2.人間として。

 俺の『誠一郎くん』と言う呼び方が『誠一郎』になったころに俺は誠一郎から転校する前の『友だち』の話を聞いた。
 それを聞いて俺は驚きながらも、その『友だち』にいつか会えたなら俺も友だちになりたいと純粋に誠一郎にそう言った。すると誠一郎は嬉しそうに笑ってくれた。
「きっと、あいつも喜んでくれる」
 思い返してみると嬉しそうと言うよりも安心した感じだったかな?まぁ喜んでくれているんだからどっちでもいいかな?
 どこかホッとしたように呟く誠一郎はその『友だち』に罪悪感を覚えているようだったから、少しだけ罪の意識が薄れたのかもしれない。すでにこのときには誠一郎を『親友』だと無意識にそう思っていた。
 誠一郎からすればそのとき俺のことをどう思っていたのかは分からない。けれど、俺にとっての『親友』が喜んでくれたのがとても嬉しかった。人見知りでいつも下を向いていた誠一郎も少しずつ変化していった。
 あの木下くんとのことがあってからは誠一郎のことをからかうような子はいなくなったけれど、本人としては小学生にしては大きい身体を気にしていたのか痩せる努力を始めた。
 無理しない程度にいっしょに鬼ごっこしたり、かけっこしながら家まで帰ったりしておやつも抜きにしてがんばって、人と目を合わせてハッキリ話せるよう努力してきた。
 小学校5年生も俺と誠一郎は同じクラスで(木下くんとは離れてしまった)その年の夏休みに入る前に、やっと俺のことを『希望くん』ではなく『希望』と呼ぶようになった。
 夏休みも痩せるためにいっしょにプールにいったりして、誠一郎の家にも行って宿題をいっしょにやったりした。少しずつ地道に、それでも前へ進もうとする誠一郎になんだか自分も意欲的になりたいと思えた。
 俺も、もっと勉強したい。そう思った俺はまず家族みんなで見ていた洋画を字幕なしで見てみたり、母さんが好んで聞いていた洋楽のCDに入っていた歌詞をお小遣いを貯めて買った英語の単語帳を見て意味を調べてみたりした。日本語とは違う英語が俺の眼にはとても輝いて見えた。英語、もっと勉強してみたい。他にももっといろんな勉強もしてみたい。
 学校で習うものでは、物足りなさを感じるようになった。今通っている塾では俺が一番ではないにしても自分のなかで満足の行く結果が出ていた。『1年前は落ち込んでいたときもありましたけれど最近意欲的になりましたね、良いことです』と塾の先生に褒められたあとあることを言われて、自信がつき一つ決意した。
 俺は父さんに『あること』を相談をして、快く受け入れてもらえた。努力を続け結果が出たり出なかったりを繰り返しながらも誠一郎が自分にだいぶ自信を持ち始めてきた夏休み明け。一つの決意を誠一郎に打ち明けた。

「俺さ、中学受験受けることにしたよ」
「……えっまじか?」
「おおまじだよー。受かるか受からないかは別としてだけどさ」

 始業式を終えての学校の帰り道。周りに同級生がいないことを確認してそっと耳打ちした。驚いて目を見開いて俺のことを見つめる誠一郎に俺は笑いかける。去年あんなに下を向いていた誠一郎の姿はなくなってしっかりと俺と目を合わせてくることに成長を感じてほほえましい気持ちになる。塾の先生に言われた『あること』それは。
「この成績とその意欲があるならば進学校に通っても充分にやっていけるでしょうね。叶野くんと親御さんさえ良ければ進学校に通ってみませんか?叶野くんは進学校に行って視野を広げたほうがきっと良いと思いますよ。
もし叶野くんがやる気がありましたら、ご両親に相談してみてくださいね」
 そう言われたのだ。

 正直に言えば少し悩んだ。俺の第一志望は最寄りより5駅先のところにあって、電車通学となる。歩いて通っていた小学校とは違いこれから毎日電車通学で、知り合いもあまりいない中でやっていかないといけないしまた一から人間関係を育てて行かないといけないし、ちゃんとその進学校での授業についていけるか不安もあった。
それに誠一郎ともう一緒の学校に通えなくなるのも寂しい。
 それでも、塾の先生に『叶野くんは進学校に行って視野を広げたほうがきっと良いと思いますよ』そう言われて、もっと色んなことを知りたいと思っていた俺にとって先生の言葉はやる気になるのに充分だった。

