2.人間として。

 それが、昨日の話。昨日までのはなし。明日のテストは……これからは、本気で頑張ってぶつかってみようと思った。



 ……まさか、またしても俺の秘密はクラスのみんなにバラされることなるなんて、ね。二度あることは三度ある、か。1度きりでよかったはずの後悔は2度も続いていた。なら、せめて三度目は……、後悔ないようにやろう。怖いし逃げ出してしまいたいけれど。それでも。


 俺は……もう自分からも逃げない。誰からも逃げ出したりなんてしない、声が震えて足がガクガクで崩れ落ちてしまいそうで格好悪いけど。


「、ほんとう……のこと、だよ!」


 もう自分のなかの『本当』を逃げずに、受け入れたいんだ!!もう『本当』を言えなかった後悔を引き摺らないで、胸を張って生きていたい!涙目になりながらも、視界がぼやけても、怖くても。目の前の小室くんを睨むのを辞めない。

 目の前にいるのは、『友だち』だと思っていた人でもないし、俺に歪んだ好意を向けている人でもない。ただ俺のことを辱めようとしたいだけの、ただの愉快犯だ。それだけなら全然ましだ。そう強がった。

――――

「っは、開き直りかよ?!」
「好きに言えばいい、だけど全部、小室くんの言っていた通り本当のことだよっ!俺は、確かにテストを本気でやってなかったし、誠一郎以外の人を信じることもできなかった!いじめられたりしたくないから笑顔を貼り付けてたよ……。誠一郎以外の誰かといるときはいつだって……怖かった。不快にさせたりしないように、傷つけないように、その場の空気を読んでた。だけど、全部が全部嘘ではないよ。怖くて仕方が無かったけど、それでも笑い合っていたときは楽しかった。俺はここにいていいんだって嬉しかった。人気者になりたいわけじゃない、ただ……おれは普通に過ごしたかった。それだけのはなし、なんだよ。でも、もう……人を信じてないのもやめる。傷ついても、それでも……俺は、誰かを信じたい。テストを本気でやったことで嫌な思いもしたけれど、もう自分に後悔したくないから。だから、テストもちゃんとやる。もう、自分に嘘吐くの、やめたいから」

 いつも穏やかでクラスの真ん中で穏やかに笑っているのが嘘のような真剣な表情だ。そんな叶野に圧されているのか驚いたのか小室はあの嫌な笑みを消して慌てているように見える。
 いつもとは違う叶野の雰囲気に戸惑っているのは小室だけじゃなくて、クラスメイトもどよどよと聞き取れない声だけれど困惑しているのが分かった。俺は、ただその光景を見ているしかできなかった。小室に絡まれている叶野を見て咄嗟に身体が動かせなかった。俺はいつもそうだ、突然のことに弱い。それでも観察することは出来た。
 叶野は机に手をついて小室を睨みつけている。これだけ見れば自分の弱いところを晒されているにも関わらず果敢にも小室に立ち向かっている光景。だけど、見えてしまった。

 その手が震えているのを。睨みつけているその目も今にも泣き出しそうになっているのも。

 遠目で見ても叶野を見ていれば分かることを、小室が分からないわけがなかった。きっと小室も分かってしまった。叶野がただ『強がって』いることを。それに気が付いた様子のまた小室は笑みを浮かべた。
 嫌な笑みだ。俺の携帯電話をとったときよりも数段悪意を込めた笑みだ。加虐することを楽しんでいる、そんな表情。

「本当かよ?また嘘に嘘重ねてるだけじゃねえの?俺が言わなきゃやらなかったんじゃねえの?下がった好感度上げようとその場しのぎの嘘なんじゃね?」
「そんなこと……」
「てめえはもう既に嘘吐きなんだからさぁ!信用なんてねえっつうの!なあ?」

