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しっぽや(No.102~115)

side<HINO>

「ちくしょう!何で今頃あいつの関係者が出てくるんだよ!」
俺はやり場のない怒りに体を震わせていた。
婆ちゃんや母さんを起こしたくないけど、感情が高ぶりすぎて俺は思わずベッドの枕に拳を叩きつけていた。
「ちくしょう…」
悔しくて、涙が出てくる。
『幸せな時は長く続かない』
そんな感覚を久し振りに味わう羽目になっていたのだ。


ことの発端は数時間前、予備校が終わり帰路についていた時だった。
ラッシュに区切りがついた人のまばらな駅で、俺達は偶然出会ってしまった。
「あー、新地(しんち)高の制服着てる
 へー、お前、マジ高校生だったんだ」
少し大きめな声が後ろから聞こえたが、それが自分を指しているとは思わず俺はそのまま歩き続けていた。
「えっと、何だっけ?キノとか、ヒノとかって名前じゃなかったっけ?
 それって名字?」
さすがにそこまで言われると自分の事なのかと思い、振り返る。
振り返った先には、『煌びやかなチャラ男』としか言いようのない青年がいた。
肩下まで延ばしている髪は金色に染められ、何カ所かヘアピンで留められている。
耳にはピアス、わざと着崩して見せつけている喉元のチョーカーには金髪に映える青い石が付いていた。
自分を引き立てる術(すべ)を知っているカジュアルな服装にはスキがない。
とても整った顔立ちで本人もそれを意識しているのがありありと感じられたが、猫の化生を見慣れている俺には驚くほどの美形、とは思われなかった。

「何?お兄さんホスト?俺、紹介できるような知り合い居ないんだけど」
俺は冷たく言い放つと、再び歩き始めた。
彼は俺と並ぶように歩き出しながら
「まあ、ホスト、でも良いんだけどさ
 どっちかっつーと、お前と同じかな」
あざけりを含んだ声で話しかけてくる。
『まさか、化生の飼い主?』
思わず驚きの視線を彼に送ってしまった。
立ち止まった俺の耳元に唇を寄せ
「男娼」
彼はニヤニヤ笑いながらそう囁いた。
「ウリやってんだろ、お前」
その言葉に和銅だった過去世の記憶が蘇って、俺の頭に血が上ってしまった。

「んなもん、やってねーよ!テメー、フザケたこと言ってんじゃねーぞ!」
怒りすぎて目の前が暗くなる。
俺の怒りに怯んだ様子もなく彼は再び俺の耳に唇を近づけると
「…………」
ある人物の名を囁いた。
それを聞いたとたん、上っていた血が一気に引くのを感じた。
それは、俺をレイプした先輩の名前であった。

「やっとわかった?ちょっとお話ししようよ」
彼は俺の肩を抱くと駅構内の隅に誘導する。
俺は大人しく従うしかなかった。
「うーん、どっから話そうかな
 取りあえず俺のことは『ウラ』って呼んで良いぜ
 で、そっちは?キノ?ヒノ?」
「日野、名前だよ」
俺は覚悟を決めて、そう名乗る。
「そう、日野ちゃんね、こんなとこで会えるとは思ってなかったよ
 ストーキングとかしてた訳じゃないから、その辺は安心して」
ウラは整った顔で胡散臭い笑顔を向けてきた。

「今のあいつの『男』俺なんだよねー
 だから、スマホからお前の連絡先とか消去させて、着拒もさせた」
ふふんと勝ち誇ったように言うウラの言葉は、俺の胸に何も響いてこなかった。
むしろ、俺の連絡先を消去させてくれたことに礼を言いたい気分だ。
「そう、それはお幸せに」
俺は冷たく言い放つ。
確かに先輩は外見含め外面がよく家も裕福で、それなりに人気のある人だった。
でもあんな奴に入れ込むなんて、このウラって人はお目出度い奴だとしか思えなかった。

ウラは暫く俺の反応を伺ってたが
「ふうん、やっぱ、無理矢理相手させられてたんだ
 写真に写ってるお前の顔、いつも泣きそうだったもんな
 おかげで高校生ってのはあいつのフカシで、チューボーだと思ってたぜ」
シラケたようにそう言った。
「写…真…?」
ウラの言葉で、俺の胸に急速に不安が広がっていく。
「あれ、やっぱ撮られてたの気付いてなかった?
 お前、あいつとヤってるときの写真、スマホで撮られてるぜ
 顔までバッチリ写ってるから、俺、さっきお前に気付けたんだ
 今んとこ、拡散とかする気はなさそうだけど
 あいつの獲物コレクション的なもんじゃねーかな」
あまりの衝撃に俺は立っていられなくなり、その場にしゃがみ込んでしまった。

確かに先輩が『メールチェックしてる』と言って最中にスマホをいじっていた記憶があるが、早くことが終わって欲しかった俺にはそれを深く考える余裕がなかったのだ。
自分の迂闊さに、深い自己嫌悪に陥った。

「データ、消してやろっか?」
ウラが口角を上げワザトらしい笑顔を浮かべて、しゃがみ込む俺に視線を合わせてきた。
「出来るのか?」
俺は思わずすがりつくような視線でウラを見てしまう。

