捧げる愛、捧げられる愛

「来い」

 久々に声をかけてきたのは血縁上は父親の男。無理矢理二の腕を掴まれてそのまま引っ張られる。家に帰って早々のことだった。
 相変わらずこちらの意見は全部無視だ。昔からそうだった。
 褒めてほしくて話しかけても無視されたし、ケンカして学校に呼び出されて来てくれたときは相手に頭は下げても俺の意見なんて聞かずに迷惑かけるなとだけ声かけして仕事に戻って行った。それも家まで送ってもらえず、学校に近いコンビニまで。あの瞬間にこの人に何かを求めるのを諦めたのだ。
 母親と呼ばれるらしい人もいつの間にかいなくなっていた。俺への説明は無し。今だって、家に帰ったら中は何もなくなっていて二文字だけの言葉で肩が抜けそうなぐらいの力で引っ張っていく。どうでもいい。どこでもいい。俺のことなんてどうでもいいんだろ。それならなんで生んだの。
 疑問が浮かんではどうせ何も言わないと諦めてただ父親の作った流れに身を任せるだけだった。車に乗り込んで発進させる父さんの横顔からやっぱり何も感じられずに、何となく気まずくて眠くないけれど目を閉じた。

「起きろ」
「!」

 目を閉じていたらいつの間にか眠っていたらしい俺の腕に容赦なく打ち付けられた衝撃と乾いた音に目を開ける。隣を見ればいつもの冷たい目の父親の姿。口が動いて言葉を吐くのがゆっくりに見えた。

「今日からここに住む」

 それだけ言うと車からさっさと降りてしまう。俺もシートベルトを外して車から出た。車が止まっていたのはどこかの家の玄関前の駐車できるスペース。その家はいかにも古そうな気でできた家だった。それでもかなりの大きさであることが分かった。確か、平屋っていうやつだ。うっすらと歴史の授業を受けてそう聞いたのを思い出していると、父親はその家の鍵を開けて中に入っていった。
 俺は驚いた。この家と父親の関係が分からない。けれど俺には拒否権はない。その遠い背中に近寄るために歩き出す。
「あんたは……!もっと子どもの……」
「あーわかってる、うるさいっ」
 玄関では高くて少しガラガラした女の人の声がいつも淡々としている父親には珍しく怒りを込めた声だった。腰に手を置いている太っているばあさんとこれまた珍しく身を小さくしている父親の姿が目に入って、なんとなくどうどうと家の中に入れず玄関の扉から覗く。
 すると俺の姿に気が付いたばあさんが、さっきまでのしかめっ面をどこかにやって笑いかけてしゃがんで俺に目を合わせてくる。

「佑くんかい?初めまして!ばあちゃんだよ!」
「……ども」
「あんたのお母さんと相性が悪くってねえ!うざいかもしれないけれどよろしく頼むよ!」
「はあ」

 いつもみんなから迷惑がられて、父親からも母親からも笑顔を向けられたことのない俺にこのばあさんの態度へ、どう反応していいのか分からなかった。
 疲れただろうから、と作ってくれていたらしいご飯を食べてと沸かしてくれたお風呂に入ってと用意してくれた布団に潜り込む。
 俺の部屋だと案内されたここは布団と箪笥とちゃぶ台が置かれていた。古いけれど、なんだか暖かった。
 前のマンションのときは家事をしてくれる人はいたもののどこか冷たく淡々としていた。なにがちがうんだろう?
 そう考えていたけれどいつの間にか瞼は閉じてしまい、疲れていたせいかそのまますぐに眠りにおちた。


「ーー!」
「ーー」
「……」

 目を開けると離れたところから微かに聞こえる大きな声に、ここも同じなんだなあと思いながら布団から出て、あのばあさんが用意してくれたパジャマからいつの間にか家から持ち出されていた服の入った箪笥を開けて適当に着替えて声のする方へと向かう。昨日ご飯を出されたところだ。
 そこには既にぴっしりとスーツを着ている父親とゆったりした服を着たばあさんの姿。ケンカしてるらしい。

「あんたね!子ども放っていくなんてどうかしてるわよ!」
「仕方ないだろ。金がないといけないだろ」
「貧乏でいいでしょう!もっと子どもに愛をね!」
「うるさい。もうこいつも身体がでかいから適当でいいから」
「待ちな!……まったく、嫌なところお父さんに似ちまってさあ!」

 ばあさんの言葉を無視して父親は玄関のほうへと向かっていってしまった。次はいつ会えるんだろ。どうせ母親じゃない女性のところにでもいるんだろうけれど。俺といるよりも良いって電話で言っていたし。

「……」
「おや!起きちまったかい。悪いねえ、朝から喧嘩しているところ見せちまって」
「?父親も母親もよくケンカしてたから、いつも通りだ」

 そう言うとばあさんは悲しそうな表情をする。なんで悲しむのか分からない。別に俺が怒られているわけではないし、ただ少しうるさいなあと思うだけ。あとはあんまりうるさいとまた近所の人に怒られるなあと思うぐらいなのに。首を傾げるとばあさんは取り繕うかのように笑った。これ以上何も聞くつもりはないみたいだ。

「友だちと遊びに行く約束とかなかったのかい?」
「友だちいないし」
「じゃあ、家でゆっくりだね!家の中案内するわよ、と、その前に朝ごはんだね!好きなものとか苦手なものとかあるかい?」
「たぶん、ない」
「好き嫌いないのもいい子だけれど、本当に嫌いなものとかは無理して食べなくて良いんだからね!」

