普通の男
『自分らしい生き方』について何となく自分なりの考えがまとまった頃、ひとつの駅に着いた。
「あははははは!」
静かだった車両内が、繁華街が近くにある駅についたと同時にあちらこちらで騒がしくなった。俺と同じような年代のスーツ姿の人たちや大学生らしい若い子たち。少々耳が痛くなるほどの笑い声や話し声に元々電車に揺られていた仕事帰りらしき人たちは迷惑そうに視線を向けるが、酔っ払いがそんな無言の文句など察するのは無理な話で何が楽しいのか理解できないけれど、とにかく笑っている。遠くからでもよく響く声なので近くの人はさぞ煩いことだろう。こちらはといえば……ハーフアップの茶髪とショートヘアの黒髪の女性二人が出入り口近くで話していた。遠くから聞こえる男性たちの賑やかさとは対称的に、茶髪の子は俯き気味で、黒髪の子は心配そうな様子だった。茶髪の子は淡い水色の薄いカーディガンにロングスカート、黒髪の子は袖なしのVネックにふわっとしたズボンのようなスカートのような格好だった。茶髪の女の子は何だか見覚えがあるような気がして内心首を傾げる。
「やっぱり、あれかなあ。夢は諦めた方がいいのかなあ……」
ぽつり、呟いた声にどこかで聞き覚えがあり、再度彼女たちにそうっと視線を向けると茶髪の子は俯いていた顔を僅かにあげていて、顔がわかった。そこでやっと思い当たった。暗めの茶髪のハーフアップの薄いカーディガンとロングスカートを着こなしていた子が、自分の会社に最近入ってきた派遣の女の子だった。同じ部署ではないので挨拶をしたぐらいで話もしたことがないのでどんな子なのか知らないけれど、ハキハキと挨拶と自己紹介してくれる明るい女の子だなと思ったことは覚えている。今の彼女は記憶の中とは全く違う、暗く重い雰囲気で呟いた言葉に反応したのは彼女の友人らしき黒髪の女の子だ。
「いやいや、そんなもったいないよ。イラストレーターとして食っていきたいってずっと言ってたじゃない、夢のために生きたいって」
「うん、そうなんだけどさ……やっぱり、他にも凄い人いっぱいいてさ。心折れてきた……」
「絵うまいじゃんっ、そんな簡単に諦めること無いってっ」
「うん……」
励まそうとしている友だちの声にも彼女はどこか虚ろで、相槌はしていても心ここにあらずといった雰囲気だった。
同じ会社の者だが直接的に関わり合いのない、しかもプライベートのことをこれ以上聞いてしまうのも失礼だろうとイヤホンを取り出して音楽を流してなんとなく目を閉じて彼女の友だちの言葉を思い返す。
夢のために生きる、か。
自分が夢を見ていたのはいつだっただろうか。
幼稚園はヒーロー戦隊、小学生のときはサッカー選手になりたいなどと言っていた記憶はある。
中学のときはどんな夢を見ていたのかは覚えていない。高校のときは夢の話の話をしていたことすら思い出せない。大学のときは内定が取れないことに苦しんでいた記憶ばかりだ。
いつしか自分は特別な自分になれないと見切りをつけたのだろう。何も考えずに周りの皆が流されているのと同じように自分も流れていった。とりあえず進学、とりあえず就職、とりあえず仕事。自分はそこに疑問は特に無かった。それが普通だからだ。
そんな普通な自分だが、周囲には夢のために生きると公言していた人間もいた。声優になりたいとかモデルになりたいとかアーティストになりたいとか海外で活躍したいとかお笑い芸人になりたいとか、色々。
俺はそんな彼らを見て現実見ろよと思うと同時に少しやりたいことを口に出せるのが羨ましくも感じていた。自分にないものを持っている人は輝いて見えるのはどうしてだろうか。不思議なものだ。
年を重ねる毎に夢を口にする人も減っていった。何人もいた夢見る人間はいつの間にか就職して家族を作って俺たちと同じ普通になった人間や、諦めたのかどうしたのかわからないけれど音信不通になった人間もいて、精神を病んだと聞いた人もいる。
