3.先を生きる人。

「一ノ瀬ってとことんじゃんけん弱いな......」
「まさか5人もいて1人だけ一回で負けるなんてねぇ......しかも2回連続」
「......苦手なものばかり分かっていく」
 湖越と叶野に言われた通り、買い出しのじゃんけんも負けてさきほどのじゃんけんも負けている。そう言えば伊藤と2人のときもお互い好きなものは違うから奪い合いとかしたことはないし、クラスとかでもじゃんけんする機会があまり無かったから知らなかったがじゃんけんはかなり弱いみたいだ。この2回だけで分かってしまうほど弱いと自覚する。
 ……本当に勉強と運動だけはそれなりに出来ても、それ以外のことはからっきし出来ないな、俺は。情けなくて溜息を吐く。
「今度はもっと一ノ瀬も平等になれるような案を考えよう」
「......そこまでしなくても」
「そうだな、鷲尾に同意する」
「......」
 俺の話を聞いていない。というか聞こえてない。……なんか面白くなくて俺の話を聞いていないくせに俺のことで盛り上がってる伊藤と鷲尾は俺から無視することにした。
 それでも2人ともそんな俺のことに気が付いていないので無視しようと思ってるのに無意識に2人の反応を気にして目で追いかけている自分に気付いて今度こそ目を逸らした。
「わっしーも伊藤くんも過保護過ぎない?保護者が増えた〜」
「お前らもさっさと食えよー。あ、一ノ瀬はんぺんやるよ」
「あ、俺もあげる~さっきのお礼としてたこ焼き二個あげちゃう!」
「......ありがとう」
「足りなければまた買いに行こうよ!」
「そうだな、ついでにかき氷買いに行くか」
「いいねー!」
 伊藤たちが妙に白熱しているので正直言えば少し引いていると最初に勝ちぬけした湖越と次点の叶野におでんのはんぺんとたこ焼き(二個)をフランクフルトを乗せていたトレイに置いてくれる。
 その上自然の流れでまた買いに行けばいいと言ってくれた。……叶野と湖越は安定感があって話しやすいな。
 伊藤といるのはたまに心臓が死ぬほど跳ねることもあるけれど一番気が抜くことが出来るしずっと一緒にいても苦痛と感じない、鷲尾もそのハッキリとした物言いは好意を持てるし言動に嘘偽りがないから信用できる。
「あみだくじが一番安定するか?」
「いや、作るのに時間がかかる」
「それならくじ引き方式が良いんじゃないか、紙以外でも割りばしなどで代用可能だ」
「それだ、それがいいな!」

