3.先を生きる人。

 悪意を与えない笑顔。
 決して作っている訳ではないけれど、意識した笑顔ではある。たまに、こう……舐められるって言って良いのかな……あきらかに僕より年下の子に絡まれたりすることもあるけどね。
 今回受け持っているクラスの子たちも15歳や16歳とかで、年も身長もそこまで変わらない……身長や体重に至っては僕よりある子も結構いるね。
 僕と彼らと違うことと言えばせいぜい年齢ぐらいなものだ。
 人生の経験値も僕はまだまだそこまで積んでいる訳でもなくて、年齢だけ見れば確かに20歳を超えて今24歳なのだから世間一般で見れば僕は大人の部類なんだけれど。
 かといって彼らの前に立ってふんぞり返れるほどのものではない。僕は彼らより年上で先生なだけで、特に偉い訳じゃない。
 僕が先生になったのは、社会経験もまだ無い年下の彼らに僕の持論を押し付けたいと言うわけではなくて……いや、ある意味自己満足でありみる人によっては偽善でしかないのかもしれないけれどね。
 きっと僕の言うことは人生経験が無いからそういうことが言えるんだと思う人もいるのも分かってる。

 どんなことがあっても、何を言われても生徒の言うことを信じようって。

 まぁ……前の学校はそれで少し問題になっちゃったんだけれどね。要領が悪いとか古い考えだとか、大人になれとかよく言われたりしちゃうんだけど。

 それでも、僕は……僕のことを助けてくれた先生のようになりたい。

 だから、教師になった。上に媚びへつらうような、嘘を吐くことを良しとするような、生徒の話聞かないような、そんな教師になんてなりたくない。
 そんな教師のせいで一生の傷になってしまう生徒もいる。

 僕は、生徒の味方でいられるような先生になりたい。

 そんな理想を抱えながら僕は今日も生きている。

――――

 終業式も無事終了し、すでに夏休み3日目に突入している。だが俺がいるのは教室である。

「とりあえずこのプリントやってみようか。分からないことがあったら遠慮なく聞いて……」
「はい!!ここ分かんない!です!!」
「……質問、早いな」
 吉田と2人で岬先生の補修を受けている最中である。そう、2人である。



「あれー?国語の補修っておれとイッチだけなのー?」
「いっち……ああ、一ノ瀬くんのことか。ううん、本当は出席日数の問題でもう何人かいるんだけど……うーん、来てないね……」

 始まる前に2人しかいないことを疑問に感じた吉田が聞いて、岬先生は残念そうに溜息を吐いていた。

「……小室は」
「……来れないって言われちゃったね」

 期末テストを受けていない小室も勿論補修組になるはずだが、やはりあのときのダメージが大きいようで来れなかったみたいだ。小室の自業自得ではあるもののほんの少しだけ気になった。
 とにかく、国語の補修でちゃんと来たのは俺と吉田の2人だけだった。

「わぁ~イッチと同じ教室で同じ補修するってなんだかおれわくわくしちゃうなぁ~!というかなんで補修なのー?」
「名前を書き忘れた」
「えっ!?あっはははは!まじか!!」
「こら吉田くん。静かに」
「はーい!」

 俺が補修を受ける理由を聞いた吉田が大笑いするのを岬先生は優しくも咎めて、それを素直に受け入れてプリントに目を向け始めたので俺も取り組むことにした。
 答えはノートにとっていたものばかりで苦戦することはなかったが、暗記しているのとちゃんと理解しているのとはまた違うな……。そのひとの気持ちになって考えるのがどうも苦手だ。こればかりは治せそうにないな。
 いつも隣にいる伊藤が今日はいなくて、変な感じになりながらプリントに答えを書き込んだ。集中して問題を解いていく。となりで吉田の賑やかに質問するのを穏やかに教える岬先生の声を聞きながらも書き込む手は止めなかった。
 しばらくしてずっと下を向いている体勢が苦しくなってきたので書き込む手を止めて身体を伸ばそうと両腕を上げようとした。

「おっ、やってんな~!ちゃんと来ててえらいなぁ!」
「あ、たつみせんせーだー!おざまーす!」
「おっす!……ん?ああ!一ノ瀬も補修なのか!珍しいと言うか変な感じだな!」
「……名前、書き忘れてしまいまして」
「はははははは!岬先生から聞いたときは驚いたぞー!」

