2.人間として。


「……あ、あの、一ノ瀬くん。小室くんたちのこと止められなくて、ごめんね……」
「昨日の今日だし俺らが口出すとさらに変に拗れそうだったからな……。でも、悪かった」

 俺がもうこれ以上話さないと言う意志が伝わったようで、他クラスの奴は各々の教室に戻っていき、俺の携帯を取った奴も自分の席についた。
 どこか不満そうに見ているクラスメイトの存在にも気が付いていたが無視した。ざわついていた教室が少し違和感はあるもののようやくほとんどいつも通りのものになっていった。
 落ち着いてきたころを見計らって、いつのまにか登校していた叶野と湖越が俺のほうへやってきて申し訳なさそうに謝られた。
 湖越の言う通り、あの状態で2人が止めに入ってもどうしようもなかったと思うし、火に油を注ぐようなことになっていたかもしれない。2人とも昨日のことの当事者だし……まぁ、幸いと言うべきか俺が昨日と朝に目立ったおかげで2人のほうへ行かず俺に行ったのは良かったかもしれない。
 2人の判断は正しいと思うし、好奇心と悪意の混じった視線にさらされずに済んだことに自己満足したので謝ることはないと首を振った。それよりも、叶野から聞きなれない名前が聞こえた。

「……小室って?」
「さっき一ノ瀬の携帯を取った奴」

 小声で聞いてみると湖越から予想通りの答えが返ってきた。やっとあの昨日俺のことを愚痴り今日になって良い顔して鷲尾のことを根掘り葉掘り聞こうとして、俺の携帯電話を取り伊藤のことを化け物って言ったりするやつの名前を知れた。小室か。こむろ、小室か。

――顔と名前、おぼえたからな。

「あの……一ノ瀬くん、顔怖い。いつも通りの無表情のはずなのに、何かいつもよりなんか雰囲気怖いよ……」
「…ん、悪い」

 叶野は怯えたように湖越の後ろに隠れながら俺にそう言う。俺は結構根に持つタイプのようだ。そして案外周りに怒りが分かるタイプでもあるようだ。もちろん叶野たちに怒っている訳ではない。好き勝手言う小室や好奇心だけでこちらのことを窺う何も言わないやつらに対してだ。その怒りはさっきのことを思い出す度にふつふつと湧き上がってくるので、叶野を怯えさせてしまうのは本意ではないので今は一旦置いておこう。絶対に忘れないが。
 深く息を吸って吐いて気が立ってしまうのを落ち着かせる。

「さっきのことほじくり返すことになるのは申し訳ないんだが……細かいことは、もちろん教えてもらわなくていいけどな。だが、一つだけ聞いてもいいか?」

 言い出しにくそうな雰囲気の湖越。さっきの今では確かに聞きだしにくいだろうけれど、小室たちとは違って湖越も叶野も無関係って訳ではない。そんな恐々としなくとも、とは思いつつも気遣って周りに聞こえないように小声で話してくれるのを無駄にするのもあれか、と思い問いかけに同意を示した。
 湖越の後ろに隠れている叶野もどこか暗い表情で俯ていたから、何となく聞かれる内容は分かっていたけど湖越の言葉を待った。

「鷲尾を、許したって本当か?」

 湖越は戸惑いがちに俺に聞く。さっきの会話はやはり聞こえていたようだった。そして、予想通りこのことを聞かれた。予想していたから驚きもせず首を縦に振る。

「ああ。謝られたから許した。だからもう俺のことは気にしなくていい」

 聞かれたことに淡々と答えた、いつも通りの声音でなんでもない会話として、でも周りに聞こえられたら鬱陶しそうだったから目の前の二人にしか聞こえないぐらいの音量で。
 たぶん、鷲尾の行為と言動は早々許されるようなものでないとしても、元々俺はそこまで気にしていなかったから、真剣に謝ってくれただけで充分だ。
 俺の答えに聞いた湖越よりも叶野のほうが苦しそうな顔をしていた。……何故そんな苦しそうな顔をするか、理由は分からないけど。

