3.先を生きる人。

 8月10日、現在の時刻は18時少し前。叶野たちとの待ち合わせの時刻は18時だったので少し早めに来たけれど、すでに3人ともの姿が見えた。伊藤とともにみんなのところへ近づくと、周りのことをよく見ている叶野がすぐさま俺たちに気がついた。

「お、2人とも甚平なんだね!!いいねー似合ってるよー!」
 俺らのしている格好について早速感想をくれた。現在俺と伊藤は甚平を身に纏っている、初めて着たけれど意外と動きやすくて俺は結構好きだと思う。ちなみに俺は紺色で伊藤は緑色だ、ゴンさんが持っているとはちょっと予想外な少し渋めで落ち着く色合いをしている。
 伊藤の甚平は無地なのだが……何故か俺の甚平は大きく花が描かれている。女性もの、ではないよな?そこはゴンさんも何も言ってくれなかったし、伊藤も叶野も似合っているとは言ってくれたけれど柄についてはノーツッコミだし……変ではないのだろう。そう納得することにした。

「ああ、ゴンさんが着せてくれてな」
「……急に呼び出さたかと思ったら。急に脱がされて驚いた」
「サプライズと人の驚いた顔が好きだから、説明を省くくせがあるんだよな。善意からだからこっちも怒れねえし……」
「へぇ!いいな〜俺らも何か着てくれば良かったね!」
「いや俺はいい……」
「もー誠一郎ってばノリが悪いなー。わっしーだって浴衣で来てくれたんだし!来年は俺らも何かしらしようぜ!」

 気乗りしない湖越に対し遠慮なくバシバシと肩を叩いている叶野は、来年確実に着て来るのだろうと予想できた、多分湖越も巻き込まれるだろう。そして叶野が言ったとおり今まで無言を貫いている鷲尾の格好は濃い紫色の矢絣柄の浴衣を黄色の帯で留められている。

「……今日友だちと祭りに行くと言ったら、張り切った母に着せられたんだ。いつの間に用意していたのかも分からん。決して僕自身が張り切った、とかそういうのではないからな。断じて」

 目を逸らしながら珍しく歯切れ悪くそういう鷲尾。多分、自分だけちゃんとした浴衣なのが恥ずかしくなったんだと思う。
 叶野たちはいつも通りラフな私服で俺らも和装に入るとは言え浴衣に比べれればゆったりしてる。あと周りの祭りへ参加するであろう人たちを見ても男性で浴衣姿は結構少人数に感じるからそれもあるかもしれない。……格好とかは相談して見たほうが良かっただろうか、俺もゴンさんに着替えさせられる寸前まで私服で行くつもりだったしな。

「……でも、似合ってるよ」
「うんうん!わっしーは甚平より浴衣のほうがイメージに合うしね!」

 俺の感想に叶野もうんうん頷いている。鷲尾への俺や叶野の感想は決して慰めではなくて本心からのことだ。
 元々鷲尾の姿勢はピッシリと真っ直ぐでしっかりと前を向いて胸を張っている。身長もあって染めたことのないであろう黒い髪と意志の強い黒い目、いつも堂々として雰囲気もあるし、鷲尾の浴衣姿は迫力がありかなり似合ってると思う。
「……そ、うか」
 俺らの言葉に安堵と照れが混じったような表情を浮かべた。
「来年は一ノ瀬くんも浴衣着てみれば?似合いそう!」
「んー……考えておく」
 叶野の提案により来年の祭りのときの格好の選択肢が増えた、来年どうするか今から悩ましいところだ。

「……そろそろ行かね?」
 携帯電話で時間を確認した伊藤が声をかける。
「肝試しって19時半からだったよな?……まぁ肝試し行かなくてもいいならもう少しここにいても」
「行きましょう!」
「くそっ……」
 肝試しから何とか逃れたい湖越だったが叶野の元気の良い返事によって打ち消され、苦虫を噛んだような顔をした。
「?伊藤も肝試し行きたくない組だったのだからこのまま何も言わなければ良かったのに」
「……そう、だな」
 肝試しをしてもしなくても良い鷲尾は伊藤に首を傾げる。あんなに怖がっていたのを自らすすんで行こうとするなんて。……本当は、合流する前から様子がおかしいんだ。
 ゴンさんに呼び出されて店に向かうと既に伊藤がいたのだが、なんと言うか……素っ気ない。完璧に無視される訳ではないし、会話もしてくれる。でも距離を感じる。
 まず目が合わない、今だって俺に目を向けることもなく隣に来ずどんどん先に行ってしまう。ゴンさんの店からみんなのところに向かう最中もいつもより会話が少なくて俺から目を合わせようとしても伊藤の眼はどこか違うところへ行っていて。

「……」
「大丈夫か?」
「……うん」

 心配そうにこちらの様子を伺う鷲尾にはそう答えたけれど正直あまり大丈夫ではなかった。先頭を歩く伊藤に叶野と湖越、鷲尾と俺が二列になって続いて歩く。
 こちらを見ずに歩く伊藤の背が大きく感じて不安に思う。これから吉田たちと合流するのに俺が不安に感じていたら支障を来しそうで、鷲尾と話すのに集中する。今度鷲尾と2人で遊ぼうと約束したことについて、まだ日程も決まっていなかったことを思い出したのだ。
 今年の夏は県外に住む祖父母のところに行くのは父親だけで鷲尾は行かないのでいつでも良いと言うので、明後日とかはどうかと話し合っている俺らに誰かが視線を向けていたことに気が付かなかった。