 とりあえずちゃちゃっと作っちゃうけれど、無理と思ったら残すんだよ!なんて、学校の先生も両親とも真逆のことを言われて戸惑いながら頷いて、テレビを見ながら待つ。
 しばらくするとちゃぶ台に料理が並んだ。簡単なもの、と言っていたけれど焼いたウィンナーと卵焼きに味噌汁に白米はとっても美味しくて苦手なものは特になかった。
 少し休んでから家の中を案内してもらった後は外には何があるのか教えて貰って帰ってから昼ご飯を食べたら、なんだかんだで午後2時半ぐらい。学校以外でこんなに人といるのは久しぶりかも。ずっと前に父親と母親に遊びに行きたいって行っても面倒くさい顔をされて無視されるか近くの公園に連れて行って貰ってもずっとスマホ見ていて、つまらなかったからねだることもしなくなってた。
 このばあさんは何故かずっとニコニコしてて俺のそばにいる。ついでにスーパーで買い物するときはこれは好き?これは?と何度も聞かれて荷物を持ったらお礼を言われる。変なの。このぐらい当然なのに。

 俺はぼんやり興味のないテレビの中を眺めていると、いつの間にか台所に移動していたばあさんが何か持って戻ってきた。

「おやつだよー!」

 そう言いながら何かをちゃぶ台に置く。皿の上のものを覗くとそれはなんか茶色いやつ。

「なにそれうんこ?」
「色はあれだけどチョコでできてるわよ!ブラウニーよ!ばあちゃんの手作り。ほらほら自信があるのよ、食べんさい!」
「……」

 チョコ、確かに甘くて良い匂いのするそれは今まで禁止されていたものだった。
 母親がこういうのを食べる子は馬鹿だといつも言っていたことを思い出した。
 母親がいなくなってからはそういうのは自由だったのに、なんだかんだ口にしてこなかったことに今気付く。
 そろそろとフォークを使って食べやすいサイズにして、口の中に放り込んだ。

「……うま」

 甘い匂いと味に目を見開いた。こんなにチョコって美味しいんだ。チラッとばあさんを見ると、嬉しそうな顔をしていた。食べたことを嫌そうにしていない。
 怒られないのなら、いいよな。また俺は口中ににいれた。いつの間にか夢中で食べていた。おいしい。すごく、おいしい。

「あんたも作れるようになんなさいよ!」
「男が料理って」
「はー!若いくせに頭カッチカチだわあ!岩頭!」
「なんだ岩頭って」
「いつか愛してる子に作れるようにしておけってことよ!」
「愛、ねえ……」

 よく聞く単語だけどよく分からない。先生に親のことを話したら子を愛さない親はいないと言われたとき、なんか誰かに何かを言う気が無くなったことを思い出す。なんとなく、愛という言葉が苦手だった。そんな俺にばあさんは何を言うでもなかった。ただ、何故か俺のそばにしゃがんで両腕を広げた。

「案外悪いもんじゃないよ。あたしが教えてあげるわ!さあ!」
「……」

 そう言われても。親にそんなことをされたことがない。どうしていいのか分からない。思わず後ずさる。だが、ばあさんは遠慮はなかった。

「じゃああたしから行くよ!」
「やめっ、ぎゃああ」

 ばあさんは勢いよく俺に近寄り、そのまま抱きしめられた。
 その抱擁から逃れようとしたけれど、予想以上に柔らかくて暖かなそれに抵抗がピタリと止まった。腕が背中に回る。俺の手はどうしていいのか分からず、頼りなくさまよわせるしかできなかった。
 ばあさんはとんとんと俺の背中を優しく叩きながら語るように話をする。

「佑ちゃん、あんたは幸せになっていいのよ」
「……」
「父ちゃんも母ちゃんもどうしようもないけれど、佑ちゃんは違う。人に愛されて人に愛するのよ。そしてあったかいおうちをつくるのよ」
「おれにはむりだよ。だって、わからない。知らない。あいってなに。わかんない、わかんないよ」
「大丈夫。これから知っていくのよ!あたしが教えてあげる。正解か不正解かどうでもいい。あたしのあげたい愛をあげるから。だから、いつかあんたも愛をあげたいと思う相手にこれでもかって与えなさい。ばあちゃんとゆっくりやって行こう」

 戸惑って固まってばかりの俺に、ばあさんは暖かな熱を与えてくれる。少しずつ少しずつ、チョコを溶かすようにじっくりと教えてくれると言ってくれた。
 優しく暖かくも力強くそう言ってくれて、俺はその後しばらく涙が止まらなかった。
 泣き続ける俺をばあさんは突き放すこともなくまたブラウニーを持ってきてくれて、俺は泣きながら食べた。しょっぱかったけれど甘くて美味しくて、さらに俺は泣いた。



 いつか俺も愛を知るようになれたのなら。
 いつか俺も愛をあげられるようになれたら。
 そのときはきっと【幸せ】なんだと思った。


 これは、愛を与えたいと思う相手と出会う6年前の話。
 まさか、俺とは生まれも育ち方も真逆の女性と心惹かれ合い、その女性が俺と一緒にいるために家出同然で結婚することになるとは夢にも思わなかった。
 そして娘が生まれて孫まで生まれるだなんて夢のまた夢だと思っていたのにな。
2/2ページ
スキ