つもり、つもり、あいがふりつもり


 ふと考える。理一を見つけることが出来なくて、自分がしていることに冷静さを取り戻したあの夏の日のことを。
 もしも、あのまま帰ってしまっていたら。もう俺は『彼』のことを思い出すことはほとんどなくなっていただろう。わざわざ一人で海に来る理由ももう無くなったから『彼』の顔も知らずに記憶の隅に追いやられるだけだった。ほんの一瞬、俺の行動が早かったら。理一の行動が遅かったら。

「交じり合うことはなかったでしょうね」
「あっさり言ってくれるなあ」
「俺車どころか免許も持ってないから……ナミは俺の腕の中で冷たくなって、俺の絶望は大きくなって今度こそ孤独に生きることを決めたでしょうね。もしくは理香に好きなように飼われていたか……どちらにしても俺は幸せとは無縁の生活してたでしょう」

 理一はまるでその未来を見てきたかのようにあっさりとそう言った。
 理一の妹の理香が襲撃してきたあの日の後、そこまで俺たちの日常は変わっていない。住んでいる場所も働いている場所もお互い変わっていなくて、会えるのは土曜日で、依然とあまり変わらない。……いや、変わったか。恋人になってまだ2ケ月ほどしか経っていないけれど、あの日結果として泊まりなったということもあって理一の家に来たらそのまま泊まるようになったことと、前なんか比じゃないほどに触れ合いは増えた。というか増やした。抱き寄せたり手を握ったり。顔を赤くして焦っているのに嬉しそうなのがたまらなくてついつい調子に乗ってしまう。まだキスもしていないが……理一はそれ以上のことをしたらどうなるんだろうな、腕をなぞるだけで悩まし気な声を出すのだ。傷跡があるから敏感になっているだけかもしれないが、少し、いや、かなり期待する。元カレとは本番まではお互い勇気がなくてできなかったといっていた。繋がらなくてもいいけれど、理一が嫌じゃないなら色々考えたい。
……あまりそんなことを考えていると自分が色情魔になった気分になるからこのぐらいにしよう。
 寒さのせいで歩く気にならないナミは理一の腕の中に抱えられその状態で並んで冬の海を眺めながら散歩をしている。
 理一はその毛で覆われた背中を撫で、ナミは腕の中で気持ちよさそうに目を細めながら俺のことをじっと見つめている。ナミはまるで小さな子どもみたいで微笑ましさに笑みが零れる。

「ナミはすっかり大きくなったな」
「はい。この間獣医さんに聞いたら身体としてはもうほとんど成犬なんですって。もう健康そのものだから安心していいとお墨付きもいただきました」
「わうん」
「今度遠出するのもいいですね」
「そうだな、そのときは車出すからな」
「ありがとうございます。みんなでお出かけ……今年はやりたいことがいっぱいです」

 理一は嬉しそうに笑う。この日々が幸せなのだと心から感じているその顔に、俺も自然と心が穏やかになって優しい気持ちになる。理一がこれからやりたいことを言う度にたまらない気持ちになって、どんなことでも叶えたいと思う。……ふと、理一とよく似ているけれど全く似ていない理香のことを思い出す。年末、どこから知ったのか俺にメッセージが送られてきたのだ。

『お久しぶりです。理香です。お兄ちゃんはお元気でしょうか。貴方が泣かせていたら容赦は致しませんので罰せられたくなったらいつでも仰ってください。仰られなくてもすぐに殴りに行きますが。どのぐらいお兄ちゃんは貴方に自分の家族のことや今までのことを教えたのか分かりませんが、とりあえず全部知っている体で報告させていただきます。両親と浮気をした兄の以前の彼氏には一切貴方たちに関与させないようにしています。同性愛を矯正させようとか無理矢理結婚させればとか馬鹿なことを言う両親は適当に言い包めておきました。兄の以前の彼氏は兄に未練たらたらでしたので、少しお灸を据えさせていただきました。正確にはあなたと以前婚約までしていた彼女とくっつけました。共依存にさせたので貴方のところにももう邪魔に入ることは無いと思います。これで私がお兄ちゃんにした仕打ちがチャラになるとは思っていません。ですが、私なりのけじめをつけるつもりです。私がこうしてあなたに連絡したことをお兄ちゃんに伝えるかどうかはあなたに任せます。今後は私からの連絡は致しませんので安心してください。返信は不要です。どうか、お兄ちゃんを幸せにしてください。


ちなみに。いつでもお前のことをどん底に落とす準備は出来ています。兄に捨てられたらいつでも社会的地位を剥奪しますのでせいぜい捨てられないよう尽力してください。私は自らを道ずれにしてでも貴方を引きずりおろしてやりますので、そのときは覚悟しておいてください』