「そう、か。寂しくなるけれど、希望が決めたことだから……応援するよ」

 言葉に詰まりながら寂し気にしながらも俺のことを応援してくれる誠一郎。なんだかしんみりしてまった空気を壊すように大きな声で笑う。

「あはは、ありがとう!寂しく思ってくれるのは嬉しいけれど、泣かないでね!」
「は、泣かねえよ!のぞみこそ、泣くなよ!?」
「泣きませんよーだ!はい、タッチ!誠一郎がおにだーい!」
「おい!」

 茶化して誤魔化した。なんだか照れくさかった。寂しくなるって言ってくれたのも、俺の決意を応援してくれたことも。
 嬉しいのにそれを言わずに茶化してしまうのは俺の悪い癖だと思う。本当は嬉しいことも俺にとって都合の悪いことも同じように隠してしまう。いつもなら素直なほうに入るんだろうけど、どっちも意味は違えど恥ずかしくなってしまう。
 俺のことを主軸とされると恥ずかしくてつい茶化して逃げようとしちゃう、木下くんとのことで自分の悪いくせであんなことになってしまったのを今のおれは忘れかけていた。
 本当の『友だち』が出来たことに浮かれていたんだ。俺にとって誠一郎は自分にとって良い人だったから。心配してくれて応援してくれる。家族以外のひとでそんな言葉をくれたから、誠一郎なら俺にくれること知ってたから、心を開けたんだ。自分勝手でごめんね。

 笑いながら、胸が痛むのを無視した。

ーーーー

 誠一郎に相談してから以降、俺は勉強する時間を増やした。仲が悪くならない程度にクラスメイトと遊んだりもしながらも自分の無理のない程度に家でも塾でもいっぱい勉強した。
 たまに家も近所の誠一郎のところに行けば誠一郎のお母さんが豪快に迎えてくれてそのあとは、普通に誠一郎と話するときもあればたくさんいる弟くんや妹ちゃんも俺のこと気に入ってくれたようで遊ぼうと誘われたりしてそれに乗って遊んだりした。年下の子……特に、弟くんたちはやんちゃで少しいたずらっ子だけど、邪気のない笑顔で人懐っこいところとかが勇気とかぶって見えた。
 母さんと勇気は母さんの祖父母の家にいるから、会えない距離ではない。かと言って気軽に会える距離でもなく、月に何回か会えると言ってもやっぱり寂しかった。
 父さんもあの日以降出来る限りは早く家に帰って来て俺との時間を増やしてくれたけれど、やっぱり帰っても誰も迎えてくれず一人でいる時間が寂しかった。
 塾行ったり遊びに行ったり勉強したりして気を紛らわせていたけれどやっぱり寂しさに負けてしまうときがある。そんなとき誠一郎の家に行くと寂しさなんて感じる暇もないぐらいにぎやかで、そのときだけは忘れられたから誠一郎のお母さんも優しく迎えてくれるものだからつい行ってしまうんだ。

 ほどほどに、でも自分なりに一生懸命に勉強しながらもそれなりにクラスメイトと遊んで、寂しさに耐えられなくなったら誠一郎の家に行っての繰り返しだった。
 俺がみんなの前で泣いたこと、父さんはどう母さんに伝えたのかは分からないけれど、勇気が俺に会いたいと言っていたからってと言うのもあるだろうけれどきっと忙しいであろう母さんは必ず月1回は会ってくれたし、学校生活はどうなのかと俺に聞いたりしていた。
 最初はあまり話さなかった父さんと母さんだったけれど、俺と勇気を挟んでだけど話すようになって……母さんも勇気も俺の決めたことを応援してくれた、母さんからは無理をしないようにねと宥められながら。

