きみの物語も僕の物語もまだ未完成


「……」
 目を覚ますとそこは見慣れたいつもどおりの木目が俺を見つめていた。起き上がるとギシッとベッドが鳴る。ここは俺が子どものときから使っていた部屋。もともと綺麗とは言えない部屋だったが、今は一層物で散乱していた。ああ、そうだ、部屋の整頓をしていて一休みだと横になっていたら眠ってしまったんだ。スマホを確認するよりも先にノックの音が響き渡り、部屋のドアが開いた。

「お昼ごはん出来たわよーって、全然片付いていないじゃないの」
「うっせー」
「全くもう。……あら?」
 入ってきたのはやっぱり母親だった。散らかっている部屋を見回して呆れていたが、気にかかるものを見つけたのか、床に置いてあったものを拾い上げて眺め、目を細めた。
「懐かしい絵ね。あなたが小さい頃描いていたオリジナルの女の子よね」
「……そう、だっけ」
「そうよ。色んなところを一緒に旅してくれる頼りになるお姉さん、だったかな?仕事が忙しくてあなたに構えなかったときだったから、寂しい想いをさせて申し訳ないとずっと思っていたから、よく覚えているわよ」
「……そっか」
「そんなあなたも、来週には一人暮らし。……時が過ぎるのは長いわね」
 拾い上げた紙を学習机に置いて、母は部屋を出て下に降りていった。絵。小さい頃に描いていた絵。どんな絵だっただろうか。ベッドから出て、机の上に置かれたそれを覗き込んで……目を見開いた。
そして、口が緩んだ。

「……ああ、そうか、そうだったんだな。今見ていた……きみは『しろくろ』だったなあ……」

 白くてざらついた安っぽくて大きな画用紙の中、クレヨンで描かれていた絵。真っ青な空と真白な雲、黄緑色の草原、その真ん中には俺らしき存在と、真っ黒な長い髪と白いワンピースが特徴的な女の子らしき存在が描かれていた。この絵を見てやっと先程見た女の子の正体が分かった。
 俺が創り上げていた仮想の女の子。頭の中だけで存在していた女の子だった。そうか、この絵がきっと俺がいつも創作に出てくる女の子の原点だったんだ。思い出せたよ。

黒葉。
主人公のヒロイン。学校のマドンナ的な存在で誰にでも優しくて勉強も運動もできる完璧な女の子。ギャグ漫画だったと思う。
ノワール。
女性主人公。悪魔と天使と人間が共存している世界での悪魔の女の子。腹黒いけれどなんだかんだ皆に好かれる子だったと思う。
コードネーム:ブラック。
主人公の敵勢力のスパイの女の子。最初こそ敵対していたけれど、所属していたチームこそが悪だと知ってしまう。本当は普通の女の子になりたかった。
サイボーグクロコ。
女性主人公。復讐のために肉体を捨てサイボーグとなってしまった悲劇のヒロイン。
レイ・グランディス。
主人公が旅の途中で出会うお嬢様。お屋敷のなかの生活に飽き飽きして脱走したところで主人公と出会う。
ルト。
詐欺師で、飄々としていて胡散臭いけれど、憎めない女の子。お金を稼ぐことを第一にしているけれどそれは病気の弟を救いたいという願望から。

そして、しろくろ。
幼い俺の寂しさを埋めるために、創り上げた最初の女の子。
両親の代わりに色んな所に一瞬で連れ出してくれる優しいお姉さん。そんな設定だったと思う。俺は兄妹もいなかったから、同じ幼稚園の女の子のお姉さんがとても優しそうだったのが印象的だったんだと思う。しろくろのおかげで、俺は一人の寂しさを乗り越えられた。

「ごめんな。忘れてて」

そんな心の支えになっていた彼女を、いいや、物語を描くのを辞めるまでの俺を支えてくれていた彼女たちを忘れるなんて。ああ、俺はいつから描くのを辞めていたんだろうか。考えるのを辞めたのはいつだっただろうか。

 息がしにくい。
 体も思うように動かない。
 心すら自由にならない。

 こんな世界。くそったれだ。

『くそったれのように感じるのは誰なの?』
「……俺だなあ」

 単純に、描き続けるのを辞めたということが、俺にとって酸素を失ったようなものだったんだ。結局未だにしろくろたちの物語は終わったことなんて無い。途中で投げ出してはまた新しいものを考えて、形にする前に投げ出して。その繰り返しだった。一度も作品を完成させたことなんて無かった。頭の中のしろくろたちだけで満足して、飽きたら違う世界観で、またはそのとき自分のブームだったものを脳内だけで描いて満足して。エンドレスエンドレス。
 なにひとつ成し遂げてもいないのに、勝手に自分の実力が云々と悟ったふりして、大人になったふりして、諦めるなんて。バカみたいだ。

「ご飯冷めちゃうから早く降りてきなさーい!」
「はいはい!!……もう少しだけ、一緒についてきてくれ。しろくろ」

 描くだけならいつまでもできる。ぜんぶ、自分の心次第だ。
 俺がしろくろたちを愛するための、存在を消させないために、これからまた描き続けてみせる。
それで、できれば、これからも俺や、きみを見てくれる人たちの支えになってくれ。しろくろ。

『もちろん』

 拙い絵の中の笑顔のしろくろが嬉しそうにしている気がした。それで、今の俺は満足だ。

 久しぶりに空虚な胸が、ぎゅっと満たされた気持ちになった。
 しろくろの物語も、俺の物語も、未完成だけど。
 まあ、人生は長いから、やれるところまでいってみようと思う。


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