3.先を生きる人。

「合格、なんだけどぉ……」
「どうした?」
「お恥ずかしながら……実はおれもあんまりのぶちゃんのこと、知らないのよねぇ」
「そうなのか」
「なんだかえらそうにしてたのにごめんよぉ……ああ、でも!これからはのぶちゃんのことを話せるひとがいるのはうれしみの極み!みーんなのぶちゃんのなまえ出すだけでみがまえるんですもん」
「ああ、やっぱりみんなそう言う反応なんだな……。いつから梶井のことはニックネームで呼ぶようになった?」

 決して吉田に梶井のことを聞けばすべてがわかるとは思っていない。吉田から見た梶井がどんな人間なのかを知りたい。それだけだ。もしも吉田が梶井の過去を知っていたとしても聞く気はなかった。

「えっと~入学したその日からかな~」
「……コミュニケーション能力に優れてるな」
「なんだか気になる子いる~はなしかけよーっと思ったのですよ~」
「なるほど……?」
「綺麗な作り笑顔してたしねぇ」

 ……さすが、役者を目指していると言うことがあるのだろうか。きっと作っているか作っていないかの判断がすぐに出来てしまうのだろう、すごいな。

「あっでもはなしてみるとあまり人なれはしてなさそうだった!おれがはなしかけたときなんだか恥ずかしそーだったし。ほらこの写メ見てみて~」

 少しだけしか話していないけれど梶井と結びつかないことを言われて思わず首を傾げてしまう。俺のためらいに気付いたようで吉田の(やっぱりオレンジ色の)携帯をぐいぐいと見せられた。
 あまりに近すぎで見えづらかったので断りをいれて吉田の携帯電話をそっと持って、画面を見た。

 そこには、いつも通り満開の笑顔の吉田と……どこを見ていいのか分からなさそうな、少し照れたように頬を赤らめながらきょとんとしたような戸惑っているような顔をした梶井の2人の写メだった。

「……梶井って、こういう表情するんだな」
「たぶんのぶちゃんの素だとおれは推理しております」
「……吉田言うのならきっとそうなんだろうな」

 思わずまじまじとその写真を見てしまう。確かに慣れているようには見えない。近い距離に戸惑っているけれどいやではないようには見えた。

「こんな感じなのを1週間おれは見ていたからさぁ、そりゃ今のあの笑顔はつくりものってわかるよねえ~」
「……そうだな」

 人と関りを持つことなく生きて、まだ誰かといることに慣れていなかった俺も伊藤といるときは、こういう表情していたのかな。確かにこういう表情を見ていたらあの笑顔が作り物だってことがよくわかるだろうな……ん?ちょっと待ってほしい、ということは。

「入学して少なくとも1週間は梶井はこういう感じだった、ということか?」

 吉田の話を聞く限りでは梶井は最初からああいう感じではなかったと言うことになる。作った笑顔は貼り付けてはいたようだったが、それでも吉田とかかわっているときは梶井は『素』の状態、だったということになる。少なくとも、高校に入学して1週間のはなしではあるが。

「中学のときのことは知らないけれどねぇ……でも、イッチのいうとおりだよー」
「……1週間、経ったとき……なにがあったんだ?」
「しょーじき話しますけどん、心あたりは無くはないんだよん。だけど、かくしょうがないので、おはなしできないのん」
「そっか」
(……かくしょうがないのに話しちゃうと……ヒビ入っちゃうかもしれないし)

 ……吉田は確かに鋭い。他人の感情や何を考えているのか先走り出来てしまうぐらい、鋭い。だけど……吉田自身も結構顔に出やすいし、隠し事も得意ではないようだ。
 しんみりとした顔で黙り込んでしまえば俺にとってあまり良くない、と考えているっぽい気がする。気にはなる、でも吉田がそう気遣ってくれるのならそれを拒否する必要は感じなかった。なら、このままにしておくべき、だろう。

「……でも、ひとつだけかくしょうを得ていることがひとつあります」
「?」
「のぶちゃんとイッチは仲よくなれます!!」
「……どこで、そんな確証が……」
「おれのカン!」
「確証とは……」

 堂々と笑顔で突然宣言する吉田に肩の力抜けた。確証ってなんだっけ、そう思いながらも吉田の前向きな発言は元気をもらえる気がした。
 正直、俺は梶井に嫌われていると思ってる。すごい睨まれたし嫌いって言われたし。でも吉田の言う通り仲良くなれるのなら……それは嬉しい。