 息抜きもほどほどに、あまり無理しない程度にでも真剣に勉強に取り組んで合間に家族みんなで集まったりしていたおかげで俺は無事に第一志望に受かった。
受かったことがいつも近くで応援していた父がすごく喜んで、うれしさのあまりその高いテンションのまま母さんに連絡したら、同じようにテンションが上がったらしい母さんが「今からお祝いしましょう!」と夜みんなで焼肉に行った。
 俺ももちろん嬉しかったし、勇気も喜んでくれたけれど正直父さんと母さんのテンションについて行けなくてちょっとだけ置いて行けぼりをくらうことになったけれど、みんな楽しそうだったから、俺も楽しかった。
 その次の日登校するときに誠一郎に受かった報告すると俺よりも早い成長期を迎えた誠一郎が力加減せず「おめでとう!」と言いながら頭をぐしゃぐしゃにされたのだった。心のなかですぐ身長追い付いてやると新たな決意がここで出来た。夜に湖越家に招かれて俺のお祝いをしてくれた。遠慮したけれど「子どもが遠慮しない!」と誠一郎のお母さんに豪快に言われてしまった。

 勉強もしてきて、家族もまだ一緒に住めているわけではないけれどまた良くなってきて、信頼できる友だちも出来た。中学入学は不安であると同時に楽しみだった。
第一志望の学校に受かって、家族にも親友にも祝福された。
 これだけ祝福されたのだから中学で辛いことがあってもがんばっていこう!誠一郎と離れてしまうのはさみしいけれど……。
 そんな少しの寂しさと新しい学校での期待に包まれながら残りの小学校生活を過ごした。

 卒業式には俺も、中学生になれば離れ離れになる誠一郎や友だちと泣いて別れを惜しんだ。あれから疎遠になってしまった木下くんも、俺が1人になったときを見計らったように「……ばいばい、のぞみ」とそう鼻を啜りながら言ってくれたのが、うれしかった。
 なにか返そうとしたらすぐ走り去ってしまったから俺は大きな声で「木下くん、またね!」と手を振って言った。俺のことを振り返ることなく行ってしまったから聞こえていたのは分からない。
 だけど『きっとまた会える』と俺はそう思えた。

ーーーー

 ついにやってきた中学生活。期待と不安を持ちながら入学式を迎えた。誠一郎とはその前日まで遊んでた、中学入学祝としてついに俺は卒業式を迎えてすぐに、誠一郎も最近になって携帯電話を買ってもらえたからアドレス交換をした。「いつでも連絡してくれな。俺も連絡するから!落ち着いたら遊ぼうな!」
 そう約束して別れた。入学してすぐのころはその約束の通り連絡を頻繁に取り合っていた。まだ他の子との距離感を掴みかねていたし、出席番号の並びでとなりだった子とかに話しかけてはいたけれどまだお互いにさぐりさぐり、て感じだった。誠一郎もきっと俺と同じ感じだったと思う。だけど、新しい環境に慣れていくにつれて徐々に頻度は下がっていき、そのうちメールをしなくなった。
 落ち着いたら遊ぼう、と言う約束は結局始めのほうは入学式やらオリエンテーションやらで時間がなく、慣れてきたころには中学でできた友だちと打ち解け笑い合いながらも勉強に置いて行かれないように予習復習していたら時間がなくて、夏休みに持ち越しかな、とそう考えるようになった。

「叶野くん、今度の日曜遊びに行かない?新しく出来たゲーセンに行きたくてさ」
「あーごめん、その日はちょっと用事があってね……」

 遊びに誘ってくれたのは三木くん。明るくてにぎやかな彼とはすぐに仲良くなった。その笑顔とか木下くんに似てるかもしれないなぁ、と最近思うようになった。
 せっかく誘ってくれたのは申し訳ないけれど、その日は家族みんなで集まれる日だったからお断りする。

「そっか、残念!塾とか?」
「いや……」

 さっぱりと引き下がってくれる三木くんだが、どうして断られたのか疑問だったようでそう問われてしまう。
 いつもの癖でまた誤魔化そうとして作った笑顔を三木くんに向けようとして……辞めた。
 今俺のなかで本当の意味で対等かつ信頼できる人と言うのは誠一郎しかいない。そんな自分を恥ずかしいとは思わないけれど……これでいいのだろうか、と言う疑問がいつもあった。
 笑顔を作って周りの様子を窺っているときとか、ふと頭のどこか冷静な部分でそう思ってしまう。信頼できない人に俺の知られたくないことを言わないほうがいい。でも、三木くんは良い人だ。いつも明るく笑顔で、人を不快にさせないような言葉を選んでくれる、そんな優しいひとだ。……彼は、信頼できる人、だと思った。

