情は怒りのものに近い。2人の態度に鷲尾は隠すこと無く思いっきりため息を吐いた。
「……さっきもそう言われてずっと黙ってた、騒がしい五月蝿いと思いながらそうしてほしいのなら、と叶野たちが出発してから不穏な空気を醸し出し肝試しが始まってすぐ言い争いが始まってから僕はずっと我慢していた。だが、お前らの言い争いは止むことなく堂々巡り。これ以上この場での言い争いは何も生み出さない、非生産的だ。言い争いたいのなら2人でどこかでやるなり時間を置くなりしてからやってくれ。僕達を巻き込んでくれるな。ここはお前らが騒ぐためのところではない。周りの人間の迷惑も考えろ。他の人間の気分を害してもいいと言い切れるほどお前らのその不毛な言い争いはなにか益になるのか?祭りに参加している他の客にもスタッフにも迷惑をかけていい道理はどこにあるんだ?」
言い争いは肝試しスタートしたところから始まり、伊藤たちが肝試しに出発する前からすでに不穏だったと。その間、鷲尾は一緒に行動をともにしたのか。眉を寄せ肩を組み、じとりと湖越と吉田を見ながらイライラしているのか我慢の限界だったのかとかく不愉快であり迷惑だと空気でも言葉でも鷲尾がしっかりと正論に伝えてくる。よほど苛立っていたようだ。結構長く、いやかなり長い時間待ってくれていたな……。
この言い争いとともにずっと一緒にいないといけないのは結構きついとおもう。
「……チッ」
「……ごめんなさい」
鷲尾の正しい怒りと正論にようやく冷静になったみたいで、2人を辺りを見る。シンとして空気のなか、俺らに見られていることに気づいて湖越は未だ怒りは冷めやらないようだったけれど吉田は素直に頭を下げて謝った。……やっぱり、納得はいっていないようだったが。それにしても2人は何を言い争っていたんだろうか。
あれだけ激しく、普段は冷静な湖越と感情変化は激しくともそれは他の人を攻撃したりするような人間はない吉田が言い争うぐらいだ、よっぽどのことがあったんじゃないか?いつもとは違う2人に首を傾げる。
「あー……とりあえず、もう花火も始まっちゃうし移動しよっか!」
2人は静かになったが変な空気になってしまった、それから抜け出そうと叶野が明るく声をかけたのを合図に移動を開始する。重たい空気感、少し息苦しいけれど花火自体は楽しみだ。無理矢理思考を切り替えようとしているところだった。
「あれ、のぶちゃんは?」
「……梶井なら急用が出来たって」
吉田が梶井の姿が見当たらないことに気が付き、俺に問いかけてくる。なかなかのぶちゃん=梶井の方程式が出来上がらず少し間が出来てしまうが、伊藤たちと同じ返答を繰り出す。俺に言い訳のストックがないのは事実だが、まぁ無難な回答だと自分では思っていた。
特に伊藤たちも気にした様子は無かったから。そう思っていた。
「そっかー残念!」
そう残念そうにしながらもいつもどおり元気に吉田が返してくれたから、これで大丈夫だと安心していた。
「は?」
冷めた声が聞こえた。先程鷲尾が正論で言い争いを強制終了させ叶野が妙な重たい空気を払拭しようとしたのが、かき回されたかのようだった。
冷めた声によってまたジンジン、と肌がひりつくような不穏な空気。声が聞こえたほうを振り向くとこちらをギロリと睨む湖越と目が合った。怖い。その目を見て率直にそう思った。ギラギラとした強い怒りを感じる目が、あのときの桐渓さんのことを思い出してしまった。
ほんの少しだけ、誰にも気づかれないぐらいに身体が震えた。ライオンのぬいぐるみを握る手が強くなってしまったけれどそれに気遣える余裕は無かった。
「なんで引き止めなかったんだよ!」
「……梶井が先に帰ると言っていたんだ、俺に引き止める権利はないから」
先に帰る、そう言われる前に梶井と呪い人形のはなしへの感じ方について話していたし、きっと吉田が強引に連れてきたんだろうと予想がついたため、これ以上付き合わせてしまうのもと思ったし梶井が帰りたいと言うのならそれを引き止めることはできないだろう。そもそも、引き止める選択肢すら無かった。だからなんで引き止めなかったのか、と問い詰められることになろうとは思いつきもしなかった。伊藤たちは普通の態度だったから余計に……しかも梶井となにか関係がありながら接触を避けようとしている湖越が怒っているのか、睨まれ今にも殴りかかってきそうな空気に怯えるより先に疑問が勝っていた。
「どいつもこいつもっ……!」
「……湖越のほうが避けているだろ」
疑問が勝っていたがゆえか、何故か怒っている湖越に事実を言ってしまった。少し、梶井と話していて、俺の方を見るその目が不安気で居場所がどこにあるか分からない子どものようだったから放っておけない気持ちになっていたせいだろうか……。