 ......こうなることがあると分かった今、この状態になった2人にはあまり近寄りたくない。そのときが来たらスッと空気になってこの場を去ろう。
「......2人とも俺のために考えてくれるのは嬉しいが、別に買い出しになるの嫌いじゃないからいらない」
 みんなが待っててくれる中でみんなのために買い物をするのは好きだと思う。今日初めてこういうことをやったから知らなかったけれど。
 俺だけ買い出しでも多分大丈夫だけど、それが2人とかならなお良い。意外な人と話せる機会にもなる。
 さっきだって叶野と2人きりで話したのは初めてだ。初めての2人きりに少しだけ緊張したしあまり話せなかったけれど一緒に行けて良かったと思う。
 皆で行くのも良いし誰かと行くのも楽しいし、1人で行ったとしても確実にひとり残ってくれるのがわかってるから安心して行ける。......勿論、伊藤のことだけど言わない、恥ずかしいから。
「わぁったよ......だけど嫌ならちゃんと言えよ?誰か来てほしいときは連絡してくれればすぐ行くからな?」
「承知した。だがあまりに不平等だった場合はいうんだぞ」
「2人は俺の何なんだ......」
「まぁまぁ一ノ瀬くん......。早く食べてかき氷でも買いに行こうよ」
「俺は足りねえからフランクフルトでも食うかな」
 結局みんなでまた海の家に行く流れになった。それなら最初からそうすれば、とか思ったりしないわけじゃない。だけど無駄とは思わなかった。
 ......それよりも、叶野は大丈夫なのか?変な奴らに絡まれたばかりの上あんな対応されて、俺のせいでかなり目立ってしまった。叶野が嫌な気持ちになるのなら行かない方が......。
「俺なら大丈夫だよ、今はみんなと一緒だしね」
「!そう、か」
 俺の心を読んだように小声で俺にしか聞こえないぐらいの音量でそう言われた。最近よく心を読まれたように答えてくれるけれど顔に出ているのだろうか......顔をぺたぺた触っていると叶野に笑われる。
「一ノ瀬くんならこう思うかなーて俺の予想が当たっただけであまり表情は変わってないよ」
「......そうか」
 それは安心して良いところなのか、という疑念が生まれたけれどまた叶野に笑われるかもしれないので気にしないことにする。
「それに一ノ瀬くんがあそこまで怒ってくれたんだからかなり威力あったんじゃないかな?」
「そうか?」
「迫力あったし効いてると思うよ。前も思ったけれど怒ってる一ノ瀬くん、けっこう怖いからなぁ」
「初めて言われた。」
「あんまり怒らなさそうだもんねぇ」
「......普段の俺のことは、怖いと思わない、か?」
「え、思わないよ。だってそれ一ノ瀬くんの素でしょ?
俺は伊藤くんほど確かに一ノ瀬くんのことを知らないけれど......でもほら!俺ら『友だち』でしょ。これでも結構知ってるつもりなんだよ?怒ってるか怒っていないぐらいならもう俺にも分かるよ!で、今怒ってない!合ってるよね?」
「......うん」
「よし、じゃあ怖くないね!」
 怒っていなくても怒っているように捉えられて何もしていなくても怖いと言われることは多々あった。いや、前の学校のときは何も感じていなかったし感じないよう自分を押さえつけて無感情に徹していたせいもあるだろうけれど......確かに同級生の『一ノ瀬っていつも無表情で怖いよな、怒ってるみてえ』と陰で言われていたことを聞いて、それは今もしっかり胸に刻まれていたんだと今知った。
 だけど叶野は普段の俺を怖いと言わなかった。こんな表情が変わらないのに。最初からそう思っていたわけではなかったとしてもそれでもうれしかった。
 やっぱり、買い出し行ってよかった。そうじゃなかったらこうやって話せるタイミングはいつになるか分からなかった。
 ......あと俺は結構あの言葉に傷ついていたことにも気が付いてしまったけれど、でももう今消化出来た。
「ありがとう」
「やだそんな顔されると照れるー」
「おーい、行くぞお前ら」
「あっうい今行く!一ノ瀬くんも行こう!」
「ああ」
 食べ終えた3人はすでに先に行っていて、湖越が俺らに声をかけてくれた。3人の元へ叶野と一緒に駆け出した。叶野との距離がぐっと近づけた、そんな気がした。