「……もし、2人が鷲尾に謝られても俺に合わせなくていい。許してもいいし、許さなくてもいいから」

 周りのことをよく見ている叶野だから、俺に合わせて許すと言ってしまいそうだから、そんな考えのもとに告げたのだが……俺の言葉は、叶野の琴線に触れてしまったようだ。

「っ一ノ瀬くんみたいに、俺はなれないよ!」

 大きな声で言うからまたこちらに視線が集まってしまう。俺はともかく、二人からすればかなり居心地が悪いと思う。叶野は衝動的に言葉に出してしまったようで、ハッと目を見開いて口を抑えてうつむいてしまう。小さな声で「……ごめん」と俺に言う。

「……気にしていない。俺は、言葉が足りないみたいだ。こちらこそごめん」
「ううん、一ノ瀬くんは悪くないよ。……俺、弱いからさ、周りに合わせちゃうから……自分を通せる強さを持っている一ノ瀬くんが羨ましいよ……」

 またあの壁を張られた笑顔を出されてしまった。これ以上聞いてほしくないのだと鷲尾とのやり取りを聞いていたから知っていて、叶野を傷つけるのは嫌だから聞くのは辞めることにした。
 ごめん、とまた一言呟いて逃げるように、「トイレ行ってくるね」と湖越にそう言って教室を出て行ってしまった。

「……悪いな。あいつちょっと複雑でよ」
「平気。……でも、一つだけいいだろうか」
「ああ、あいつに伝えるかはちょっと内容によるが」
「それでもいい、湖越にも関係あることだから」

 複雑、と今まで静観していた湖越に言われたが、俺は特に傷ついていないから構わなかった。それより叶野が傷ついていないか心配だったが、あまり聞くと逆に傷つけてしまいそうだったから何も言わないことにした。
 それより、一言だけ言いたかった。叶野にだけではなく、湖越にも。怒られてしまうかもしれないことを。

「もしも叶野と湖越が鷲尾を許せなくても、俺は叶野にも湖越にも鷲尾にも態度を変えない、変えられないと思う。三人とも俺にとって大事な『友だち』だから、誰かを優先して誰かを蔑ろに、とかはできないんだ。俺は、今まで通りにみんなに接したいと思ってる。もし、それで嫌な気持ちにさせたりしたら、ごめん」

 鷲尾と俺のことはもう解決している。伊藤や叶野や湖越が鷲尾のことを許せなかったとしても、俺は鷲尾に冷遇も出来なければ、全面的に味方になることも出来ない。伊藤と叶野を傷つけることを言って、親友を傷つけられた湖越の怒りを買ったのは、他でもない鷲尾だ。それは変わらない事実であり擁護はできない。けれど、かと言って皆が許せなくても俺は鷲尾に冷たくできない。だって、鷲尾も俺にとって友だちだから。
 俺だって、伊藤を傷つけた鷲尾に少なからず怒りも覚えた。でも伊藤と俺の問題はまたちょっと違うから、やっぱり鷲尾のことも『友だち』だから傷つけたくない。
 もしそれで二人が嫌な気持ちになったとしても、それでも俺は変えられないと思う。謝罪は、そのことに対してだった。湖越は俺の告げたことに少し驚いた顔をして、すぐに自嘲気味に笑った。

「……一ノ瀬は、強いな。俺も……そのぐらい強ければあいつから……」
「湖越?」

 どうしてか湖越まで暗くさせてしまった。何か言っているけれど、あまりに小さな声で聞こえなかった。俺は言葉が悪いのだろうか、自分の言動をもう少し省みるべきだろうか……。

「……一ノ瀬が謝ることじゃねえな、と言っただけだ。うん、一ノ瀬はそれでいい。そうしてくれると俺はありがたい。希望にも後で伝えておくな」

 じゃな、と快活に笑って湖越は自分の席に戻った。
 ……傷つけていない、てことでいいのだろうか。ほとんど聞き取れなかったことと全く違うことを言っていた気がしたけれど、どうだろうか。俺の言葉で傷ついてしまうのは嫌だと思った。目が覚めて言葉を発して、桐渓さんと祖父の顔が傷ついた顔になったのを思い出してしまう。小室に言ったことに関しては何も後悔していないけれど、この違いはなんだろうか。どうでもいい奴と友だちの差なんだろうか。そうなると、俺は結構性格悪いのかもしれない。……少しだけ、落ち込んだ。
 内心沈んでいるとガラッと扉が開いた音とともに周りがざわついていたのが耳に入った。どうしたのか、と視線を向ける。

