2.人間として。

「おはよう、透。今日は晴れたな」
「……おはよう」

 伊藤がカーテンを開ければ、昨日の雨が嘘のような綺麗な青い空が広がっている。伊藤の反応はいつも通りでなにも変わらない。
 昨日眠る前、聞いていないだろうなと思うぐらいの、でも返事を少しだけ期待して俺の出した声は昨日の雨にかき消されてしまったのか寝てしまっていたのか伊藤からなにも反応はなく、朝になってもいつも通り「おはよう」と言われてしまった。
 俺の声が聞こえていなかったことに残念なような安堵したような、少し不思議な気持ちになった。良い感情なのか悪い感情なのかなんだかよくわからないが、なんかしっくり来ない。雲一つないどこまでも青い空にも八つ当たりしたくなるぐらい不完全燃焼だ。いっそ、声をかけなければよかった……と後悔した。
 きのうの俺は今日のところは聞かないことにしよう、と思っていたのに眠る直前になってつい、縋るような祈るような気持ちで名前を呼んでしまった。聞こえるか聞こえないかの声で聞いて、聞こえてなかったようすの伊藤に残念だなと思うと同時に聞かれなくてよかったとも安堵している。矛盾している。

 そんな中途半端なところが未完成な自分を強調しているかのようで少し落ち込んだ。

 洗濯機を回して朝食をとって、着替えて洗濯物を干し終えて学校に向かう。さすがに昨日体育をやっていたので2日連続で同じTシャツを着るのに戸惑っていた伊藤に俺の服を貸した。赤とか目立つ色はなかったので黒とかそんな目立たない色だったが、ないよりも断然良い!と言う伊藤にいつもの色とは違うTシャツを纏う伊藤に何となく、変な気持ちになった。
 きっと黒を着ているところが珍しいのと俺の服を着ていると言うのが変な感じなんだろう。今日放課後に俺の家に寄ってもらって今家に干している伊藤のモノであるジャージやTシャツをわたすことにして家を出た。昨日と同じように登校する。ちょっと違うのは伊藤と朝起きてからも登校まで一緒だと言うことだ。

――――

「あ、おはよう。一ノ瀬くん伊藤くん」
「おー」
「……おはよう」
「あれ?今日の中のシャツ黒なんだね。珍しいねー」
「透に借りたからな」
 案の定普段と違う伊藤に叶野は気付いて指摘してきて、伊藤は普通に俺から借りたと答えた。事実であり否定するものでもないので俺は2人の会話を聞きつつバックの中のモノを出して整理整頓する。

「……え?」
 何故か叶野は伊藤の答えに固まっている。

「ん?」
「今日、っていうか昨日伊藤くんは一ノ瀬くんの家にお泊りしたの?」
「……雨すごかったからな」
「だな」

 俺のことを良くしてくれる伊藤にとんでもない雨の中そのまま帰せる人間がいるのなら教えてほしい。……もし、本当にいたら軽蔑してしまいそうだが。

「さすがに昨日体育やったあとに着たのと同じを着たくねえから、透に貸してもらったんだよ。」
「あ、あーそういうことね。うん」
「どんな想像してたんだよ、このど助平」
「な、ななななななんの想像も、してませんでありんスよ!?」
「テンパりすぎて変な言葉遣いになってるぞ」

 湖越に声をかけられて顔を真っ赤にして否定する叶野に俺と伊藤は首を傾げる。友人同士なのだから泊まるぐらい普通ではないのか、と疑問に思う。でも、湖越に弄られて可哀想なぐらい顔を真っ赤にして否定している叶野が哀れに思ったので掘り返すのはやめる。

