3.先を生きる人。

「へぇ~一ノ瀬くん、伊藤くんと同じところでバイトし始めたんだ!」
「ああ、料理とかはできないから裏方業務としてな」
「料理苦手なの?」
「透に料理させるとなんか知らねえけど、見た目は普通なのに味が微妙なんだよ。まずかねえけど、微妙に美味くはねえ」
「一ノ瀬に結構甘い伊藤がそう言うなら本当なんだろうな」
「それって逆に器用だな」
「……」
 伊藤の言うことは嘘偽りない事実だし否定できないけど、なんだか腑に落ちないし居心地が悪い。無言になる俺に鷲尾が気遣ってか「あまり気にしなくていいと思うぞ。それに僕に至っては料理をしたことがないし……今度手伝ってみるかな……」と言ってくれたのはちょっと嬉しかった。
「……鷲尾優しい、きっとお母さん喜ぶから是非手伝ってあげてくれ」
「ああ、そうする」
「そうだよ~結構お料理って大変なんだよ!お母さんの偉大さがよーく分かるんだから!」
「そう、なのか」
「母親ってなんであんな何でもない顔で毎日料理が出来るのか疑問に思えちゃうぐらいだよ!」
「うちなんて家族多いから色々と工夫しないといけねえしな、食費がかかる、かかる……」

 それぞれ料理……というより母親の話になってきた。『母親』というものはいとも容易く料理が出来る印象は根強いが、その印象は間違いではないのだと3人の会話を聞いてよくわかった。
 話を聞きながらも『自分の母親』のことを知らないというか……記憶のない俺には入れない会話なので、話を耳では聞きながらもそっと視線を窓の外へ向けた。海は見えていないので未だ遠い。
 叶野たちと海に行く約束した日、待ち合わせてそのままみんなで一緒に海に向かっている最中の電車の中に今いる。楽しそうに話しているのに俺はその話に交われないのを、なんだか変な気持ちになった。
 そのせいかさっきとはまた違う意味で居心地が悪かった。このままみんなの話を聞いていると……俺は嫌な人間になりそうだ。かといって空気を悪くしたいわけではないから会話をやめさせたいわけでもなくて……どうしていいのかよくわからなくなった。
 話している叶野たち3人以外にも俺たちみたいに海に行くために乗り込んでいる人たちが多いので、押しつぶされるとまでは行かなくてもそれなりに満員だ。がやがやと賑やかな電車内でみんなで話すにはそれなりに大きな声じゃないと聞こえない。

「……ちなみに透の料理下手は母さん直伝だ」

 ひっそりと、内緒話をするように小声で聞き取るには近距離ではないと聞き取れない。意外と近くで聞こえた声に少し驚きながらも、俺のことを俺よりも知っている人間はあまりいないし何より声で誰かすぐ分かった。

「そう、なのか」
「透の母さんまるでそっくりの味で俺としては何か懐かしかった。……なんか、悪いな。こういう会話になるきっかけ作っちまって」
「いや……」

 伊藤に叶野たちには聞こえないぐらいの声量で謝罪されてしまった。そんなに謝ることはない、流れが出来てしまったのなら仕方がないことだと思う。そう言おうとするけれど自己嫌悪から考えが纏まらず一言否定するしか出来なかった。
 さっきまで自分が嫌な人間になりそうで怖かったけれど、申し訳なさそうにしている伊藤を見てそんな気持ちが吹っ飛んでしまった。……性格、悪い。
 もちろん申し訳なさそうにしているから気遣わせて逆に謝りたくなっているけれど、それとは別に伊藤も家庭内できっと事情があるんだと言うことは知っているから……俺といっしょの人がいるんだって安心してしまったから。自己嫌悪に苛まれた。伊藤がそんなに申し訳なさそうにしているからなおさら。自分が汚く感じた。
 せめて。伊藤には笑ってほしい。自己満足だってわかっては、いるけど。

「それより、はやく海つかないかな」

 それでも今は目先の楽しみをとりたいと思った。色んな問題を先延ばしにしていることは自覚はしてる。だけど今話すのはきっと違う。
 せめて今この瞬間は笑っていてほしいから、あからさまでうまく誤魔化せたなんてお世辞にも言えないぐらい下手な話題逸らしだったけれど。

「それな、約束通りアレやろうな!」

 俺の気持ちを察したのかどうかは分からないけれど俺の話題に乗って笑って同意してくれた。黄色のような元気な笑顔を見せてくれたことにホッとする。……海を楽しみにしてたのは、俺もだからこうして楽しそうにしてくれるのはやっぱりうれしい。

「え、何する気なの?」
「……ああ、アレか。分かった」
「本当何する気なんだよ……」

 一瞬伊藤の言う『アレ』が分からなかったがすぐに分かった。そういえば終業式のときから言っていたな。アレをやりたい、と。
 渋る俺に散々頼みこまれてしまって頷いてしまったのである。まあ伊藤がやりたいのならいいけどな。何をする気なのか、伊藤の大きな声につられてか話していた3人が不思議そうに『アレ』が何なのか気になってか俺らのほうをじーっと見てくるけれど。

「あー秘密だ、ひみつ」
「そう隠されるととんでもなく気になるのだが」
「……多分鷲尾が思ってる以上に賢くないことをすることは確実かな」

 伊藤に提案されなければ絶対に俺はやらないし、きっと鷲尾も……いや鷲尾の場合は提案されてもやらないかもしれないぐらいのことだ。

「良いだろ、夏だしな!」
「伊藤くんすごい乗り気だねーいいね!よっしいっぱい楽しもうね!」

 俺ビーチボールと浮き輪も持ってきたんだ~とウキウキしている叶野。……うん、楽しみなのは皆も一緒みたいだ。
 鷲尾も冷静を装っているけれどそわそわと窓の外を確認しているのが視界の端に映るので分かってしまった。
 俺も人のことを言えないので鷲尾のことを言わなかった。それに俺が言わなくても突っ込む人がいる。