 否定しようとする叶野の声はあまりに小さかった。きっと、嘘をついたのは本当のことだから……叶野の弱いところだから、後ろめたかったんだろう。そんな叶野を追い詰めようと大きな声で周りの奴に同意を求めている。
 周りのクラスメイトは小室の言うことに同意はしないものの、否定もしていない。どちらかと言えば叶野に対して非難の眼で見ている人のほうが多そうだった。
 事の成り行きを見守るだけしかして出来なかったが、あまりに叶野を糾弾する小室に苛立ちを覚えて何も考えずただ今にも泣き出しそうな雰囲気の叶野を庇おうと立ち上がろうとした。

「……そんな貴様は、叶野を責めれるような人間なのか?」

 俺と、同じように思っていたのか伊藤が立ち上がろうとしたと同時に、声がした。大きくはないけれど、とても通る力強く高圧的に話す声。
 叶野を庇うように間に入り込む人間がいた。その声には聞き覚えがありすぎて、姿も見慣れているものだったけれど、まさか彼がこうして誰かを庇う、とは失礼だが驚いた。だけど納得もした。少なくとも俺は納得した。
だって。

「鷲尾、くん?」

いつもマイペースで勉強ばっかりしていて、周りのことを気にせずにいた……そして叶野のことを傷つけたことのある鷲尾がこうして叶野を庇っている。鷲尾はずっと、叶野を傷つけたことを後悔してた。謝ったけれどちゃんと和解も出来ていなかったようだったから、すごく気にしてた。だけどそれを知っているのは鷲尾にとって親しい人間ぐらいなものだった。
 時折叶野に視線を向けていたけれど周りからは気付かれないほどのものだったから、クラスメイトや……小室からしてもさぞ驚いたようで教室がざわめく。

「んだよ!急に出てくんじゃねえよ!!つかなんでてめえが叶野庇ってんだよっ」
「貴様に説明する道理なんてない。それよりも僕の質問に答えろ」

 突然の鷲尾の登場に一番最初にこの状況を把握し、苛立ちを覚えたのは小室。激高する小室に、鷲尾は表情を変えることなく淡々としている。鷲尾に庇われたことに一番驚いている叶野は未だ目を見開いて固まっていた。それに構わず鷲尾と小室の話は進んでいく。鷲尾に対して小室が喚き散らす。
「当たり前だろ?だって叶野は嘘ついてたんだぜ?責められるべきだろ!それに、テストだって手を抜いてよ。そこはてめえも怒ってただろうが!みんなを騙してたんだぞ、こいつ。最低な人間だろ!最低な奴になにしたっていいだろ?みーんな反吐が出るほどお優しいんだし、俺が悪者になって皆の言いたいことを代弁してやってるんだよ!むしろ感謝してほしいぐれえだ!」

 あまりの言い分に怒りさえ覚える。隣から舌打ちが聞こえてきたからきっと伊藤も同じようなことを思っている。頭に来ている俺とは裏腹に。

「貴様の言い分はそれだけか」

 鷲尾はどこまでも冷静であり抑揚のない声だった。

「な、反論でもあるのかよっ」
「それなりに。まず、嘘をついていたこと、テストを手を抜いていたことそれは当人も認めている。そこは否定するところではない。事実だからな」

 鷲尾の言葉に眉を寄せてぐっと唇を噛んでいる叶野が見えた。傍から見てそのことを後悔しているように見えた。鷲尾の言葉に小室は楽し気に笑う。

「それを責めてなにが悪いんだよ?!」
「だから。貴様は叶野を責めれる価値のある人間なのか、と聞いている」
「は……?」

 聞かれたことが理解できず、小室はぽかりを口を開けた。それを心底哀れむような視線を向けながら鷲尾は話し出す。

「貴様は遅刻ばかりしているし来てもすぐ帰ったり遊びに行ったりして、誰かといっしょにいつだって誰かを馬鹿にしてばかりいる貴様が。叶野は、確かに嘘を吐いていた。テストも本気でやらずにいた。だが誰一人傷つけないように過ごしていた。クラスで変わり者とされている僕にも、クラスどころか学校中で珍獣扱いされていた伊藤にも、分け隔てなく接するような、到底僕には出来ない気遣いが出来る人間を、叶野を。叶野以下どころか僕以下の人間である貴様が、叶野の友だちでもなんでもない人間が、叶野を責めれる価値が本当にあるのか?」
「な……っ!」