ーーーー

 マンションも海も窓もつり革も僕たちでさえ何もかもを陽が沈む直前の穏やかなオレンジ色に染められている。
 どこか夢見心地に首を捻って窓の外を風景を眺める。ガタンガタン、規則正しい音が聞こえる。行くときには気にならない音だったが、電車内に人が少なく乗っている人たちも海に行って疲れているせいか話声も聞こえないからか。
 水に濡れたおかげで僕も身体に心地よいだるさと眠気を感じるが、今は起きていたい気分だった。陽も傾いてきてそろそろ帰ろうとその準備を始めたころに俺らが働いているところ連絡が来たと言った後『俺らの全員分の夕飯を用意することもできるけれどどうか聞かれているんだけどどうする?』と伊藤が僕らに聞いてきたのだ。
『え、おいくらで食べさせていただけるんです?』
『金はいらねーってさ』
『まじで!行く、行こう!』
『おー』
 無料と聞いた叶野が目を輝かせて僕らの意見を聞くことなく二つ返事で了承し、伊藤もその旨をもう伝えてしまって何の意見も言えなかった。
『湖越と鷲尾は、大丈夫か?』
『ん、連絡すれば大丈夫だ』
『......分からん、ちょっと聞いてくる』
 意見を言えずにいた僕と湖越に一ノ瀬が気にかけてくれて、ようやく行動を映せた。断りをいれて家のほうに電話をする。
 万が一父が出たらどうしようと普段この時間父がいることはまずないのだからそんな不安は無意味だったが、夕ご飯さえ友だちと食べに行くのが急遽決まったのも初めてのことだったせいで慌てていたんだ。
 僕の不安は杞憂で母が出たのを心底安堵しつつ突然の電話に心配そうな母さんに「今日、夕ご飯食べてから帰る、から」と途切れ途切れに伝えれば『まぁ!いってらっしゃい、楽しんできてくださいね!』と心底嬉しそうに言ってくれてむず痒くなる。
 大丈夫だった、とみんなに伝えると『良かった!じゃあ着替えて一ノ瀬くんたちの最寄りへそろそろ行こうか!』と叶野の言葉で移動することが決まった。
 あんなにいたひとたちはすでにまばらになっており、電車を待つ人も少なく僕たち5人が並んで座れるほどだった。
 となりに座る叶野は既に眠っており、他のみんなも静かなのでたぶん寝ているのだろう。寝息を聞きながら今日を惜しむ気持ちで窓の外を眺める、海が離れていく。
 ......初めて。友だちと遊んで海に行って傍目を気にせずはしゃいでしまった。いや、きっと叶野に海に誘われて言い訳をしてしまったが行くことになったときからすでに浮かれていたのだろう。
 分からないことを聞くことは恥ではなく分からないままが恥となることは勉強するうえで最もな言葉であり僕は誰であろうとそう言ったことを質問することを恥ずかしさを覚えたことはない。分からないことを知ろうとするだけなのだから平気だった。『友だちと海に行く』と言うことのは僕がしたことのない未知の領域だ。
 ただでさえ今の今まで交友することへの必要性を感じずひとり勉強し続けることに価値を見出そうとしてきた僕だ、幼いころなら何度かあったが10歳にもならないころの遊ぶのと今の僕の遊ぶのは違うことぐらいは分かっていたからこそ不安になる。僕がいることでつまらなくないだろうか。
 いつもの僕では考えられないことさえ過ってしまうぐらいなのだからきっと重傷だ。自分以外の学生は友だちと遊ぶのは普通のことで、どう遊ぶかなんて意識することもないほどいつも通りのことなんだろう。
 僕にとっての普通とは1人机に向き合い、分からないことがあれば教師や塾講師に聞いてはまた向き合うの繰り返しだった。
 それが僕の普通の世界、だった。学校のある日も土日も連休も夏休みも冬休みも。きっとこのままずっと続いていくんだってそう予想していたけれど、今年は全く違う。
 夏休みに入って補習もなくかと言って塾以外の予定もなく、やることがなく落ち着かなくて宿題に取り掛かったがそれは二日で終わってしまう。仕方が無くてやっぱりいつも通り自習することにした。でも前のように集中は出来なかった。
 今まで時間があるときは勉強に費やすのが普通だったから、勉強以外の活用方法が思いつかない。
 悪いことではなく学生としての本分を果たしているわけなのだから大人から褒められることはあっても怒られることはまず無かった。
 それは同級生も同じで疎遠されて皮肉られたことはあるが『悪いこと』をしている訳ではないから後ろめたいことは何も無く、努力も何もしないばかりの負け犬の遠吠えに過ぎず何の心に響くものではなかったからどうってことは無かった。
 あえてそのときの感情を表すなら『無』だったが。だが、今は......よくわからないのだ。
 正しさと言う観点であれば予習復習をすることは間違っていない百点満点の答えだ。今までの僕はその答えに満足していた。これでいいのだと信じて疑わなかった。
 今日自分のしていたことは数か月前までの僕であれば『無駄なもの』と一蹴してきたものであり、馬鹿だなと見下し遠ざけてきたもの。
 僕にはこんなことは必要が無いのだと何の感情も覚えずそれだけを思っていた。思ってきた。けれど今日実際にやって僕の感じているものは全く違うもので、むしろ全くの真逆な......。

