一章


「姫様のこの度のご温情まことに痛み入ります。また、このようなありがたいお役目をいただき、この上ない喜びにございます。これから、心よりお仕えさせていただきます」

 ジェイミは、「姫」の部屋で、許されたこと、そしてこれから側仕えをさせていただくことへのお礼と挨拶にひれ伏していた。暗い部屋の中で、ただ自分を抑えることで精一杯だった。
 相手は黙っていた。しかし無関心な、冷たい沈黙ではなかった。代わりに、自分の側に近寄ってきていたのだ。自分の前で膝をつくのがわかった。

「顔をあげて」

 顔を上げると、あの夜と変わらぬ、おそろしく美しい顔と相対した。

「ジェイミ。ラルのせいで、本当にごめんなさい。あなたが助かって本当によかった」

 そして、自分の頬に触れて、そう言った。その声も顔も、悲しさと、安堵に満ちあふれていた。

「ジェイミ」
「何でしょう」

 女の呼びかけに、衣服を着付けながらジェイミは答える。女――姫が、ジェイミの方を振り返った。白い下着の上に、穏やかな薄青のシンプルなドレスがいっさいのしわなく体にまとわれていく。細い。それでいてまろい。背の紐をしめながら思う。以前はゆったりとした衣を着ていたからわからなかった。肌も吸い込まれるように白かった。

「ここの生き物は、皆こうして衣を着せてもらうの?」
「身分の高い者は、そうですね」

 ジェイミには、質問の意図がいまいち掴めなかった。この女は、ずっとそうしてきただろうに、何を改まって聞くのか。

「ジェイミは自分で着る?」

 確かめるような響きを持っていたが、ジェイミにはいささか皮肉に聞こえた。当たり前だろう、お前には俺がどう見えている?

「はい」

 冷静に返すと、姫は「そっか」と、考えるように頷いた。

「いいな。ラルも、本当は一人で着たい」
「――何故です?」

 ジェイミは思わず尋ねていた。皮肉へのいらだちより、好奇心が先に勝った。着替えをさせられるのをいやがる貴人がいるとは。
 召使いが疑問を呈すなど、不興を買うかと思ったが、姫は素直な声で「あのね」と話し出した。

「ラル、自分以外に体を見られるの、恥ずかしい。体を任せるのも、落ち着かないの」

 妙に気になる言葉だった。貴人でも、貴人の振る舞いに慣れぬものもいるのか? しかしジェイミ自身、誰かに自分の着替えなどされたくない気持ちがある。どうにも姫の言葉が、自分の嗜好に重なった。姫の言う感覚はまるで、今までずっと自分で着替えをしてきたみたいな感覚だ。

「そうですか」
「うん」

 しばしの沈黙がおりる。ジェイミの胸は、姫に向けた言葉でいっぱいだった。そんなことは許されないし、いつもならそんな気さえ起こさないように気を引き締めているのに、自分はどうしたのだろう。ドレスの形を整えながら、ジェイミは己自身にわずかに動揺していた。

「でも、慣れないといけない。ラルがいやがると、皆によくないの、わかってる」

 姫が、ぽつりと、しかしはっきりと言葉にした。ジェイミは行程を終えて姫から、そっと体を離した。姫は、自分の体を見下ろして、身につけているドレスを確認した。くるりと身を翻した拍子に、ドレスがふわりと揺れた。

「きれい。ありがとう」

 それから、にこりと笑って、ジェイミに礼を言った。ジェイミはただそれに頭を下げた。
 ――調子の狂う女だ。ただこちらは仕事をこなしただけだ。獣人の仕事に礼を言う貴人など、いない。それに、もっといい衣服を普段まとえる身分だろうに。
 どうにも、不思議な光が、この女からは差していた。ジェイミはその光に当てられると、どうも錯覚を起こす。それが、たまらなくいやだった。

 「うまいなあ」

 特別にしばしの休憩をもらった邸の召使い達は、蒸し菓子をほおばり顔をほころばせた。ポトの実をねりこんだ蒸し菓子は、エルガ卿が日々のねぎらいに振る舞いたいと、特別に用意させたものだ。もっとも、用意したのは自分たちなのだが、皆嬉しそうにしている。

「よい方だなあ」
「エルガ卿は、姫様のお心だって」
「ふうん……姫様がか」

 召使の数人が首を傾げた。嬉しいもののやや釈然としないという顔になる。

「姫様、とても優しいよ」

 しかし、年少の召使いの一人が、その言葉につかれたようにぽろりとこぼした。

「僕のけがの心配をしてくれたんだ。『自分のせいで罰を受けて、ごめんなさい』って……こう、頬にさわって……えらい方が謝るのなんて、僕、はじめて聞いた」

 大きな目から、ぽろりと涙がこぼれた。蒸し菓子を飲み下してから、何かとても特別なものをかみしめるように、大切に大切に話した。その言葉に、他の召使いが続く。

「そういえば、食事を持って行ったら、いつも『ありがとう』といってくださるな」
「ここの話をよく聞かれるんだけど、ずっと目を合わせてくれて聞いてくださる」

 などと、一度こぼれたら、いろいろと話題はつきなかった。

「こらお前達、あまり浮かれるんじゃない。気をひきしめろ。もうすぐまた仕事だ。これからいつもより忙しいのだから」

 アルマが皆に檄をとばす。しかし、アルマでさえ、そうだった。表だっては、「私は違います」という顔をしているが、どこかこの状況に浮かされて、うきうきとしている。アルマもまた、罰について姫に謝罪をされたと聞いた。