「よっしゃ!着いた着いた!」
「へー結構賑わってるな」

 叶野は目を輝かせてキョロキョロとあたりを見回す。早速ゴンさんから貰った無料引換券を使う気満々である。

「とりあえず1時間はこのまま回れそうだな」

 時間を確認して鷲尾がそう声をかける。肝試しが始まるのが19時半で少し早めに集まれたのでまだ18時半にもなっていない。
 夏の時期の日暮れは遅くまだ明るいがすでにそれなりに人がいた。神社までの道の隅の方に空いているスペースにぎっしりと屋台がある。結構賑わっている印象。

「なに食べよっかな〜!こういうところの焼きそばって異常に美味しいんだよ!」
「そうなのか」
「この間海で食べるのと同じぐらいね!俺は早速買いに行って参るー!」
「……僕も行ってくる」

 叶野の力説に心が動いたようで駆け出していくのを鷲尾もついて行った。それを見送って俺も近くの屋台には何があるのか遠目から見てみる。
 今までテレビ越しでしか見てこなかった祭りの風景。テレビで映るのは色鮮やかで大きな花火と人だかりの混雑具合。画面越しで見ているだけでは分からないことって沢山ある、海に行ったときから分かっていたが改めて知る。
 食べ物の匂いとか、海のときとはまた違った賑やかさとか子どもの笑い声とか。行かないと分からなかったことばかりだ。
 初めての祭りの雰囲気にあたりを見渡す。……フランクフルト屋はあってもアメリカンドック屋というものは無いみたいだ。どういうことか昨日から無性に食べたい。やっぱりさっきコンビニに寄らせてもらったほうが良かっただろうか、いやでも祭り前に食べるのもな……。

「お、輪投げだ。懐かしいな」

 祭りが終わってそれでも食べたかったら帰りどこかのコンビニに寄ろう。ここに来る前にもコンビニもあったしと考えながら湖越の言葉に反応して視線の先に目を向ける。

「お、あんちゃんたちもよかったらやってきなよ!5回で200万円ね!!」
「200万……?」

 俺らの視線に気がついた愛想の良い頬やお腹に少し肉付きの良いおじさんに声をかけられたが、なんだかとんでもない値段の提示に戸惑う。

「……一ノ瀬、200円のことだからな」
「そうなのか?」
「親父ギャグってやつ?はい、200万円」
「まいど〜!」

 湖越に釣られて俺も百円玉2枚を渡し交換でプラスチック製の色とりどりで同じ大きさの輪っかを5個手渡される。記憶喪失で輪投げをやったことのない俺でもどうやってどのようにして遊ぶのかはさすがに分かった。
 プラスチック製のこの輪を投げて木で作られたっぽい突起のなかに入れる、至ってシンプルなゲームだ。突起の近くに景品と思しきぬいぐるみや最新のゲームソフトなど色々置いてある、近くの突起に入れれば手に入る仕組みだろうと予想できる。
「あ、輪投げするの?懐かしいな〜」
「おうおかえり」
 ソースの良い匂いをさせながら戻ってきた叶野。その隣で鷲尾も俺たちの様子を窺っている。……伊藤は、なぜか少し離れたところにいる、すごく遠いわけではないが気軽に話しかけにくい距離。鬱々とした気持ちのままに改めて物色する。どれをとろうと狙おうか迷う。
「あーくそ、全然だめだっ」
「力入れ過ぎだったな、もう少し力を抜いたほうがいいと思うぞ」
 湖越はさっさと投げきってしまって残念がっているのを投げているところを見ていた鷲尾がアドバイスしている。湖越は「もう一度!」とまた店の人に200万円払っていた。
「あはは誠一郎結構負けず嫌いだからなあ。一ノ瀬くんは何狙うの?」
「まだ決めていない……」
「そっか、まぁ誠一郎はああなると長いからさ。ゆっくり決めなよ〜。あ、俺ちょっと端の方で焼きそば食べてるね!鷲尾くんも行きましょ〜。伊藤くんも連れていくね!」
「……わかった」
「ああ、そうだな」
 焦る時間でもないと優柔不断に何を取ろうとするのかも決めていない俺に急かすことなく、とりあえず焼きそばを食べようと鷲尾を呼んで屋台が列になって並んでいるところから少し外れた方へと移動していくのを見送った。……離れたところにいた伊藤にも一言二言声をかけてこっちのことを見ずに叶野たちについていくのも、見送った。
「くそ、もう一回!」
「いやぁ〜惜しいねえ!」
 未だに取れず悔しがっている湖越の隣で俺もそろそろ真剣にどれを取るか決めようと思う。目についたものを順番に見ていく。最新ゲーム機やソフトはあまり興味はないし、アニメのフィギュアやパズルなどもあったけれど心が惹かれるほどのものはない。どうしようか。
 もういっそ適当に取れそうなものを取ろうかな、と思い始めたころ完全にノーマークだったぬいぐるみにふと視線を向ける。

――――

「……」

 そこにあったのは黄色い物体……じゃなくて、ライオンのぬいぐるみだった。仔犬ほどの大きさで四足で綿が詰められていてちょっとふにゃふにゃしているように見える。

 あくまで景品であって商品ではないから試しに触れたりはできないけれど、たてがみも身体もふわふわしていて今の時期だと肌に張り付いて暑そうだなとか人通りの多い中男子高校生が持っている姿はどう映るのだろうかとか荷物になりそうだなとか色々考えてみたけど、このライオンの目は何故か店で売っているような目のパーツが縫い付けているだけではなくその周りに半月型に切られた白い布が縫われていてまるで三白眼みたいになっていて、目の上には黒い糸で作られたキリッとつり上がった眉まであって。
 そこまで認識したかと思えばいつのまにか俺は青い輪を投げていた。あのライオンの近くにある突起に向かって。だって目が合っちゃったんだ。あの誰かを連想させるライオンと。

