2.人間として。
そのあとのことは良く覚えていない。
俺にとって三木くんはこの学校で一番の友人だと思っていた。だけど。俺は三木くんにとって迷惑な存在だったことを知って、自覚してしまって、ショックだった。なにか教室が騒がしくなったような気もするけれど気のせいかもしれない。その日のことを俺は良く覚えてない。
どんな授業を受けていたのかどうかもそれ以外にどんなことを言われていたのか、どんないじめを受けていたのかも何もかも。
漫画や小説みたいなことを言うと、気が付けば放課後の……日が沈みかけている教室のなか自分の席の近くで立ちすくんで自分の机の落書きを見つめていた。『死ね』『キモイ』『学校くんな』『雑菌』、そんな風に油性マジックで書かれている俺の机をどこか他人事のように見つめたあと、椅子に座って机に突っ伏した。
下を向けば自分の制服には足跡が残っていてその近くの自分の肌が痛んだから、多分蹴られたんだと思う。自分のことなのに他人事のようにそう思った。
(三木、くん)
目を閉じれば彼の朗らかな笑顔が浮かんだ。楽しそうだった、笑い合ってた、はずだ。だけど、それはきっと俺だけが感じていたことだったんだろうな。
(……ごめんね)
心のなかで謝罪する。きっと、酷く迷惑だっただろうな。重い話をしてそのうえ無邪気に話しかけていたんだ。相手が俺をどう思っているのか考えもせずに。
俺、嬉しかったんだ。誠一郎以外で信頼できる人が出来たことが。心の底から『友だち』と言えるような存在が、また一人出来たんだって、うれしかった。でもそう信用した相手も、俺と同じように思っているとは限らないんだ。分かっていたはずなのに。
世界は俺だけのためのものではない。俺が他人を快く思うのと不快に思うのと同じように他の皆だって好きになったり嫌いになったりする、選択する。
俺は三木くんに『嫌い』と選択された。人はみんな選択する側でありながら選択される側であると、知っているはずなのに。わかっていなかったんだ。
「……三木くん」
俺は三木くんを『好き』と選択した。それが同じように返されなかった。彼は俺と真逆の選択をした、それだけのことだ。でも、可能であれば。俺と同じ選択をしてほしかった。……こんなこと言ったら、きっとまた重いと言われてしまうんだろうな。俺って、重い人間なんだなぁ……。内心そう自嘲気味に呟いた。
その瞬間俺以外誰もいない、静かな教室に扉が開いた音が後ろから聞こえた。帰宅部は既に家についているだろう、部活のある子だってまだ終わりではないそんな時間に一体誰が入ってきたんだろうか。一瞬疑問に覚えたけれどすぐにどうでもいいかと思い直した。俺はクラスのいじめられっ子だ。
俺をいじめている子たちはいつもにぎやかで、こうして静かに教室に入ってこないからきっと彼らとは違うだろう。かと言ってただのクラスメイトが好き好んで話しかけられることもないだろうし、もしも彼らのうちの誰かだとしても一人ならそこまで害でもないだろう。精々貶してくるか軽く蹴ったり殴ったりするぐらいだろう。そう諦観する。
……俺の願望としては、三木くんが俺のこと気にかけて戻ってきて俺に……『仲直りしたい』そう言ってくれるそんな展開を一番望んでいる。でも、そんな都合の良い話はドラマや本ぐらいなもので。
「寝てんのー叶野?」
俺の目の前から声が聞こえて、その声の主を頭で理解する前に反射的に体が震えてしまう。低いけれど優しくてその通る声。ぶわっと背中から冷たい汗が流れてくるのが分かる。
このまま寝たふりをしたかったけど、声をかけられてあからさまに身体を震わせてしまって俺が起きているのを知られているし、目の前に立っている人物が帰る気配がないのが分かってのそのそと顔を上げた。出来ることなら、一番一対一では会いたくなかった人物だ。
顔を上げれば、俺を見下ろしている視線と交わる。
「あ、おはよー」
「……」
目の前の人物……羽佐間くんは俺と目が合うとニコっと笑いかけてそのまま前の席に座った。ニコニコと笑みを浮かべて俺を見つめている羽佐間くんが……怖かった。本当は震えそう……というかもうすでに震えている。足なんて今立ち上がれば数秒も持たないと思うぐらいだ。それでも羽佐間くんと目をそらさない。怖くても、逃げては駄目だと本能で感じた。
(目を合わせないとこいつは俺に何をするか分からない、絶対に隙を見せるな)
そんな、防衛本能が働いた。
何の理由はないけれど、それでもその本能に従ってどんなに怖くとも目をそらさなかった。涙目で無様だろうと何だろうと。
「……あはは!やっぱり、その目いいなぁ」
「……!」
うっとりとした顔で甘い声でそう言いながら俺へ手を伸ばす、それにまた殴られるのかと体が怯える。一瞬恐怖で目を閉じたけどすぐに開けて強がって睨みつけた。
ギッと彼を睨みつけながら次に来るであろう衝撃に身構えた。
「怖いくせに睨みつけてくるとかーあーかわいいー」
「……っ?」
思った衝撃は訪れることはなく、その真逆の優しい手つきで俺の頬を撫でられて混乱する。そしてやっぱり怖かった。だって。
「あー今まで他の奴らにいじめるように仕向けてきたヤツがいきなりそんな風に撫でられるとは思えなくて混乱しているのと……俺がなにを考えているのか分からない恐怖、かな?そんな感じのこと思ってる目をしてるけど、あってたりする?」
「……」
俺が自分の恐怖の理由を突き止める前に、羽佐間くんに言い当てられた。言いようのない嫌悪感が芽生える。
……俺はこんなことを誰かに本気で言ったこともなければ本気で思ったこともない、どんなに仲良くなれない人でもそんなこと思わないし、仲の良い人にはその場の言葉の綾で言ってしまうことはあってもそれは本気で思っていて言っているものではない。だけど、どうしても。羽佐間くんのその穏やかな笑顔や俺の頬を柔らかく撫でる大きな手や、愛おし気に俺を見ているその瞳に優しく語り掛ける声のすべてが……直球に言うと、気持ちが悪かった。
羽佐間くんの仕草全てが、違和感しかない。怪訝に思っているのはきっと今顔に出ているだろう。そこで失礼だとか言われてキレられるほうが断然良かった。俺の顔を見て心底嬉しそうに笑っている彼を見たら……。
「うん、その俺の本質を見抜いている感じ、いいねぇ。大体の奴はさ、俺に気に入られたくて俺の思うがままに従うんだよね。ほらちょっと俺顔が良いみたいだし?」
首を傾げて見せる羽佐間くん。確かに、羽佐間くんは人の目を惹く容姿をしている。だからああやって……自分からそこまで手を下さなくても、羽佐間くんの敵は自分の敵であると排除徹底的に攻撃するべきだと、それが『正義』なのだと認識するのかもしれない。
羽佐間くんがそうしたいのならそれに従うべきであり反抗するのはとんでもない、そう思ってしまうのかもしれない。でも、今俺が羽佐間くんに想う感情は『恐怖』『混乱』『嫌悪』それだけ、だ。そんなに端正な顔立ちをしていても、それだけで絆されるほどではない。俺の思っていることはお見通しだと言わんばかりに笑みを深める。
「皆が皆叶野みたいなら少しは叶野への態度もましだったのかもね。残念だけど、それは担任含めてかなーり少人数みたいだ」
「……」
「クラスメイトも自分に害がなければそれでいい、もしくは俺に気に入られたいから叶野をいじめよう、のどっちかだけで叶野を守りたいって言う奴はだーれもいないんだよね。……あーえっと……なんだっけ?あいつ?名前がさ行の……?」
暴力に飽きた羽佐間くんの精神的暴力を振るおうとでもしているのだろうか。
俺の心をえぐるためのだけ言葉を重ねているだけなのか。……この、違和感はなんだろう。彼の態度は大凡いじめている人への態度ではないんだ。でも、行動はいじめ加害者そのものだ。なんだ?なにかがおかしい。
「……あっ思い出した!さ行じゃなかったわ!」
違和感の正体を探ろうと考えようとするのを妨げるかのような大きな声に驚いて目の前の彼と目を合わせる。目が合うとニコっと微笑みかけられた。嬉しそうに笑いながら残酷なことを告げる。
「ほら、最初のとき叶野と仲の良くしてたはずの三木だよ」
「……え?」
――――
「俺がさ~ちょっとした好奇心で『叶野の弱味とか知ってたりする?』って聞いてみたらさ、嬉しそうに教えてくれたよー?俺が話しかけたときすごーく嬉しそうに笑ってくれたし。あまりに大きな声で楽しそうにお話ししてくれるものだから、正直ちょっと俺引いちゃった~。クラスメイトもそうだったんじゃないかなー」
「……みき、くんが?」
あんなに笑い合っていた、三木くんが?どうして。俺が、彼にいじめられていること知っていたのに。
なんで。俺のこと、売るようなことをしたの?頭がぐるぐるする。疑いたくない。疑いたくなかったから、俺がいじめられているとき三木くんらしき笑い声が響いたとき、きっと違うんだって言い聞かせてた。
今は、ただ俺がいじめられているから。だから、三木くんは話しかけられない、だけだって。そう、思おうとした。
「どうも彼さ、叶野の点数が自分より良かったのが羨ましかったみたいでさ~。多分仲良くしていたときもきみのこと見下してたんじゃない?だから憎くなっちゃんだと思うよ?あと俺に気に入られようとしている雰囲気したかなあ」
「そんなこと…………」
「ない、て言い切れるの?今まで叶野がされてきたこと楽しそうに見ていたの知らないことはないだろ?」
「っ……」
否定したかったことを目の前の彼に突き付けられる。そう。俺は、ずっと本当は分かってた。俺がクラスから無視されたときも、体操着を隠されて探し回っていたときも……先生からもクラスメイトからも見放されたときも。三木くんは……楽しそうだったこと。
今日の朝だって羽佐間くんに頬を染めて一生懸命話していたのも、しっかり見えていた。本当は見えていた。ぜんぶ、ぜんぶ。だけどきっと気のせいだと考えすぎだと自分に言い聞かせてた。だってそうじゃないと。
「う……っ!」
涙が零れてしまいそうだったから。いつだって、泣きたくて仕方が無かった。無視されるのも体操着や上履きを隠されるのだって、ノートを切り刻まれたり机の中にゴミをいれられたり、バケツに顔を突っ込まれたり水をかけられたり……殴られたり蹴られたりするのは。
痛くて悲しかった。身体も、心も痛くて仕方が無かった。苦しかった。先生に訴えても蔑ろにされて、家族はバラバラで俺のことで心配なんてかけたくなかった。
自分は平気だ、そんな顔を貼り付けて何とか家では笑っていた。学校でもいつかは治まると思ってあまり反応しないようにして、虚勢を張っていつか平穏が戻ることを祈って日々ただ過ごしていただけなのに。
友だちだったはずの三木くんは、本当は俺が鬱陶しくて憎くて、目の前の羽佐間くんは俺へのいじめをけしかけてきた張本人に気に入られたくて、俺の家庭の話を大きな声で言ってしまうような、子だった。いつかは戻れると希望を抱いて今までのいじめも耐えてきた。
だけど、信頼したかった人……俺が、勝手にそう思っただけなんだけれど……『三木くんに裏切られた』そう思ってしまった。支えが崩れ去ってしまった今、涙を止める術は無くて、ぐずぐずと涙と鼻水を垂らしながら机に突っ伏した。
「大丈夫?」
優しい声とともに、頭を柔く撫でられる感覚。心底心配しているかのような、心底俺を労わりたいかのような態度。俺をこうさせているのは、誰でもない羽佐間くんだ。
俺を直接手を下さず、でも主犯であることを俺は知っているし彼も自覚してる。……お前が、いじめているくせに。俺が殴られたり蹴られたり水かけられているところを見ながら楽しそうに、お前だって笑っていたじゃないか!!