 鷲尾の席を見てみるとさっきまでいなかったのに、いつの間にか来ていたのか座っていて既に参考書のようなものとノートを広げて勉強をしているようだった。鷲尾は誰にも挨拶することなく自分のペースは崩すことがないのはいつものことだ。叶野が来ると一気に崩れるが。湖越と叶野はいつも通りじゃれていてクラスメイトはそれを見て笑っていたり混じったりそれぞれ各々に好きにしていて、俺はそれを見たり伊藤と話したりして、時間が来たらチャイムとともに岬先生がやってきてHRが始まる。
 転校して1が月とちょっと経った。俺にも居場所と言うものができた。もしかすれば、もう少し俺が世界を広げて入れれば前の学校でも何かと居場所が出来たのかもな、なんて。今だからこそ思えることを考えてみたら少しおかしかった。きっと伊藤がいなくても少しは世界を広げることが出来ることかもしれないけれど、こんな風になるにはきっと、もっともっと長い時間がかかったんだろうな。

 伊藤が『一ノ瀬透』を知っていて、かつ俺と言う存在を受け入れてくれたから、こんなに早く広がったんだろうな。いくら伊藤にお礼を言っても足りないから、そのうち手紙にでもして全部まとめて伊藤に渡したいなと、そう思う。いつかは。

――――

「さきせーんせい!」
「叶野くん?どうしたの?」

 放課後のHRを「残らずにすぐに帰るように」と締めて教室を出ると叶野くんが僕を呼び止めた。呼ばれて振り返ると小走りで駆け寄ってくる。

「一ノ瀬くんたちとこれから勉強会したいから残ってもいいですか?」

 どうしても場所が無くて!と快活に笑いながら質問しているけれど、残っても良いよね?と疑問符ではあるものの、子どもらしい傲慢にもならない確定に近いものだ。
 放課後生徒を残さないようにと軽く言われていたが、生徒に残りたいと言われたのなら担任の先生の判断に任す、その代わり職員室に近寄らせないように、とも言っていたので残っていても問題はないだろう。むしろまだテストまで2週間もあるのにもう勉強会なんてしちゃうのか、と感心を覚えた。

「良いよ。ちなみにどこでやるの?人数も出来れば教えてほしいな」
「教室です!えっと、俺と誠一郎と一ノ瀬くんと伊藤くんと、あと鷲尾くんです!!なので5人ですね!」
「そ、うなんだ」
「いやー、鷲尾くんに一ノ瀬くんとも勉強会するけどきみもやる?って聞いたらすごい勢いでやるって言ったんですよ!勢い半端なかったです!!先生にも見せたかったなぁ」

 結構鷲尾くんって現金ですよねー!と可笑しそうに笑う叶野くんに苦笑しながら納得した。教師がこう思ってしまうのも失礼なんだろうけれど、一ノ瀬くんと伊藤くんは仲が良いし、叶野くんは一ノ瀬くんたちのことを気にかけていて湖越くんとは幼いころからの付き合いのようだから分かるのだけど、どうして鷲尾くんもそのメンバーになったのかと気になってしまったのだ。
 叶野くんが気にかけていても、鷲尾くんは少し壁が厚いから、誰かと一緒になにかをすると言うことが想像できなかった。けれど叶野くんが心底おかしそうに笑いながら言ったことを聞けば納得する。
 一ノ瀬くんの頭脳だとか前の学校についてのことで一ノ瀬くんに興味を持っていると生徒から聞いている。一ノ瀬くんが勉強会するとなれば一緒にやりたがるのは想像に容易い。大人びた鷲尾くんのそんなところが子どもらしくて微笑ましい。

 鷲尾くんはいつも1人で勉強していて、叶野くんや湖越くんしか話さなかった。良くも悪くも鷲尾くんは自分の意志を通す子で、話す理由が無ければ話さないし、思っていることを隠すことなくストレートに伝えてしまうところも、少しみんなに一線を置かれる理由になっている。その一線置かれていることにも気にしている様子はなくて、僕の方が気になっていたんだと思う。
 勿論勉強も大事だと思う。特に鷲尾くんは悔しい思いをしたこともあるから、なおさら、なんだと思う。
 勉強が出来て損なことはない、少なくても学校生活においては。だけど、教師がこう言うのは間違っているのかもしれないけれど、鷲尾くんに勉強だけじゃなく友だちと遊んでほしいと思っている。
 まだ勉強から離れていないけれど、でも1人でやっていてそれに何も不満を抱いていないときより、こうして誰かと一緒にするのは大きな一歩だ。学校は確かに勉強を学ぶところではあるけれど、学べることはそれだけじゃないんだと思うんだ。人とのかかわりを学べるのもまた学校だから、勉強だけではない色んなことを学んでほしい。