「野蛮、野生児、品がない……えっと……この野良犬!」
「空気読めねえ、眼鏡、体力ねえ……あー…この頭でっかち眼鏡!」

 仲良く2人で教室までやってきた鷲尾と伊藤だった。

――――

 何故か互いの悪口を言っているが、気にしたらあれだろう。随分と言い合っていたようで互いに言葉が出て来なくなっている。
 いつも通り……よりも、なんというのだろうか…幼くなったのだろうか?あれだけ鷲尾が言い合うのは叶野以外では初めて見た。それは周りも同じなんだろう。
 伊藤も鷲尾に負けじと絞り出している。伊藤もああやって言い合うところも俺は初めて見たな。……うん、俺ではあんな会話できないな。

「……仲良くなってるな」
「え、一ノ瀬それマジで言ってる?」
「マジで言ってる」

 近くにいた沢木に独り言に反応されたから、普通に返すと変な顔をされた。あれだけ言い合えるようになったってことだ。鷲尾が伊藤に距離とっていたしな。……うん、やっぱり。

「前よりも仲良くなってるな」
「どこがだ!?」
「どう見たらそうなる!?」
「あーやっぱ仲いいかもなぁ……」

 俺の言葉にほとんど同じぐらいのタイミングで反応するものだから沼倉が俺の言葉に納得してくれた。分かってくれたようでなによりだ。
 この2人は案外波長悪くないと前々から思っていたけれど、やっぱり俺の見立ては外れていなかったようだ。なんとなく満足気な気持ちになってうんうんと頷いた。

「透、お前が俺の親友だからなっ!?一番仲良いからな!?」
「?ああ、わかってる。俺も伊藤が親友だ」

 何故か焦っている伊藤に首を傾げながらも肯定した。当たり前のことを言っていただけだが伊藤がすごい嬉しそうにしているから、なんだかとても良いことを言った気持ちになる。

「……仲良いとは思ってたけど、そんな仲だったっけ?」

 沢木が俺らを見て何かを言ったがHRの始まるチャイムでかき消されてしまったので聞き返すけど苦笑い混じりに「やっぱなんでもない」と返されてしまった。
 それにしても、いつもならチャイムが鳴る少し前か鳴り終わる前には教室にいるはずの岬先生が今日はまだ来ていない。先生来ていないから、疑問に思いながらも結構立っているクラスメイトはちらほら。
 小室は座ったまま、だけどどこか怯えるように俺のほうをチラチラ見ているのが視界の端に入る。さっきのこと伊藤に言わないか見ているのだろうか。……怖いなら最初からいなければいいのに、苛立つとか以前に呆れてしまう。
 鷲尾はいつの間にか自分の席に着いていた。視線を向けられても堂々としているほとんどいつも通りの鷲尾の姿に少し安心した。
 さっき俺が言ったことも効いたのか視線を向けられても不躾に鷲尾になにか言おうとするヤツはいないようだった。わかってくれて良かった。
 胸を撫でおろしていると伊藤とふと目が合ったと思ったら手招きされる。不機嫌そうではないけれどどこか不服そうだ。抵抗することなくそれに応じて耳を伊藤に寄せる。

「……透、もしかしなくてもよ……鷲尾が俺に謝るの知ってたよな、透が昨日なんか言ったのか?」

 低い伊藤の声が耳元で聞こえてきてなんだか身体がざわざわする。嫌ではないけれど、なんだろう。とりあえず今は自分の身体と気持ちの謎をあまり考えないようにして、伊藤の言葉にすぐうなずいて返した。俺が伊藤にああ言った意味が通じたようだ。