「なんでっ!」
目の前の彼が今まで俺にしてきたことが鮮明に思い出し、激高のままに俺の頭を撫でるその手を振り払いながら立ち上がった。今だけは恐怖も忘れて、また彼を睨みつける。……でも、その威勢のよさは持たなかった。彼と目が合って息が詰まって、彼の視線から逃れるように後ずさったから。ガタっと目の彼も立ち上がる。
そして俺へ歩み寄ってくる、その分彼から距離をとりたくて後ずさる。
「こ、ないでっ」
ゆったりとしたペースで近付いてくるのが、怖くてたまらない。でも羽佐間くんは近づいてくる。
「今は傷つけたりなんてしないよ?」
怯える俺に子どもに言い聞かせるような少し困ったようなでも優しさを含めた声でそう言う。その穏やかな物言いが恐ろしい。それに彼は立ち止まらない。傷つけたりしないと発言したけれど、それが本当なのか分からないし傷つけなくても何をされるか分からない。
分からない、こんなにも分からないことが恐ろしい。お腹がキリキリと痛む、自分の頬に涙ではない冷たい汗が伝う。
このまま、振り返って走ってすぐに教室を出よう……!
本能が逃げろと叫ぶがままにその通りにしようと、勢いよく彼から目を逸らし身体を扉の方へ向けて、そのまま教室から出ようと床を蹴った瞬間。耳元から声が聞こえた。
「もう逃がすわけないじゃん」
「!?っや、はなっせ!!はなしてよ!!」
いつの間にか羽佐間くんは距離を詰めていて、俺の腕を掴んでいた。少し不貞腐れたような声と、腕に込められた力が強くてテンパってその腕を振りほどこうとするが、離れない。
俺の抵抗を物ともせずに腕を引っ張られた。いきなり引っ張られて踏ん張ることもできず、身体が傾いた。このまままたこの間のように床に転ばされる、自分の身体が叩きつけられることを予想して身構えた。だけど、そんなことにはならなくて。
引っ張ったあとすぐ俺の腕を掴んでいた手は俺の腰あたりへ。もう片方の手は俺の肩へ。後ろから羽佐間くんに抱きしめられる形になっていた。
彼はこの状況を望んでいたかのようにクスクスと俺の耳元で笑った後、俺の肩口にその顔をうずめたみたいで生暖かい呼吸がかかっているのが感覚で伝わった。
……俺はどういうことか彼に引っ張られて後ろから今抱きしめられている。本当はこのまま向かうはずだった教室の出入口を目に映しながら今の状況を把握した。把握した。
――把握した瞬間、全身に鳥肌が立った。
彼の体温が伝わってくるのが、本当に……気持ち悪かったんだ。今度こそ本気で暴れようとしたとき、彼は信じられないことを告げた。
――――
「……」
最寄り駅から自宅に帰る際には踏切を渡らないと帰れない。今日は引っかかってしまい、仕方なく電車が通り過ぎるのを待った。踏切の音がすぐ近くで鳴っているのが分かる。だけど妙に俺の耳には遠く聞こえた。感覚が鈍っているのかもしれない。
何の感情もなく電車が通り過ぎるのをただ待った。先ほどの出来事を、切り替えたくても切り替えることのできないことを、頭の中でもう何度目かになるか分からないけれど、フラッシュバックかのように何度も勝手に頭の中で再生される。
「ねぇ叶野さー。俺と付き合いなよ」
暴れよう、そう決めた俺の意志は彼の一言で削がれ、言われたことが理解できなくて目を見開いて固まった。
つき、あう?なにそれ……?
「なんで」
「ん?叶野からしてメリットしかないと思うんだけどなぁ。俺と付き合えばもういじめられたりすることはないよ。それに三木に対して良い復讐にもなるよ?ほら、お得でしかなくない?」
「そうじゃなくて!なんで……っ!」
いじめの主犯が、なんでいじめ被害者の俺に付き合えって言っているのか、それが分からなかった。羽佐間くんは俺に付き合うメリットを言ったけれど、それで言えば羽佐間くんには何のメリットはない。そもそも俺が嫌いだからいじめたんじゃないの?その発言の理由が分からなかった。
パシリ?ストレス発散?冷静に考えてみればそう言う考えが思い浮かぶけれど、今この状況の俺は冷静になることもできずただ疑問しか持てなかった。
抱きしめられる嫌悪感も忘れて困惑する。彼の顔が見えないから何を考えているか分からない。……いや、見てもきっと分からないと思う。さっき俺を見る顔を思い浮かべて自分が思ったことを否定する。理解できない。理解したくない。
さっき俺を見つめる瞳と表情は……優しく見つめる瞳と頬を染めて目を細めて穏やかに笑うその表情は……どう見たって俺に好意を持っているかのようだった。
「俺叶野のこと好きだからさ。傍にいてくれるだけでいいんだよ」
そう耳元で羽佐間くんに囁かれて俺の予想が当たってしまった。予想していた、だけど俺はそれを否定したくて目を背けた。なのに羽佐間くんはそう言う。
「嘘だっ!!」
羽佐間くんは俺のことを『好き』と言った。『そう言われた』と言うことを脳が正しく理解した。だけどその意味は『正しく』受け入れがたいものだ、だから彼は俺に好意あることを分かってしまっていても反射的にそう叫んで彼の腕を振りほどいて彼と向き直る。
羽佐間くんの言ったことだけを受け入れるのなら確かに『告白』以外何者でもないだろう。でも、どうしても俺へのしたことは『好意』があるとは思えなかった。
「どうせ、罰ゲームとかなんでしょ?!」
「ちがうよー」
「い、意味わかんない、それだったら……どうして……!」
俺のことを傷つけるの?この際男同士とかなんてどうだっていい、別に偏見なんて元々ないよ。でも……。どう見てもどう考えても羽佐間くんが俺にしたことは『好きな人』に向けているものだと思えなかった。
確かに彼のことを睨みつけたときや俺が地べたに這いつくばっていたとき、とても楽しそうに笑っていた。愛おし気に見えなくもなかった。だけど、さ……。
俺が羽佐間くんにされてきたことは、『いじめ』以外の何物でもない、よね?足引っ掻けられてこけさせられて前髪を思いっきり引っ張られて、俺を殴ったり蹴ったりするようにけしかけていたのは……彼だ。普段の暴力は他の人から受けているけれど彼の指示がほとんどの原因だ。
そのときも笑っていたのは見ていたから知ってる。加虐心から来る笑いかと思ってた。でも、いっそそっちの方が良かった。
「羽佐間くん、きみおかしいよ……」
なんだよ、好き、て。好きな人には笑ってほしいものでしょ?幸せになって、ほしいものじゃないの?おかしいよっ、今まで散々いじめて来て、今日だって俺のことを話したのは三木くんだけど、そう話すように仕向けたのも目の前の羽佐間くんだ。だって、三木くんが自分のことをどう思っているかも知っていた。
自分のことを知っていてかつ自分が周りに及ぼす影響も熟知している。そんな彼が三木くんがどんな行動するかとか予測済みだったって考えてもおかしくないだろう。俺がどんな仕打ちを受けるかも分かっていたはず、だ。それなのにっ、なんでっ!目で訴えていると羽佐間くんは俺がなんて思っているのか察しているかのように話し始めた。楽しそうに。
「叶野のことは最初は別に好きじゃなかったよ。ただのクラスメイトだと思ってた。でも、叶野からあの三木?って言うヤツが離れて何かいじめやすそうだなーって思ったからさ。まぁ暇つぶしだったんだよ」
「……ひまつぶし?」
「そう、暇つぶし。俺からするとね。周りの奴らからすれば良い感じのストレス発散だったかもね。ほら進学校だし、みんなストレス発散溜まっていたんだろうね。俺はただきっかけを作ったに過ぎないよ」
俺が苦しくて哀しい思いをしたいじめは彼からすればただの暇つぶしだった。そしてストレス発散の道具……サンドバックにされていた、んだ。突き付けられる言葉に傷つく。だけど、傷ついてばかりではいられない。羽佐間くんの話は、まだ終わってない。
「ま、いつも通り飽きたら辞めるつもりだったんだけどさ。でも……叶野の目見ちゃったらその気が失せちゃったんだ。だって、叶野は全然俺の思い通りにならないんだもん」
「……?」
言われたことが分からなくて首を傾げた。思い通り、になったじゃないか。彼の思い通り俺は良い暇つぶしになったのだから。話し方としては辞めるつもりだったらしいけれど……俺の行動が彼の中で何か引っかかったみたいだ。俺は彼になにをしたんだろう?