「......何か、外に面白いものあったか?」
「!起きていたのか」
「ん、まあな。鷲尾も寝たらいいのに。みんな寝てるし、乗り換えはまだまだ先だ」
 誰も話さず寝息ばかり聞こえていたから僕以外全員眠っているものだとそう油断して、物思いに耽っていたせいで当然隣から話しかけられて驚く。声の主は叶野とは逆隣の人物、一ノ瀬だ。
 薄い灰色の瞳は外のオレンジ色に少し染まって朱色っぽくなくなっているのを目前で確認出来て顔が熱くなった。
「お、前こそなんで起きてるんだ?」
 最近一ノ瀬の存在がそこにいると分かるとどこかおかしい自分がいる。
 顔を見ると頭がざわざわとなって落ち着かないし声を聞くと心臓が跳ねたような気持ちになる。近くにいると尚更落ち着かない。......これだけ落ち着かない相手であるはずなのに夏休みに入って会う回数が減って一ノ瀬の存在を確認できない期間が多いと胸が焦がれるような感覚になる。これはいったいなんだろうか。不快......ではないのだが。
 声が上擦りながらも何故か情けないところを見せたくなくて冷静を装って一ノ瀬に聞いてみた。幸い一ノ瀬は僕の異常には気付かず、無表情なのに少し弾んだ声で
「ん、鷲尾と多分同じ理由で起きてた」
と答える。
「同じ?」
 オウム返しになってしまう僕に特に不愉快になることもなく一ノ瀬は平然と答える。
「初めて友だちと海に行って楽しくてたまらないから......疲れて眠気はあるんだが、何故か眠ってしまうのが名残惜しい気持ちなんだ。もう少しだけこの気持ちに浸っていたいんだ」
「......楽しい......?」
 嬉しそうに『楽しい』そう一ノ瀬に言われて目からうろこだった。
「......?鷲尾は楽しくなかった、か?」
 いまいちの僕の反応に不思議そうに首を傾げる一ノ瀬。楽しい。

 叶野に海に行こうと言われて、泳げないからと断ったのに行くことになったとき口では色々言いながらも満更でもない気持ちになった。

 僕にとって初めての経験は同級生たちは普通にしていることだ、そんな事実に少しもやっとしたがそれでも叶野に電話をした。

 初めての僕が皆の邪魔にならないように。恥を忍んで普通の遊び方を教えてもらおうとして......みんなに、楽しんでほしくて。そこで叶野に「まずわっしー水着持ってる?」と聞かれて拍子抜けする。まず笑われることを覚悟していたからだ。その覚悟を決めるまでに時間がかかって叶野に電話をしたのは海に行く二日前になってしまったところだった。
 予想外の返答に「持ってるが」と答えれば「それは昔小学校で使ってた水着だったり......?」と恐る恐る聞かれて肯定しようとしたが、まずあれから成長期で随分身長の伸びた自分に入らないのを全く考慮していなかったことに気付く。
 自分のプライド以外何も考えていなかったのが分かってしまって落ち込みそうになる僕に対して。
「じゃあ明日買いに行こうよ!俺も新しいの買おうと思ってたんだよね」
 そう明るく言ってくれた叶野に救われたのは誰にも言えない。
 待ち合わせて店へ入って早速水着を物色していると、どこから持ってきたのか叶野が光沢の入った金色をした布面積の少ない水着(泳げばきっとすぐ脱げてしまいそうになりそうな)を僕に勧めてくるのを無視して黒地に白いラインが2本入った太ももを隠せるぐらいの長さの水着買った。その後も叶野は笑顔で「このいるかの浮き輪よくない!?」「やっぱりビーチボールはすいか柄だよねー!」とかで色々物色していた。
 自分の買い物をすでに終えたのだから、周りの目を気にせず食いつく勢いで海の遊具のところで夢中になっている叶野を置いて帰る、という選択もあって数か月前であれば絶対にそうしていた。
 でも、僕もいつの間にか一緒になって叶野と一緒に「バナナ型の浮き輪もあるのか」「それ二人乗りだよーそれもいいね!迷うね~」と年甲斐もなく言い合う。
 ......そうだ、それに今日行くとき叶野に言われていた。わっしーもたのしみにしてたんだね、と。僕はそれを否定しなかった。そのときは叶野が五月蠅いと思ったのが強いから、としていたけれど......。そうだ、僕はずっと海に行くのを楽しみにしていた。
 アクシデントはあったけれど、昨日の借りは返せたと思うし友だちを助けるのに、理由は無い。それよりもみんなで泳いでバナナ型の浮き輪に乗って、スイカ柄のビーチボールで遊んだのも......。
全部......。