「……」

 輪投げはおろか、こういったゲーム全般をやったことのなく運もない俺に残された輪っかは1個になってしまった。もちろんライオンは取れていない。情けなくてため息を吐こうとした、
「うし!取れた!!」
 突然隣から大きな声が聞こえて驚いて肩が跳ねた。隣を見れば粘りに粘って漸く輪っかを突起に入れることに成功した湖越がガッツポーズしていた。
「おお、おめでとう!はい、腕時計!」
「あざす!」
「……おめでとう」
「おう!ありがとな!」
 ずっと粘っていた湖越に店の人もついに応援モードに入っていたのか純粋に祝福していたから俺も言ってみれば良い笑顔でお礼を言われる、湖越の全力の笑顔を見たのは初めてかもしれない。店の人に渡された箱に入っている腕時計を宝物のように抱いて上機嫌になった湖越だったが、周りの生暖かい視線に気づいて咳払いをして冷静を振る舞う。
「あ、あー俺は希望たちと合流しようと思ってるんだけれど」
「……すぐ行くから、先に行っていいよ」
「そうか、じゃああいつらにも伝えとく。ちなみに何がほしいんだ?」
「……あれ」
 指をさしてどれを狙っているのか教えると「へぇ何か意外だなぁ」と何も勘繰られることなく俺がただぬいぐるみを取ろうとしている事実だけに感想を述べてくれて何となくありがたい。……叶野も多分聞きはしないだろうが、何か察したかのような空気があるから少し居心地悪い。決してきらいじゃないし良いところだと思うが、ただ俺が勝手に居心地悪い気持ちになるだけだ。
「んじゃまた後でな」
「ああ」
 湖越に軽く手を振って見送ってまたぬいぐるみと対峙すれば目が合う。別に、取れなかったところでは死ぬことではないし湖越みたいに何度でもやればいい。誰かにあげたいとか絶対に取らないといけないとかそういう強制はないけれど……なんとなくこれで取れないと行けない気がしてついついシミュレーションに力が入って時間ばかりが経過する。

「まだやってんのか?」

 一体どのくらいが時間が過ぎていて叶野たちと別れて何分経ったとか何も気にしていなかった、そのため声をかけられるまで考え込んでいた自分に気づく。あまりに時間を食っているのを呆れてか伊藤の声はどこか脱力しているような気がする。……一気に申し訳なく思った。

「……あと、一回」
「随分と悩んでたって湖越から聞いたぞ?何がほしいんだよ」

 どこからかぎこちない空気が流れている気がする。やっぱり今日の伊藤は少しいつもと違う。いつもよりも口数が少なくて今もこちらを見ない伊藤だが口調はいつも通りだから、いつもどおりにそう言われているだけだってわかっている、のだが……。

「……ごめん、もういいや。行こうか」
「え」

 今日だけは『いつまで待たしてるんだよ』と怒られているような気がした。さっきまで考え込んでどのぐらいの距離感なのか投げる力はこのぐらいって何回も頭の中で考えていたのが嘘のように一言謝ってあと一個になった黄色の輪っかを置いてスッと立ち上がる。
 湖越から聞いた割にはあまりに潔くもういいと言われたから伊藤が驚いた声を出した。……ごめん、伊藤はいつも通りに話しただけで俺の感じ方が少しすれ違った。いつもどおりに話してくれたのに勝手に傷ついた自分を隠したくてそのまま店から離れようとする。
「いや、待てよ!別に平気だろ、あと一回なんだろ?」
「でも叶野たちも待たせちゃってるから」
「一回分ぐらい大丈夫だろ、どれが欲しいんだよ?」
「いやもう、」
 いいから。少し強めにそう言いそうになる自分に気づいた。伊藤は後一回ぐらいやればいいと言ってくれているのに怒りっぽく言ってしまいそうになる、空気が悪くなってしまうとは思うが、俺がもういいって伝えているのに引き下がる伊藤に苛立ちも覚えてそのまま口が滑りそうになる。

「ありゃ?もういいのかい?あのライオンのぬいぐるみだけを睨むように見て1回1回丁寧に輪っかを投げていたじゃないか、せっかくあと1回出来るんだしやっちゃいなよ!」

 口論になりそうな俺らを見かねてかまだ出来るのに勿体ないと言葉通りに思っているのかは分からないが輪投げ屋の店主が声をかけてきた。予期せぬ人からいきなり先程までの自分を説明されて止める間もなかった。その場の時間が止まった気がした。
「っ」
 思わず顔を隠した。全然伊藤に欲しいものが何なのか教えたくなくてさっさと切り上げた訳ではないが、ぬいぐるみを欲しがっていることを知られてみると恥ずかしくなった。いたたまれない気持ちになっている俺にお構いなしに

「……ぬいぐるみ?」
「ほらあのちょっと奥のヤツだよ、まだ1回分も終わっていないのにすごい集中して考えながら投げていたからよっぽどほしいものなんだね!」

 伊藤が聞返せば親切な店主はどのぬいぐるみなのか余計な情報を添えて教えている。やめろください。叶うのなら土下座してお願いしたい。身長もある男子高校生が態々ぬいぐるみを欲しがるのを名も知らない店主が同級生の親友に教えられているこの状況がいたたまれない。正直ダッシュで家に帰りたい。