「わっしーもたのしみにしてたんだね!!もう何度窓の外確認してるの?」
「う、五月蠅い」
「ええー昨日水着をいっしょに買いに行った仲じゃないかい!」
「まじか」
「水着なんて学校の授業でしか使ったことないし、当時に比べて身長も伸びてしまったから入りそうになくて困って、それで……仕方ないだろ!」

 顔を真っ赤にして訳を話す鷲尾だったが、恥ずかしさのあまりか最後キレ気味になっている。

「俺としてはまあ頼られるのは好きだからいいんだけどぉそんなキレなくてもよくなーい?」
「五月蠅い、もう五月蠅い、だまれ、かのう」

 叶野が鷲尾をからかって鷲尾は目を逸らしながら叶野に黙るように言うけれど、その空気感に前にあったようなギスギスしたものはなくてむしろ言葉自体は刺々しいのに穏やかなものだった。
 ……俺に至っては前に伊藤と買いに行かなければ鷲尾と同じように途方に暮れた思いをしていたかもしれないので少し鷲尾に同情してしまった。着いたらどう遊ぶか何時に昼飯を食べるかの話をみんなとしていたらあっという間に目的の駅に着いた。

ーーーー

「うし!行くぞ、透!」
「……ああ」

 海に着いて着替えて、ロッカーに荷物を押し込んで浮き輪やビーチボールに空気を入れて準備運動もそこそこにして持参したビニールシートを敷いて休憩できる場所を確保する。
 強い日差しに晒され続けた砂をサンダル越しに感じながらも海へ近づいて、波が来ないところでサンダルを脱ぎ、波が来るけれど足が少し浸るぐらいの浅いところで『アレ』の準備を始める。蹲り頭の位置を出来る限り下にしようとする伊藤の首のところに自分の足の間を挟むように跨る。

「や、ほんと何してんの?!」

 後ろから叶野の突っ込みを受けたけれど、俺も結構不安になっているのでそれに応える余裕は無い。伊藤は叶野の焦った声は聞こえていないのか、俺の位置が安定したのを察知して「立つぞ」と一言俺に断ってゆっくりと立ち上がっていく。立ち上がるとき初めての感覚と浮遊感に吃驚して「ぅ、わ」と小さく声を上げてバランス感覚が崩れて足を無意識にもぞもぞさせてしまうと、伊藤の手がしっかりと俺の太もも辺りをぐっと抑えられて伊藤の肩からずれないように固定された。痛みはない。
 ……少し力を入れたところで伊藤が崩れる様子はなく、安定しているので伊藤の力強さを改めて自覚する。絶対伊藤と殴り合いの喧嘩になったら勝ち目はないだろう。なんてありもしないであろうことを考えてしまう。

「……」

 自分のあまり触れないし陽にさらされることもあまりないところを伊藤のゴツゴツした男らしくて健康的な色の手が力強く掴んでいるのが視界に入る。なんか、もぞもぞする。
 普段自分でも触れないところだからだろうか、前に伊藤と叶野に脇の下とか触られたときに似ているような少し違うような変な感覚だ。
 何となくこれ以上見るのはいけない気がしたので視界を少しずらしてみるとこれこそいつもはほぼ確実に見えないものが見えた。

「……結構、茶色いんだな」

 真上から見ると生え際がよく分かる。伊藤の髪は金色に染められている。染めていると言うことは髪が伸びれば地毛の部分が見えてくる。
 ほぼ毎日いつも伊藤のとなりにいるから根元が茶色くなっているのは分かっているけれどこうして真上から見える日はそうそうないしこれからもあまりないと思う。
普段見える伊藤の地毛の部分は特に意識するほど明るいわけではないけれど、今は陽の光に当たっているのも相まってかさすがに赤茶色に染めている叶野のようにとまではいかないものの、かなり明るく見える。
 物珍しくてつい人工的な金髪をかき分けて地毛をまじまじと観察する。根元の部分は染色していないからか触り心地が良い。
 初めて会ってからずっと金髪しか見ていなかったから特に違和感はないし普通に似合っているとは思うけれど全体を地毛の色にしたところ見てみたい気もするな、そう思いながらわしゃわしゃと真下にある頭を撫でくり回す。

「……っ行くからな!!」
「わっ」

 撫でるのに夢中になっていると声をかけられたが伊藤に言われたことを理解する前にくんっと身体が傾きそうになって反射的に間近になった伊藤の頭をぎゅっと両手で抱きしめた。

「~~~っ!!!!」
「ぅ、わ……ぶふっ!!」
「ごふっ!!」

「……ほんっとうに、何してんだあいつら」
「えーっと簡単に説明すると伊藤くんが一ノ瀬くんを肩車した状態でそのまま海へと走っていって、しばらく走って行った伊藤くんがこけて……2人とも顔面から海に突っ込みましたなぁ……。わぁ目痛そう。海水が目に入ったんだんね、2人とも悶えてるよ……」
「謎過ぎる行動だ」
「……ふ、は、ぐっ……!」
「わっしー笑いたいなら笑ってええんやで」
「っ、ふ、ハッ!ハハハハハ!!」
「おー……鷲尾ってそんなに笑えるんだな……」