 鷲尾の飾らない言葉が教室によく響いた。鷲尾の言葉に心のなかではあるが同意する。叶野は、確かに嘘をついていたのかもしれない。
 テストも本気でやれなかった。だけど、誰も傷つけようとしていない。悪意はない。小室と違って。
 先ほどの叶野の言っていたことが本当なら……小室が言わなければ、きっと叶野のなかで昇華出来た問題だったかもしれない。もしくは、これから少しずつ自分の中の問題と向き合ってゆっくりと昇華していくべきものだったかもしれない。……自分でも責め続けていたところをこれから克服しようとして。その寸前でそれをクラスのみんなにバラす、ということをした小室に、叶野を責める価値は。そんなもの。

「無い」
「ねえな」

 導き出した答えをボソッと呟く気持ちでつい言葉に出した。言葉が少し違えど同じ意味を持ったものをとなりの伊藤と綺麗にハモった。特に驚くことはない。俺らが小室に想う感情は普通のものだからだ。俺はそう思っている。だが、周りはそう思っていないらしい。小さな声で呟いたつもりだったが案外教室に響いて視線はこちらに向く。

「て、てめえらは、叶野のしたことに何も思わねえのかよ!?笑顔振りまいておいてその腹の中では誰も信じれねえって思ってたんだぞ?なんだ?てめえらからして叶野なんかどうでもいいってことか?そんぐらいじゃ傷つかないってか?そうだよなぁ、だっててめえら二人で世界作っちまってるんだし?互いがいればそれでいいんだよなぁ?」
「……次はこっちに来たか」
「あ?」

 一瞬怯んだ様子だったのに、次はこちらを見て笑って醜い言葉を連ねる小室。誰かを攻撃しないと生きていけないんだろうか。

「……叶野と鷲尾に対してうまく自分の思った通りに行かなかったからって次はこっちのことを攻撃するのか?」
「な、」

 呆れてなにも言いたくなくなる。質問するのか攻撃するのかはっきりしてほしいし、質問するにしても被せていくつもの質問しているから答えにくい。そもそも……良くもまぁ小室は……怖いもの知らずと言うべきか。

「……お前、いい加減にしろよ……」
「ひっ」

 自分が恐れている伊藤に対して大口を叩けるのか。あまりの物言いに苛立った伊藤が言葉を発しただけで引き攣った声を上げているのだから呆れてものもいえない。
 伊藤は苛立った様子を隠すことなく眉を寄せ、じっと小室を見つめている。睨んでいるように見えるが、そう言うわけではないのだろう。
 少し眉を寄せているだけだ。苛立ってはいるがそこまで怒っている訳ではなさそう……というか呆れの方が多そうだ。

「叶野にとってそれは本当はやりたくなかったけどやりざる得なかったことだったってこと、分かんねのかよ?頭の悪い俺でも分かるぞ。てめえその脳みそなに詰まってんだよ」
「……伊藤、少し言い過ぎだ。それにそんな自分を卑下することはない」