 ――これだ。これがずっといやだった。ジェイミはどうしようもなく苦く、焼け付くような気持ちになる。エルガ卿に、姫に――人間の気まぐれな「お慈悲」に、皆浮かれている。
 頭を垂れさせる人間に、自分たち獣人はずっと、怒りや屈辱を抱いている。それなのに、それゆえか、同時に、人間に認められたいと願っている。
 だから、こうして少し優しくされたり、よく扱われると、喜んでしまう。――相手は、自分を虐げる存在だというのに。ジェイミが許されたと聞いた時も、皆そうだった。理不尽よりも喜びが勝っていたのだ。
 そんな媚を、ジェイミはどうしても許せなかった。認められたいなどと、尊厳の放棄、弱さの証だ。人間に認められずとも、自分は自分であるはずなのだ。
 だから、ずっとあの女がいやだった。「ジェイミを信じられる」と言った、あの時からずっと――。

「ジェイミ」

 一人輪からはずれたところにいるジェイミの隣に、キーズとアイゼがやってきた。ジェイミの返事を待たずに、そのまま両脇に腰掛ける。二人は、大事そうに蒸し菓子を手にしていた。

「こんなはずれに、どうしたんだ。食わないのか」
「食うさ。こいつのために、これから飯を切り詰めるわけだしな」

 ジェイミの皮肉に、二人は顔を見合わせる。

「まあ、そうかもしれないけど、うまいよ」
「どうしたんだ? 機嫌悪いな?」

 ジェイミは一口かじる。確かに甘くておいしかったが、どうにも喜べない。傍らにおいて、息をついた。二人の楽しい空気を壊したことに後悔したが、どうにも気分が曇った。

「まあな。悪い」
「姫様のお相手は疲れるか?」
「キーズ」

 アイゼがキーズの言葉にたしなめるような反応をした。キーズは、蒸し菓子を一口ほおばりながら、笑った。

「何つーか、気まぐれそうだものな。処分しようとしたりやめたりさ」
「そんなことないよ」

 アイゼの言葉に、ジェイミが眉をひそめた。キーズは互いの顔を確認した上で、アイゼを手で制し、言葉を続けた。

「でも俺は、お前が助かってくれてよかったよ。気まぐれにも感謝万歳ってやつだ」

 キーズの目を見る。キーズは浮かれていなかった。ただ、ジェイミに対しての親愛の情にあふれていた。ジェイミはそのことに少し気分を持ち直した。

「気にすんなよ。まあそりゃ皆わりかし浮かれてっけどさ。お前からすると、気分も良くないのはとーぜんだって」
「――オレ、皆の気持ちわかるよ」
「アイゼ」

 今度はキーズがアイゼをたしなめた。アイゼは、思い詰めた顔で、地面をにらんでいたかと思うと、きっと顔を上げた。

「オレは、ジェイミが、助かってくれて本当によかった。そこは絶対だ」

 はっきりと強い、熱のこもった言葉だった。そこに嘘はなかった。

「でも、姫様は、お優しい方だよ。ジェイミの罰のこと、『自分のせいだ』って、本当に悲しんでたんだ。オレの話を聞いて、ジェイミを助けてくれた」

 アイゼが、一生懸命言葉を探しているのがわかった。キーズは少し困ったように目をぐるりと上に向けたが、また平素の表情になる。
 アイゼの言葉を咀嚼する。ジェイミには、言いたいことはわかっていた。だって、あの女は、確かに自分をかばい、「ごめんなさい」と――あの時も、その後も、言われもないことで謝ったのだから。

「ジェイミ、どうしてそんなに姫様がきらいなんだ」
「アイゼ、わかった。わかったから、まあちっとこっち来い」
「わかってるんだ。お前が本当に、大変だったのに、こんなこと言うなんて、オレは友達がいがねえんだ。けど、なんだか、このままだと、間違っちまいそうで怖いんだ」

 キーズがアイゼの服を引き、しばし離そうとするのを、アイゼは踏ん張ってジェイミに言い募った。ジェイミは、最後の言葉に反応する。

「間違う?」
「何にかはわかんねえ。でも」

 アイゼが口ごもり、言葉を探していた。

「オレなりに、姫様のおそばにいて思うんだ。この方は、違うんじゃねえかって」

 アイゼはジェイミだけでは手が足りないときの世話役の内の一人に選ばれていた。アイゼは、姫に気に入られているようで、たびたび声をかけられている。アイゼはそのたび、頬を染めて嬉しそうに姫と話していた。

「オレみたいなのが何をって思うかもしんねえけど。でもオレ、なんだか姫様といると、本当に、頼りにされているような気持ちになるんだよ」

 ジェイミは、アイゼの顔を見つめた。アイゼの榛色の目に、自分の顔が映って、揺れている。

「人間とか、獣人とかじゃなくてさ。オレっていうものを見て、頼ってくれてる気がするんだ」

 ジェイミだって、そう思うだろ?
 アイゼの言葉に、ジェイミは沈黙した。そして、目を伏せた。
 そう。――だから、いやなのだ。あの女といると、錯覚させられる。

「わかってるよ」

 痛いほど、わかってる。だからこそ、信じるわけにはいかないのだ。
 

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