「ということで!今度『のぶちゃんとイッチ仲良しになろう、あわよくばズッ友へ』計画をたてるから!今度メールするね!!」
「分かった」

 脈絡がよくわからなかったけれど断る道理もないので頷いた。仲良くなれるのならやっぱり仲良くしたいと思う。頷く俺に吉田は満足そうな笑顔になった。

「夏休みどっかであそぼーね!じゃあまたね~!!」

 ブンブンと音が出そうなほど大きく手を振られたのでそれに返そうと俺は小さく手を振っていると、目の前の扉は閉まり電車は動き出した。いつまでも手を振ってくれるので俺も見えなくなるまで振り返した。

「……」

 吉田の姿が見えなくなってようやく手を振る手を止めて鞄から携帯電話を取り出した。
 何となく新規メールを作成した。何となく宛先は伊藤を選択した。何となく、本当に何となく伊藤に会いたくなった。
『今日会えないか?』
 そう本文に打ち込んで、何となく送信ボタンを押せずに次の止まる駅に着くまで押すことが出来なかった。緊張してたとか、恥ずかしくなったとか、そう言う訳ではない。

ーー断じて、そう言うわけではない。

ーーーー

『もちろん。駅を出て待っててくれ』

 最寄り駅に降りる寸前伊藤からメールの返信が来た。会えるのは嬉しい、けど。いつもと違うように感じるのは気のせいだろうか。伊藤ならどこで待ち合わせようかとか飯はどうするかとか、聞くと思ったのだが。
 首を傾げながらもメールの通り改札を出てそのままいつも使っている出口へ向かった。階段を降り終えてどこで待つべきか、と思案しながら周りを見渡す。……いかんせん暑い、忌々しいほど太陽は上から俺を照り付けてくる。
 もうコンビニの中で待っていてもいいだろうか、と考える前に勝手に足はコンビニのなかに入っていた。ヒヤリ、火照た身体がコンビニの冷房によって一気に涼しくなる。冷房を身体に長時間当て続けるのは良くないのは分かっているが暑さには耐えられない、仕方ない。伊藤に駅前のコンビニのなかにいることを伝えようと、店内の雑誌コーナーのほうへ足を進めながら携帯電話を取り出す。
 携帯電話を取り出して立ち読みしている人たちのどこか間に入ろうと思い、視線を上に向ける。

「……」

 立ち読みしている人は1人しかいなかった。夏休みなのだから、俺と同い年ぐらいの子がいてもおかしくないのにどうしたのだろう、と思ったがすぐに納得した。
 なんだか近寄りがたい人がいるのだ。それは裏社会にいるような人物とかではなくて。

「……」
「……いいわぁ、この筋肉」

 どうやら雑誌の中の男性の筋肉を見ているらしい……がたいの良く筋肉質の男らしい肉体を持ちながらその身体に纏っているのはフリフリのエプロンにシンプルな長めのスカートをはいている、金色のロングヘアの人がいたのだ。
 失礼ながら気付かれない程度にその姿を見つめる。男の人……だと思う。つい聞いてしまった独り言も到底女性には聞こえたなかったし、その顔立ちも口紅とか付けて化粧をしているけれど細目で髭の生えた痕のあるの逞しい顔立ちだ。
 じーっと思わず見てしまったが、女性の格好をして化粧をしているのを好奇の目で見てしまうのは失礼だと気付き、内心『申し訳ない』と思いながらその人の隣に2人分ぐらい開けて立った。
 それより伊藤に連絡しないと本来の目的を思い出して携帯電話をいじろうとする。

「あらま!とんでも美形……!」

 隣に来た俺をチラッと見られて、なんだか早口で話しかけられた気がしてまたしてもそちらに顔を向けた。何やら感動を覚えているような表情をしていた、かと思えば「あら?」と首を傾げ顔を近づけられる。
 目尻と唇の赤色に目がいく。まじまじと見つめられた、居心地が随分悪い。

「もしかしてぇきみが一ノ瀬くんかしらん?」

 低い声を無理矢理高くしているような声でそう聞かれた。決して女装している人に偏見はないが……すまない、やっぱりあやしい。
 知らない人から自分の名前が出るとは思いもしなかったのだから、それは女装している人間問わず怪しいと感じる。だけど、この人は俺のことを知っているようだった。もしかしたら記憶を失う前からの知り合いだったのかもしれない。それなら……頷くしかなかった。俺が頷くとパッと笑った。