「俺のこと睨んだでしょ?媚びを売るようなものでもなく、屈したくないって言わんばかりに」
それは……当たり前、じゃないの?だって理不尽な目に合わせてくる彼が目の前にいるのなら、暴力などする勇気はなくっても睨みつけるぐらいは……する、よね?
「あは、きょとんとしてる。可愛いな~。叶野にとって普通のことなのかもしれないけれど、俺からすると新鮮だった。だってみんな俺に気に入られようとする奴ばっかりだったからさ。三木も含めてね。媚び売ってくるかのような瞳ばっかり。いじめている奴も俺が近寄ると期待した目で見てくる。ま、叶野は三木と違って最初からあんまり俺に興味なさそうだったもんね。ただのクラスメイトぐらいにしか思っていなかったでしょ?」
「……」
確かに、羽佐間くんのことは入学したときの紹介で名前は知っていたし、整った顔立ちをしてるなぁと感心したから顔も覚えていた。だけど入学してすぐ羽佐間くんの周りには人が男女問わず沢山いて囲まれていた。これだけ顔が良くて取っ付きやすい雰囲気しているのなら納得だなぁ、そう思っただけだった。
畑違いと言うか……、まぁ進んで話しかけることはしかなった。挨拶するぐらいはしていたけれど……羽佐間くんの言う通り本当にただのクラスメイトとしか思ってなかった。
「叶野の普通は俺にとっては新鮮だった。俺のことをただの『普クラスメイト』としか認識していない叶野をいじめたらどんな顔するかなぁぐらいにしか思っていなかったけどさ。苦しそうで泣きそうなのに泣くのを我慢したり、もう学校とか嫌なはずなのに毎日登校したりさ?
俺のこと震えてしまうぐらい涙目になっちゃうぐらい怖いくせに睨みつけるのを辞めないのところとか、本当可愛いよ。叶野」
「……、」
赤に染まった頬。
緩やかに歪んだ口元。
優しさを感じさせる瞳。
彼の浮かべている表情すべてが俺へ好意を伝えている。良く伝わる。本当に、目の前の彼は俺のことが好きなのだとよく分かった。
……好きだと自覚しているうえで彼は俺をいじめていたんだ。
「自分でも狂っているって思ってるよ。歪んでいるよね。知ってるよ。でも好きな人の表情すべて見たいなって思うのも普通のことだよね?友だちに向ける笑顔も、殴られて苦しい顔するのも裏切られて絶望的な顔になるのも、全てをあきらめた表情だって全部、ぜんぶさ、見たくならない?俺は見たい。俺はその欲求に素直なだけなんだよ」
羽佐間くんが何か話している。話す度に俺には到底理解できないことばかり告げてくる。理解できないし……理解したくもない。
――――
「でもそろそろ俺だけに向ける笑顔が欲しいなーって思ってさぁ」
「……なに、いってるの?」
「端的に言えば俺のこと好きになってほしいなってさ」
……有り得ない。散々人をいじめ尽くしていたくせして、散々苦しめておいて……!今さらになって好きになってほしい?なにいってるんだよ!!身勝手な言い分にカッとなって怒鳴ろうとした。
「怒鳴ったって誰も叶野の味方しないよ?分かってるでしょ?」
「っ……」
変わらず笑みを浮かべながら残酷なことを突きたてられた。俺には、この学校に味方なんていない。冷たいクラスメイトと先生の視線を思い出してしまった。冷めきってこちらに関心なんてないと言わんばかりの視線。早く許せと囃し立てる声。思い出してしまい、怒鳴ろうとしたのを忘れて口元を抑えて俯く。
「うん。悲しいね。可哀想にね、叶野」
「そう、させたのは……!」
「俺だねぇ。確かに俺の差し金だよ。でもねぇ今回はさすがに可哀想だと本当に思ってるよ?信じていた友だちに自分の家庭のこと話されちゃったんだもん。あんなに大声で。俺に気に入られよう、それだけの理由でさ」
「っ」
羽佐間くんは俺の傷をひっかきまわすようなことをまた告げる。まだ自分でも処理できていない柔いところを突いてくる、その傷の痛みに俺は何も言えなくなる。黙りこくる俺に羽佐間くんが囁く。
「だからさぁ、叶野も俺のこと利用すればいいよ。俺が一言いえば全員言うこと聞くんだからさ、殴った奴らに土下座しろとでも三木をいじめろとでもなんでも。俺と付き合ってくれれば叶野はなんだって手に入るんだよ?叶野からしてもメリットしかなくない?」
「……なんで、そんなに俺に執着するの?」
ひたすら付き合うことを勧める羽佐間くんについそんなことを聞いてしまう。分かっていても、やっぱり信じられなかった。
「さっきから言ってるじゃん?俺叶野のこと好きだからってさ」
……いっそ『嫌いだから』と言ってくれたらよかったのに。ショックだけど一応いじめる気持ちを理解は出来るから。まさか真逆の感情でいじめてくるなんて、考えられなかった。
「一応言っておくけど断ればもっと叶野は地獄だよ?もっと過激になるかも?」
「……おどしだよね、それ」
「そんぐらい俺も必死だってことだよ」
駄目押しとばかりに断った場合のデメリットを告げておくことで俺の逃げ道を塞がれる。必死、とは言うけれど声のトーンも表情も変わらずにいるのを見ると余裕にしか見えないけれど。確かに、付き合うメリットがあって付き合わないデメリットがあるのなら、付き合うと選択するのがきっと賢いと思う。付き合えば、俺はいじめられることなく平穏に学校生活を過ごせる。
……でも……好きでもない、憎しみさえ感じている相手と、付き合うことになったとき。俺はどうなるのか想像もできなかった。
「まぁ、さすがに叶野にも考える時間が必要だと思うし明日まで待ってあげるよ。……でも断ったらどうなるか、考えておいてね。賢い叶野ならきっと正しい選択が出来ると思うよ」
優しい笑顔で『待ってあげる』と言った直後『断ったら』といった直後、真顔で俺を見つめてきたのが恐ろしかった。
「じゃあ、また明日ね」
青ざめた俺を抱きしめてすぐに離れて笑顔で手を振って教室を出ていく羽佐間くんの背中を見送った。視界からいなくなったのを確認して、その場にへたり込んだ。足が震えて力が入らなくなった。
足に力が入るようになって漸く帰路に着く。踏切の音さえ聞こえないほど集中して考える。何度も何度もフラッシュバックしてはどうするか考えに考えた。付き合わない、という選択肢はあってないようなものだ。好きでもない人と付き合うなんて、とは思う。だけど、今でさえ辛い学校生活をさらに劣悪な環境にしたいなんて思えないから。断れば『好き』に『憎しみ』が合わさってどんな目にあわされるか分からない。
それなら俺が自分のことを好きじゃないのを承知の上でそれでも付き合うことを選択すれば、俺が望めば復讐だって出来る。一番憤りを感じている羽佐間くんに何も出来ないことを除けば俺は平穏に過ごせる。だけど……、
(……その立場も、羽佐間くんに飽きられたら終わりだろう)
彼は俺が他の人とは違う、彼に対しても『普通』に接することが気に入っただけなのだ。きっと俺が他の人と同じように彼に対して媚びを売るようなことをすれば飽きてしまうかもしれない。好きではない彼と付き合うのも、その好きではないはずの彼の機嫌を損ねないような言動と行動をする努力をしないといけなくなるこれからの生活を想像するだけで気が狂いそうになる。
八方ふさがり、だ。付き合わないと選択しても、付き合うと選択しても、どちらにしても苦しくなるのが目に見えている。どちらが正しい選択なのか分からない。
そもそも、もう俺の家庭環境はクラスのみんな知っている。友だちだと思っていた三木くんは、羽佐間くんをとった。
たとえ彼と付き合っても、俺にとって最早学校はクラスメイトは先生は、恐怖でしかない。心の平穏や安寧はあの学校にいる限り訪れることはない。
(……どうすれば、いいんだろう)
俺は。ただ、自分なりに本気で勉強して、自分の納得のいく結果を出して。普通に友だちと笑って遊んで、普通に両親と弟で暮らしたいだけなのに。それだけ、なのに。今の俺は……何も叶えていない。自分の望んだことすべてが、踏みつぶされている。もうやだ、なんでおればっかり。おればっかりがまんしなきゃいけなんだ。もういやだ、もうやだ。つらい悲しいくるしい。もう、つかれたよ。
そう心から思った瞬間、ぷつりと糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちて蹲った。
周りから見れば突然蹲ってしまった俺を見て体調を崩したかのように見えたと思う、心配して声をかけてくれる声が聞こえたけれど、俺の耳にはどこか遠くに聞こえた。
悩むのに疲れた、いじめに耐えるのも疲れた、なんでもない顔するのも疲れた。すべてがいやだ。つかれた。つらい。かなしい、もうやだ。涙が零れた。涙を流してしまう自分が情けなくて悔しくて。
でもそれ以上に。
(だれか、たすけて)
そう強く願った。
「希望、希望だよな!?おい、大丈夫か?!」
そう強く願ったとほぼ同時に俺の肩を力強く掴んで大きいけど心配そうな声が俺の名前を呼んだ。一瞬誰の声か分からなくて、ビクリと身体が震えた。だけど、恐る恐る顔を上げればそこにいたのは、心底心配そうに眉を寄せているその顔は見覚えしかなかった。
「せいいち、ろう?」
そこにいたのは、その顔は間違いなく、俺の親友。しゃがんで俺のことを窺っている。……前も。木下くんに晒されたときも心配そうな顔をしてくれた、なぁ。俺のことを庇ってくれたことをふと思い出して懐かしく思うと同時に泣きたくなった。
「ああ、俺だ。大丈夫か?気持ち悪くなったのか?立てるか?」
