一章


 この場で、一番なのは、ラル。
 森の中なら、一番の者が絶対だった。それは、ここでも当たっていると思う。だから、エルガの態度や、それに対するグルジオらの反応から、エルガがグルジオより上であることがわかったし、エルガがはっきりと上だと言った。
 そして、ここの生き物達のラルへの反応とエレンヒルがラルに言った「上の者」という言葉、さっきエルガが言った「責任」という言葉から、ラルもまた、何かの上の者なのだと感じた。そして、エルガが、ラルにこうして頭を下げていて、エルガより上の者だと言った。
 この答えの、理由としては、これで十分のはずなのだが……

(これで合ってるの?)

 しかし、導かれた答えと、現状を合わせるとまだたくさんの疑問が残っていた。なら、なぜ、この群は、ラルに何も教えないでいる? シルヴァスの元にも行けず、ジェイミを助けたいと言う言葉を、ラルはこんなに言うのをためらっている? そもそも、エルガの言葉は、信じていいのか……

「木偶は木偶らしく従っていろ」

 アーグゥイッシュが、ラルにそう言った。従う、とはつまりアーグゥイッシュ達より、ラルが下だということではないか?
 疑問が解けない。けれど、この結論は、ラルの心に強く居座った。もうそれは直感だった。これは正しい。ただ、ほかの何かがおかしいか、自分がまだ知らないだけなのだ。

「ラルは、エルガよりえらいのね」

 ラルが、エルガが信じられないなら、この言葉に意味はなかった。ただ、それでも確かめておきたかった。そしてラルは、エルガにはうそがないような気がしていた。子の群の中で、一番正直であると。
 ラルの言葉に、ジアンが今度は、こめかみをぴくりと動かしたが、やはりエルガは動じない。切れ長の美しい目をまっすぐに、ラルに向け答えた。

「ははっ、そのとおりでございます」
「なら、エルガにお願いがある」
「何でございましょう。私でよろしければ、何なりと申しつけくださいませ」
「ここでラルのせいで、罰を受ける生き物がいる。ラルはその子の罰をなくしたい」
「は……」

 エルガが虚をつかれた顔になった。

「ジェイミと言って、ラルが、この部屋から勝手に出たのが、この子のせいになったの。この子のことを、許してほしい」
「失礼つかまつる、姫。……おい、ジェイミとは誰だ」
「この邸の召使いにございます」

 エルガは少し動揺したようだった。小声の問いに、答えたのはエレンヒルだった。エルガは獣人か、と呟いた上で、うーん、と唸った。

「……――姫、あなた様がお気になさることはございません」
「気にする。苦しいもの」

 エルガがまた唸り、それから何か思いついた、というように朗らかに笑って見せた。

「ならば、その、苦しみはこのエルガが引き受けましょう。あなた様は、多くの者の上に立たれるのですから、下々の者を気にかけては、苦しゅうございます」
「――ラルの罰を、ほかの生き物に、代わらせるのが苦しいの!」

 ラルは立ち上がり叫んだ。エルガは目を見開いた。

「ジェイミにも、エルガにも、誰にも代わってほしくない。ラルが、自分でちゃんと責任を持ちたいの! 謝りたいの!」

 ラルは胸の前で、手を握りしめた。ジェイミを許してほしい? ――違う、ラルは何もわかっていない。自分の気持ちもわかっていない。

「このことは、ラルのせい。ごめんなさい。ラルは、ラルのせいで、誰かが罰を受けて、傷つくことを知らなかった。もう勝手なことをしない。ジェイミのことを、ううん、――ラルのことを許してほしい。ラルへの罰を、ジェイミを罰することにしないでほしい。ラルを許して」

 必死に訴えた。つらくて仕方なかった。知っていたら、しなかったなんて、ラルの為に、もう誰かが傷ついてほしくない。傷だらけのアイゼやジェイミ、アルマ達の顔を思い出す。――赤に染まったシルヴァスのことも。
 ラルは頭を下げて頼んだ。周囲が息をのんだが、ラルの意識には入らなかった。
 助けて――違う、助けると決めたのだ。なんと自分の力の頼りないことだろう。ラルには、結局、信じて頼むしかできなかった。

「姫……」

 エルガの声が部屋に響いた。どこか呆然とした響きだった。

「お顔をお上げください」

 エルガの声は太く平坦で、しかし何かを耐えるようだった。エルガは、静かに、ゆっくりと頭をさげて見せた。

「このエルガ、敬服いたしてございます」

 それきり、エルガの音がふるえた。そのふるえが、息のふるえとなり、エルガは泣き出した。

「あなた様のような方に仕えることが出来るのは、法外の喜びです」

 泣きながら、エルガは言葉を重ねた。声は高揚し、喜びに満ちていた。

「誰があなた様を罰せましょう。ええ、誰にも罰することなどできませぬ」

 ラルは、目を見開いた。

「お顔をお上げくださいませ。このエルガ、あなた様に誓って、そのジェイミという召使いを許しましょう」

 エルガの言葉に、ラルは顔を上げる。エルガは顔面を紅潮させて、精悍な頬に涙をいく筋も作っていた。

「エルガ」
「……恐れながら、一度決めた罰をなくすのはいかがなものかと」

 ジアンが、そっとエルガに対しもの申した。ラルは、びくりとする。

「黙れ、ジアン。俺の誓いに水を差すな」
「しかし、示しがつきませぬ」
「それなら、姫の望むかたちの罰にしたということでよかろう」

 エルガは譲らなかった。ラルはそれがありがたかった。ジアンは、それがわかっていたのか、小さく息をついて、それきり何も言わなかった。

「エルガ、ありがとう」
「かたじけのうございます」

 エルガが、体中から喜びの念を発した。ラルもまた、身体が温かくなった。

(相変わらずだな)

 後ろに黙って控えていた、グルジオとエレンヒルは、渋面をどうにか押し隠していた。エルガ・ドルミール――この、ドルミール卿に愛され、何不自由なく生きてきた第三令息は、とにかく純粋で感動屋で直情的……能天気で愚直、単純であることで有名だった。こちらの考えも知らず、あれこれと言い立て、勝手を通してくれた。
 しかし、此度のことは、この男だけを責められまい。エレンヒルは自分の手落ちを思った。

(姫にああ言われては、聞くしかあるまい)

 エルガの感動はさておき……少し、この娘に対する見識を改めねばならない、エレンヒルは思った。
 
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