しっぽや(No.85~101)
side<HAGURE>
山中にあるお屋敷で、三峰様の警護をする武衆(ぶしゅう)を束ねる事が私の仕事であり誇りであった。
三峰様のお側に控え、身の回りのお世話をすることも仕事に含まれる。
事務仕事をしている三峰様にお茶をお持ちするのもその一部、私だけの特権であった。
「波久礼にも夏休みが必要かしら?」
部屋に入るなり、しっぽやに関係する書類整理をしていた三峰様に急にそんなことを言われ、私は面食らってしまった。
用意したお茶とお菓子をテーブルに置きながら
「最近は随分とお暇をいただいていますので、必要ありませんよ」
私は苦笑して答えた。
通っている猫カフェでは夏休み向けに譲渡会イベントが開かれるので、手伝いに参加したいのはやまやまだが、そのために三峰様のお側を離れることは出来なかった。
「私が居なくて、誰が三峰様をお守りすると言うのですか」
しかつめらしい顔で言ってみるものの
「武衆の者がいるでしょう
空の穴を埋めようと、陸も海も鍛錬に励んでいるし
他の者達も腕を上げているわ」
三峰様は笑顔でそれをかわされた。
「確かにそうですが…」
私の言葉を遮るように
「彼らにも、休みが必要だと思うのよ
長の貴方がいると、皆、羽を伸ばせないでしょ?
1週間くらいしっぽやの方に行ってらっしゃい
猫カフェの『イベント』とやらのお手伝いをしてくるといいわ」
三峰様は悪戯っぽく笑った。
やはりこの方には適わない、私の心などお見通しであった。
「それでは、お言葉に甘えお休みをいただきます」
私が頭を下げると
「空の部屋にはカズハが来るかもしれないから、双子の部屋にでも泊めてもらいなさい
そうそう、しっぽやの側にお茶屋さんが出来たんですって
良さそうなお茶があったら買ってきてちょうだい、はい、お駄賃」
三峰様は机の引き出しから茶封筒を取り出して手渡してくる。
中身を改めると、駄賃と言うには多すぎる額の紙幣が入っていた。
「これは…」
封筒を返そうとするが
「お茶菓子もお願いね
ひろせお勧めのケーキ屋さんの焼き菓子が、気になってるのよ」
三峰様は笑いながら私の手を押しとどめた。
「御厚意を感謝いたします」
私はもう一度、深々と頭を下げる。
「人と獣の事を学んできなさい
狼の血が濃いと人には警戒心が先に立ってしまうから
人と共にあるということはどのようなことなのかを考える、良い機会になると思うわ」
三峰様は慈愛に満ちた笑顔で私を見てくださった。
こうして、私は化生して初めての『夏休み』を過ごすことになった。
「波久礼!」
昼近くにしっぽや事務所に到着し、控え室に顔を出すと猫の化生達が親しく笑顔を向けてくれる。
「皆、元気そうでなによりだ」
私は愛くるしい猫達の頭を撫でながら穏やかな気分になっていた。
飼い主がいる猫は愛されている自信に満ちあふれ、いつも幸せそうでこちらも嬉しくなってしまう。
飼い主がいない双子も、最近では一緒にいるとホッと出来る人間に可愛がってもらっているらしく表情が明るくなっていた。
「波久礼の荷物、受け取っておきました」
皆野が言うと
「この鍵使って、俺達は一緒に行動してるし鍵は1個あれば大丈夫なんだ
部屋は自由に使って良いからな
向こうで作業が押すと、泊まり込んだりすることもあるんだろ?」
明戸が猫のマスコットが付いた鍵を手渡してくれる。
「明戸、皆野、暫く厄介になるよ
荷物の受け取りありがとう
着替えなどを先に送っておけたので、移動が楽で助かった
部屋への帰りが遅くなりそうなときは、電話するから」
私は受け取った鍵を財布にしまい2人に礼を告げた。