うん。大丈夫だよ。いつもならそう笑って言えていたのに。少しぐらい具合が悪くても何かあっても、何でもない顔をすることも出来るのに。取り繕って「なんでもないよ」と言って立ち上がって一緒に帰ることもできたのに。今は。いまは。
――いまだけは、もうむりだ。
「のぞみ?」
「……せいいちろう」
俯いたまま目の前の誠一郎の腕を掴んた。突然動いた俺に戸惑うように俺を呼ぶけれど、それに応えず俺から誠一郎の名前を呼んだ。
掠れて小さくなった声、でもきっと誠一郎にはきっと聞こえてる。俺のことを助けてくれた誠一郎なら、きっと大丈夫。自分に言い聞かせて前よりももっと逞しくなったその腕に縋るように力いっぱい握りしめる。
「たすけて」
泣きながらそう言えた。ようやく、信頼できる相手に助けを求めることができた。
――――
あの後、俺は夏休みにも集まった公園に誠一郎に連れられた。誰もいない公園のベンチに並んで座って真面目で堅い声で「なにかあったのか?」と聞いてくれた。いつの間にか買っていたのか水の入ったペットボトルを手渡されていた、それをぎゅっと握りしめて涙が溢れそうになりながらも、自分に起こったことすべてを伝えた。
家族みんなで集まることがなくなってしまったこと、テストを終えてからいじめが始まったこと。今日友だちと思っていた子に自分の家のことを話された上、嫌われていたことを知ってしまったこと。そして……ついさっき、いじめの首謀者に告白されたこと。
「いじめを辞めさせてあげるから、付き合えって」
「……」
「もう、どうしたらいいか分からないんだ。付き合わないともっと酷いいじめを受けるかもしれない。だけど、好きじゃないのに付き合いたくないんだよ……。どうして、好きなひとをいじめることができるのかおれ、分からないよ。飽きられたらどんなふうに捨てられるのかもわからないし……」
誠一郎は何も言わずにただ俺の話を聞いてくれた。誰かにこんなに事細かに話すのは初めてだ。……家族みんなでもう会えていないことも、三木くんにも言っていなかったから。初めて無視されたその日に起こったことだったから。
先生にもいじめのことを伝えたときもこんなに言わなかった、だって面倒くさそうにしていて真剣に聞いてくれそうになかったから。
家族にも、言えなかった。心配かけさせたくなかった。前にも木下くんとのことがあって後ろめたかった。それに今父さんも母さんも勇気も忙しいのに相談なんてできなくて。俺のことで時間をかけてほしくなかった。
三木くんも、今日嫌いだって言われたばかりだしね。だから、こうして俺の話を聞いてくれる誠一郎がありがたくてうれしくて、ぽろぽろと零れてしまう。今まで留めていたものですらもするりと声にしていた。
「っおれ、なにかわるいことしたかなぁ……!」
ついに吐き出してしまった。一回吐き出してしまった弱音はもう戻ることはなく、そのせいで勢いづいてずっと我慢していたことが勝手に口から零れ落ちてしまう。
「ただ、おれは……家族みんなでいたくて、まじめに勉強して全力でテストに挑んだだけなのに」
――ただ笑ってほしかった。笑い合ってほしかった、父さんにも母さんにも勇気にも。そして俺もその環境下で笑いたかった。今までのような作り笑顔じゃなくて、心から。ただ俺は自分なりにがんばって勉強していたかっただけなのに、誰に言われるでもなく誰かと競うのでもなくただ自分のためにやっていたかっただけなのに。
「一番になりたいとかじゃない、だれかの上に立ちたいとかじゃなくて、ただ、普通に学校で生活したいだけなのに、」
ただ、友だちとなんでもないことを笑い合えるそんな日常を望んでいただけなのに。それだけ、なのに!
「なんで、おれの望んだものがなにもないの……」
ポロリと出てきた言葉。これ以上はだめ。俺の環境は他の人から見れば不幸とは言えないのに。自分が誰よりも不幸ではないのに。わかってる、俺は飢えにもお金にも困ったことがないし親から虐待を受けている訳でもない。こうして、だれか一人でも俺の話を聞いてくれる誠一郎がいてくれるだけでも俺は恵まれている。わかってる、わかっている。頭では分かっているけれど、言葉は勝手に出てきてしまう。
「なんで俺ばっかり我慢して耐えて、哀しくて苦しい思いをしないといけないのっ、どうして、おれにはほしいものはなにももっていないの、なんでおれはいじめられてるの!」
なんて醜態。なんて醜いわがまま。きっと訳もなくいじめられている人は俺以外にもたくさんいて、俺は望まない選択さえすれば明日からいじめられなくて済むこともできるから不幸ではないのに。でももう止まらない。ああ誠一郎困っているだろうな、でも誠一郎の顔を見る勇気はない。
「ただあのひとにはふつうに接していただけだ!なんで気に入るのかわかんないよ!!普通の扱いに喜んでそれだけで俺のこと好きになるとかゆがんでるよ、どんだけ今まで特別扱い受けてきたんだよ!!顔がちょっと良いぐらいしか良いところないそんな人と付き合いたくなんてない!というかなんでみんなあいつのこと好きになるのかわかんねえよ!!」
「っ落ち着け、というかお前のそんな言葉遣い初めて聞いたぞ」
悲しみを通り越して怒りすら芽生えてくる。今まで吐き出せていなかった分がここぞとばかりに吐き出せるものだから言葉遣いも荒くなっていくのを誠一郎に宥められる。背中をさすられて落ち着きを取り戻すと同時に、涙が次から次へと溢れて止まらなくなった。
「……もういやだよ。誠一郎」
「のぞみ……」
「……」
『たすけて』またそう言いそうになって、口をくっと噤んだ。だって、言ってもどうにもならない。
明日、俺は『付き合う』と彼に答えるんだ。そうすれば、丸く収まる。俺さえ我慢して彼のご機嫌を窺えばいい。いつか捨てられることに怯えながら過ごすんだ。それで……たまにこうして誠一郎といられれば、おれは壊れずにいられる……とおもう。
久しぶりに吐き出したおかげか気分は悪くない。……問題は、そのままだけど。随分長く話し込んでいたみたいで辺りはすっかり暗くなっていた。……そろそろ、帰らなきゃ。
誠一郎を付き合わせちゃったし、きっと夕ご飯も出来上がっているころだろう。俺も父さんが帰ってくる前にご飯作らないと。
――帰ろっか。
黙りこくってしまった誠一郎に笑顔を作ってそう言おうとした。
「のぞみ、もう学校行くな」
「……え?」
ずっと静かだった誠一郎が言った。言われたことが一瞬分からなくて間抜けな声が出てしまったけどそれを気にする余裕は無かった。理解できずに俺の手を掴んで俺と目を合わてくる。その眼差しは真剣そのものだった。
「もう頑張らなくて、いい。お前は充分頑張った。……希望はずっと辛かったのに、気付けなくてごめん」
泣きそうな顔でそう言ってくれた。まだ大丈夫だよ、俺が言わなかっただけだから誠一郎が謝ることないよ、そう言う言葉がすぐに浮かんだ。だけど言えなかった。
「っ……ふ、っ!」
誰にも言われなかった。だけど、誰かに言ってほしかった言葉だったから。
頑張っていたことを認めてくれた。そのうえでもういいんだって許してくれた。おれは、だれかにそう言ってくれることを望んでいたんだ。自分では気づけなかったけれど言われて初めて気づいた。そう言ってほしかったんだって。涙が零れて止まらず、目の前の誠一郎に抱き着いてわんわん泣いた。そんな俺を受け止めてくれた。
「ふ、うぅ、あ、ぅああああ!!せいいちろう、誠一郎っ」
「うん」
「……たす、けてっ、たすけて、くれ!」
「わかった」
振り絞った言葉を捨てずに受け止めてくれた誠一郎。俺は、その日から誠一郎に対して綺麗な『友情』だけではなく『執着』を持つようになった。
俺にとって三木くんはこの学校で一番の友人だと思っていた。だけど。俺は三木くんにとって迷惑な存在だったことを知って、自覚してしまって、ショックだった。なにか教室が騒がしくなったような気もするけれど気のせいかもしれない。その日のことを俺は良く覚えてない。
どんな授業を受けていたのかどうかもそれ以外にどんなことを言われていたのか、どんないじめを受けていたのかも何もかも。
漫画や小説みたいなことを言うと、気が付けば放課後の……日が沈みかけている教室のなか自分の席の近くで立ちすくんで自分の机の落書きを見つめていた。『死ね』『キモイ』『学校くんな』『雑菌』、そんな風に油性マジックで書かれている俺の机をどこか他人事のように見つめたあと、椅子に座って机に突っ伏した。
下を向けば自分の制服には足跡が残っていてその近くの自分の肌が痛んだから、多分蹴られたんだと思う。自分のことなのに他人事のようにそう思った。
(三木、くん)
目を閉じれば彼の朗らかな笑顔が浮かんだ。楽しそうだった、笑い合ってた、はずだ。だけど、それはきっと俺だけが感じていたことだったんだろうな。
(……ごめんね)
心のなかで謝罪する。きっと、酷く迷惑だっただろうな。重い話をしてそのうえ無邪気に話しかけていたんだ。相手が俺をどう思っているのか考えもせずに。
俺、嬉しかったんだ。誠一郎以外で信頼できる人が出来たことが。心の底から『友だち』と言えるような存在が、また一人出来たんだって、うれしかった。でもそう信用した相手も、俺と同じように思っているとは限らないんだ。分かっていたはずなのに。
世界は俺だけのためのものではない。俺が他人を快く思うのと不快に思うのと同じように他の皆だって好きになったり嫌いになったりする、選択する。
俺は三木くんに『嫌い』と選択された。人はみんな選択する側でありながら選択される側であると、知っているはずなのに。わかっていなかったんだ。
「……三木くん」
