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しっぽや(No.70~84)

しっぽやに着くと、事務所のソファーに脱力したような荒木がへたり込んでいた。
心なしか顔が赤い。
「ごめん、午前中そんなに忙しかった?」
慌てて聞く俺に
「いや、そーゆー訳じゃないんだけどさ
 なんつーか、色々あってね、うん、ちょっとビックリしたと言うか」
荒木は曖昧な笑顔を見せた。
「もうランチ行っちゃった?俺と黒谷で色々買ってきたんだ
 良かったら一緒に食わない?あ、白久、まだ戻ってないのか」
俺は事務所内を見回した。
「そろそろ戻ってくると思うよ
 空は控え室で涼んでる、やっぱ、日が昇ってからの屋外でのしつけ教室は厳しいみたい
 参加人数増えた分、時間かかるしね」
荒木は視線で控え室を指してみせる。
「後、1時間くらいで午後の部だろ?
 空、大丈夫かな」
少し心配になった俺は、控え室に様子を見に行った。

「寒っ!」
控え室はエアコンが利きまくって、冷蔵庫の中の様になっている。
着ている物を脱いで上半身はタンクトップだけの空がソファーに座り、アイスを食べていた。
「お、旦那、今から出勤?午前の教室で、俺ってば、大活躍だったぜ」
得意げな空に
「ご苦労様、体は冷えたか?エアコンの温度上げるよ
 これじゃ猫が凍えちゃう」
黒谷が苦笑を見せた。
「寒い?」
不思議そうな顔の空が、それでもエアコンのリモコンを黒谷に手渡した。

黒谷が設定温度を上げていると、双子が捜索から戻ってきた。
「外は良い感じに暖まってきたぜー」
「こんな日は、風通しの良い木陰でウトウトしたいですね」
猫にとっては今日くらいの暑さは、苦にならないようだった。
「って、ここ寒いな」
明戸がブルッと体を震わせ、皆野にピッタリと寄り添った。
「空、節電してください」
皆野も明戸にクッツきながら、空をたしなめた。
「皆、寒がりだなー
 白久がいれば、快適温度だってわかってくれるのに」
空が頬を膨らませる。
「確かに、北国の犬には今の夏は暑すぎますね」
いつの間にか捜索から帰ってきた白久が、控え室に顔を出した。
「でも、温度差が激しいと飼い主が風邪をひいてしまいますから気を付けないと
 飼い主は、ちゃんと温めてあげないとダメですよ」
白久は部屋の冷風から守るように、荒木の肩を抱いていた。
「そうだった!カズハ、寒がりだもんな
 ボーナス入ったし、夏に着れる薄手のジャケット買ってあげよう
 てかさー、一気に人数増えたから、室内温度上がってる気がするんだけど」
首を捻る空を見て
「確かに、さっきより寒さがマシになってきた」
俺は夏とは思えない自分の言葉に、思わず笑ってしまうのであった。

その後、ランチから戻ってきたタケぽんとひろせに受付を任せ、俺達は控え室で遅いランチを食べる。
俺達の買ってきたパンは好評で、ちょっと得意な気分になる。
「冷蔵庫にランチ用の食材を入れておくのは、良いですね」
「最近は食中毒とか、怖いからさー」
「パンなら手軽に食べられるし」
「朝、寝坊しても大丈夫だしな」
皆がワイワイとそんなことを話している。
「でも俺にとって、黒谷が作ってくれる弁当は別格だよ
 すっごく美味しい」
俺が笑うと、黒谷は晴れやかな笑顔を見せる。
「俺も、白久の作ってくれる料理大好き」
荒木の言葉に、白久も嬉しそうな笑顔を見せた。

「弁当って、特別だよな
 前の日の夕飯の残りでも、弁当箱に入ってると特別な料理に見える
 おにぎりなんて、ご飯丸めただけなのにテンション上がるしさ」
俺は小さい頃から慣れ親しんだ、婆ちゃんが作ってくれる弁当を思い出していた。
「日野のお祖母さん、料理上手いもんなー
 お前の持ってくる弁当、いつも美味しそう
 うちは共働きだし母さんそんなに料理得意じゃないんで、高校入ってからの昼は総菜パンとかビニ当多いからさ
 ちょっと、羨ましい
 だから、白久に弁当作ってもらえると嬉しいんだ」
「荒木…荒木のために、もっともっと頑張ります!」
熱く見つめ合う荒木と白久は、2人の世界に入っていった。