「……あの状況だったら何をするべきなのか聞かれたから『謝ろう』と答えた。さすがに朝の校門前で待っているとまでは知らなかったな」

 人を傷つけたときどうすればいいのか分からないと言う鷲尾には謝るんだとは言ったけれど俺は謝罪を強制をしていなければ、いつ謝れとかそう言ったことは何も言っていない。
 鷲尾自身が俺と別れた後色々考えて、あのタイミングで伊藤に謝罪することを決めた。すべては鷲尾の意思だ。そして、その謝罪を受けて許すのも許さないのも謝られた人自身が決めることだ。
 俺は誰にも強制していない。鷲尾に聞かれたから、俺は俺の答えを鷲尾に告げて、鷲尾はそれを本気で考えて実行して鷲尾の答えを手に入れた。それだけ。

「そうか……。鷲尾に謝られるとか想像もしてねえからビビった。鷲尾がしおらしいとかそれだけで気色悪い……」
「……嫌だったか?」
「嫌とか以前の問題だ。憎らしくねえ鷲尾は鷲尾らしくねえ。それだったらいつも通りの鷲尾のほうがぜんぜんマシだ」
「鷲尾にそう言ったのか?」
「おう」

 眉間に皺を寄せて難しい顔をしながら答えてくれた。俺の予想通りやっぱり怒りよりももういいって気持ちのほうが勝ったみたいだ。
 真剣に謝っているのにそんな言い方はどうか、なんて他の人からすると言われてしまうかもしれないけれど、さっき伊藤と元気に言い合っている鷲尾の様子を見る限り気にしていないと言うより伊藤に遠慮が完全に無くなったようだった。
 内心穏やかではないのに、表面上は穏やかに謝罪を受け入れられるよりはきっと鷲尾には良いことなのかもしれない。伊藤は隠し事は得意ではなさそうで鷲尾もそのタイプであり、互いに隠し事をされるのは嫌っぽいので傍から見るより2人の相性自体はよさそう、と俺は勝手に思っている。
 勝手に思っている感想を伊藤に言ってみる。嫌そうな顔されそうだなと思ったけれど、少しからかうつもりの気持ちで。

「仲良いな」
「………透に言われると、何かもやっとくる」
「そんなに鷲尾と仲良いって言われたくないのか?」
「それもあるだろうけどな、それだけじゃねえ気もする」
「少しはあるのか……」
「……あー、なんだこれ……?だめだ、わかんねー」

 俺の言ったことを肯定しつつも伊藤のなかでは他にも違う気持ちが入り混じっているようだ。でもそれは伊藤にも原因が分からず、考えてはみたようだがやっぱり分からなかったようでゴン、と音を立てて机に突っ伏してしまった。そんな伊藤に俺こそ首を傾げてしまう。
 少しすると顔を上げて「まぁそのうちわかるだろ」とケロッとした顔で言うものだから俺のほうが混乱した。そんなものでいいのか、と聞く俺にそんなもんでいいだろ、と返されてしまった。
 特に思い悩むものではないと伊藤が判断したのなら俺は何も言えない。本人がそう言うのだったら俺も気にするものではない、と言い聞かせた。どうして当事者より俺のほうが悩んでいるのだろう……?ちょっとだけ溜息吐きたい気持ちになっていると、教室のドアが勢いよく開いた音がした。反射的に音がしたほうを注目する。

「ゲホッ……遅くなって、ごめんねっ……HR、はじめ…っゲホゴホっ!!」
「ちょっ、せんせ落ち着いてからにしてっ!?」

 そこにいたのはよほど慌てて走ってきたようで、息絶え絶えで眼鏡がずれ汗を掻き姿勢を保てていない岬先生だった。酸欠のせいか咳が止まらないのにいつもの穏やかな笑みで普通にHRを始めようとするのを近くにいたクラスメイトに突っ込まれた。

 そのあと落ち着いた岬先生がいつも通りHRをしたが、さっきのことがあって何があったのか聞くクラスメイトにいつもの笑みで「なんでもないよ」と答えたが、明らかに何かあったのだろうと大体のクラスメイトは察していただろう。