 唐突の大きな声に予想していない鼓膜の刺激に驚いて勝手に体が震えてしまった。
 声の主は五十嵐先生だった。大きくて通る豪快な声を持っている人は限られているから予想通り。
 そう言えば、吉田のクラスは五十嵐先生が担当だったか。五十嵐先生のこと下の名前で呼んでいるんだな。やっぱり吉田は人懐こいな。吉田のコミュニケーション能力の高さは純粋にすごいなあ。

「五十嵐先生、どうしました?」
「ああ、すいません!岬先生に電話がきてまして呼びに来たんですよ!」
「わ、ありがとうございます!すぐ行きます!えっと……」
 困ったように俺らのほうをみる岬先生。
「俺もまだ仕事があってな、一ノ瀬と吉田2人になっちまうんだが仲良くやれるか?」
「えーもうおれとイッチは友だちだしー!」
「……大丈夫、です」
 俺らふたりを気にかけてくれたが、それに簡単に返す。俺と吉田は今回が初対面な訳ではない、賑やかな吉田といるのは楽しいと思ってるし楽しそうな吉田を見る限り俺のことを悪くは思っていないようだ。特に心配することはない。
「吉田、お前ちゃんとプリントやれよー!一ノ瀬と話すだけじゃ終わんねえからな!」
「うっ……存じております……!」
「ちゃんと終わらせないと居残りだからね?」
「ういっす!!ちゃんとやりまっす!!せっかくなのでイッチといっしょに帰りたいし、りなちゃんをまたせるわけには……!」
「はいはい!じゃあ僕は行くね!ちゃんとプリントやるんだよ」
「俺も戻るわーじゃあな!」
「えー……」

 吉田が話し終えるのを待たずまるで逃げるかのように先生たちは教室を出ていったが俺はその理由を深く考えずに。
「りなちゃん?」
 聞きなれない可愛らしい名前が吉田の口から出てきたことへ驚きと意外性からつい『りなちゃん』の名前を復唱してしまう。それが良くなかったらしい。
俺が復唱したあと、少しの間が合っていつも賑やかでお喋りなのに何故かそのまま無言でガタっと席を立ちあがる音が聞こえたと思えば俺の目の前へやってきた。何か良くないことを言ってしまっただろうか。少し後悔したが、すぐに吹っ飛んだ。吉田がこれまでないってぐらいの蔓延の笑みを浮かべて、目を輝かせながていたから。

「おれのかのじょのはなしききたい?きく?きいて?」

 そう聞かれて俺は吉田のその勢いに圧されてつい、こくりと頷いてしまった。そこからは怒涛だった。
 携帯に撮られていた写真も見せられ、未だ会ったの事のない『りなちゃん』こと『佐野利奈子』さんのことをいっぱい知ることが出来たのであった。正直、会ったことのない見知らぬ女の子の話を聞かされて困惑したけれど。

「でね!そこではにかむように笑ってくれたんだよー!もう、すっごいかわいくて……!」

 佐野利奈子さんのことを話している吉田は見ているこっちが分かるぐらいとても幸せそうに笑ってて。なんだか『良いな』と純粋に思った。
 こうして目の前で話している吉田も、写真に写っている吉田もそのりなちゃんも。頬を赤らめて心底嬉しいと感じて幸せそうにしているふたりの写真も。本当に、幸せそうだ。見ているこっちが嬉しくなるほどに。
 どうして誰かの話をしているだけなのにそうして幸せそうに出来るのか気になった。

「なんでそんなにその女の子のことを話すと吉田は嬉しそうなんだ?」と聞いてみると、間髪入れず吉田は答えた。
「それはおれがりなちゃんが好きで、りなちゃんもおれが好きっていうことをだれかに伝えられることがうれしいのですよー!」