梶井がああやって、盾と剣を作り出した理由に湖越が入っているんじゃないかって、そう思ってしまったからつい責めるような口調になってしまった。後から考えて湖越の言い分を聞いてもいないのにそうして決めつけてしまった自分に後悔したけれど、このときは少し感情的になってしまった。それが良くなかった。
責めるような口調になってしまった俺に、湖越は傷ついたように眉をハの字にさせたが、すぐに声を吐き出すように絞り出す。
「うるせえよ!俺のことなんか知らねえくせにっ!てめえだって、」
指を差し、なにか言い出しそうで一瞬どうするか迷うようにその目を泳がしたが、ギっと怒りに溢れた瞳で俺を再度見下ろした。
「てめえだって伊藤のことも忘れているくせに!何食わねえ顔して、伊藤のとなりにいる一ノ瀬の気がしれねえよ!!それで親友?ハッ、随分都合の良い親友がいるんだな?!」
「……、」
湖越の言葉が俺のなかの痛いところをえぐってきた。ズキ、と胸が鋭利なもので刺されたように痛んだ。……言い返せない、ところだ。今の俺も伊藤のことを大事な友人……親友と思っている、伊藤のとなりにいることが嬉しいと思う。だけど今俺がこうしてそばにいられるのは……他でもない伊藤が俺にここにいていいんだよと言ってくれたから。
もちろん伊藤に対して俺は罪悪感を感じていないわけでもなければ後ろめたさもないわけじゃない。伊藤の許しがなければ、俺はここにいられない。
事情を説明した上で俺らのことを客観的に見れば、俺は確かに何食わない顔して伊藤のとなりにいるように見えてしまうんだろう。俺の内心なんて、誰にも言っていないから伝わっていないだろう。
俺は……この点は加害者だと思ってる。なんで親友のあんなに良いヤツの伊藤のことを覚えていないんだろう、一人でいるとき、寝る前に何度そう思ったのかわからない。……何も言えない、言い返す言葉なんてない。
皆も湖越の指摘に何も言えない、俺の本心は分からないのだから。沈黙が重くのしかかっていく、と予想したのだが。
「ちっげーよ」
あっさりと否定の言葉を湖越に投げかけた。驚いた湖越は俺のほうを見た。……正確には、俺のとなりの伊藤を驚愕の表情で見ていた。となりの伊藤に視線を移動させると真剣な表情で湖越をまっすぐに見据える姿だった。
「俺が透にとなりにいてほしかっただけだ。記憶があってもなくても関係ねえよ、透は透って言うのは見ただけで分かったんだし。あと、透が何も感じていないわけねえよ。あんだけ……いや、なんでもねえ」
「何故顔を赤くしてるんだ、ちゃんと言うなら最後まで言え」
「うるせーよ!」
あんだけ、と何かいいそうになったが伊藤は自分の口を手で覆い被せ首を振った。途中で無理矢理区切ったせいか、鷲尾が気になって遠くからそう言われて伊藤は顔を赤くしたまま鷲尾を睨んだ。……多分、あれだ。
伊藤と会った次の日、俺が罪悪感に苛まれて泣いて、俺に生きてほしいと言われて伊藤を抱きしめて抱きしめ返されたときのことを言おうとしたんだと思う。
身体を強く抱きしめられたあの力強い感覚を思い出してカッと身体が熱くなる。しかも今も嬉しいこと言ってくれたものだから、顔がにやけそうになる。なんか自分のなかがめちゃくちゃになってる。熱くなった顔を冷やすべく、うちわで顔を扇いだ。
「あー……とにかく、湖越から見て俺が都合の良い親友だったとしても、俺は透が罪悪感を覚えているのも薄々察してるし事情があるんだし責める気になれないし、このままの透も透で大事な存在に昔から変わりはない。だから……透を貶すようなことは言わないでくれよ。な?」
「……」
――伊藤に諭され湖越は押し黙る。再びシン、となる空気を殺すようにパン!大きな音が聞こえて一斉に音の鳴る方へ向いた。
「はい!おはなしの一段落もついたかしらん?あと20分ぐらいで花火始まるわヨン?ほら、あの階段を登ったところから見る花火は絶景なの!せっかくだし行って来なさいな!」
あの大きな音は黄色地に大きくピンクと白の花が描かれた派手な浴衣を着たゴンさんが手を叩いた音だった。
俺たちの不穏な空気をしばらく静観し、落ち着いた頃を見計らってくれたんだろう。
「あ、ほんとだ!早く行こう!ほら、誠一郎も……」
「……俺、帰るわ」
叶野が携帯電話を見て急かす。落ち込んだ湖越を気遣ってか名前を呼ぶが、湖越はすっと俺たちのほうへ向かってくる。
「……一ノ瀬、あと伊藤も……悪かった」
そして、俺たちのことを見ること無くすれ違いざまにそう小さな声で謝罪された。
湖越の方を振り返るが、こちらを振り向くこと無くそのまま歩いていってしまった。……俺よりも大きくて広いはずの背中は、前に感じたときとおなじように小さく見えてしまった。