「一ノ瀬くんと鷲尾くんは、ごめんね。きのうのことちょっと聞きたいから昼休み職員室に来てもらっていいかな?」

 HRの終わりにそう言われて頷いて返した。たぶん鷲尾も。……ここでようやく、昨日のことを岬先生は言われたのではないかとそんな考えに行きついた。『目立つな』『問題起こすな』と再三言われていたことを無視した俺のことを、桐渓さんは岬先生に何か言ったのかもしれない。そう考えて…岬先生に申し訳ない気持ちになった。
 しかも昨日桐渓さんからの電話に出ずにいたのだから、岬先生は何か八つ当たりされてしまったのではないか。……それでも、俺は、桐渓さんの言うことよりも鷲尾を追いかけたことも、桐渓さんの電話よりも伊藤の話を優先したのも、後悔していない。どうしようもなく、2人のほうが俺にとって大事だった。
 かと言って岬先生が桐渓さんになにかされて何も思わないわけでもない。規則よりも俺のことを大切にしてくれた岬先生が嫌な思いしたのなら……申し訳ない。
 とりあえず昼は鷲尾も呼ばれていたから桐渓さんを交えての話ではなさそうだ。……昼だと時間もないから、きっと放課後になる。放課後に岬先生に謝る余裕は俺にないから、昼話し終えたら少し残って岬先生にちゃんと謝ろう。

「……ハァ……」
「大丈夫か?透」
「……無理そうめげそう」

 心配そうに俺を見ている伊藤の眼も辛い。正直気は重いが……伊藤がいるなら頑張れそう……がんばろう……。机に突っ伏していたから伊藤がどんな顔で俺を見ているか知らなかった。

――――

 昼休み、昼食をいっしょにとらないか、と今日初めて自ら鷲尾にそう聞いたときには鷲尾も周りも驚いていたけれど(伊藤は予想していたようだったから特別反応はなかった)最終的に頷いて、一緒にとることになった。
 相変わらず伊藤と鷲尾は噛みつき合うような荒々しい会話をしていたが、前よりもギスギスしたものではなかった。互いに遠慮がなくなったように感じながら俺は2人のことを眺めていた。
 昼食を終えて岬先生に呼ばれていたから鷲尾とともに職員室へ向かう。職員室のドアをノックして入室すると岬先生は俺らが来たことにすぐ気づいてくれて『ここで話すのは話しにくいからと思うからね』と気遣ってくれて、五十嵐先生に話はもうすでに通っていたのか理科準備室の鍵を岬先生が開けて、用意されていたらしいパイプ椅子に座るよう言われそれに従う。
 俺と鷲尾が並んで座り、岬先生が机を挟んで俺と鷲尾の間ぐらいに座った。居心地が悪いようで鷲尾は座ってすぐに俯いてしまった。昨日のことを鷲尾は堪えているようだ。

「……事情があるのは分かってるんだよ。でも、ごめんね。『教師』として聞かないといけないんだ。どうして、2人とも学校を抜け出したのかな?」

 聞きにくそうに申し訳なさそうに、岬先生にそう聞かれる。勝手に抜け出したのは俺らなので謝るのはこちらのほうであり、そんなに岬先生が気にすると言うかそこまで申し訳なさそうにされてしまうことさらに申し訳ない気持ちになってくる。謝りたいと思う。後悔はしてないけれど困らせるようなことをした自覚は一応あったから。責められてもおかしくないとも思っていた。

 だから。そんなに『教師』と言う単語を苦々しく思わなくていいのに。俺からそう言うのは随分と上から目線になってしまうだろうから言わないけれど。

 聞かれたことへの返答に息詰まる。どう岬先生に昨日のことを説明するべきなのか、昨日の地点で聞かれることは知っていたのに結局答えが出なくてぶしつけ本番になってしまった。岬先生が今どのぐらい昨日のことを知っているのだろうか。聞かれた伊藤は『逃げた鷲尾を透が追いかけに行った。』とだけしか言っていないようだけど、他のお喋りなクラスメイトから聞いてしまった可能性もある。
 下手に俺が言うのもと思うし昨日のことを後悔している鷲尾の口から言うのも酷な気もした。どうするべきか、思案する。……天才とか言われる頭脳を俺は持っているのかもしれないけれど、こういうときにその脳を何も生かせないのでは無意味だと思う。勉強だけ出来る頭を持っていても俺は幸せなんて思えない。自分に苛立ちを覚えながら考える。