「地獄の沙汰も金次第って奴さ」
ウラは煌びやかな黒い笑顔で笑った。


『20万』

それがデータ消去の報酬としてウラが俺に提示してきた金額であった。
その金額が多いのか少ないのか、こんな事態に陥ったことが初めての俺には分からなかった。
「20万でこれからの人生安泰に暮らせるなら、安いもんだろ?」
そう言われるとそんな気がするが、安いものであればこれからもそれをネタにウラに強請(ゆす)られるんじゃないかという懸念(けねん)があった。
それでも、俺はウラの提案にのるしかなかったのだ。

「手付け金として、2万だけ先払いして誠意見せてよ
 一応、逃げられないよう連絡先も交換しとこうぜ」
そう言うウラに、半ば強引にスマホの連絡先を交換させられた。
「連絡先っても俺のスマホ、商売用だけどな」
ウラはクスクスと笑う。
スマホのデータを辿ったところで、自分に行き当たらない事を隠そうともしない。

俺が財布を取りだして2万払うと
「何だ、けっこー金持ってんじゃん
 もしかして、良いとこのお坊ちゃん?
 ちぇっ、30万にしときゃよかったな」
ウラは自分の財布に金を入れながら舌打ちした。
「じゃ、2日後の同じ時間、ここで待ってるから
 データ拡散されたくなかったら、逃げんなよ」
そう言って華やかに笑ってみせると、そのまま俺を振り返ることなく行ってしまった。
残された俺もノロノロと歩き出す。
夜だというのに残暑による湿気が体中にまとわりついてくるのが、とてつもなく不愉快だった。


『残り18万…しっぽやでバイトしてるから、貯金下ろせば払えない金額じゃない
 でも、それで本当に終わりなのか?
 大体、ちゃんとデータを消去してくれたかどうか、俺には確かめようが無いじゃんか』
家に帰ってから俺は、怒りを枕にぶつけていた。
『黒谷に相談するしか…』
黒谷に先輩とのことを知られたくない。
でも、そのことで黒谷やしっぽやに不利益が生じる事態になる方が怖い。
俺のささやかなプライドより、しっぽやの方が大切であった。



翌日、バイトの時間中に俺は黒谷に昨夜のことを相談してみた。
どんな写真を撮られたか、それは言葉を濁して伝えてある。
荒木とタケぽんはバイトが休みで人間は俺だけだったので、聞かれる心配がないのはありがたかった。
あの2人には絶対に俺の過去を知られたくなかったのだ。
「お金は、僕が払いますよ
 日野の生活を守るためなら、いくらでも用意します」
黒谷はそう言ってくれた。
その言葉に甘えたい気持ちもあったが、今回のことは俺の迂闊さが招いたことだ。
自分でケリをつけたかった。

「お金は、自分で何とかするよ
 黒谷に迷惑はかけたくないんだ」
俺はキッパリとそう伝える。
「迷惑とは思いません、日野のために何か出来ることは僕の喜びなのですから
 それならば、バイト料を前貸しするかたちにいたしましょう
 それくらいはさせてください」
黒谷は優しい目で俺を見てくれた。
頼りになる愛犬の言葉に、俺の目が熱くなる。
「うん、ありがとう」
俺は所長席に座る黒谷に抱きついた。
「甘えついでに、明日の引き渡しの場に付いてきてもらって良い?」
やはり、1人で行くことには不安があったのだ。
ラッキードッグと一緒であれば、勇気が出ると思っていた。

「もちろんです、むしろ僕1人で大丈夫ですか?」
黒谷に問われて、俺は改めてそのことに思い至った。
昨夜の出会いは偶然だったため、お互い1人だった。
しかしウラは自分のことを『男娼』だと言っていた。
もしヤクザと付き合いがあるような奴だったら、黒谷1人では危ないかもしれない。
かといって、あまり大人数で乗り込むのも目立ってしまう。
「もう1人くらい、強面の助っ人が居た方が良いかも」
「強面…、空を呼びますか、あいつ顔だけは迫力あるから」
黒谷の提案に、俺は躊躇する。
『確かに空は黙って立ってればこれ以上はないボディーガードになるけど、しゃべるとボロが出る
 ウラって奴、ちょっと油断ならない感じだったし』
俺は煌びやかな中にも暗いものを感じさせるウラの顔を思い出していた。

「大麻生(おおあそう)はどうですか、彼は生前警察犬だったし、武衆の中では空より断然強いですよ」
空の名を出しても浮かない顔をしている俺に、黒谷が提言してくれる。
「空よりも場の空気を読めます」
黒谷のその言葉が決め手となり、俺は大麻生にボディーガードを頼むことに決めた。

「強請(ゆすり)は犯罪です」
話を聞いた大麻生は憤慨していたが、話を大きくしたくないと言う俺と黒谷の意向を汲んでボディーガードを引き受けてくれた。

こうして俺は甲斐犬とジャーマンシェパードをお供に、取引の場に赴くことになったのであった。 
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