普通の男

自分らしい生き方

最近よく耳にするし、文字の羅列を見ることも多い。
自分らしい、というのはそもそも一体どういう意味なのだろうか。
自分のやりたい仕事をするための自分らしい生き方なのだろうか。
俺のような昔ながらのこの時間に必ず来て基本的には定時で上がるというスタイルではなく、時間の縛りが比較的緩いフレックスタイム制というものなのだろうか。
それとも会社の出勤があまりない自宅などで出来るリモートワークが中心の仕事ができるところが良いのだろうか。
確かに、昔に比べて働き方の幅は広がったように感じる。俺の会社でもリモートワークができるように色々動いていた時期もあったが、結局ネット回線の都合や、俺よりもっと上の年代が直接顔を合わせないのに慣れなくて、結局昔ながらのスタイルに落ち着いてしまった。
二〇代から見たら年上のくせに根性がないとか、時代遅れとか言われてしまうが、それも仕方ないことなのかもしれない。
歳を重ねる毎に段々と頭が固くなって、新しいものが受け入れにくくなっていくものだ。
スマホだって未だ使いこなせない上司だっているのだ、その上をいく未知なるものを受け入れるのに時間がかかっていく。
昔はよく分からなかった思考が、今では何となく分かってしまうようになった。俺も歳をとった、ということだろうか。とはいえ、時代の流れに取り残され続ければ仕事にも影響が出ることもまた事実だ。
例えに浮かべるとするのならスマートフォンだ。
昔はスマートフォンを持っている人こそ少数派だったのに、ガラパゴス携帯を持つ人が希少となり、スマートフォンを活用するのが主流となった前例もあるのだ。世界が変わったのなら、自分たちも今まで使い続けていたものを捨てて新しいものに変えないと、連絡を取り合うこともままならなくなってしまったし、飲食店で注文することも難しい世の中になっている。
世界のみんなが同じことをしている。その中で自分の考える自分らしいというのはどういうものなのだろうか。
結局、自分らしいということはいつか消えていくことなのかもしれない。
俺自身は、極稀にこの世界の在り方が正しいのかとか、過去の選択が違ったらまた違う今があるのかと考えることもあるが、送る出勤して仕事に追われ家に帰ると忘れてしまうので、俺の中では然程重要なものではないのだろう。
きっと起業を考えていたり、自分らしい生き方を模索している人間から見た俺という人間は、有象無象のつまらない人間に見えるだろうけれど。
起業すると言って会社を辞めた同期にもお前はつまらないなあ、自分らしく生きてみろよとも実際言われたこともあるけれど。
今より良い環境と給料を得られる可能性があるとともに今より劣悪な環境と給料が下がる可能性のある転職や自分で考えて自分の思う会社を作り上げるメリットと会社を存続させ続ける苦悩のあるデメリットを併せ持つ起業するリスクよりも特別なことは無くとも基本的には定時で上がることができて残業代も出る今の会社にい続けたほうが、カリスマ性もなく特別仕事ができるわけでもない自分の性に合っていると思う。
家族がいるから、尚更だ。
嫌な上司がいて、たまに理不尽に打ちのめされることもあるけれど、このぐらいは自分には耐えられる。
凡人である自分は、家族のために今の会社に勤め続ける方がいい。
夫として父として働いて生きる。
これも、まあ、ある意味『自分らしい生き方』ではないかと思う。
電車の中で揺られながら、自分なりの自分らしい生き方に答えを出した。
 いつの日か自分の考える『自分らしい生き方』はこれでよかったのだろうかと自問しては、きっとうだうだと色々考えながらもそれでいいのだと自答する、その繰り返しになるのだろうと薄っすら思った。つまらない人生だと自分でもそう思うが、煌びやかな『自分らしい生き方』に自分は向いていないので、これでいい。これは諦めでもなんでもない、自分で考えた自分らしい生き方である。
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