「あー……ごめん!おれも帰ります!彼を引っかき回しっちゃったのはおれが原因だし……今度ちゃんとせつめいするね。ばいばい」
一連を見ていた吉田は、こうなってしまった責任感からかいつもより陰りのある作ったような笑顔でこちらが何を言われているのか理解する前に軽快に小走りにこちらへと向かってくる。
「いっち。だますようになっちゃって、ごめんね」
一回立ち止まって俺に耳を寄せてそう小声で謝罪された。……だますよう、に?聞き返そうとしたけれど、吉田の背はすでに小さくなっていた。吉田の背中が湖越を追い越すところまでじっと見続けていた。……吉田にはまた補修がある日に会えるから、その謝られたわけをしっかり聞いてみよう。
――――
「叶野たちがいたときは吉田もいつもどおりだったんだがな。2人が出発してから無言が続いたかと思えば『梶井くんのことどう思ってるの?』と普段の吉田と全く異なる空気でそう切り出し『お前には関係ねえ』と湖越が目も合わせず突き放したことがきっかけにあのような言い合いに発展した、止めようとはしたんだが……1回は話し合うべきかと思って黙って一緒にいたが、まぁ先程のように言い合いは止まらずさっきようやく止めることが出来た」
花火を見るために石造りの小さな幅の階段を登りながら、鷲尾が淡々と事のあらましを説明してくれた。感情的にならず起きた出来事だけを話してくれるのはこちらとしてはとても聞きやすいものだった。さすがに言い合う2人に長い時間挟まれ続けて疲れたのか大きくため息を吐いた。
「まぁお疲れ。……湖越と梶井ってどんな関係なんだ?叶野。お前は知っているな」
鷲尾を労りながらずっと無言のままの叶野についに伊藤が踏み込んだ質問をする。質問、というよりもすでに確証を得ていた。たぶん、あの期末テスト前の出来事からみんなが聞きたがっていたこと。『湖越と梶井の関係性』だ。
最初は鷲尾、次に小室を唆し叶野個人を追い詰めようとしたその原因は梶井の仕業であることを知った湖越がいきなり梶井を名前で呼び教室を飛び出し、まるでそれなりに親しい仲だったようだと感じていた。
梶井に至っては、湖越に何かを求めているような……でもそれを諦めたような口調だった。その疑問を聞こうとする雰囲気になる度、湖越は話したくなさそうにしていて目を伏せ叶野もこれ以上踏み込まないであげてほしいと懇願するような目でこちらを見ていたからその意を汲んで、ずっと聞かないでいた、けれど……。
「……うん、もうさすがに誤魔化されてもらうのは無理があるよね。これだけ騒ぎが大きくなっちゃったら、ね。多分誠一郎も俺がみんなに話すこと分かってると思うしね」
「教えてくれるのか?大丈夫、か?」
叶野は苦笑しながら頷いたのを見て心配になる。あれだけ言わないでほしい、聞かないでほしいと伝え続けていたのに叶野は話すことを決めた、あまりにあっさりとしているから心配になった。これで湖越と叶野の友情が壊れてしまうのではないかと危惧した。
「うん。……俺も誠一郎もね、本当は分かってるんだ。このまま逃げていたとしても後に引くことも先に進むことも出来ないんだって」
叶野の声は寂しそうな、後悔しているような響きだった。深呼吸してから叶野は話し出す。
「あれだけ親友って言ってたのにね、蓋を開けてみたら俺たちがしていたことは『共依存』だったんだよ」
「共依存?」
馴染みのない言葉に伊藤は不思議そうに聞き返した。もちろん俺も聞き馴染んでいる単語ではない、それは鷲尾もきっと同じだ。叶野は息を吐いて、苦しそうで心配になる。
「いじめを受けたことによって出来た俺の傷を広げることはしない、互いを傷つけず何かあったら庇う。その代わりに俺も誠一郎の傷を突っついたりせず否定したりしない、てね。声に出して約束したわけじゃないけれど、それが俺たちの暗黙の了解になっていったんだ。いつからこうなったか、それは俺が中学校を転校したとき。なんでこうなってしまったのか、それは俺のせいなんだ。
俺の異常に家族よりも早く気づいて味方でいて何とかしてくれた誠一郎に甘えていたから……依存したから、こうなっちゃったんだ。感謝と罪悪感から……誠一郎のことを全力でかばわないと、て思ってたんだよ。どんな事があっても俺の味方でいてくれる誠一郎のために俺ももしもどんなに誠一郎に否があったとしてもかばう、て。共依存を『親友』なんてきれいな言葉で俺の異常性を誤魔化してた。それだけなんだよ」