「あらやっぱり!話を聞いた以上の美形さんなのねぇ」
「……どうも」
「なんだか警戒してる?……あらやだ!わたしったら自己紹介していなかったわ!そりゃこんな女装しているおっさんにこうして話しかけられたら警戒もするわよね!」

 ごめんなさいねぇ!そう言ってガハハハ!と豪快に笑った。……いかんせん、この人の声が大きくて……店内によく響く。レジの方で店員が何度も様子を見られている。
 この人が誰なのかそろそろ知りたいところだ。嫌な感じは、しないけれど。それでも初めて会った人だから警戒はそう簡単には解けない。一体どちら様だろうか、この人は。
 あと、改めて向かい合うと身長と筋肉の差が歴然でなんとなく男として悔しくなる。

「わたし『みっちぃ』っていうのん、あっ呼ぶときはひらがなでみっちーじゃなくてみ・っ・ち・ぃ、ね!小さい『い』を付ける感じで頼むわよ!」
「……はい」
「で、すずめちゃんのお勤め先の店長をしてるの」
「はい……あっ伊藤の……?」

 彼自身の名前の拘り説かれ軽く流すとさらっと伊藤の名前が出てきたので、それも流しそうになったのを留める。……俺の反応に何故か、目の前の彼がにやけているけどなんだろうか。

「そうそう、ほらほら行きましょ!すずめちゃんの仕事っぷり見事なのよ~一ノ瀬くん……ううん、とおるちゃんも見に行きましょ?ね?」

 頷く前からすでにぐいぐいと肩を寄せられ誘導されてしまう。強引、ではあるが力の加減はしてくれているみたいで痛いとは思わなかった。俺が力いっぱい振り払えば離れるぐらいの力加減だ。決して強制されている訳ではない。俺自身が伊藤が働いているところを見たいと言う欲望に忠実なだけ。
 なので警備員を呼ぶべきか悩んでいる様子のコンビニ店員と目を合わせ首を振ってそれは無用と言う意志を伝えた。
 呆気に取られているように見えたけれど今は説明する時間は無さそうなので、覚えていたら今度ちゃんと説明しておこうと思う。


「はぁい、ここがわたしのお店よん!……って、だいじょうぶ?!顔まっかっかよ?!」
「……むりで、す」

 俺が帰るほうとは逆の方向へ歩いて多分20分は経ってない。ただ、炎天下の中の20分は俺が熱中症を起こすのに十分だったらしい。……そう言えば、俺は水分を取っていない。
 学校に行くときに水筒に麦茶をいれていたけれど、補修が終わるころには飲み終えてしまって、吉田とゆっくりと歩きながら帰ってそのときから飲み物を口にしていない。あ、やばい、倒れるかも。
 体が熱くてくらくらしてめまいすら起こし始めてぐらつきそうな身体をぐいっと引っ張られた。

「おい、鈴芽!冷やしたペットボトル冷蔵庫にあっただろ!それ持ってこい!」
「あ”?突然勝手にいなくなったと思ったらなんなんだよ……」

 どうやらみっちぃ……さんに抱えられたみたいだ。さっきの高い声が消え失せ……いや、たぶん素なんだろうな……図太くて大きな声だった。やっぱり作ってたのか、何故か冷静な頭がそう判別する。あまり聞いたことのない苛立ってるけれど間違いなくその声は俺が最近一番よく聞く落ち着く声だった。奥の方から出て来て、俺の姿を認識して驚いた顔をしている。

「あ、え、透?!」
「説明は後でしてやるから、俺の言う通りにしろ!」
「あ、ああ!」

 ……迷惑、かけちゃったな。やっぱりわがままは言うべきではないのかもしれないな……。ぼんやりする頭の中でそう後悔した。

ーーーー

「具合、平気か?」
「……ああ」

 みっちぃさんにあのまま抱え込まれて、いつの間にか差し出された濡れたタオルを頭におしていた際目を隠してしまったけれど、それでも振動とか音とかで2階に上っているのが分かった。
 そこで寝かされてすぐ冷えた麦茶を渡されてそれを飲むと保冷剤を腋に挟められて脚の付け根辺りに置かれて身体を冷やされる。冷房が効いた部屋のなかで身体の中からも外からも冷やされて大分楽になったな、と思い始めたころ伊藤の声が聞こえてそれに応える。そろそろ起き上がれそう、と上体を起こす。