「皆野は、日野のお祖母さんに料理を教えてもらってるんだよね
 僕も習いに行こうかな
 日野の慣れ親しんだ味を、僕も覚えたいし」
黒谷が真剣な顔で考え込んだ。
「大勢で押し掛けると、ご迷惑ですか?」
戸惑い気味に問いかけてくる黒谷に、俺は首を振る。
「ううん、大丈夫
 むしろ、婆ちゃん喜ぶよ
 俺が黒谷のとこに泊まりに行ったり、母さんがデートで帰りが遅くなったりして、最近1人の食事増えちゃったから」
俺の言葉に、うちの家庭事情を知っている荒木が軽く息を飲んだ。
「母さんね、最近父さんと会ってるみたいなんだ
 俺と黒谷がキューピット」
俺は悪戯っぽく笑って見せる。
自分でも素直に2人の関係を受け入れられていた。
再婚するかは別にして、2人が笑って話せる関係に戻ってくれたことが嬉しかった。


「お一人での食事、お婆様、寂しいでしょうね」
皆野が心配そうな顔を向けてきた。
こういう言い方もなんだけど、双子は婆ちゃんによく懐いているのだ。
婆ちゃんも、双子のことを可愛がっている。
「また、明戸とお家に伺っても宜しいですか?」
躊躇(ためら)いがちに聞いてくる彼に
「うん、遊びに来て
 この場合、近所の人には『若い男が頻繁に出入りする』と思われるか『ペット不可マンションに猫を連れ込んでいる』と思われるか謎だけどさ」
俺は笑って言ってみた。
「確かに!相殺されて、大事にはならないんじゃない?」
荒木が吹き出しながら同意するので、俺も可笑しくなってくる。

自分が黒谷と一緒に居ることで婆ちゃんに寂しい思いをさせているんじゃないか、そんな後ろ暗さが少し緩和された。
婆ちゃんにも、俺や母さんのためだけじゃなく自分だけの関係を誰かと築いて欲しかった。
自分の楽しみのための時間を持って欲しかった。
せめてペットでも、と思うものの今は環境が許さない。
双子は婆ちゃんにとって、打って付けの相手に思われた。


ランチを食べ終えた空がしつけ教室に行き、白久もまた捜索に出て行った。
控え室では猫達がうたた寝している。
事務所内はいつもの空気になっていて、俺はそれがとても心地よかった。
黒谷の腕の中とは違う安心感、自分の居場所に居られる安堵覚を味わっていた。
この空間に所属し続けられるよう頑張ろう、という気になってくる。

「今年の夏休みは忙しなさそうだけど、時間が合う限りこっちに顔出しするからな」
仕事の最中、俺の突然の宣言に、荒木もタケぽんも笑顔で頷いている。
「俺だって、日数減ってもバイトに来るぜ」
「2人が居ないときは、俺が頑張りますよ」
そんなことを言ってくれる彼らと友達でいられることが嬉しかった。

「荒木、去年のこと、ほんとごめんな、ありがと」
俺は何度目になるかわからない謝罪の言葉を、自然に荒木に告げていた。
夏になると、どうしても去年の事が思い起こされるのだ。
荒木は無言で俺の肩を叩いてくれる。
「え?何すか?2人してわかりあってる雰囲気
 何かヤらしいなー」
事情を知らないタケぽんが、キョトントした顔を向けてきた。
「タケノコみたいに伸びる奴にはわからないよ」
荒木が意地悪い笑顔をタケぽんに向ける。
「まったくだ」
俺は大仰に頷いて見せた。
「また身長の話ですか?勘弁してくださいよ
 だから、俺だって小学生の時まで2人よりチビだったんですってば」
困惑顔のタケぽんが可笑しくて、俺と荒木は顔を見合わせて笑ってしまう。

黒谷に視線を向けると、優しい笑顔で俺を見ていてくれた。
「カルシウムとビタミンDの多い料理を、お婆様に習いますよ」
「うん、ありがと」
俺は黒谷に近づいて、そっとキスをする。
「また、早朝ランニングしようね」
「はい、日野と一緒なら走るのが一際楽しいです」
「俺も」

黒谷と一緒なら、いつまでもどこまでも走って行けそうだった。
それは『今』から逃げるために走っているのではない。
焦って未来に近付こうとしているのでもない。
確実に一歩一歩進むために走るのだ。
爽やかに風を切り、思い出を作りながら共に未来に向かい駆け抜けて行く。

黒谷に会うまで、自分の未来を想像することが怖くて出来なかった。
でも今は、明るい未来を思い描くことが出来た。

もう一度愛しい飼い犬にキスをして
「さて、今日も頑張るか!」
俺は仕事の続きを始めるため、友の元に戻るのであった。
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