「......ああ。楽しかった、な」

 行くときには早く着かないかと何度も外を見ては楽しみにしていて、帰るときには遠ざかっていく海をじっと見つめて名残惜しい気持ちになるぐらい楽しかったんだ。
 ようやく自分が感じていた感情と一ノ瀬に言われた感情と一致して随分待たせてしまったけれど一ノ瀬は気にした様子は無く僕の返答にそうか、と返した。
 一ノ瀬も、同じだって言っていた。今日が楽しくてみんなで眠っているなかで名残惜しくて起きてしまうほど、僕が同意したのを言葉少なにでも嬉しそうにしてしまうほど、楽しかった、のだろう。
 一ノ瀬はずっと視線だけを僕の方を向けているため表情の全貌は分からない。だけど横から見たその口角は上がっているのが分かって......なんとも言えない気持ちになる。
「......一ノ瀬」
「ん?」
「............今度、遊ばないか。2人で」
「俺と鷲尾と、でか?」
「......ああ」
 そんな何とも言えない気持ちの勢いのままに気付けばそう誘っていた、口内が随分乾燥しているのが分かった。喉が渇く。だけど鞄の中にあるお茶を取り出して飲むのは一ノ瀬の答えを聞いてからだ。
 やはり嫌だろうか。僕は叶野と2人で昨日買い物に行った、それなら一ノ瀬とも楽しいんじゃないかと思ったんだ。
 だがいくら一ノ瀬が僕を友だちと呼んでくれてもやはり2人きりは嫌ではないだろうか。後悔がどっと押し寄せてくる。
 一ノ瀬の考えていた時間はたぶん1分も無かったが返事が来るまでのあいだが僕にとって10分ぐらいに感じた。
「いいけど、俺と2人はおもしろくないとは思うが......」
「......僕が2人で、遊んでみたい、から」
 それに僕だって面白味のない男だ。本来なら叶野とかがいたほうが良いんだろうが......それでも、一回でいいから一ノ瀬と2人だけで遊びたい。そう思った、だから誘った。
 眉間を寄せて苦い顔をしながら言われたのがそんなことだったので拍子抜けした。僕の答えに不思議そうにしながらも一ノ瀬は首を縦に一度振った。
「そうか。じゃあ、また後で具体的な日程を決めよう」
「......っ!わ、わがっ、だっ!」
「大丈夫か?」