「ここだけの話なんだけど……母さんと弟に会える日なんだ。俺んちさ、ちょっと事情があって別居しててさ」

 ひそひそと耳元で三木くんにそう言った。下校中で人はいるけど、そこまで近くにいるわけではない。普通のトーンで話しても聞こえはしないだろうけれど、念のため。
 今もそこらへんはやっぱりデリケートな部分だから、小学校のときのようにクラスに広められてしまうのは嫌だ。
 俺の話を聞いて三木くんは少し驚いた顔していたけれど、すぐにいつも通りニコっと笑って俺のことを真っ直ぐ見た。
「そっか!じゃあいっぱい楽しんでおいで~」
 いつも通りの声音でそう送り出すような言葉を言ってくれた。
「う、うんっ」
 きっと三木くんは俺の唐突の話に驚いてしまったんだろうけれど、でも俺を傷つけないようにかつ気まずくならないように、なんでもないことのように接してくれた。俺の反応のしにくいであろう事情を普通に受け入れて、気負わず気付かれないような気遣いをいれながらもいつもと変わらない対応をしてくれる三木くんにホッとする。
 俺のことはそんなに大したものではない、そう言ってくれているような気がした。気を遣われるような眼で見ずにいてくれたのがなんだか気楽な気持ちになれた。そのまま『その日どこ行くの?』とか『弟何歳なの?』とか普通に聞いてくれたのもうれしかった。
 別居してる理由を具体的に言わなかったから良かったのかもしれない。でも、それを言いたくないのであればきっと三木くんは察してくれる。だけど、俺は家族のことを話したかった。
 俺の事情を知っているみんな……誠一郎もその辺は気遣われているのが分かったから。家族の話題になろうとすると俺のことをあっとした顔で見た後話題を変えてしまう状況にもう数えるのが嫌になるぐらい遭遇してる。相手も気遣ってくれているのは分かるけど、俺もそれに気付かないふりをして気遣うことになる。俺としては家族のことを話したかった。たとえ、母さんから見た父さんを嫌いで、父さんから見た母さんが嫌いでも、俺は弟も含めて『大好きな家族』だったから。
 気遣わずに久しぶりの家族みんなで会う嬉しさとか、こんなこと話したとか、ここに行ったとか、そんな当たり前のような話を誰かとしたかった。だから三木くんがそうやって俺の家族のことを聞いてくれるのが嬉しかった。

 思い切って話してみてよかった。三木くんを信じてよかった。

 ありがとう。

 心からそう思いながら色んなことを話した。三木くんも聞き上手だから、ついつい深いところまで話してしまった。それからは逐一三木くんに報告した。
 この日に出かける、弟がテストで万点採った、母さんが褒めてくれた。まるで子どもが親に今日合ったことを報告するがごとく、三木くんに報告した。
 俺は普通通りに接してくれるのが嬉しくて。俺の話を聞いて真摯に対応してくれるのが嬉しくて。俺は自分のことばかりで。

 俺の報告を聞いていた三木くんが、俺のことどう思っていたのか、どんな感情だったのかなんて、見れていなかったんだよ。ごめんね。心底申し訳ない。三木くんのことを見ずに自分のことばかりになってしまった俺自身のせいだ。だけど……それと同時にやっぱり、モヤモヤした感情が渦巻く。俺はなんて醜悪なんだろう、か。
自分の器の小ささに最早悲しくなってくる。