 ……吉田の話は、俺にはむずかしい。俺の内心をくみ取ったのか好奇心からなのか吉田からも聞かれる。

「イッチはだれかを好きになったことあるの?」
「……それは、あれか」
「もちのろん!恋愛的な意味で!」

 さすがに親愛とか友情ではないのは分かっていたが、やっぱりか。恋、愛。こい、あい。れんあい……。恋愛とは。そもそも一体何なんだろうか……。

「……ない、かな」
「そうなの?もったいないなぁー!」

 そもそも同年代の女の子と『俺』は話したことが無いというか会ってもない。小中高一貫の男子校で転校してきたここも男子校だ。前のときは全寮制だったからなおさら会う機会がない、そう考えれば今は男子校だが山奥ではない分、学校以外での出会いはあるのかもしれないが……とは言え、今の俺には特に『彼女』とかそういうのに興味がない。それよりも今は伊藤と……。
「すずたんといたほうがたのしー?」
「……ああ」
 心を読んだかのように考えようとしたことを吉田に言い当てられて少し驚きながらも頷いた。そうだ、現段階の俺は『恋愛』よりも『友だち』といっしょにいたいと言う奴なんだろう。
 この間漫画喫茶行ったときに読んだ少年漫画でも同じようなことを言っていたキャラがいたから、俺もこの状態なんだろう。そうひとりで納得する。

「ねーねーイッチ~」
「……ん?」
「恋の形とか愛の形とかってね、案外自由なんだよ~」
「?」
「だからね、しばられなくていいんだよ!」
「それってどういう……?」

 穏やかに笑いながら言ってくれるが……、吉田の言っているその意味が分からなくて聞きかえそうとした。

「ただいま……、あっ!吉田くん!やっぱりプリントやってない!」
「えっすぐるせんせ、はやーい!」
「早くないよ!結構話し込んじゃってたよっ!ほら、ちゃんとやり切りなさい!本当に居残りさせるよ!」
「わー!ごめんなさーい!」

 戻ってきた岬先生に突かれて慌てて席に着きプリントに取り掛かり始める吉田。

「一ノ瀬くんも、確かに吉田くんとの話が楽しいのは分かるけれど……」
「……すいません」

 ついつい話してしまって時間を忘れてしまった。注意をするどころじゃなかったことを反省しながら自分ももうすぐ終わるプリントの仕上げに入る。……岬先生が来てなあなあになってしまったが、これは俺の勘だけどたぶん俺が聞いても教えてくれなかったと思う。
 案外自由で縛られなくていい、か。俺にもいつか出来るのだろうか。吉田のように『誰か』と好き合ってその『誰か』といっしょにいて嬉しくなって、そのことを話しているときには自然と笑顔が出るぐらい幸せな気持ちになってしまうほどの『恋愛』を。

 あのあとなんとか吉田は時間内でプリントを終わらせた。
「……はい、じゃあ今日はここまで」
「ありがとうございましたー!!」
「……ありがとうございます」
「次は来週の水曜日だから忘れないようにね」
「はーい!すぐるせんせーまたねー!」
 手を振る吉田のとなりで軽く会釈をする俺を平等に穏やかに岬先生は笑って「またね、今日来てくれてありがとうね」とパタパタと手を振られ見送られ教室を出た。

――――

「えーイッチバイトしたいのー?どんなのしたいの?」
「……この間、近くのスーパーの品出しの募集かかってたから応募してみようかとも思ったけれど、色々あって後回しにしてたら募集が終わってた」
「あらーざんねん……や、でもイッチのその顔面偏差値は下手すると人間関係ブレイカーしちゃいそうだし、生半可なところじゃむずかしいかな……?」
「そんなに見れない顔か?」
「うんや~逆、ぎゃく!良すぎてね~」
「?」

 自分の顔は人目を集めると言うのは今までの経験上どうしても自覚しざる得ない。……確かに、日本人離れしてる目の色をしているのは承知の上だが。
 前の学校でも何故か俺の顔を見ると大体固まられてしまって、どうしていいのか分からなくなる。俺も周りの人間と繋がろうとしなかったのもあって小学校から通っていたけれど、まったく友だち……どころか挨拶をしてくれるような人もいなかった。
 誰かといて何かを分かち合うことが罪でしかないとそう思っていた時期でもあったから、休み時間もひとりで勉強して人目を避けるように昼食をとっていた。それが自分の当たり前になっていた。
 誰かに見られることが怖くて仕方が無かったはずなのに。今ではすっかり過去の話になっていて、こうしてバイトを受けようとするのも随分と進歩したように感じる。……行動に成功は伴っていないけれど。
 吉田の言おうとしていることがよく分からずに(顔面偏差値とか、人間関係ブレーカーとか)首を傾げる。
 こちらが納得していないのが分かった吉田はなんて言ったらいいかなーと唸っている。吉田が明るいオレンジ色の髪で、なんとも目立つ。日本人の顔立ちとして明るい髪色はあまり似合わないであろう色だが、吉田は何の違和感もないしむしろ似合っている。元気な感じだから似合うんだろうか。
 ああ、そう言えば伊藤も根元はこげ茶色だがほとんど金髪だな。伊藤も違和感を覚えないぐらい似合ってる。ふと伊藤を思い出して、あの少し痛んだ金髪を撫でた感触を思い出した。……伊藤は補修はないし、今はバイト中だな。……。………。

