おれのともだち。


「……透」

 親友の名前を呟いてみる。やばい奴だな、と思いつつもついつい顔がにやける、これを治してから行かないと不審者扱いされるから落ち着け俺。言い聞かせながらもやっぱり顔はにやけたままだった、それもしょうがない、だってずっと待ち続けていた親友がいるのだ。
 やっと帰ってきたんだ、透が。夢ではないんだよな、と電柱を殴ってみればジンとしびれる痛みがあり夢ではないと実感する。親友が帰ってきた。昔と変わらずに俺と身長が同じぐらいだったのは少し複雑である、かなりの差をつけて身長を伸びる予定だったのにな。でも少しだけ俺の方が高かったと思うからよかった。
 あと、とんでもない美形になった、昔から綺麗な顔をしていたが成長に伴ってその美形は完成されつつある。子どもと呼ぶには大きいが大人にしては幼い、そんな大人っぽさもありつつ幼いところを捨てきれていない、発育途中の今だけの透。少年と青年の境目の少し危ない雰囲気がある。
 濡れたような艶やかなストレートで痛み知らずの綺麗な黒髪に整った顔立ち、そして日本では見慣れないあの灰色の眼である、道行く人には振り返られていた。これだけ透が美形なのは、親友としては鼻が高い。限りない嬉しさが身体を満たす……それと同時に透に不安なところもあった。

 最初に視界に入った項垂れている透を思い出す、フードを目深に被って外界を遮断して、辛そうなのに誰にも助けを求めようとしていなかった。まず彼はあんなに人の様子を窺うようなことも、自信がなく話すこともしていなかった。儚げな見た目によらず自分の意志を押し通す強さも、口数は少なくとも自信のあるハッキリとした物言いをする以前の透の面影はなかった。

 引っ越したあと、透になにが起こったのか、どうして自分を忘れてしまったのか……どうしてあんなに自分を攻め立てようとするのか。疑問は尽きないし、正直俺のことを忘れたのかと思い当たったときはすごい悲しかったし寂しかった。引っ越してあれ以降連絡もなくて、そのせいで一時期黒歴史レベルに随分と荒れていたこともある。あの人の出会いのおかげ謝られたとき傷つきはしたものの、少しは客観的に透のことを見れたからよかった。
 もし出会っていなければ……今よりさらに愚鈍だった俺はなにをしていたのかわかったものではない。眉を寄せて目線も合わせず、袖をぎゅっと指先が白くなるぐらい握りしめながら俺に謝る透を見たとき、引っ越す前の透を思い出した。透が引っ越すことを俺に教えてくれたときと同じ仕草だった、と。きっと彼なりの罪悪感から耐える術なんだろう、小学生から賢すぎる彼はもう既に泣くのが下手だった。いや、感情を出すのが下手なんだ。
 その賢すぎる頭と大人びた思考、その整いすぎている容姿のせいか、透はどこか達観していて冷めていた。透の両親と俺以外にどこか壁を作っていたと思う。

 しかも口数も少ないから、透の言っていたことが伝わっていなかったことは多々あった。彼の周りの人たちも、俺も。それでも唯一俺を親友と呼んでくれた透に応えたくて、誰よりも……透の両親以外で一番に理解したいと思って透の母さんと父さんに透のくせを教えてもらったりしていた。俺自身も、透もいつかみんなの輪に入って楽しく生きたいと思ったんだ。懐かしい。

 そんなあのころを思い出した。髪と目が透と同じ色だけど透と顔は似ていないけど、でも可愛らしい雰囲気の母さんに、髪と目の色は似つかないけど、透の顔立ちが父親似であると一目でわかる美形な父さん。
 二人とも穏やかで優しく笑っていたのが印象的だった。同級生どころか保護者にもこの三白眼のせいでガンつけていると勘違いされて俺の評判が悪かったのに、あの人たちは違った。俺なら透と仲良くできるとまで言ってくれた。あの人たちは透を愛していたし透もあの人たちを愛していて、なによりも大事そうだった。今日あの人たちに会えるかもと思いながら透の家に邪魔したが、誰も出迎えず「ただいま」の一言もなく透は一人が当たり前のように電気をつけて袋のなかのものを出していた。俺は何故か、その姿が寂しくて悲しかった。俺のことを忘れているのではないか、と思いついたときよりも、数倍胸が痛んだ。

 数回遊びに行った俺からしても懐かしい家であると記憶しているのに、透は何の反応もしない、誰もいないことが当たり前のような雰囲気だった。本当は聞くかどうするか迷った。なんで、とかどうして、とか。でも聞けなかった。いや、聞かなかった。
 透になにかあるのは何となく察したけれど透が言うまで聞くのはやめておこうと思った。透の様子を見ると、どう考えても訳アリだ。そうにしか見えない。でも聞いて透を傷つけるのは本意じゃない、一時期一方的に傷つけようとした一方的なせめてもの罪滅ぼし。透が言いたくなったら、いつでも耳を傾けよう。俺は何よりも、お前が大事なんだ。

 それに、透は『透』で、その透が覚えていないにしても随分日が空いても、約束を叶えてくれた。時期までピッタリだ。今のところはそれで満足だから、とりあえずは、良い。とりあえずは今の透との時間を大事にしたい、俺のことを覚えていなくてもそれでも、嫌悪されていないならまた新しい関係を作っていけるだろう?
 透が忘れていて俺を探していなくても会えた、再会できたんだ。そう考えると奇跡だろ。しかも同じ高校とか嬉しすぎるぐらいだ。今から作れるものもたくさんあるだろう。


 ようやく気味が悪いであろう笑みが治まってきた。携帯を開いて時間を確認して、あの人の元へと向かう。今の時間帯なら少しぐらい店を手伝えるだろう。ここんとこはもう家に帰っていない、が家族である彼らは別に心配もしないだろうし俺もどうでもいい。それよりも、今の心配はちゃんと明日起きれるかどうかだ。4月に色々あって停学食らって以降学校はサボりがち、しかも連休だったので早く起きれるかわからない。
 正直高校中退してあの人の店の手伝いでもするか、と冗談半分以上が本気になりつつあったのだ。元々高校に行くつもりはなくてあの人に高校卒業ぐらいはしておけって言われたから仕方なく、だったからな。だが、透が明日から通うのであれば、学校に行かない理由がない。出来ることなら同じクラスになりたいが、どうだろうか。
 いや、最近まで離れていた分一緒の高校を通えるだけでも嬉しい限りなのだけど。あの人に今から行く旨を伝えるためにアドレス帳からあの人の名前を探しているときに気付いた。


――透とアドレス交換するの忘れてた。


「くそ……!」
 馬鹿な自分を恨んだ。もう挨拶した後だし、また透のとこに戻るだとか格好悪いし、だーもう!電柱を思い切り殴ってそれでも足りず頭突きをした。……いやいや、明日学校行くって約束したんだし、そんときに聞けばいいんだ。そう冷静になったのは俺の異常行動に通りかかった人に心配されて、少ししてようやくである。

 いないのが当たり前、は今日からいるのは当たり前に変わるのだ。


 ……はやく、明日になればいい。

 明日から始まる『当たり前の』日常に胸が躍った。


――――


 醜く美しく生きる人間たちのものがたりのはじまり。
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