ーーーー

 期末テストが終わり、テスト返却を終え終業式まであと1週間とちょっとになった、朝登校すると前期期末テストの順位が掲示板に張り出されたからそれを見に行った。クラスだけでなく学年総合なので、見に行く人が大勢な上書いてある自分の名前を何とか探し出せた。
 俺は学年首席……なんて、そこまですごい頭脳を持っている訳ではなく。叶野希望の名前は11位に書かれている。なんとも中途半端だ。
 1位は他クラスの女の子だけど、その名前は学年のほとんどの子が知っているほどの有名な子。純粋にすごいと思う、下の方にテストの総合点が書かれていて、間違い一つない満点であることが分かった。彼女と俺の差は限りない。けれど特に絶望するものではなかった。俺は俺なりに一生懸命やって全力を尽くした。その結果はこうなった、それだけ。次も全力を出せるようにがんばろう。
 2位の子はたぶんニアミスで、1位にはほんのちょっと及ばない。3位の子は1問か2問間違えたっぽい感じ。俺からすればみんなすごいけれど、悔しそうにしていた。
 俺みたいに自分なりの全力でがんばれたから満足って子もいれば1位を目指して切磋琢磨している子もいる。色んな子がいる。努力し続ける姿は素晴らしいと思う。俺もその姿を見てがんばりたいと思える。
 なんか、こう、やる気のある空間が好きだな。俺も頑張りたいって思えるし、すごいひとを見るのもいい刺激になる。次も楽しく本気でやりたい。ついつい笑みがこぼれた。

「あ、三木くん。おはよう」

 ふと周りを見ると三木くんが意外と近くにいた。いつもと同じように、挨拶をした。

「……」

 だけど、三木くんは俺の存在に気が付かなかったのかそのまま反応されることなく歩いて行ってしまった。三木くんの反応に首を傾げる。聞こえなかったのかな?結構ざわざわしてるもんね。
 辺りには人がたくさんいて、喜んでいる声や嘆いている声色々と聞こえてくる。このにぎやかさなら気付かなくても仕方ないか。俺もそろそろ教室いこうかな。自分の中の理由に納得して教室へと向かう。

 俺の順位は11位だった。滅茶苦茶すごいとか言われるような順位ではない。普通よりは良いけれど本当にすごいひとには叶わない、そんな中途半端な順位だ。
 別に天才ではないし、ひたすら勉強漬けの日々を送っているでもない。ただ自分なりの努力をして全力を出した。
 突飛だったなにかを持っているような人間でもない。それなりに色々出来はするかもしれないけどすごく目立ちはしない、そんな人間だ。

 自分の評価はそんなものだったし、客観的に見てもそうだと思う。だから。
 まさか俺が『いじめ』のターゲットにされるなんて思ってもみなかったし、三木くんとの関係が壊れるきっかけになるなんて、考えたくもなかったよ。後から知ったけど、三木くんの順位は24位だった。

ーーーー

「三木く……」
「……」

 休み時間になるたび、三木くんのところへ行って話しかけてみても、一瞥するだけですぐ席を外して俺に話しかけられたことをなかったかのようにそのままクラスメイトのほうへ行ってしまう。
(……どうしたんだろう?)
 俺、なにかしちゃった?なにか不快にするようなことを言ってしまったのか……?昨日まで普通に話していたし、メールもしてた。今日にいたっては話してもいないから心当たりがない。
 一言も話せることもなくそのまま今日が終わってしまった。帰りのHRが終わって「三木くん、また明日ね」と言ったけれど、無視されてしまった。声も聞こえていないかのようなそんな態度だった。
 胸あたりが痛んだけれど、きっとなにかあったんだろうし、何か無意識に俺は三木くんに何かしてしまったんだろうな。今のところ思い当たるところがなかったから、一回家に帰ってちゃんと考えてみよう。そう思いながら教室を出て行った。
 このときは三木くんのことに集中していて気が付かなったけれど、他のクラスメイトも俺に誰も話しかけに来なくて、冷たい目で俺のことを見ていたことに、後から気付いたんだ。

 一回家に帰って落ち着いて原因を考えよう。そう考えていた俺だったけれど、考えることができなくなってしまった。

 帰ってきた父さんから告げられたことに、危うく呼吸をすることも忘れてしまいそうだった。

「もう、みんなで会うの辞めようと思うんだ」
「……え?」

 そう切り出されることになるなんて、思ってもみなかった。


 今日は珍しく父さんが早く帰ってきたから、夕ご飯の準備をしながら今日のことを話した。……三木くんのことは言えなかったけど。テストの順位が張り出されて11位だったことを告げれば「そうか、希望頑張ったな」と褒めてくれた。
「あとで母さんにも報告しないとね」
 褒められて嬉しいまま、当然のように母さんのことを出すと父さんは無言になった。いきなり無言になったことに首を傾げながらもそのままお皿を出して二人でご飯を食べた。食べ終わったあとだった。『会うのを辞めよう』そう、言った。父さんの言う『みんな』は俺たち家族のことだ。やめる?どうして。