 伊藤は勉強とかは苦手でも人のことを良く見ているのを俺は知ってる。だから、自分を下げるような発言は辞めてほしい。俺にとって伊藤は……大事なひと、だから。

「あと……お前らも、別に叶野のすべてを理解して優しくしろとまでは言わないが……もう少しでいいから、叶野にも事情があることを考えてもいいんじゃないか?」

 表立って叶野に対して何も言わないけれど明らかに不信の眼で見ていたクラスメイトたちにも呼びかける。確かに嘘を吐くのは悪いことで、テストを本気ですることができなかったのも人によっては不快になると思う。だけど……何か事情がない限り叶野はそう言うことしないと思うんだ。だって、叶野は……取っ付きにくいであろう俺にも普通に接してくれたから。
 その瞳に悪意は無かった、純粋にただひとりの人間として接してくれた。だから俺はきっとこのクラスに馴染めたと思う。叶野が距離をとるのでもなく特別扱いをするのではなく、近すぎるでもなく、冷たくすることをせず過度に甘いわけでもない『一ノ瀬透』という転校生として見てくれていた。悪意はなくただただ『友だち』として。見て接してくれた。俺にはそれが嬉しかった。前の学校のときは、独りだったから。勿論伊藤がいてくれたのも大きいけれど、叶野の分け隔てのないさりげない気遣いも俺には嬉しいものだった。
 そんな叶野がそう言うことをしないといけない事情があるかもしれない、と思ってもいいのではないのか。俺がそう言うとクラスメイトは気まずげに目をそらした。後ろめたいってことだから、少しだけ考えを改めてくれたらいいと思う。

「んだよ……こいつはてめえらを疑って信じれなくて友だちって思っていないかもしれねえのに!それでもてめえらはこいつのことを友だちって言えるのかよ!?」

 伊藤や俺の発言が心底信じられないように指をさし、伊藤の視線に怯えながらもそう喚き散らす小室。さっきようやく取り戻した冷静はすでに無くなっていて顔が真っ赤で興奮しているのがよくわかる。

「……言えるに決まってる」

 何を当たり前のことを言っているのか。そう思って発言したけれど、どう言うことか驚いた顔をしてみんな俺を見てくる。俺は言葉を続ける。

「だって、俺が友だちって思っているのだから。俺がそう思えば俺にとって叶野は友だちだ。それを見返りとしてお前も俺を友だちとして見ろ、と求めたりはしない。
友だちって、見返りを求めるものではない……よな?俺がそう友だちと定義してもおかしくないよな?」
「当たり前だろ、自信持て!」
「分かった」

 あまりに見られるものだから段々自信がなくなってきてつい隣の伊藤に助けを求めてしまう。それに力強く頷いてくれたからホッとする。多少は前よりは自信を持てるようになったとは言え、まだまだ伊藤に甘えてしまうのは抜け出せていない。

「な……おかしいだろ、それ?!」
「俺がそう定義しているだけだから別に誰に押し付けるつもりはない。その答えは人それぞれって言うのは知ってる」

 どこからが友だちかの線引きの答えは人それぞれで違うと言うのも、友だちという存在をこう定義してもいいと教えてくれたのは、叶野だ。俺は考えすぎてしまうみたいだから、深く考えなくていい、俺がそう思ったのなら友だちでいいんだって。そう、教えてくれたから。だから。

「叶野、難しく考えなくていい」

 すっと小室から視線を外し、叶野を見てそう言った。
叶野は。自分は考えなさすぎだから考えないといけないと言っていたけれど……『俺に考えすぎるな』そう言ってくれたのに、そう言ってくれた当の本人は考えすぎ。俺に言ってくれたことを今の今まで忘れていたのか叶野は少し首を傾げたけれど、すぐに思い至ったみたいであっと驚いた顔をされた。
(忘れてたのか?)
 すぐに思い出せないほどのものだったみたいだ。きっと叶野も色々あったんだよな。叶野にとってそんな答え忘れてしまうほどのものだったのかもしれない。でも、俺にとってきっと忘れられないものになった。その温度差につい笑みを浮かべてしまう。特に悪意とかなんでもない、純粋に俺と叶野の温度差が可笑しかった。

 お前のしたいようにしていいんだよ。自分を出すということは、きっと自分にとって醜いところと向き合うことでもあるかもしれないけれど。でも、そういうところを受け入れるのも、また友だちだと思うんだよ。

――――

「……伊藤と一ノ瀬がどう思おうが関係ねえ話だ」
「いや、聞いてきたのはてめえだろうが」
「うるせえ!それより、鷲尾はなんで庇ってんだよ!?てめえも叶野に対して俺と同じようなことをしただろうが!?」
「それに対して叶野に本当に申し訳ないと思っている。庇っているのはせめてもの罪滅ぼしだ。……これからも。僕は叶野を庇う。叶野が僕のことを許しても……許されなくても。それでも、僕は……都合が良いと言われてしまうかもしれないが、叶野を大事な人間だと思ってる。きっとそれは……伊藤や一ノ瀬、湖越に感じているものと同じものだと、そう思ってる」
「鷲尾くん……」