夢のために生きるのが、どれほど難しいのか普通の俺には分からないけれど相当な苦労があるのだろう。
綺麗な言葉は聞こえが良くて素晴らしくて美しい。
それを叶えて生活できる人間はとても少ないのだろう。
けれど、お笑い芸人になりたいと言っていた後輩が最近メディアの露出が増えていった。苦節9年、去年開催されたあるお笑いコンテストで準優勝を取ったのだ。高校のときから知っている昔からの後輩に対して感慨深くてテレビ投票して優勝を願っていたので、結果に残念な気持ちになったのも記憶に新しい。
準優勝おめでとう、とラインするとすぐにあざっす!来年こそ優勝めざしまっす!とやる気に満ち溢れたスタンプがきた。すっかりメディアの人間になった彼は変わらず持ち前の明るさと人懐っこさで場を盛り上げていた。
俺の知る中で夢を叶えた唯一の人間である。本当に叶えられる人間もいるんだなと感動したのだ。
芸能人なんて、本当に一部の人間しか叶えることができない狭き門だと一般人でも分かる。
9年でブレイクなんて芸能界の中では早い方なのだろうが、その9年は普通に考えると長い。
一般人であれば普通に結婚して普通に子どもを生むには十分な時間だ。
叶えることが出来るか分からないものに時間を費やせることも、きっと才能なのだろう。
普通でしかない俺は夢なんてだいそれたものを得ることはできなかったが、応援はしたいと思う。我が子はこれからどんな夢を見るのだろうか。親の願う幸せと子の想う幸せが一致出来る夢なら……いいや、とんでもない夢だとしても頑張って理解しよう。
普通の生き方を普通とした俺がどれだけ受け入れられるか分からない。柔軟さが失われないよう、頑張ろう。
目を開けるともうすぐ乗り換えのための駅につく頃だったので、出入り口の方へと移動した。勿論彼女たちがいない方に。
扉が開く前にもう一度彼女たちに視線を向ける。
落ち着いたのか吹っ切れたのか、先程よりも明るい笑顔で友だちと何か話しているようで、安心して開いた扉から箱の外に出た。
「あははははは!」
静かだった車両内が、繁華街が近くにある駅についたと同時にあちらこちらで騒がしくなった。俺と同じような年代のスーツ姿の人たちや大学生らしい若い子たち。少々耳が痛くなるほどの笑い声や話し声に元々電車に揺られていた仕事帰りらしき人たちは迷惑そうに視線を向けるが、酔っ払いがそんな無言の文句など察するのは無理な話で何が楽しいのか理解できないけれど、とにかく笑っている。遠くからでもよく響く声なので近くの人はさぞ煩いことだろう。こちらはといえば……ハーフアップの茶髪とショートヘアの黒髪の女性二人が出入り口近くで話していた。遠くから聞こえる男性たちの賑やかさとは対称的に、茶髪の子は俯き気味で、黒髪の子は心配そうな様子だった。茶髪の子は淡い水色の薄いカーディガンにロングスカート、黒髪の子は袖なしのVネックにふわっとしたズボンのようなスカートのような格好だった。茶髪の女の子は何だか見覚えがあるような気がして内心首を傾げる。
「やっぱり、あれかなあ。夢は諦めた方がいいのかなあ……」
ぽつり、呟いた声にどこかで聞き覚えがあり、再度彼女たちにそうっと視線を向けると茶髪の子は俯いていた顔を僅かにあげていて、顔がわかった。そこでやっと思い当たった。暗めの茶髪のハーフアップの薄いカーディガンとロングスカートを着こなしていた子が、自分の会社に最近入ってきた派遣の女の子だった。同じ部署ではないので挨拶をしたぐらいで話もしたことがないのでどんな子なのか知らないけれど、ハキハキと挨拶と自己紹介してくれる明るい女の子だなと思ったことは覚えている。今の彼女は記憶の中とは全く違う、暗く重い雰囲気で呟いた言葉に反応したのは彼女の友人らしき黒髪の女の子だ。
「いやいや、そんなもったいないよ。イラストレーターとして食っていきたいってずっと言ってたじゃない、夢のために生きたいって」
