PEACE-01【微小の道標】
コズミック・イラとして新暦が始まって早数十年。
調整者、コーディネイターという存在がある男の告白により公となり、世界は混乱を極めた。
ある者は妬み、蔑み、恐れ。ある者は自らも同じ存在だと自覚し。ある者は更なる高みを目指して。
過ぎ行く歴史の中で、ナチュラルとコーディネイターが手を取り合う機会が訪れることはなく。
そして、C.E.七十。
『血のバレンタイン』の悲劇によって、地球、プラント間の緊張は一気に本格的武力衝突へと発展した。
誰もが疑わなかった、数で勝る地球軍の勝利が、当初の予測は大きく裏切られ。
戦局は疲弊したまま、既に十一ヶ月が過ぎようとしていた。
* * *
母なる星、地球の外に広がる宇宙空間は、未だにその全貌が明らかになっていない。
はるかに続く漆黒の闇に、数え切れぬ星々はいつも輝いている。
その中で、人間が足を踏み入れることを許されたであろう、月。
ナチュラルが結束した地球連合は、月面に基地を築き、コーディネイターの軍であるザフトに対抗する為の力を蓄えている。
地球連合軍、第八艦隊。
旗艦メネラオスの艦長、デュエイン・ハルバートン指揮の元、オーブ所属のコロニーであったヘリオポリスから脱出した新型戦艦、アークエンジェルとの合流の為、数日前に先遣隊を送ったところであった。
しかし、現実は思い通りに事が進むことはなく。
「先遣隊が、全滅?」
ヘリオポリスから因縁ともいえるザフトの戦艦、そして皮肉にも奪われたXナンバー四機を含めたモビルスーツの攻撃によって、健闘虚しく散っていった。
「あぁ……だけど新型は何とか無事で、こっちに向かってるらしい」
「ふーん……」
唯一救いがあるといえば、一番の狙いであったアークエンジェルが逃げ延びたこと。
報告では、敵の重要人物を偶発的に保護していたとか、その人物を人質にして難を逃れたとか、なんだかんだで無事返したとか。
詳しい話は省いていく。何しろ聞いている本人が無関心であるから。
ここは戦艦メネラオスのハンガー。
地球連合の主力であるモビルアーマー、メビウスが所狭しと並ぶ中、一機だけ薄紫ではなく、真っ黒のものがある。
しかもメビウスより小型で、胴体から主翼から形が違う。
知らぬ者から見れば目立つであろうが、生憎部外者はいない。そもそも宇宙空間なのでそう易々と入れないのだ。
「どっちがいいとか悪いとか、あたしにはわかんないけど」
世間話は終わり、作業へ戻っていった相手とは違い、唯一の黒い機体の前で無重力に身を任せる。
ふわふわと勝手に靡く長髪は後頭部で纏められてはいるものの、ほとんどはみ出しており、あまり変わらない。
光沢のある紫のそれとは全く違う、垂れ目気味の金と銀の瞳。
サイズの問題か、整備班用のツナギの上半身部分は脱いで、腰とお腹に巻いている。
中に着ている黒のタンクトップから顕になる、白い肌。
腕を組んでいても見える所々の小さな傷は、それだけ心血を注いできたことがわかる。
ふと、左手を伸ばして機体の先端、レドームに触れる。
ひんやりと冷たく、硬い感触しかないが、子供をあやす様にゆっくりと撫でた。
「キミに乗って飛ぶ時は、近いのかもしれないね……オルカンシェル」
名を呼ばれた漆黒の機体は、返事をするように瞬いた……気がする。
どちらにしても仕事がまだ残っていたので、付いた手に力を入れて、真上へ浮かぶ。
艦隊の中で一番歳若く、異彩を放つ彼女の名は、シオン・ハルバートン。
数日後、零した言葉が現実になるのを、まだ誰も知らなかった。
*