「…………」
「うおー?イッチどうした~!?」

 今隣に伊藤がいないことに何故か胸あたりが穴が空いたかのような物悲しい気持ちになって、階段を下る足を止めるとどうしたのかと俺のことを見つめる少し下の位置にいる吉田を無言で頭をわしっと掴んで撫でまわした。思いっきり染めているから伊藤のように撫でると少し手に引っかかるのかと思いきやそんなことはなく。

「ふわふわ、だな」
「そりゃあおれ見た目をきにしないといけないおしばいするひとだからね!お手入れのおかげでりなちゃんの好きな色のままりなちゃんの好きな髪質を維持しております!」
「……なるほど」

 吉田からすれば俺の突然の奇行だろうに、最初は驚いていたようだが俺が感想を述べれば納得のする理由とともにまたしてもりなちゃんの話になった。りなちゃんはオレンジが好きな色で吉田の髪質が好き。またひとつ会ったことのないりなちゃんのことを知ることが出来た
 確かに吉田のこの髪はずっと触っていたくなる。内心りなちゃんに同意する。会ったことのないひとに同意されてもりなちゃんも困ってしまうだろうけれど。拒否されないのをいいことに撫でまわす。それになんの抵抗もなく目を細めて受け入れている吉田。

「ちなみに~イッチのおすきな色は?」

 ふとそんなことを聞かれた、今の流れから何の違和感はない。撫でながら目を彷徨わせる。今の今まで好きな色とか考えたことが無かったのですんなりと答えることが出来ず考えてみる。色、か。何かから連想させると良いんだろうか?
 好きなもの。晴天の空の青が好き、そこに揺らぐ雲の白も好きだ。夕方のオレンジも夜の黒も好きだし、植物の緑色も好きだ。案外好きなものが多いな、そう自分に感心しながらもそれでもしっくり来なかった。
 好きなものと好きな色は似て非なるのだろうか、そう思い始めてきたころには吉田を撫でていた手は今自身の口元に置かれていたことに気が付かないほど熟考していた。
 視線をうろつかせながら考える。青、赤、緑、黒、白、ピンク、思い浮かべてみても好きなものが連想されるけれど、色が好きとまではいかない。というか段々『好き』てなんだかよく分からなくなってくる。

「見ると自分のテンションが上がる色とか~そう言うのでいいんだよ!」
「テンション……」

 悩む俺を見兼ねてヒントを出してくれた。テンションが上がる、気分が高揚する色。……ああ、それなら。

「……黄色、かな」

 見ていて元気になる色、だ。吉田のオレンジよりももっと薄くて淡い色が、良いと思う。好きな色だと思う。
 自分には似合わない色だけど、いやだからこそ好きなのかもしれない。自分にはきっと無縁な色だから。俺の答えに何故か吉田は笑みを深めた。

「なるほど~すずたんの髪の色だねぇ~」
「……そう、なるか」

 そう言えばそうなる。……だけど、そう考えると納得もする。俺のことを変えてくれた人、俺のことを最初に見つけてくれた人。伊藤は好きな人間だ。今の俺が一番好きな人間の髪の色だから、ずっと自然のモノを連想させていたから気が付かなかったけれど、黄色が俺のすきな色なんだな。

「イッチはすずたんのことだいすきなのね~!」
「……うん」

 全力の笑顔でそう言う吉田。いや、確かに全くを以ってその通りなのだが……何か、その言い方は恥ずかしい気が、する。何とか頷くことは出来たがじわじわと顔が熱くなってくるのが分かる。なんだろう、この羞恥に近いような気持ちは。