「じゃあ俺そろそろもどりますね!」
「あ、うん。分からないところがあったら相談してね」

 はーい!と返事して来たときと同じように元気よく叶野くんは戻っていった。

「叶野元気ですね!」
「五十嵐先生」

 叶野くんを見送るとすぐ後ろから声がして振り返ると予想通り五十嵐先生がいた。となりには五十嵐先生のクラスの吉田くんもいる。

「そうですね、ところでふたりはご一緒になにを?」
「せんせーに勉強おしえて!て頼んだ!!」

 にこっと屈託ない笑顔で吉田くんはそう答える。明るい吉田くんと対照的に五十嵐先生にしては珍しく苦笑気味だ。

「そのな、悪いんだが……後ででもいいから、岬先生も来てくれ!こいつ文法とか訳分かってねえんですよ!」
「すぐるせんせーも教えてー!おれぜんっぜんべんきょうできないや!べんきょうむいてなーい!」
「少しは自分でもなんとかしろー!」
「あーおやめくださいー!」

 すぐるせんせーへるぷー!と五十嵐先生に羽交い締めにされながら吉田くんは僕に助けを求めてくるがその顔は笑っているので手加減していることが分かって、目の前で戯れて仲が良さそうな2人が微笑ましくてつい笑ってしまう。

「あはは、分かりました。あとで行きますよ。勉強するのはA組ですか?」
「助かる!いや、理科室でやる!」
「おーおれってば2人のせんせいに教えてもらえるなんてビップ待遇~」

 やったーと無邪気に喜んでいる吉田くんは髪こそオレンジに染めているけれど、明るくていつも楽しそうにしていて、身長が少し小柄なのも相まってマスコットのような扱いをされている。
 僕も可愛らしい生徒だと思っている。けれどどうも彼は本人が言う様に勉強が向いていないのか授業中も納得して頷いているよりも、首を傾げている回数の方が多い。
 真面目に授業は受けているけれど、得意ではないようだ。でも意欲はあるし、教えるとなれば僕も頑張らなければ。

「あ、でも叶野の勉強を見るんじゃ?」
「いえ叶野くんは他の子たちと勉強会らしいです。その許可を僕に求めて来たんですよ」
「へぇ~そう言えばのぞみんも頭いいよね~今度教えてもらおっとー」

 五十嵐先生の質問に答えるとのんびりと吉田くんがそう言うのに少しドキッとする。一ノ瀬くんや鷲尾くんも特殊な事情でこの高校に入ったと言う経緯があったけれど、叶野くんも少々特殊な事情があったから。
 そのことを知っているのか?と一瞬身構えてしまったけれど、吉田くんに限ってそんなことはありえないか、と生徒を疑ってしまったことに内心反省する。

「よし、じゃあそろそろ行くか!」
「はーい!すぐるせんせーまたねー!」

 手を振る吉田くんに僕も振り返す。なんだか楽しそうに話しながら歩いていく二人を見届けた後僕も職員室に行くべく歩みを進める。

 苦手得意、そんなもの誰にだってある。その苦手がたまたま勉強なだけっていう子はこの世界にどれだけいるんだろうか。
 他に長所があってもこの学校と言うコミュニティは勉強が出来ないだけで迫害を受けることも少なくはないんだろう。確かに学校は学ぶところではあるけれど、学校で習ったことが将来に絶対役に立つ、とまではいかないんだよね……。