「……一ノ瀬は、何も悪くない。」

 答えを導き出すより先にとなりの鷲尾が口を開く。とても小声だけれど、誰も口を開いていない小さい準備室では充分俺の耳にも岬先生の耳にも入った。
 つい鷲尾を凝視してしまう。岬先生も穏やかに静かに鷲尾を見つめて続きを待っている。俺と岬先生に見つめられているなか、鷲尾はゆっくりと俯いていた顔を上げ岬先生と真っ直ぐ目を合わせた。覚悟したんだな、そんなことを想った。

「僕が八つ当たりした。身勝手な理由で、身勝手なことをした。僕のことを避けることなく受け入れてくれている一ノ瀬を僕の身勝手でテストのことをクラスメイトの前で晒し者にするような暴言を吐き、それを怒った伊藤に一ノ瀬に聞かれたくないことをわざわざ告げて。そして、テストのことで僕は叶野を責めて傷つけることを言ってしまった。叶野を庇い僕に憤りを覚えた湖越に責められて。他人を傷つけてそれを責められるのは当たり前のことなのに、勝手に傷ついた僕はどうしていいのか分からなくなって教室から……飛び出して、逃げた。飛び出してしまった僕を心配した一ノ瀬が追いかけてくれた。すべては、僕のせい。一ノ瀬は何も悪くない。だから、責めないでほしい。責めるなら、僕を責めてほしい……です。すいませんでした」

 鷲尾は岬先生から目をそらさず、はっきりとそう言い切り最後は頭を下げた。確かに暴言を吐かれて聞かれたくないことを告げて傷つけたのは間違いのない事実。冷たいかもしれないけれどそこは責められても仕方がないことだと思う。

「……いいえ。鷲尾が勝手に飛び出したのなら、俺も勝手に鷲尾を追いかけたんです。鷲尾を呼び止めて、偉そうなことを言いました。確かに鷲尾の言っていることに間違いはないです。でも、追いかけたのは俺の勝手です、だから飛び出したことに関してのことは、鷲尾だけを責めないでください」

 だけど、俺が勝手に学校を飛び出した件を鷲尾だけのせいには出来ない。自分だけを責めろと言う鷲尾はちょっと間違ってる。俺は自らの意志で鷲尾を追いかけた。そのままそっとしておく選択肢もあったに関わらず、鷲尾を追いかけることしか頭になかった。

「いや、一ノ瀬は悪くないだろう。僕が勝手に八つ当たりして勝手に教室を飛び出した僕を一ノ瀬は心配して飛び出してしまったのだから」
「それを言うなら俺は俺の意志で勝手に出たのだから、その辺は同罪だろ?」
「そこまでのものじゃ……」

 自分だけ悪者になろうとする鷲尾。目の前に岬先生がいるのを忘れて俺は責められるべきではないと鷲尾は言って勝手に飛び出したところは俺も同罪なのだと食い下がる。
 お互いに譲ることはなく睨み合いとまではいかないけれど、自分の意見が相手に通じないことに不満を持った。きっと鷲尾も同じで、機嫌悪そうな顔をしている。きっと俺も同じような顔をしている。

「……あ、はは」
「?」

 無言で見つめ合っている中、場違いな笑い声が聞こえた。馬鹿にしているのではない、どこか温かみの感じられる笑い声。
 俺達以外にこの場にいるのは岬先生だけだ。目の前に座っている岬先生を見た。鷲尾も同じことを考えていたようでほぼ同時に視線を逸らして岬先生の様子を窺った。やっぱり笑い声の正体は岬先生だった。なにかおかしかったのか未だ笑っている。
 俺らに見られていることに気が付いた岬先生は照れたように、でもその笑みは止められないようだった。