ーーーーー

「伊藤の好きな曲があって。そのPVで二人組が肩車して海に突っ込んでいくシーンがあって」
「へぇ……伊藤くんがやりたいって言ったの?」
「うん」
「……よく一ノ瀬くんもオッケーしたよねぇ」
「渋ったけど頼みこまれて」
「一ノ瀬くんは伊藤くんに甘いね、逆もしかりだけど」
「そうか?」
「うそ、無自覚?」

 伊藤くんと一ノ瀬くんの謎の行動にすっかりツボに入ってしまった鷲尾くんはそれで吹っ切れたのか、全力であそび倒していた。
 最初はあんな風にはしゃいでみたいけれど、どうはしゃいでいいのか分からないようなもどかしい表情が嘘のようだったね。あんな全力で笑う鷲尾くんはきっと鷲尾くんの家族を除けば俺らぐらいしか見ていないんじゃないかなぁ。
 泳いだりビーチバレーボールをしてたり砂遊びしてみたりと色々やっていたらいつの間にかお昼過ぎてたから休憩がてらお昼にしようということになった。で、今俺と一ノ瀬くんとで買い出しに行ってるところだ。え、どうなって俺らになったかって?それは単純にじゃんけんの負け組2人なだけ!誠一郎に2人で大丈夫かと心配されたけれど、大丈夫……なはず。
 それより今気付いたんだけど俺と一ノ瀬くん2人だけで行動するのって初めてだ。初めて、と意識すると少し緊張する。なんで今日初めてになるのか考えてみるとすぐに分かった。そうだ。いつもなら一ノ瀬くんのとなりには伊藤くんがいて……俺の隣には誠一郎がいたから。

 ……誠一郎といる回数は以前よりも断然減ったと感じてる。仲が悪くなった訳ではない。前だっていつも一緒にいるとかではなかったけれど、トラウマを持つ俺に寄り添ってくれていた。それから俺は少しずつ距離を置いて行こうとしている。そのせいで誠一郎の重荷になっていたことに気が付いていない訳ではなかったから、俺のせいで誠一郎のしたいことが出来なかったのも知ってる。
 俺はこれでも誠一郎の親友のつもり、だからこれからは俺からも誠一郎を支えられるようにしていきたい。そのためには俺自身が強くならないと。
 誠一郎はああ見えて繊細だ。それに気付かないふりして甘えていた自分が情けない、少しでも自分の足で立って歩いていきたい。
 少しでも……誰かを信じることに疑いを持たずにいた前の俺に近付いて行きたい。

「ねぇ見てあの子!」
「すごい綺麗……モデルかな?」
「えーモデルだったらわたしすぐ分かるわよ!」

 女性の高い声があちらこちらからふと聞こえて来て意識を戻すと、周囲の視線の的になっていることに気が付いた。
 それはちんちくりんな身体と10人に1人はいそうな顔を俺が……ではなく勿論となりを歩く一ノ瀬くんが、である。
(一ノ瀬くん、確かにモデルと勘違いされてもおかしくない容姿だわねえ……)
 水着のお姉さんが大きな声で話していることに内心同感する。だって俺も第一印象下手なアイドルなんかよりも目を惹く人が転校してきたな、と思ったからね。俺の容姿と一ノ瀬くんの容姿を見比べる。
 身長は一ノ瀬くんのほうが確かに高いけれど、俺だって170㎝超えているし低い訳ではないし(俺の周りに良くいる人がたまたま俺より身長高いだけだし!)少し見上げるぐらいで身長差がすごくあると言うわけじゃない。
 だからいつも不思議だった、一ノ瀬くんはほかの男子と何が違うのかよくわからなかった。存在感が違うんだろうなぁとか美形だから迫力があるからかなとかふわっと考えていた。けど、圧倒的に違うことをたった今俺と見比べたことで分かってしまった。それは……足の長さだ。
 普段の制服だと体型の違いとかよく分からなかったけど、今いるところは夏の海であり当然水着で……体が良く見えてしまうのでしっかり分かってしまう。
 そもそも腰の位置が違う。俺の腰の位置よりも数センチは高い位置にある。一ノ瀬くんの身長の高さはほとんど足の長さで、胴体部分はもしかしたら俺より低いんじゃ……そんな可能性に戦慄する。

「……どうした、無言になって」
「あー……一ノ瀬くんってモテるなぁって」

 黙りこくってしまう俺を心配そうに聞いてくると一ノ瀬くんにそう返した。思っていたことと少し違うけれど自尊心が砕けそうになったので許してほしい。それにモテるなあと思ったのも事実だしね。
 俺がそう言えば何故かきょとんとした顔をされた。えっこんだけ騒がれといて無自覚なの?!

「……俺は別にモテない、と思う」
「無自覚かー!!」

 何ていうことでしょう!こんな美形で皆の視線の注目の的になっておいて自覚がないなんてっどんな希少価値なのです!?うそつけーい!!

「いやいや、さっきから視線すごいじゃん!」
「……視線は……まぁ確かにな」
「そうよ!海で泳いだ後とかもすごかったじゃない!」

 良かった!視線の的になっていることは自覚してるみたい!それなら自分がモテていることぐらいわかるでしょ!
 水にぬれた一ノ瀬くんに男女問わず視線釘付けになっていたからね!?