そう自嘲気味に呟いた。そんなことはない、と否定したかった。今までの2人の会話を見たとき本当に仲が良さそうだった、俺から見た2人はちゃんと親友だったって声を大にして伝えたかった。だけど、後ろにいる伊藤が俺の肩をトントン叩いてきて振り向くと、人差し指を口に乗せ何も言わないように、と声なく言われて腑に落ちない気持ちになりながらも押し黙り前を向いた。
「……俺も全部を知ってるわけじゃない、だけど知ってることはみんなにちゃんと説明するよ。誠一郎と梶井くんは、誠一郎が俺の小学校に引っ越してくる前まで同じ学校で同じクラスで……誠一郎曰く梶井くんは前の学校で1番仲が良かった『友だち』なんだって、そう小学校のときは笑って確かにそう言ってた」
生暖かい風が隙間を縫う。予想外と言うべきなのか、意外だったと言うべきなのか、言葉が見つからない。
まさか湖越と梶井が小学生のときの同級生で仲の良かった友だちだった、なんて思いもしなかった。だが、本当に友だちなら、それなら何故湖越はあれだけ梶井を避けるようにしていたのか、湖越と梶井が一緒にいたなんて聞いたこともない、何故一番仲良かったはずの『友だち』を避けているのか、疑問は尽きない。
「俺も誠一郎からすべてを聞いた訳じゃないんだ、誠一郎の言う梶井くんを写真も無かったから顔も知らなかったし同じ学校だったということも入学してから2週間ぐらい経ってからのことだったし、それを教えてもらった誠一郎には『もう俺の知ってる信人じゃなくなった』って言っていたから俺は何も言えなかった。意気消沈していた誠一郎に詳しいことを聞くに聞けなくて……でも、考えて考えた結果一つの可能性を思いついた。誠一郎が梶井くんとちゃんと向き合えなかったのは俺があんな頼りない状態だったからじゃないか、俺がしっかりしてなかったから誠一郎は心配だったから結果として梶井くんをおろそかにしてしまったんじゃないかって、そう行き着いた。もっと早くに俺がこうしていれば良かったのにって、今更もうどうしようもないけれど後悔と罪悪感が混ざり合っちゃって……ずっとぐるぐるしてた。自分が傷つかないように誠一郎にずっと、何も聞けなかった」
叶野は胸を抑えながら絞り出すようにそう言った。1番先頭で階段を登っている叶野の表情までは読めなかったけれどその背中は震えていて、何か声をかけたかったけれどどう声をかけていいのか分からず、結局黙るしかなかった。友だちとその友だちの友情が自分のせいで崩壊したのかもしれないと想像するだけで恐ろしくて、俺には何も言えなかった。
「吉田は知ってるのか、あの2人が過去友だちであったことを」
叶野の苦悩を聞いてさらに問いかける鷲尾。気遣わない鷲尾を冷酷、だとは思わない。特に鷲尾はさっきまで2人に挟まれたいたし直に疑問を感じていただろう、叶野もそれを分かっているようでその問を受け入れ少し考える素振りを見せながら答える。
「……少なくとも誠一郎はこのことを俺以外誰にも言っていないし俺も今初めて誰かに言った。入学当初は吉田くんが梶井くんと一緒にいたときがあるから、もしかしてそれで知っているかもしれない、という可能性はあるかも」
「推測の域はでない、か」
叶野自身あの2人の事情を今言ったのが初めてで、湖越の様子を見る限り誰彼構わず気軽に言うことも考えられない。だとすると吉田は梶井から聞いた直接聞いた可能性もある、が……吉田から何も俺は聞かされていないし、梶井のことをまだちゃんと分からない今は推測の域は出ない。
言っているかもしれないし、言っていないかもしれない。……たぶん、いっていないと思う。梶井の様子を見て直感的にそう思う。でも、ただの勘だからここでわざわざ言うこともないから何も言えないけれど……。
「それと、叶野」
「あ……、なにかな?」
突然鷲尾から名指しで呼ばれて、落ち込んでいる叶野が返事した。
「お前の懺悔はお前だけの物、そこに僕があえて突っ込むことはない」
「うん……」
叶野が2人に対して罪悪感をもち、懺悔したい気持ちは彼自身の問題である鷲尾はそう突きつけてきた、苦しげにしながらも鷲尾の言葉を受け止めた。
「だが、そこまで自分を責めなくても良いと思う。今聞いたのは叶野、お前の想定であって湖越本人からお前が原因だと言われた訳じゃない。それならまだ落ち込むのは早いだろう。落ち込むのなら、湖越に気になっていたことを聞いてからだ。お前はまだ何もしていない」
鷲尾は普通にいつもどおりのキッパリとした口調で叶野にそう言った。冷たくも感じてしまう鷲尾の口調、だけどその言葉自体は叶野を励ましている。俺は鷲尾の後ろ姿しか見えないけれど、きっといつもどおりキリッとした表情なんだろうと予想できた。鷲尾は中途半端で下手な励ましはしないし出来ない、素直だから。