俺は三木くんを『好き』と選択した。それが同じように返されなかった。彼は俺と真逆の選択をした、それだけのことだ。でも、可能であれば。俺と同じ選択をしてほしかった。……こんなこと言ったら、きっとまた重いと言われてしまうんだろうな。俺って、重い人間なんだなぁ……。内心そう自嘲気味に呟いた。
その瞬間俺以外誰もいない、静かな教室に扉が開いた音が後ろから聞こえた。帰宅部は既に家についているだろう、部活のある子だってまだ終わりではないそんな時間に一体誰が入ってきたんだろうか。一瞬疑問に覚えたけれどすぐにどうでもいいかと思い直した。俺はクラスのいじめられっ子だ。
俺をいじめている子たちはいつもにぎやかで、こうして静かに教室に入ってこないからきっと彼らとは違うだろう。かと言ってただのクラスメイトが好き好んで話しかけられることもないだろうし、もしも彼らのうちの誰かだとしても一人ならそこまで害でもないだろう。精々貶してくるか軽く蹴ったり殴ったりするぐらいだろう。そう諦観する。
……俺の願望としては、三木くんが俺のこと気にかけて戻ってきて俺に……『仲直りしたい』そう言ってくれるそんな展開を一番望んでいる。でも、そんな都合の良い話はドラマや本ぐらいなもので。
「寝てんのー叶野?」
俺の目の前から声が聞こえて、その声の主を頭で理解する前に反射的に体が震えてしまう。低いけれど優しくてその通る声。ぶわっと背中から冷たい汗が流れてくるのが分かる。
このまま寝たふりをしたかったけど、声をかけられてあからさまに身体を震わせてしまって俺が起きているのを知られているし、目の前に立っている人物が帰る気配がないのが分かってのそのそと顔を上げた。出来ることなら、一番一対一では会いたくなかった人物だ。
顔を上げれば、俺を見下ろしている視線と交わる。
「あ、おはよー」
「……」
目の前の人物……羽佐間くんは俺と目が合うとニコっと笑いかけてそのまま前の席に座った。ニコニコと笑みを浮かべて俺を見つめている羽佐間くんが……怖かった。本当は震えそう……というかもうすでに震えている。足なんて今立ち上がれば数秒も持たないと思うぐらいだ。それでも羽佐間くんと目をそらさない。怖くても、逃げては駄目だと本能で感じた。
(目を合わせないとこいつは俺に何をするか分からない、絶対に隙を見せるな)
そんな、防衛本能が働いた。
何の理由はないけれど、それでもその本能に従ってどんなに怖くとも目をそらさなかった。涙目で無様だろうと何だろうと。
「……あはは!やっぱり、その目いいなぁ」
「……!」
うっとりとした顔で甘い声でそう言いながら俺へ手を伸ばす、それにまた殴られるのかと体が怯える。一瞬恐怖で目を閉じたけどすぐに開けて強がって睨みつけた。
ギッと彼を睨みつけながら次に来るであろう衝撃に身構えた。
「怖いくせに睨みつけてくるとかーあーかわいいー」
「……っ?」
思った衝撃は訪れることはなく、その真逆の優しい手つきで俺の頬を撫でられて混乱する。そしてやっぱり怖かった。だって。
「あー今まで他の奴らにいじめるように仕向けてきたヤツがいきなりそんな風に撫でられるとは思えなくて混乱しているのと……俺がなにを考えているのか分からない恐怖、かな?そんな感じのこと思ってる目をしてるけど、あってたりする?」
「……」
俺が自分の恐怖の理由を突き止める前に、羽佐間くんに言い当てられた。言いようのない嫌悪感が芽生える。
……俺はこんなことを誰かに本気で言ったこともなければ本気で思ったこともない、どんなに仲良くなれない人でもそんなこと思わないし、仲の良い人にはその場の言葉の綾で言ってしまうことはあってもそれは本気で思っていて言っているものではない。だけど、どうしても。羽佐間くんのその穏やかな笑顔や俺の頬を柔らかく撫でる大きな手や、愛おし気に俺を見ているその瞳に優しく語り掛ける声のすべてが……直球に言うと、気持ちが悪かった。
羽佐間くんの仕草全てが、違和感しかない。怪訝に思っているのはきっと今顔に出ているだろう。そこで失礼だとか言われてキレられるほうが断然良かった。俺の顔を見て心底嬉しそうに笑っている彼を見たら……。
「うん、その俺の本質を見抜いている感じ、いいねぇ。大体の奴はさ、俺に気に入られたくて俺の思うがままに従うんだよね。ほらちょっと俺顔が良いみたいだし?」
首を傾げて見せる羽佐間くん。確かに、羽佐間くんは人の目を惹く容姿をしている。だからああやって……自分からそこまで手を下さなくても、羽佐間くんの敵は自分の敵であると排除徹底的に攻撃するべきだと、それが『正義』なのだと認識するのかもしれない。
羽佐間くんがそうしたいのならそれに従うべきであり反抗するのはとんでもない、そう思ってしまうのかもしれない。でも、今俺が羽佐間くんに想う感情は『恐怖』『混乱』『嫌悪』それだけ、だ。そんなに端正な顔立ちをしていても、それだけで絆されるほどではない。俺の思っていることはお見通しだと言わんばかりに笑みを深める。
「皆が皆叶野みたいなら少しは叶野への態度もましだったのかもね。残念だけど、それは担任含めてかなーり少人数みたいだ」
「……」
「クラスメイトも自分に害がなければそれでいい、もしくは俺に気に入られたいから叶野をいじめよう、のどっちかだけで叶野を守りたいって言う奴はだーれもいないんだよね。……あーえっと……なんだっけ?あいつ?名前がさ行の……?」
暴力に飽きた羽佐間くんの精神的暴力を振るおうとでもしているのだろうか。
俺の心をえぐるためのだけ言葉を重ねているだけなのか。……この、違和感はなんだろう。彼の態度は大凡いじめている人への態度ではないんだ。でも、行動はいじめ加害者そのものだ。なんだ?なにかがおかしい。
「……あっ思い出した!さ行じゃなかったわ!」
違和感の正体を探ろうと考えようとするのを妨げるかのような大きな声に驚いて目の前の彼と目を合わせる。目が合うとニコっと微笑みかけられた。嬉しそうに笑いながら残酷なことを告げる。
「ほら、最初のとき叶野と仲の良くしてたはずの三木だよ」
「……え?」
――――
「俺がさ~ちょっとした好奇心で『叶野の弱味とか知ってたりする?』って聞いてみたらさ、嬉しそうに教えてくれたよー?俺が話しかけたときすごーく嬉しそうに笑ってくれたし。あまりに大きな声で楽しそうにお話ししてくれるものだから、正直ちょっと俺引いちゃった~。クラスメイトもそうだったんじゃないかなー」
「……みき、くんが?」
あんなに笑い合っていた、三木くんが?どうして。俺が、彼にいじめられていること知っていたのに。
なんで。俺のこと、売るようなことをしたの?頭がぐるぐるする。疑いたくない。疑いたくなかったから、俺がいじめられているとき三木くんらしき笑い声が響いたとき、きっと違うんだって言い聞かせてた。
今は、ただ俺がいじめられているから。だから、三木くんは話しかけられない、だけだって。そう、思おうとした。
「どうも彼さ、叶野の点数が自分より良かったのが羨ましかったみたいでさ~。多分仲良くしていたときもきみのこと見下してたんじゃない?だから憎くなっちゃんだと思うよ?あと俺に気に入られようとしている雰囲気したかなあ」
「そんなこと…………」
「ない、て言い切れるの?今まで叶野がされてきたこと楽しそうに見ていたの知らないことはないだろ?」
「っ……」
否定したかったことを目の前の彼に突き付けられる。そう。俺は、ずっと本当は分かってた。俺がクラスから無視されたときも、体操着を隠されて探し回っていたときも……先生からもクラスメイトからも見放されたときも。三木くんは……楽しそうだったこと。
今日の朝だって羽佐間くんに頬を染めて一生懸命話していたのも、しっかり見えていた。本当は見えていた。ぜんぶ、ぜんぶ。だけどきっと気のせいだと考えすぎだと自分に言い聞かせてた。だってそうじゃないと。
「う……っ!」
涙が零れてしまいそうだったから。いつだって、泣きたくて仕方が無かった。無視されるのも体操着や上履きを隠されるのだって、ノートを切り刻まれたり机の中にゴミをいれられたり、バケツに顔を突っ込まれたり水をかけられたり……殴られたり蹴られたりするのは。
痛くて悲しかった。身体も、心も痛くて仕方が無かった。苦しかった。先生に訴えても蔑ろにされて、家族はバラバラで俺のことで心配なんてかけたくなかった。
自分は平気だ、そんな顔を貼り付けて何とか家では笑っていた。学校でもいつかは治まると思ってあまり反応しないようにして、虚勢を張っていつか平穏が戻ることを祈って日々ただ過ごしていただけなのに。
友だちだったはずの三木くんは、本当は俺が鬱陶しくて憎くて、目の前の羽佐間くんは俺へのいじめをけしかけてきた張本人に気に入られたくて、俺の家庭の話を大きな声で言ってしまうような、子だった。いつかは戻れると希望を抱いて今までのいじめも耐えてきた。
だけど、信頼したかった人……俺が、勝手にそう思っただけなんだけれど……『三木くんに裏切られた』そう思ってしまった。支えが崩れ去ってしまった今、涙を止める術は無くて、ぐずぐずと涙と鼻水を垂らしながら机に突っ伏した。
「大丈夫?」
優しい声とともに、頭を柔く撫でられる感覚。心底心配しているかのような、心底俺を労わりたいかのような態度。俺をこうさせているのは、誰でもない羽佐間くんだ。
俺を直接手を下さず、でも主犯であることを俺は知っているし彼も自覚してる。……お前が、いじめているくせに。俺が殴られたり蹴られたり水かけられているところを見ながら楽しそうに、お前だって笑っていたじゃないか!!