「ごめんごめん、なんだか2人が微笑ましくてね」

 俺らとしては至って真面目なことを話していたつもりだったのだが、なにかおかしかっただろうか。おかしくて笑っているとしたらその割には随分穏やかな顔をしているものだから、心底不思議だ。
「僕たちの会話はなにかおかしかったか?」
 鷲尾も俺と同じことを思ったのか俺が思ったことをそのまま鷲尾が口に出した。岬先生は首を横に振って少し慌てて否定した。
「ううん、おかしいことはないんだけどね。2人の関係がなんだか良いなって思って。鷲尾くんってこう言っちゃうと失礼かもしれないけれど、あまり人と関わろうとしてこなかったから。最近の鷲尾くんはなんだか生き生きしてて楽しそうで……とても良いと思うんだ。すごく、変わったね。もちろん良い意味でね」
「……」
「気分悪くしちゃったかな?ごめんね」
「いや、」
「……今日鷲尾は伊藤といっしょに教室来ましたよ」
「ちょ、いちのせ」
「あ、噂は本当だったんだ!仲良くなったんだねっ!」
「ちがうっ」

 鷲尾が誰かと仲良くしているのを心底嬉しそうな岬先生に鷲尾は否定したかったのだけれど、その悪意のない善意だけで出来た笑みに言葉が続かなくなったようだ。
余計なことを言ったであろう俺を睨んでいるのを察したが黙殺した。本気で嫌がっている訳ではないのも分かっている。顔真っ赤だしな。

――――

 岬先生は鷲尾のことをまるで自分のことのようにとても喜んだあと、笑みを浮かべたままだけど少しだけ顔を引き締めて真剣な眼で俺らを見る。

「一ノ瀬くんにちょっと聞きたいんだけれど……」
「はい。」
「……鷲尾くんの言うことを信じるなら、一ノ瀬くんと伊藤くんと叶野くんに八つ当たりしちゃったんだよね。それで、湖越くんにそこを責められてどうしていいのか分からなくて逃げちゃった、そこまでは本当かな?」
「はい」
「……」

 岬先生に聞かれて躊躇いなく頷いた俺に鷲尾は居心地が悪そうに身じろぐ。
 本人としてかなり気にしているところで後悔しているのも知っているが、してしまったことは事実であり取り消すことなんてできない。俺が庇ったところでそのことが無くなるわけではないし、庇うつもりはない。

「そっか……。じゃあ、なんで一ノ瀬くんはその鷲尾くんを追いかけたの?」
「勝手に足が動いたんです」

 問われてまた躊躇うことなくすぐに答える。
 どうして、と聞かればそうとしか答えられない。『どうしていいのか分からない』そんなことを思っている顔をしていたのを、見えたから。
 伊藤と会う前、ここに引っ越す前の俺のことを見ている気持ちになったからかもしれない。俺は鷲尾に言われたことをあまり気にしていなかったからと言うのはあるとは思う。
 ただ、あのまま鷲尾を見送ったらもうテスト前のような関係にはなれないかも、と思った。不確定な理由しか出て来ない。俺にだって追いかけたのはよくわからなかった。勢いよく出て行ったのはいいけれど何を言っていいのかわからなくてしばらく鷲尾の後をずっと付いていったぐらいだ。