 声がガラガラになって裏返って変な声になってしまった。心配する一ノ瀬に手で大丈夫であることを伝えながら今度こそお茶を口に含んだ。
ーー良かった。
 一ノ瀬が考え込んでいたのはただ僕を楽しませるかどうか分からなくて考えていただけだったのだ。......嬉しい。友だちと遊んだのは昨日も入るのだろうか。
 叶野といるのも楽しかったが突発で心構えがなく特に緊張することもなく一緒にいたが、一ノ瀬相手は何故か少し緊張する。でも、一ノ瀬のことを良く知りたいと言う気持ちには抗えなかった。
 いつになるのだろう、なにをしよう。そう浮ついた気持ちでお茶を飲んで隣を目だけで見た。普通に当然のように一ノ瀬の肩に頭を預けて思いっきりいびきをかいて眠っている伊藤を視界に捉えて、なんだか胸がざわめいたのが不思議で首を傾げた。......苛立ちに似ているような気もする。
「......それ、重くないか?」
「重い。けど気持ちよく眠ってるし起こすのもな......」
 一ノ瀬も重いと言いながらもさほど嫌そうにしている訳でも無さそうなのがさらに苛立ちが増した気がした。
「鷲尾も眠かったら俺に寄りかかっていいよ」
「......や、それは」
「そうか?」
 恥ずかしい、だろう。一ノ瀬からのせっかくの提案を羞恥で断る。自分から断ったのに、あっさり引き下がられて勿体ないことをしたような惜しいような変な気持ちだ。
 それでも、たった今この瞬間メンバーの中で起きているのは僕と一ノ瀬だけでその上2人で遊ぶ約束もした。それだけで僕は胸がいっぱいになる。
 賑やかではなくても一ノ瀬との会話は途切れることは無くて、隣で僕にもたれて眠っていた叶野が起きるまで静かにひそひそと話をした。
 一ノ瀬が僕の話を聞いて相槌を打って......たまに静かにクスクスと笑うのを見ると嬉しくてもっと見たくなった。

ーーーー

「よく来たわね~!かわい子ちゃんいーっぱいね!遠慮なく食べてちょうだい!」
「おおーすごーい!肉てんこ盛り!!」
「お肉余っちゃったのよねぇ賞味期限も危なかったから助かったわぁ〜!」
「これほどの肉まみれ丼は俺見たことないです!わー!おいしそう!」
 いただきまーす!と叶野は山盛りも盛られた肉丼に食らいつく。おいしい!と素直な感想と表情にゴンさんも悪い気はしない、俺たちが店に着いてすでにご機嫌だがさらに上がっている。俺も伊藤もこれでもかというぐらいに盛られた肉に無言で食らう。
 叶野のように表情にも言葉にも表すのは得意ではないので申し訳ないけれど(もちろん最初の一口で『おいしい』と伝えてはいる)食べている俺らを見てるだけでも嬉しそうにしてくれた。何も言えないのにどうしてそんな表情を浮かべてるのか、ちょっと分からないが。
「お2人はどうかしらん?味はだいじょうぶ?大根おろしもあるわよん?」
「......美味いっす。大丈夫っす」
 ニコニコとそんな効果音が合いそうなほど笑顔でガツガツと箸を勧めている叶野とは真逆にゴンさんのインパクトにやられてか海での疲れから一口一口は大きく食べているものの態度は控えめな湖越。
「あ、マヨネーズください。味を変えたい」
「あら!いいわねん、味変でマンネリ解消はだいじねぇ~はいどうぞん」
「どうも」
「見た目の割にいい食べっぷりね〜!透ちゃんみたいに態度で示してくれるのもうれしいわよ〜」
 鷲尾はしっかりマヨネーズを頼んでいた。店に入った初めこそ叶野も湖越も鷲尾もゴンさんの出迎えに予想外の体格とそのフリルだらけのエプロンにリボンをたくさん誂えたロングスカートの格好に驚き固まって未確認生物を確認したような同じ顔をしてまじまじとゴンさんを見ていたけれど、肉を(豚牛鳥問わず肉全部炒めたどんぶり)出された瞬間叶野はすぐ冒頭のように喜びがっついたし、鷲尾もテンションが上がってるようでゴンさんのこ
とはもう気にしていないようだった。
 叶野は順応力高そうだからゴンさんに慣れるのはあっという間だろうと予想していたし鷲尾も図太いのですぐ動じなくなるだろうと思っていたし、2人は俺の予想と同じだったのだが。少し意外な反応なのが湖越だった。
 出されたものに手をつけて頬張ってはいるが、チラチラとゴンさんの様子を見て話しかけられれば警戒からかそっけない。
 見られていることに気がついてゴンさんが湖越のほうを振り向いて視線が合えば、慌てて視線をそらす湖越、それに苦笑いを浮かべるゴンさんが見える。
「せーちゃんったらもう〜わたしそんな取って食いやしないわよぉ?息子当然と思ってるすずめちゃんのおともだちを手を出すほど餓えてないわよぉ」
「......」
「もぅ困ったわねぇ〜」
「んぐ、あー!誠一郎ただ人見知りしてるだけだから気にしなくていいっすよー!」
「あらん、そうなのん?」
 茶化すように言うけれどそれでも表情が硬いままの湖越に弱ったように頼りなく笑うゴンさんに、叶野が慌てて助け舟を出した。出した相手が湖越なのかゴンさんに向けてのことなのかは俺にはわからない。
「......そうなのか?」
 つい、話しているところで割り込んでしまうようで申し訳ないけれど聞いてしまう。