「もうちょっと寝てろよ」
「平気」

 むしろちょっと冷えすぎたかもしれない。自分の腋の下にある普段ない冷たいものに違和感を覚えたのもあるし……、上体を起こして頭に乗っていたタオルをとって下の方を視認する。

「……やっぱり……」
「ん?あっ……」

 溶けだした保冷剤が制服のズボンを濡らして結構びちゃびちゃになってしまっている。水分を含んで重くなった制服が不快だったわけだ。ちなみに言うと腋に挟んでいた保冷材も溶けている。

「うえ……」

 不快感から変な声が出た。視認して自覚するとなおさら。いや、さっきまで熱中症で倒れる寸前だったから緊急事態だったから仕方ないけれど。

「あー俺の服、着てろよ。貸す」

 どうせ外出れば渇くから平気だ、と言おうとするより先に伊藤の行動は早くすでに引き出しから服を引っ張り出して雑にこちらに投げられた。
 伊藤が好んでいるであろうなんだかよく分からない派手な柄の白を基準としたシャツとGパン。

「濡れた服だと風邪ひくだろ、透の趣味じゃないのは分かってるけどこんぐらいしかねえし……」
「……ありがとう」

 そこまで言ってくれる伊藤の気遣いを無碍にする気になれなくて渡された服に着替えることにした。プツ、プツとYシャツの釦を上から外している途中でやっぱり先にズボンを履き替えた方がいいか、下の方が酷いことになっているなと考え直して中途半端にボタンを外したYシャツはそのままにベルトを外そうとする。

「っ!あ、お……俺下に行ってる。ゴンさんから透に話したいことあるみてえだから、着替え終わったら来い!濡れた服はこのなかに入れとけ、じゃあまた!!」
「?ゴンさんって……」

 誰のことだ、そう聞こうとするがやっぱり伊藤の行動は早くてすでに扉を開けて荒々しく閉め、そのまま下へと駆けていってしまった。……慌ててどうしたんだろうか。店の前に来たときには意識が朦朧としていて記憶がおぼろげだが、たぶん食事処みたいなところだったと思う。カウンターとかテーブル席とか、食べ物の匂いとかしていたから。
 伊藤がここにいるってことは本当にバイトしていると言う認識で良いんだろう。忙しいときに来てしまったのかもしれない、つくづく申し訳なく思う。
 とりあえず誰かから話があると言っていたし、すでに迷惑をかけているのにあまり待たせてしまうのは申し訳ないのでとりあえず伊藤に渡された服に着替えよう。

 ……そういえば伊藤は普通にこの部屋に置いてある引き出しから手馴れたように自分の服を出していたけれど……ここが伊藤の家だろうか?

 ということは……みっちぃさんは伊藤の家族、なのだろうか。

ーー気になる、気になりすぎる。気になって仕方がないのでさっさと着替えることした。ベルトを外して勢いよくズボンをおろした。
 伊藤のことを知れるチャンスだとどうしてか気分が高揚して仕方が無かった。

ーーーー

 着替え終えて伊藤と同じように勢いよく扉を開けたはいいけれどここの位置感覚が分からないことに気が付いてそっと周りの様子を見る。年季の入っている家のように感じる、俺の住んでいるアパートと同じぐらい、だろうか?
 少し古い家らしく少なくとも2階部分の扉はすべて引き戸のようだ。ミシミシ、と床が悲鳴をあげているのを感じながら階段を下る。
 階段を下り終えると話している声が聞こえたからそっちへ向かう。扉は無いけれど暖簾っぽいのがあったのでこっそりと捲って覗いてみる。
 家庭用にしては大きなシンクや鍋があってとても普通の家庭では見ないほどの食器があって、ここでようやくここが厨房という場所になるんだと察する。テレビで見るような銀色を基準とした厨房ではなくて、それよりもっと痛んでいる感じがする。年季が入っているのか壁の色も黄ばんでいるように見える。
 失礼ながら考察しているとひょっこりと俺の前を誰かが通り過ぎた。
 ここを連れて来てくれたみっちぃさんだ。俺にはまだ気づいていないようで鼻歌交じりで食器を洗い始める。水の流れる音を聞いて、話しかけるべきか迷った。話しかけるにしてもどうするべきなのか考えてしまう。
 多少はコミュニケーションの取り方を学べたつもりだったが、まだまだだ。
 そう言えば先生たち以外の年上に……自ら話しかけようとするのはいつぶりになるのだろうか。