 叶野が久しぶりに鷲尾の名前を呼ぶ。ずっと、叶野は鷲尾のことを避けていて話しかけにもいっていなかったから、俺らも久しぶりに叶野から鷲尾の名前を聞いた。そもそも、目と目が合っている状態も随分見ていない気がする。そのぐらい叶野にとって衝撃的なことで、鷲尾も叶野に名前を呼ばれて驚いた顔をしたが、気まずそうに視線を外した。

「客観的に、僕がしたことをたった今間近で見て……吐き気すら催すほど最悪なことをしたんだと痛感した。叶野が大事なんだと自覚したから、なおさらそう感じたのかもしれない。これを免罪符にしたり減刑を望んだりはしない。ただ、僕が叶野を庇いたかった。それだけだ」

 苦し気な表情をしながらも、真っ直ぐ相手の目を見て鷲尾はそう言い切った。たとえこうして庇ったことで何も変わらなくても、それでも叶野のことが大事で傷つけてしまったのを後悔した鷲尾は自分が庇いたいから庇った。他人にも自分にも嘘をつけない鷲尾の言葉は真剣そのものだった。

「……小室、くん」

 今まで俺らが話していたせいで言葉を発さずにいた叶野が口を開いた。

「どうしてさ、俺のことみんなにばらしたの?俺……小室くんになにかした、かな?……どんな理由でも、もう俺許せないけどさ」

 戸惑いながらも、そう問う叶野。まだ表情は青ざめていて調子は良いとは思えないが、それでも果敢にも小室から目をそらさずにそう問う。

「は、理由なんてねえよ!てめえらのその良い子ちゃんがむかつくだけだ!!へらへら笑ってるのを崩して見たいだけ!そんだけだ、たまたまてめえのこと聞いたから言っただけ、そんだけだ!!」
「……そっか。きみもそうなんだ」

 開き直ったらしい小室は特に隠すことなく自身の気持ちをぶちまけた。興奮状態の小室に対して叶野は青ざめていても冷静に対処する。……聞きたくないだろう質問の答えを、怖くても逃げずに聞いて冷静に対処できる叶野は、やっぱり強い。
 俺にも、叶野みたいな強さがあれば……祖父や桐渓さんから逃げなかっただろうか。そんなことをふと思ってしまう。

「それならもう俺に構う必要はないよね。二度と俺に話しかけたりしないでね。安心してよ、俺もきみに話しかけたりなんてしないから。可能な限り視界にも入らないようにするよ」

 いつも穏やかに朗らかに笑う叶野はそう冷たい表情で突き放した。いくら叶野が良い奴でも、こんなことされてしまっては堪忍袋の緒が切れたんだろう。小室は叶野のことを快く思っていなくて、叶野も小室の相手をしたりしないと決めた。お互いが望むようになった。そのはずなのに。
「は?鷲尾とは話しているくせに、俺とは話さねえのかよ?」
 ……良くわからないことを小室は言っていた。

「何言ってんだ、こいつ」

 心底理解できない、そう思ったのはきっと俺だけじゃなくて小室を除いたクラスメイト全員だろう。伊藤は皆の思っていたことを代弁してくれた。
 こんなに叶野を陥れようとして傷つけといて反省の色一つなくむすくれた子どものようにそう言う小室があまりに何を言っているのか理解できなくて固まってしまったが、ちゃんと反省して叶野に謝罪をした鷲尾と自分を一括りにした神経が信じられない。ふざけるな、そう言い出そうとした瞬間。