「うちに泊まっても良かったのに、ゲンが会いたがってましたよ
時間があったらこちらにも顔を出してください」
「サトシも会いたがってた、うちにも来てよ」
「タケシに出す前の試作品ですが、ゼリーを作りました
後で部屋に届けるから、食べてみてください」
「波久礼がいる間は、お肉料理多めのメニューにしますね」
「波久礼、夜、一緒に寝て良い?」
私が猫達に囲まれていると
「君を見てると、ゲンの言ってた『ハーレムキング』ってやつが理解できる気になるよ」
呆れたような声と共に黒谷が控え室に顔を出した。
黒谷は私より小柄だが、生前は人と共に戦場を経験しているせいか、犬の化生の中では一番強いと感じている相手だ。
「暫くこちらにも顔を出させてもらうよ」
私が頭を下げると
「時間あったら猫捜索の手伝い頼むね
夏は犬の依頼の方が多いけど、波久礼が出ると犬が怯えて逃げそうだから」
黒谷は肩を竦めて笑ってみせた。
「長瀞かひろせ、長毛種の依頼が来たけど出れるかな?」
「僕が出てみます」
仕事の依頼が来たようなので
「それではそろそろ移動させてもらとするか」
私は邪魔にならないよう事務所を辞去することにし、猫カフェに向かうのであった。
猫カフェに移動し、すっかり顔見知りになった受付の女の子に挨拶をすると、アルコール消毒を済ませ私はそのまま店内に入っていった。
『いらっしゃい』
馴染みの猫達が頭を足下に擦り付けて挨拶しに来てくれた。
『皆、元気だったかい』
私はその挨拶に応えるため、彼らの頭をそっと撫でていく。
『はぐれおじちゃん、遊ぶ?遊ぶ?』
目をキラキラさせた若猫がワラワラと集まって来た。
皆、子猫の頃から知っている可愛い子達だ。
『ああ、クマさんとの用事が終わったら遊ぼうね』
私が答えると
『後でー?後でなのー?』
不満そうな顔になる。
『ほら、あっちのお客さんが猫じゃらしをレンタルするようだよ
遊んでもらいなさい』
若猫達は目ざとくそれを見つけ、お客さんの方に移動していった。
私はその隙にここの店長であるクマさんを探すが、店内にその姿は見られなかった。
「波久礼さん、店長、今、裏にいるんです
ちょっと手が離せないから、そっちに回ってくださいって」
受付の子から私の来訪を告げられて知ったのか、女性スタッフが話しかけてきた。
「わかりました」
私は彼女に礼を言い、勝手知ったる場所となっているスタッフルームに入っていった。
部屋の奥の隔離ルームから
『にーにー、にーにー』
激しい子猫の泣き声が聞こえてくる。
それは母親を捜す子猫の必死の訴えであった。
私は逸(はや)る心を抑え子猫を驚かさないよう、そっと扉を開ける。
そこには大きな体を屈め、机の下をのぞき込むクマさんの姿があった。
「クマさん、どういたしましたか」
私が声をひそめて話しかけると
「ああ、波久礼くん、いいところに来てくれたね
キャリーに移そうとして、うっかり手を離しちゃったんだ
30分くらい籠城されてる」
クマさんが苦笑しながら小声で返事を返してくれた。
少し憔悴した顔をしている。
「おまかせください」
私はクマさんと場所を代わり、屈み込んで机の下の子猫に想念を送った。
『おいで、怖くない、大丈夫だよ』
しかし子猫はパニックになっていて想念に反応してくれなかった。
会話で意志疎通を図るには、幼すぎるのも原因のようだ。
こんなときは同じ猫である化生の方が上手く心が繋がるのだが、このためにしっぽやの者を呼ぶのも気が引け、私は根気強く想念を送ることにする。
やがて怯える子猫から母親を呼ぶのとは別の、人間に対する恐怖と痛みの感覚が流れてくることに気が付いた。