 せめて、周囲から変な眼で見られない程度に僕ら教師が勉強を見て、学業の妨げにならない程度に人との関りを広げてあげる、それが僕にとっての教師の在り方だ。

 そんな考え甘いとか良く言われるけれど、理想を追いかけてなにも悪いことなんてない。

 僕は僕のなりたい人になりたい、それだけ。

「認めてもらいたい、と言うものではないよね」

 独りよがりと言われても、現実が見えていないと言われても、誰にどう思われようと、それでも……僕は生徒の味方でありたい。

――――

「……で、ここを代入。」
「お?おー……こうか?」
「……うん。正解」
「おー俺でも出来た。一ノ瀬の教え方って分かりやすいな、さんきゅ。牛島にどうしても聞く気にならなくてなぁ」

 昨日伊藤に勉強を教えたことによって少しだけコツを掴めてきたようで、湖越は分かったことに少しばかり感動を覚えながら感謝される。礼を言われてどう反応していいのか分からず、とりあえず頷いてみた。
 これなら俺も何とかなりそうだわ、と言う湖越はどうやら勉強が苦手なようだ。ただ分からない理由だとか理解の仕方が伊藤とよく似ていたので昨日のような苦戦はしなかった。伊藤は昨日俺が教えたところを忘れないうちにと復習をしている。
 見た感じ苦戦しているようには見えないので、コツはつかめたんだろう。国語とかと違って数学はコツさえつかめばそれなりに出来る、と慣れれば楽な教科だ。
 楽と言えるまで時間はかかるようだが、伊藤がすらすらと淀みなくノートに問題を解いているのを見る限り苦しんでいるようには見えないので大丈夫だろう。
 ちなみに叶野と鷲尾はいたっては……。

「あ、鷲尾くん、ここ間違ってるよー」
「どこだ」
「ここここ!過去形にしちゃうと意味変わっちゃうよ、この日本文だと進行形のほうが正しいかなー」
「……!そうか、そうだな」
「間違いやすいよねー。俺も何回もまちがえっちゃったよ」
「僕は1回注意されれば二度は間違えないぞ」
「お、嫌味だな~!このメガネ!」
「メガネは悪口じゃなくただの事実だろ!」

 俺が湖越に教えるから、と言えば鷲尾は不貞腐れたような雰囲気になったが、叶野にじゃあ鷲尾くんが一ノ瀬くん待ち時間の間俺らは日本語文を英文に訳してそれを見せ合って間違っているところ言い合おうと提案したのが聞こえていたのできっとそれを実行したんだろう。
 叶野が鷲尾のちょっとしたミスに気が付いて指摘して、鷲尾は自分が間違っていないと思っていたようで不機嫌そうな顔をしていたが間違っていた箇所を見せられてかつ具体的に説明されて、ちょっと呆気にとられたような気の抜けた顔をした後納得していた。
 どこを間違えていて間違いやすいのか参考に、と思い鷲尾に許可をもらって皆で見てみる。叶野がここだよ、と指を指しているところに注目する。

「……へー叶野、良く分かるなこの問題」
「えっ」

 それを見た伊藤が感心したように呟く。それに叶野は驚いたように目を見開く。それもそうだ。この問題は水咲高校ではまだやっていないところだ。
 前の学校では俺はやっていてかつこの問題が書かれているプリントは、昼休みに鷲尾に見せてもらった塾でやっていると言っていたものだ。この学校の授業だけやっていても分からない、そしてテストの範囲外である。
 あ、もしかして。

「……英語好きか?」
「え、あ、あーそう!俺実は洋楽とか好きなんだよね!たまに外国の映画も見たりするし?だから、こう、ちょっと分かっただけ!」
「へぇ、確かに音楽な分、訳してどういう意味なのか分かるのも暗号を解いてるみてえで楽しそうだな」
「そうそう!話が分かるね、伊藤くん!」

