空の兄弟〈後編〉

72/83ページ

前へ 次へ


 その人はすぐに避難者たちに囲まれた。

(兵隊サン、助ケテ下サイ! 助ケテ下サイ!)

 避難者たちの悲願の叫びが轟音となり、ただ差し伸べただけの無数の手たちに突つかれて、兵隊は川に落ちて、打ち所が悪かったらしく死んでしまった(と思う)。

 それでも避難者たちは動かなくなった彼に助けを求める。

 俺は気味が悪くなって、泳いで川を渡り始めた。

 その途中で妹が低く呟く、

(へいたいさあん、あたしと、おにいちゃんを、たすけてくださあい…)

 俺は胸が苦しくなった。

 対岸に上がると、水分を吸って体が重たい、背中の妹を振り落としたくもなった。

 ふらふらと覚束無い足取りで公会堂へ向かった、そこに両親がすでに避難しているかもしれない。

 早く行きたい、早くあの中へ逃げ込みたいのに、どうして道を開けてくれないの。

(バカヤロオ、押スンジャネエヨオ!)

(早ク進ンデエ、コンナ所デ死ヌノワイヤア!)

 ヒイイという声が渦巻く。

 俺もうおおと叫んでやった。

 背中の妹がびっくりして泣き出す。

(おかあちゃあん、おかあちゃああん…)

 空でゴウと唸る風。

 見上げればまたB29。

 火の粉にまみれて海の方へ向かっているようだったが、焼夷弾を落とすのをいつまでも止めなかった。





 さあ! もっと酷い話を聞かせてやろうか? あれは5月の──





「もうええ」

 話の途中だったが、言葉で俺を殺そうとするこの男の物語を、俺は遮った。

 心臓の辺りを片手で鷲掴みする。

 ああ、あの時のお前の気持ちはこうか、鷹!

「もうええから、黙っとってくれませんか」





※よければこちらもどうぞ
紙に書き殴った時代・⑭





72/83ページ
スキ