「クマさん、この子、怪我をしているんじゃ」
私は慌てて立ち上がり彼に訴えた。
「この子が入っていた箱に血が付いてたから、多分…」
クマさんは痛ましそうな顔で頷いている。
「箱…?」
意味がよくわからず問いかけるように呟いた私に、クマさんは部屋の隅に置いてあるお菓子が入っていたと覚(おぼ)しき箱を指し示す。
箱には『可愛がってください』と字が書かれていた。
「久しぶりにやられたよ
譲渡もやってる猫カフェに、猫捨ててく人、いるんだよね
筆跡からして子供だと思うんだけど
せめてその子が傷を負わせたんじゃないことを、信じたいよ」
その言葉に私はショックを受け、クマさんが憔悴した顔をしていた理由に察しが付いた。
「人に、虐待された子猫…?」
怒りで胸の内にどす黒い感情が浮かんでしまう。
「そう決まった訳じゃないけどさ、カラスとか弱った子猫を食べようとしてツツくから
割れたガラスや有刺鉄線で、自分で切っちゃったかもしれないし
子供は怪我してた子猫を保護しただけとか」
私の怒りが伝わったのか、クマさんが慌てて弁護の言葉を口にした。
子猫の鳴き声もひときわ高くなる。
『いけない、怯えさせてしまった』
私は何とか心を落ち着けて、子猫と想念を交わそうと集中し始めた。
長瀞に教わったことがある、猫の意識の海を心に描いていく。
子猫の海は、さざ波がたっていて賑やかだ、と羽生が言っていた。
犬である私にはよくわからない感覚であるが、子猫に向けてイメージを送ってみる。
程なく、楽しそうなさざ波から遠い場所にうずくまる、震えている小さな影を抱きしめることが出来た。
冷え切った身体を暖めるよう全身で包み込むと、少しずつ震えが収まっていった。
『繋がった!』
私は子猫に向けて再度想念を送り、机の下に手を差し込んだ。
子猫は警戒しながらも、私の手に近寄ってきてくれる。
「クマさん、タオルはありますか」
そう聞くと、すかさずタオルを手渡してくれた。
片手でつかめるほど小さなその存在を、私はそっと机の下から引き出してタオルでくるんでやった。
「お見事、波久礼くん、僕より猫の扱い上手くなったよ
うちの常駐スタッフとして雇いたいくらいだ」
やっと笑顔になったクマさんが、小さな声で囁いた。
私達は子猫を驚かさないよう、ゆっくりとした動作でタオルの中をのぞきこんだ。
山中にあるお屋敷で、三峰様の警護をする武衆(ぶしゅう)を束ねる事が私の仕事であり誇りであった。
三峰様のお側に控え、身の回りのお世話をすることも仕事に含まれる。
事務仕事をしている三峰様にお茶をお持ちするのもその一部、私だけの特権であった。
「波久礼にも夏休みが必要かしら?」
部屋に入るなり、しっぽやに関係する書類整理をしていた三峰様に急にそんなことを言われ、私は面食らってしまった。
用意したお茶とお菓子をテーブルに置きながら
「最近は随分とお暇をいただいていますので、必要ありませんよ」
私は苦笑して答えた。
通っている猫カフェでは夏休み向けに譲渡会イベントが開かれるので、手伝いに参加したいのはやまやまだが、そのために三峰様のお側を離れることは出来なかった。
「私が居なくて、誰が三峰様をお守りすると言うのですか」
しかつめらしい顔で言ってみるものの
「武衆の者がいるでしょう
空の穴を埋めようと、陸も海も鍛錬に励んでいるし
他の者達も腕を上げているわ」
三峰様は笑顔でそれをかわされた。
「確かにそうですが…」
私の言葉を遮るように
「彼らにも、休みが必要だと思うのよ
長の貴方がいると、皆、羽を伸ばせないでしょ?