「うん、そうなんだけどさ……やっぱり、他にも凄い人いっぱいいてさ。心折れてきた……」
「絵うまいじゃんっ、そんな簡単に諦めること無いってっ」
「うん……」
励まそうとしている友だちの声にも彼女はどこか虚ろで、相槌はしていても心ここにあらずといった雰囲気だった。
同じ会社の者だが直接的に関わり合いのない、しかもプライベートのことをこれ以上聞いてしまうのも失礼だろうとイヤホンを取り出して音楽を流してなんとなく目を閉じて彼女の友だちの言葉を思い返す。
夢のために生きる、か。
自分が夢を見ていたのはいつだっただろうか。
幼稚園はヒーロー戦隊、小学生のときはサッカー選手になりたいなどと言っていた記憶はある。
中学のときはどんな夢を見ていたのかは覚えていない。高校のときは夢の話の話をしていたことすら思い出せない。大学のときは内定が取れないことに苦しんでいた記憶ばかりだ。
いつしか自分は特別な自分になれないと見切りをつけたのだろう。何も考えずに周りの皆が流されているのと同じように自分も流れていった。とりあえず進学、とりあえず就職、とりあえず仕事。自分はそこに疑問は特に無かった。それが普通だからだ。
そんな普通な自分だが、周囲には夢のために生きると公言していた人間もいた。声優になりたいとかモデルになりたいとかアーティストになりたいとか海外で活躍したいとかお笑い芸人になりたいとか、色々。
俺はそんな彼らを見て現実見ろよと思うと同時に少しやりたいことを口に出せるのが羨ましくも感じていた。自分にないものを持っている人は輝いて見えるのはどうしてだろうか。不思議なものだ。
年を重ねる毎に夢を口にする人も減っていった。何人もいた夢見る人間はいつの間にか就職して家族を作って俺たちと同じ普通になった人間や、諦めたのかどうしたのかわからないけれど音信不通になった人間もいて、精神を病んだと聞いた人もいる。
夢のために生きるのが、どれほど難しいのか普通の俺には分からないけれど相当な苦労があるのだろう。
綺麗な言葉は聞こえが良くて素晴らしくて美しい。
それを叶えて生活できる人間はとても少ないのだろう。
けれど、お笑い芸人になりたいと言っていた後輩が最近メディアの露出が増えていった。苦節9年、去年開催されたあるお笑いコンテストで準優勝を取ったのだ。高校のときから知っている昔からの後輩に対して感慨深くてテレビ投票して優勝を願っていたので、結果に残念な気持ちになったのも記憶に新しい。
準優勝おめでとう、とラインするとすぐにあざっす!来年こそ優勝めざしまっす!とやる気に満ち溢れたスタンプがきた。すっかりメディアの人間になった彼は変わらず持ち前の明るさと人懐っこさで場を盛り上げていた。
俺の知る中で夢を叶えた唯一の人間である。本当に叶えられる人間もいるんだなと感動したのだ。
芸能人なんて、本当に一部の人間しか叶えることができない狭き門だと一般人でも分かる。
9年でブレイクなんて芸能界の中では早い方なのだろうが、その9年は普通に考えると長い。
一般人であれば普通に結婚して普通に子どもを生むには十分な時間だ。
叶えることが出来るか分からないものに時間を費やせることも、きっと才能なのだろう。
普通でしかない俺は夢なんてだいそれたものを得ることはできなかったが、応援はしたいと思う。我が子はこれからどんな夢を見るのだろうか。親の願う幸せと子の想う幸せが一致出来る夢なら……いいや、とんでもない夢だとしても頑張って理解しよう。
普通の生き方を普通とした俺がどれだけ受け入れられるか分からない。柔軟さが失われないよう、頑張ろう。
目を開けるともうすぐ乗り換えのための駅につく頃だったので、出入り口の方へと移動した。勿論彼女たちがいない方に。
扉が開く前にもう一度彼女たちに視線を向ける。
落ち着いたのか吹っ切れたのか、先程よりも明るい笑顔で友だちと何か話しているようで、安心して開いた扉から箱の外に出た。