「あれでいいのか?」

 態々俺に確認を取る伊藤も伊藤である。あれでいいんじゃないあれが良いんだよ、と内心逆ギレしながら頷いた。
 俺が肯定したのを確認すると伊藤は俺が置いた黄色の輪っかを持ったかと思えばすぐに軽くスイっと投げた。勝手に投げられた、と思う前に投げられた輪っかを反射的に目で追いかける。
 俺が投げたように無駄に回転せず空気抵抗があるにも関わらずブレが生じることもなく、まるで計算されたかのように綺麗に輪っかの穴は突起を通った。

「おお、おめでとう!兄ちゃんすごいねえ!なかなかやるね!」
「あざす」

 店主は驚きながらも嬉しそうにしながら景品のぬいぐるみを鷲掴みして伊藤に渡した。

「ほらよ」
「……」

 渡されたぬいぐるみを俺に差し出してくる。目の前にあの欲しかった目付きの悪いライオンのぬいぐるみ。……結局俺の力ではなく伊藤が取ってきた、ぬいぐるみ。
 あれだけ綿密に計算して力加減を考えていた俺を抜いてあっさりと一発で取られて、取った伊藤自身は折角取れたというのに何の表情に変化はなくさも取れて当然といった顔をされている。目の前にあのぬいぐるみがあるのは嬉しい、嬉しいが……なんかちょっと腑に落ちない、不貞腐れたい気持ちにもなった。
「……いらない、のか?」
 いつまでもぬいぐるみを凝視して受け取らない俺に恐る恐ると首を傾げ聞いてくる伊藤。少し不安そうで、余計なことをしたか、と今にも悩み出しそうな雰囲気だった。
「いる。……取ってくれてありがとう」
 差し出されたぬいぐるみを今にもしまいそうな雰囲気を阻止してそっと受け取ってお礼を伝えた。本当は自分で取りたかったし俺がぬいぐるみを狙っていたことを結構な大きな声で言われたものだからいつの間にかそれなりの人数が周りにいたせいで視線が痛いし……最後の一回で格好良くなんでもない顔して伊藤が取るから何か少し顔を合わせにくいし。
 それでも、欲しかったものが手に入ったことと伊藤は俺のことを想って取ってくれたわけで。周りに見られる羞恥と伊籐に一応これでも男としての威厳に敗北感を仕舞い込んでても受け取ってお礼を言いたかった、から。
 ちゃんと力は軽く、でもしっかりとぬいぐるみを握りしめた。俺の反応に伊藤はさっきまでのしょぼくれていた雰囲気を一変させて笑顔で「どういたしまして」と返した。……いつも通りの伊藤に安堵したのは内緒。
 そこで俺らの会話を先程の湖越に向けた視線とよく似た生暖かく見守っていた店主のおじさんが何かに気がついたように声をかける。なんとなく嫌な予感がしたので警戒する。

「あ、そういやそのぬいぐるみ、そこのお友達のお兄さんにちょっと……」
「よし、叶野たちも待ってるから行こうか。な?長居して失礼しました、それでは」
「ちょっ……おいっ、とおる?」

 案の定また余計なことを言い出しそうな雰囲気を察して、伊藤を有無を言わさず引っ張りその場を後にした。
 このライオンが伊藤に似ているなんて言わせてたまるか。俺がまたしても恥ずかしくなるだけだ。
 後ろから突然引っ張られたからか慌てて俺の名前を呼ぶ声が聞こえるが今だけはスルーした、とりあえずこの場から離れることを最優先に考えていた……ものだから、吉田との計画をこの瞬間だけは忘れていたのだ。

「あ、いっちー!それにすずたんも!奇遇だね!!」
「っ吉田、か?」

 何故かゴネる伊藤を無理矢理引っ張っていると大きな声であまり呼ばれない、一人しか呼ばれないニックネームで俺と伊藤は呼ばれて同時に振り返る。
「すずたん呼ぶ、な……?」
 前と同じように特徴的なニックネーム(呼び続ける気力と精神力があるのは吉田ただ一人である)を否定しようとして伊藤は元気に手を振って駆け寄ってくる浴衣姿の吉田の後ろにいる人物に中途半端に言葉を切って驚いている。ちなみに俺もこの瞬間だけは計画のことを忘れていたので吉田に呼ばれたとき驚いたのは演技でもなんでもなく素だった。……だけど、俺も驚いた。

 吉田の後ろにいた人物は梶井だった。伊藤にも誰にも吉田たちと合流すると言っていないからそれは当然だけれど、俺も本当に吉田が梶井を連れてくるとは心の底では出来ないと思っていたから。

「……どーも」

 大人しく吉田に連れられているのが意外と感じ、ついつい不躾に視線を向けるとしかめっ面の梶井とバチッと目が合う。俺の視線にうざったそうに眉を顰めて、下唇を上唇で舐めるように噛んで、一言。どう見たって歓迎されてはいない。何なら伊藤だけでも妙な空気が流れているように感じた。

「ふたりがいるってことはのぞみんたちもいるのかな?そんならいっしょにまわりましょ〜!」

 そんな空気などどこ吹く風と気づいていないのか気づいた上で無視しているのか判断は付かなったが、兎角強引に一緒に祭りをまわることになった。かなり、荒業な気もするけれど……。