1週間くらいしっぽやの方に行ってらっしゃい
猫カフェの『イベント』とやらのお手伝いをしてくるといいわ」
三峰様は悪戯っぽく笑った。
やはりこの方には適わない、私の心などお見通しであった。
「それでは、お言葉に甘えお休みをいただきます」
私が頭を下げると
「空の部屋にはカズハが来るかもしれないから、双子の部屋にでも泊めてもらいなさい
そうそう、しっぽやの側にお茶屋さんが出来たんですって
良さそうなお茶があったら買ってきてちょうだい、はい、お駄賃」
三峰様は机の引き出しから茶封筒を取り出して手渡してくる。
中身を改めると、駄賃と言うには多すぎる額の紙幣が入っていた。
「これは…」
封筒を返そうとするが
「お茶菓子もお願いね
ひろせお勧めのケーキ屋さんの焼き菓子が、気になってるのよ」
三峰様は笑いながら私の手を押しとどめた。
「御厚意を感謝いたします」
私はもう一度、深々と頭を下げる。
「人と獣の事を学んできなさい
狼の血が濃いと人には警戒心が先に立ってしまうから
人と共にあるということはどのようなことなのかを考える、良い機会になると思うわ」
三峰様は慈愛に満ちた笑顔で私を見てくださった。
こうして、私は化生して初めての『夏休み』を過ごすことになった。
「波久礼!」
昼近くにしっぽや事務所に到着し、控え室に顔を出すと猫の化生達が親しく笑顔を向けてくれる。
「皆、元気そうでなによりだ」
私は愛くるしい猫達の頭を撫でながら穏やかな気分になっていた。
飼い主がいる猫は愛されている自信に満ちあふれ、いつも幸せそうでこちらも嬉しくなってしまう。
飼い主がいない双子も、最近では一緒にいるとホッと出来る人間に可愛がってもらっているらしく表情が明るくなっていた。
「波久礼の荷物、受け取っておきました」
皆野が言うと
「この鍵使って、俺達は一緒に行動してるし鍵は1個あれば大丈夫なんだ
部屋は自由に使って良いからな
向こうで作業が押すと、泊まり込んだりすることもあるんだろ?」
明戸が猫のマスコットが付いた鍵を手渡してくれる。
「明戸、皆野、暫く厄介になるよ
荷物の受け取りありがとう
着替えなどを先に送っておけたので、移動が楽で助かった
部屋への帰りが遅くなりそうなときは、電話するから」
私は受け取った鍵を財布にしまい2人に礼を告げた。
「うちに泊まっても良かったのに、ゲンが会いたがってましたよ
時間があったらこちらにも顔を出してください」
「サトシも会いたがってた、うちにも来てよ」
「タケシに出す前の試作品ですが、ゼリーを作りました
後で部屋に届けるから、食べてみてください」
「波久礼がいる間は、お肉料理多めのメニューにしますね」
「波久礼、夜、一緒に寝て良い?」
私が猫達に囲まれていると
「君を見てると、ゲンの言ってた『ハーレムキング』ってやつが理解できる気になるよ」
呆れたような声と共に黒谷が控え室に顔を出した。
黒谷は私より小柄だが、生前は人と共に戦場を経験しているせいか、犬の化生の中では一番強いと感じている相手だ。
「暫くこちらにも顔を出させてもらうよ」
私が頭を下げると
「時間あったら猫捜索の手伝い頼むね
夏は犬の依頼の方が多いけど、波久礼が出ると犬が怯えて逃げそうだから」
黒谷は肩を竦めて笑ってみせた。
「長瀞かひろせ、長毛種の依頼が来たけど出れるかな?」
「僕が出てみます」
仕事の依頼が来たようなので
「それではそろそろ移動させてもらとするか」
私は邪魔にならないよう事務所を辞去することにし、猫カフェに向かうのであった。
猫カフェに移動し、すっかり顔見知りになった受付の女の子に挨拶をすると、アルコール消毒を済ませ私はそのまま店内に入っていった。
『いらっしゃい』
馴染みの猫達が頭を足下に擦り付けて挨拶しに来てくれた。
『皆、元気だったかい』
私はその挨拶に応えるため、彼らの頭をそっと撫でていく。
『はぐれおじちゃん、遊ぶ?遊ぶ?』
目をキラキラさせた若猫がワラワラと集まって来た。
皆、子猫の頃から知っている可愛い子達だ。
『ああ、クマさんとの用事が終わったら遊ぼうね』
私が答えると
『後でー?後でなのー?』