「……そんなとこで何してんだ?透」
「……伊藤」

 みっちぃさんがやってきた方向から馴染みのある声が聞こえてホッとする。それが暖簾を捲り仲を覗き見ている不審者のような目で見られていてもやっぱり知っている人間がいるのはありがたい。

「え、あら、やだ!透ちゃんったら!いつからそんなところにいたの?」

 伊藤が話しかけてくれたおかげで俺がここにいるのをみっちぃさんも認識してくれてホッとする。いつまでも前かがみで暖簾の下から覗き見る意味もないし伊藤にこちらに来るのを促され、中に入ることに成功した。

「……鼻歌をうたう前からです」
「結構前じゃない!遠慮しないで入ってきちゃっていいのにぃ……」
「えっと……すいません」

 コミュニケーションに障害があってあまり知らない人に話しかけるのが難しくて、とはさすがに言えなかったので謝った。

「いや、どうせゴンさんのことだからあまり説明なく強引に連れて行ったんだろ……」
「そんなことないわよぉ!ちゃあんとすずめちゃんのお勤め先の店長って説明したわヨ!!」
「……それだけでついてきたのか、透」
「……」

 そんなに『こいつ大丈夫か』と言わんばかりの眼で見ないでほしい。確かに見るからに女装している筋肉隆々な男性で野太い声で女性口調で雑誌見てこの筋肉が良いと呟いていたので第一印象は怪しいと思ってしまったけれど。

「……悪いひとには、見えなかったし。伊藤のことを下の名前で呼んでいるぐらいだったから」

 現に今、吉田に『すずたん』と呼ばれたのには否定するのにみっちぃさんに『すずめちゃん』と言われても否定しないぐらいだ。
 否定することもしないぐらい長くて馴染みのある付き合いなんだって分かる。結果としてはちゃんと伊藤のところに行けたから良かったと思ってる。俺の意見にぐっと何か言いたいことがあったのを飲み込んだようで、でもひとつ溜息として出てきた。

「そうよそうよ~!すずめちゃんったら心配性なんだから~!」
「……あー……まぁ俺のことをすずめちゃんって呼ぶのはこの人ぐらいだしな。結果としては、まぁ良いか……。でもなあ、もう知らねえ奴についていくのは絶対やめてくれよ?俺の関係者とか家族だって名乗る奴が現れたら疑えってくれ。とりあえずまずは俺に連絡してくれ、な?」
「わかった」
「本当……やくそく、してくれよ」

 伊藤は心配性だな、と安心させるため簡単に頷いてみせたら肩を掴まれ真っ直ぐ目を合わせて念押しされた。この際みっちぃさんについて行ったことはもう責めるつもりは無くなったみたいだけど、あまりに切実に真剣な目で訴えられた。
 約束、と言われてそれに無言で頷いた。絶対に破らないよ、と通じてくれたらいいと伊藤のちょっと怖いぐらいの真剣な瞳を見ながら頷いた。

「まぁわたしが勝手にすずめちゃんの携帯電話を見てメールを返してわたしが迎えに行ったんだけどねぇ……」
「おい、ちゃんと話をしようか」
「あらやだあ、こわーい!」
「透はそっちで適当に座って待っててくれ!ちょっと話す!!」

 わかった、と一言だけ返して指をさされたほうへ向かう。……さっきのメールはみっちぃさんが返したものらしい、違和感の正体がわかって安心する。
 ただ、伊藤の訴える目は冗談ではなかった。真剣そのものだった。心底自分の関係者にはついて行ってほしくなさそうだった、それは俺と仲が良いことを知られるのが嫌なのかそれ以外の理由なのか。伊藤がそんなに心配する理由はいつか分かる、かな。
 とりあえず伊藤と約束したからにはちゃんと守ろう、今度こそ伊藤との『約束』を破らないよう……に?