「そういえばなんで2人仲良くお手手つないでるのん?」

 ……吉田に突っ込まれて恐る恐る良く馴染んでる手のひらの感覚。その正体を探りたくないけれどしっかり見てしまう。
 そこにはしっかりと伊藤の手を握っている己の手が俺の視界に焼き付いた、伊藤は頬を赤らめている。俺はすべてを認識した。ずっと伊藤の手を握って引っ張っていた。さっき伊藤はそれを指摘しようとして名前を呼んでいたのであろうと言うことも。……最早何も言えない。手を放して力なく俯いた。

(ヒラメになりたい……)

 冷静じゃない頭でもなぜそんな変なことを考えているんだと思ったが、何故かそんなフレーズが思い浮かんだのだから仕方ない。熱くなった頬を冷ますのに時間が掛かった。

――――

「そろそろ肝試しの時間かな?移動しまっしょ〜!」

 暗くなり始めた19時過ぎ、祭りに参加する人も俺らが来た当初よりもさらに増え賑わいを見せている。その空気感には吉田の元気で張りのある声はよく馴染んでいる。
「あ……うん、そうだね」
「……」
「分かった」
「……」
「……」

 平常に吉田の言うことにすぐに頷いたのは俺だけで、叶野こそ返事自体はしているものの戸惑いを隠せない様子で一番後ろを歩く梶井が気になって視線をチラチラと向けている。伊藤や鷲尾、湖越は無言で、梶井も居心地が悪いようで俺らの方へ視線も向けずどこか遠くを見て俺らから少し離れた後ろのほうで歩いてこちらに入ってこようとしない。
 ……傍から見れば吉田以外の俺らのほうがこの場に合わないんだろう。この祭りの空気感の中で元気で調子が良さそうなのは吉田だけなのだから。『サプライズだから誰にも言っちゃだめよ!のぞみんにもかっちんにもすずたんにもだれにもね!!』と、吉田から念押しされたものだから本当に伊藤にも誰にも言わずに今日祭りに来たのだが……伊藤か叶野のどちらかには言っておいたほうが良かったのかもしれないと少し後悔する。
 特に叶野や鷲尾は梶井が原因で追い込まれそうになったこともあるし、俺が来る前には伊藤も梶井によって陥れられたことがあって……湖越も梶井とは前々から顔見知りではある雰囲気ではあるのだが何かがあったみたいで仲が良い、とは言えないようだった。そこまで思い出して一つ違和感と疑問を覚える。
 そういえば、吉田は俺に誰にも言わないよう念押しした際何故湖越の名前は出て来なかったのだろうか。誰が来るかはちゃんとは言っていない俺も俺かもしれないけれど。
 来ることを予想していなかったのか?いや、叶野の名前が出てきたのだから普段ともにいるはずの湖越の名前が出て来なかったとは考えにくい。
 伊藤はきっと俺とよく一緒にいるから連動して絶対に来ると思ってのことだったのだろう。それなら、わざわざピンポイントで湖越の名前だけを呼ばないのは、何か理由があるのだろうか??まるで、避けているようじゃないか。

「一ノ瀬くん」

 考え込んでいた俺に肩を軽くつついてくる感覚とともに叶野の声が背後から聞こえてきたので意識をそちらに向ける。俺にしか聞こえない程度の小声で名前を呼ばれた、この喧騒の中ではそのぐらいの音量では聞こえにくい、ちゃんと聞き取れるように顔を寄せた。
「うわ、一ノ瀬くんやっぱり美形」
「……どうしたんだ?」
 いきなり顔を近づけてきたからか驚かせてしまったようだが、あまりにずっと密着しているのは陰口を言っているよう聞こえてしまうかもしれない、申し訳ないが驚きで出た言葉は無視させてもらって用件を聞く。

「あ、えっと一ノ瀬くんさ。梶井くんと吉田くんが来ること知ってた?というかもしかして一ノ瀬くんが誘ったり?」
「……叶野はやっぱり洞察力に優れているな」
「え、ありがとう?」

 叶野の洞察力というべきか観察力というべきか、その場の空気を読むことに物凄く長けている。正直、少し怖いぐらいだ。でも叶野もこのことを大きな声で言うべきではないと判断しているようで、俺にこう言うのも小声だしきっと気遣い屋だから誰にも言わずに当の本人の俺に様子を伺うように聞いて来たんだろうとわかるから有り難い。

「……すまない。何も言わなくて。今は伊藤か叶野には言っておいたほうが良かったのかもしれないって後悔しているところだ」

 吉田と約束したから誰にも何も言わないで今日を迎えたけれど、本当はきっと誘うのは吉田だけにするべきだったんだ。俺は、梶井とも仲良くできるのであればしたくてこうしてしまったけれど、そうすることによって叶野たちがどう思うかということを考慮してなかった。
 俺一人で勝手に決めて、結局この時間には吉田と梶井と合流すると言う流れすらも俺は忘れていて吉田に任せている。この気まずい空気すらも何とか出来る能力もないのに、勝手に舞い上がって皆気まずくなってしまっている、申し訳無くて消えてしまいたい。無意識に頭を抱える俺に叶野は怒ることは無く苦笑する。
「まあ、突然だったから驚いたけどね。確かに俺も梶井くんに対して気まずい思いもあるけれど、割と平気だよ。伊藤くんたちのほうが気まずそうかな」
「……でも、叶野は梶井に……」
「んーと……そのへんは複雑と言いますか、ちょっとだけ誠一郎の事情が絡んでいると言うか……」
 叶野は梶井に陥れようとしていた、そのことを叶野はどう思っているのか心配している俺をよそに予想以上に平然としている叶野が不思議だった。
 後ろを歩いている湖越の様子をチラチラと見て、こちらの声が聞こえていないことが分かったのか先ほどと同じように小声で叶野は答えてくれる。