 確かに洋楽の歌詞を日本語訳にしたりするのは自然と身に着くんだろう。あまり洋楽……と言うか、音楽などの娯楽を嗜んだりすることはない。伊藤が好きと言っている曲を聞くこともあるが、日本人のアーティストばかりなので洋楽には縁がなかった。
 でも音楽ならリズムで覚えられるかもしれないし、伊藤との勉強でこういうのも取り込むと良いのかもしれない。勉強だけしてても、勉強の良い教え方って思いつかないものだな。勉強は一人でやるもので、自分が理解していればいいだけだが、教えるとなればそうもいかない。昨日散々痛感したものだ。
 人に教える立場となればきっともっと視野を広げるべきなのだろう。となると岬先生や五十嵐先生は視野が広いのだろう。

「……本当か?」
「ほ、ほんとうだよ!?」

 感心して叶野を見る俺と伊藤とは逆に何故か訝しそうに叶野を見て問いかける鷲尾に、叶野は何故か焦って肯定している。どこか空気が悪くなった気がする。

「ふーん」
「なんすか、そのわっしーの態度ぉ…おれせっかく頑張って見つけて間違ってるとこ教えたのにぃ」
「……おい。わっしーってなんだ」
「え、鷲尾くんのニックネームだけど」
「…許可した覚えはないし呼ばれた覚えもないが?」
「うん、俺がずっと考えていたニックネーム!今日からわっしーって呼ぶね!」
「辞めろ!」

 どこか不穏な空気になりそうな気がしたが、いつの間にかいつも通りの流れで叶野が鷲尾を弄っていた。何故いきなりニックネームで呼び始めたのか……わからん。

「今のなんだったんだ?」
「……分からない」

 首を傾げて叶野と鷲尾が騒いでいるのを伊藤とともに眺めている。一気に変わった空気に戸惑っていて気が付かなかった。

 いつも通り鷲尾を弄るようなことを言う叶野は内心いつも通りの空気になったことに安堵していたことに、2人を眺める俺らの後ろで湖越が落ち着きなく叶野の様子をじっと見ていたことを、俺は知らなかった。

 もしかしたら、鷲尾もいつも通りの空気にしようと無意識のうちに気遣っていたのかもしれない。これ以上叶野に追求すれば『いつも通り』ではいられなくなるのだと、意識で分かっていなくても俺よりは長く叶野と話していたから、無意識にわかっていたのかもしれない。

 だけど。いつかは『いつも通り』ではいられなくなることも、きっと分かってた。それを見て見ぬフリをしていたんだ。
 叶野と湖越は確実に綻びつつあることに気が付きながらも、こうするしか出来なかった。こうしないと自分を守れなくなってしまうんだって、叶野が壊れてしまうんだって、知っていたから。

 俺は、誰のことも何も知らないままでいた。決して自分だけが不幸と思っていたと言う訳ではないが、それでも俺は何も知らなかったんだ。分かってもいなかった。

 誰しもが多かれ少なかれ悩みを抱えているんだと言うことを。普通の高校生として幸せそうに見える叶野たちにも、俺の隣にいる伊藤にだって人前で言えないような悩みがあることを、ちゃんと理解できていなかったんだ。

――――

 結局叶野とくだらない言い争いのせいでいつの間にかもう帰らねばならない時間になってしまった。一ノ瀬にほとんど教えてもらえることもなく、気付けばこんな時間だ。溜息を吐いてバスを待つ。
 勉強を思った以上に出来ていないことに焦りを覚えると同時に、時間を潰される原因となっている叶野に対し怒りの感情を覚えない自分に首を傾げる。無駄な時間を過ごしてしまったと、そう心底思っている。
 正直叶野と話すことはほとんど人生に不要なもので、無駄なものだ。特に毒にならなければ薬にもならない。教室で勉強していようと関係なく話しかけてくる。
 それを無視すればいい、騒ぐなんてばからしい。勉強と違って何も残らないじゃないか。友人?そんな傷をなめ合うようなものがいなくたって生きていける。学生は学生らしく勉学に励めばいい。そして良い大学へ行きよりよい就職先を見つける、それだけでいい。そう教わってきた。

