夜は嘘にふるえてる


 それから、私は少し病院に通うようになった。義務というより、強迫観念に近かった。私にもそんなものがあった。
 母とは別で、自分のペースで行くことにした。
 母はそれに対して、何も言わなかった。
 あの日、うまく演技できなかったことを怒られるかと思ったけれど、そんな余裕もないらしい。
 母は見舞いに行く以外は、ぼんやりと椅子に座るか、仏壇の前に手を合わせてずっとぶつぶつ何事かを願っていた。

 行かねばならない。
 電車に乗りながら、「やっぱりやめようかな」なんて思う日の方が多かった。
 だってすべて今更だから。
 今まで何も気にしないで、姉の事なんて放っておいた。
 なのに、いざ死ぬかも、というあの姿を見たからってこんな風に通うなんて、ひどい嘘っぱちで、自己満足の行動だと思った。
 本当に姉を心配する気持ちが、私の中にどれくらいあるというのだろう。
 死ぬとなると頑張れるなんて、いっそ死ぬのを待っているみたいだ。
 実際に、私はあの姉を見た時に、「この人は死ぬ人だ」と、少し姉から心を切り離し出した。不用意に、傷つかないように。

 それでも、結局姉の元へ向かった。

「気持ちはどうあれ、今行っておかないときっと後悔する」

と自分をごまかして焚きつけることで、病室の扉を開かせた。
 しかし、来たといっても、話すこともなかった。姉とはずいぶんしばらくちゃんと話していない。死が迫ってきたからと言って、すらすらと話せるわけじゃなかった。とても当たり前のことだったし、私はそこまでうそつきじゃない。。

「お姉ちゃん、来たよ」

 だから、そんな挨拶と、花瓶の水をかえるとか、少し換気をするなどの事務的な言葉と。
「具合どう?」

と言う馬鹿みたいな問いをして——後は話すことはもうなかった。
 だから、時間がくるまで、椅子に座ってじっとしている。
 久しぶりの見舞い以来、時々は顔を見せるようになった妹を、姉はどう思っているのだろう。
 少なくとも、不審でしかなく、私なら自分の病気の状態に不安を覚えるだろう。
 それがわかっているのに、私は会いに来ている。
 いい、どうせ私は、自分ばかりかわいいのだ。
 姉のうっすらと浮かべてくれる笑みからは、不安や怒りとか、そんなものが感じられないのが救いで、罪悪感のもとだった。
 太腿と椅子の間に手を突っ込んで、ぶらぶらと足を揺らした。
 何をするわけでもない。なのにここに来て、私は何をしたいのだろう。
 気まずさという退屈を覚え始めると、居心地の悪さから、自分に対する問いかけばかりになる。寺か山にでもこもるみたいに。
 私みたいな者が、姉に今、何を話してあげられるだろう。
 姉は今、何が聞きたいのだろう。
 好き勝手話すことはできる。どうせなら、自分が後悔しないためにも、話したいことを全部話してしまえばいいんじゃないだろうか。
 そう思うけれど、喉で詰まってしまって、何も言葉を発することは出来ない。
 ただ、風にそよぐカーテンを見たり、姉の姿をじっと見下ろしたり、靴の裏を合わせたりして、いつも面会は終わる。
 せっかく来てるのだから、今日こそ、と思う。
 けれど、もういっそ来ないでおこうと思いながら帰るばかりだった。

 そして何度目かの今日こそ、の時。
 ふと私は、

「前にもこんなことあったね」

 とつぶやいた。
 不意に、姉の部屋を避難所がわりにしていた事を思い出したのだ。



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