「もう希望も勇気も大きくなったし、二人ともしっかりしている。……本当のことを言うと、もう俺と母さんは互いを嫌い合っているわけではないが、もう一緒に住むことは出来ない。もちろん希望が母さんと勇気に会いに行くのは構わない。勇気に俺も会いたいと思う。ただ家族みんなで集まるのは、そろそろやめようと思うんだ」
「……嫌い合ってないのに?」
「価値観の相違と言うのだろうか……。一緒にいても苛立ってしまうんだよ。互いに、な」
「……」

 今まで、家族みんなで集まっていたとき。俺の目から見るとみんな笑い合ってた。母さんが俺へ向ける笑みや父さんが勇気へ向ける笑みと同じように、父さんと母さんは笑い合っていた。それは……本当じゃなかったの。
 俺と目を合わせない父さんのことをそう問うように見つめた。父さんが顔を上げることを期待してのことだったけど、そのまま父さんは話を続ける。聞きたくない。

「……もう集まるのを、辞めても良いかい?母さんにはこれから相談するつもりなんだ」

 俺から見て普通に笑い合っている二人だったけど、なにか思うところがあったみたい。俺には、分からなかった。申し訳ない気持ちになるとつい俯いてしまう父さんの癖、俺知ってるから。傷ついている俺の顔を出来る限り見たくないんだと思う。本当は。あの木下くんとのことがなければそのままきっと母さんと勇気と会えなかった。でもそうはならなかった。どうして?俺のせいだ。
俺が、わがままを言ったから。その『わがまま』を通すってことは、誰かがそのわがままを叶えるために『我慢』するということなんだ。
 きっと父さんは母さんが勇気を連れて出て行ったときから、お別れする覚悟してた。俺があんなこと言ったから。俺は父さんと母さんに迷惑をかけてしまった。
 てっきり、母さんがもう嫌になって出て行ったと思ってたけど、父さんも予想していたことだったんだろう。
 俺が滅茶苦茶にした。
 おれの、わがままで。

「……分かった」

 俺のわがままのせいで我慢をさせてしまった後ろめたさから、父さんが俺に罪悪感を沸かないよう笑顔を作って頷いた。
 そう言った瞬間に父さんは俯いた顔を上げた。俺の眉を少し寄せた笑顔に少し辛そうな顔をしながら傷ついたような表情がないことに安堵したみたいだった。

 ……誰にも言えないけど。そんな父さんの顔を見た瞬間の俺の心はどこか冷めていた。そしてこう決めた。この笑顔で安心を与えられるならいくらでも笑顔を作ってあげよう、て。

 そのあと自室で母さんにもテストの結果の報告をメールでした。報告を受けて俺のことを褒める返信がきたけれど、心は動かなかった。もう、なにも考えたくなかった。



 三木くんからもメールが来ることはなかったのも、このときだけはもうどうだって良かったんだ。今から思えば、このとき三木くんに連絡していれば……いや……どうだっただろう。変わらなかったかな……?

ーーーー

「……なに、これ」

 目の前のことが信じられないままに、呆然と思ったことをそのまま言葉に出していた。朝、昨日のことがあってうまく眠れなかったけれど、なんとかいつも通りを装ってそのまま学校にいつも通りに登校した。
 今俺の目の前に広がっているのは、昨日までは新品とまでは言わないけれどそれなりに綺麗だったはずの学校の机。俺の、席。

『死ね』
『キモイ』
『調子のんな』

 そんな赤のマジックで机に書かれていて、その上には汚い水が染み込んでいるであろう雑巾や紙ゴミ。
 何故、自分がこんなことをされているのか。どうして、だれが、こんなこと。俺が、なんで。疑問が思い浮かんでは消える。
 呆然とすることしかできない俺の耳にふと入ってきたのは、笑い声だった。いつも聞くいつも通り日常で聞くようななんでもない、笑い声。
 錆切ったロボットのように首がうごかないので視線だけ教室全体を見渡した。そこには、なんでもないいつも通りの教室の風景だ。昨日見たテレビの話とか、今日のお昼を奮発したとか、そんな日常会話を普通にしている。違うのは俺だけ。
 誰一人、俺のことを見てなかった。俺のことを置いてけぼりに、みんなはいつも通りの朝を迎えている。