不満そうな顔になる。
『ほら、あっちのお客さんが猫じゃらしをレンタルするようだよ
遊んでもらいなさい』
若猫達は目ざとくそれを見つけ、お客さんの方に移動していった。
私はその隙にここの店長であるクマさんを探すが、店内にその姿は見られなかった。
「波久礼さん、店長、今、裏にいるんです
ちょっと手が離せないから、そっちに回ってくださいって」
受付の子から私の来訪を告げられて知ったのか、女性スタッフが話しかけてきた。
「わかりました」
私は彼女に礼を言い、勝手知ったる場所となっているスタッフルームに入っていった。
部屋の奥の隔離ルームから
『にーにー、にーにー』
激しい子猫の泣き声が聞こえてくる。
それは母親を捜す子猫の必死の訴えであった。
私は逸(はや)る心を抑え子猫を驚かさないよう、そっと扉を開ける。
そこには大きな体を屈め、机の下をのぞき込むクマさんの姿があった。
「クマさん、どういたしましたか」
私が声をひそめて話しかけると
「ああ、波久礼くん、いいところに来てくれたね
キャリーに移そうとして、うっかり手を離しちゃったんだ
30分くらい籠城されてる」
クマさんが苦笑しながら小声で返事を返してくれた。
少し憔悴した顔をしている。
「おまかせください」
私はクマさんと場所を代わり、屈み込んで机の下の子猫に想念を送った。
『おいで、怖くない、大丈夫だよ』
しかし子猫はパニックになっていて想念に反応してくれなかった。
会話で意志疎通を図るには、幼すぎるのも原因のようだ。
こんなときは同じ猫である化生の方が上手く心が繋がるのだが、このためにしっぽやの者を呼ぶのも気が引け、私は根気強く想念を送ることにする。
やがて怯える子猫から母親を呼ぶのとは別の、人間に対する恐怖と痛みの感覚が流れてくることに気が付いた。
「クマさん、この子、怪我をしているんじゃ」
私は慌てて立ち上がり彼に訴えた。
「この子が入っていた箱に血が付いてたから、多分…」
クマさんは痛ましそうな顔で頷いている。
「箱…?」
意味がよくわからず問いかけるように呟いた私に、クマさんは部屋の隅に置いてあるお菓子が入っていたと覚(おぼ)しき箱を指し示す。
箱には『可愛がってください』と字が書かれていた。
「久しぶりにやられたよ
譲渡もやってる猫カフェに、猫捨ててく人、いるんだよね
筆跡からして子供だと思うんだけど
せめてその子が傷を負わせたんじゃないことを、信じたいよ」
その言葉に私はショックを受け、クマさんが憔悴した顔をしていた理由に察しが付いた。
「人に、虐待された子猫…?」
怒りで胸の内にどす黒い感情が浮かんでしまう。
「そう決まった訳じゃないけどさ、カラスとか弱った子猫を食べようとしてツツくから
割れたガラスや有刺鉄線で、自分で切っちゃったかもしれないし
子供は怪我してた子猫を保護しただけとか」
私の怒りが伝わったのか、クマさんが慌てて弁護の言葉を口にした。
子猫の鳴き声もひときわ高くなる。
『いけない、怯えさせてしまった』
私は何とか心を落ち着けて、子猫と想念を交わそうと集中し始めた。
長瀞に教わったことがある、猫の意識の海を心に描いていく。
子猫の海は、さざ波がたっていて賑やかだ、と羽生が言っていた。
犬である私にはよくわからない感覚であるが、子猫に向けてイメージを送ってみる。
程なく、楽しそうなさざ波から遠い場所にうずくまる、震えている小さな影を抱きしめることが出来た。
冷え切った身体を暖めるよう全身で包み込むと、少しずつ震えが収まっていった。
『繋がった!』
私は子猫に向けて再度想念を送り、机の下に手を差し込んだ。
子猫は警戒しながらも、私の手に近寄ってきてくれる。
「クマさん、タオルはありますか」
そう聞くと、すかさずタオルを手渡してくれた。
片手でつかめるほど小さなその存在を、私はそっと机の下から引き出してタオルでくるんでやった。
「お見事、波久礼くん、僕より猫の扱い上手くなったよ
うちの常駐スタッフとして雇いたいくらいだ」
やっと笑顔になったクマさんが、小さな声で囁いた。
私達は子猫を驚かさないよう、ゆっくりとした動作でタオルの中をのぞきこんだ。