「でも、視線がすごいからってモテる訳でもない。さすがにこれだけ人の視線に晒され続けてきたから自分の容姿は少し目立つというのは嫌でも自覚してるけれど……。
実際告白されたことないし、同年代の女の子とのかかわりもない」
「んあーそれは……ほら、一ノ瀬くんが美形過ぎて話しかけづらいだけだと……」

 艶やかな黒髪に一つ一つの顔のパーツは均等に美しいと思えるところに並べられていて、その上日本人離れしているグレーの瞳をしている。
 前に一ノ瀬くんが言った通りこれだけ炎天下で肌を晒し続けても美白は保たれたまま。首も手足もすらっと長くて真横から見てもお腹が出ている様子は無くてかといって痩せぎすとは言わない絶妙なバランスだ。
 一ノ瀬くんを見て10人中10人……いや100人中100人が『美しい』と言わざる得ないし、そう言わない人間こそ美的感覚を疑ってしまうほどだ。俺とかはまぁ同じ学校で同じ教室にいてそれにほら……と、ともだちだし?最初は一ノ瀬くんも完全に無表情で本当に無口だったからちょっと威圧されてたけど、それが今では普通に話せる仲になっているのだから不思議だよね。

「俺は疎遠されやすい、から」
「決してネガティブな理由ではないんだけど……」
「叶野の方がモテるんじゃないか?」
「え、俺!?」

 まさかの流れ弾に驚きの声を上げてしまう。一ノ瀬くんはそんな俺に驚いたようだったけれど。

「……そんなに驚かなくても」
「いや、まさか俺が出てくるとは思わなくて」
「自分のことで大変なのに周りに気遣えて誰かのために行動出来て優しい叶野なんだから、俺なんかよりもモテるだろ」
「う、うおぉ……」

 突然褒められて変な呻き声のようなものを喉から唸り上げた。今まで出したことのない声の恥ずかしさと褒められて嬉しくて照れから、暑さとは別に顔が紅潮していくのを感じそれに伴ってテンションもおかしくなって。

「叶野はジュース買ってきまーす!」

 何故か自分の名前を一人称にしていつもよりワンオクターブ高くして大きな声で宣言してダッシュで一ノ瀬くんから離れた。羞恥やら照れやらなんやらが色んなものがガーっと来ていた俺は率直に言うとテンパってた。だから、ええ忘れてました。

「さっき美形くんと一緒にいた子だよね?叶野くんだっけぇ?」
「……ちがう、ますぅ……」

 自分の妙な体質を。現在公立水咲高校1年B組叶野希望は何故かサングラスをかけているスキンヘッドのお兄さんと金髪のオールバックで髭を生やしている色黒なお兄さんに囲まれて壁ドンまでされております……。
ーーいつからでしょうねぇ。俺1人でいるとなにかと絡まれるようになったのは……ああ、あれかな羽佐間くんのことがあってからかなぁ……あ、今考えてみると本当にそうだわ、彼から離れてからこうやって絡まれる頻度1人でいると100%なんだけど!
 未だに彼の呪縛は解けていないみたいでなんだかゾッとする……ここに来ていないよね…?本当にいそうで怖い。
 本当に不思議なことに俺1人でいると絡まれるのに、誰かが一緒にいると絡まれることは皆無なんだよ。団体でも単体でもなんでもとにかく誰かと行動を共にすれば平気。本来なら今一ノ瀬くんといるはずだったから絡まれることはないはずだった。
 自販機で飲み物を買おうとしたら物陰に引きずり込まれた。内心恐怖しかないけれど、それでも勇気を振り絞る。

「ちがうますだって?うわぁ可愛い!」
「美形くんより可愛げあるな~おれ叶野くんのほうがこのみ~小動物っぽくね?」
「ほんとそれ」
「……」

 こわいこわいこわいっ!!なんでかカツアゲとか喧嘩売られる意味で絡まれたことはないけれど、ものすっごい自分の身が危ない人たちに絡まれるんだよっ!おもに貞操的な意味でね!!

「あの美形くんは叶野くんの彼氏?」
「えっと……」

 違いますけど!?
 いや、男同士でなんでそうナチュラルに恋人同士とか彼氏とかそう言う単語が出てくるの?!普通に友だちです!謎、いやもう本当に謎です!!

「彼氏じゃないなら今から俺らと遊ぼうよ~」
「叶野くんなら気持ちよくしてあげるよ?ほら行こいこ!!」
「えっ待って、」
「ダーメ!」
「ひッ」
「怖がらせんなよ~」
「悪い悪いっ」

 気持ちよくってなに!?強引に肩を組まれ、さすがに抵抗しようと手を伸ばそうとしたがそれすらとられてしまう。とりあえず察するに健全に海であそぶ、ではないなっ!

「あっち車あんだよね」

 耳元で低い声でスキンヘッドのお兄さんに言われて背筋がぞわっとなる。くるま?!これやばい奴……?いやヤバい奴!!
 身の危険しか感じないぃぃ!!やっぱり俺羽佐間くんに呪われてません?ってそんなこと考えてる場合じゃねええええ!!連れ込まれたらやばい!何がどうなってどうやばいのか説明は出来ないけれどこれ乗ったら俺また後悔します!

「無理無理無理!!」
「チッ早く連れ込むぞ!」

 状況を理解して暴れ出す俺に面倒くさげにオールバックの人が舌打ちしたかと思えば先ほどまでの穏やかな口調が嘘のように荒々しくなる。
 それにガチでビビるけど、ここで抵抗しないといつ抵抗するんだってはなし!!さっきまでは混乱から脳が働かなくて身体も動かせなかったけれど、危険と判断した脳はとにかくなりふり構わず抵抗しろと身体に命令されるがままに足も手も胴体も捩じって首を振って抵抗する。

「いってぇ!」

 脛を思いっきり蹴りが入ったようで堅い感触がかかとに伝わって、痛みを訴える声が聞こえたと思ったら肩から手が外れた。それと同時に駆け出す。
 はやく、はやく!人の気配のあるところ、人込みに紛れてしまえ。それか一ノ瀬くんと合流するんだ、悪目立ちするのはこの人たちが動きにくくなるだけだ、きっとそこまで追ってこないはず。急げ、もっと急げよ!