「……きみは、どうしたいの?」

 叶野が声を出した。叶野の表情は呆然としているに近いけれど、確かにその声には『怒り』と『嫌悪感』が滲んでいる。
 鷲尾の後ろにいた叶野は前に出て、小室に歩み寄る。その足は震えているように見えたけど、それでも迷いなく小室に向かっている。歩き出した叶野を鷲尾は見つめている。きっと、心配してる。

「散々人を傷つけといて、蔑ろにしていたくせに、自分を鷲尾くんと一緒にするとかどんな神経してるの?本当信じられない。確かに鷲尾くんの言葉で俺は傷ついた。でも、それはわざとじゃなかった。そのことをいっぱい後悔して謝ってくれた。その謝罪を、俺は最初受け入れようとした。内心傷つけておいて、て内心責めていたけれど、それでも謝ってくれたからには許さないと、て思ってたから。でも鷲尾くんは俺の本当を知りたいって、言ってくれた。謝罪を心からじゃないのに受け入れようとした俺を拒否したんだよ。鷲尾くんは、俺の意志を尊重してくれた。本当は許されたいと思っているのに、俺のことを考えてくれたんだよ。……今日まで俺は鷲尾くんを避けていたのに、それでもきみからかばってくれたんだよ。俺のこと、思ってくれてた」

 きっと、鷲尾が叶野に謝罪したときのことを言っている。突然叶野があの日のことを言うものだから後ろの鷲尾が戸惑っているのが見えた。まさかこうして自分の謝罪をみんなの前で言われるとは思ってなかったのかもしれない。
 後ろを見れない叶野はそのまま言葉を重ねた、鷲尾のことを話していた穏やかな口調を一変させて、小室を非難する厳しい口調で。

「皆の前で傷つけられるだけ傷つけようして、言われたくなかったことだと理解したうえであえて言う小室くん……小室と、謝るつもりなんてさらさらなく悪びれる様子もみせない、小室とっ!人以下の小室と!鷲尾くんを一緒にするのは許さない!小室がどう俺を思っているのかもうどうだっていいよ!ただただ許したくないし、口も利きたくない、顔もみなくねえよ!!」
「ってめえっ!!」

 痛烈に批判した叶野に、自分のことしか考えられていない小室は叶野の胸倉を掴みかかった。掴んだ手とは反対の手は拳を作って叶野を襲おうとした。叶野は目を見開いて、でもすぐに訪れるであろう衝撃にぐっと目を閉じた。痛みにただ耐えようとしている。その仕草に既視感をおぼえた。俺も、したことがある仕草だ。……叶野。
 叶野も……虐げられたことが、あるのか?ふとそんなことを思ってしまった。

「やめろ!叶野を、なぐるな!!」
「う、わっ!?」

 今の今まで口をはさむことが出来ず、ただ真剣に俺らのことを見ていた湖越が拳を振り上げようとした小室の腕を掴み、そのままもう片方の叶野の胸倉をつかんでいる手を握りしめられた。見るからにギリギリと音がなりそうなぐらいの力で小室の腕を湖越が握りしめていてそのうち「いっ…!!」痛みに苦しむ声を上げながら叶野の胸倉からついに小室は手を離す。
 叶野を解放してすぐ距離をおこうとする前に湖越は小室を押し倒した。力加減なんて一切されていない指が小室の腕に食い込む。小室は痛みに悲鳴をあげる。

「いってえ!いてえよ!!はなせ!はなせよっ!!この馬鹿力!!なんだよ、キモイんだよ!離せ、離せよ、クソがよ!!」

 押し倒された小室は湖越を引き剥がそうと暴れるが、体格差があり身長も高い湖越は力も強いようで暴れて罵声を吐く小室をもろともせず容易く抑え込まれている。「叶野を傷つけようとするヤツは許さねえ、もう二度と!次は、次はちゃんと俺が……!」小室を抑え込みながら何かを言っていた。
 暴れて叫ぶ小室の声にかき消され、湖越も小さな声だったからうまく聞き取れなかったが、この状況から分かることは湖越は小室を見ながらも違うところを見ているように見えた。
 とにかく、今は湖越を引き剥がさないと。このままでは先生を呼ばれ、運が悪ければ掴みかかった湖越が悪いみたいになってしまう。伊藤と目配せして頷き合う。これ以上は青ざめて目を見開いて取っ組み合いを見て責任を感じ始めている叶野と、どうしていいのか分からず戸惑いながらも叶野に見せないように前に立っている鷲尾が可哀想だ。