「なんでっ!」
目の前の彼が今まで俺にしてきたことが鮮明に思い出し、激高のままに俺の頭を撫でるその手を振り払いながら立ち上がった。今だけは恐怖も忘れて、また彼を睨みつける。……でも、その威勢のよさは持たなかった。彼と目が合って息が詰まって、彼の視線から逃れるように後ずさったから。ガタっと目の彼も立ち上がる。
そして俺へ歩み寄ってくる、その分彼から距離をとりたくて後ずさる。
「こ、ないでっ」
ゆったりとしたペースで近付いてくるのが、怖くてたまらない。でも羽佐間くんは近づいてくる。
「今は傷つけたりなんてしないよ?」
怯える俺に子どもに言い聞かせるような少し困ったようなでも優しさを含めた声でそう言う。その穏やかな物言いが恐ろしい。それに彼は立ち止まらない。傷つけたりしないと発言したけれど、それが本当なのか分からないし傷つけなくても何をされるか分からない。
分からない、こんなにも分からないことが恐ろしい。お腹がキリキリと痛む、自分の頬に涙ではない冷たい汗が伝う。
このまま、振り返って走ってすぐに教室を出よう……!
本能が逃げろと叫ぶがままにその通りにしようと、勢いよく彼から目を逸らし身体を扉の方へ向けて、そのまま教室から出ようと床を蹴った瞬間。耳元から声が聞こえた。
「もう逃がすわけないじゃん」
「!?っや、はなっせ!!はなしてよ!!」
いつの間にか羽佐間くんは距離を詰めていて、俺の腕を掴んでいた。少し不貞腐れたような声と、腕に込められた力が強くてテンパってその腕を振りほどこうとするが、離れない。
俺の抵抗を物ともせずに腕を引っ張られた。いきなり引っ張られて踏ん張ることもできず、身体が傾いた。このまままたこの間のように床に転ばされる、自分の身体が叩きつけられることを予想して身構えた。だけど、そんなことにはならなくて。
引っ張ったあとすぐ俺の腕を掴んでいた手は俺の腰あたりへ。もう片方の手は俺の肩へ。後ろから羽佐間くんに抱きしめられる形になっていた。
彼はこの状況を望んでいたかのようにクスクスと俺の耳元で笑った後、俺の肩口にその顔をうずめたみたいで生暖かい呼吸がかかっているのが感覚で伝わった。
……俺はどういうことか彼に引っ張られて後ろから今抱きしめられている。本当はこのまま向かうはずだった教室の出入口を目に映しながら今の状況を把握した。把握した。
――把握した瞬間、全身に鳥肌が立った。
彼の体温が伝わってくるのが、本当に……気持ち悪かったんだ。今度こそ本気で暴れようとしたとき、彼は信じられないことを告げた。
――――
「……」
最寄り駅から自宅に帰る際には踏切を渡らないと帰れない。今日は引っかかってしまい、仕方なく電車が通り過ぎるのを待った。踏切の音がすぐ近くで鳴っているのが分かる。だけど妙に俺の耳には遠く聞こえた。感覚が鈍っているのかもしれない。
何の感情もなく電車が通り過ぎるのをただ待った。先ほどの出来事を、切り替えたくても切り替えることのできないことを、頭の中でもう何度目かになるか分からないけれど、フラッシュバックかのように何度も勝手に頭の中で再生される。
「ねぇ叶野さー。俺と付き合いなよ」
暴れよう、そう決めた俺の意志は彼の一言で削がれ、言われたことが理解できなくて目を見開いて固まった。
つき、あう?なにそれ……?
「なんで」
「ん?叶野からしてメリットしかないと思うんだけどなぁ。俺と付き合えばもういじめられたりすることはないよ。それに三木に対して良い復讐にもなるよ?ほら、お得でしかなくない?」
「そうじゃなくて!なんで……っ!」
いじめの主犯が、なんでいじめ被害者の俺に付き合えって言っているのか、それが分からなかった。羽佐間くんは俺に付き合うメリットを言ったけれど、それで言えば羽佐間くんには何のメリットはない。そもそも俺が嫌いだからいじめたんじゃないの?その発言の理由が分からなかった。
パシリ?ストレス発散?冷静に考えてみればそう言う考えが思い浮かぶけれど、今この状況の俺は冷静になることもできずただ疑問しか持てなかった。
抱きしめられる嫌悪感も忘れて困惑する。彼の顔が見えないから何を考えているか分からない。……いや、見てもきっと分からないと思う。さっき俺を見る顔を思い浮かべて自分が思ったことを否定する。理解できない。理解したくない。
さっき俺を見つめる瞳と表情は……優しく見つめる瞳と頬を染めて目を細めて穏やかに笑うその表情は……どう見たって俺に好意を持っているかのようだった。
「俺叶野のこと好きだからさ。傍にいてくれるだけでいいんだよ」
そう耳元で羽佐間くんに囁かれて俺の予想が当たってしまった。予想していた、だけど俺はそれを否定したくて目を背けた。なのに羽佐間くんはそう言う。
「嘘だっ!!」
羽佐間くんは俺のことを『好き』と言った。『そう言われた』と言うことを脳が正しく理解した。だけどその意味は『正しく』受け入れがたいものだ、だから彼は俺に好意あることを分かってしまっていても反射的にそう叫んで彼の腕を振りほどいて彼と向き直る。
羽佐間くんの言ったことだけを受け入れるのなら確かに『告白』以外何者でもないだろう。でも、どうしても俺へのしたことは『好意』があるとは思えなかった。
「どうせ、罰ゲームとかなんでしょ?!」
「ちがうよー」
「い、意味わかんない、それだったら……どうして……!」
俺のことを傷つけるの?この際男同士とかなんてどうだっていい、別に偏見なんて元々ないよ。でも……。どう見てもどう考えても羽佐間くんが俺にしたことは『好きな人』に向けているものだと思えなかった。
確かに彼のことを睨みつけたときや俺が地べたに這いつくばっていたとき、とても楽しそうに笑っていた。愛おし気に見えなくもなかった。だけど、さ……。
俺が羽佐間くんにされてきたことは、『いじめ』以外の何物でもない、よね?足引っ掻けられてこけさせられて前髪を思いっきり引っ張られて、俺を殴ったり蹴ったりするようにけしかけていたのは……彼だ。普段の暴力は他の人から受けているけれど彼の指示がほとんどの原因だ。
そのときも笑っていたのは見ていたから知ってる。加虐心から来る笑いかと思ってた。でも、いっそそっちの方が良かった。
「羽佐間くん、きみおかしいよ……」
なんだよ、好き、て。好きな人には笑ってほしいものでしょ?幸せになって、ほしいものじゃないの?おかしいよっ、今まで散々いじめて来て、今日だって俺のことを話したのは三木くんだけど、そう話すように仕向けたのも目の前の羽佐間くんだ。だって、三木くんが自分のことをどう思っているかも知っていた。
自分のことを知っていてかつ自分が周りに及ぼす影響も熟知している。そんな彼が三木くんがどんな行動するかとか予測済みだったって考えてもおかしくないだろう。俺がどんな仕打ちを受けるかも分かっていたはず、だ。それなのにっ、なんでっ!目で訴えていると羽佐間くんは俺がなんて思っているのか察しているかのように話し始めた。楽しそうに。
「叶野のことは最初は別に好きじゃなかったよ。ただのクラスメイトだと思ってた。でも、叶野からあの三木?って言うヤツが離れて何かいじめやすそうだなーって思ったからさ。まぁ暇つぶしだったんだよ」
「……ひまつぶし?」
「そう、暇つぶし。俺からするとね。周りの奴らからすれば良い感じのストレス発散だったかもね。ほら進学校だし、みんなストレス発散溜まっていたんだろうね。俺はただきっかけを作ったに過ぎないよ」
俺が苦しくて哀しい思いをしたいじめは彼からすればただの暇つぶしだった。そしてストレス発散の道具……サンドバックにされていた、んだ。突き付けられる言葉に傷つく。だけど、傷ついてばかりではいられない。羽佐間くんの話は、まだ終わってない。
「ま、いつも通り飽きたら辞めるつもりだったんだけどさ。でも……叶野の目見ちゃったらその気が失せちゃったんだ。だって、叶野は全然俺の思い通りにならないんだもん」
「……?」
言われたことが分からなくて首を傾げた。思い通り、になったじゃないか。彼の思い通り俺は良い暇つぶしになったのだから。話し方としては辞めるつもりだったらしいけれど……俺の行動が彼の中で何か引っかかったみたいだ。俺は彼になにをしたんだろう?