「こんのクソガキ!!」
「っ助け……むぐっ!」

 もうすぐで物陰から出れる、と思ったところで俺がそれに安心して油断したのか彼らの方が早かったのか、助けてと大声で言おうとしたところで追い付かれて口を手で覆われて俺が暴れないよう2人がかりで抑えられつけられた。
 1人には片手を取られ口をふさがれて……もう1人は俺を抱きしめる形で。素肌が触れ合い感覚にぞわっと鳥肌が立った。怖い。ドクドクと嫌に心臓が高鳴る。

「大人しくしてれば本当に優しくしてやるつもりだったのによぉ」
「もうここでやっちまうか」

 何か会話してるようだけどうまく聞き取れない。

(怖い、辞めて)

「〜〜〜〜〜〜!!」
「っこいつ!まだ暴れんのかよ!!」

 辞めて、やめてやめて。俺に触れないで。怖いこわいこわいこわい、やだやだやだっはなして。はなして、羽佐間くん。
 今いる場所は海であり今絡まれているのは見知らぬ誰かで、ここはあの学校の教室でもないし俺を抱きしているのは羽佐間くんじゃない。だけど俺の脳裏に過るのはあの日のこと。
『付き合って』
 脅しと同じ言葉を吐かれ、心底俺のことを愛おしく見つめる羽佐間くんの姿が視界にはいないのに俺の頭のなかは彼の顔が消えなくて。
 もしかしたら誠一郎に助けられて一ノ瀬くんたちのおかげで過去と向き合えたのは全部嘘で、あの日の続きが本当の現実なんじゃないかって疑ってそんな妄想を真実と処理してしまった。
 見知らぬ2人に何かされそうになっている現状を、羽佐間くんに触れられ無理矢理何かされそうとなっているんだと思い込んだ。
 そう思い込んだ俺は今度こそ狂ったように暴れ出す。声が出さないように口を覆われていてもそれでも微かに声は出せる。それに焦っている2人なんか俺は眼中になくて解放されたくて暴れることを止めることは出来ない。自分の脳裏に浮かんでいる光景しか見えていないのだから、当然この現状を把握できるわけがない。

「っいい加減にしろ!!」

 いつまでも大人しくならない俺に苛立ったように怒鳴って拳を振り上げようとしたのか、ハッと気づくと握り拳が間近に迫っていて衝撃にぎゅっと目を閉じて耐える準備をした。俺は、やっぱり変われないのかな。そう諦観したと同時に声がした。

「貴様ら、何しているんだ?」

 どこまでも真っ直ぐで力強くて通る声が聞こえた。その声に恐怖とか諦念とかぐちゃぐちゃに考えていたのを忘れて目を開けて、声が聞こえたほうを見た。
 ずっといた場所が物陰で少し薄暗かったのと太陽に位置で偶然だったしきっと彼は意識しているわけじゃなかったと思う。ああ、それでも。

「見間違いなくそこにいるのは僕の友人だ。その何か菌がついていそうな手から叶野を放してもらっていいだろうか」

 いつも通り堂々としたいつも通り仏頂面で、いつもよりもつり上がった眉といつもと違う淡々とした怒りを燻らせている瞳をした……太陽の光を眩いばかりに背中で受けている鷲尾くんを。『救い』のように感じたんだ。

「鷲尾くん、助けて」
「無論。そのために僕はここにいる」

 弱々しい俺の頼みに力強く頷いてくれて状況は変わっていないのにひどく安心してしまった。

「空っぽの頭では僕の言ったことも理解できないのか?放せと言っているのだが」

 鷲尾くんは本当に思ったことを言っているだけなんだけれど……ああ、やっぱ煽っているように聞こえちゃうなぁ。危ないことは分かっているのにいつも通りの鷲尾くんがおかしくて笑っちゃう。

「あ”あ?この状況みてそう言えるてめえこそおつむ足りてねえんじゃねーの?」
「正義感ぶっちゃうのほんとおこちゃまじゃんか!」

 大きい声で下品に笑う彼らに鷲尾くんは不愉快極まりないと言わんばかりに顔をゆがめつつも冷静さは失われていない。

「ふむ。そう僕に言う貴様らこそちゃんと周りを見た方がいいのでは?」
「はぁ?」

「ちょっと……なにあれ、カツアゲ?」
「どう見たってあの子絡まれてるよな……?誰か係員呼べよ」

 ざわざわと不穏なものを見るかのような声が小さく聞こえてきた。それは彼らも聞こえてきたみたいで「は、なんだよっ」と慌てて俺を雑にぽいっと地面に捨てて鷲尾くんの横を通り過ぎて物陰を出て行く。俺も足に力が入らないけれど、ずるずると這うように鷲尾くんの元へ向かおうとするけれどうまく歩けないのを察した様子。