「……そう、なんだ」
「?」

 俺の答えに目を見開いて呟くようにそう言う岬先生。どうしてそんなに驚いているのか分からなくて首を傾げる。

「あ、ごめんね。一ノ瀬くんって物静かな印象があったから、なんだか意外で。その行動にも、理由にもね」
「それは……確かに、僕も驚いた」

 どういうことか鷲尾も岬先生の言葉にうんうん頷いている。俺が鷲尾を追いかけたのはそんなに意外のことらしい。多分、クラスメイトも俺が追いかけたのは予想外だったんだろう。
 確かに俺が鷲尾を追いかけるために教室を出たとき後ろからクラスメイトが吃驚した声を出していたような気する。……そう言えば、伊藤は濡れた俺を心配をしていたが、鷲尾を追いかけた理由とかどんな話をしたのか詳しくは聞かれなかったな。
 伊藤がそんな反応だったから自分の行動がいつもの自分と噛み合わないなんて思いもしなかったが、周りや2人の反応を見るとそちらのほうが普通なのかもしれない。
 俺の行動自体には驚いた様子を見せなかった伊藤にとって今の俺の行動は『前の俺』ではよくあることだったのだろうか。昨日の俺の行動は、前の俺と被っていたのだろうか?そんな考えに行きついて……なんとなく、胸あたりがもやもやして針で刺されているようにチクチク痛んだ。でも今はその胸の痛みを抑えて、話し出す。

「……とにかく、俺は鷲尾に謝ってもらっているのでその問題は解決してます。あと伊藤も。勝手に飛び出した件は鷲尾が何と言おうと自分自身のせいです。怒るのなら俺にも怒ってください。お願いします」
「一ノ瀬は悪くない!」

 その辺は俺も同罪だと言っているのに鷲尾はまた食い下がる。自分の意見を無視しようとする鷲尾にいい加減苛立ちを覚えながら鷲尾を見る。

「えーと……ごめんね、言うの遅くなっちゃったけど、僕はその件で怒るつもりはないんだよ」

 ハイっと手を挙げながら俺らに申し訳なさそうに告げる岬先生。このままでは話が堂々巡りになってしまうのを察したようだった。

「僕はただ事情を聞きたかっただけで。他の先生方はちょっと何か言ってるけどね……。そう言う事情なら何とか誤魔化しておくから、君たちは怒られる心配はしなくていいよ」

 眉を下げて優しく笑いながら岬先生。その丸い眼鏡の奥の瞳はどこまでも穏やかに俺らを見ていて、良い意味で気が抜ける。鷲尾が怒られないことに自分が桐渓さんに怒られるだけで済むことに安心した。

「いや、僕は」
「岬先生がそうしたいって言ってくれている。甘えよう」

 良くも悪くも真面目な鷲尾は怒られないことに安堵するどころか不安そうにしている。自分の行動は罰を与えられるべきであるのに、怒られもしないことが違和感あるのだろうが、岬先生の気遣いを無碍にするべきではないと言外に伝える。小声で鷲尾にそう言うと、不思議そうに瞬きして少し間があったあと頷いた。

「鷲尾くん。きみがしたこと僕はあまり知らないけれど……大分、酷いこと言っちゃんだとは思う。言われちゃった子のこと、僕はとても心配だと思う」
「……」
「でも、僕は鷲尾くんだけを責めるのはしたくない。鷲尾くんにも、何かあったんだと思う。もちろん鷲尾くんの言ったことで傷つけてしまった子は心配だけど……鷲尾くんのことも僕は心配してるからね。だからなにかあったなら良かったら相談してほしいな。話ならいつでも聞けるからね?」
「!…………どうしてそんなことを言える?加害者である僕に。どうして……」
「鷲尾くんが理由もなくそんなことする子だと思えないだけだよ」

 鷲尾の質問に笑顔で即答した。綺麗で純粋で……危うささえ感じさせるほどの無垢な瞳だった。少し怖い、と思った。恐怖する意味ではなくて、いつバランスが崩れてもおかしく綱渡りをしている人を見るようなそんな気持ちになった。うまく、説明はできないけれど。

「鷲尾くんは、みんなに謝るのかな?」
「……ああ」
「そっか。それなら僕が介入しちゃうと余計拗れてしまうかもしれないから、聞かなかったことにするし僕からは何も言わないよ。でも、なにか悩みがあったらいつでも言ってね。鷲尾くんも、一ノ瀬くんもね?」

 俺の考えていることは岬先生は分からなかったようだった。俺のことはきっとこれからのことも指しているのが分かったので大人しく頷いた。ちょっと怖くても、優しく頼れる先生であると言う認識は変わらない。頷いた俺を真似するように鷲尾も頷いた。

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