「おい!落ち着け!」
「伊藤、だけどこいつはっ」
「……やったことは最低だとは思うし、湖越の気持ちもわかる。だけど突然掴みかかるのを見てしまったあいつらのことを考えてやれ」

 なんとか2人がかりで(俺と身長はあまり変わらないのにあきらかに伊藤のほうが力が強いのはなんでだろうか)小室から引き剥がした。
親友を傷つけられそうになったのを見て気が動転してしまうのは分かるし湖越の気持ちも理解できる。だけど、それを見ることで傷ついてしまう人たちがいることも忘れないでほしい。みんなに迷惑をかけるなとかそう言うことを言いたいんじゃなくて、湖越が誰かを傷つけようとするのを見て傷ついてしまう人たちを思い出せと小声で告げる。そう言えばハッとした顔をして、叶野たちのほうを振り返った後すぐ俯いて「……悪い」と謝罪した。話が通じてよかった、安心する。だが、それはそれとして。

「てめえよぉ……」
「……」
「ひぃっ」

 口では勝てないからって叶野を殴ろうとする小室に怒りがないと言えば嘘になるし、嘘にするつもりはない。伊藤とともに、じとりっと床に這いつくばる小室を睨みつけた。みじめに引き攣り声をあげる小室に構わず睨むのを辞めない。

「はあ……てめえ。本当にいい加減にしろよ」

 怒りを隠さない低い声で、制服のズボンに手を突っ込んでつかつかと小室に近付く伊藤。失礼だけど普通にしていても伊藤は威圧感がある。その伊藤に上から睨まれて身動きもとれないあいつからすると恐ろしいことこの上ないだろう。恐怖に顔が歪んでいるのが見える。俺はそれすらも冷めた目でしか見れなかった。

「少しは自分以外のこと考えられねえのかよ」

 罵声でも暴言でもなく、ただ伊藤は普通のことを言っているだけだ。失礼なことをしたヤツに怒っているだけ、それだけだ。だが、怒られている小室は言われた内容も理解できていないのかただただ伊藤に怯えていた。

「ひっ……俺は悪くない!」

 この期に及んで未だ他人のせいにしようとする小室に溜息が出そうになった。こいつはいつまでも自分の非を認めようとしないのは何故なんだ。そう問いかけようとした。

「梶井だ!」

その名前が小室の口から出てきた瞬間、教室の空気が凍った。正確にいえば、自分以外の教室にいる全員が固まった。……誰だ、とすぐに思ったが、俺はその名前を知っている。そうだ、伊藤から聞いた名前だ。
話を聞いているだけで実際会ったことがないからなんとも言えないが、周りを引っ掻きまわすのが好きな奴らしい……と何とも不確定な俺とは違って、実際伊藤の事件からその梶井の告白までしているのを見て聞いていたらしいクラスメイトは青ざめている。

梶井信人に言われたんだっ!!あいつが俺を唆したんだ!!!」
「信、人が……っ!」

 誰もが小室がその名前を言って固まっているなか、湖越が反応を示したかと思えば気付けば勢いよく引き戸式の扉をピシャっ!と音を立てて開け放ってどこかへ走っていった。どこかへ走っていく湖越に、何となく一人にさせてはいけない気がして。
 伊藤に目配せすると少し驚いた顔をされたけれど見送るように軽く手を振られ頷かれたのを視認してすぐ湖越を追いかけた。


 どうして。湖越は梶井信人の名前が出た後、悲しそうな顔しているのだろう。どうして、梶井のことを下の名前で呼んだのだろうか。疑問は尽きなかったが、今は湖越を追いかけることに集中することにした。

29/34ページ
スキ