 それでも叶野を何故無視して勉強をしないのか。
 叶野に絡まれればどうしても反応してしまうのか。

 自分のことながらそのことに答えは出て来ない。今まで絡まれてきたことはあっても、それを無駄なものとして捨て置けた。耳栓を付けていればいい。なんだったら別に五月蝿い教室じゃなく図書室で勉強しに行けばいい。
 叶野を避ける方法はこうしてバスに乗り込む間に少し考えただけでこれだけ出てくる。無駄に絡んでくる叶野は決して馬鹿ではない。空気を読むことに長けているし、これは今日知ったが頭の作りも悪くない。
 さっき考えた方法を実践すれば失敗を繰り返しても僕が嫌がっているのを察するだろう。

 僕がクラスで一人でいることを望んでいるんだと強く言えばきっと叶野は複雑そうな顔をしつつも僕を放っておいてくれるだろう。
 分かっている。何回も僕は叶野に「僕は一人でも良い」とそう言おうとした。でも。叶野に話しかけられるとそう言おうとしたことが何故か頭から抜けてしまう。
 結局叶野と話していることに気が付くのはその日の終わりになって寝る寸前になってからだ。寝て起きて、学校に行くまで覚えている。今日こそは構うなと言おうと決めて、だが叶野に話しかけられればまた言おうとしたことを忘れてしまう。
 それが何日も続いて、最近ではそんなことを考えることすら放棄している。
 僕は、幼いころから『友』と言う存在はおらず、ずっと勉強に打ち込んでいた。勉強こそがすべてなのだとそう父から言い聞かされてきた。友なんてものは言葉で知ってはいてもどうだってよかった。
 自身の学力さえ高められればそれでいい。自分よりも高い知能を持つ存在にしから自ら興味を抱くことは皆無だったのに、叶野は自然に僕のなかに入り込んできた。気を遣いながら、でも遠慮もなく、かと言って僕を蹴落とそうとするような奴でもなく、ただ一人でいる僕を気にしているだけなのだ。

 無駄なことばかりしている、と思っている。1人でいる僕をそのままにして、勉強に励むなり叶野の周りを囲む奴らといるなりすればいいのに。明るく笑ってクラスの連中と騒いでいればいいのにな。

 他の奴らと同じように笑いながら僕に話しかけてくる叶野のことはよくわからない。だけど、彼がいるのはそんなに悪いものだとは思わなくなった。
 これが友人と呼ぶのかは僕には分からない。だが、なんとなく一ノ瀬が『良い関係』だと言う意味は何となく分かった気もする。『友とはなんなのか』と言う問題に僕よりも一ノ瀬のほうが答えに近付いていたことに今気づく、悔しいものだ。
 一ノ瀬が自分よりも優れた頭脳も持っていることなど百も承知と思っていたのだが、実際目の当たりにすると悔しいものは悔しい。そう言えばさっき叶野にも自分のミスを当てられた。
 出来て当たり前だと塾の先生にも言われていた問題だったのに単純なミスをしてしまった。そこを指摘されるのは、恥ずかしいものだ。今後も精進しなくては。

(……それにしても、いくら洋楽が好きだからと言ってあんなに細かく説明できるものなのだろうか)

 自分の中のそんな解せない気持ちをもう少し深堀しようとしたが、いつの間にか降りるところになっていて慌てて鞄を持って降りた。降りれて良かった、安堵の気持ちを持ちつつ少し乱れた制服を直しながら帰路へ着く。
 家に着けばもうすぐ家庭教師が来る時間だったので、急ぎ着替えて家庭教師が来るのを待った。
 結局勉強に没頭して自分が持った解せない気持ちは結局その日思い出すことはなかった。

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