「俺のこと睨んだでしょ?媚びを売るようなものでもなく、屈したくないって言わんばかりに」
それは……当たり前、じゃないの?だって理不尽な目に合わせてくる彼が目の前にいるのなら、暴力などする勇気はなくっても睨みつけるぐらいは……する、よね?
「あは、きょとんとしてる。可愛いな~。叶野にとって普通のことなのかもしれないけれど、俺からすると新鮮だった。だってみんな俺に気に入られようとする奴ばっかりだったからさ。三木も含めてね。媚び売ってくるかのような瞳ばっかり。いじめている奴も俺が近寄ると期待した目で見てくる。ま、叶野は三木と違って最初からあんまり俺に興味なさそうだったもんね。ただのクラスメイトぐらいにしか思っていなかったでしょ?」
「……」
確かに、羽佐間くんのことは入学したときの紹介で名前は知っていたし、整った顔立ちをしてるなぁと感心したから顔も覚えていた。だけど入学してすぐ羽佐間くんの周りには人が男女問わず沢山いて囲まれていた。これだけ顔が良くて取っ付きやすい雰囲気しているのなら納得だなぁ、そう思っただけだった。
畑違いと言うか……、まぁ進んで話しかけることはしかなった。挨拶するぐらいはしていたけれど……羽佐間くんの言う通り本当にただのクラスメイトとしか思ってなかった。
「叶野の普通は俺にとっては新鮮だった。俺のことをただの『普クラスメイト』としか認識していない叶野をいじめたらどんな顔するかなぁぐらいにしか思っていなかったけどさ。苦しそうで泣きそうなのに泣くのを我慢したり、もう学校とか嫌なはずなのに毎日登校したりさ?
俺のこと震えてしまうぐらい涙目になっちゃうぐらい怖いくせに睨みつけるのを辞めないのところとか、本当可愛いよ。叶野」
「……、」
赤に染まった頬。
緩やかに歪んだ口元。
優しさを感じさせる瞳。
彼の浮かべている表情すべてが俺へ好意を伝えている。良く伝わる。本当に、目の前の彼は俺のことが好きなのだとよく分かった。
……好きだと自覚しているうえで彼は俺をいじめていたんだ。
「自分でも狂っているって思ってるよ。歪んでいるよね。知ってるよ。でも好きな人の表情すべて見たいなって思うのも普通のことだよね?友だちに向ける笑顔も、殴られて苦しい顔するのも裏切られて絶望的な顔になるのも、全てをあきらめた表情だって全部、ぜんぶさ、見たくならない?俺は見たい。俺はその欲求に素直なだけなんだよ」
羽佐間くんが何か話している。話す度に俺には到底理解できないことばかり告げてくる。理解できないし……理解したくもない。
――――
「でもそろそろ俺だけに向ける笑顔が欲しいなーって思ってさぁ」
「……なに、いってるの?」
「端的に言えば俺のこと好きになってほしいなってさ」
……有り得ない。散々人をいじめ尽くしていたくせして、散々苦しめておいて……!今さらになって好きになってほしい?なにいってるんだよ!!身勝手な言い分にカッとなって怒鳴ろうとした。
「怒鳴ったって誰も叶野の味方しないよ?分かってるでしょ?」
「っ……」
変わらず笑みを浮かべながら残酷なことを突きたてられた。俺には、この学校に味方なんていない。冷たいクラスメイトと先生の視線を思い出してしまった。冷めきってこちらに関心なんてないと言わんばかりの視線。早く許せと囃し立てる声。思い出してしまい、怒鳴ろうとしたのを忘れて口元を抑えて俯く。
「うん。悲しいね。可哀想にね、叶野」
「そう、させたのは……!」
「俺だねぇ。確かに俺の差し金だよ。でもねぇ今回はさすがに可哀想だと本当に思ってるよ?信じていた友だちに自分の家庭のこと話されちゃったんだもん。あんなに大声で。俺に気に入られよう、それだけの理由でさ」
「っ」
羽佐間くんは俺の傷をひっかきまわすようなことをまた告げる。まだ自分でも処理できていない柔いところを突いてくる、その傷の痛みに俺は何も言えなくなる。黙りこくる俺に羽佐間くんが囁く。
「だからさぁ、叶野も俺のこと利用すればいいよ。俺が一言いえば全員言うこと聞くんだからさ、殴った奴らに土下座しろとでも三木をいじめろとでもなんでも。俺と付き合ってくれれば叶野はなんだって手に入るんだよ?叶野からしてもメリットしかなくない?」
「……なんで、そんなに俺に執着するの?」
ひたすら付き合うことを勧める羽佐間くんについそんなことを聞いてしまう。分かっていても、やっぱり信じられなかった。
「さっきから言ってるじゃん?俺叶野のこと好きだからってさ」
……いっそ『嫌いだから』と言ってくれたらよかったのに。ショックだけど一応いじめる気持ちを理解は出来るから。まさか真逆の感情でいじめてくるなんて、考えられなかった。
「一応言っておくけど断ればもっと叶野は地獄だよ?もっと過激になるかも?」
「……おどしだよね、それ」
「そんぐらい俺も必死だってことだよ」
駄目押しとばかりに断った場合のデメリットを告げておくことで俺の逃げ道を塞がれる。必死、とは言うけれど声のトーンも表情も変わらずにいるのを見ると余裕にしか見えないけれど。確かに、付き合うメリットがあって付き合わないデメリットがあるのなら、付き合うと選択するのがきっと賢いと思う。付き合えば、俺はいじめられることなく平穏に学校生活を過ごせる。
……でも……好きでもない、憎しみさえ感じている相手と、付き合うことになったとき。俺はどうなるのか想像もできなかった。
「まぁ、さすがに叶野にも考える時間が必要だと思うし明日まで待ってあげるよ。……でも断ったらどうなるか、考えておいてね。賢い叶野ならきっと正しい選択が出来ると思うよ」
優しい笑顔で『待ってあげる』と言った直後『断ったら』といった直後、真顔で俺を見つめてきたのが恐ろしかった。
「じゃあ、また明日ね」
青ざめた俺を抱きしめてすぐに離れて笑顔で手を振って教室を出ていく羽佐間くんの背中を見送った。視界からいなくなったのを確認して、その場にへたり込んだ。足が震えて力が入らなくなった。
足に力が入るようになって漸く帰路に着く。踏切の音さえ聞こえないほど集中して考える。何度も何度もフラッシュバックしてはどうするか考えに考えた。付き合わない、という選択肢はあってないようなものだ。好きでもない人と付き合うなんて、とは思う。だけど、今でさえ辛い学校生活をさらに劣悪な環境にしたいなんて思えないから。断れば『好き』に『憎しみ』が合わさってどんな目にあわされるか分からない。
それなら俺が自分のことを好きじゃないのを承知の上でそれでも付き合うことを選択すれば、俺が望めば復讐だって出来る。一番憤りを感じている羽佐間くんに何も出来ないことを除けば俺は平穏に過ごせる。だけど……、
(……その立場も、羽佐間くんに飽きられたら終わりだろう)
彼は俺が他の人とは違う、彼に対しても『普通』に接することが気に入っただけなのだ。きっと俺が他の人と同じように彼に対して媚びを売るようなことをすれば飽きてしまうかもしれない。好きではない彼と付き合うのも、その好きではないはずの彼の機嫌を損ねないような言動と行動をする努力をしないといけなくなるこれからの生活を想像するだけで気が狂いそうになる。
八方ふさがり、だ。付き合わないと選択しても、付き合うと選択しても、どちらにしても苦しくなるのが目に見えている。どちらが正しい選択なのか分からない。
そもそも、もう俺の家庭環境はクラスのみんな知っている。友だちだと思っていた三木くんは、羽佐間くんをとった。
たとえ彼と付き合っても、俺にとって最早学校はクラスメイトは先生は、恐怖でしかない。心の平穏や安寧はあの学校にいる限り訪れることはない。
(……どうすれば、いいんだろう)
俺は。ただ、自分なりに本気で勉強して、自分の納得のいく結果を出して。普通に友だちと笑って遊んで、普通に両親と弟で暮らしたいだけなのに。それだけ、なのに。今の俺は……何も叶えていない。自分の望んだことすべてが、踏みつぶされている。もうやだ、なんでおればっかり。おればっかりがまんしなきゃいけなんだ。もういやだ、もうやだ。つらい悲しいくるしい。もう、つかれたよ。
そう心から思った瞬間、ぷつりと糸が切れたかのようにその場に崩れ落ちて蹲った。
周りから見れば突然蹲ってしまった俺を見て体調を崩したかのように見えたと思う、心配して声をかけてくれる声が聞こえたけれど、俺の耳にはどこか遠くに聞こえた。
悩むのに疲れた、いじめに耐えるのも疲れた、なんでもない顔するのも疲れた。すべてがいやだ。つかれた。つらい。かなしい、もうやだ。涙が零れた。涙を流してしまう自分が情けなくて悔しくて。