そう鷲尾はどこまでも真っ直ぐで素直ということが分かっているからこそ、この言葉は嘘偽りもなく無理矢理気遣っている訳でもない、心からそう思って言っているんだって少し前の事件を得て俺はよく知ってる。それは俺だけじゃなくて伊藤も……もちろん叶野もそうだ。
「……そうだね、そうだよね。何も聞かないで落ち込んでたら、意味無いよね」
「ああ。……もうお前は嘘をつかないと言った、自分に嘘をつくというのに慣れきって簡単にはその嘘を剥がすことが出来ないのに、それでも教室にいる奴ら全員の前で大きな声で言えたんだ。嘘をつくことを辞めることが僕にはそれがどれだけ難しいのか分からないが、お前にとって盾みたいなものだったんだろう?盾を取っ払って身一つで堂々とすることを選べた、それなら湖越にまっすぐ問うことが造作のないことだろう」
小室に叶野自身の秘密や中学時代のことを引っ張り出されクラス全員の前で晒されてしまったとき、泣き出しそうになりながら震え声になってそれでも強がって『嘘をつくのをもう辞めたい』と言えた。
きっと自分の言いたいことを抑えることで何とか振り落とされないよう頑張ってきた。自分に嘘をついたことで、みんなに嘘をつくことになってしまったことに自己嫌悪しながらもそれでもそれが自分を守るための術だった。
それを辞めたいと言うのは叶野にとって恐怖であり、盾を自分の意思で無くすことを選択することがどれだけの覚悟と勇気を持っていたのかは俺には分からない。
自分に嘘をつかないという選択は、本当の正解なのか誰にも分からない。もしかしたらそっちの方が叶野は傷つくことは無かったのかもしれない。だがそれでも嘘をつくのを辞める選択をした。
1番恐ろしいと感じるであろうことを選択した叶野なら……きっと湖越に面と向かって聞くことが出来る、鷲尾はそう叶野に言った。鷲尾にとってこの叶野への言葉は事実を言っているだけのつもりなんだろう。至極当然と言わんばかりの物言い。
決めつけているのとは少し違う、鷲尾は叶野という人間を知りちゃんと見た上で心からそう出来る人間だと判断している。言い方がさっぱりしすぎて何の感情がないように無機質に言っているように聞こえてしまうけど。
「……はは、わっしーの言葉って重たいのに前向きにさせてくれるね」
叶野の声は鷲尾を茶化しているような、でもその声は少し震えていることが分かる。それを分かった上なのか本当に気づいていないのか分からないけれど鷲尾は「わっしーって呼ぶな」と、極めていつもどおりに返したのであった。
――――
「おー!確かにこれは穴場だね!」
階段を登りきった先に見えた木の手すり越しの空を見て、叶野は歓喜の声を上げる。登る最中無言で時折先頭の方から鼻を啜る音が聞こえた気がした。
「これなら花火大きく見えるね!人もいないしーみっちぃさんに感謝だね!」
だが、そうはしゃいでいる叶野はすでにいつもどおりだったからホッとする。
俺には何も言えなかったけれど……それでも、いつでも今の叶野を肯定は出来るつもりだ。……鷲尾が良いこと言ってくれたから俺には出る幕無かったけど。
「叶野は抱え込むから鷲尾がズケズケ言うぐらいが丁度いいんだよ」
「……なるほど」
さっきの叶野に何も言えなかった自分が情けなく感じていたけれど、俺の様子に気付いた伊藤がそう耳打ちされ納得した。
あの場で俺が変に叶野に気遣ってしまえば話が脱線しまう可能性があったかもしれない。少しずつ自分を出せるようになりながらもやっぱり抱え込みやすい叶野が自分から言えるのはなかなか出来ないことで、それなら全て出し切った上で嘘をつかない真っ直ぐな鷲尾が前を向かせる、という形が1番いい流れなのかもしれない。
「俺と透が今の叶野も受け入れていることはあいつも分かってるだろうけどな、まぁたまに声に出して言うといいかもしれねえな」
「……言わないと、伝わらないもんな」
「そういうこと」
ニッと歯を見せて笑ってそのまま手すりに肘をくっつけて寄りかかった。
「そろそろ始まるぞ」
そういわれて少しでも近くで見ようと伊藤のとなりに歩み、手すりに片手を乗せて体重をかけた。
「いいねいいねー!あーまだかな〜!」
「叶野、うるさ……」
手すりにより掛かる俺らを見てか、鷲尾が俺のとなりにそのとなりに叶野が来て、はしゃいでいる叶野に鷲尾がなにか言おうとしたと同時に、遠くから歓声が聞こえてくる。その声に釣られて目の前の真っ暗な空に目をやるとドン、と大きな破裂音とともに何もなかった空に花が咲いた。
「おおお!たーまやー!」
「かぎやー」
となりで叶野は楽しみながら、態度こそ変わっていなかったように見えた鷲尾も浮かれていたのか、夏の定番の掛け声を上げているのが聞こえながらもただただ目の前に映る大胆であり美しくあるが儚さも感じる花にただただ魅入っていた。