「大丈夫か?」
 そう言って手を差し伸べてくれた。反射的にいつもの癖で『大丈夫だよ』と笑ってその手を断ろうとしたけれど、あまりに眉間に皺を寄せて心配そうに真っ直ぐに俺を見ているから……。
「……ちょっとだいじょばないかな」
「なんだそれ」
 大丈夫じゃないとまではさすがに言えなかったから、ちょっと茶化した答えを述べながら鷲尾くんの手を借りれば、苦笑いされた。……なんだか。そわそわする、鷲尾くんを前にするとなんか落ち着かないよ。でも、離れたいわけではないんだ。変な気持ち。自分の良く分からない気持ちに戸惑いながらも鷲尾くんに引っ張られ物陰から出た。
「ええ、はぐれた友人を探していたらこの人たちに絡まれて……」
 出てみると一ノ瀬くんが先ほどの男たちと係員の黄色いパーカーを着ているお兄さんとお姉さんに状況を説明しているところだった。

「きみ、だいじょうぶ?怪我とかないかな?」
「あ、はい」
「そっか、良かった」

 俺が出てきたことにお姉さんが気付いて声をかけてくれる。女のひとがこう聞いてくれるのはありがたい、男のひとだとさっきの今だからちょっと身構えちゃうから。殴られる寸前ではあったけど、未遂だったし俺の身には特に何の異常はない。

「えっと、あの男性2人組とは今まで面識はあった?」
「さっき初めて、です」

 そっかそっか、と柔らかく頷いてうーんと唸る。

「特にきみに怪我はないみたいだけど……どうしよっか?警察呼んだ方がいいかな?」
「いや、それは……」
 警察という単語にしどろもどろになってしまう。

「だーかーらー!ちょっとちょっかいかけてただけだって!」

 大きい声で話すからどうしてもこっちまで聞こえてしまう。さきほどの男性2人だ。

「別に周りに迷惑かけてねえし、ただちょっとあそばないかなーって、それにあいつだって受け入れてたし!抵抗無かったしよ!!」

 ……俺、怖くて状況が把握できなかっただけ。でも、なんでだろうね。大きい声だからか面倒ごとを起こしたくないのか係員の男性は俺のほうをチラチラ見て穏便に済ましてほしいと訴えているかのようだった。
 こういうとき周りのことが見える力っていらないと思う。周りもなんだか「たいしたことない感じ?」「特に怪我もなさそうだしなぁ」と脱力した空気がながれているのも見えてしまう。ここで……俺が我慢すれば、穏便で終われる。
 俺のせいで鷲尾くんや一ノ瀬くんの時間を取っちゃっているし、ここにいない伊藤くんや誠一郎も随分待たせているだろうし申し訳ない。
 それに俺も……これ以上、大ごとにしたくない。また泣き寝入りするのかと思われてしまうかもしれないけれどこんなに大勢から注目されるのも、俺が男に襲われそうになったことを知られるのも嫌。
 俺だって男だから……女のように泣きそうになってしまうのは、さすがに嫌だ。

「……警察は、いいです」

 鷲尾くんから『それでいいのか』と目で訴えられたけれどスルーした。だって、嫌なんだ。大勢に俺が男に襲われそうになったことがどこかで広まったりするのは。
 男性2人組は俺の考えていることを分かっているみたいでニヤニヤしているのに不快感が沸き上がるけれど……仕方ない、よね。

「そっか!じゃあもうこのまま解散で……」
「っちょっと!」

 この場を何とか終わらせたい係員のお兄さんにお姉さんがその態度に注意しようとする。

「……彼が警察に言いたくないというなら俺はその意見を尊重します」

 この場を静観していた一ノ瀬くんが口を開いた。一ノ瀬くんは大きい声で話すわけではないけれど……彼の存在感のせいか彼が話し出すと何故かみんな静かになった。不自然に静かになったこの場で一ノ瀬くんだけはいつも通りに話す。

「だけど、いくつか言わせてください」

 そう切り出して一拍置いて。

「まずあなた方。彼は受け入れた、抵抗はなかったと言いましたが、俺見てたんです。2人がかりで彼を抑え込んでいたのを。勿論そこのメガネをかけている友人も目撃してます。俺はその間に係員を呼びそこの彼が叶野を助けに行きました。そもそも、突然見知らぬ男性2人に話しかけられてその場の状況を冷静に判断できるのでしょうか?俺には出来ないと思います。今回は怪我が無かったですけれど、今度はどうなのでしょうか。怪我がなくとも内心傷ついているのかもしれない。それは言わないと分かりません、だけど心の傷は本人が言いたくないと判断してしまえば一生分かることができません。……心苦しいですけれど。あと彼らが次安全に健全に海を楽しむように思えますか、俺は到底思えないです。それを自分が処理したくないからといってその場をなあなあに済まそうとする貴方は責任が伴っていないと考えます。…………でも、貴女の対応は親切だった、叶野を気遣ってくれてありがとうございました。以上です。もう行こう、叶野鷲尾」

 一気にまくし立てた、と思えば俺らに声をかけてその場を去ろうと言ってくる一ノ瀬くんに、少し戸惑ってしまい何となく隣にいる鷲尾くんと顔を合わせて……ついていくことにした。一ノ瀬くんに威圧されてかだれにも呼び止められず、冷やかしも受けずにさっさとその場を去ることが出来た。

 普段無口な一ノ瀬くんがあんなに言葉を発して適当なことを言う2人組と杜撰な対応をした係員のお兄さんに正論を淡々と告げつつ、俺を気遣ってくれたお姉さんへのお礼を忘れていないのはやっぱり頭の回転が速いと言うべきか……。いやそれよりも……もしかして、いやもしかしなくても、怒ってくれた、んだよね。自惚れじゃなければ、俺のために。

