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しっぽや(No.85~101)

side<IWATUKI>

僕は、どうすれば初めて会った人と親しく会話出来るのか、よくわからない。
お父さんもお母さんもお店に初めて来たお客さんと楽しそうにおしゃべり出来るのに、僕にはそれが無理なのだ。

友達がいない訳じゃない。
友達とは普通にしゃべれるし、一緒に遊んでいるととても楽しい。
それは、友達になるまでに時間をかけて『この人は良い人だ』と思える出来事があったからだ。
楽しい時を共に過ごした積み重ねが、僕を安心させてくれるのだ。
小学校の同級生で気が合わないやつには『根暗』だってバカにされる。
でも、たとえ何と言われようと、自分のことをバカにするような人間とは親しく口をききたくなかった。

小さい頃からお店(クリーニング店)が忙しい両親に代わり、お婆ちゃんが僕の面倒を見てくれた。
お婆ちゃんの事は大好きだ。
いつだって僕に優しくしてくれるし、誉めてくれる。
町中の人と仲良くならなくたって、お婆ちゃんと友達がいれば僕には十分だった。
そんな僕の家に、今まで古い写真でしか見たことの無かった『お爺ちゃん』が帰ってきた。
写真の中のお爺ちゃんは睨むような目つきで、口をへの字に閉じて、厳つい顔をした怖い顔の人だ。
きっと、意味もなく怒鳴ったりするんじゃないか、そう考えると、僕はお爺ちゃんが怖くてしかたなかった。

初めて会ったお爺ちゃんは写真の人より年を取っていたけど、やっぱりむっつりと不機嫌に押し黙って僕達家族と居間で顔をつき合わせた。
お爺ちゃんのことをあんまり良く思っていないお父さんも、睨むように押し黙っていた。
お母さんはオロオロと2人の顔を見比べている。
お婆ちゃんはハンカチを目に当てて、泣いていた。

「今まで、すまなかった」
暫く無言だったお爺ちゃんは、畳に額をすり付けるように深く深く頭を下げた。
「あんな辛い時代、よくぞ家を守ってくれた
 本当に、本当に、苦労をかけてしまった
 すまない、すまない、すまない…」
お爺ちゃんの声は徐々に小さくなり最後は涙声で聞き取れなかったが、ずっと謝り続けていた。
「お父さん、きっと帰ってきてくれると信じてました」
お婆ちゃんがお爺ちゃんにすがって、オイオイと泣き始めてしまう。
『平和になって景気が上向いた頃にノコノコ帰ってきやがって』
と怒っていたお父さんも、困った顔でお母さんと顔を見合わせている。
頷くお母さんに促され
「お帰り…」
お父さんは小さく呟いていた。

僕はそんな大人たちの態度が不思議でしょうがなかった。
お父さんはあんなに怒っていたのに、お爺ちゃんはあんなに怖そうなのに、何で普通に話し始めることが出来るんだろう。
僕にはまだ、お爺ちゃんは怖い人にしか見えなかった。
「岩月、おまえのお爺ちゃんだぞ、挨拶して」
お父さんにそう言われても、僕は怖くてお婆ちゃんの後ろから出れなかった。
「貴方のお名前からもらって『岩月(いわつき)』と言う名前なの」
お婆ちゃんが僕を落ち着かせるように、優しく頭を撫でてくれる。
「そうか、俺に孫がいたなんてなぁ」
お爺ちゃんは泣きながら顔を歪めて僕を見た。
後から思うと、あれはお爺ちゃんなりの精一杯の笑顔だったのだ。


元から具合のあまり良くなかったお婆ちゃんは、お爺ちゃんが帰ってきてから入退院を繰り返すようになってしまった。
お婆ちゃんが入院している間は、お爺ちゃんが僕の面倒をみてくれた。
お爺ちゃんと2人で家にいるのは凄く気詰まりだったけど、黙って座ってる僕に無理に話しかけたりはしてこなかった。
そのうちお爺ちゃんは、夕方になると買い物に行くようになった。
帰ってくると僕に近寄ってきて
「岩月は、甘い物は好きかな?」
そう聞いてくる。
僕が無言で頷くと
「じゃあ、爺ちゃんと半分こしよう」
そう言って、どら焼きやあんパンを半分だけ僕に渡してくれた。
「ご飯の前に沢山食べると怒られるからな
 それに、誰かと半分こすると美味しいんだ」
お爺ちゃんに分けてもらえると、確かに美味しい気がする。
デパートの高いお菓子なのかと思ったけど、それは近所で買えるようなものばかりだった。
僕が不思議がると
「分けあえる相手がいることが嬉しくて、美味しいんだよ」
そう説明してくれる。
僕は重大な秘密を教えて貰ったようで嬉しかった。

お爺ちゃんは時々、夕ご飯も作ってくれた。
「まあ、お義父さん、すいません」
頭を下げるお母さんに
「いや、いつも簡単な物ばかりで申し訳ない
 飯場(はんば)のある現場で働いてたこともあるから、そこで覚えてね」
お爺ちゃんは照れたように笑っていた。
お父さんは
「親父が作った飯か」
そう言いながら、少し嬉しそうにビールを飲んでいる。
「美味しい」
お婆ちゃんが幸せそうに笑っていた。
お爺ちゃんが帰ってきてから、楽しい日々が続いている。