「……う~ん……これは、おれもゆらいじゃう~……」
「?」
「あっなんでもないのよ~アハハハハ!(赤面した美形のはかいりょくってやばいんだね!)」

 何か言ったのが聞こえて首を傾げるが、なにか誤魔化すように笑われる(いきなり笑われて少し怖かった)。ほらかえろ~!と後ろから両肩を押されて急かされて、下駄箱へと向かおうとした。
 階段をもうすぐ下り終える、というところで……、会いたくない人物と会ってしまった。いや、あの日以降会わなかったことが奇跡だったのかも。

「楽しそうやね、一ノ瀬くんに吉田くん」

 後ろから押してくる吉田にばかり集中していて気が付かなかった。俺達は階段を下ってきたところで、そのひと……桐渓さんはじっと俺らを見上げていた。桐渓さんを目に移した瞬間、自分の身体が強張って楽しい気持ちは一気にサーっと冷めて行ってしまう。
「ちょっと一ノ瀬くん、話あるんやけどええかな。すぐ終わるんやけどね」
 名指しで呼ばれた。桐渓さんに反抗したりすることは前は出来た、だけど条件反射でどうしても身がすくんでしまう。桐渓先生の顔を貼り付けて学校のことについての話として呼んでいるように見えるけれど、きっと違う。また、なにを言われてしまうか、胃が痛くなる。
 だけど、行かないと。人当たりの良い先生としての顔を付けているのだからいつまでも俺がこうして戸惑っていると吉田に不自然に思われてしまうから行かないと。
 一歩踏み出して吉田に「じゃあ悪いけれど、ここで」と別れないといけない。人懐こく桐渓先生に対して笑みを浮かべていると思い込んでいた俺は重い足を引き摺って脳内で考えていたことを実行しようとして。

「ねえ、それっておれといっしょじゃだめなの?イッチだけなの?」
「え?」

 誰の声なのか一瞬分からないぐらい淡々とした口調で吉田は問いかけてきた、それに驚いて声を上げたのは桐渓さん、だけど俺もたぶん同じぐらい驚いて吉田の方を見た。
 そこにいたのは笑みを浮かべていなければ機嫌が悪くなったような感じでもない、ただただ無表情で冷静……いや冷酷にも見えるほど冷たい瞳の吉田がいた。吉田との付き合いは長くは無いけれど、にぎやかで笑顔を絶やさない印象だったので吃驚する。

「え、あ~いやな、一ノ瀬くんだけじゃないと……」
「あっこじんじょうほーってやつ?」
「せやなぁ、だからきみもいっしょじゃ、ちょっと……」
「じゃあその内容をおれがきいてもいいよーってイッチがおっけーしたらおれもいっしょにいていいってこと?それならいいよね~」

 戸惑う桐渓さんに一歩も引かない吉田。吉田の攻撃的な姿勢に驚いてしまって俺はただ二人の会話を聞くだけになってしまった。
 その合間合間に桐渓さんから助けを求めるような目で俺を見たりされたが、俺にはどうにもできなかった。
 ……こうして、吉田からの質問に答えることが出来ず、桐渓さんの言う話したいことは学校のことについてではないことは明白だった。吉田の猛攻は止まらない。

「というかさ~なんで桐渓先生がイッチが補修ってしってるの~?」
「いや、それは岬先生から聞いとって」
「じゃあなんですぐるせんせにイッチのこと呼び出してほしいとか言わなかったの?すぐるせんせーそういうことわすれるひとじゃないとおもうんだよね~」
「っ……あ、ああ、せやなぁ。ちょっと俺がど忘れしとったわ。とりあえず今日はええわ」
「え~急を要するものじゃないのになんでよんだの?」
「……いろいろあったんや。んじゃな」

 痛いところを突かれまくったせいか、吉田の問いにはもう雑に答えそのまま去って行ってしまった。去り際に俺のことをギッと睨むのは忘れずに。

「……吉田?」
「あっ!ん~……なんか、はずかしーとこみられちゃった~」

 えはは~と気まずそうな笑顔で俺の方を振り向いた。ちょっと青ざめているようだけれど、いつも通りに近い吉田にこっそり安堵すると同時に。

(いつもと違う吉田が少し怖かったんだと今自覚する)