ドン、ドンと1つ目が終わるのを待たず次から次へと花火が打ち上げられる。
それはまるで写真のようで、それは黒いキャンバスに描かれた色鮮やかな花のような、非現実的なものに見えた。だけど、咲いて消える打ち上げ花火もかすかに香る火薬の匂いも、不愉快に汗で濡れた肌を撫でる夏特有の生暖かい風も遠くで聞こえる歓声も全て今の俺が味わっているものだ。
もう、無感情にテレビのニュースに映るだけの花火を見ている俺じゃない、俺自身がたった今体感しているものだ。
「……綺麗だ」
本当は叶野や鷲尾みたいにたまやとか言おうかとか色々考えていたけれど、ただただ目の前の迫力に圧倒され月並みだがそれしか言葉が出て来なかった。
――……来年は、この光景をここでみんなで見られたら良いな。
ここにいるメンバー以外にプラスで、湖越がいて吉田がいて……梶井がいて、みんなで笑い合って見れたら、いいな。
夢物語かもしれないけれど、そう思わずにいられないほどの感動を覚えた。嫌いな夏が少しだけ、好きになれたような気がした。
最後の一つ、締めとして一際大きい花火が打ち上がり花火大会の終わりを迎えた。しばらく初めての花火を見た感動の余韻に浸って、何も打ち上がらなくなった真っ暗な空をぼんやりと眺めていたが「そろそろいこっかー」と叶野が声をかけてくれたおかげでハッと余韻から戻ることが出来た。
「どうせ電車は混み合っているんだ、ゆっくりでいいだろう」
「そうねー。あ、わっしーも楽しかったよね?」
「……まあまあな」
「あら〜素直じゃないね〜」
『たまや』と花火に向けて言っていたときに鷲尾も釣られるように『かぎや』と言っていたのを俺と同じように隣だった叶野も聞こえていたんだろう、ニコニコとしている。
「透は感動していたな」
「……初めて見たからな」
記憶喪失になってから、は。内心そう思いながら伊藤に返した。夏休みも冬休みもずっと家にいたし友だちと呼べるべき存在も今までおらず、1人でどこかに行こうと言う気にもなれなかった。
「楽しかったか?」
「……ああ」
ここにいない3人のことは気になっているけれど、それでも今の自分の感情を率直に表すのならそうとしか頷けなかった。ほんの少し居心地が悪くなったけれど、伊藤は俺の返答に満足そうに笑ってくれたから、完全に居心地の悪さが消えずとも薄れていった。……いつもどおりの伊藤に戻ってくれて良かった。これなら昨日のこと話せそうだ。内心胸を撫で下ろした。
――――
叶野と鷲尾を駅まで送るまでの道で、俺は吉田と協力してみんなに内緒で梶井を呼んだんだと白状して謝罪した。……叶野はさっきの会話ですでに知っているのは分かっていたが、鷲尾も伊藤も何となく察していたようで呆れた顔をされたけれど怒られはしなかった。
「たまたま会ったのに吉田がしっかり人数分のくじを出されてきた地点でおかしい」
「まぁ透も最初は何故か驚いてたけど、すぐに梶井がいることを受け入れてたしなんかやってんのかって」
「……さすが」
そういえば鷲尾は吉田がくじを出したときすぐに突っ込んでいたな。伊藤は……俺をよく見ていた、と言うことなのか?何か複雑である。
「……秘密で梶井と吉田を呼んでああなってしまったきっかけを俺が作ったようなものなので怒られても、仕方がないと思うが」
思った疑問をすぐにぶつける。そう、叶野はいいよと言ってくれたが伊藤と鷲尾の意見はまた違うだろう、2人とも梶井に色々されたほうなのだから何か言われても仕方ないし俺が悪いことをしたから謝ろうと思っていたのだが……。
「別に気にしてない」
「わあ。ハモってる」
2人同時に一言一句違わず言い切った、すでに解決済みである叶野が声を上げる。伊藤と鷲尾はハモったことにお互いを嫌そうに見つめ合って、少しして視線を俺に向ける。
「あいつがいたのは驚いたけどな、俺は別にあいつにされたことはいつかそのうち来ることでしかねえからどうでもいいんだよ。透が良いって言うならそれで良いんだよ」
「梶井に唆されたが、梶井1人のせいにするつもりなどない。正直言えば一緒にいるのは複雑な気持ちになる、だが実害がなければ僕はそれでいい。……無論叶野が大丈夫であれば、だが」
「余裕っすわー」
「なら良し」
伊藤、鷲尾、叶野の順であっさりとそう言われる。……俺の気にしすぎだったか。何か訳ありな雰囲気だった湖越を抜かせば最初から言っても平気、否言うべきだったのかもしれない。吉田からもサプライズにしよと提案されたのもあって本当に何も言わず当日を迎えたが……俺にはやっぱりサプライズは向いていない、今度はサプライズは無しの方向で行こう。
「やっぱり感性似てるよね、見た目間逆なのに」