「誠一郎のことは一旦置いて俺主観としての意見で結果論だけどさ、俺にとってあのことは俺自身の弱さに向き合えるチャンスだったんだって思えるようになったんだよ」
「……チャンス?」
 思いもよらないことを単語が出てきてつい聞き返してしまう。
「そうそう、実際俺のことを暴露したのは小室く……小室、だけど唆したのは梶井くんだし、やっぱり思うところが無いわけでないけど……、でも俺の傷を広げてはいけないって周りに気遣われて誰にも突っ込まれず、俺自身もその傷を見てみぬふりしてた。見ないふりして薬も使わないで安静することもしなかったから膿んでぐちゃぐゃになってたんだよ。結果としては梶井くんがああしてくれたおかげで俺はちゃんと俺の弱さと醜さに向き合えた、今はそう思ってる。そう思えるから、俺からはもう何もないよ。……あ、ごめんうそ、もし普通に話せるようになったらほんの少しは嫌味みたいなこと言っちゃうかもね。そのときの気分次第かな〜」

 最後だけは少し茶化して笑ってそう言う叶野。
 本気で言っているのかいないのか俺には判断はつかないけれど、叶野は「普通に話せるようになったら」と今言ってくれた。
 叶野からは梶井に対して歩み寄りたいと感じているように見えたのは俺の願望だろうか。
 叶野は気遣いが上手すぎて自分を蔑ろにしてしまうところがあるようだけど、今の叶野は心からそう思っているように感じる。ほんの少しだけ嫌味っぽいことを言うのが叶野の『本当』を感じたような気がした。
 他人への気遣いと自分を大事にするのを両立させるのは難しいことだと思うけれど、叶野はそれが本当に出来る人間なんだと思う。その笑顔は前のようなよそよそしさはなく、前よりも断然明るくて堂々としていた。自分は自分だって胸を張っているように見えて少し眩しく感じた。

「まあ俺にはともかく伊藤くんには言っておいたほうが良かったかもね」
「……そう、か。そうだよな……」

 先頭を歩く伊藤を盗み見る。
 輪投げのおかげで多少はましになったけれど、梶井と合流してからまた口数が減ってしまった。いや、唆された鷲尾と何か事情のある湖越よりはまだマシ、か。
 吉田に黙っておいてと言われたからその通りにしていたがやっぱり伊藤に隠し事はしたくないな……。ただでさえ昨日九十九さんと話したことも伝えていないから、余計に後ろめたく感じてしまう。気まずい思いで伊藤のことを見ていた俺に気付いたようで。

「あー……そういえばさ!これから肝試しいくじゃん?それってみんなで回る感じ?それともいくつかペアになって行くのかな?」

 叶野は話題を少しずらしてくれた。さっき俺と会話していたよりも大きな声でみんなに聞こえるようにわざと言ってくれたようだ、叶野の気遣いとこの場の空気を変える話題を的確に選んでくれたのがすごい。
 そういえば、俺もどんな感じで回っていくのか何も決めていなかった。てっきりみんなで肝試しを回ると思っていたけれどそうか、分けるという選択もあったのか。
 吉田と何も相談していなかった、内心焦る俺とは裏腹に叶野の質問は彼からすると全くの想定内だったらしくて。
「そりゃペアでしょ〜!はい、おれくじ引き作ってきたからひいてちょ!!色がおんなじ人たちでペアね!俺たち全員で7人だから2、2、3でわけれるようしてきました〜!」
 吉田がどこからか出した割り箸の割ったやつを俺らの人数分持っていて根本に付いた色が誰にも見えないようにして差し出してくる。何も考えずに日和っていた俺とはしっかり考えていたらしい、何も考えていなかった自分を恥じる。

「……僕たちのことを知らなかったんじゃないのか?割り箸にわざわざ色つけるとはずいぶんと用意が……」

 ついさっき俺らのことを知らずに『偶然』俺達と会って一緒に祭りを回ることになったというのに、しっかり俺たち7人分でくじ引きを引けるようにしていた吉田が用意周到なことを鷲尾が突っ込もうとするも。

「細かいことはきにしなーい!たまたま持ってきてたんだよ〜なんか今日イッチたちに会えそうな気がしたし!はいみんなひいてひいて〜!イッチからどーぞ!せっかく名前に数字の1が入ってるしね!」
「吉田くんの順番を決める基準はそこなの?」
「そこなんでーす!」

 軽く流して割り箸を俺の前に差し出されて一瞬戸惑ってから真ん中らへんのやつを吉田の手の中の束から抜き取る。

「まだ見ちゃだめよ〜!みんなが取ってからいっせーのーせっ!で見ようね!はい、のぞみんもどーぞ!」
「あ、うん、どうも」

 まだ見ないよう釘を刺したあと、俺の隣にいた叶野に差し出して戸惑いながらも叶野も抜き取って俺と同じように根本を隠して待った。
 吉田がみんなに渡し終えるまでの間、先に抜き取った俺たちが手持ち無沙汰になった。