……照れくさいや。

ーーーー

 今になってとんでもない後悔が襲ってくる。

 それは大人数の前で彼らを責め立てたことにではなくて、もっと俺がうまく立ち回れたら良かったのにという後悔。
 何故か叶野に先に行かれて置いて行かれたあと、叶野の反応に首を傾げながらもとりあえず叶野は飲み物買いに行くと言っていたし俺は昼飯となるものを買いに行って飲み物は重いだろうからそのあとで探しに行こうと思った。
 このとき、すぐに叶野を追いかけていればああいう風にならなかったかもしれない。あらかた買い終えてさっき言い忘れていたことがあった、とやってきた鷲尾と合流して叶野を探していると2人組の年上らしき男性に絡まれているのを目撃して……。……俺も飛び出していけばよかった。
 いっしょに目撃した鷲尾が先に駆け出して「一ノ瀬は誰か呼んできてくれ」と言われた通りに……冷静ぶって誰かを呼びに行くことを選択しなければ良かった。
 その自分への苛立ちを反省の欠片のない男二人組と杜撰な対応をしてきた係員へぶつけたところがあるのは確かであるけれど、あの人たちへ怒りをぶつけた自分に反省する気はない。
 でもこうなる前に何とか叶野が傷つかないで済んだんじゃないかって、そんな考えがぐるぐる回る。

「……叶野、ごめん」
「えっどうしたの急に?謝るのは俺の方だよ!ごめんね?俺が絡まれたりしなければ時間取られなかったのに」

 申し訳なさそうに……そして俺らに心配かけないように笑いかけてくるのが自分が情けなく思えてしまって仕方がない。ずんっと気分が重くなった。

「叶野はなにも悪くないだろう、絡んできた奴らが悪い。それに一ノ瀬の対応も間違ったものではない、あの対応の仕方をした奴らが悪い」
「……俺がもっと叶野に気遣っていればあんなことにならなかったかもしれないのに」
「いやっ俺が先に行ったのが悪かったんだし……!それに……あれは俺のせいだから……!」
「でも」

 ああこのままだと堂々巡りになりそうだ。そうなるであろうことは俺も叶野も分かっているけれど、止まらない。どちらかが折れないといけない、が折れる訳にはいかない。俺が折れたら叶野のせいと言うことになるし叶野が折れたら俺のせいと言うことを認めることになるからあっちも折れない。
 ただでさえさっき目立ってしまったのにここで口論になればまた野次馬に囲まれてしまうけれど辞めどころが分からないしここで中途半端にするわけにはいかないと俺も少し意固地になっていたのを諭される。

「譲り合いはいいことだと思うが、とりあえず飲み物を適当にその辺の自販機で買って伊藤と湖越のところに戻らないか?遅くて苛立ち通り越して心配になってきているかもしれんぞ」

 鷲尾の困惑しながらも冷静な声にやっと自覚した。呆気にとられたように鷲尾の姿を視界にとらえる、静かにじっと自分のことを見られていることにたじろいでいたけれど。

「どっちも僕は悪くないと思う、から。そもそも悪いのはあいつらだ。自分を責めることはないし、終わったことをほじくり返しすぎるのは毒だ。…………自分が悪いんだと競わなくていい。競うならテストの点数で競え!くだらないことで競ってるんじゃない!僕にそう言うこと言わせないでくれ……得意じゃないことぐらいわかっているだろ!」

 鷲尾の顔が赤くなっているのは日焼けだけでないのは一目瞭然で。言われたことを理解する前に「そこの自販機で飲み物買ってくる!」叫んでくるっと回って少し遠くにある赤い自販機に駆け出して行ってしまった。だけど、耳と首は赤いままだった。

「……鷲尾にああ言ってくれたし。俺らは悪くなくてあいつらが全部悪いとしよう」
「そうだねぇ……鷲尾くんにとってとんでもなく苦手であろうことを俺らのために言ってくれたしね!」

 茶化すように笑う叶野だけど、その顔は嬉しそうだった。……瞳に涙が溜まって今にも零れそうなほどに。

「……もうわっしーとは呼ばないのか?」
「えっうそ!呼んでなかった?!俺キャラブレすぎ!」
「好きに呼べばいい。鷲尾の手伝い、しようか」

 あえてそのことには触れず、叶野の顔を見ないよう少し前を歩いた。さっきのことがあったからあまり距離を置かない程度に、な。
「ありがと」
 そんな声が後ろから聞こえた気がしたけれど気付かないことにした。
「待ってー!あ、わっしー傷心中の俺の分おごってちょー!」
「は、なんでお前のために」
「ともだちに失礼な~!こんにゃろ!」
 俺を追い越して鷲尾の元へ駆け寄るのを見送った。いつも通りの調子で鷲尾にニックネームで呼びジュースを強請っている。
 どすどすと鷲尾の無防備なわき腹を突っついて、苛立った鷲尾にヘッドロックをかけられて「ぎにゃー」と間の抜けた悲鳴を上げているのを見ながら2人の元へ辿り着く。

 ……前よりも断然仲良くなったように感じる。鷲尾は叶野の首を抱え込んで絞めている行動をとっているけれど力は入っていないし叶野も痛がっているフリをしているだけで痛くは無いんだろう。何より、2人の空気が以前とはやっぱり違う。
 テストを終えて皆で昼飯を食べた後この2人だけで話した後からだろうか。抱えている痛みは、ふたりにもあってそれが癒えているのか完治したのか……未だ傷ついたままなのか、俺には分からなくて彼らに出来ることは無いのかもしれないけれど。でもせめて。