ーーーー

 駅までの道をゆっくり歩いていく。まぶしい日差しがじりじりと肉を焼いていくのを感じる。それでも吉田の話が気になったので汗を拭いながらゆっくり歩いた。

「好きになれないっていうか……なんだろうね~なんかあの人いやなのよねぇ~」
「そう、なのか」

 俺に向けることは決していないであろう万人受けする表情を浮かべる桐渓さんをそうあっさりと吉田は言いのけた。叶野も桐渓さんに対して普通に接していたからそんな風に思っている生徒がいるとは……あ、でも伊藤も俺のことがある前から好きではないことを言っていたし、勘が鋭いひとは桐渓さんのようなタイプは苦手になりがちなのだろうか。

「なんで嫌なんだ?」
「ふんいき?なんかやだな~と入学式のしょうかいから思ってたけどね~」

 初対面……どころか未だ桐渓さんが吉田のことを知る前の本当に初期の初期から苦手だったんだな……。伊藤はどのあたりからそう言う風に思っていたんだろうか……夏休み入ってからバイトで忙しい伊藤とあまりいっしょにいることがないせいか、すぐに伊藤のことを考えてしまう自分に首を傾げる。なんだろうか。

「さいきんは特になんだかいやだなぁ、のぶちゃんを見る目がねぇ……」
「のぶ、ちゃん?同じクラスの友だちとかなのか?」

 吉田は自分の付けたニックネームで呼ぶので誰なのか分からない。未だ吉田との付き合いも浅いので交友関係を把握できていない。というか、こんなに人見知りせず人懐っこくて好かれるであろう吉田はとんでもなく友だちが多そうなので把握できる自信はあまりない。俺の質問にあれ?と首を傾げる。

「あれ~イッチは話したことない?おれと同じクラスの『梶井信人』くん。名前からとって『のぶちゃん』よ~」

 吉田の口からあっさりとその名前が出てくることに驚いてしまう。こういう反応は失礼かもしれない、だけど何というか……梶井の名前を教室で出すとクラスメイトが身構える反応を示すのだと最近知った。
 それも、たぶん小室の件をばらしたのは自分だと全員(俺の把握してる限りは1年生は知ってる、もしかしたら学校にいる人間全員が知ってるかもしれない)に梶井本人からメールが届いたのだから。クラスメイトたちは伊藤のことも知ってるから尚更なのかもしれない。みんな梶井のことをきっと恐怖の対象として見ていた。湖越も、梶井と何かしらの関係があるにも関わらずあまり話したく無さそうで。自然と、彼の話題を疎遠するようになった。だから。
 こうして普通に吉田の口から梶井の名前が出てくるのが意外で……でも、なんだか嬉しかった。何故かはわからないけど。

「いっち~?」
「あ、悪い……。その……吉田は、仲良いのか?梶井と」

 フリーズしてしまった俺を不思議そうに見ている吉田に、素直に思ったままを聞いた。そういえば、吉田は梶井と同じA組だったことを思い出した。吉田が、梶井をどう思っているのか気になった。
 人懐こくてカラッとした日向のような笑顔を持っていて、勉強は苦手みたいだけど根性で乗り越える強さもある吉田が……いつだって作り笑顔を作って薄て見えない強固な壁を張り続けているのに傷ついている瞳をしてる梶井をどう思ってるのか。もし、梶井を桐渓さんに向ける顔を同じようになったらどうしようとそんな不安にかられながら。

「うん!今おれがいちばんなかよくなりたいひとナンバーワンよ~!」

 そんな悩みは杞憂だったみたいで明るく吉田はそういった。何故かホッとする。すると吉田は俺に悪戯っぽく笑顔を向ける。

「安心した~?」
「……ああ」

 勘が鋭いと言うか……いや、ドラマを見ていてかつ自分でも芝居をやっているといっていたから、人のことを良く見ているんだろうな。俺が塞ぎ込んでいる間も、きっと吉田がそうやって人を見て様々なことを勉強してきているんだろう。いや、もともと洞察力に優れているのかもしれない。まぁどちらでもいいか。