でもそれ以上に。
(だれか、たすけて)
そう強く願った。
「希望、希望だよな!?おい、大丈夫か?!」
そう強く願ったとほぼ同時に俺の肩を力強く掴んで大きいけど心配そうな声が俺の名前を呼んだ。一瞬誰の声か分からなくて、ビクリと身体が震えた。だけど、恐る恐る顔を上げればそこにいたのは、心底心配そうに眉を寄せているその顔は見覚えしかなかった。
「せいいち、ろう?」
そこにいたのは、その顔は間違いなく、俺の親友。しゃがんで俺のことを窺っている。……前も。木下くんに晒されたときも心配そうな顔をしてくれた、なぁ。俺のことを庇ってくれたことをふと思い出して懐かしく思うと同時に泣きたくなった。
「ああ、俺だ。大丈夫か?気持ち悪くなったのか?立てるか?」
うん。大丈夫だよ。いつもならそう笑って言えていたのに。少しぐらい具合が悪くても何かあっても、何でもない顔をすることも出来るのに。取り繕って「なんでもないよ」と言って立ち上がって一緒に帰ることもできたのに。今は。いまは。
――いまだけは、もうむりだ。
「のぞみ?」
「……せいいちろう」
俯いたまま目の前の誠一郎の腕を掴んた。突然動いた俺に戸惑うように俺を呼ぶけれど、それに応えず俺から誠一郎の名前を呼んだ。
掠れて小さくなった声、でもきっと誠一郎にはきっと聞こえてる。俺のことを助けてくれた誠一郎なら、きっと大丈夫。自分に言い聞かせて前よりももっと逞しくなったその腕に縋るように力いっぱい握りしめる。
「たすけて」
泣きながらそう言えた。ようやく、信頼できる相手に助けを求めることができた。
――――
あの後、俺は夏休みにも集まった公園に誠一郎に連れられた。誰もいない公園のベンチに並んで座って真面目で堅い声で「なにかあったのか?」と聞いてくれた。いつの間にか買っていたのか水の入ったペットボトルを手渡されていた、それをぎゅっと握りしめて涙が溢れそうになりながらも、自分に起こったことすべてを伝えた。
家族みんなで集まることがなくなってしまったこと、テストを終えてからいじめが始まったこと。今日友だちと思っていた子に自分の家のことを話された上、嫌われていたことを知ってしまったこと。そして……ついさっき、いじめの首謀者に告白されたこと。
「いじめを辞めさせてあげるから、付き合えって」
「……」
「もう、どうしたらいいか分からないんだ。付き合わないともっと酷いいじめを受けるかもしれない。だけど、好きじゃないのに付き合いたくないんだよ……。どうして、好きなひとをいじめることができるのかおれ、分からないよ。飽きられたらどんなふうに捨てられるのかもわからないし……」
誠一郎は何も言わずにただ俺の話を聞いてくれた。誰かにこんなに事細かに話すのは初めてだ。……家族みんなでもう会えていないことも、三木くんにも言っていなかったから。初めて無視されたその日に起こったことだったから。
先生にもいじめのことを伝えたときもこんなに言わなかった、だって面倒くさそうにしていて真剣に聞いてくれそうになかったから。
家族にも、言えなかった。心配かけさせたくなかった。前にも木下くんとのことがあって後ろめたかった。それに今父さんも母さんも勇気も忙しいのに相談なんてできなくて。俺のことで時間をかけてほしくなかった。
三木くんも、今日嫌いだって言われたばかりだしね。だから、こうして俺の話を聞いてくれる誠一郎がありがたくてうれしくて、ぽろぽろと零れてしまう。今まで留めていたものですらもするりと声にしていた。
「っおれ、なにかわるいことしたかなぁ……!」
ついに吐き出してしまった。一回吐き出してしまった弱音はもう戻ることはなく、そのせいで勢いづいてずっと我慢していたことが勝手に口から零れ落ちてしまう。
「ただ、おれは……家族みんなでいたくて、まじめに勉強して全力でテストに挑んだだけなのに」
――ただ笑ってほしかった。笑い合ってほしかった、父さんにも母さんにも勇気にも。そして俺もその環境下で笑いたかった。今までのような作り笑顔じゃなくて、心から。ただ俺は自分なりにがんばって勉強していたかっただけなのに、誰に言われるでもなく誰かと競うのでもなくただ自分のためにやっていたかっただけなのに。
「一番になりたいとかじゃない、だれかの上に立ちたいとかじゃなくて、ただ、普通に学校で生活したいだけなのに、」
ただ、友だちとなんでもないことを笑い合えるそんな日常を望んでいただけなのに。それだけ、なのに!
「なんで、おれの望んだものがなにもないの……」
ポロリと出てきた言葉。これ以上はだめ。俺の環境は他の人から見れば不幸とは言えないのに。自分が誰よりも不幸ではないのに。わかってる、俺は飢えにもお金にも困ったことがないし親から虐待を受けている訳でもない。こうして、だれか一人でも俺の話を聞いてくれる誠一郎がいてくれるだけでも俺は恵まれている。わかってる、わかっている。頭では分かっているけれど、言葉は勝手に出てきてしまう。
「なんで俺ばっかり我慢して耐えて、哀しくて苦しい思いをしないといけないのっ、どうして、おれにはほしいものはなにももっていないの、なんでおれはいじめられてるの!」
なんて醜態。なんて醜いわがまま。きっと訳もなくいじめられている人は俺以外にもたくさんいて、俺は望まない選択さえすれば明日からいじめられなくて済むこともできるから不幸ではないのに。でももう止まらない。ああ誠一郎困っているだろうな、でも誠一郎の顔を見る勇気はない。
「ただあのひとにはふつうに接していただけだ!なんで気に入るのかわかんないよ!!普通の扱いに喜んでそれだけで俺のこと好きになるとかゆがんでるよ、どんだけ今まで特別扱い受けてきたんだよ!!顔がちょっと良いぐらいしか良いところないそんな人と付き合いたくなんてない!というかなんでみんなあいつのこと好きになるのかわかんねえよ!!」
「っ落ち着け、というかお前のそんな言葉遣い初めて聞いたぞ」
悲しみを通り越して怒りすら芽生えてくる。今まで吐き出せていなかった分がここぞとばかりに吐き出せるものだから言葉遣いも荒くなっていくのを誠一郎に宥められる。背中をさすられて落ち着きを取り戻すと同時に、涙が次から次へと溢れて止まらなくなった。
「……もういやだよ。誠一郎」
「のぞみ……」
「……」
『たすけて』またそう言いそうになって、口をくっと噤んだ。だって、言ってもどうにもならない。
明日、俺は『付き合う』と彼に答えるんだ。そうすれば、丸く収まる。俺さえ我慢して彼のご機嫌を窺えばいい。いつか捨てられることに怯えながら過ごすんだ。それで……たまにこうして誠一郎といられれば、おれは壊れずにいられる……とおもう。
久しぶりに吐き出したおかげか気分は悪くない。……問題は、そのままだけど。随分長く話し込んでいたみたいで辺りはすっかり暗くなっていた。……そろそろ、帰らなきゃ。
誠一郎を付き合わせちゃったし、きっと夕ご飯も出来上がっているころだろう。俺も父さんが帰ってくる前にご飯作らないと。
――帰ろっか。
黙りこくってしまった誠一郎に笑顔を作ってそう言おうとした。
「のぞみ、もう学校行くな」
「……え?」
ずっと静かだった誠一郎が言った。言われたことが一瞬分からなくて間抜けな声が出てしまったけどそれを気にする余裕は無かった。理解できずに俺の手を掴んで俺と目を合わてくる。その眼差しは真剣そのものだった。
「もう頑張らなくて、いい。お前は充分頑張った。……希望はずっと辛かったのに、気付けなくてごめん」
泣きそうな顔でそう言ってくれた。まだ大丈夫だよ、俺が言わなかっただけだから誠一郎が謝ることないよ、そう言う言葉がすぐに浮かんだ。だけど言えなかった。
「っ……ふ、っ!」
誰にも言われなかった。だけど、誰かに言ってほしかった言葉だったから。
頑張っていたことを認めてくれた。そのうえでもういいんだって許してくれた。おれは、だれかにそう言ってくれることを望んでいたんだ。自分では気づけなかったけれど言われて初めて気づいた。そう言ってほしかったんだって。涙が零れて止まらず、目の前の誠一郎に抱き着いてわんわん泣いた。そんな俺を受け止めてくれた。
「ふ、うぅ、あ、ぅああああ!!せいいちろう、誠一郎っ」
「うん」
「……たす、けてっ、たすけて、くれ!」
「わかった」
振り絞った言葉を捨てずに受け止めてくれた誠一郎。俺は、その日から誠一郎に対して綺麗な『友情』だけではなく『執着』を持つようになった。