「一ノ瀬くんも好きなの押していいってさ!!」
「……俺までいいのか?」
「こ、今回だけだ!いいから押せ!」

 こうして一緒にいる時間が、俺と同じように楽しいものであればいいと心からそう思う。

「これからは俺ら3人組のことを呼ぶ際は『わかい組』とよぼー!」
「わかい……和解?」
「命名ヒントは俺らの苗字の頭文字です!」
「それ答えじゃないか。よくもまぁそんなくだらないこと思いつく……」
「……良い名前だな」
「……一ノ瀬がいいならいいだろう」
「わっしーも一ノ瀬くんには甘いよねぇ……」
「何か言ったか?」
「んーん!!あ、そう言えば鷲尾くんなんで買い出しじゃんけんで勝ったのにここにいるの?」
「言い忘れたことがあった、とは言っていたが。あ、もう昼飯は買ってしまったな……。何か足りないものがあったらごめん」
「……いや、そこは平気だが……」
「じゃあなんだい?」
「……炭酸」
「え?」
「行く前、なんでもいいと答えたが僕は炭酸飲料が飲めない。……それだけ、だ」
「……メール、してくれれば良かったのに」
「…………あっ」
「おやおや、わっしーにしては珍しく抜けておりますなぁ!」
「うるさいっ」
「……あ」

 叶野の発言に気付いて携帯電話を取り出す。……あー。

「えっ!やば、伊藤くんからの着信回数えぐい!」
「……すごいことになっているな」
「僕のほうには『大丈夫か?伊藤が心配しすぎて限界だからそっち行くわ』と湖越からメールが着ているな」
「早く連絡すればよかったねぇ……」
「……そう、だな」

ーーーー

 俺らがいるところは海の家まで行く道のほぼ中間地点だったので、そこで待ってるとメールを返して無事に返信がきたのでそのまま待つことにした。

「でさー……あっ伊藤くんだ」
「透っ大丈夫か!?」
「~~っ!」

 叶野の会話が途切れて伊藤の名前を呼んだので見ている方向を振り向こうとする、その直前でゴッと頭に鈍い衝撃が襲ったかと思えば痛みが襲ってくる、立っていられず蹲る。なにが起こったのか理解できなかった。

「あー今のは痛い、痛いよぉ……」
「悪い、いやごめん!大丈夫か!?」
「~っっ」
「伊藤は大丈夫なのかよ……。」
「それほど石頭だってことだろう……あ、伊藤あまり揺らすな、下手すると吐くかもしれん」
「まじかよ!」
「大声を出すな。頭に響く。一ノ瀬大丈夫か?横になるか?」

 蹲ってしまう俺に皆慌ててしまうなかで冷静な鷲尾の声だけはうまく聞き取れた。
 質問に首を横に微かに振る。そこまでじゃない、あともう少しだけこのままでいさせてくれれば回復すると思う。
「無理はするなよ」
「……ありがと、鷲尾」

 痛みで生理的な涙がにじんでいてうまく鷲尾の顔は見えなかったけれど、視線だけは合わせてそう礼を言った後自分が回復することに専念した。今の俺の行動で空気が変わっていたことには気付かなかった。

「……あー……治まってきた」
「透、ほんっとうごめんな……」
「気にしなくていいよ。心配で来てくれたんだもんな。それにしても伊藤本当石頭だな……」

 体感としては5分ぐらい。ゆっくりと立ち上がってみても痛みは訪れなかったので大丈夫そうだ。
 とんでもない衝撃だったことを思い出してまた痛くなりそうだった。

「いやー伊藤くんが勢いよく走ってきてそのまま止まれなくて一ノ瀬くんと頭ゴッチンして、一ノ瀬くんだけが悶え苦しんでいたよー。」
「漫画とかなら身体入れ替わっててもおかしくないぐらいの勢いだったな」

 ……とんでもない勢いで伊藤と俺の頭同時が激突したらしい、と言うのを叶野たちの会話から察することが出来たし、納得した。だけど、何故俺だけ悶えて伊藤は平然としているのだろう……。

「伊藤くんって身体鍛えてるの?」
「いや別に」
「……結構鍛えられているんじゃないか、バイトしてるところでは重いものとか平然と持ってるから」
「まあ大人数の料理作るのって力いるしな」
「へぇ……いや、それ頭の硬さは関係ないよな?」
「鍛えようもないだろうから岩頭は伊藤の自前だろう」
「岩頭……」
「突っ込んでくるな叶野」

 鷲尾の言う通りやっぱり鍛えようもない部位だし、きっと生まれつきの岩頭なんだろう。俺が痛みに悶えていたのを俺とぶつかったはずの伊藤は平然と……いや、俺のことを心配してくれたのは分かっているから平然とは少し違うかもしれないか……とにかく伊藤は痛みに訴えるようすはなかったし、今も平気そう。
 じっと俺が見ていることに気が付いて「どうした?何かほしいもんあるか?」とまぁ、なんだろうか。……俺は子どもかって言いたくなる、な。
 今まで伊藤は俺のことを心配してくれたのは幾度もあったしそれは嬉しかったし今だって嬉しくない訳ではない。どちらかと言えば嬉しい。うれしい、んだけど。
 ………何となく、おもしろくない。自分だけこうなっているのがなんだかつまらない。

「どうした、一ノ瀬?」
「……なんでもない、もうこの辺でご飯食べるか」
「そうだな」

 合流も出来たしまた戻って食べるのも時間もかかる、俺の案は採用されて手前にあった岩の階段のようになっているところでみんなで座って食べることにした。

「……適当に買ったから何が入っているのか俺もよくわからん」
「なんだそれ」
「よし!じゃあじゃんけんで勝った人から選べる感じにしよ!」
「またそれか、ワンパターンだな」
「シンプルでいいでしょ!はい、最初はグー……」
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