「……こんどこそ……?」

 自然とそこまで思ったけれど、俺は伊藤との約束を破った覚えはない。……あくまで『俺は』だけど。
 自分でそう思ったのに、そう思った自分に違和感。約束……伊藤には素直に自分のことを話したいとかそう言うのは思ったことはあるけれど、でも破ったりしたと感じたことはない。
 前の俺と伊藤は何か約束したっぽいことは聞いたことあるけれど、でも『約束を守った』とそう言われた。だから、破ったりしていないようなのに……なんだろうか。
 そもそも『俺』と『前の俺』は同じであって同じじゃない、記憶の共有が出来ていないのだから自分とは言えどこか違う自分という感覚が抜けない。
 じゃあ、どこから『今度こそ』と思ってしまったのだろうか。

「うおっ座ってて良かったのに。どうした?」
「……あ、いやなんでもない」

 考えこんでしまっていたようで立ちつくしていたのを伊藤に突っ込まれた。
 自分でもよく分からないことを言うのも、と思って誤魔化した。そんな俺に伊藤はそうか?と首を傾げながらも流してくれた。

「ああ、そうだ。透腹減ってるか?ゴンさんが何かお詫びに作るって言ってくれてるけど」
「……すいてる」
「ん、分かった。ゴンさん、透腹減ってるー!!」
「はぁーい!美味しいもの作るから待っててねぇ~!」

 厨房にいるみっちぃさんに聞こえるぐらいの大声で伊藤とそれに負けじと遠くからみっちぃさんの大きな声が響いて驚いてさっき考えていたことが飛んでしまった。

ーーーー

「はぁい、とおるちゃんは辛いもの苦手だって聞いたからこちらロコモコ丼にしてみましたぁ~」
「ハンバーグ丼ではねえのか」
「東京の方ではそう呼ぶらしいわよん~でもほとんど同じものだとわたしも思ってるわぁ」
「……ありがとうございます、いただきます」

 伊藤は俺のことをどこまでみっちぃさんに話したのか疑問に感じながら出されたろこもこ丼というものを出してくれた。
 ご飯の上にハンバーグと目玉焼き、チーズが乗っていてトマトソースがかかっているものだった。カウンターに箸がまとめて置いてあったので自分の使う分だけとって手を合わせて食べる。
 ハンバーグを半分に割ると肉汁があふれて下のご飯へ滴っていく。ぐぅ、と腹の虫が騒ぎ始めたので口のなかに入れた。すごく美味しい。
 肉の味ととろけるチーズやトマトソースの酸味が箸を動かす手を止められなくなる。朝食べて以降食べていなかったので自分で思う以上にかなりの空腹だったみたいだ。箸が止まらない。

「とおるちゃん美味しそうに食べてくれるのねぇ嬉しくなっちゃう~」
「それな、分かる」
「……あまり見ないでほしい」

 食べているところをじーっと見られていることに気が付いて横を向いて食べる。声かけられるまで気付かなかったのも結構恥ずかしいのである。

「あらごめんなさいね!作っている身としてやっぱり美味しく食べてくれるのが嬉しくてついね~。あと美形な子が大きく口を開けて肉を食べているとなんだかドキドキしちゃって!」
「……?」
「……」
「うふふ、気にしないでちょうだーい!」

 言われている意味が分からなくて首を傾げた。でも伊藤は無言だしみっちぃさんも気にしなくていいと言っているのでとりあえず食べてしまおうと手を動かした。

「ごちそうさまでした」
「はいお粗末様!細身の割には食べるわねぇやっぱり男の子ねぇ~」
「……伊藤のおかげで食べ物美味しいです」

 これは良く言われる。確かにここに来る前は食べてはいたものの特に感想は無かったし、今もあの頃の料理のことを思い出せないな。何を食べていたのかも覚えてない。
 ただ無機質に無感動に口のなかにいれてある程度噛んで胃にいれて腹を満たすためだけの義務的なもののように思っていた、かも。でも今は……俺のために作ってくれて一緒に食べて笑ってくれる伊藤がいるから。
 だから前のときよりは食べていると思う。伊藤のおかげで食べ物は美味しいものだって知ることができた。本当に感謝している。
 ……ああ、でも伊藤が作り置きしたものをレンジで温めて食べたりするけれど、確かに美味しいんだけど伊藤と食べたほうが美味しく感じるのはなぜだろうか。