僕はお爺ちゃんのことが大好きになっていた。



僕が中学生になったある日、お爺ちゃんがこんな話をしてくれた。
「岩月、満月のお月様は、まん丸だ」
そう言ってまん丸のどら焼きを見せてくれる。
「それが半分になると半月」
お爺ちゃんはどら焼きを半分に割って、片方を僕に手渡してくれた。
「半月には『上弦(じょうげん)』と『下弦(かげん)』があるんだ
 弓矢は知ってるかな?
 弓矢の糸のことを『弦』って言うんだ
 半月の形は弓矢みたいだろう
 弦が上を向いているのが『上弦』下を向いているのが『下弦』」
お爺ちゃんは半分のどら焼きを使って説明してくれた。
「弓矢はいつまでたっても半月だけど、お月様は満月になることが出来る」
お爺ちゃんが自分の持っているどら焼きを、僕の物と合わせまん丸に戻してみせた。
「人間も、満月になることが出来るんだ
 俺にはお婆ちゃんがいる、お父さんにはお母さんがいる
 いつかお前にも、満月になれる相手が現れるさ」
お爺ちゃんはそう言って、どら焼きにかぶりついた。

「うん…」
僕は俯いて小さく頷いた。
中学校では仲の良かった友達とクラスが分かれてしまい、上手く友達が作れなかったのだ。
お爺ちゃんの言葉は、僕を慰めるものであった。
「これは誰にも内緒だぞ
 お爺ちゃんな、お婆ちゃん以外にも半月が居たんだ」
お爺ちゃんは声を潜めて、重大な秘密を打ち明けるように僕に言った。
「ええっ?」
僕はビックリしてしまう。

「あちこち移動しながら暮らしてたとき、お爺ちゃん『ジョン』って犬と暮らしてたんだ
 人懐っこい賢くて可愛い犬でな、ジョンが懐く人に悪い人はいなかった
 仕事で疲れて帰ってきたときも、ジョンが笑いながら出迎えてくれると楽しい気持ちになれたんだよ」
「犬が笑うの?」
「ああ、俺なんかより、ずっと嬉しそうに笑ってくれる」
お爺ちゃんは懐かしむように遠くを見ていた。
「岩月は、犬が嫌いかい?」
「犬って怖い、吠えるし、噛むもん…」
僕はまた、俯いてしまう。
「好きな相手には、吠えないし、噛まないよ
 家で飼えると良いんだがな」
「ふうん…」
爺ちゃんは家族にはそんなに口数が多くなかったけど、僕には色んな話をしてくれた。
僕にはそれが特別なことのような気がして、とても嬉しかったのだ。

けれどもお爺ちゃんはお婆ちゃんが亡くなってすぐ、後を追うように死んでしまった。
その時には僕は高校生になっていたけれど、大好きな祖父母が相次いで他界してしまったことにとてもショックを受け、暫く学校に行けなくなってしまった。
大学に行こうという気力もなく、出席日数ギリギリで卒業した後は、家のクリーニング店の仕事を手伝っていた。
『岩月に染み抜きしてもらうと、服が生き返る』
生前のお爺ちゃんに誉めてもらっていたことが、唯一の僕の慰めになっていた。

そんなとき、慣れ親しんだ土地を離れるという話が持ち上がった。
思い出の詰まったこの場所から離れたくなかったが、僕の意見など聞いてもらえる訳もなく、僕達一家は引っ越して新たな土地でクリーニング店を営業した。
僕は車の免許をとり配達や裏方を手伝っていたが、いつも寂しさを抱えていた。

引っ越して暫く経った頃
「親父がお世話になった方が隣町にいるんで挨拶してくる」
お父さんが急にそんなことを言い出した。
「秩父診療所の秩父先生ってお医者らしい
 お前も聞いたことがあるだろ?」
確かに、その名前はお爺ちゃんから何度か聞いたことがある。
きっとお父さんは知らないだろうけど、ジョンも診みてもらったことがあると言っていた。
年賀状や暑中見舞いのハガキを出した方が良いのかいつも悩んでいたが、結局『もう俺のことなんて覚えていないかも』と1度も出したことは無かった。
どんな人物であるか気になってはいたし、お爺ちゃんがどんなところで暮らしていたか興味もあったので、僕にしては珍しく行動的に、車でお父さんを送りがてら行ってみることにしたのであった。


お爺ちゃんは手書きの板の看板がかかっていたと言っていたが、秩父診療所は立派な病院に見えた。
扉には『休診日』の看板があったが、病院の近くに『秩父』と言う表札の家があったので、お父さんはその家を訪問することにした。
僕は暫く近くを車で走っていたが、お爺ちゃんから聞いたことのある『木賃宿』やら『定食屋』を発見することは出来なかった。
2時間ほど経ちお父さんを迎えるためもう一度秩父という表札の家に戻る。
『違っていたらどうしよう』
ドキドキしながらチャイムを押すと、お父さんが出迎えてくれた。
「せっかくだから、お前も挨拶して行きなさい
 お爺ちゃんに縁のある皆さんも集まってくれてるんだ」
その言葉を聞いて、僕は気が重くなる。
『皆さん』
初めて会う複数の人の輪に入るのは、僕の苦手なことであった。
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