 あまり湖越という人物と人見知りという単語に縁がないように思えたから。
「目立たないけど実はね!内密でお願いしまっす!」
「......すみません。初対面の人と話すのは昔から得意じゃなくて」
「ううん、いいのよ〜ゆっくり私に慣れてちょうだいんね!」
「ふーん意外だな」
「そうなのか、叶野と一緒にいたせいか気づかなかったな。お前はかなり目立つからな」
「えっ俺そんな目立つかな?」
「自覚ないのか?」
 そんなにかな?と疑う叶野に鷲尾はそんなにだ、と力強く肯定する。二人の会話を聞きながら初めて湖越と話した日のことを思い出していた。
 確か先に叶野が俺のほうに来てくれて人懐っこい笑顔で自己紹介してくれてその後で湖越に話しかけられた、と記憶してる。元気よく話しかけてくれた叶野とは違って湖越は落ち着いた感じだったな。そのときだってほとんど湖越は叶野と話していて俺はそれを聞くことが多かったし、会話に入れてくれるのも叶野だった。
 ......そういえば、湖越と2人だけになったのは期末テスト前の梶井の件だけでそれ以外で2人になったことがないことに気づく。粗探し、と言われてしまうと否定できないけれど。たまたま2人になるきっかけがなかっただけかもしれない。さっきの叶野と同じで。
 けれど......こういってしまうと失礼になってしまうかもしれないけれど、俺と湖越の間に距離があるような気がする。
 それは俺が湖越に対して梶井関連で無意識に不信感を抱いてしまっているせいなのか湖越側が俺に壁を張られているのかどうかまではちょっとわからないけれど、でも伊藤の場合は少し特殊だとしても同じ時期に知り合えた叶野と鷲尾とは当時よりも仲良くなれたと感じてる。
 今日は叶野と2人で話して素のほうの笑顔を見ることができたし、帰り道では鷲尾と語らってあちらからの提案で今度2人で遊びに行くことになった。......いまいち、湖越との距離感をつかめていない。そう感じる。
 これから湖越と打ち解けることができるのかはわからなかった。いつか、聞けるだろうか。梶井との関係のことを。梶井ともちゃんと話せる日も...来たらいいな。
「どうした、疲れたか?」
「......ちょっと、な」
「はしゃいじゃったからね〜いやー楽しかったね!」
「そうだな」
「それにしても一ノ瀬本当に焼けねえな......」
「白いままだな」
「......コンプレックス」
 自分の腕とみんなの腕を見比べてため息を吐いてしまう。みんなと同じぐらい外にいて陽をこれでもかと浴びていたのにみんなが健康的に焼けているなか俺の肌はやっぱり生白い。自分のことだけど......少し、気味が悪い。
「いいじゃねえか」
 冷めた目で自分の腕を見つめているととなりから肯定する声が聞こえた。行きよりももっと焼けて小麦色に近い手が俺の生白い手を取る。
 自分のとは違う肌と大きな手の高めの体温に心臓が妙に跳ねたのを感じる。