「誰がこいつと!」
うんうんと腕を組み叶野が頷いていると、またしても伊藤と鷲尾がハモった。それを間近で見た俺は
「……仲良いな」
とつい呟いてしまった。
――――
「あー……明日から俺いねえから」
「……え?」
叶野と鷲尾を改札口まで送って、この着せてもらった甚平を返しに行こうとゴンさんの店へ向かおうとコンビニの前を通る際どうしても昨日から今日の始まりまでずっと食べたかったアメリカンドッグの存在を思い出し、素直にその旨を伝えれば「食い足りなかったのか?」と笑われたが快くオッケーしてくれた。
……とにかくアメリカンドッグが食べたかったのですぐさまレジへ向かい、フライヤーのところにそれがあることを確認してすぐに店員に注文した。
袋はいらない、と言いながら108円丁度渡してそのまま手に持って外に出て早速ケチャップとマスタードで分けられているプラスチック製の入れ物を押し出すようにプチっと潰すと一緒に出てくる、伊藤に教えてもらった当初この素晴らしさに感動したのは記憶に新しい。早速口を大きく開けて食らいついた。
半分ぐらい食べたところで缶コーヒーを買った伊藤が来て、一口飲んで戻ってきた当初は笑顔で普通に話していたのだが、バイブレーションの独特の音が目の前から聞こえてくる。伊藤の方からその音が聞こえてきて伊藤も振動に気づいて携帯電話を手に取ると表情が変わる。
「……はぁー」
息を吐き切る如く大きな溜息を吐いた。苦虫を噛み潰したようなそんな表情を浮かべて、その痛んだ金髪を携帯電話を持った手でぐちゃぐちゃにかき回した。
今までに無い伊藤の反応に首を傾げ、丁度アメリカンドッグも最後の一口を頬張ったあとで小麦粉とソーセージの刺さっていた木の細い棒をゴミ箱に捨て、口の中に飲み込んでどうしたのか問おうとしたところ先程急にそう言われた。
そのことを脳が上手く機能してくれなくて聞き返してしまう。伊藤は嫌そうに……本当に、嫌そうに補足してくれた。
「あー……まぁ俺は普段ゴンさんのところで居候させてもらっているんだけどな」
それはゴンさんに店に連れられたときに聞いた。血の繋がりが全く無いのに、どうしてだろうと思っていた。
「……簡単に言っちまえば俺、血の繋がっている家族と仲悪いんだわ。俺が物心ついたときにはもう一方的に嫌われてた。そのうち……、俺も大嫌いになった」
目を伏せ、言いづらいであろうことを小声ながら伝えてくれる伊藤に目を見開いた。血の繋がりのある、ちゃんとした家族なのに。どうして伊藤を嫌えるのか分からなかった。
「……なんで」
「さぁ?厳しかった祖父と俺の顔が良く似ていたから、だったか?」
「そんなことで……」
なんでもない顔して言われた理由に開いた口が塞がらない。そんな理由でこんなに良い人である伊藤を嫌えるのか、伊藤とその祖父は別の人間じゃないか。
伊藤を蔑ろにするその家族に、失礼かもしれないがそれでも怒りがおさまらない。
「……怒ってくれてありがとな。でももうな、あいつらは俺のなかでどうでもいいことなんだ、俺がゴンさんのとこにいるのもあいつらは知った上で放置してる。高校卒業したら、学校に行きたいなら金は出してやるから家から出てけ関わるなって言われてるし、俺も俺のことを蔑ろにしてくる奴らを俺も大事にする気なんかねえ。血の繋がりがあろうとな。俺はちゃんと俺のことを見てくれる人だけを大事にしたい、そう思ってる」
「……そうか」
キッパリと堂々とそう言う伊藤の目は晴れていて、自分を蔑ろにしてきた血の繋がりのある家族のことは既に伊藤のなかで決着のついたことなのだと、言葉にされなくても分かった。……伊藤にそのことに悩みがないのが嬉しいはずなのに少しだけ胸がざわつくのは、何故だろうか。
「?それなら、どうしてそんな嫌な顔を?明日からいないという理由は?」
気付いたことを聞いてみる。すでに解決済みであるのなら先程の嫌そうな顔や明日からいない理由が分からなかった。俺がそう聞けば伊藤は眉間に深く皺を寄せる。
「……実家」
「ん?」
「……夏休みと年末年始、あいつら父親の実家に行くんだよ。それだけは俺も行かねえといけねえって決まっててよ」
「……なんで?」
――よくわからない。まず率直にそう思った。
なんで伊藤を嫌っているのに、高校卒業したら出て行けとか本人に言っているのに伊藤がそうしないといけないのか分からなくて聞き返した。
「よく分かんねえけど、なんか実家の方は結構大きな家らしくて俺も連れて行かねえと親戚のほうからとやかく言われるんだとか。まぁ外面気にしてのことだな、あいつららしい」
「行かなくても、良いんじゃないか」