「っあー……それより、ゴンさん透に言いたいことあるんだろ」
「そうねぇ……とおるちゃん、あのう……ごめんなさいねぇ……」
「?」

 伊藤に促されてそのままみっちぃさんに謝られたが、どうして謝られたのか分からなくて首を傾げた。

「あらやだそのきょとん顔かわい……分かってるわよ、だからすずめちゃん睨まないで頂戴……」
「話を脱線させんな」
「とおるちゃんのことになると手厳しいわねぇ……」

 伊藤に怒られて少し悲しそうな顔をした、かと思えばパッとこちらを向いた。

「ごめんなさいね、暑いなかとおるちゃんのことを連れまわしてしまって、あとすずめちゃんの携帯電話を勝手に見て勝手に返信してあなたを騙すようなことをしてしまったわぁ……。それに倒れさせてしまったし……なにかお詫びを……ううん、とにかく申し訳ないわ。本当にごめんなさい」
「……」

 その大きな体を縮こまらせて申し訳なさそうに頭を下げられた。……確かに、俺が送ったメールを勝手に見て勝手に変身したことは良くないこと、だと思う。結果だけ見れば騙して暑いなかを引っ張って倒れさせた、のかもしれない。けれど、みっちぃさんだけのせいではないと思う。

「俺自身が自己管理が足りていなかった結果です、むしろ連れて来てくれたからこそ室内で人がいたところで倒れられたところもあるので助かりました」

 約束しなければ家まですぐだし帰って飲み物を飲もうと考えていただろうし、家だってさすがに扇風機は買ったものの冷房は無いのでちょっと危険だったと思う。
 家まで帰る途中で倒れている可能性もあったから、そこはありがたかったと思う。

「結果としては騙されたかもしれないですけれど……俺は伊藤のことを知りたいと思っていたんで……、だからこうしてみっちぃさんに連れて来てもらって、正直感謝してます」

 聞く機会が無かったから……どのぐらい伊藤に踏み込んでいいのかわからないのもあって、なかなか自分からは勇気が無くて聞けなくてもどかしく感じていたから。
 バイトをしていることは知っていたけれどどこで何をしているのか分かっていなかった、それを今日知ることが出来た。
 また他の人の手助けがないと聞けなかったことは反省するべきだとは思うが、それは今は置いといてとりあえず伊藤を知れたことは嬉しいんだ。

「……悪い。ずっと言えなくて」
「ううん。……伊藤が良い人のところで働いていたの、安心したから」

 口ぶりから長くそこで働いていたんだろうけれどどんな人なのかどんな環境なのか知らなかった。だから伊藤が働いているところではどんな人が働いているのか気になっていた。だけど、その心配は杞憂だった。

「多分みっちぃさんは、伊藤のことを心配して俺のことが気になったんだと思うから。それに俺の肩を掴んでここに誘導されたけれど力いっぱい暴れれば振りほどけるぐらいの手加減した力だったから、俺も同意したようなものだ。だからみっちぃさんのこと……あまり、責めないでほしいな」

 俺は伊藤の過去のことをあまり知らないけれど。
 伊藤は今の俺のことも大切に想ってくれていることは身を以って知ってる、俺もその想いを返したいと想ってるから、多分伊藤のことを伊藤が思う以上に俺は見ていると思うから。
 俺のことをどのくらい知っているかは分からないけれど、2人ともきっと長い付き合いでそれなりにみっちぃさんは伊藤から俺のことを聞いていたんだろう。みっちぃさんが伊藤を大事に思ってくれているから心配になっただけ、と考える。

「……まぁ透がそう言うなら、分かった。これ以上は何も言わねえことにする」
「うんんんん……なんだかちょっとでもとおるちゃんのことを悪い奴なんじゃないかって疑っていた自分が恥ずかしいわぁ!」
「おい、それどういうことだよ。そんなに俺はチョロくねえし透のことそんな風に思ってたのか、てめえ」
「普段のすずめちゃんならいざ知らず、とおるちゃん関連だとちょっと危ういかしら?と思っていたのよぉ。今だってとおるちゃんに言われて許してるし!わたしより甘いわよ!」

 ……何となく、みっちぃさんの心配は分かる気がする。確かに俺としては嬉しい限りだが、俺のことを受け入れすぎな気がする。いや、伊藤が俺のことをどう話しているのかは分からないが……このみっちぃさんの反応を見ると心配になる感じに話している気がする。第三者目線でそう言われた伊藤はふんと鼻で笑った。

「ったりめえだろ。透は透だ。前から今だって……俺の親友なんだからよ、特別扱いして何が悪い」

 至極当然といった表情で平然とそんなことを言うものだから、こっちが……照れる。ガッと顔が熱くなってきたのが分かって俯いた。

「どうした透?」
「あらやだ、尊みを感じるわ!」
「……ちょっと黙っててくれ」
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