「あはは、なんかこういうの懐かしいね」
「……そう、だな」

 小学校ぐらいの班分けを思い出すなーと懐かしそうに笑う叶野に俺は頷くだけしか出来なかった。本音を言うと、こうして割り箸を使って割り振るのは俺は初めてのことだったのでこういうやり方があるのかと感心していたから、叶野に懐かしいと言われたのが意外で驚いてしまった。でも、きっと叶野の言うとおりこういう割り振り方は普通のことなんだろう。
 伊藤も鷲尾も湖越も用意周到なことに驚いたようだったけれどなんの抵抗も無くひいていたし。記憶喪失のことを抜きにしても、ほんの少し俺は一般から外れているのは前々からわかっていたことだったが、当たり前で懐かしいことを俺が知らないと言ってしまえば優しい叶野は自分の発言を気にしてしまうかもしれないのでこっそりと内緒にしておくことにした。

「……おれ、青だけど。相手だれ?」

 ぽつりと何も感情の乗せていない無機質な声が聞こえた。怒っているようにも聞こえる、高校生にしては少し高めで俺には聞き慣れない声。聞き慣れないからこそすぐに誰のものなのか分かった。

「あ、もーノブちゃんったらあ!まだ見ちゃだめなのに〜!」

 吉田としては皆で一斉に見てほしかったので頬を膨らませて子どものように拗ねた口調で訴える。くじの結果を先に見たのは……やっぱり梶井、だった。

「……もう見ちゃったよ」
「ま〜みちゃったものは仕方ないね〜じゃ、みんなそれぞれで見て見て〜!」

 俺の知っている梶井はどことなく演技かかって取繕うような話し方なのにどこか淡々としていて冷たい印象しかなかったけれど、吉田から頬を膨らませられて責められた今の態度は謝り方が分からない戸惑っている不器用な子どものように見えた。
 先に見たことを伝える梶井に、むくれては見たもののそこまで怒っていない吉田はこだわりを捨てさっさと自分の色を確認してる。
 俺の色は何色だろうかとそっと手を開いて確認、と同時にピシッと突如石になったかのような感覚に襲われ自分の動きが止まってしまう。

「んだよ、そんなに拘りはねえのかよ……」
「吉田くんはマイペースだからね。伊藤くんは何色だった?」
 いつの間にか俺の隣に来て吉田に突っ込みを入れた伊藤に叶野は割り箸のついていた色が何なのか聞く。
「ん、赤だな」
「あっ俺と一緒だね!俺いざとなったら伊藤くんを盾にして逃げるからよろしくね〜」
「ざけんな、お前のほうがまだこういうの得意だろ。ずっと俺の前にいろ」
「やだよー。あ、一ノ瀬くんは何色だった?」

 叶野にそう聞かれてハッと身体の硬直が解けた。一瞬ふたりに視線を向けて何も話さない変な様子の俺に首をかしげているのが見えたけれど、指摘する余裕は無い。

「すまない。俺が青だ。よろしくな、梶井」

 眉を顰めている梶井はいつまでも自分と同じ青色をひいた人間が名乗らないことに、苛立ちからか足がトントンと小刻みに叩き始めているところで、少し近寄って俺の持っている割り箸の色を見せる。やっと自分と同じペアの人間が誰なのかわかると、サッと顔を背け逆方向へあるき出そうとした。

「……おれ、帰る」
「だめです!順番は、じゃあイッチのぶちゃんペアが最初ね!すずのぞは2番目で、残ったおれらは最後です!さぁ行きましょう!」
「ちょっはなし」
「じゃあ先行ってるから!みんなもおはやめに〜!」

 向かう方向とは逆へ行き帰ろうとする梶井の腕をがっしりと掴んでそのまま吉田は梶井を無理矢理引きずるように連れて、走って先に行ってしまったのを残った俺らは呆気に取られその後ろ姿を見送った。

「えっと、じゃあ行こっか。吉田くんたちも待ってるしね」

 戸惑って何も言えず行動も出来ない俺らだったが、叶野の一言でのろのろと動き出す。梶井と一緒、か。なにを話すべきかどう話すか悩む。
「……透、交換しないか?」
「……」
 伊藤に小声でそう提案される。割り箸を前に出して、自分のと交換しないかと言われた。その顔を見ると心配そうにゆらゆらと瞳を揺らしていて、本当に俺のことを心配してくれているんだと思う。
 伊藤の気遣いは嬉しいし、梶井と確かに気まずいところがあるから少し揺れてしまう提案だった。少し考えてから自分の首を振った。もちろん、横に。

「っなんで」
「俺は平気、梶井と話すいいきっかけだし」
「でも、透は」
「ん、まぁ本当のことを指摘されているだけだから。それにもう俺が一緒のペアってあっちも分かっているし、これで交換したら逃げになってしまうしな」

 気まずいけれど、でもみんなの前で俺が一緒だって公言してしまったからこれで伊藤と交換したら確実に梶井本人に自分を避けていると伝わってしまう。即ち俺が梶井から逃げたと大声で本人の前で言ってしまうことになる、開いている距離がさらに手が届かないほど遠くなってしまうかもしれない。……叶野の言葉を借りるのなら、チャンスかも知れない。
 ふたりっきりで面と向かって話すというのは簡単なようで案外難しいことだ。これを逃せば次いつ梶井と話せるかも俺にはわからないから。

「もう逃げたくない」

 ストレスから逃げることが悪いことではないけれど、梶井が俺のことを嫌っていても梶井自身が俺のストレスになっているわけじゃない。気まずいし間が持たないかもしれないし、嫌っている俺といることを梶井はさっきのように嫌がるかもしれないけれど。
 少しだけ、肝試しを回る時間だけは俺と付き合ってもらおう。俺の意思をまっすぐに伊藤に伝えれば、少し躊躇うように視線を俺から外して、一呼吸してすぐに俺に戻す。