「俺もそう思う。だけど俺まだ未成年だしな……。高校の金もあいつらが出してるし嫌われてはいたが目に見える暴力は受けていないし食事も服も与えられてる、外から見りゃ俺だけが反抗的であいつらは良い奴らに見えるだろうよ、外面だけはいいしな。変に反抗してゴンさんの家から連れ出されたらそっちのほうが嫌だし、まぁあと2年ぐらいだし今は我慢すりゃいい」
感情的になる俺とは対称的に伊藤は淡々と冷静であり、客観的な視点も含めて説明してくれた。……伊藤は未成年でまだ高校生で、今家族が容認している上でゴンさんのところにいるけれど法的なものではない。伊藤を法律的に連れ戻すことだって可能だ、伊藤の口ぶりからするとそうして連れ戻す可能性自体は少ないのかもしれないが、もしも下手を打てば連れ戻すことも可能だ、ゴンさんも警察を介入させれば最悪逮捕だってあり得る。
それなら18になるまでは要望を受け入れるのが利口なんだろう。俺にはもう何も言えない。俺に出来ることは何もない。その事実が歯痒い。
つい歯ぎしりしてしまう俺に伊藤は力を抜いてゆるりと笑みを浮かべた。
「俺なら平気だよ。でもあっちの家つまんなくて退屈だろうからメールしてもいいか?」
「もちろん、俺からお願いしたいし電話だってしたい」
食い気味に顔を近付けて答えた。俺の行動に驚いたように後ずさられてしまう……必死過ぎ、たか。自分が起こした行動があまりに必死な感じが伊藤にも伝わってしまっただろう……引かれてしまっただろうか?
「……ハハ、ありがとな。少し気が楽になったわ」
伊藤は笑ってそう言ってくれたので、俺の悩みは杞憂に終わった。少しでも伊藤の気が楽になるのなら俺も嬉しい。
伊藤と離れることが寂しいからせめて声だけでも聞きたいという俺自身のための理由もあるのは少し、罪悪感がある。でも伊藤の少し気の抜けた笑顔が嬉しいからそのことは黙っておくことにした。
「今日、機嫌が悪かった理由ってそれ、なのか?」
ゴンさんの店で待ち合わせしたときから機嫌が悪そうだったことを思い出して隠すこと無く聞いてみた。ピリピリしていて落ち着かない様子はいつもとは全く違っていたものだった。
祭りの途中から機嫌は少しずつ治っていって花火を見終わった時にはいつもどおりの伊藤に戻っていたけれど……何故少し怖い雰囲気になっていたのか分からないままだった、てっきり俺が梶井を隠れて呼んだことに気付いたからかとも思っていたけれどさっき打ち明けたときは怒っている素振りなど無く俺が良いのであればそれでいいと言ってくれたぐらいだ。
どうして機嫌が悪かったのか、それは明日から実家の方に行かないといけない、から?
「……あー、それもある、んだが」
「が?」
疑問を隠すこと無く目を合わす俺とは逆に言いづらそうに目を伏せる伊藤。それもあるけれど、それだけではない?理由が知りたくて口ごもる伊藤を目だけで続きを促す。
じっと見てくる俺に根負けしたように一つ溜息を吐いて目を合わせてきた。
「……透、俺に隠してること、ないか?」
そう、恐る恐る聞かれた。隠していること?何のことなのか分からなくて首を傾げて考える。
「一昨日バイトに来なかった理由とか、……昨日、駅の前で車に……」
「……ああ、見てたのか」
伊藤に言われて確かに一昨日不自然に急にバイトを休んだ上、心配する伊藤に来なくていいと突き放したようになっていたし、昨日伊藤からすれば見知らぬ車に乗り込む俺が視界に入っていたのだろう。……今日の帰りにでも話そうと思って言わなかったことが裏目に出てしまったな。
昨日九十九さんと話し合って泣いて少しだけ距離を縮めることが出来て、家に帰ったあとも吉田とどう合流するかの計画を練っていたから、明日伊藤に会えるしと思ってしまったのである。それに……。
「すまない、一昨日のことも昨日のことも全部今日直接話そうと思ってて……。あまり叶野たちにも聞かせられるような内容でもないし祭り前にするような話でもない、と思って……伊藤にちゃんと話したかった、し」
さっき電話の提案をしておいてあれなのだが、俺としては大事な話はメールや電話ではなくちゃんと面と向かって話したかった。特に今回は、可能な限り1人でやってみたかった。
梶井に指摘されたから、というのもあるけれど前々から俺は伊藤に甘えていたことは自覚していたことだったから。きっと伊藤は気にしないと言ってくれるけれど、それでは俺の気が済まない。……と格好つけたことを考えていたけれど、俺が勝手に突っ走っていた、伊藤からすれば訳が分からなかっただろう。
突然バイトを休んでその理由も具体的には言わず、挙句見知らぬ車に乗り込んだのを見かけた翌日当の本人は何も言わないで祭りを楽しみにしているのを見ていたのら…………機嫌悪くなるのも普通のこと、だな。