「鷲尾なんて真っ赤になってるしな」
「あ、ほんとだー」
「いっ......!」
「ほら、ああいうふうにやけどみてえになるよりはいいだろ?」
「......」
 湖越が鷲尾の肌が赤くなっているのを指摘すれば叶野がツン、と軽く腕に触れれば痛みに苦しむ鷲尾が目に入る。
 俺は伊藤に触れられても全然平気なのに鷲尾は軽く触れられただけであの苦しみようだ。確かに、鷲尾には悪いけれど俺のほうがましな気がする。
 伊藤たちは普通に日焼けして少し黒くなっているが鷲尾は日に当たると火傷してしまうタイプみたいだ。
「あらあら、そういえばかずちゃんまっかかねぇ......だいじょうぶん?今冷やすものもってくるわねぇ」
 俺らの会話を見ていたゴンさんだったが鷲尾の日焼けを見てかなり痛々しいことになっていたのに今気づいて小走りで(何故か両肘を自分の胸あたりに寄せて漫画で見た女の子みたいな走り方である)奥へと行った。
「かーのーうー......」
「や、これはごめん、本当ごめん。そんなに痛いものだと思わなくて。こういう焼け方する人初めて今日たった今見たんです。ただの好奇心からなんです、厳罰を求めます、すいません、神様仏様鷲尾様」
 怒気たっぷりで叶野の名前を低い声で呼ぶ鷲尾と必死に手を合わせその怒りを解こうと謝り倒している叶野。
 もとは自分自身の肌の色が嫌いな俺を励まそうとしての結果がこうなったので俺も謝るべきだろうかと迷うが、何故か未だ伊藤の手が俺の手を掴んでいるからうまく考えられない。
「にしても本当焼けてねえな......あんまりゴンさんには見せねえほうがいいかもな。たぶんうるさくなる」
「......わか、た」
 まじまじと俺の手を掴んでひっくり返したりまた戻したりとひっきりなしに向きを変えられて観察される。指の先から腕の裏までまじまじと見られる。
 普段から洗ってるし、夏場は汗をかくしエアコンのない家だから涼むついでにと水を浴びることは多い。今日帰るときだってちゃんと石鹸使って洗ったから汚いはずはない。
 だけど、なんだろうか。伊藤に触れられると頭が白くなるというか何も考えられなくなる。なにか伊藤に言われたけれど意識が手に集中していて聞き取れなくてでもそれを聞き返すまでに思考がまとまらなくて適当に頷いていた。
 離してほしい、恥ずかしい。そう思うのは本当なのにそれと同時に......もっと触れてほしいとか、うれしい、と思ってしまうのはなんだろう。顔が熱い。確かに肉丼を食べて熱くなっていたけれど、それはもう水を飲んでおさまっていたからそれが理由じゃない。
 離してほしくて恥ずかしくて、触れてほしくて嬉しい、真逆のことを同時に感じて混乱する。頭が茹だるような変な気持ちになる。
「っ」
 伊藤の指がツゥーっと手首から肘のほうへと向かっていくのがくすぐったいけれどちょっと違う感じ。ぞわっときて反応しないよう耐えていたのにビクッと手が震えてしまう。
「あ、悪いくすぐったかった......か......」
「......?」
 反応したことにやっぱり気づいた伊藤は俺の表情を伺うように頭を上げて固まられる。今自分の顔は絶対に赤くなっているからもしかしたら俺が怒っているんじゃないかと勘違いされてしまっただろうか。
「あ、あー......悪い。遠慮なく触っちまって」
「......良い。いや、じゃないから」
 気まずそうに謝られてしまい、さっきまで真逆のことを感じてしまって混乱していたくせに格好つけてそう言ってしまう。
 いや、いやではないのは本当なんだけれど。俺のことなのに俺のことが全然わからない。それにまた混乱しそうになりそうに、そして伊藤が「えっ」と声を上げたと同時に。
「はい、かずちゃん氷で冷やしなさいな!あ、あとちょっとみんないいかしらん?」
 袋に入れた氷を持ってきたゴンさんが各々それぞれ過ごして俺らを呼ばれたおかげで意識がそちらに向いて、これ幸いと逃げるようにゴンさんの方へいった。
「......どういう、意味だよ。それ」
 顔を真っ赤にして途方もなくつぶやいた伊藤の声は俺には聞こえなかった。しばらく顔を覆い隠すように手をやって、少ししてすぐみんなと同じように集まった。
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