「吉田は人のこと良く見てるな、すごいな」

 俺の考えてることも筒抜けされている気もする。どこまでわかるんだろうか、素直に感心してそのままを言葉にする。……何故か驚いた顔をされた。
「え、それだけ?」
「?」
「ばかなのはねこかぶりなのか~とか人の考えてることさきまわりするとかきもちわるい~とかそんな感想ないのん?」
「……あるわけないだろ。なんでそんな後ろ向きなんだ」
「だってね、いつもとキャラちがうでしょ?おばかなくせにそういうのには鋭いとか、ばかなのはうそだって言われやすいのよ」

 いつもの吉田あるまじき後ろ向きな発言にこっちが驚いてしまう。いや~えっと~……と人差し指同士をいじいじしながら言いにくそうにしている。まぁ、言いたくないなら無理して言わなくてもいい。でも、吉田の発言からもしかしたら普段の雰囲気とは逆に勘が鋭くて人のことを良くみているから、周囲から異端に見られることもあったかもしれない。

「どっちも吉田の本当なのは、分かるから」

 俺は他の人たちと比べて吉田と知り合うのは遅いと思うし一緒にいる時間もかなり短いけれど、吉田のことを知るには充分な時間だと思ってる。吉田のことを見る限り自ら隠そうとしている訳ではなさそうではあるが、もしも自分が『異端』と感じているのならそれに怯えることはない。

「……美形の男前って破壊力すごいのねぇ……りなちゃんがいなかったらおれもあぶなかったわぁ……」
「?」
「(無自覚ってこわー!)」

 暑くて赤らんでいた頬がさらに赤くなった気がして心配になる。熱中症、にならなければいいんだが……いやでも熱そうではあるが顔色は普通だから大丈夫かな。何か言われたような気がしたが、吉田の顔が赤くなって心配だったし小声だったから聞き取れなかった。

「や!だいじょうぶよ!そんな心配そうな顔しないでぇ」
「そう、か?」
「うん!それよりごめんね!おれイッチのこと試しちゃった!」
「……え?」

 パン!と勢いよく俺に拝むように手を合わせ心底申し訳ないと言わんばかりに頭を下げられた。何に謝られたのか分からずに首を傾げるばかりの俺にガバッと顔を上げ説明してくれた。

「おれは別にだれにもきずつけられたことはないのよ。ううん、そういうことは言われたこと自体はあるけどべつにきずついたことはないかな」
「……そうなのか」
「好きにいわせておけーいっておもってるからねぇ」
(強い……)
「吉田は俺に何を試していたんだ?」
 俺の問いに吉田の笑顔はいつも通りに見えるけれど薄ら強張っている気がした。言いにくそうにだけど間を置かずに吉田は答える。
「イッチならばのぶちゃんのこと、はなしてもいいかな~って思ってましてぇ……」
「のぶ……梶井のこと?」
「なんだかのぶちゃんのこと聞きたそうだったからさぁ……」

 確かに梶井のことを聞きたいと思っていたけれど。どこまで洞察力に優れているのだろうか。

「あっ結構イッチ分かりやすいよ~」
「そうか?」
「うん、気になることには結構ぐいぐい来る~」
「知りたいからな。……どうだろうか、俺に梶井のことを話すかどうかに合格したか?」

 知りたいのならその場で聞くのが一番だと思う。……自分のことになるとままならないけれど、基本的には知らないことは知らないままでいたくないから。
 梶井のこと、俺は知りたいと思う。あの口ぶりから梶井は俺のことを良く知っていそうだけど、俺はなにも知らない。
 梶井は俺のことを知った上でああ言って、俺のことを好かないと思ったから笑顔さえ浮かべやしなかったのだろうけれど。俺は、梶井のことなにも知らないから……ああ言われて『じゃあもう俺ももう関わらない』と決めるのは早計な気がするんだ。
 知りたいと言ったときは少しだけ、壁が緩んだ気がしたけれど湖越に責められて泣き出しそうな顔をした後すぐ笑顔を貼り付けてさっきよりも強固となった壁を簡単に崩せるとは思わない。だけど話さないと分からないから。話して分かり合えるのなら、俺はそうしたいんだ。
俺は梶井のことを知りたい。合格したのかどうか気になって吉田をじっと見つめる。またしても言いづらそうにしている。
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