「……っ」

 ぐっと泣きたくなるのを堪えて『いつもの朝』にするためにとりあえず教室の隅にあるゴミ箱を持ってくる。
 机の上だけじゃなく中にもあったから全部ゴミ箱に入れた。幸い教科書などは置いていなかったからそういう被害はなかった。水の含んだ雑巾を片づけるのとついでにゴミ箱も定位置に戻して、そのまま水道場へ行く。
 邪魔になるし鞄を置いていくか迷ったけど、行って戻ってきたら無事な保証がないかもしれないと思い直してちょっと邪魔だけどそのまま肩にかけて持っていくことにした。
 俺が片づけている間も、教室を出て行く間も、クラスメイトは俺のことを視界にいれようともせず、雑談していた。誰も、俺に視線を向けることも挨拶もされなかった。

 一人を除いて。教室を出てすぐ視線だけなかの様子を覗き見た。そこで目が合った。
 俺が視線を向けるのは予想していなかったようで、目を見開いていたけれどすぐに逸らされた。だけど、目が合ったのは事実であり消せないことだ。俺は確かに彼と目が合った。

 ……なんで?どうして?

 すぐに出てきたのはそんな疑問だった。だって俺と仲良くしてくれたのに。ちょっと前まで笑い合っていたのに。
どうして。どうして、三木くん。

 目が合ったのは確かに三木くん。見間違えるはずがない。何度も心のなかで問いかけたけれど、三木くんは警戒したのかもうこちらに目を向けることなく、今まで話していたのを見たことが無いクラスメイトと話して、笑ってた。しばらくそれを見ていたけど駆け足で水道場に向かった。これ以上見てたら、頭がおかしくなりそうだった。


 鞄を足元に置いて、蛇口を捻れば勢いよく水が出てきた。出来る限りなにも考えずに雑巾を洗い続けた。無心で力いっぱい手が赤くなってしまうほど雑巾を擦り、洗う。何も考えるな、そう自分に何度も言い聞かせた。

 そうでもしないと、泣いてしまいそうだった。昨日父さんに言われたことと学校での自分が置かれた立場を自覚してしまえば、俺はどうにかなってしまう。そんな恐れがあったんだと思う。……きっと、なにかの間違え。
 たまたま、クラスメイトの誰かが虫の居所が悪くて、俺の机が目に入っただけ。誰も俺の方を見なかったのはそれぞれの日常を過ごすのにみんな一生懸命で俺の方まで見れてなかったからだろう。……三木くんと目が合ったのは、俺の気のせいだろう。きっと違うところを見てたんだ。虫でもいたんだ。きっとそうだ。雑巾を絞りながらそう自分に言い聞かせた。
 後から思えば無理がある理由を何とかこじつけて、『きっと今日だけだ』と『今日だけ我慢すれば大丈夫』そう思うようにした。そう思うようにしながらも時間ギリギリまで教室には戻らず、一旦水道場の隅に雑巾を置いて男子トイレの個室に籠った。
 便座に座って腕時計を確認して息をひそめる。だいじょうぶ、だいじょうぶだ。おれは、だいじょうぶ。きょうだけだから、きょうだけ乗り越えられれば……。何度も深呼吸した。
 時間が過ぎるのをそのままトイレで待って朝のHRが始まる寸前ぐらいに教室に入れる時間になって、震える手で鍵を解錠してそこから出て雑巾を回収して教室に向かった。

「……っ」

 雑巾を干して教室に戻って席に着こうとすると、机の上にゴミ箱がひっくり返った状態で乗っていた。変な声を出してしまいそうになるのを堪えて、何も言わず先生が来る前になんとかあるべきところへゴミ箱を戻そうとした。
「クスクス……」
 他のみんなが座っている中一人黙って片づける俺のことを誰かが笑うような声が聞こえたけれど、反応なんてなにも出来ない。反応するだけの気力はすでになかった。

 ああ。これは、もう……今日で終わることはないのかもしれない。そう察してしまった。

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