空の兄弟〈後編〉
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幸代、肝を抜かれて振り返る。
そこには恐い形相で悟が前につんのめりそうに、両腕で戸の縁を掴んで小さな体を支えている。
悟が何か言葉を掛けて鷹を振り向かせようとする前に、引き戸の音ですでに鷹はこちらを向いていた。
「あほか、お前、兄ちゃん起こさんでどうすんねん!」
寝起きでがらがら声、構わず悟怒鳴る。
「俺は、俺は泣かへんぞ。
お前なんかの為に、泣いてなんかやらんぞ、鷹!」
振り向きながらも歩みを止めていなかった鷹、悟のこの言葉を聞いてやっと立ち止まった。
「今、何て言ったんだ」
遠くにいる悟を、鷹は覗き込むように眺める。
あいつ、俺の名前をちゃんと呼びやがった。
いっつもいっつも、あいつの前じゃあ俺は鳥の鷹だったくせに。
「何度でも呼んでやる、鷹、鷹、鷹!」
聞こえるはずがない、だってとても小さな声。でも悟はちょうどいい間合いで鷹と対話する。
鷹、心臓の辺りを左手でボタンもろとも握り潰す。
その手には、服越しに昨夜掛けてもらった青いお守り。
しばらくうつむいていたが、
「ほなあ、さいなら」
いつだったか、お前も大坂ことば覚えときと悟に勝手に叩き込まれた、さようなら。
大きく手を振り、大きくはっきりと鷹は別れの言葉を言った。
「下っ手糞お!」
悟、罵声を浴びせたが、鷹はこの時すでに再び歩き出し、返答もしない、振り返りもしない。
やがて、鷹の姿は朝もやに包まれて、すうと煙の様に消えた。
残された悟と幸代、鷹が見えなくなってからも長いこと立ち尽くしていたが、ようやく幸代が促して、二人家の中へ戻った。
悟の頬にひと筋の水跡。
あいつは見てもうたかな。
いやあいつは、耳ほど目ぇよくないねんから気付いとらんやろ。
でもなんで俺は涙を流すのやろ。
ああそうか。
俺の大事な青玉が持ってかれてしもうたからか。
きっと、そうやろ。
※よければこちらもどうぞ
→紙に書き殴った時代・⑬
→【空の兄弟】(アメ版)中間雑談・6
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