 ちなみに。以降の文章には思わず鳥肌が立ってしまったが、理一に捨てられないよう好かれるように今まで通り努力するだけだと決意を新たにしてもらった。
 というか、どうやって理一の元カレと裕美子を接触させ挙句共依存にまでさせたのか……そういえばあの日以来裕美子が現れることはなかったが、説得が効いたのかと思って安心していたが……理香の仕業だったのか。何気にしっかりと両親のことも止めているし、改めてとんでもない女だと痛感させられた。
 こんなのに好かれていた理一は大変だっただろう。まだ経験の浅い子どもだったからか理一の必死の声が響いたのか理香は己のしたことを自分なりに後悔しけじめをつけた。
 一応は俺のことも認めているようだし……とりあえず害を与えてくることはなさそうで安心する。それでも継続的に興信所に頼んで状況把握だけはさせてもらうが。
 俺だって理一を傷つけてきた理香を許すことなんてできない。油断はならない女なので若いからと甘く見ることはない。もちろん理一には理香に関することは教えるつもりはない。……今のところは。理一から聞かれたときにまた考えようと思う。今はただ、恐怖を与えてきた存在から離れることができたのだと実感してほしい。俺よりも身長のある男にそう思うのは変かもしれないが、俺にとって愛おしい人でしかないので、危険の芽から少しでも離れていてほしいのだ。……少し、過保護、だろうか。いや、このぐらいは恋人だから当然だよな。うん。

「あの」
「ん?」

 色々と考えていると、理一がおずおずと話しかけてきた。かわいいなと思いながらも顔に出さずに続きを待つ。

「あと、おれ、その……護さんの家に行ってみたいです」
「あ、ああ。そうか、俺の家はまだ来たことないのか。そうだな、今度ナミと一緒においで。迎えに行く」
「……」

 車でもそれなりに時間がかかる。電車やバスを使えば軽く2時間は超える。ナミもいつまでも狭い鞄の中で長時間移動するのは可哀想だろう。そう思ってのことだったが、何故か理一は不満そうに唇を尖らせたので首を傾げた。

「俺も免許取ろうかな……」
「取るのか?車に興味無さそうだけど」
「今のところは、まあ、でも、いつも来てもらってばかりで申し訳ないですから……」
(いずれ同棲を狙っていると言ったらどんな顔するんだろ)

 俺が来ることばかりで申し訳なさそうにしている理一にそう言いたくなる。俺しか見ないでほしいなんていう束縛はするつもりはないが、恋人とは一緒にいたいんだ。最近ナミをモデルにした犬のぬいぐるみがよく売れるらしく制作に忙しく連絡が出来ないことが増えてきている。自由に楽しんでいてほしい気持ちと俺を見てほしいという気持ちが最近争いを起こしているので、一緒に住むのが手っ取り早い気がしている今日この頃。……とはいえ、今理一が住んでいる家はおばあさんから貰った大事なものであることも知っているので、俺が転職することも視野に入れている。理一が俺と同じ気持ちになったらまた話し合いをしていきたいところだ。だから、まだ同棲したいと言い出すのは早い。早いぞ、まだ待て。
「俺が行きたいから来てるからあまり気にしなくていいんだけどな。でも、理一が免許取りたいなら応援する」
「ありがとうございます、そのときは色々教えてくださいね」
「どっちにしてもナミが少しずつ出かけられる距離を増やしていくのが先決だな」
 平和に現実的な会話をする。これも本音だ。だが、好きな人と一緒に暮らしたいのだと涎を垂らした犬のように訴えている本能に理性が待てを命令する。

「あ、雪」
「くん?」
「どうりで寒いわけだな」

 理一が降り出してきたそれに声を出してくれたおかげで意識が雪にずれたことに安心する。
 灰色の空から降り出す白い雪を二人と一匹で寄り添って眺める。はらりはらりと舞う雪。これからつもるのだろうか。

「つもりますかね」
「どうだろうな」
「つもったらナミはどんな反応するんでしょうね。どう?初めての雪は」

 つもったら面倒だなと思うつまらない俺と、雪を嬉しそうに見上げる可愛い理一と、初めて見る白いそれを鼻をひくつかせるナミ。とても愛おしいと思う。気付かれないように後ろを振り返る。
 そこには二人と一匹の足跡が続いていて、これからもこうして歩いて行きたいと心から思った。

 ひらひらと散りゆく白い雪。
 寒いし滑るし交通機関に影響が出るし濡れるし、不愉快でしかないといつも感じているけれど、今だけはどうかつもってくれと願う。
 スマホに映る画像のつもりで理一を見ていた俺と、一人で生きていくつもりだった理一。
 ナミとウミたちのおかげでつもりとつもりが合わさって、そこに愛が生まれた。
 雪が降り積もるようにさらに愛がふりつもることを願う。
 パーマかと思ったら緩くうねっているのは天然だった髪の上にくっついた雪の粒、湿った鼻に溶けて消えていく雪の粒。
 全てが愛おしくて、たまらない。きっとこれからも日々が雪のようにふって、愛がふりつもっていくのだろう。そう信じているし、絶対にそうすると決めている。隣の幸せの形そのものの姿に胸を熱くさせた。

「愛してる。理一。もちろんナミも」
「っ!おれも、ふたりのこと、大好きですよ」
「わんわんわん!」

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