「分かった。透の意思を尊重する。……なんかあったら、言えよ」
「ああ、ありがとう」
「絶対だからな」

 念を押してくる伊藤にもう一度頷く。俺のことを心配しながらも(……少し、過保護な気もするけど)俺の意思を尊重してくれるところにとても救われている。救われているから、俺もいざというときに伊藤を救えるようになりたい。

 梶井にどう話をするべきか考えながら吉田たちが待っているであろう神社へと歩みを進める。

――――

「……」
「……」
「…………」
「…………」

 土を踏む音とどこかから聞こえる鳥の鳴き声と、遠くのほうから怖がった女性の悲鳴、ざわっと風によって動く葉の音が大きく聞こえた。梶井が先に行き俺はそれを追いかける形で歩いている、梶井の後ろ姿は少し離れたところにあって第三者視点の誰かがいたら到底二人組で肝試しに臨んているとはそう思わないだろう。

 奥にある神社の鳥居へ向かうとそこにはむすっとした表情の梶井の腕をにっこりと微笑んでしっかりと掴んでいる吉田の姿をすぐに見つけられた。それなりに人が並んでいたので順番を守って並ぶ。受付していたゴンさんと会い、かんたんに説明を受けた。

『これは『呪いの人形のおはなし』よ。昔々とあるお金持ちのお家のお嬢さんが大事に持っていたお人形があったの。でもねそのお嬢さんはお金目的で誘拐された挙げ句、殺されてしまった。と同時にお嬢さんの部屋にガラスのケースに入れられていたはずのお人形が忽然と姿を消したの。それから、1ヶ月ほど経ってもまだ犯人は見つけることは出来なかった。でと人形は消えたときと同じように突然ガラスのケースに戻っていたのよ。……血塗れの状態で。誰かがいたずらしたのだろうと見つけた使用人はそのお人形を綺麗にしたわ。でもその家から数十キロ離れた森の中で男の無残な死体が見つかったの。死んだ日時はちょうど使用人はお人形を見つけた時間だった。恐ろしく感じた使用人はお嬢さんのお父様にそのことを伝えると、すぐさまそのお人形を神社へ持って行ったの。きっと大事にされたお人形は魂がやどり、お嬢さん……そのお人形にとってお友達を殺されたことに酷く憎んで犯人を殺しに行ったんだと神社の方に言われたらしいわ。そのお人形は魂を鎮めるため、この神社に眠っているわ。……で、その呪われたお人形がちょっと暴れたくなっちゃったみたいでねえ。あなたたちにこの神社の奥の森のなかにあるから、お人形の怒りを鎮めるためこの御札を供えてほしいのん!』
 最後にはゴンさんがいつもの軽い口調でそう言って御札のようなものを手渡された。本当の話なのか創作なのか分からないけれど、その話を聞いて思ったのは人形はきっと犯人を憎んでいただろうけれどそれ以上に友達がいなくなったのは悲しかっただろうな、とぼんやりと隣で周りから見えない角度で力いっぱい俺の手を握る伊藤を見ながらそう思った。
 叶野は怖いね〜とあまり怖がって無さそうにそう言うのを顔色の悪い湖越がおう、とうなずき、鷲尾は平然とした表情で、俺のとなりにいた伊藤は「怖くねえ、怖くねえから」と言ってたけど、顔は青ざめいてあまり説得力が無かった。……吉田と梶井のほうも盗み見たけれど、2人とも話を聞いてもなお合流したときと同じ表情のままだったから、平気、なのかな?

「梶井は怖い話とか平気なのか?」

 このまま俺が話さなければ終わりまで話すことなく本当に終わってしまいそうで、問いかけた。2人きりで話せる機会なんてそうそうないし、学校のときも梶井がどこにいるのか吉田もわからないと言っていたから探すのも一苦労だろう。
 せっかく2人で話せることが出来るのに俺が怖気づいてしまっては勿体ない。叶野のようにその場の空気を読むことに長けているわけではないけれど、この質問はこの状況で違和感は無いだろう。
 俺は特に怖くないけれどさすがに夜の森林は少し不気味に感じるが、梶井は躊躇いもなく堂々と前へ前へと歩く。
 嫌っている俺からの質問に最悪無視されることもありえるか、と予想していたけれどかなり間がありながらも意外にも梶井から返答がきた。

「別に。あんなので怖がるとかどれだけ平和ボケしてるんだろとしか思わない。生きてる人間のほうがよっぽど怖いし」

 吐き捨てるようだが、俺が聞いたことにちゃんとした答えが返ってきた。こちらを振り返ったりはしないけれどこうして答えが返ってくるから梶井のなかに少しでも俺と話そうという気持ちがあることに安堵する。……言い方に棘はあるけれど、あまり気にしないことにする。

「そう、か……」

 安堵はした、が。俺はあまり話すのが得意じゃない。せっかく返してくれたのにこの後どう話を展開していけばいいのかわからない。相槌しか出来ず、またただ歩くだけで沈黙が生まれる。……沈黙が痛いってこういうことなんだな……。やっぱり俺には梶井と打ち解けるのは無理なのかもしれない。すまない、吉田。、

「……ねぇ」
「っ……なんだ?」

 ネガティブな思考に入ってきて勝手に落ち込みそうになって心の中で吉田に謝罪していると、突然無言を通していた梶井に声をかけられて驚いて変な上ずった声をあげそうになったど何とか抑え込んでいつもどおりの口調で聞き返す。
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